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初期公開日:2023年8月25日更新日:2023年9月11日

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震生湖と湖畔(秦野市平沢・今泉、中井町境別所)、河原町児童公園(秦野市河原町)

キーワード:地域全体の慰霊、土砂災害、河道閉塞

 

震生湖(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 現在の秦野市の一部を構成する中郡旧南秦野村と足柄上郡旧中井村に位置する震生湖の湖畔と湖の入口には、地球物理学者である寺田寅彦が調査時に詠んだ震災の恐ろしさを伝える句碑と、土砂崩れに巻き込まれて犠牲となった2名の少女の供養塔(峰坂の大震災埋没者供養塔)が残されています。また、中郡旧秦野町に位置する河原町児童公園には震災で亡くなった秦野1町5村の方を慰霊する碑が建立されています。
 旧秦野町と旧南秦野村の震災による住宅被害は、全潰率が旧秦野町で約30%、旧南秦野村で約25%、死者数は旧秦野町で21名、旧南秦野村で27名と甚大な被害が発生しました66
 震生湖は、小田急小田原線「秦野駅」の南西、秦野市今泉と中井町との境界に接する周囲約1kmの小さな湖です(図3.18-1)。付近には「震生湖」(神奈川中央交通)というバス停があり、そのバス停よりやや北の「南町」(神奈川中央交通)から歩いていくこともできます。この湖は、関東地震により渋沢丘陵の南市木の山林や畑の一部が、幅約250mにわたって馬蹄形に崩壊し、その土砂が市木沢の谷を埋め、小川を堰き止めたことにより生まれました(図3.18-2)。

震生湖(図1・2)

 東京帝国大学(現在の東京大学)地震研究所の所員であった寺田寅彦は、震災から7年後の1930(昭和5)年に二度にわたり震生湖で調査を行いました。夏目漱石門下の俳人でもあった寺田は、その時のありさまを「山さけて」、「穂芒や」、「そば陸稲」の3つの句として詠みました。その後、1955(昭和30)年9月1日に、当時の秦野高校教諭、宮本信義氏と杉山茂夫氏が学習院大学教授、寺田と同門下の小宮豊隆氏を訪問し、寺田が調査の際に詠んだ句のうち地震の恐ろしさがよく表れている「山さけて 成しける池や 水すまし」を揮毫してもらい、秦野市の資金で今の位置に建立しました(図3.18-3)。また、「穂芒や」、「そば陸稲」の2句については、近年、本町小学校と震生湖停留所脇(後述の峰坂の大震災埋没者供養塔近く)の2箇所に句碑が建立されました67

震生湖(図3)

 峰坂の大震災埋没者供養塔は、前述の近年建立された寺田寅彦の「そば陸稲」の句碑の近く、震生湖停留所脇の林の中にたたずんでいます。(図3.18-4)。
 供養塔正面には「大震災埋没者供養塔」と書かれ、「童女」の文字が2つ見え、土砂崩れに巻き込まれて亡くなった2名の少女のための供養塔であることを示しています。
 少女達は南秦野尋常高等小学校(現・秦野市立南小学校)の児童で、地震当日、始業式後の帰り道に峰坂(現在の駐車場方面へ登る坂)を歩いている際に土砂崩れの被害にあったとみられています。学校の先生や消防団、地元住民などが懸命の捜索にあたりましたが、遺留品などは発見できませんでした。その後、旧南秦野村では有志を募り2名の少女の慰霊のために、供養塔を建立しました。

震生湖(図4)

 小田急小田原線「秦野駅」の東約700m、玉寶山命徳寺(天台宗)に隣接する河原町児童公園(図3.18-5)は、以前は鬼子母神を祀るお堂が建てられていて、地元の方からは「鬼子母神さん」と呼ばれていたそうです。その後、お堂は本堂に通じる参道に移築され、公園の一隅には大きな慰霊碑(命徳寺の震災殃死《おうし》者供養塔、図3.18-6)が建立されています。公園は、玉寶山命徳寺の北側に隣接しており、道路沿いの階段を登った草地の左奥隅に慰霊碑があります。
 慰霊碑正面には「震災殃死《おうし》者供養塔」と書かれており、背面には、秦野1町5村、合計224名の震災で亡くなられた方々の氏名が町村ごとに書かれています。また、「供養塔建立世話人」として、町村ごとにこの慰霊碑の建立に関わった方の氏名が書かれています。この慰霊碑は1930(昭和5)年に建立されたもので、震生湖近くの市木沢で犠牲になったとされる少女2名の名も旧南秦野村の犠牲者の中に書かれています68

震生湖(図5・6)

 

66 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」, 日本地震工学会論文集, 2(3), 2002年

67 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年

68 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その1 県中部編)」, 2014年

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