初期公開日:2023年8月25日更新日:2023年10月17日

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五所八幡宮(中井町遠藤)

キーワード:地域全体の慰霊、土砂災害、河道閉塞

五所八幡宮(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 大磯丘陵の一部にかかる中井町は、震災当時の足柄上郡旧中井村が町制施行して町となりました。旧中井村では、建物全潰率が2割を超え、建物倒壊による死者が24名発生したことが分かっています78
 中井町遠藤にある五所八幡宮は、震災当時「郷社八幡神社」という名称でしたが、1999(平成11)年に「五所八幡宮」と改称されました。JR東海道線「二宮駅」から神奈川中央交通バスに乗車し「五所ノ宮停留所」で降りると東に赤い鳥居(一の鳥居、2007(平成19)年再建)と石造りの鳥居(二の鳥居、1991(平成3)年再建)が並んで建っている様子が見えます(図3.23-1)。鳥居の左側に中井町消防団の建物があり、その前に復興記念碑が建っています(図3.23-2)。

五所八幡宮(図1・2)

 「復興」と書かれた石碑(図3.23-3)には、旧中井村の被害として、家壊(全壊)213棟、半壊296棟、死者25名と書かれており、旧中井村全体の被害の記録を残す石碑であることが分かります。また、「中村川障塞水逆行」との記載があり、土砂災害による河道閉塞が発生した様子もうかがえます。

五所八幡宮(図3)

 一方、石碑には、「拝殿倒鐘樓《楼》耳如本殿則無害」と書かれ、拝殿や鐘楼が倒れたものの本殿のみは被害が無かったようです。中井町に残る「中井村震災紀念誌」79には、鳥居が大破し、拝殿、幣殿などに大きな被害を出したことが書かれており、本殿の被害については書かれていませんが、武村ら80は、中村尋常高等小学校の御真影が郷社八幡宮に奉安してあり無事であったという記載から本殿の無事を推察しています。本殿が無被害であったことは、石碑にも「安堵」や「神徳」の文言があるように、御神徳だと村人が感喜した様子が伝わります。

 

78 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定」, 日本地震工学会論文集, 4(4), 2004年

79 松本愛敬, 「中井村震災紀念誌」, 中井村役場, 1925年

80 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。