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更新日:2023年10月26日

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「人生100歳時代の設計図」を考えるフォーラム

「人生100歳時代の設計図」を考えるフォーラム

フォーラムチラシ画像

開催趣旨

県では健康寿命が延びる中、自分自身の人生設計を描き、県民一人ひとりが生涯生きがいをもって社会に参加できるよう、人生100歳時代に向けた取り組みを進めています。
このフォーラムを通して、県民一人ひとりが現役世代からの社会参加の大切さをはじめ、すべての世代で自らのライフデザインを考えることの大切さ等をお伝えしていきます。

開催日時・場所等

平成29年10月23日(月曜日)18時30分から20時15分まで
横浜情報文化センター 6階 情文ホール(横浜市中区日本大通11番地)
定員180名(事前申込み、定員を超えた場合抽選となります)

プログラム

17時30分
開場(受付開始)
18時30分
開会

黒岩知事による挨拶

基調講演(敬称略)

  • 菊間 千乃(弁護士) 
     

パネルディスカッション(敬称略)

パネリスト

  • 黒岩 祐治(神奈川県知事)
  • 阪本 節郎(株式会社博報堂 新しい大人文化研究所 統括プロデューサー)
  • 牧野 篤 (東京大学大学院 教育学研究科 教授)
  • 的場 康子(株式会社 第一生命経済研究所 上席主任研究員)

コーディネーター

  • 田崎 日加理(フリーアナウンサー)
20時15分
閉会

主催

神奈川県

開催結果

知事挨拶

神奈川県知事の黒岩祐治です。本日は、大変お忙しい中をわざわざお越しいただきまして、誠にありがとうございます。きょうは「人生100歳時代の設計図」を考えるということであります。今はもう本当に、人生100歳時代。1963年に、100歳以上の人は全国で153人でした。それが、いまや6万7,000人ぐらいいらっしゃいます。そしてそれが、2050年になると70万人いらっしゃることになります。その時は人口も減っていますから、割り算をすると142人に1人が100歳以上と、そういう時代がやってまいります。100歳まで生きるのが、むしろ当たり前という状況ですね。その時に、われわれはその設計図がちゃんとできているかということですね。

設計図と申しますのは、社会の設計図ができているか、個人の生き方としての設計図ができているか。これまで考えてみますと、大体人生は3ステージという、若い頃は勉強をして、そしてお勤めをして、60歳定年であとは老後と、大体こんな感じだったんではないでしょうかね。しかし100歳までお元気でいらっしゃるとなると、60歳で定年しても、その後40年間もあるわけですね。そこから逆に返っても学生時代に戻っちゃうぐらい、それだけ長い時間があるわけであります。どうしていくのかといった中では、やっぱり個人としても、生き方そのものの設計図を考え直していかなければいけないんではないのかなということであります。それとともに当然、社会としてもどうあるべきなのかなということであります。

きょうは皆さんとともにディスカッションをしてまいりますけれども、その冒頭で、基調講演をお願いしました菊間千乃さんと、私のフジテレビの後輩でありますけれども、フジテレビのアナウンサーとして本当に大活躍をしておりましたが、彼女の生き方というのは実に皆さん、示唆的でありまして。あれだけのアナウンサーで絶頂期を極めた中で、次なるキャリアを求めて自分が頑張って、そしていまや、きょうは弁護士としてお迎えをするということになっております。どういった発想の転換があり、どういうことをしてもう一つの生き方を始めたのかといったこと、これをきょうはご本人の口から語っていただくと、私も大変楽しみにしているところであります。それを受けて、私も含めて皆さんと共に議論をしたいと考えております。それでは、有意義な時を過ごしたいと思います。どうもありがとうございました。 

菊間千乃弁護士による基調講演「自分らしく生きるとは」(抜粋)

弁護士の菊間千乃と申します。どうぞよろしくお願いいたします。先ほど黒岩知事からもお話がありましたが、ただ100歳まで生きればいいというものではないですよね。楽しく充実した人生を生きたいというふうに思ったら、今のうちから100歳になったら何をしようというところまで考えていく必要があるなと、私もずっと思っていました。きのうよりきょう、きょうよりあした、少しでもいいから何か新しい事を学びたい。新しい人に会いたい、成長していきたいというふうに思いながら、今は45歳なんですけれどもここまで来ています。あと100歳までだと55年間あるんですね。またどんな人生を描こうかと思って、わくわくしながら生きています。きょうは、私がどんなことを考えながら、自分の人生の方向を決めていっているかというお話をさせていただこうと思っています。

自分らしく生きていくためにというのは、まず自分がどんな人かということを知らなきゃいけません。その先に、自分らしい人生の目標があると思っています。その後、それをどうやって達成するかということを同時並行で幾つも繰り返しながら日々生活しています。

まず最初に、「自分を知る」ということなんですけれども、自分がどういう人間かというのは分かりますか。男性は特に一回社会に出てしまうと休む間もなく、義務だからずっと働いているわけですよね。家族を守るためなど色々なことがあって、あらためて自分がどういう人間かとか、どういうものを人生の目標にしているかを考える間もないほど働き続けて、65歳を迎えるということになってしまうんではないかなと思います。女性の皆さんは、結婚や出産があったりというところで、立ち止まる時間があって、比較的早めに「自分の人生は」と考える機会があるんではないかなという気がしています。

一人一人生まれてきて育ってきた環境が違えば、将来描く夢だって変わって当然です。自分がどんな未来を、どんな老後を過ごすことが幸せなのかなと考えるときに、その答えは皆さん自身の中にしかないと思います。過去を振り返り、自分のルーツを見て、そこから掘り下げていき、自分の本質が分かったところで将来、生き方というものが見えてくるんではないかと思うんですね。過去を知るということでいうと小さい時から今に至るまで、例えば本でも、映画でも、旅行に行った場所でもとにかく思い付くものをいろいろ書いてみるという方法があります。そうすると、自分がどういうことに心を動かされて、どういうものを嫌だなと思って生きているかとか、自分がどういう人間なのかというのが見えてくると思います。

私の場合は、小さい時から戦争の本に興味がある子どもでした。小さい時から、なぜ人が人を殺すんだろうと思っていました。フジテレビに入ってからも、戦争の番組を企画して作ったりしていたんですけれども、戦争を経験された方々からは、それがおかしいと立ち止まって考えられる世の中ではなかったという声も聞きました。あらためて本当に戦争というのは起こすべきではないと思うし、人が人を殺す、それにはどんな正当な理由もないということをずっと思い続けています。

中学生になると、『アンネの日記』というユダヤ人差別に関する本に出会いました。ユダヤ人だというだけで、理由もなく殺されていった人がいて、私がその本を読んだ時は、アンネと同じ年齢だったのでものすごく響きました。

その後、今度は病気の差別という話に触れました。病気になった人が何で差別されたり、後ろ指を差されることになるんだろうという疑問を持ちました。病気の差別について、ナゼそのような感情が人間の中に湧き起こってくるんだろうということを考えていました。

このように私が、小さい時から興味を持ってきたものを見ていくと、差別がテーマなんですね。生まれた場所とか生まれた人種とか、宗教とか考え方とかそれだけで人が人を差別したり、人が人をいじめたりということは絶対に許せない、と小さい時からずっと思っていたのだなということが分かります。今は弁護士になり、24時間全てを差別と闘っているような活動はしていません。ただ少しでも、この、差別に対して立ち向かうという活動ができているということが、私は弁護士をやっていて「やっぱり、私はこういうことがやりたくて今ここに至ったんだな」と思うことがあります。ただ弁護士をやっているだけではなくて、弁護士の仕事の合間に、自分の信念に沿ったことができているということが、私は幸せです。

皆さんも自分の過去を振り返って、自分のルーツを見つけるところから自分の本質を見て、将来未来こんなことをやっていきたい、仕事とは別にこういう活動をしたいというものが見つけられたら、素敵なのではと思います。

今度は「目標設定」についてです。私は自分で考えるということが大切だと思っています。みんなに褒められたいから、上司がやれと言ったから、親がこうしろと言ったからということで設定する目標ほどつまらないものはないです。自分の中から湧き起こってくる「これをやりたい」という目標を見つけないと。そこに向かってする努力は本当につらいと思うんですね。

目標を決めたら、とにかく具体的に早く立てるということが大事だなと思っています。私は、全部早いんです。小学校の時に、早稲田大学入学とフジテレビアナウンサーになると決めていました。そして、大学4年でフジテレビに内定をもらった時に、アナウンサーを10年やったら弁護士になるというのも決めていました。これは、全部達成はしているんですけれども、全部1度づつ失敗しています。大学も浪人しましたし、フジテレビも大学3年生でも受けられたのですが、その時は落ちています。司法試験も1度落ちています。でも落ちても諦めませんでした。しかも、早く目標設定すればやり直しができるんです。これで駄目だったら、じゃあ今度はこういうやり方でやってみようということができるんですね。

菊間氏写真

目標設定の方法について、例えば、10年後にこうなりたいなと思っていたら、そのために5年後までにどうしとかなきゃいけない、2年後までにどうしとかなきゃいけない、来年、半年、来月、来週、あした、きょうと先に決めた目標から現在に引き直すんですね。将来こういうふうになりたいなと思っているだけだと、「なりたいな」で終わっちゃいませんか。私は自分の経験上そうなんですね。

例えば、語学の勉強している人だったら「いつか中国語をしゃべれるようになりたいわ」ではなく「3年後の9月10日に、中国の上海のどこどこのレストランのどこの場所に座って、そこでウェイターさんと全部中国語で会話をして、お料理も中国語で注文して、感想も中国語で言う」みたいに、中国語を話している自分を具体的に想像するんです。そうすると、もうゴールが見えていますよね。それに向かって、自分はどうしていけばいいかということを考えていく。

