更新日:2022年9月20日

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三浦一族関連略年表および略系図

三浦一族の歴史を略年表と略系図で、紹介します。

三浦一族関連略年表

三浦一族関連略年表
永保3年(1083) 後三年の役。衣笠城主・三浦為継が、後三年の役で源義家に従って以来、その恩禄を賜り、源氏累代の家臣となる。
平治元年(1159) 三浦義澄、平治の乱に源頼朝に従い参戦
治承4年(1180) 【頼朝挙兵の年】
    6月27日 義澄、伊豆に立ち寄り頼朝と挙兵の相談
    8月17日 頼朝、伊豆で挙兵
    8月23日

頼朝、石橋山合戦に敗れ安房に向け敗走 三浦一族は戦に間に合わず引き返す。

    8月26日 衣笠城合戦。夜半、一族は義明を残して城を退去。衣笠城落城。三浦義明討死(89歳)
    8月29日

義澄、安房にて頼朝と合流

    10月6日 頼朝、安房から行軍し鎌倉入り。宿館を定める。
    10月21日 義澄、頼朝に「上洛より、まずは東国の平定を」と献言
    11月17日 和田義盛、侍所別当に任ぜられる
寿永元年(1182) 佐原義連、北条政子の安産祈願のため三浦十二天(芦名十二所神社)に赴く
元暦元年(1184) 義盛・義連、一谷合戦に加わる(鵯越え)
文治元年(1185) 壇ノ浦の合戦で平家滅亡
文治5年(1189) 義盛、奥州征伐の前に運慶に仏像の造立を依頼
建久3年(1192) 頼朝、征夷大将軍に就任。義澄が除書(任命書)を受け取る大役を務める
建久5年(1194) 頼朝、義明追善供養のため寺院建立を発願
正治元年(1199) 頼朝死去(53歳)
正治2年(1200) 義澄死去(74歳)
建保元年(1213) 和田合戦。北条義時に討たれ和田一族滅亡
承久3年(1221) 承久の乱。鎌倉幕府軍が勝利し、後鳥羽上皇は隠岐に配流
延応元年(1239) 義村死去(推定70歳)
宝治元年(1247) 宝治合戦。北条時頼の外戚安達氏により三浦一族宗家滅亡。庶流の佐原盛時が三浦介を継承
永正13年(1516) 新井城主の三浦義同、北条早雲に攻められ自害

三浦半島の三浦一族は滅亡しますが、義同の二子時綱が安房正木郷に逃れ正木氏を名乗り、その曾孫にあたるのがお万です。お万は徳川家康の側室となり、紀伊藩と水戸藩の祖を生み、徳川将軍は8代吉宗以降、幕末に至るまでお万の流れを汲む者が就任したことになります。
また、かつて三浦氏所領であった全国各地に一族の流れが続いています。

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