日本の土地調査(幕末まで)

班田収授法

日本の土地調査の歴史は、班田収授法が起源です。これは、645年の大化の改新によって定められた「改新の詔(みことのり)」で導入された、中国の唐で実施された均田制度にならったもので、土地はすべて国有地とし、田を分けるときに田図(でんず)が作られました。

それから、中世までの土地調査は全国的に統一されたものは行われず、時の支配者の支配が及ぶ範囲に限られ、測量の基準もまちまちでした。

太閤検地

その後、豊臣秀吉が統一政権のもとで、屋敷地田畑について、一筆ごとの面積、収穫高などを定める「太閤検地」(1582~)を実施しました。これが、日本で初めて統一的な方法によって全国規模で実施された土地調査です。

このとき、従来不統一であった間竿を6尺3寸に統一。1反を300歩とし、屋敷地、田、畑に区別した地目の調査を行いました。そして、江戸時代も太閤検地と同じ要領で土地の調査を行いました。