これが自分の人生を自分でデザインするということなんです。それはなにも10年ではなくて、6カ月先の目標でもいいし、1年先の目標でもいいと思います。ただ、何かを何年後かまでにしたいと。来年はこうしたいと決めたら、そこから今の間にどれだけの時間があるかということを見て、どういうふうに順序立てていけば目標達成できるかということを考える、というやり方です。

私の場合は、2013年にアメリカに短期留学をした時に、ワイン法という法律を知りました。ヨーロッパやアメリカで「専門は何ですか」と聞くとワインローを専門にしているという弁護士に出会いました。当時、日本にはその法律はありませんでした。「だったら千乃もワイン法をやればいいじゃない」と当時、海外の弁護士に言われ、私は、日本産ワインの発展に貢献したいという想いを2013年に抱きました。それからその想いの達成の為、今年ワインエキスパートという資格を取りました。

何を考えているかというと、10年後には日本のワイン産業に関わっている予定です。弁護士として、これから日本ワインが世界に出ていくに当たって、絶対法律家が必要になってくる。その時に、法律をただ知っているだけではなくて、こんなにワインが好きなんだということを、日本のワイン農家さんに知ってもらい、ワイン関係の仕事を増やしていこうかとと思っています。

もちろん普段は企業法務の仕事もしています。でもワインが大好きで、とにかく日本の産業をもっと発展させたいという想いがあるので、弁護士としてどのように貢献できるかということを2013年から何となく考えていて、今は第一歩を踏み出したところです。10年後に、自分がどう関わっているのかということを楽しみに考えています。このように、何か興味を持った方向に対して、ちょっと自分でアクションを起こしてみるということが、夢へつながっていく一歩ではないかなというふうに思っています。その後、目標を設定したら、あとは自分らしく行くしかないと想います。

自分の人生の主人公は自分ですよね。周りに何と言われようと、生まれた時から死ぬ瞬間まで、自分にずっと寄り添ってくれるのって自分しかいないんです。だから、自分の人生をハッピーにするのも、アンハッピーにするのも自分自身だと思います。きれいなものを見て、おいしいものを食べているのに、文句ばかり言う人っていません?「今年は紅葉がきれいだね」とみんなが感動しているのに「いや、去年見たほうが良かった」とか、「このお料理おいしいね」と言っているのに「いや、ここはちょっとおいしくない」とか。マイナスポイントばかり探していたらハッピーにはなれません。自分で積極的にいいものを、いいことを見つけてプラスに考えていかなきゃいけないと思います。また誰かに幸せにしてほしいとか、何かが自分にしてくれることを待つという受け身ではなくて、自分から積極的に楽しもう、自分の人生を豊かなものにしようと思うことが大事なのではないかと思っています。

そうは言っても気分が優れないときもあります、私がいつも意識している簡単なことは口角を上げるということです。しかめっ面の人というのは嫌な感じがしませんか。暗そうとか怖そうとか。自分がそうなってはいないかな、と気にして下さい。自分が調子が悪いなというときは絶対口角が下がっていますから。私は、電車に乗るときでも意識的に口角を上げるようにしています。「笑う門には福来る」という素晴らしい諺(ことわざ)が日本にはあります。口角を上げて目をきっちり開いて、能動的に社会に出ていっていれば、いい風がどんどん舞い込んでくると思うんですね。

たった一回の人生ですから、周りのこととかもちろん気にしなきゃいけないこともたくさんあるとは思いますけれども、少しでも、自分は本当は何を思っているのかとか、何をしたいのかという心の声に耳を傾けて下さい。ぜひ、 ご自分らしい人生設計を、お一人お一人作っていただけたらと思います。ご清聴ありがとうございました。

パネルディスカッション

司会者:これよりパネルディスカッションに入らせていただきます。本日は「人生100歳時代の設計図」をテーマに、自らのライフデザインを考えることの大切さなどについて、皆さまと一緒に考えていきたいと思っております。初めに、ご登壇いただいておりますパネリストの皆さまをご紹介させていただきます。

まずは黒岩祐治、神奈川県知事でございます。黒岩知事は2011年に神奈川県知事に就任し、2016年から健康長寿社会を見据え、人生100歳時代の設計図の取組みを進めております。知事、よろしくお願いいたします。そしてお隣は、株式会社第一生命経済研究所、上席主任研究員の的場康子様です。的場様はワークライフバランス社会の実現に向け、子育てや介護等の家庭と仕事の両立支援策、特に事業所内保育施設や子育て支援策などの研究をしていらっしゃいます。的場様、どうぞよろしくお願いいたします。そしてお隣です。株式会社博報堂、新しい大人文化研究所の阪本節郎様です。阪本様は、2000年エルダービジネス推進室の創設を推進され、2011年には博報堂、新しい大人文化研究所を設立。所長を経て、現在は統括プロデューサーを務めていらっしゃいます。阪本様、よろしくお願いいたします。そしてそのお隣です。東京大学大学院、教育学研究科教授の牧野篤様です。牧野様は、名古屋大学助教授、教授を経て、2008年に東京大学大学院、教育学研究科教授に就任されました。2013年には東京大学高齢社会総合研究機構、副機構長を併任され、中央教育審議会、生涯学習分科会の委員もお務めでいらっしゃいます。どうぞよろしくお願いいたします。

以上がパネリストの皆さまです。そして、本日のコーディネーターはフリーアナウンサーの田崎日加理様にお願いしております。よろしくお願いいたします。ここからの進行は田崎さん、どうぞよろしくお願いいたします。

田崎氏:はい。ではよろしくお願いいたします。早速ではありますけれども、私のほうから自己紹介をまずさせていただきたいと思います。神奈川県の広報番組で、毎週日曜日の朝9時30分からTVKで放送しております「カナフルTV」の司会をさせていただいております。知事にも月に1回ご出演いただいているのですけれども、そちらでお世話になっております。

先ほどの菊間さんのお話を聴きながら、私も実は9年間テレビ局のアナウンサーをしていたのですけれども、「随分前の段階から、私とは目標設定の早さが違うな」と思いながら聴いていたのですけれども、私自身も実は9年間会社勤めをして、その後退社をして、北京に留学をして、今フリーアナウンサーになりました。でも、そのきっかけというのはもっと漠然としていまして。実はマラソンがきっかけだったのですけれども、全く運動音痴で、初めて30歳になる時にフルマラソンに友達と挑戦して、それが完走できた時に周りの皆さんに褒められたのですね。それがうれしくて、もっといろんなことに挑戦したい、そのきっかけでいろんな人間関係が広がって、結婚もしましたし、北京に留学してフリーで頑張ろうという気持ちになりました。

ささいなきっかけで人生って変わるものだなということを、自分自身もちょっと感じながら生きてきました。これから100歳まで生きるとしましても、私はちょうど団塊ジュニア世代なんですが、あと60年弱あるんですけれども、もっと転機がたくさんありそうだなと思っています。100歳になってもマラソンを続けていて、この仕事を続けていて、楽しく生きていきたい。そんな漠然とした思いですけれども、それに近づいていくためにはどうしたらいいのかということを、きょうはパネラーの皆さんにお聞きしながら、皆さんと一緒に考えていければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

早速ですが、このパネルディスカッションでは3つの論点についてお話を伺っていきたいと思っております。さまざまな立場の皆さんに、専門的なお話を伺いながら考察していきたいと思っていますが、まず1つ目は「100歳まで生きる時代がやってくることの意味」。そして2つ目が「多様な生き方が求められる中、個人はどうしたら良いのか」。そして3つ目が「個人の多様な生き方を支えるための、県をはじめ社会のあり方」、この3つについていろいろな角度から議論をしていただけたらと思っております。まずは的場さんから自己紹介を頂いた上で、100歳まで生きる時代がやってくることの意味について、ご自身の経験、研究などを交えてお話しいただければと思います。あともう1つ私から。もし的場さんが100歳まで生きていらっしゃって、その時どんな100歳になっていたいかというのも1つ、お話しいただければと思います。よろしくお願いいたします。

的場氏:はい。よろしくお願いいたします。ただ今ご紹介いただきました、第一生命経済研究所の的場康子です。よろしくお願いします。いきなり私事で恐縮なのですけれども、実はきのう誕生日を迎えまして。

田崎氏:おめでとうございます。

的場氏:ありがとうございます。ちょうど50歳になったんですね。人生100歳時代の設計図を考えるということで、ちょうど折り返し地点に立ったと、そういう実感をしております。そんなタイミングできょうこのフォーラムに参加させていただいたことに、とてもありがたい、ご縁を感じております。それで早速先ほどのご質問、これからまた50年を生きるとしたら、どうなっていたいかということなのですけれども、やはり何といっても健康でいたいなと思います。その上で、これまでの50年は育児をしながら、今高校3年生の息子と中学3年生の娘がいるのですけれども、ずっと共働きを続けています。ですから、あんまり自分のためにゆっくりとしている暇がなかったので、これから先はちょっと自分のための時間をつくりたいなと思っています。例えば、今まであんまりやっていなかった趣味ですよね、私は音楽が好きですので、徐々に音楽のほうにも心を向けていきたいなと思っています。それから、『人生100年時代のライフデザイン』という本を、最近出版させていただきました。ちょうどきょうのフォーラムと同じようなテーマですので、ご興味がございましたらご一読いただきましたら幸いです。

