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コラム 中学時代の思い出 ~英語スピーチコンテスト出場と高校受験~

伊是名夏子さんプロフィール写真
 

伊是名 夏子 (いぜな なつこ) さん


コラムニスト、1982年生。沖縄生まれ、沖縄育ち、神奈川県在住。
東京新聞・中日新聞、ハフポスト、琉球新報で連載中。

先天性の骨疾患「骨形成不全症」で骨の弱い障害があるため電動車椅子を使用。
身長100cm、体重20kgとコンパクト。右耳が聞こえない。
ハイリスクな妊娠出産を乗り越え、5歳と3歳の子育てを総勢10人のヘルパーに支えられながらこなす。

早稲田大学卒業、香川大学大学院修了。アメリカ、デンマークに留学。
那覇市小学校英語指導員を経て結婚。

「障害者は助けてもらうのではなく、お互いに助け合う存在」をテーマに全国で講演。
ファッションショーや舞台でも活躍中。
好きなことは、パンダ、体と環境にいいこと、性教育。
4月に「身長100cmママの子育て(ディスカヴァー21)」出版予定。


身長100㎝ 超小型ママの妊娠・出産・子育て
https://www.huffingtonpost.jp/author/izena-natsuko/
ブログ
http://blog.livedoor.jp/natirou/

養護学校(現:特別支援学校)で過ごした小学校・中学校

中学の運動会で、民族衣装を着てクラスメートと一緒に
中学の運動会

私は「骨形成不全症」で骨が折れやすいので、電動車椅子を使っています。
5歳と3歳の子育てに追われながら、コラムを書いています。

36年前、沖縄で生まれたのですが、生まれた時すでに両足の骨が折れていました。頭の骨もとても薄かったそうです。オムツを替えるだけでも骨折、3cmの段差にこけて骨折、もぐらたたきゲームで遊んでいて骨折。骨折は日常茶飯事でした。

小学校・中学校の9年間は、家から車で15分の養護学校(現:特別支援学校)に通っていました。クラスは私一人だけか、転校生が来て二人だけ。普通学校に行って、たくさんの友だちと授業を受け、時には居眠りしもしてみたい。休み時間や放課後には友だちとおしゃべりしたり、寄り道したりすることに憧れていました。

一気に世界が広がった英語スピーチコンテスト出場

 

英語教師の父のおかげで、英語は得意でした。
中学に入ってからはストーリーコンテストや、スピーチコンテストに出まくりました! 部活がなかったので、得意なことを発揮できる大会は新鮮でもあり、同学年の友だちとふれあえる唯一の機会でした。初めて出たコンテストでは、内容を忘れてしまい、途中沈黙してしまうことも。

そして中学二年生のとき、高松宮杯(現:高円宮杯)英語スピーチコンテストに出場しました。日本語で文を考え、英訳、それを知り合いのネイティブに見てもらい、三か月間練習を重ねました。

実はその時、私のモチベーションになっていたのは東京でのショッピングでした。中学二年生の夏休み、姉の住んでいた東京に遊びに行った時、新宿南口に建設中の高島屋を見て、衝撃を受けたのです。大きいデパート!! ここで買い物したい! でも秋にオープンでまだ開いていません。スピーチコンテストで沖縄県代表に選ばれたら、高島屋に行ける! と思いつき、必死に練習したのです。

見事に県大会を勝ち抜き、全国大会へ。3泊4日の日程で開かれ、各県から3人ずつ選ばれた、約150人の中学生が集まります。日中は大会ですが、夜は交流会やゲームがあり、友だちと濃い時間を過ごします。20年以上たった今でも仲良くしている友だちもいます!

ステージの上のマイクの前でスピーチをしている写真
スピーチコンテスト
高松宮杯英語スピーチコンテストに出場時、全国から集まった出場者たちとピースサイン
高松宮杯全国中学生英語スピーチコンテスト
アメリカのサマープログラムのメンバーと一緒の写真
アメリカのサマープログラムに参加

そしてラッキーなことに、全国二位になり、アメリカのサマープログラムにも招待されました。

養護学校に通うだけでは友だちも少なく狭い環境になりがちですが、コンテストに出ることで私の世界が一気に広がりました。

周囲の反対を押し切り普通高校を受験、そして念願の合格!

高校はどうしても普通高校に進学したかったのです。私が行きたかったのは沖縄県立首里高校。県内で最も古く、歴史ある学校で、5階建ての校舎には階段しかありませんでした。私の両親をはじめ、学校の先生方は猛反対! 骨が弱くて車椅子を使っているのに、階段だらけの高校へ進学するなんて! 「バリアフリーの高校に行ったら?」「高校までは養護学校にしたら?」と言われました。

どうしてそんなに首里高校に行きたかったかというと、姉も通った高校で、憧れのセーラー服だったから。一学年11クラスあって友だちがたくさんできるから。勉強だけなく、部活も盛んで、いろいろ挑戦できるから、というのは建前の理由です。本当は、当時好きだった男の子が、その高校に進学すると聞いたからです。彼と一緒の高校に行きたい! でもそんな理由、親にも先生方にも言えるわけありません。建前の理由をもっともらしく伝え続けました。

唯一、首里高校への進学を応援してくれたのは、小学5年生から通っていた学習塾の友だちと先生でした。「一緒に首里高校に行こう。階段は抱っこをするよ」と言ってくれていたのです。
塾も二階にありました。塾に入るのも、トイレに行くのも、いつも友だちが抱っこをして手伝ってくれました。だから高校生活もこれで乗り切れる、と思っていたのです。
そしてバリアがあるのが当たり前の世の中なのだから、敢えて階段のある所に行って、友だちに助けてもらう経験、サバイブする技術を身につけたいとも思っていました。頭の中は彼のことでいっぱい、青春の高校生活を送るのよ! という想いを胸に隠しながら、まわりの説得を続けました。

親もまわりも、一向に聞く耳を持たない私に折れ、受験をさせてくれることに。
受験の面接の日、実は骨折をしていた私。でも骨が弱いという印象を持たれたら落とされてしまうかもしれないと思い、痛い手で車椅子を漕ぎました。そして念願の合格です!

私の入学に合わせ車椅子用トイレが設置されました。でも一番の問題はやっぱり階段移動。1階、2階、3階に車椅子を一台ずつ置き、私だけを抱っこして、階段を移動してもらうことにしました。
最初は私から友だちに声をかけ、抱っこをお願いしていましたが、次第にまわりの友だちから「次どうする?」「一緒に行く?」と聞いてくれるようになりました。

友だちに助けられながら、最高の高校三年間を送りました。

やりたいことをまわりに反対されても、自分で動いて、調べて、やり方を模索すること。そしてまわりを巻きこみ、味方になってくれる人を見つけること。それを続け、私は留学や結婚、子育てを乗り切っています。

高校のセーラー服の制服を着て友達と一緒に映った写真
高校時代の昼休みの一コマ

中高生のみなさんへ

二人のお子さまと一緒にポーズ

やりたいことができなくて悩んでいても、自分から声に出したり、書いたりすることで、味方や応援してくれる人が見つかります。人とのつながりを大切にし、自分のやりたいことを諦めないでください。

自分にとってベストなやり方を知っているのは自分だけ! 失敗しながら、挑戦し続けることで、なりたい自分に近づいていきますよ。

2019年3月
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