更新日:2023年12月25日

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かながわスポーツタイムズ第84号

 今号はパラクライミング特集と題して、パラクライミング界のレジェンド、小林幸一郎氏と今後期待のルーキー、平井亮太選手のインタビューを中心にお届けいたします。また、かなチャンTVでもパラクライミング動画を配信予定です。そちらも併せてご覧ください。

目次

小林幸一郎氏インタビュー

【パラクライミングとは】
 フリークライミングという言葉があります。それは、己の力だけで自然の壁や人工壁を登ることを言います。通常見かけるクライミングは、手足を使い、行く方向を目で確認しながらホールドと言われるとっかかりを掴んで登って行きます。

 もし片足がなかったら、片腕がなかったら、目が見えなかったら、体の動きに制限があったら…。そんな障害のある方でも壁は登れるのです。そんな彼らのクライミング競技をパラクライミングと呼びます。

≪パラクライミングにおける対象となる障害≫
筋力障害/受動的な関節可動域の障害/手足の欠損/脚の長さの違い/低身長/筋緊張亢進/運動失調/アテトーゼ/視覚障害

(日本パラクライミング協会HPより抜粋)

小林幸一郎(こばやしこういちろう)

0103プロフィール小林幸一郎氏

≪NPO法人モンキーマジック代表理事/日本パラクライミング協会共同代表≫
 1968年2月11日生まれ。東京都出身。16歳でフリークライミングに出会い、大学卒業後は旅行会社に就職。その後アウトドア用品メーカーに転職するも28歳で難病「網膜色素変性症」を発症。

 その後もクライミングを続け、37歳で「見えない壁だって、越えられる。」をコンセプトに、フリークライミングを通じて視覚障がい者をはじめとする人々の可能性を大きく広げることを目的とするNPO法人モンキーマジックを設立。

 日本パラクライミング協会が任意団体(当時、副代表)を経て2020年に一般社団法人日本パラクライミング協会(JapanParaClimbingAssociation)として設立され、鈴木直也氏とともに共同代表を務める。

 また、盲目のパラクライマーとして、パラクライミング世界選手権4連覇をはじめ、数々の戦績を残した。2023年3月のパラクライミング日本選手権を最後に競技者としての現役選手を引退。

 現在は社会スポーツと競技スポーツの両面から、クライミングを通じたインクルーシブ社会の実現に向けた活動を精力的に展開。趣味は旅。

主な戦歴
◆2006年パラクライミングワールドカップ(ロシア)視覚障害者男子部門1位
◆2011年パラクライミング世界選手権(イタリア)視覚障害男子B2クラス1位
◆2012年パラクライミング世界選手権(フランス)視覚障害男子B2クラス2位
◆2014年パラクライミング世界選手権(スペイン)視覚障害男子B1クラス1位
◆2016年パラクライミング世界選手権(フランス)視覚障害男子B1クラス1位
◆2018年パラクライミング世界選手権(オーストリア)視覚障害男子B1クラス1位
◆2019年パラクライミング世界選手権(フランス)視覚障害男子B1クラス1位
◆2021年パラクライミング世界選手権(ロシア)視覚障害男子B1クラス5位
◆2021年パラクライミングワールドカップ(アメリカ)視覚障害男子B1クラス1位
(世界選手権は2011年から隔年開催、ただし2012年・2019年は年度調整のため連続開催。)

 小林さんは、現在二つの組織の代表としてパラクライミングに関わっていらっしゃいますが、それぞれの立場から、お話を伺いたいと思います。

NPO法人モンキーマジック代表理事として

≪特定非営利活動法人モンキーマジックって?≫

法人概要(NPO法人モンキーマジックウェブサイトより)
ビジョン
私たちの目指す姿
 障害者クライミング普及活動を通じて、多様性を認め合えるユニバーサルな社会を実現し、より成熟した豊かな社会を創ります。
ミッション
私たちの使命・目的
 モンキーマジックは、「見えない壁だって、越えられる。」をコンセプトに、フリークライミングを通じて、視覚障害者をはじめとする人々の可能性を大きく広げることを目的とし、活動しているNPO法人です。
ユニバーサルな社会とは?  障害、年齢、性別、文化などの違いに関わりなく、それぞれの人が社会の一員として支え合う中で、安心して暮らし、一人ひとりが自分らしく生き、持てる力を発揮して元気に暮らすことのできる社会を指しています。
なぜクライミングなの?