本題に入りたいと思います。なぜ今、人生100歳時代と言われるのでしょうか。これもお手元の資料(こちらよりダウンロードできます)をご覧いただければと思うのですけれども、2枚目に図表があると思います。2016年の平均寿命と平均余命ですね。2016年の平均寿命は男性が81歳ですね。女性は87歳ということです。平均寿命というのは、今0歳の子が何歳まで生きるかということです。ですから今0歳の男の子は81歳まで、女の子は87歳まで生きると、そういう見込みです。 その下に平均余命がありますが、例えば今30歳の人はあと何年生きるのかということですけれども、男性は平均52年ですね。女性のほうは平均で58年ぐらいですか。で、今40歳の人はあと何年生きるかということで、今40歳の男性はあと42年ぐらいですね。女性は48年ぐらいということです。ちょうど40歳ぐらいの人は、男性はこれまで生きてきた年数と同じぐらい、女性ですとそれ以上これからも生きるということです。私もちょうど50歳で、人生の折り返し地点なのですけれども、40代の人々も次々に折り返し地点に立っていくということになると思います。今でも90歳が当たり前となっていますので、これからさらに医療技術が進歩すれば、人生100年時代が当たり前の社会になっているかもしれません。

人生100年社会とはどんな社会でしょうかということなのですが、次のスライドなのですが、いろいろある中で、2つ、ポイントを申し上げたいと思います。1つは「共働きが当たり前の社会になる」ということですね。そうなりますと、夫婦のあり方も変化していきます。共働き家庭というのは文字どおり、夫婦で家計を支える家庭なんですけれども、支えるのは家計だけではありません。これまで、女性が主に担っていた家事ですとか育児、介護なんかも男性も分担しなければいけない社会になっていきます。また人生100年ですから、子どもたちが独立した後、夫婦が二人きりで過ごす時間というのも長くなります。女性も経済力を付けて、男性も家事能力を高めていけば、夫婦がお互いに頼ることなく自立的にパートナーシップを築きながら、自分らしい人生を歩むことができると思います。

もう1つは「生涯現役社会」ということですね。今は日本的雇用が崩れて、少子高齢化ということで年金制度も当てになりませんので、女性も男性も、生活を維持するために長く働き続ける必要があると思います。一人一人が、先ほどの菊間先生のお話にもありましたけれども、自分はどんな専門性を持ってどういうふうに生きたいのかと、そういうふうに自問自答しながら自分らしく働き続ける道を歩んでいく時代であると思います。以上です。

的場氏写真

田崎氏:ありがとうございました。共働きが当たり前の世代になると。生涯現役でやっていくためには、いろんな方向性を考えていく必要があるというお話でした。続きまして阪本さん、お願いいたします。

阪本氏:はい。博報堂、新しい大人文化研究所の阪本と申します。よろしくどうぞお願いいたします。耳慣れない研究所の名前なんですが、高齢社会を考えております。先ほどもご紹介がありましたけれども2000年にエルダービジネス推進室という、広告会社として初めて高齢社会を考える部屋をつくって、今は研究所になっております。基本的には、50代以上の方々について、いろんな調査やインタビューをしてみると、今までと大きく変わっています。きょうも50代以上の方が随分いらしてます。高齢社会といわれると、大体ネガティブなことが言われるということなのですが、多分、今の50代以上の方々が変わることによって、日本の高齢社会そのものが大きく変わるのではないかということを、実は言っているのですね。この世代で語る人の中では非常に少数派なんですけれども、そういうことをちょっと言っております。

ちなみに、一般の方々に向けて『50歳を超えたらもう年を取らない46の法則』という本を講談社+α新書から出しております。また、去年は『シニアマーケティングはなぜうまくいかないのか -新しい大人消費が日本を動かす』という本を、日経出版から出しておりますので、もしよろしければご参照いただければと思います。そんなことをちょっとやっております。自分が100歳になったらですね。実はこんな、人のことを言っている場合でもなくて、今年めでたく私も高齢者、65歳になりました。

田崎氏:おめでとうございます。

阪本氏:私が若い時に思っていたのは、65歳というのは、当然のことながらじじいだと思っていたわけです。じいさんになると思っていたわけですし、まさかこんな所でこんなお話をするとは夢にも思っていませんでした。こんな場を与えていただいてお話をさせていただいているということで、そういう意味では100歳になったらどうなのかということですけれども、多分同じようにできているといいのではないかなというふうに思います。

なおかつ、60代というのはよく言われるのですけれども「まだまだやれる」とかというように言いますが、私はそんなことを思ったことが一度もないのです。少なくとも自分のことを考えると、自分の40代よりは、今の自分のほうがましだと思います。それは、こういう人との接し方についても、いろんな間違いなんかをたくさんやったおかげで多少はましになっているなというふうに思えるので、100歳になったらぜひまたそう言えるように、「あの時の自分は小さかったな」と思えるようになりたいなと思います。

阪本氏写真

田崎氏:その時にまた、もう一度お会いしたいなと思います(笑)。

阪本氏:ということは随分先ですけれども。35年後ですね。

田崎氏:確認させていただきたいな。では続きまして、牧野さんよろしくお願いいたします。

牧野氏:まず私が100歳の時にどうであったらいいのかということなのですが、きのう、岐阜県の高山市で、小学校5年生の子たちに話をする機会があったのです。800人ぐらいいました。あれこれ難しい話をしたのですが、最後に質問が出たのです。それが、「先生はいつから大学の先生になりたいと思ったのですか」という質問なのです。これには、困りました。私は実は、大学の教員になりたいと思ったことがないのです。で、「ええ?」という声が上がったので「いや、実はね」と、こう答えたのです。やりたいことはあった。今は教育学をやっていますけれども、実は私も田崎さんと同じように中国への留学経験がありまして、もともとは中国の近代教育思想を研究していたのです。その前は、建築をやりたかった。いったい何がやりたいのか、訳が分からないですよね。

つまり、建築をやりたかったのに、思想研究に転換して、気が付いたら教育学部にいるというようなことになっている。なぜかというと、興味関心があれこれあって、その都度変わっていく中でやりたいことをやってきた結果、たまたまここにいるということなのです。でも、そこには、人が生きるってどういうことなのだろうということに強い関心があったという筋は一本通っているのですね。しかし、そういうことはあとからしか分からない。それで、自分のやりたいことがやれていれば多分幸せなんだろうなと思うのです。結果的には、今ここに大学の教員としていますけれども、実は私は、バブルの頃は民間企業にいたのです。「社畜」、会社の家畜と呼ばれていて、ひどい働き方、暮らし方をしていたのですが、それでも研究ができていたので幸せだったように思うのです。多分100歳になるまでも、あれこれ好奇心があって、自分の好きなことができている、周りに迷惑がられながら、だけどやっぱり何となく認められているよねと思いながら。振り返ってみたら「ああ、俺ってこんなふうだったんだな」と思って過ごしているんではないかなと思うんです。それは多分幸せなのではないかなと思います。

その意味では、先ほどの菊間さんの話は、すごいなと思って聞いていました。菊間さんはものすごく強い人ですよね。ご自分が目標を設定すると、それを達成するために一生懸命頑張るという方だと思います。そういう方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、もしかしたら目標設定しないけれども、また、できないけれども、好きなことをやっていたら実は幸せだったみたいな、私みたいな人がたくさんいてもいいのではないかなと思うのです。その意味では、多様な生き方が認められる社会がこれから出来上がっていくことが大事なのではないか。今まで私たちが生きてきた社会は、みんなが同じように学校に行って、競争して、いい大学に入って、いい企業に入って、たくさんお金を儲けることが幸せだ、そういうような議論になっていたと思うのですけれども、これからはむしろそうではない。強いリーダーが社会を引っ張るのではなくて、いろんな人たちが、いろんな所でいろんな活躍ができる社会を目指していくことが、これから必要になるのでないかと思っております。

それで、最初のテーマの、100歳まで生きる時代がやってくるということの意味なのですが、意味はないのではないかと、すみません、ひねくれ者なので、思ったりするのです。例えば私は今、先ほどご紹介がありましたように、東大の高齢社会総合研究機構というところの「名ばかり副機構長」でもあるのですが、高齢社会を総合的に研究する機構でありながら、そこにいる院生や研究者は何をやっているかというと、高齢者の問題を研究しています。私は、これはおかしいのではないかとずっといっているのですけれども・・・。おかしくないでしょうか。

高齢社会を総合的に研究する機構なのに、高齢者の問題の研究をしています。何がおかしいかといいますと、高齢社会は、高齢者の割合が高くなる社会なのですが、予測ではその割合は最大でも約4割なのです。残り6割は高齢者ではないのです。けれども、高齢者が多くなっていく社会ですし、さらに少子化で子どもが減っていく社会で、その結果、人口減少する社会なのですから、そのような社会では、若い人々の生き方も変わらなくてもいいのか。今までみたいに、ガシガシ競争して拡大再生産だといって、めちゃくちゃな働き方をしていればいいのかというと、もう経済構造もそうなっていないはずです。であれば、高齢社会または少子高齢人口減少という社会において、どういう人生を歩むのかといったことを、子どもたちに教えなくていいのか、または考えさせなくていいのかというと、それこそが大事なことだと思うのです。でも、誰もその研究をやろうとはしないですし、私が指摘しても、はぁっ?っていう感じなのです。それこそが今の日本社会の大きな問題ではないかなという気もしています。

先ほどお話がありましたように、少子高齢人口減少というと悲観論がとても多くなってきている。高齢社会はもう駄目じゃないかみたいな議論になるわけですけれども、高齢社会とは悪い社会でしょうか。そういわれたら、ここにいらっしゃる高齢者の方々は嫌ではないでしょうか。私も65歳になったときにそういわれたら、嫌です。では少子化とは悪い社会なのか、人口減少は悪い社会なのか。例えば先ほど少しお話がありましたが、平均寿命でいいますと、現在、女性が87で、男性が80を超えたぐらいですね。これ、1990年と比べても、男女とも5歳から6歳延びているのです。1947年に戻りますと、平均寿命は大体50歳で、約35年も延びているんです。では100年前はどうかというと、平均寿命は40歳くらいなのです。今は倍になっているのですね。一体何がいいたいのかといいますと、平均なのです。0歳から亡くなる人から全部入れて、平均をとると100年前は40歳なのです。当然、明治生まれの人でも80歳まで生きた方もたくさんいらっしゃるのです。明治以前でも長生きの人はいたのですよね。徳川家康も73歳まで生きましたし。けれども0歳で亡くなる人もたくさんいたので、平均を取ると明治のころは40歳くらいだった。

