三浦一族関連略年表および略系図

掲載日:2018年3月17日

三浦一族関連略年表

三浦一族関連略年表
康平6年(1063) 前九年の合戦で源頼義に従った村岡為通が、三浦郡を領し衣笠城を築く。この時、三浦を称す
平治元年(1159) 三浦義澄、平治の乱に従い参戦
治承4年(1180) 【源頼朝挙兵の年】
治承4年6月27日 義澄、伊豆に立ち寄り頼朝と挙兵の相談
治承4年8月17日 頼朝、伊豆で挙兵
治承4年8月23日 頼朝、石橋山合戦に敗れ安房に向け敗走 三浦一族は戦に間に合わず
治承4年8月26日 衣笠城合戦。夜半、一族は義明を残して城を退去。衣笠城落城。三浦義明討死(89歳)
治承4年8月29日

義澄、安房にて頼朝と合流

治承4年10月6日 頼朝、安房から進んで鎌倉入り
治承4年10月21日 義澄、頼朝に上洛より、まずは東国の平定を、と勧める
治承4年11月17日 和田義盛、侍所別当に任ぜられる
寿永元年(1182) 佐原義連、政子の安産祈願のため三浦十二天(芦名十二所神社)に赴く
元暦元年(1184) 義盛、義連、一谷の合戦に加わる(鵯越え)
文治元年(1185) 壇ノ浦の合戦で平家滅亡
文治5年(1189) 義盛、奥州征伐の前に運慶に仏像を依頼
建久3年(1192) 頼朝、征夷大将軍に就任 義澄が除書(任命書)を受取る役目を務める
建久5年(1194) 頼朝、義明追善供養のため寺院建立を発願(満昌寺)
正治元年(1199) 頼朝死去(53歳)
正治2年(1200) 義澄死去(74歳)
建保元年(1213) 和田合戦北条泰時に討たれ和田一族滅亡
延応元年(1239) 義村死去(推定70歳)
宝治元年(1247) 宝治合戦北条、安達軍により三浦一族宗家滅亡。庶流の佐原盛時が三浦介を継ぐ
永正13年(1516) 新井城主の三浦義同、北条早雲に攻められ自害

三浦半島の三浦一族は滅亡しますが、義同の二子時綱が安房正木郷に逃れ正木氏を名乗り、その曾孫がお万だという説があります。お万は徳川家康の側室となり、紀伊藩と三戸藩の祖を生み、徳川将軍は8代吉宗以降、幕末に至るまでお万の流れを汲む者が就任したことになります。
また、かつて所領であった各地にも一族の流れが続いています。

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