 モンキーマジックの代表小林自身が、自他ともに認めるクライミング好きなのです。(16歳の時にクライミングに出会い30年以上クライミングを継続している小林代表は、人生の途中で視覚障害者となりました。障害がなくても、あっても、どちらの立場でもクライミングを楽しめることに気づき、その普及を進めている、いわば視覚障害クライミングのパイオニアでもあります。)
 でも、それだけではありません。
 クライミングには、身体面だけではなく心理面においても自信を得たり、可能性を広げる特徴があります。障害者がこのスポーツに取り組むことにより、障害者の生涯スポーツとしての運動機会拡大、さらには自立支援や社会参画等、※QOLの向上に繋がります。
 また、クライミングは障害に関係なく、同じ場所で同じルールで楽しめる特性もあり、健常者と障害者が「助ける・助けられる」の関係ではなく、同じクライミング仲間として関わり、互いに壁を取り払い、理解しあう価値ある機会となります。

※QOL:Quality of life(クオリティ オブ ライフ)=生活の質

※法人における障害者の表記については、「障害者」と公的機関でも使用している漢字での表記に統一しています。

モンキーマジック設立のきっかけを教えてください

0204モンキーマジック小林幸一郎氏

 自分が高校生からクライミングを始めて、今までに知ったクライミング自体の魅力と、目の病気が進行しているにもかかわらずクライミングを辞めずに続けている自身の経験が、設立した何よりの理由です。「自分ができているんだから、他の視覚に障がいのある人にもできるはず!」をモチベーションに「辞めずに続けている私を見てください!」という思いでモンキーマジックを立ち上げました。

 その後、対象が視覚障がいだけではなく、様々な障がい者に広がっていったりという発展の姿はありますけれども、もともとは自分自身の経験を社会に伝えたいということが大きかったです。

モンキーマジックでは、どのような活動をしているのですか

(1)障がい者に対するクライミング教室、クライミングスクールの展開(障害者向けクライミング事業)

(2)スポーツを通じた障がい者理解のためのきっかけづくり(多様性理解促進クライミング事業)

(3)講演会や事業の受託(普及・啓発・広報事業)

主に以上の三つです。

モンキーマジックの目指すところを教えてください

 主に二つあります。一つは、モンキーマジックのミッションに掲げている「見えない壁だって、越えられる。」をコンセプトに視覚障がい者をはじめとする人々の可能性を大きく広げ、障がい者の運動機会の拡大とQOLの向上を図ること。

 二つ目はモンキーマジックのビジョンに掲げてある多様性を認め合うことのできるユニバーサルな社会を実現し、より成熟した豊かな社会を創ることです。

 ですからモンキーマジックでは、障がい者クライミングというスポーツを活用して、障がい者の運動機会の拡大によるQOLの向上と社会の多様性理解の促進の二つを目指しています。

モンキーマジック代表として、メッセージをお願いします

 私たちは、クライミングは障がいがあっても無くても誰もが一緒に楽しめるスポーツだと思っています。その空間の共有こそが、僕たちが一番広げていきたいことです。その一緒に楽しめる空間というのは、あるべき社会の縮図だと思うんです。

 それはみんなが一緒に応援しあったり、みんなが悔しがったりと気持ちが共有できたりする場、そのようなあるべき社会の縮図である場をモンキーマジックはこれからも障がい者クライミングを通じて、社会へ広げていく活動を続けていきたいと思っています。

日本パラクライミング協会共同代表として

日本パラクライミング協会の役割を教えてください

0305インタビュー小林幸一郎氏

 パラクライミング競技は、2006年に最初のワールドカップがロシアで開催され、そこから歴史が始まりました。翌年2007年に日本国内で最初の大会があり、2011年に最初の世界選手権が開かれました。当時は日本山岳協会(現在の日本山岳・スポーツクライミング協会)が一つの部門として選手派遣等を行っていたのですが、2018年に任意団体としてのパラクライミング協会が立ち上がり、その後のパラクライミングの選手派遣や大会の開催を担うようになりました。

 パラクライミング協会は、障がい者スポーツとしてのクライミングの普及、発展に積極的に係わる気持ち、知識、経験を持つ人たちが集う場所としての広がりもみせています。
 協会の役割を一言で言えば、競技スポーツとしての障がい者クライミングの普及、大会の運営です。

今年スイスで開催されたパラクライミング世界選手権大会では、日本選手が金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル2個と好成績を残しました このことについて、協会としてどのように捉えていますか

 今大会は、日本人選手が出場してきた世界選手権、ワールドカップ等の国際大会の中で、最大の獲得メダル数です。なかでもB1クラスの會田祥選手は、2021年以降出場している国際大会すべてで金メダルを獲得しています。日本の選手の強さが際立っていることの象徴だと感じています。また、少しずつですがメダルの獲得数が着実に増えています。

 今後こうして、社会の注目やメディアを通じての露出が増えていく中で、パラクライミングがより認知され、選手の層が厚くなっていくきっかけになる一つの大会だったのでないかと捉えています。

2028年の米ロサンゼルス・パラリンピックでは、パラクライミングが追加種目として検討されていますが、どのような期待を持っていますか

 追加されるかどうかはIPC(国際パラリンピック委員会)が決定していく事案であるので、直接的に我々は何もできません。しかし、JPC(日本パラリンピック委員会)とのコミュニケーションも取っていますし、IPC(国際オリンピック委員会)の日本人の委員を通じて情報の収集と「ぜひパラクライミングを追加種目として押してほしい」と発信しています。

 今年の世界選手権で優秀な成績を残した選手たちが、年齢的にも5年後のロサンゼルス・パラリンピックに出場可能な状況です。ですから日本人がパラリンピックで優秀な結果を残してくれるといった期待もあるので、パラクライミングが追加種目として選ばれることを協会としても願っています。