では、何がいいたいのかといいますと、今は87歳で、しかも死亡最頻年齢、一番たくさん亡くなる年齢は、実はもう女性は90を超えているのです。つまり、生まれればみんな大体90歳くらいまで生きられる社会になったということです。その意味ではとてもいい社会なのではないでしょうか。早く死ぬ人が減ってきた社会なのではないでしょうか。では、乳児死亡率がどれくらいかというと、日本はいまでは0.2%ぐらいなのです。生まれてから1歳になれない子どもが、1,000人当たり2人くらいなのです。世界で一番低い数字です。しかも病気で死ぬ子どもはほとんどいなくて、多くは転落事故なのです。では、1955年前後はどうかというと、100人中4人亡くなっています。100人の赤ちゃんのうち4人が1歳になれなかったのです。さらに100年さかのぼっていくとどれくらいかといいますと、実は100人当たり20人なのです。生まれた子どもが100人当たり20人、10人当たり2人が1歳になる前に亡くなる社会でした。そのような社会から、今の1,000人に2人の社会にしてきたのです。

これは悪い社会なのでしょうか。子どもが死ににくい社会だからこそ、子どもはたくさん生まなくても大丈夫だと思える、その結果、少子化になっている。これは世界的な傾向なのです。その結果、少子高齢化で、人口減少が起こるのです。では、なぜこんなに悲観的なのかというと、簡単にいえば、社会構造が変わっていなければならないのに、一昔前の社会構造の意識ままで、少子高齢人口減少の話をしているからではないでしょうか。

若い労働力と消費者がどんどん生まれてきて、人口が拡大する社会を前提につくられた社会構造からいまの社会を見ると悲観的になるということなのではないでしょうか。大量生産、大量消費で、みんなが同じような生活をして、同じように働いて、同じようにお金をもうけて、同じようにものを買って、経済の規模をGDPで測ろうなんていうことをやっていると、当然、いまの社会はそれが叶わない社会なのですから、これはとても悲観的な社会にしか見えません。私たちはもう、私が「社畜」だった時代にバブル経済の絶頂期を迎えて、過去のそういう時代から次の時代に入ったはずだったのです。しかし、価値観を含めて、社会を転換することができず、もう30年間も同じことをやっている。そろそろ次へ行かなければと思います。

では、どういう社会を考えればよいのかといいますと、国とか県とかの大きい社会を考えるのではなくて、自分がどれくらい活躍できる社会をつくっていくのか、自分がどれくらいそこに関わることができるのか、こういう観点から考えると、どれくらい自分が主人公になれる「小さい社会」をいっぱいつくっていくのかといったことが問われるのではないかと思っています。ちょっと抽象的な話が大好きなので、こうなってしまいますけれども。長くなりました。

田崎氏:いえいえ。

牧野氏:また少し議論をしていただければと思います。

牧野氏写真

田崎氏:はい。やっぱり悲観論は多いんですけれども、いかにいい100歳時代を迎えるかということについては、またこの後に議論していきたいと思います。そこでまた詳しくお伺いしていきたいと思っております。では最後に黒岩知事、よろしくお願いいたします。

黒岩知事:菊間さんの話というのはすごいでしょ。彼女のポジティブシンキングは半端じゃないですよね。

田崎氏:すごかったですね。

黒岩知事:彼女、実は、アナウンサー時代に生死をさまようような事故に遭ったんですよね。本当に死んでいてもおかしくないような事故に遭ったんですね。結果的には復帰したんだけれども、復帰した後、その間の記憶が消えているんですね。なんと自分に一体何が起きたのかということを記者魂でずっとルポをしていって、何が起きたのかという、それを明らかにしていくみたいな。それでさらに前に行こうみたいな。まあすごい人なんですよね。きょうも話を聞いていて、いや昔からすごいパワーがあったんだなとあらためて思いました。きょうの話の中にはやっぱり、100歳時代を生き抜いていくためのヒントがいっぱいありました。

何といっても、どんな状態であってもポジティブですね。悲観的なことよりも、それを前へ前へという感じ。あの感じで私がすぐ思い出した人は、日野原重明先生です。この間105歳で亡くなられましたよね。私はもう、日野原先生と長い付き合いなんですね。僕は平成元年から2年間、フジテレビで救急医療のキャンペーンをやっていたんですね。その時の最初に救急車の中の医療の話ということでインタビューに行った。その時がきっかけで、それからもう、だから25年ぐらいずっとお付き合いをさせていただいたんだけれども、付き合っている中で前へ前へと行くんですね。自分が年を取っているという発想がないんですね。次はこんなことをするんだ、あんなことをするんだと目標をどんどん作っていくんですよ。私がプロデューサーで「感動の看護婦最前線」という番組を作りました。日野原先生がコメンテーターで、私と竹下景子さんが司会進行という。そういう中で次々「あれをやりたい、これをやりたい」と言ってくるんですよね。

それで、2000年のことでしたけれども、ミュージカルをやりたいと言い始めて。それで『葉っぱのフレディ』というミュージカルをやるんだと言って、私がプロデューサーを引き受けることになって、それを結果的には15年間ずっとやっていったんですね。その時また、次々欲が出てくるわけ。自分が役者になりたいと言い始めて、では出てくださいと言って、90歳で初舞台に立ったということがありました。そうしたら、もっとさらにやりたいといって、今度は「黒岩さん、ブロードウェーへ行きましょう」と言って。「無理ですよ」と言ったのですが、「行きましょう、行きましょう」と本当にブロードウェーに行ったんですよ。『葉っぱのフレディ』というミュージカルをブロードウェーでもやったんですよ。

その当時、日野原先生で有名だったのは、3年手帳というものを持っていたんですね。普通の手帳というのは1年分でしょ。日野原先生は先に先にスケジュールを入れていくからね、3年手帳だったんですね。そうしたら90を過ぎた頃ですね、日野原先生が「黒岩さん、僕は3年手帳をやめました」と言ったんですよ。僕は、もういよいよ覚悟をされたのかなと思ったら、3年では足りないので10年手帳に変えましたと言うんですよね。10年先まで日程を入れていくといって。そういう何ていうか、前へ前へという中で105歳までずっと元気でいられたというね、つまりああいうふうな100歳時代をつくりたいなということなんですね。

100歳時代のやってくることの意味というのは、100歳時代は下手をすると真っ暗な時代になりますよ。みんなが年老いて、みんなが途方にくれていて、認知症の人が山ほどいて、みんながさまよい歩いていてという。こういう社会を想像したら、嫌だなと思うでしょ。そうではなくて、もっとみんながにこにこして、楽しくてしょうがないというそういう100歳時代、そういうふうにしたいではないですか。だからわれわれが、ずっと神奈川県として言ってきたのは、圧倒的な勢いで超高齢社会が進んでくると。そのときにどういうふうにそれを乗り越えていくのかといったときに、「未病」という言葉をずっと言っていたのは、真っ白な「健康」があって真っ赤な「病気」があるのではなくて、白から赤はグラデーションで連続的に変化しますよという。これが未病です。

つまり病気になってから治すんではなくて、グラデーションのどこにいても、少しでも白いほうに持ってこようとするということを日常的にやっていきましょうよ。病気を治すモデルから、未病を改善して健康な時代を長くしていきましょうよと、これをずっと言ってきた。これを科学的にやっていきましょうよというのが、これが神奈川県が提唱している「未病コンセプト」。で、これは、箱根で「ME-BYOサミット」という国際会議まで2回目をやりましたけれども、これをやってつまり何を目指しているかというと、元気な状態で年老いていきましょうよということを言っているんですね。平均年齢で長くは生きたけれども、ずっと寝たきりだったといったらば、ご本人も大変だし周りの人も大変ですよね。それよりも元気な状態でずっとどれだけ長く生きられるかということを、やっていきましょうよ。だから、この目指すのは、何を目指しているのかといったときに、みんなが死なない社会を目指すことは無理ですよね。だからみんなが本当にぎりぎりまで元気でにこにこして生きる、そんな社会を目指しましょうよ。

だから、われわれはどんな100歳時代をつくるかといったときに、キーワードはスマイル。「スマイルかながわ」を目指しましょうと。みんながにこにこしている。笑顔というのは面白いもんですね。一人が笑顔でいると、周りの人がいつのまにか笑顔になっていますね。笑いとは伝染していきますね。そんな社会を目指していきたいなというふうに実は思っているわけでありまして。この私自身がどんな100歳になっているかといったときに、私の周りに来ると、みんながゲラゲラ笑いよるような、そんなスマイルがあふれる、そんなじいさんになっていたいなと思いますね。

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田崎氏:ありがとうございます。先ほどの菊間さんのお話にもありましたけれども、口角を上げるというのも一ついいというお話もありましたけれども、とにかく皆さんのお話が楽しいので、びっくりするぐらいどんどん時間が過ぎていきますので、次に移っていきたいと思いますが。でもこの100歳時代を考えると、やっぱりちょっとまだ先のような、見えないというか不安なもののように感じていたんですけれども、皆さんのお話を聞いていると、先ほどの未病のお話でもないですけれども、一気に変わるわけでなくて、全部がつながっている。思いにしても人にしても、健康にしても今があって、その間があってつながっているもの。過去もそうですけれども、急激に変わるものではないので、今から何か変えていけばちょっとずつ未来が変わっていくと思います。ということで、多様な生き方が求められる中、続いては、個人は具体的にどうしたらいいかというところを伺っていきたいと思います。まずは的場さん、よろしくお願いいたします。

