更新日:2023年12月28日

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歴史・文化・芸術

県西地域の観光情報をテーマ別にご紹介します。

小田原市南足柄市中井町大井町松田町

山北町開成町箱根町真鶴町湯河原町

小田原市 

北条氏政・氏照墓所

北條氏政と氏照の墓の写真

四代氏政とその弟・氏照(八王子城主)の墓所です。天正18年(1590)に豊臣秀吉が、北条氏を攻略した際に、時の城主、五代氏直は高野山に追放され、父氏政と弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。

この墓所は永く放置されてあったものを、稲葉氏が小田原在城の頃、北条氏追福のため、作り直したものです。それも、関東大震災で埋没してしまいましたが、翌年、地元の有志によって復興されました。

お参りすると幸せな出会いがあるといわれ、願いが叶った時、鈴を納めるのが習わしとなっています。

石垣山一夜城

石垣山一夜城の写真

天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原合戦の本営とした城の跡地。一夜のうちに築城したように出現させたという伝承から、この名がつきました。本丸物見台からは、小田原城下はもちろん、丹沢山系、相模湾、更には天気の良い日に双眼鏡を使えば東京スカイツリーも見ることができます。

小峯御鐘ノ台大堀切

小峰御鐘ノ台大堀切の写真戦国時代、小田原北条氏が築いた空堀で、幅が20から30m、堀底から土塁上部までは約12m、法面は50度という急勾配で、全国的にも最大規模の空堀です。

現在でも堀底を歩くことができます。

小田原城天守閣

小田原城天守閣の写真現在の天守閣は江戸時代の雛型や引き図を基に、昭和35年に復元されたものです。内部は歴史資料の展示施設になっており、最上階からは市街地や相模湾などが一望できます。そのほか城址公園内には、常盤木門や馬出門、こども遊園地、NINJA館などがあり、春は桜の名所としても知られ、年間通じて多くの観光客が訪れる人気の観光スポットです。

二宮尊徳の生家と尊徳記念館

二宮尊徳の生家の写真二宮尊徳(金次郎)は、江戸時代の農村改革の指導者です。小田原は、宿場町として栄えた反面、酒匂川の洪水、富士山の噴火、大地震が相次ぎ、農民は貧困極まりない生活を強いられました。尊徳は、多くの本や体験から学んだことを行動に移し、600か所以上の町村を復興させました。

生誕の地である栢山には、尊徳の生家と彼の生涯・教えを学べる記念館があり、展示室のみでなく、宿泊室も備えており、生涯学習活動の場としてご利用いただけます。

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南足柄市 

金太郎の生家と金太郎遊び石

金太郎の遊び石の写真

足柄山の金太郎伝説の地として南足柄市は知られており、地蔵堂地区に金太郎ゆかりの地が集中しています。地蔵堂地区には「金太郎遊び石」「金太郎産湯伝説・夕日の滝」「金太郎生家跡(四万長者屋敷跡)」などがあります。金太郎の遊び石は、金太郎が幼少の頃に遊んだ石として地域に伝承されており、この大きな2つの石は太鼓の形をしていることから、別名太鼓石、兜の形をした別名兜石とも呼ばれています。
また、金太郎は四万長者と言われたお金持ちのむすめの子として生まれたと伝わっています。

清左衛門地獄池

清左衛門地獄池の写真

良質で豊富な水量を有する湧水で、主に工業用水として使用され、平成20年6月に「平成の名水百選」に認定されました。

言い伝えでは、昔、水不足で困っていた時に加藤清左衛門が水源を探していたところ、馬もろとも地中深く吸い込まれ、沈んだ穴から水が勢いよく湧き出し、その後水に困らない生活ができるようになったといいます。それから村人たちは感謝の意をこめて、この池を「清左衛門地獄池」と呼ぶようになりました。

二宮金次郎の腰掛石

二宮金次郎の腰掛石の写真

芝刈りに来た金次郎が腰を掛け休んだと言い伝えられている石です。薪を背負って本を読んでいるおなじみの姿の金次郎は、成人して足柄平野の開発に力を発揮し、報徳堀などによって米作の冷害を回避する成果をあげています。

周辺の矢佐芝地区は明神ヶ岳の方へのハイキングコースにもなっています。

足柄神社

足柄神社の写真

「古事記」に書かれているヤマトタケルの東征の時に、ヤマトタケルに殺された白鹿が足柄明神の神であったと伝わります。当社は古くは足柄峠上に祀られており、その後矢倉岳山頂、そして現在地に移りました。社殿は幕末期の建築物ですが、総檜造りの素晴らしい社殿です。

御祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。

朝日観音堂

朝日観音堂の写真

江戸時代中期に建てられた四間(約7.2m)四方の木造茅葺宝形造りの姿は素朴で均整のとれた美しい建物です。お堂の縁の下には亀腹と呼ばれている土壇があります。奥には仏壇があり中央に宝殿が据えられています。宝殿には聖観音菩薩立像が納められその左右には兜跋毘沙門天像が立っていましたが、現在仏像は収蔵庫に保管されています。

 

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中井町 

おもしろ体験博物館 江戸民具街道

おもしろ体験博物館・江戸民具街道の写真

江戸時代から明治の庶民の生活を伝える資料館。灯火器具を中心に約1500点の生活道具を展示しています。

湘南軌道

湘南軽便鉄道の写真

かつて『けいべん』と呼ばれた、今はなき「湘南軌道」についてはこちらをご覧ください。

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大井町 

郷土資料館

郷土資料館内の写真

1階は写真などを展示する「お山のギャラリー」、2階は、昔、近隣で使われていた農具や生活用具を保存展示しています。

三嶋神社

三島神社の写真

椎の木、杉、欅などがありますが、俗に椎の木森といわれるように、何百年も経た椎の木の大木が26本繁茂しています。県下でも稀に見る自然林で、かながわの美林50選、その中の正面左側の椎はかながわの名木100選に選ばれています。

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松田町 

最明寺史跡公園

最明寺史跡公園の桜の写真

松田山山頂付近、海抜550メートルの地にある、承久3年(1221年)に建立された西明寺(後の最明寺)跡の公園です。春には色とりどりの花が咲き乱れ、池の周りは桜の木に囲まれ、水面を草花や樹木が彩ります。野鳥がさえずる池の周りの散策路をひとめぐりすることができます。

寒田神社

寒田神社の写真

仁徳3年創建。倭建命(ヤマトタケルノミコト)が東征の折にお立ち寄り、ご休息されたと伝えられています。なお東海道が通じる前は、箱根越えの旅人は足柄峠を越える際、当社に旅の安全を祈願したといわれています。「古風土記残本」によれば祭神は倭建命。後に弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)菅原道真公、八幡神社を合祀したといわれています。寒田神社内には、倭建命が滞在の折残されたという、御神宝の「椀」が一組保存されています。
境内の樫はかながわの名木100選に選ばれています。樹高30m、胸高周囲3m、樹齢500年ともいわれ、この種としては県内一の高さを誇る御神木です。

宮冨ガラス工房

宮富ガラスの作品写真

中津川沿いの桜並木の下に工房があり、併設するギャラリーではパステルカラーのガラスアートに出会えます。アクセサリー、オブジェ、インテリア作品の制作・販売をしています。

陶楽どろんこ

陶楽どろんこの作品写真

素朴な土の薫りのする食器類、可愛らしいふくろう達、おじぞう様に思わず見入ってしまいます。陶芸が初めての人でも土に触れ、土を楽しむことのできる工房です。

木象嵌工房 貞

木象嵌の作品写真

木象嵌は種々の色合いを持つ天然木材を使った木画です。箱根小田原地方に100年以上前から伝わる伝統技法により絵画や図案をはめ込み表現します。工房は「寄ふれあいドッグラン」駐車場の奥にあって、身近な生き物の木画や芸術作品の制作・販売を行っています。日本に数名しかいない匠の技に出会える珍しい工房です。

 

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山北町 

河村城跡

河村城跡の写真

河村城跡は、歴史をしのばせる静かなたたずまいをみせる県指定史跡です。「吾妻鏡」に見られる吉野朝時代の豪族河村氏の居城址であり、南側が断崖になっていて天然の要害といわれています。その後、戦国時代には小田原北条氏の持城となり、武田氏に対するための重要な城でした。史跡としてだけではなく、河村城址歴史公園を通るハイキングコースや森林セラピーロードとしても人気です。

山北鉄道公園

山北町鉄道公園の写真

山北鉄道公園は美しい桜の名所として知られており、鉄道公園を含む山北駅の東側の樹齢約50年のソメイヨシノ約120本の桜並木は、神奈川県の「かながわのまちなみ100選」に選ばれています。また、昭和43年御殿場線全線の電化によって蒸気機関車としての使命を終えた、D52-70が、鉄道公園内に記念展示されています。毎年3月下旬から4月上旬の桜の見頃の時期には、ここをメイン会場に「やまきた桜まつり」が開催されます。

〇D52ついてはこちらのページもご覧ください。

中川の箒杉

中川の箒杉の写真

形が箒に似ている大杉です。高さ45m、根回り18mであり全国名木百選、国の天然記念物、かながわ未来遺産100に指定されています。推定樹齢は神奈川県内最高齢の二千年と言われています。周辺からは湧水も出ています。