日本パラクライミング協会共同代表として、今後の協会の展望について教えてください

 パラクライミング自体は(他のパラスポーツすべてそうだと思いますが)、若手の選手の減少と選手の高齢化といった課題に向き合っています。選手層の薄さと高齢化という課題を乗り越えるため、新たにパラクライミングに向き合ってくれる選手が増えてほしいと思っています。

 アスリートスポーツですから、若手の選手を確保したいところです。しかし、全国の特別支援学校の障がい種別生徒数の推移をみても、身体の障がいより知的の障がいの増加率が圧倒的に高い傾向にあります。パラリンピックの種目等々で言えば、主に身体、一部知的という種目構成になっていますから、そういった面からも、どうしても選手層が薄くなってくるというのが現実です。

なるほど、『社会スポーツ』と『競技スポーツ』の両面からパラクライミングに関わっておられるのですね。では、小林さんご自身が現在に至るまでのお話を少しプライベートな部分も含めて伺いたいと思います。

幼少期は、どのようなお子さんだったのでしょうか

0406岩上から小林幸一郎氏

 

 僕は子どものころのことをあまり覚えていなくて。全然楽しくなかったです。大人に「将来の夢は何?」と聞かれることがすごく嫌でした。目の前にいる大人が目の前からいなくなってくれるには、適当に大人が喜びそうなことを答えればいいと思っていました。それくらいやりたいこととか夢とかがなかったです。

クライミングとの出会いについて教えてください

 中学に入っても部活動はやっていなかったし、運動や体を動かすことについても、興味がありませんでした。周りの友達ができることが自分にはできなかったし、できるようになるために努力することもしたくなかった。

 ですから今思えばなぜクライミングだったのか分からないですが、たまたま本屋さんで見た雑誌で「アメリカからやってきた新しいスポーツ、フリークライミング」の記事やきれいな岩を登っている写真に目が釘付けになりました。人と比べられない、オリンピックでも学校の体育でも誰かより速ければいいとかきれいにやらなければいけない、勝たなければいけない、でも、クライミングはそうではない。そんな部分が自分には響いたんだと思います。とにかく成績で順番が付くことが嫌でしたから。

クライミングに出会ったことで変わったことはありますか

0406岩下から小林幸一郎氏

 

 クライミングに出会うまでは、運動やスポーツが学校で一番嫌いでした。そんな自分がたまたまクライミングに出会って、人と比べられたり、勝ち負けを争うもでもなく、自分の目標に向かって、自分で頑張るといったクライミングの魅力に魅了されました。

 それだけではなく、高校生の私にとって、学校の先生でもなく家族でもない大人達のコミュニティに入っていき自然の中で過ごすことで、「大人ってこんなんでいいんだ」と思えたんです。そこにいた銀行員や病院の先生、劇団員など様々な大人たちの生き方に影響を受けたと同時に自然の力の偉大さも学びました。

 クライミングは16歳からその後の人生に大きな影響を与えてくれた世界でした。

競技者として数々の輝かしい戦績を残していらっしゃいますが、始競技としてのパラクライミングを始めたのはいつからですか また、競技を始めたきっかけを教えてください

 38歳、2006年の国際大会からです。そもそも自分は運動が苦手な人間だったし、クライミングを始めた時も人よりすごいことができたわけでもなく、むしろ大人たちに「若いんだから頑張れ!」と言われるぐらいでしたから、自ら競技をやるつもりはありませんでした。

 第1回パラクライミングワールドカップ開催にあたり、当時の山岳協会から、名指しで大会出場の声掛けがあり、「はい、出ます。」と極めて受け身の対応でした。

「成績で順番が付くことが嫌だった」と伺いましたが、競技者としてパラクライミングを経験してみていかがでしたか

0508全身小林幸一郎氏

 クライミングの楽しさの幅が広がりました。自分だけのクライミングの世界が、目の障がいをきっかけに、他者に伝え、共有し喜びを分かち合えるように目線が変わっていきました。そこから人生の中で経験をしたことがない競技に向き合うことで自分のクライミングの幅が大きく広がりました。

 学校時代には、何かで勝ったとか、いい順位だったとか、そんな経験がなかったので、大会に出て優勝することを大人になって初めて経験し、その経験は面白かったです。

 その後も競技を継続していく中で、色々なものをマネジメントとすることが大きな課題でした。時間を創り出すこと、トレーニングパートナーを作ること、食事、睡眠といった様々なものをゴールとなる日にちに向けて、自分の中でマネジメントする。結果を出すということに向き合っていくことが、これまでの人生で経験したことのないことだったので、すごく頭を使って楽しいことでした。
次の試合の日程が決まり、そこから逆算していって半年、一年といった長いスパンで、マネジメントしていくことは本当に面白かったです。

世界選手権等の数々の世界大会で素晴らしい成績を残していらっしゃいますが、大会の雰囲気(映像等を見ると非常にたくさんの観客がいますが・・・)や参加した感想等を教えてください

 まず、「頑張って!楽しんできてね!」と大会に送り出してくれるのですが、僕はその感覚には全くなれなかったです。日本を出発するときや大会の当日は、気持ちが悪くなるくらい緊張していて、ものすごいストレスを感じていました。