的場氏:はい。先ほど人生100年時代のキーワードということで、共働き社会と生涯現役社会ということを申し上げました。ですので、こうした社会を生き抜くためにはどうしたらいいかということで、この2つのキーワードについて私どもで行った調査のデータを紹介しながら、お話ししたいと思います。

まず共働き社会のことなんですけれども、これを成り立たせるにはどうしたらいいかということです。もう本当に単純なことだと思います。家事や育児を夫婦が共に協力し合うということですね。そのためには、本当に身近なことなんですけれども、夫婦間のコミュニケーションが大事ということです。お手元の資料の4ページですけれども、これは共働きの夫婦の家事分担状況についてのグラフです。この調査によれば、一番左のほうが「ほぼ全て妻が行い夫はしない」という項目なんですね。これはもう極端に妻側に家事の負担が偏っている回答なんですけれども、これを見ますと、男女共に「あまり会話をしない」ですとか、「あまり相談をしない」という人のほうが多くなっています。あまり会話をしないと答えた男性の場合には29.5%ですね。女性では67.3%になっています。またグラフの左から3番目に「夫婦で半々」という項目がありますが、こちらのほうは「よく会話をする」ですとか「相談し合っている」という人のほうが多くなっているんですね。男性では、よく会話をするというのが22%ですね。女性では13.5%が、夫婦で半々と答えています。こんなふうに、夫婦でよく会話をしたり相談し合ったりしている人では、家事や子育てで「夫婦で分担している」という意識を持っている人が多いということが分かります。ですから、家事分担というのをうまく行っているか行っていないかというのは、ご夫婦のコミュニケーションが一つの鍵を握るということが言えると思います。

もう一つのポイントは生涯現役社会です。生活のために働き続けるといたしましても、長い人生の中でうまくいかないときもあると思います。人生山あり谷ありですよね。うまくいかないとき、そんなときのために、現在働いている人がどんな備えをしているかということを尋ねたものが5枚目のグラフになります。これは「特に準備していることはない」というふうに答えた人が37%いるんですけれども、残りの6割の人は何かしら備えをしているということです。「備えをしている」という人の中で最も多い回答は「貯蓄」ですね。貯蓄をしているということでした。日本人は本当に貯蓄が得意です。貯蓄以外に何をしているでしょうか。実は何かを実践している人はあんまり多くないようです。ただ最近は、パラレルワークとかといって複数の仕事を持つ働き方だったり、プロボノ活動とかいって仕事上のスキルを生かしたボランティア活動ですね、こんなことを推奨している会社も目立ってきています。

例えば、こんな働き方をしている人もいます。IT企業に勤務をしているのですが、自分は地方で住んでいて、都市部の本社と連携しながら、地方でテレワークをして働く。ITの仕事をしながら、他方、自分が本来やりたかった農業も営んでいるという働き方、こんな働き方も可能になっているようです。それから、会社勤めをしながら絵を描いたり音楽をやったり、作家として創作活動をする人もいたりします。仕事の傍らNPOに入ってボランティア活動をするという人もいらっしゃいますね。こんなふうに複数の仕事や活動に関わるということをマルチライフ型人生というふうに呼ぶといたしましたら、そういった人生ですと、さまざまな知識や技術、そして人脈を活用しながら人間としての幅も広がると思います。それは人生100年時代を生きるための究極のリスクヘッジということになると思います。今は、実際、そんなふうに仕事をしている人は本当に少ないんですけれども、これからはきっと社会の後押しがあってですね、そういったことに目を向ける人も増えていくんではないかなと思います。それについては次の論点でお話ししたいと思います。以上です。

田崎氏:はい。夫婦間コミュニケーションが大事ということで、家事分担が大事というお話でした。そういうところからこつこつとということもありますし、先ほどの菊間さんのお話にもありましたけれども、マルチライフ型人生、いろんな方向性を探りながら生きていくということも大事というお話を伺いました。では、続いて阪本さん、よろしくお願いいたします。

阪本氏:はい。先ほど、100歳まで生きる時代がやってくることの意味のお話をし損ねたので、併せてちょっとお話をさせていただきたいと思います。

田崎氏:はい、お願いいたします。

阪本氏:基本的にはですね、知事が冒頭でお話をされたように今、とにかく統計を取り始めた1963年に100歳以上が153人だったのが、先日の厚労省の発表で6万7,000人。去年が6万5,000人でしたから、とにかく毎年2,000人増えていて、5年間で1万人増えるわけです。そういう中で、ある一定年齢以上の方はお分かりだと思うんですけれども、俳優さんで、老人役で笠智衆さんという方がいらっしゃいました。老人役の名優で小津安二郎の映画でも欠かせない方でした。私も若い時に、ああいう枯れ方をしたいなというふうに思ったんですけれども、実はあの笠智衆さんは88歳でお亡くなりになっています。ところが今から3年前に高倉健さんがお亡くなりになって、高倉健さんは83歳でお亡くなりになっているんですね。その時に若い役者さんが言われたのが「いやあ、高倉健さんに老人になって、老人の役をやってほしかったな」という方がいたんです。いたんですけれども、その高倉健さんがお亡くなりになったその時ですら、日本の男性の平均寿命は80.5歳だったのです。だから高倉健さんは日本の男性の平均寿命を3年超えて長生きをされたんですね。要するに老人にならないで、次回作の準備中に亡くなられてですね、惜しい惜しいと言われて亡くなられましたけれども。高倉健さんのままお亡くなりになったということです。

そういうことが今起こっているということです。実は私どもの調査でも、お手元の資料(こちらよりダウンロードできます)の一番最初のデータを見ていただくとお分かりになるんですけれども、自分たちは従来の40、50、60代とは違うと感じている人がいる。特に20から30年前の40、50、60代とは違うと感じている人が、40、50、60代の平均で84.7%、約85%いるんですね。実際、今50代以上というのは大きく変わろうとしている。いうことで、まさに先ほどの悲観的なばかりではないというお話にもなるわけですけれども。サザエさんのお母さんのフネさんは何歳でしょうというと、設定が52歳なんですよ。

田崎氏:若いですね。

阪本氏:ええ。実は、ちょっと今、年上の人を見てみましょうというと、なんと黒木瞳さんが57歳。もう5歳もお姉さんになっちゃったとか、浅田美代子さんは61歳ですから還暦を超えられて、さらに上へいくと、阿木燿子さんが72歳。で、今ちょうどクランクアップしたところなんですけれども、来春映画がまた公開になる吉永小百合さんも72歳ですから、古希を超えられています。ではフネさんと同じぐらいの年になった人は誰がいるんですかというと、薬師丸ひろ子さんが53歳なんです。で、YOUが53歳ですから、フネさんは若者向けの番組に出て、若者とためで話をしなきゃいけないみたいなことになるわけです。キョンキョンも51歳ですから。

男性もそうなんですけれども、旦那の波平さんというのは54歳なんですよ。当時定年は55歳で、定年の1年前で盆栽をいじるというそういう設定でしたので。ところが男性も年上の人を見てみますと、今をときめく秋元康さんが59歳ですから、AKBは48ではなくて「AKB還暦」だったとか、さんまさんも桑田さんももう還暦を超えられて、たけしさんが70歳でタモリさんが72歳ということです。では波平さんと同じ54歳になった人って誰がいるんですかというと、ダウンタウンが54歳なんです。もっとすごいのが出川哲朗さんが53歳で、上島竜兵さんが56歳です。だからもう、リアクション芸というのは若者のもんではない、あれは50代の芸だみたいなことがあるわけです。実は、2014年にオノ・ヨーコさんがフジロックに来ましたけれども、オノ・ヨーコさんは84歳なんです。でも誰も「おばあさんがフジロックに来た」とは言わないし、本人もそんなことを思っていない。「オノ・ヨーコが来た」としか思っていないわけです。コムデギャルソンの川久保玲さんも75歳、お昼の番組をやっている黒柳徹子さんは84歳。シックスのメインディスプレーをやられた草間彌生さんは88歳ですから。男性もそうなんですけれども、茅ケ崎の、よくご存じの加山雄三さんは80歳だし、きのうの夜の選挙のキャスターをやられていた田原総一朗さんは83歳ですから。外国でもそうなんですけれども、ポール・マッカートニーが75歳で、ミック・ジャガーが74歳で、ベビーが誕生したということなんです。というふうに大きくやっぱり変わろうとしているということなんです。

片方で、でもそうはいってもネガティブな側面はありますよねというのは、やっぱり介護はどうなんですかということがあると思うんですよ。ここがすごく大事なポイントなんですけれども、実は75歳以上の後期高齢者で、要支援を含めて、今31.3%が要介護状態なんです。これは多分、神奈川県でも同じような状況だと思うんですけれども。

黒岩知事:はい。

阪本氏:団塊の世代が75歳の後期高齢者になるのが2025年でして、この時に実は医療・介護給付費が激増して、現在の1.5倍、75兆円になると、これが2025年問題と言われているわけです。で、それに対する解決策は消費増税しかなくてですね、それで今回の総選挙の争点も増税で、消費税をどうするんだということだったんですけれども、解決の鍵というのは、実は生活者が握っているんですよ。つまり皆さま方が握っているということなんですけれども、団塊の世代を含む60代に聞いてみると「あなたは介護予防のために何かをしていますか」と言うと、「定期健診」とか「散歩」とかですね、それから「適度な運動」とか「読書、新聞をよく読む」というように、とにかく何かをやっているという人が実は83.5%もいるんです。

