初期公開日:2023年8月25日更新日:2023年9月11日

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曹洞宗岩泉寺(小田原市根府川)

キーワード:土砂災害、河道閉塞

岩泉寺(位置図)

※地理院タイルに遺構の位置を追記して掲載

 小田原市南部の根府川集落は、震災当時は足柄下郡旧片浦村に位置していました。旧片浦村では、震災により全潰103戸、流失・埋没93戸、死者406名もの甚大な被害を受けました55
 JR東海道線「根府川駅」から南西に徒歩5分にある曹洞宗岩泉寺の近くには、根府川集落を襲った土砂災害による集落全体の犠牲者を弔う供養塔があります(図3.14-1)。
 本震の5分後に発生した余震(マグニチュード7.3)により、白糸川上流部の大洞で大規模(深層)崩壊が発生し、崩れた土砂が白糸川の河道を塞ぎ天然のダムが作られました。当日の早朝の豪雨によって川が増水していたため数分のうちに満水となり、その耐えられなくなった天然ダムが決壊し、土石流となって白糸川に沿って流下しました。河道を閉塞した場所は標高400m、根府川の集落まで約3.3kmに位置しており、この距離を5分程度で流下したと考えられ、時速40kmの速さと想定されます56

岩泉寺(図1)

 供養塔の右側には「大正十二年九月一日午前十一時五十八分俄然大震災アリ同時ニ山津波起リ老若男女二百餘《余》人殃死《おうし》セリ甚タ悲惨ノ至リニ堪ヘス」などと書かれており、犠牲者は289名にものぼり、婦人や子ども、老人が多かったようです57
 また、根府川駅背後の崖が崩落し、駅舎、列車が流され、周辺には、流された列車とともに亡くなった家族を慰霊する五輪塔(図3.14-2)や、土石流で土砂に埋まって亡くなった家族の慰霊碑(図3.14-3)など遺構が多く残っています。

岩泉寺(図2・3)

 土砂災害による被害は、根府川集落一帯で約300名、鉄道関連や近隣の集落を含めると小田原市内で約400名57の命を奪いました。地震による土砂災害の恐ろしさをうかがい知ることができます。

 

55 諸井孝文・武村雅之, 「関東地震(1923年9月1日)による木造住家被害データの整理と震度分布の推定」, 日本地震工学会論文集, 2(3), 2002年

56 土木情報サービス「いさぼうネット」, シリーズコラム歴史的大規模土砂災害地点を歩く, コラム40「関東大震災(1923)による小田原市の土砂災害―根府川・白糸川流域の大規模土砂災害地点を歩く―」(2023年8月17日閲覧)https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum40.asp

57 武村雅之・都築充雄・虎谷健司, 「神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編(熱海・伊東も含む))」, 2015年

このページの所管所属はくらし安全防災局 防災部危機管理防災課です。