 でも、目が見えないってすごくいいんです。実際に壁を登るときは、普段と何も変わらないんです。視覚障がい者のクライミングのときは、下からのサイトガイドの声がちゃんと聞こえるように、会場のアナウンサーが観客を静かにさせてくれるんです。ですので、サイトガイドの人は目は見えているし、人はたくさんいるし緊張の度合いは彼らの方がずっと高いと思います。

 僕は当日の朝、「いよいよ来ちゃった、どうしよう」ってことはあります。また、次が自分の順番で袖に控えているときは、前の選手が終わったときにすごい歓声がワーって起きて、「来ちゃった、来ちゃった」みたいな感じなっています。でも、自分の順番が来て一つ目のホールドを持ったときには頭が切り替わり、普段の登る感覚になっていましたね。

大会への遠征費用等は自己負担と聞いていますが、費用の捻出には苦労されたのではないでしょうか その辺りについて、差し支えない範囲で教えてください

0508全身小林幸一郎氏

 

 視覚障がいのあるクラスではサイトガイドの分も含めて、全額自分で負担し大会に出場するのですが、そのような生活を10年以上続けました。ただし最初の大会の一回だけは日本山岳協会が負担してくれました。それ以降は全額自費でやってきました。ですので、費用面は本当に厳しかったです。ただ、そういうもの、との思いもあり、すごく頑張って助成金を探したり、応援してくれそうな企業に頭を下げに行ったり、今でいうクラウドファンディングもやりました。

 NPO法人の代表は会社の経営者と同じなので、自分が大会に出ることも含めて資金集めのことで毎年ずっと悩んでいました。でも、この競技に向き合っている自分としては、資金集めをやることは、競技をやりたくてやっているのだから仕方がないと思っていました。

 少し話は逸れますが、確かに資金面はずっと苦しかったです。でも自分がパラクライミングという競技でいくら結果を出しても、メディアではこの競技を取り上げないし、世間に知られていないことが、自分でお金を出していることよりも、よほどそちらの方が寂しく感じました。

 特に印象的だったのは、東京2020オリンピックの追加種目としてスポーツクライミングが決まった後、2016年パリで開かれたクライミングの世界選手権に、日本から様々な取材陣が来ていました。でもそれはスポーツクライミングの取材であって、私が金メダルを連覇した年だったのですが、そこに来ていたテレビも新聞も誰一人、パラクライミングや私を取材しようとしませんでした。そういった現実が、お金のことよりも向き合わなければいけない課題であることに寂しさを強く感じ、そこを変えていきたいという気持ちを強く持ちました。

 自分が大会に出ていることより、モンキーマジックの活動がメディアに数多く取り上げられることで、障がい者クライミングが少しずつ知られていくことがとても嬉しかったです。

最後に今年(2023年)5月に公開されたドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・クライミング!」についてお話を伺いたいと思います。

小林さんの人生に大きく影響を与えたであろうエリック・ヴァイエンマイヤーさん(全盲で7大陸最高峰登頂)について教えてください

0610ライフイズクライミング

 人生を振り返ると大きな転機は、(1)クライミングとの出会い、(2)目の病気の発症、(3)ケースワーカーからかけてもらった言葉、(4)エリックとの出会いと4つくらいありました。

 私がアメリカに行ったとき、友人の鈴木直也がアメリカにはこういう人がいるとエリックのことを教えてくれました。驚いている私の姿を見て、彼がすぐに古本屋でエリックの本を探してプレゼントしてくれました。帰国後、エリックのことをネットで調べてエリックのホームページを見つけ、掲載されていたメールアドレスに「僕は日本人です。アウトドアやクライミングが好きな日本人です。あなたに会いたい。」とメールを送りました。それに対してエリックから返事が来たのがエリックとの出会いのきっかけです。やってみないと分からないですよね。

 私がちょうど「目の見えない人でもクライミングができるはず。」と思い始めていた頃だったので、エリックがやっていたことを知れたことで、自分が思っていたことよりはるかにすごいことをやれることが確認できました。また、アメリカではたくさんの障がいのある人がクライミングをしていることも教えてもらいました。

 エリックから「障がい者のクライミングには、失いかけていた自信を取り戻したり、新しい可能性に気付けたり、そういった機会を創れる力があるんだ。もしそれを日本で誰もやっていないんだったら、お前がやればいいじゃないか。それがお前の仕事だよ。」と言われたことも、今に繋がっています。

映画の中で、もう一人の主役である鈴木直也さんとは長きにわたってコンビ(競技者としてはサイトガイド、日本パラクライミング協会では共同代表)を組まれていますが、小林代表にとって鈴木直也さんはどのような存在ですか

0711撮影

0712小林幸一郎氏鈴木直也氏

 友達ですね。それ以上でもそれ以下でもないです。お金を払って僕のサイトガイドをしてもらっている訳でもないし、障がい者クライミングを、すごく面白そうだから一緒に広げようと始まった日本パラクライミング協会の共同代表としての仲間です。