8割の人が何かをやっている、つまり「やりたい」とか「やるべき」ではなくて「やっている」という人が、「介護予防をしている」という人が8割もいるんです。従って、実は今の31.3%というのは、介護予防という考え方がなかった時にそのお年になられて、大体転倒で要介護になられる方が多いんですけれども、60代、団塊の世代からは、これだけ介護と言われていたんでもうやっていますから、ひょっとしたら、ゼロになることはないのですけれども31.3%を変えるかもしれない。つまり、日本の社会保障費というのをひょっとしたら低減させるといいますか、解決する可能性が極めて高いということなんですね。この人たちがそうなるようにどんどん押していけば、非常に、そういうふうになる可能性が極めて高いということで、社会保障費解決、日本の社会保障費というのは今、非常に大きな社会課題になっていますけれども、その解決の鍵というのは、まさにその団塊の世代が握っていると。

そういう意味では、神奈川県の団塊の世代の方々がそういうふうにされると、これは、神奈川県で社会保障費が解決されて、本当にまさに日本全体をリードするという、そういう可能性が今あるということなんですね。ですから、やっぱりこういう大量の団塊が弱者、非弱者になって大量の要介護になるとですね、問題になるのは若い世代に全部その負担がいくということなんです。そうではなくて、もう1つのシナリオBというのが団塊の世代が自助、あと自分でサプリを飲むとかスポーツジムへ行くとかね。消費ですから若い人の雇用を生むわけですから。とかということをどんどん進めていくと、活力日本になるということがあって。そういうことをぜひ進めていくと、ちょっと違ったことになる。

では、その中で個人がどうしたらいいかということなんですけれども、基本的にはさっき的場さんからもちょっとお話があったように、60代から先というのは、そうはいったって、がんがん徹夜してがんがん高額なギャラをもらうというふうにはならないわけですよ。では今どういうことが起こっているんですかというと、大きくはですね、新しい社会的な役割が始まっているというふうに思えるんです。ざっくり言うと「世話役」「先生役」「相談役」みたいなことがちょっと始まっています。

まず1つは、女性エルダーの子育て支援というふうなことでですね、大体、日本の今の待機児童の問題もありますけれども、日本の子育てを解決しているのは祖母だったりするわけですね。自分の直接の母親が助けている、それが日本型なんですけれども、それを、それだけではなくて地域でもっとやってもいいんではないかとか。あとは地域のボランティアの世話役とか、アウトドアライフの世話役とかですね。さらにこれは、鎌倉でも横浜でも小田原でも結構今いらっしゃると思うんですけれども、地元の観光案内人ですよね。こういう人が団塊でどんどん出ています。それからあとは先生役ということで、PCインストラクターとか、趣味の先生とか、文化芸術のガイド役とか、地域スポーツのインストラクター、トレーナーとかですね。地域の環境インストラクターとか。あとは3つ目には相談役ということで、NPOの経理相談役。会社の経理をやっていたんだけれども、そういうのを育てようとか、フリーター、ニートのそういう就業相談役をやるとかいうことを今どんどん始まっていると。これがもっと広がっていくといいんではないかと思うし、これがだから、50から60代以降の新たな社会的な役割としてあるんではないか。

そして、これは、やったほうがいいよねというレベルではなくて、実はドラッカーさんが天寿を全うされる前に「日本は再び世界をリードすることができる」とおっしゃったわけです。それはですね、他の国に先駆けて高齢化が進展して、そこでエルダー世代が社会的な仕事に従事をして新たな知識労働を生み出されることになる、つまりドラッカーさんは実は日本に、世界に先駆けて高齢化が進んでいて、しかも定年制があるからいいんだということをおっしゃっていました。定年制があることによって、例えば今まで会社の経理部長をやっていたら病院の経理部長をやるとか、それから、仕事をやっていたんだけれどもボランティアをやるとか、仕事とボランティアを半々やるとか、そういう社会的な仕事をする人がたくさん出てくるような社会になれば、世界中が高齢化をしていきますから、日本は世界をリードできるとおっしゃったわけです。やっぱり、神奈川県にそういう方がたくさん今いらっしゃると思うので、もっとそういう方が出てこられると、まさに神奈川県が日本をリードし世界をリードするという、そういう可能性が大きくあるだろうと思うわけですね。

そのときに、もう1つ考えるポイントがあるかなと思うのは、先ほど夫婦のコミュニケーションというお話があって、実はそれはかなり重要なポイントなんですね。なんで私からも、ちょっともうこれ以上は、時間の関係もあるんであれはしませんけれども。もう1つ夫婦のコミュニケーション、夫婦のすれ違いというのがあって、だからなんですけれども、大体ある程度一定の年齢がたつと、家庭というのは奥さんと子どもでできちゃいますからね、パパは浮いているという。そうなるので、その修復、回復するそのときに、家事というのはすごく大事なポイントです。もう1つのポイントは「仲間」ということがあって、それが進んでいます。

50から60代になると、大体この年代の方はお分かりだと思うんですけれども、同窓会がすごく増えてくるんですね。それで、同窓会が40代までの同窓会と50から60代からの同窓会というのは、実はちょっと違うところがあって。40代までの同窓会というのは、ちょっと名刺交換は気が引けちゃうみたいなことがあったりするわけですよ。

50から60代になると名刺交換そのものがなくなっていく。だってリタイアしちゃったりとかするわけですから、名刺交換そのものがなくなっていくわけですよ。そうすると、すごく気楽になっていく。私も、中学高校大学とどんどん盛んになって、60代になると時間ができるから、旅行まで行っちゃうんです。中学の同窓会がまたこれが盛んで、年に4回も。4回もやんなくてもいいんではないかってね。4回もやっていますが、その中で面白いのは、世田谷区の区立の中学だったんで、いろんな社会階層の人がもともといるんです。要するに、誰でも知っている会社の社長もいれば、中卒で職人になった人間もいるわけです。なんだけれども、今集まって話をするのは「こいつ職人としてすげえんだぜ」という話が出るんですよ。片方で、誰でも知っている会社の社長がカラオケが好きなんで歌うんですよ。「うるせえぞ」なんて。「早くやめろ」みたいなね、会社の中では考えられないことが起こるわけです。

つまりものすごく、やっぱりこの年代になってからの同窓会というか仲間というのはフラットな関係になっていく。要するにラグビーでいうノーサイドですよね、というのがあった。それは私も実体験をして初めて分かるんですけれども、これはすごくいいなと。つまり、50から60代以降になってそういうことが待っているというのはいいな。で、そういうことが待っているとすれば、若い人は若い時にはどんどんチャレンジしていいんではないかなという。大学の同級生なんかは本当に一流企業に入って、途中でドロップアウトしたやつもいますから。で、今会うと「ドロップアウトしちゃったんだ、えへへ」ですからね。俺も大変だったんですよ、みたいなね。そんなこともあるわけです。そういうことが最後に待っていると思えばね、結構チャレンジをどんどんしてもいいんではないか、という気持ちにもなる。そういうことをある種のゴールに置いておくというと気持ちも楽になるのではないかと思うわけです。

さらに、私として、これからの社会インフラとして結構あるなと思っているのは「多世代シェアハウス」です。「かながわ人生100歳時代ネットワーク」の有識者のおひとりとして、澤岡さんが「荻窪家族レジデンス」というのに関わっておられるんですけれども、今は多世代シェアハウスが岐阜県でも京都府でも北海道でもどんどんできていてですね。空き家が増大していますので、リノベーションでこれはどんどんできるんですけれども、端的に言うと、50から60代以上でというのは、やっぱりお金とよく言われるんですけれども、お金があれば幸せかということがあってですね。これはきれい事で言っているわけではなくて、お金がたくさんあると今度は相続が血みどろの争いが起こったりとかってするわけです。

そういうことではなくて、やっぱり平日の昼間から気の置けない仲間とビールで乾杯というね、これができるということがポイントで、多世代シェアハウスではそういうことができるだろうということと思います。それからもう1つは80代、90代になると「早くお迎えが来ないか」というふうに、結構私の周りでもよく言うんですよ。そうではなくて、多世代シェアハウスにいれば「自分は料理が得意だから、若い子たちに料理をあした作ってあげよう」と頑張るとかね、それから「コーヒーを入れるのが得意だから、あいつに、あしたの朝頑張って起きてコーヒーを入れてあげよう」とか思うとか。あとは、そこから学童の見守りをするとか学童保育をするとか、ただ散歩するんではなくて、小学生がちゃんと無事に帰れるかどうか見守りの役をやろうとかという、ある種の自治体がやるような仕事をその人たちがやるようなことになるといいのではないか、と思います。

だから、今まで社会の中で埋められなかったことを、この世代の人たちがどんどんやるようになると、それはちょっと豊かな社会になってくるんではないかと思うわけです。そのときには、多世代シェアハウスは一つ私は鍵になるんではないかなとそんな気がいたします。いずれにしても、平日の昼間から気の置けない仲間とビールで乾杯ということと、何らかの社会貢献をするという、そこが2つポイントになるんではないかなと思います。

田崎氏:明るい未来が想像できるようなお話を頂きました。ではちょっと時間も迫っておりますので、牧野さんお願いいたします。

牧野氏:はい、ありがとうございます。全部話されてしまった感じになっているので、何を言おうかなと思いながら聴いていたのですけれども、まず、夫婦の間で家事を分担しているかというのは、うちはできていません。なぜかというと私があまりうちにいないからなのです。なので、妻の家事を軽減しています(笑)。その意味では、いい夫かもしれませんね。

で、すみません、こんなことをいっていると時間がなくなってしまうので、話を続けますが、悲観論をいい始めればきりがない社会に入っていると思うのです。例えば暗い話をしますと、2060年に総人口は今から4,000万ぐらい減って、8,700万人になります。そのとき、65歳以上の方が占める割合が約4割になります。さらに、これは東大が出した推計なのですが、高齢の方々が約3,450万人いて、そのうち要介護者が850万人くらいになる。つまり、全国民の10人に1人が要介護になるという予測が出されています。これは現在の医療水準で考えるということなのですが、大切なことではあるのですが、こういうことをいい始めるときりがないのです。要介護者がそんなに増えたら、施設介護は無理だ、しかも国も財政赤字で破綻するかもしれない、じゃあ、どうするのか、というと、もうダメじゃないか、と悲観的にならざるを得ない。こういう悪循環になってしまっているのではないでしょうか。

