現在27歳 横浜市出身 東京在住。
19歳、大学生の時に、特定疾患である多発性硬化症を発症。
多発性硬化症の患者会『M-N Smile』の管理人でもある。
初めて体調に異変を感じたのは、大学3年になる目前の春休みでした。
私は経済学部の学生でしたが、3年生になると就職活動が本格化するので、その前に、と思い立って旅行に行きました。その旅行から帰ってきたら、突然左足がつまずくようになりました。
病院を受診しましたが、そのときは「腓骨神経麻痺」という診断で、時間が経てば普通に歩けるようになる、と言われました。
しかし、5月になるとさらに症状が悪化し、左足が持ち上がらなくなりました。
そこで精密検査を受けることになったのですが、MRI検査で脳に炎症があることが分かりました。さらに髄液検査等も受け、多発性硬化症の確定診断を受けました。
多発性硬化症は、特定疾患、いわゆる難病の一種で、小児慢性特定疾病にも指定されています。
自己免疫疾患で、自己免疫が自分の神経を攻撃します。私の場合は大脳・小脳・脳幹・脊髄に炎症があります。
この病気で出る症状は多岐にわたり、同病の患者でも人それぞれ症状が異なります。
研究は進んではいますが、現在でも治る病気ではありません。発症する原因もわかっていません。日本には約1万9千人程しか患者がいませんが、海外、特に欧米諸国では230万人患者がいると言われています。そのため海外では知られている病気ですが、日本国内での認知度は低く、病名を聞いたこともない人が多いのが現実です。
確定診断が出てから、3か月ほど入院治療を行いました。
入院で大学の出席日数が足りなくなり、単位を落としたりもしましたが、そのときにステロイド治療をしたおかげで、一時は歩行が困難になっていたのが歩けるようになりました。
6月、歩けるようになったので、入院中から就職活動を開始しました。
私が就職活動をした当時(2013年)は、就職協定により、大学3年の夏から秋にかけて数社でインターンをして、大学4年の4月から本格的な採用活動が始まる、という流れでした。
そこで私も、他の学生と同じように、まずは大手の就職活動用サイトからインターンシップに応募しました。
応募の際、病気のことを開示(オープン)にするか秘密(クローズ)にするかは、非常に悩みました。
悩んだ末、就職した後のことも考え、オープンで活動しようと決めました。
病気をオープンにするタイミングは試行錯誤しました。
応募書類に病気のことを明記すると、書類選考で落ち、面接には進めませんでした。
書類には病気のことを明記せずに応募すると、書類選考は通りました。
そして、一次面接で、面接官から「何かありますか?」と聞かれたときに、病気のことを話しました。
すると面接担当者は上司に相談の電話をしていました。結果は不採用でした。
面接の途中までは順調でも、病気のことを話すと不採用になる、ということが続きました。
翌年4月、大学4年生になりました。
企業の採用活動は本格化してきましたが、私の就職活動は思うように進んでいませんでした。
病気によって障害がある場合は、障害者の雇用枠で仕事を探す、という方法もあります。
しかし私の場合は認定されている障害はありませんので、引き続き他の学生と同じように一般枠の求人に応募していました。
5月になってもなかなか就職先が決まらず、このままではマズいと思って悩んでいました。
そんなとき、『難病患者就職サポーター』という方がいることを、自分で調べて見つけました。
難病患者就職サポーターは、厚生労働省が難病のある人の就職支援のために、各都道府県に一人は配置しているものです。
相談は予約制で、ハローワークで対応している、とのことでしたので、さっそく予約を取りました。
そこで出会ったのが、当時 神奈川県難病患者就職サポーターをされていた中金竜次さん(現 就労支援ネットワーク ONE 代表)です。
それからは中金さんのところに定期的に通い、履歴書の添削や評価をしてもらうほか、求人に関する情報も教えてもらいました。
中金さんからのアドバイスを受け、以下のように就職活動を進めるようにしました。
こうして中金さんのサポートを受けながら就職活動をすすめ、8月、とうとう内定をもらうことができました。
前述のとおり、入社前には中金さんを通して「難病を持っている」ということを会社側に伝えていましたので、病気をオープンにして就職したことになります。
内定時には、会社側から「病気があってもやることをやってくれればいいよ。身体を大切に!」と言われていました。
しかし入社してみたら、実は理解をしてくれていたのは、管理グループにいる役職者の方達でした。
実際に配属されたのは現場でしたので、そこでは病気の理解は得られていませんでした。
入社当初、働けていること自体は嬉しかったのですが、自分の病気のことを他人に話すことはありませんでした。
あのころはまだ、自分の病気のことを、なにも知らない人に話すことが怖かったです。何を伝えればいいのかもわかっていませんでした。
今なら話せます。できること。助けてほしいこと。
それでもある日、会社で同じグループの方にのみ、病気のことを打ち明けました。
話すのは怖かったのですが、状況を説明して理解を得ることができました。そのため今では先輩方に助けられながら、仕事をすることができています。
病気のことを打ち明けるのが怖かったのは、職場の方だけでなく、プライベートで繋がる周囲の人でも同じでした。
それでも、親しい友人には、病気のことを打ち明けました。すると
「話してくれてありがとう。これからもよろしく!辛いときは言ってな。」
と言ってもらいました。その言葉は大変嬉しく、友人に恵まれていると感謝しています。
皆さんも話すことができるならば、伝えてみてください。理解してくれる人はきっといます。
まず言いたいことは、周りとのご縁を大切にしてください、ということです。
私も病気になったことで世界が一変しましたが、今となっては「悪くない」と感じています。
病気になってしまったけれど、友人が増えました。そして私自身も成長しました。
健康な時には見えていなかった世界、細やかな気遣い、思いやりのある世界があることを知ることができました。
闘病中の皆さんも、この世界が、他の人とは違う見え方、わからない見え方をすることもあると思います。
でもその経験はとても大切です。その経験を力にできることがあるはずです。
無理はせずに、自分にできること・やりたいことをよく考えてみてください。
そして、どうしたらやりたいことを達成できるのか、そのための道を考えてみましょう。
私でもできたから、皆さんにもきっとできます。諦めないで!
神奈川県 福祉子どもみらい局
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