 さらに言えば、クライミングのパートナーですね。彼が登っているときには彼の命を僕が守るし、僕が登っているときには彼が僕の命を守ってくれている、その時に彼の眼で見て「もうちょっと右にあるよ」とか教えてくれる。だからサイトガイドをしに来てくれているのではなく、一緒にクライミングのパートナーとして岩場にいって、僕が登るときに僕は目が見えないので目を貸してくれている瞬間があるといった感じでしょうか。

 私にとっては、鈴木直也という人は憧れの人でした。彼はアメリカで10年以上暮らし、現地で山岳ガイドの資格を取り、様々なクライミングの専門知識や経験を積み、日本に帰国した後ガイドの仕事をしていて、アメリカ人のような明るい太陽のような性格とその知識や経験など、自分にはなりたくてもなれないものを山のように持っている憧れの友人ですね。

0713アプローチする小林幸一郎氏鈴木直也氏0714アタック小林幸一郎氏

 2002年に知人の結婚式にコロラドに招かれたときが僕と直也の最初の出会いでした。日本からクライマーで目の見えない人が来るから空港まで迎えに行ってと頼まれて、僕のことをデンバーの空港まで迎えに来てくれたのが直也でした。その直也が車の中で、全盲で7大陸最高峰を登頂したエリックがこの近くに住んでいるといった話をしてくれたことをよく覚えています。

※掲載の写真は、すべて小林幸一郎氏ご本人から提供していただいたものです。

平井亮太選手インタビュー

平井亮太(ひらいりょうた)

0815プロフィール平井亮太選手

≪2023年度パラクライミング世界選手権日本代表≫
 1987年9月5日生まれ。神奈川県綾瀬市出身。(株)★SUW.★所属。
 小・中・高と地元の綾瀬市内の公立学校を卒業。小・中時代は水泳や野球などに打ち込むスポーツ好きで活発な子どもだった。
 高校卒業後は自動車整備の専門学校に進学し、自動車整備士として勤務していた27歳の時に難病「副腎白質ジストロフィー」を発症し、30歳から車椅子生活。
 その後、いくつかの車椅子スポーツを経験するなかでパラクライミングに出会い、「自分にはこれしか無い!」と思い、パラクライミングを本格的にスタート。
 「自分との闘いに負けない気持ち」でクライミングをする事で病気にも打ち勝ち、人の背中を後押しできるクライマーを目指し奮闘中。趣味は筋トレ。

主な戦歴
◆2020年パラクライミングジャパンシリーズ第2戦(広島)下肢機能障害男子AL1クラス2位
◆2021年パラクライミングジャパンシリーズ第1戦(広島)下肢機能障害男子AL1クラス3位
◆2021年パラクライミングジャパンシリーズ第2戦(神奈川)下肢機能障害男子AL1クラス3位
◆2022年パラクライミングジャパンシリーズ第2戦(広島)下肢機能障害男子AL1クラス2位
◆2023年パラクライミングジャパンシリーズ世界選手権(スイス)下肢機能障害男子AL1クラス5位
◆2023年パラクライミングジャパンシリーズ第1戦(広島)下肢機能障害男子AL1クラス1位

2023年度パラクライミング世界選手権を振り返って

大会を終えた率直な感想や思いを教えてください

0816世界選手権集合写真

 「悔しい」の一言。とにかく悔しかった。人生において一番悔しい思いをしました。スポーツで初めて悔しくて泣きました。それほど「本気だったんだなぁ」と自分でも驚きです。

 その悔しさは、順位やメダルに手が届かなかったことではなく、イメージしたクライミングが全くできず、と言うより、イメージしていた地点までも到達できなかった自分に悔しかった。ですから、今回のクライミングでたとえメダルを手にしていても悔しい気持ちは同じだったと思います。と同時に、世界の壁のレベルの高さと世界の選手のレベルの高さを痛感した大会でした。

日本代表を手にしたときの思いと、大会までどのような準備をしたのか教えてください

 もちろん日本代表を目指していましたが、実際に日本代表に選出されたときには、まるで実感が湧きませんでした。ただ、日本代表のユニフォームを着てスイスの大会会場に入ると、その雰囲気や空気感で背負った日の丸の重さをひしひしと実感しました。昨年まで傍観者であった自分が、日本代表の立場でこの場に立っていることをあらためて考えたときは、心が震えました。

 大会に向けての準備は、自分の強みの筋力や瞬発力を伸ばすためのクライミングとトレーニングを重ねました。また、弱みである持久力の強化にも取り組みました。特にクライミングに関しては、頑張れば何とか登れそうな壁に繰り返しチャレンジしてきました。しかし、今回の大会を経験して、自分には登ることはできないだろうというレベルの壁にチャレンジしなければいけないと強く感じました。

実際の大会の様子と日本代表として世界で戦った思い、今回の経験を通じて得たものなどを教えてください

0917世界選手権平井亮太選手

 初めての国際大会だったので仕方のないことではありますが、大会の経験値不足を痛感しました。想像以上に壁の難易度が高く、今までに経験したことがないレベルでした。ですから、様々な場所で初めての壁を数多く経験することの重要性を感じました。さらにトップ選手のテクニックや体の使い方、バランス感覚などすべての面で圧倒されました。