先ほども私が、人生100歳時代はどんな社会なのかというときに、最後に、「小さな社会」と申しましたが、もう一度やはり自分の足元ですとか、自分の仲間ですとか、自分をとりまく関係といったことを考えていく必要があるのではないでしょうか。どういうことかといいますと、今までの社会は、国や行政が全部やってくれる、何とかしてくれると皆が考えてきたわけですね。例えば、私の父は、今年生きていれば88歳なのですが、戦前の生まれで、戦争という厳しい体験はあったのですが、戦後、就職をして、高度経済成長の波に乗って、生活をしてきた。彼が子どもの私に何といっていたかというと、自分と家族の幸せを考えれば、ちゃんと勉強して、いい大学に入って、いい企業に入って、最後まできちんと働けば、何の心配もないのだ、ということでした。当時は、終身雇用だったのですね。高度成長の頃は、成長率が10%弱ありました。これは庶民にとってはどういうことかといいますと、給料の額面が5年で倍になるような社会なのです。一生懸命働きさえすれば、会社も大きくなるし、給料も増えるし、税収も増えて、あとは全部、国や行政がやってくれる、お上がやってくれるから大丈夫なんだといえた時代があった。その意味では、自分と家族と会社とお上が直列していたのです。

そして、この直列の関係、これを「帰属」の関係といったりしますが、この関係の中で、市場をつくって、経済を拡大するために、あらゆるものをサービス化して、市場化して、人々に消費させようとする動きが強まって、結果的に、人々が孤立していくような社会をつくってきた。それが、最後、今ここに至っているのだと思うのです。しかし今や、国や行政がこれまでのように人々の生活を保障できなくなっている。だから消費税を10%にするとかという議論になっているのですね。その意味では、私自身は、もう少し、私たちの社会のあり方を考えなければならない時代に入っているのではないかと受け止めています。今まではお上がやってくれたところを、もう少し自分たちでやる、そしてどうしても行政にやってもらわなければならないことは行政がきちんとやる、そういう社会に入ったのではないかということなのです。

私たちが今一番大きな問題だと思っていますのは、若い人も含めて、人々が孤立しているのではないか、ということです。人々は、自分がちゃんと社会の中に位置付いているという感覚を、あまり十分に持てないでいるのではないのか。それで、強い個人が賞賛されたりするのですが、そのあり方はこれまでとは違うのではないのかと思うのです。先ほど私は、菊間さんはすごいですね、とても敵いませんと申し上げたのですが、彼女のすごさというのは、黒岩知事がおっしゃったのですが、計画を立てて実行していくすごさなのだと思います。でもそれは、視点を変えれば、実は皆さんや私たちが既に持っているものなのです。

何がすごいのかというと、後から自分を発見し直してうれしくなっちゃうすごさなのです。皆さんもそうではないでしょうか? 例えば受験勉強でもそうではなかったでしょうか。仕方がないから嫌々、宿題があるから嫌々、机についてやり始めたら、問題が解けちゃって、「俺ってすごいや」と思ったことはないですか。そういう形で私たちは、「後から新しい自分を発見してうれしくなっていく」という性質を持った存在なのです。それは、誰もが持っている自分への駆動力なのです。それをどうやって発揮していくのかといいますと、実はそれは認められるということがないと発動しないのです。周りがすごいねといってくれて、自分で自分を認めるという関係がなければ、いくら自分一人がすごいねと思ったってダメ、といいますか、自分をすごいと思えないのです。

その意味では、孤立している私たちは、駆動力を発揮できない状態になっているので、何となくこの社会は生きづらいなと思ってしまったりしますし、自分を認められないもどかしさやイライラ感があって、お互いがいがみ合っている感じになってしまっています。しかも、いろんな自治体の住民相談室の話を聞きますと、何が不安なのか分からないけれども、将来に対する漠然とした不安があって、自分を何とか守らなければいけない、人から批判されないように、他人に対して攻撃的でいなければならないと思ってしまっている人が多いといいます。だから、人が何か反対意見をいうと、敵対関係になってしまっていがみ合ってしまうのではないでしょうか。

本来であれば、違う意見が出ればそれは歓迎して、議論をして、お互いの意見をすりあわせて、新しいものを創っていけば、もっと楽しくなるはずなのに、そうなっていないわけです。これは若い人々も、うちの学生もそうなのですが、みんなそうなのではないでしょうか。そこのところをもう一度、何とか組み替えなければいけないのではないかと思います。そのときに大事なのが、関係をきちんとと付け直していくことであったり、あとは自分から一歩踏み出して、他人に声を掛けてみる、または他人の背中の後押しをしてみるといったことなのではないでしょうか。

ちょっと話が長くなって申し訳ないのですが、最近、私たちもいろんな所でまちづくりの実践をしていて、結構うまく動いているのは、例えば多世代交流型のコミュニティをつくる取組みなのです。先ほどの阪本さんの話で多世代シェアハウスとありましたけれども、私たちの経験では、コミュニティを多世代の交流型に変えていくことによって、高齢の方々が、隔世代、子ども世代をとばして、孫世代と交流することで、うまく回っていくコミュニティがたくさんあるのです。これは文化人類学的には、人間は文化をどう伝承したかということと関わるのですが、実は「親から子へ」ではないのです。「親から孫へ」伝承することでこの社会を保ってきたのだといわれるです。その意味では「隔世代」、ですから例えば高齢の方々が、孫世代の面倒を見ることによってこそ、実は社会の持続可能性が保たれていくのです。今それが危なくなっているのは、その継承がうまくいかなくなったということなのではないでしょうか。

例えば「おばあちゃん仮説」というのを、ご存じでしょうか。先ほどのお話のサザエさんのお母さん、フネさんではありませんけれども、女性がまだ体力があって元気なうちに出産できなくなるのはなぜかという議論があって、それは実は孫世代の面倒を見るために体力を取っておいてあるのではないかという議論があるのです。もうちょっといいますと、最近は「おじいちゃん仮説」というのがあるのです。

これ、ゴリラの研究で有名な京大総長の山極寿一さんがおっしゃってもいて、ご自身は山極仮説などと命名されているのですが、何かといいますと、男性は、もう私もそろそろかもしれませんが、中年から高齢者になる頃に体形が変わってくるのです。丸くぽっちゃりになって、かわいくなってくる。頭もちょっと薄くなってきてですね、何となく憎めない感じになってくる。しかも、あんなに怒りっぽかったおやじが丸くなっちゃったということが起こるわけです。なぜかと。これは仮説なのですが、子どもから好かれるためではないかというのです。

その意味では、おじいちゃんやおばあちゃんが孫世代の面倒を見ることで、孫が大人のことを勉強して、文化を伝承していくのだといわれたりするのです。そういう関係をどうつくっていくのかが問われているのではないでしょうか。その中で「自分が役立っている」とか、「孤立していない」とか、「社会にちゃんと位置付いているのだ」という感覚を持つことによってこそ、実は自分たちがこの社会をしっかりとつくっている主人公なのだと、そういう感覚を持てるようになっていくのではないかと思います。そうなれば、何でもかんでも行政にお任せではなくて、自分たちでやることは一緒にやっていきましょうよ、その方が楽しいですよ、という関係ができるのではないでしょうか。

こういう関係がしっかりできてくると、実はものがきちんと売れていくようになるということも分かってきているのです。市場を国という大きな単位で考えると、人々をばらばらにしたほうが、瞬間的にはものは売れるのです。例えば、高齢の方が増えてくるから、とか、両親共稼ぎで、うちで家事をしなくなるし、食事の準備も大変だろうからといって、レトルト食品をたくさん作れば、ワッと売れるのですが、その後、何が起こるかというと「こしょく(孤食)」が社会現象となるのです。「こしょく」は「個別」に食べるではなくて、今は「孤独」に食べるという意味で「孤食」と書くのですが、そうすると何が起こるかというと、だんだん欲求水準が下がっていきますから、ものを買わなくなってしまうのです。もうおなかさえふくれれば何でもいいやと思ってしまう。

では、孫が来るからとか、彼氏や彼女がいるから、家族がいるからというと、どうでしょう。「私と同じようにお茶漬け食っとけ」と子どもにいうかというと、そんなことはしないのではないでしょうか。例えば、あの子はとんかつが好きだからとんかつを買っておいてあげようとか、作ってあげようとかするのではないでしょうか。彼氏彼女だったら、ちょっと見栄を張って「レストランに行っておいしいものを食べよう」といったりするのではないでしょうか。その意味では、欲求というものは、自分の中にあるものではなくて、関係の中につくられてくるものなのですね。そうしたことをきっちり押さえておかないと、市場がどんどん小さくなっていってしまう。どんどん経済も小さくなっていってしまうのです。

やはり多世代が交流しつつ、孫のために何とかしてあげたい、と思う関係をどこかできちんとつくっておかなければならないのではないでしょうか。何とかしてあげたいと思うのは、孫がかわいいからというだけではなくて、実は孫から「ありがとう」といわれる関係ができることの中で、自分は役立っていると思えて、うれしくなるからなのではないでしょうか。私たちは「人が喜ぶことをしてあげて、自分が喜びたい」という欲求を持っているはずなのです。これはいろんな研究で分かっているのです。それが、孤立することで、自分を守らなくてはいけないと思い込んでしまうと、いがみ合う関係になってしまったり、他人のために何もしてやりたくないというふうになってしまったりします。そこのところをもう少し考え直していく、ある意味では、新しい信頼関係をつくっていく必要があるということだろうなと思うのです。

