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初期公開日:2023年8月25日更新日:2023年9月6日
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キーワード:地域全体の慰霊、土砂災害
※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載
横須賀市の被害は、資料によって若干の違いはありますが、死者540名、不明125名、計665名(新編 日本被害地震総覧42)や死者683名、不明24名、計707名(横須賀市震災誌43)など、各資料からも甚大な被害が出たことが分かります。
京急本線「汐入駅」を北東に約100m行くと、崖下に港町公園があります。当時この場所では、現在のJR横須賀線「横須賀駅」にかけて崖が崩れ、停車場と町とを行き交う多くの人々が犠牲になりました44。
「横須賀市震災誌」45には「湊町見晴山の停車場の通路に沿へる高さ十丈《約30m》、厚さ十數《数》間《約20-30m》、長さ四丁《約400m》に亘る大崩壊は、道路及道路を隔てゝ海軍軍需部構内の一部と通行人五十名を埋没し」と書かれています。
港町公園にはこの崖崩れと関連すると見られる石造物が多数あり(図3.9-1)、その中には「大震遭難追善地蔵尊の碑」(図3.9-2)や、追善地蔵尊を奉る祠(図3.9-3)、海軍軍需部の女工が奉納した手水鉢、遭難者名碑(図3.9-4)などが含まれます。
さらに壇上にはもう一つ大きな供養塔があります(図3.9-5)。「大震災遭難者供養塔」の碑文には、1929(昭和4)年9月1日の七回忌法要に合わせて市により建立されたもので、横須賀市全体の犠牲者の慰霊のためのものであることが書かれています。
42 宇佐美龍夫, 「新編日本被害地震総覧」, 東京大学出版会, 1996年
43 横須賀市震災誌刊行会, 「横須賀市震災誌」, 1932年
44 蟹江康光, 「91年前の大正関東地震で生じた横須賀港町と西浦賀の大規模がけ崩れ、三浦半島の文化」, 2014年
45 横須賀市震災誌刊行会, 「横須賀市震災誌」, 1932年
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