 世界のトップ選手は力だけでなく、テクニック(細かい技術や身体全体の使い方)を使ってクライミングしていたので、今後の課題としては、テクニック(身体の使える機能をいかに使いこなすか)を重点的に磨いていきたいです。

 日本代表としての思いとしては、日本代表を手にできなかったライバル・選手の思いも背負って戦いに行きました。また、応援してくれる同じ病気で苦しんでいる人達に対しても、一緒に頑張って一歩でも前に進もうという気持ちを伝えることができたらという思いを持って戦いました。

0918世界選手権会場

 今回の経験を通じて、練習に対する意識や考え方が大きく変わりました。先ほども触れましたが、できないことへの挑戦や新たなチャレンジにより、テクニック(技術や体の使い方)、バランス感覚などの練習を見直し、パフォーマンスを向上させることに取り組み、この経験と悔しさをバネに更なる高みを目指すという大きな目標を得ました。

難病「副腎白質ジストロフィー」[注1]発症からパラクライミングとの出会い

[注1]「副腎白質ジストロフィー」について(難病情報センターH.P.より抜粋)
 中枢神経系(脳や脊髄)において脱髄(神経線維を覆っている髄鞘と呼ばれるさやの部分の崩壊が起こる病態)や神経細胞の変性と、腎臓の上にありホルモンを産生している副腎という臓器の機能不全を特徴とする疾患です。男性に重症化する遺伝病です。全身の組織において極長鎖脂肪酸と呼ばれる脂肪酸の増加を認めます。
 小児で発症する場合は、知能低下(学力の低下)、行動の異常(学校の落ち着きのなさ)、斜視、視力・聴力低下、歩行時の足のつっぱりなどの症状で発症することが多いです。症状は進行性でコミュニケーションがとれなくなり、無治療では通常1~2年で終日臥床状態となります。
 成人で発症する場合には歩行障害を主徴として知覚障害、尿失禁、インポテンツなどをきたし知能低下をきたさない慢性の経過をとるAdrenomyeloneuropathy(AMN)というタイプと小児と同様に知能低下を主徴とし急速に進行し臥床状態にいたるタイプ(成人大脳型)があります。その他、思春期に発症する思春期型、ふらつき(小脳失調)を初発とする小脳・脳幹型などがあります。女性保因者は一部の方に、中高年以降に軽度の歩行異常(足のつっぱり)を認める場合もあります。

病気とは、どのように向き合ってきたのでしょうか

1019インタビュー平井亮太選手1

 27歳のとき、つまずくことが増えたり、脚が重く感じたりといった脚の違和感により、医療機関を受診したのが始まりでした。複数の医療機関を受診しましたが、なかなか原因が分からず「副腎白質ジストロフィー」と診断が出るまで約2年半かかりました。その間、脚の痛みや衰えにより杖を使用しないと歩けなくなるまで、脚の症状は悪化していました。

 診断が出たときに医者から「極長鎖脂肪酸という物質を健常な人は代謝できるが、それができずに脊髄の膜を剥がす病気で、進行性の病気だから全身に進行するかもしれないし、脚だけで症状が留まるかもしれないし、今後については予測できるものではない」と説明を受けました。

 症状が出始めてから約2年間は自動車整備士として、壁伝いに移動したり杖を使用したりしながら何とか現場で働いていたのですが、脚の状態が悪化してからは、移動のない事務業務に勤務を変更してもらいました。しかし、痛みで座り続けることもできなくなり、やむなく退社しました。

 そのころから車椅子生活がスタートしたのですが、今後の仕事や生活、将来の展望とすべての面が「どうしよう、どうしよう」と不安になるばかりで、何も手につかない時期がありました。そのころは、人生にまったく希望を持てずにいました。

 現在、脚の症状は少しずつ進行していますが、今のところ、その他の部分には特に身体的症状の発症はありません。

パラクライミングに出会ったきっかけやパラクライミングと出会って変わったことなどを教えてください

 人生にまったく希望を持てずにいた30歳、現状打開のため身体を動かそうと、障がい者施設から「レーサー」と呼ばれる3輪の競技用車椅子を借りて陸上競技を始めました。スポーツに集中して身体を動かすことで、不安を忘れることができたりリフレッシュができたりと、スポーツの大切さを実感しました。

1020インタビュー平井亮太選手2

 そのころ現在もパラクライミングの日本代表として活躍しているある選手から、パラクライミングに誘われました。ただ、自分は病気の治療のための器械が腹部に入っていたため、クライミング用のハーネスの着用ができないだろうと思っていました。しかし、多方面に相談したところ着用できるハーネスがあることが分かり、挑戦してみました。「これだ。これが好きだ。」と直感的に思いました。もともと筋トレが好きだったのでその延長線にある種目だと感じたのだと思います。

 2020年の年末にパラクライミングに出会い、年明け(2021年)1月に健常者、障がい者ともに参加できる小さなクライミングのコンペがあり、いい成績を収めることができて(障がい者が有利なルール設定でしたが…)とてもいい気分にさせてもらいました。