丹沢湖記念館 三保の家

丹沢湖記念館三保の家の写真

三保ダム・丹沢湖の資料館です。中には昔の周辺地域の資料の展示があり、お土産等も販売しています。レンタサイクル、貸しボート等も行っています。隣にある「三保の家」は三保ダム建造にあたり、古民家を移転したものです。

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開成町 

あしがり郷瀬戸屋敷

あしがり郷瀬戸屋敷の写真

瀬戸屋敷は、開成町北部の金井島に所在し、江戸時代に旧金井島村の名主を代々つとめた瀬戸家のお屋敷です。

約1,800坪の屋敷内には、主屋、土蔵、薬医門、水車、井戸などがあります。また、ひなまつり、端午の節句、七夕など昔から伝わる伝統的な年中行事を再現しています。

なお、瀬戸屋敷の主屋・土蔵は、平成13年2月21日に町の重要文化財第1号に指定されました。

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箱根町 

箱根強羅公園

箱根強羅公園の噴水の写真

1914年に開園され2014年に100周年を迎えた、日本初のフランス式整型庭園です。フランス式整型庭園とは、平坦で広大な敷地に左右対称に幾何学的に池などを配置した特徴がありますが、強羅公園は傾斜面に作られています。

広い空と山々に囲まれた開放的な園内には、様々な花が植えられており、花の名所でもあります。

また、熱帯植物館や茶室、体験工房などの施設もあり、いろいろな体験を一度にできるのが魅力です。

箱根ガラスの森美術館

箱根ガラスの森美術館の写真

箱根ガラスの森美術館は、ヴェネチアン・グラスを専門に展示する美術館。15から19世紀に作られた繊細で美しいガラス作品を鑑賞することができます。大涌谷を見渡せる庭園にはクリスタルガラスのオブジェが陽光に七色に輝き、5月には新緑、6月には200種のバラと多種多様なあじさい、秋には紅葉がお楽しみ頂けます。このほか、イタリアの歌手による本場カンツォーネの演奏を聴きながらひと休みできるカフェレストラン、約10万点のガラス商品やメープルシロップを使ったオリジナルのフルーツジャムが取りそろうミュージアムショップがあり、優雅なひとときをお過ごし頂けます。

箱根関所

箱根関所の写真

江戸時代、旅人を厳しく改めた箱根関所。およそ140年の時を経て完全復元。渋墨塗りの威厳溢れる御門や番所、そして、芦ノ湖を望む豊かな眺望は訪れる人を歴史ロマン溢れる箱根の旅へと誘います。

元箱根石仏群

元箱根石仏群の写真

元箱根にある精進池周辺には、今から約700年前、鎌倉時代から室町時代前期にかけて数多くの石仏や石塔が造られました。これら石仏・石塔の多くは、中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定され、また、周辺一帯も同様に国の史跡に指定されています。

箱根旧街道杉並木

箱根旧街道杉並木の写真

元箱根から恩賜箱根公園まで約500m続く、箱根旧街道の杉並木。

1618年(元和4)、幕命によって川越城主・松平正綱が植林したと伝えられています。道中には約400本の杉が連なり、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守っていました。なかには幹回り約4mの大木もあります。

公時神社

公時神社の写真

公時神社は、金時山麓に立つ神社で、金太郎(平安時代後期の武士、源頼光に仕え四天王の1人に数えられた坂田公時)が祭神として祀られています。毎年子供の日に行われる「公時まつり」では国選択無形民俗文化財に指定されている湯立獅子舞が披露され、多くの人々で賑わいます。

箱根町立郷土資料館

箱根町立郷土資料館の写真箱根町立郷土資料館は、常設展示室をはじめ、特別展や企画展を開催する特別展示室、約2万冊の参考図書を備えた図書室などの諸施設があるほか、年間を通じて「箱根探訪会」などの学習講座も開催しています。

早雲寺

早雲寺の写真小田原城主・北条氏の菩提寺。2代氏綱が初代早雲の遺言によって1521年(大永元)に建立した臨済宗大徳寺派の名刹です。

1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めで一度消失しましたが、1627年(寛永4)僧侶・菊径により再興されました。山門の左側の鐘楼に大きな古い梵鐘があり、これは豊臣秀吉が北條氏を攻めて小田原に押し寄せたとき、石垣山の一夜城に使われたといわれています。

畑宿一里塚

畑宿一里塚の写真江戸時代旅人の目印として徳川幕府が作った、日本橋から数えて二十三里目にある塚です。箱根町の中にはかつて湯本茶屋、畑宿、箱根の3か所に一里塚がありましたが、現在、唯一その形態をとどめています。

