更新日:2023年12月18日

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湘南軌道

今はなき、この鉄道についてご紹介します。

湘南軌道の廃線

湘南軌道は、かつて「けいべん」と呼ばれ、秦野から中井を経由し二宮へ繋がっていました。

「けいべん」について

 湘南軽便鉄道

 秦野市・中井町・二宮町・大磯町の人々の多くは、秦野と二宮を結んだ湘南馬車鉄道、湘南軽便鉄道、湘南軌道を総じて「けいべん」と呼んでいます。
 「けいべん」は馬車鉄道として開業してから6年半後の大正2年(1913年)には、蒸気機関による湘南軽便鉄道へと変貌を遂げ、大山への参拝客をはじめとする人々の移動や、地域の特産品の運搬などに大きな役割を果たしてきました。
 時流の変化の中で、小田原急行鉄道(現在の小田急線)や乗合自動車との競争に勝てず、昭和12年(1937年)には営業廃止となりましたが、この地域の結びつきや発展に果たした役割は大きなものがあります。

(1)湘南馬車鉄道株式会社

 明治39年(1906年)に開業されました。旅客輸送を行っていたようですが、秦野地域で製造が盛んだった葉たばこ等を、東京など各地へ輸送することも想定していたと考えられています。
 開業当初から厳しい経営となっていたようで、平塚・秦野間をつなぐ馬車と競うため運賃を値上げしましたが、乗客の減少により、更に経営難に陥ったようです。

(2)湘南軽便鉄道株式会社

 大正2年(1913年)に名称を変更し、機関を馬力から蒸気に変更しました。また、客車の他、貨車も新たに用意され、乗客数や貨物量の増加が見込まれたため、馬車時代の細いレールを取り換える工事も行われたようです。
 当時の新聞には、東海道線に乗り継ぐ客や、大山参拝に向かう客で盛況だった様子が掲載されました。この20世紀初頭が、「けいべん」の最盛期と考えられています。

(3)湘南軌道株式会社

 大正7年(1918年)に経営権が通運会社に売却され、社名が湘南軌道株式会社になりました。その後はレール修繕など一層の整備に努め、延伸工事を行いましたが、経営状況については改善が見られず、乗合自動車の営業や、度重なる賃上げを実施していました。
 小田原急行鉄道が開通する前の大正13年(1924年)には良好な成績を示していたようですが、昭和2年(1927年)に小田原急行鉄道が開通すると、京浜方面の乗客が全て奪われてしまい、乗客は沿線利用者のみという状況になってしまいました。
 昭和6年(1931年)には旅客営業を中止、昭和12年(1937年)に全線廃止となり、31年の歴史を刻んだ「けいべん」は終わりを迎えました。

 

引用・参考文献

「湘南を走った小さな汽車」2013秦野市・中井町・二宮町・大磯町広域行政推進協議会

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