 そして、同年3月に2020年パラクライミングジャパンシリーズ第2戦(広島)に出場してみないかと打診されましたが、まだ始めたばかりだし当然躊躇しました。しかし、結果を出すことより、今はやってみることが大切と思い、思い切って出場を決意しました。結果は2位と想像以上の成績を収めることができました。そんなことからパラクライミングにのめり込んでいきました。今思えば大会出場を決断したことは、本当に良かったと思っています。

 パラクライミングに出会ったことで、希望を見いだせたこと、前向きになれたこと、目標を持つことができたこと、もう一つ上へ、あと一歩とあきらめない気持ちを持てたことなど、不安ばかりで何も手につかず、人生にまったく希望を持てずにいた自分が大きく変わりました。

パラクライミングの魅力と今後の目標

平井選手にとって、パラクライミングの魅力とは何ですか

1121世界選手権平井亮太選手

 一番の魅力は、何度も何度も同じ壁にチャレンジし、失敗しながらも一番高い場所に到達できたときの達成感です。他にも身体一つで勝負できること、成長が目に見えること、挑戦するワクワク感、大会の壁やルートは一度しか経験できない一生に一度の挑戦であること、障がいの有無や大人、子どもなどの壁が無く楽しめることなど魅力はたくさんあります。

 自分の限界を超えて可能性を開いていける種目です。

パラクライマーとしての目標を教えてください

 まずは日本一。と言っても順位を求めることより、自分との戦いの部分がすごく大きいので、昨日の自分を超えることの繰り返しで結果として一番になれることが理想です。そして、日本代表として世界でもメダルを獲得したいです。今回もメダルを取る気で行きましたが、打ちのめされたのでこのままでは絶対に終われないです。

ご自身の今後の活動について教えてください

1122インタビュー平井亮太選手3

 自分の姿を見てくれた人の気持ちを動かすことのできるアスリートになりたいです。誰もが何かしらのつまずきや問題を抱えることがあると思います。そんな人たちの気持ちを動かし、前に進むために背中をそっと後押しできる人になりたいです。

 自分もどん底を経験しているので、今そんな状況にいる人たちが一歩でも前へ進めるような後押しができるようになりたいです。でも、人の心を動かすことは難しいですよね。

最後に何か伝えたいメッセージなどがあればお願いします

 人と比べず、好きなことに打ち込む。一番のライバルは自分、そしてその自分を超えていくという意識で好きなことに熱中して打ち込んでほしいです。

~取材を終えて~

 今回、インタビューをさせていただいたお二方とも、気さくにそして真摯に応じてくださいました。

 小林幸一郎氏は、国内のパラクライミング界を牽引してきたレジェンドであり、偉大なアスリート。かなりの緊張感をもってインタビューに臨みましたが、見事に裏切られました。柔和な笑顔、穏やかな表情、優しい語り口調と一瞬にして小林ワールドに引き込まれ、取材を忘れて楽しく、また興味深くお話を伺いました。過去のすべての経験(もちろんネガティブな経験も含めて)の一つ一つを繋ぎながら、ポジティブな線として人生を描いていくパワーが印象的でした。

 平井亮太選手は、爽やかで穏やかな中に、芯の強さや努力家といったアスリートとしての一面も感じられるナイスガイでした。病気と向き合いながら競技を始めて3年弱で、日本代表を手にして世界選手権出場。世界選手権では、世界の壁に打ちのめされ、そこから更なるパワーを秘め、前を向く姿に感動すら覚えました。

 2028年の米ロサンゼルス・パラリンピックでは、パラクライミングが追加種目として検討されていますが、2023年末に結果がでるようです。ぜひ、追加種目としてパラクライミングが選ばれことを心から願います。

(スポーツセンター所員)

障がい者スポーツ団体等活動紹介

一般社団法人 日本パラクライミング協会

1224視覚障害

 パラクライミングは障害者によるスポーツクライミングです。競技では高さ15メートルほどの壁をロープで安全が確保された競技者が壁に設定されたコースを登り、その到達高度を競う競技です。パラクライミングは2028年ロサンゼルス大会の実施競技に追加検討されています。

 競技における障害種別は、視覚障害クラス(B1・B2・B3)と身体機能障害クラス(AU2・AU3・AL1・AL2・RP1・RP2・RP3)に大別され、身体機能障害クラスについては障害によってさらに上肢機能障害(AU2・AU3)・下肢機能障害(AL1・AL2)・関節可動域および筋力とその他の機能障害(RP1・RP2・RP3クラス)に分けられます。数字の小さいクラス(B1・AU2・AL1・RP1)が障害の程度が重いクラスになります。

1225下肢機能障害

 国際大会は2年に1度開催される「パラクライミング世界選手権大会」と、毎年開催されるシリーズ戦「パラクライミングワールドカップ」があり、国際スポーツクライミング連盟(InternationalFederationofSportsClimbing)主催にて開催されています。今年の8月にスイスのベルンで開催されたパラクライミング世界選手権大会において、日本は3個の金メダルを含む8個のメダルを獲得しました。

 当会は2018年の任意団体を経て2020年3月に一般社団法人日本パラクライミング協会(JapanParaClimbingAssociation)として設立されました。日本代表選手を選考する国内大会の開催や国際大会への選手・協会スタッフの派遣、同程度の障がいのある選手同士で種目などを分けるクラス分け(クラシフィケーション)等を行っています。