標識樹として、塚の頂上に、畑宿から見て右側の塚にはモミの木を、左側の塚にはケヤキの木が植えられています。

長安寺

長安寺の写真長安寺は1356年に創建された、自然に囲まれた静かな佇まいのお寺です。

四季折々の風景が美しく、特に紅葉のシーズンは人気があります。

美しい境内やまわりの風景の他、五百羅漢、現代彫刻家による彫刻品、四季折々の花など、散策も楽しい場所です。

東光庵熊野権現旧跡

東光庵熊野権現旧跡の写真国道1号沿いに広がる芦之湯は、旧跡も多く点在する閑静な温泉地。江戸時代から湯治場として賑わい、数々の文人墨客も湯治に訪れたといいます。湯治の合間には箱根権現の末社熊野堂境内の「東光庵薬師堂」に集まり、句会や作茶会を楽しんだそうです。明治になり木戸孝允と西郷隆盛の密談にも使われたと云われています。

東光庵は、1871(明治4)年に火災を出し、1882(明治15)年に廃庵となりましたが、発掘調査や文献資料に基づき平成13年(2001)に復元されました。江戸時代から残る十六羅漢像や芭蕉の句碑、蜀山人の碑など石造物も保存修理され、往時の姿が120年ぶりに蘇りました。同時にとなりに熊野神社も再現されています。

箱根写真美術館

箱根写真美術館内の写真三代に渡り写真家として活動を続けた山田・遠藤家の居住敷地内に設立された小美術館。

常設展では、地元写真家・遠藤桂による四季折々の美しい富士山写真を展示。その他企画展も随時開催。

彫刻の森美術館

彫刻の森美術館の写真1969年に開館した国内初の野外美術館。7万平方メートルの広大な敷地内には、国内外の巨匠の作品120点余りが展示されています。また、約320点のコレクションを順次公開しているピカソ館など5つの室内展示場や、子どもたちが楽しく遊ぶことができる作品、敷地内の源泉を活用した温泉足湯、カフェなどもあり、一日中ゆっくり過ごすことができます。

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真鶴町 

鵐窟(しとどのいわや)

しとどの窟の写真

源頼朝が1180年8月、石橋山の戦いに敗れたとき、この地にあった岩屋に一時隠れて難を逃れたと言い伝えられています。追手が怪しんで中を覗くと、「シトト」と言われる鳥が舞い出たので、このことから「鵐窟」と呼ばれるようになったとされています。かつては、高さ2m、深さ10m以上の大きさがあり、波が打ち寄せる岩窟でした。

真鶴町立遠藤貝類博物館

遠藤海類博物館内の写真

4,500種50,000点の貝類を保有する、国内有数の博物館。うち約1,800種5,000点が常設展示されています。展示のメインは生きた化石とも呼ばれる「オキナエビスガイ」。美しい色の火炎模様を持つ学術的にも非常に貴重な貝で、世界で確認されている30種類のうち27種類が展示されています。

真鶴町立中川一政美術館

中川一正美術館内の写真

真鶴町立中川一政美術館は日本洋画壇の重鎮、文化勲章受章者である中川一政画伯より自作の油彩・岩彩・書・陶器等、約600点の作品の寄贈を受け、開館しました。真鶴半島の西側の付け根にある漁村「福浦」、「箱根駒ヶ岳」の風景や、「薔薇」、「向日葵」の連作や、真鶴の海で獲れた魚、真鶴半島に咲く野花を題材にした水墨岩彩等、「われはでくなり」といった書、陶芸なども有名です。

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湯河原町 

しとどの窟

しとどの窟の写真

石橋山の戦いに敗れた頼朝が隠れたといわれる岩屋。大小20体余りの石仏が天然の岩屈内に並ぶ。治承4年(1180)、源頼朝は平家討滅、源氏再興の兵を挙げましたが石橋山の合戦にて敗れ、土肥実平に導かれて隠潜した巌窟が、この「しとどの窟」です。流れ落ちる湧水、苔むす岩石。「土肥椙山観音像群」と呼ばれる多くの観音や石塔が建ち並ぶ、夏でも涼しい仙境です。

土肥城址

土肥城址跡の写真

土地の豪族・土肥実平は、土肥郷(現在の湯河原町)を与えられ、館を構えました。その後、実平は治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵に協力して、石橋山の合戦で敗れ小舟で房総に逃れました。実平は、この功績で鎌倉幕府の重鎮になり、実平の子孫が安芸国(現在の広島県三原市)で、小早川の姓を名乗り三原城を築城しました。

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あしがら観光ナビ~神奈川県県西地域の旅~コンテンツ一覧

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企画調整部商工観光課(小田原合同庁舎)
電話 0465-32-8908

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