これらの意味では、今の日本が直面している少子高齢社会というのは、とてもチャンスに恵まれた社会なのではないかと思います。高齢の方々が増えていく、子どもが減っていく中で、たくさんの大人が子どもに関わっていくことができるような社会でもあるわけです。子どもに関わることで、高齢の方々もちゃんと社会に位置付けがあるし、子どももちゃんと大人から認められているという環境をつくっていくことで、もう一度新しい地域社会をつくっていく。地域がなければネットワークでもいいかもしれません。いろんな「小さい社会」をたくさんつくっていくことによって、この社会がもう少し違う社会になっていく。

みんなが、先ほど黒岩知事がおっしゃったように、にこにこしながら楽しく過ごせるような社会になっていく、そういうことになるのではないのか。もう一度言いますと、私たちの中にはみんな菊間さんがいますし、先ほど阪本さんがおっしゃったように、元気な高齢の方々、昔の基準からいったらとても高齢ではない方々も、今、高齢期を迎えていらっしゃるのですけれども、それは、自分がどんどん変わっていって楽しくて仕方がないという自分を持っている方が増えているということなのではないでしょうか。そういう駆動力を私たちは一人ひとりが持っているはずなのです。こういう駆動力を発揮できる関係をつくっていき、皆が自分の駆動力を発揮して、次々に新しい関係をつくりだしていくこと、そうしたことが今後の社会のあり方になるのではないかと思っています。

田崎氏:ありがとうございます。本当はこの後、皆さんがおっしゃっていただいたような社会をかなえるために、県をはじめ社会のあり方をどうしたらいいのかというのを議論していただこうと思っていたんですけれども、ちょっと時間がなくなってしまいましたので、どうしてもちょっとこれだけは言っておきたいという行政のあり方があったら挙手をしていただけますか。はい。では阪本さん、お願いいたします。

阪本氏:今、多世代というのは本当に大きなキーワードだと思うんですね。私の、お手元の資料の一番最後にあるんですけれども、実はこちらの調査で「大人世代と若者世代が、お互いの良さを認め合いながら交流、協力して、新しい文化や潮流を作る時代に」ということに共感する40、50、60代が77%もいるわけです。それから「大人世代が若者世代を応援することで、若者世代からも新しく社会的にも意義のある文化や潮流が生まれる時代に」ということに対しても、75%の人が共感するとお答えになっている。つまり大人世代はそう思っている。若者世代に聞いていないんで分からないんですけれども、大人世代はそう思っている。ということはどういうことかと言うと、今は年金について、若い人の負担が重くなることが問題になっているんですけれども、逆の回路ができればいいんではないか。つまり、さっきもおっしゃったエルダー女性の子育て支援とか、エルダー夫婦の幼児学童保育支援とかですね、エルダーのフリーター、ニート就業支援とかエルダーの若者起業支援とかですね、そういうことがどんどんできればいいんではないかな。それを、だから行政がうまく支援をしていく、サポートを押していくようなことができるといいんではないかなと思います。

ただやっぱり大人世代と若者世代の接点という、なかなか場もない、回路もないということで、どうすればいいんですかということなんですけれども、実はこちらの調査で、この40、50、60代に、あなたの世代を表現する、共有していることは何ですかと、まあ円高不況とかオイルショックとかいろいろ並べて聞いたんですけれども、そうすると60世代がフォークソング、ビートルズ、グループサウンズ。50代がサザンにユーミン。40代がB'zなんですね。

とかいうことで、実は音楽というのは結び付ける一つのキーになるんではないか。神奈川県には永ちゃんもいれば、茅ケ崎には加山雄三さんもサザンもおられるわけですから、何かそういうことで大人世代と若者世代が交流する場がどんどんできてくると、本当に、お話があったように多世代な社会が生まれる、熱く、いい形でホットになっていくみたいな、そういうことができるんではないかなと思うので、ぜひそういう神奈川を期待したいと思います。先ほど申し上げたように、それがあれば日本をリードできるし、世界をリードできるという。神奈川が世界をリードするんですよというふうに思います。本当に皆さん方がリードすると思います。

田崎氏:楽しみな神奈川の未来図を描いていただきました。ここで一気に黒岩知事に、今までのお話を聴いていただいて行政としてどうお感じになるのか、黒岩知事のご意見を伺って最後にしたいと思うんですけれども、お任せしてよろしいでしょうか。

黒岩知事:さっき、阪本さんからご紹介があったP.F.ドラッカー「日本は再び世界をリードすることができるんだ」と。実はもう始まっているんですね。さっき言った未病という言葉。「ME-BYO(未病)」という言葉は国際的な用語にしているんですね。ME-BYOサミット、国際会議も開いて、WHOもハーバードもみんな来てやっているんです。だから日本は、超高齢社会の進み方が世界で一番早いんです。日本の中で一番早いのは神奈川県、それのモデルは未病という言葉で乗り越えていこうとしているということに対して、もうすでに、ドラッカーの言ったとおり世界をリードするポジションに入っているんですね。どういうことかと言いますと、繰り返しになりますが、未病というのは白赤ではなくて、白から赤のグラデーションという。これは実に非常に大きな示唆があるんですね。病気になってから治すというモデルというのは、つまり病気になったら「先生お願いします」といって依存するモデルですね。グラデーションというのは、それは、今は自分で分かるような技術がいっぱいあるんですよ。そうすると「あ、ここにあるんだ」となると、自分で白いほうに持ってこようとするということ、だから自分が主体になるということですね。そうじゃないと、この超高齢社会を支えられないということなんですね。

未病を改善するために何が大事かというと、3つの要素が大事。一つは「食」、次に「運動」、次に「社会参加」。食のあり方によって元気になっていくという知恵、これは日本が一番お得意ですよね。テレビを見てもそんな番組がいっぱいあるでしょう。そういう伝統文化もある。日本食というのは、そういう食べることによって健康になってくるという文化があるわけ。そこをしっかり見直していきましょうよということですね。運動、これはすごく大事。運動習慣というこれは大事ですね。神奈川県は3033運動といって、一日30分の運動を週に3日やってください。それを3カ月間続けてください。そういうことによって、未病を改善し、健康になっていきますよ。これを県民運動としてどんどんやっていこうとしているんですね。私もそれを言っているだけじゃなくて、自分でもやらなきゃいけないと思うんでね、私は今63歳ですけれども、今度の日曜日に田崎さんと一緒に横浜マラソン、フルマラソンに出ますからね。

田崎氏:出ます。

黒岩知事:頑張りたいと思います。食、運動、もう1つの要素。これは実は、皆さんのお話ししていることとぴったり合ってくる話なんですけれども、社会参加です。社会参加というのは、未病を改善するために何で大事なのかなと、ちょっと、聞いてぴんと来ないですよね。これは、実は厚生労働省の事務次官だった辻哲夫さんという方、今は東大の先生ですけれども、この人が千葉県柏市で、ずっと老人の調査研究をしたんですね。その時に、老人というのは元気そうに見えても突然がくっと悪くなってくるときがある。どこでがくっと悪くなるのかというときに注目したのが、フレイルという言葉。フレイルというのは、足腰が弱くなってくるということですね。高齢化現象ではありますよね。足腰が弱くなってくると、外へ出なくなるんですって。外へ出なくなって閉じこもりきりになって、社会から孤立した老人はがくんと悪くなっていく。だから、外へ出ていくことが大事という。外へ出ていくといっても、ただ単に外を散歩していればいいというものではなく、外へ出ていったときに「誰かの役に立っている」という感覚が大事だと言うんです。

「社会に参加している」、「社会とつながっていて、自分は誰かの役に立っている」「期待されているんだ」という感覚があると、その人は高齢になってもがくんと悪くなっていかないという。この社会参加ということは非常に大事だということなんですね。だからこの部分をしっかりと、それぞれのコミュニティということを再生してあげなきゃいけないですね。それが今は弱くなっている。地域でみんなで支え合うという感じが弱くなっている。これをやっぱり取り戻していくということが、非常に大事なことだと思うんですね。

例えば社会参加という中で、まだまだ元気な方がいっぱいいらっしゃいますから。一回もう定年退職しましたよ、でも60歳でいっても100歳まで40年間あるとなったならば、そこからまた新たなスタートを切れるわけですよね。もう一回大学や大学院に行き直して学び直しをして、それから新たな仕事を始めるとか。ベンチャーを始めるとか。われわれは、神奈川県は、そういった気持ちを持っていらっしゃる方のシルバーベンチャー、こういったものを支えるような仕組みも作っていこうと、こんなこともしています。逆算すると、現役時代からそのための準備をしていくといいでしょうと。つまり、そういう形でマルチな人生というものを言います。今までは単線的だったんですね。若い時は勉強して、仕事をして、老後。これが仕事をしているうちから、また学びが入って、次のステージへ入っていって、いろんな人生を自分でクリエートしていくという中で、いつまでたっても社会とつながっている、そういう感じにすると、みんながスマイルで100歳までいけるんではないのかなと思います。そういう社会を目指していきたいと思っているところであります。以上です。

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田崎氏:ありがとうございました。今、いろんなお話を頂きましたけれども、お時間となってしまいました。おそらくいろんなネガティブな意見もあります。このまま何もせずに生きていれば、データどおりの少し残念な未来になるかもしれませんが、きょう伺ったようなお話を聞いて、皆さんがきょうから何か一つ考えていっていただければ、きっと明るい笑顔にあふれる未来になるのではないでしょうか。

ぜひみんなですてきな神奈川にしていきましょう。そしてすてきな世界にしていきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。パネリストの皆さんも、どうもありがとうございました。

的場氏配布資料 [PDFファイル/633KB]

阪本氏配布資料 [PDFファイル/887KB]

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黒岩日記( 「人生100歳時代の設計図を考える」フォーラム)のページ

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