 少しでも多くの方々にパラクライミングの魅力を伝えられるよう、そして世界へ羽ばたく選手をこれからもサポートして参りたいと思います。

1227ジャパンシリーズ集合1226世界選手権集合

連絡先:一般社団法人日本パラクライミング協会
HP:https://www.jpca-climbing.org/
Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100064836034861
Instagram:https://www.instagram.com/japan_paraclimbing_association/
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCL0ruBP9rXOajZ8THJyC70w
問合せ先:info@jpca-climbing.org

総合型地域スポーツクラブ活動紹介

NPO法人 みなとみらいクラブ

 特定非営利活動法人みなとみらいクラブ(以下、MMクラブ)は2018年8月に、横浜市西区を拠点とする総合型地域スポーツクラブとして設立されました。横浜市立みなとみらい本町小学校という新設校ができたおかげで活動拠点を確保することができ、この学校の施設を利用したい団体などがあつまり、MMクラブが立ち上がりました。母体とする団体もなく、ゼロから出発しています。

1328みなとみらいバスケットボール

 現在、MMクラブはみなとみらい本町小学校の学校開放管理団体の事務局も兼務しつつ、クラブの活動を実施していることで、より多くの人が学校施設を有効利用できるようにしています。会員数は変動がありますが、だいたい大人、子どもの割合は半々で、400名を超えています。

 平日夜は原則大人の活動時間としていて、1団体が体育館を占有使用するのではなく、同じ種目の複数団体が個人会員とともに、一緒に活動しています。みなとみらい地区などにある企業のバドミントン部、バレーボール部、バスケット部など10団体が団体会員となっていただいています。

1329みなとみらいサッカー

 週末は原則的に子どもの健全育成を目的とした、子ども向けスポーツ活動を行っています。現在は、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ラグビーを展開しています。指導をしているのは、それぞれの種目での専門家集団にお願いしています。ラグビーは女子実業団チームの横浜TKM、サッカーは小学生の神奈川県を制覇している大豆戸FC、野球は中学野球塾のフィールドスター、バスケットボールはBリーグの横浜エクセレンス、バレーボールは元Vリーガー・元全日本のコーチ陣が指導しています。

 MMクラブでは、小学生(ジュニア)のマルチスポーツ(総合的に運動能力を高めるため複数種目に携わること)を推奨しています。その一環として、1年を3か月ごとの4シーズンに分け、どのジュニア種目も1シーズンはオフにして、その間に他のスポーツの活動に参加するように促しています。

 また、種目に関わらず基礎運動能力の養成コースとして、「ジュニアアスリート」と名付けたプログラムを別途提供しています。ジュニアアスリートでは、体操とバルシューレ(ボール教室)を軸にして、遊びながらどのスポーツにも必要となる「身体を操る能力」と「ボールを操る能力」を身に着けていきます。

1330みなとみらいバレーボール1331みなとみらい体操 

 MMクラブは、より多くの人に広く利用される学校開放の在り方や、子どもの成長のためのマルチスポーツやオフシーズン制など、スポーツがより良いものになるための新たな挑戦をしています。

連絡先:特定非営利活動法人みなとみらいクラブ
HP:https://www.minatomirai.org
住所:〒220-0023 横浜市西区平沼2-1-9-202
Tel:045-311-1020 Fax:045-311-1021

 令和5年(第72回)神奈川スポーツ賞贈呈!

 令和5年11月3日(金曜日、文化の日)に、神奈川県民ホールで「第72回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式」が執り行なわれました。

1432知事社長

 今年度は、文化賞4名、文化賞未来賞2名、スポーツ賞2名・2団体の方が受賞され、知事と共同主催者である神奈川新聞社の須藤代表取締役社長とともに、受賞者お一人おひとりに賞状と記念品が贈呈されました。
 この賞は、神奈川のスポーツの向上発展に尽力し、その功績が顕著な個人または団体に対し、毎年贈呈されるものです。スポーツ賞受賞者は次の2名、2団体です。(株式会社神奈川新聞社と共同で実施)

スポーツ賞受賞者2名・2団体(敬称略、種目別)

種目 個人または団体名 年齢 功績

レスリング

1433新倉すみれ(JPG:2,164KB)

新倉 すみれ
(にいくら すみれ)
神奈川大学
20 令和4年度全日本レスリング選手権大会1433新倉すみれ
・女子フリースタイル72kg級2連覇

水泳

1434中澤海凪(JPG:2,242KB)

中澤 海凪
(なかざわ みな)
日本大学藤沢高等学校

17 令和5年度全国高等学校総合体育大会
・女子200m平泳ぎ2連覇

水泳

1435日藤水泳部(JPG:2,670KB)

日本大学藤沢高等学校
水泳部

-

令和5年度全国高等学校総合体育大会
水泳
・女子4×100mフリーリレー2連覇
・女子4×100mメドレーリレー2連覇
・女子総合2連覇

野球

1436慶應野球部(JPG:2,189KB)

慶應義塾高等学校
野球部

- 第105回全国高等学校野球選手権
・記念大会優勝

※受賞者の年齢は令和5年11月3日現在です。

 

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