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薫る牛乳、山を育む。自然と共生する山地酪農の夢 花坂薫さん

薫る牛乳、山を育む。自然と共生する山地酪農の夢 花坂薫さん

神奈川県西部に位置する山北町。標高723.1mの大野山山頂から少し下った山肌に、花坂薫さんが営む「薫る野牧場」はあります。持続可能な酪農として注目を集める山地(やまち)酪農を実践し、令和6年度「神奈川県女性農業者活躍表彰」の若手女性チャレンジ部門を受賞した花坂さんを取材しました。

喜びと感謝を胸に

神奈川県女性農業者活躍表彰は、神奈川県内で農業及び地域の活性化につながる活動に取り組み、功績のあった女性農業者を対象としています。「私自身、この賞のことは知りませんでした。県畜産技術センターの方からご紹介いただき、お陰様で受賞となり、大変うれしいです」

受賞の知らせは、地域にも温かく受け止められました。地元の広報誌や農協の冊子で知った人々から祝福の声が寄せられ、中にはお祝いの品を手に牧場を訪れる人もいたそうです。「そこまでしていただいて良いのだろうかと恐縮するほどでした」と語る花坂さん。地域の方々の応援が、大きな励みになっていることが伝わってきます。

柑橘栽培の担い手育成に尽力

運命的な出会いから始まった「山地酪農」への道

花坂さんが実践する「山地酪農」は、岩手県の中洞(なかほら)正氏が提唱するスタイルです。花坂さんは相模原市出身。東京農業大学在学中、一冊の本との出会いをきっかけに中洞氏のもとで修業を積みました。

後に花坂さんが牧場を開くこととなる山北町共和地区では、神奈川県立大野山乳牛育成牧場の閉鎖に伴い、土地の活用法が大きな課題となっていました。

「地元の人はおそらく、『中洞さんにここに来て牧場をやっていただこう』というお考えだったと思います」と花坂さん。共和地区の人々から中洞氏に相談が届いた時、神奈川県内での独立を模索していた花坂さんが手を挙げました。

花坂さんが初めて共和地区を訪れた日は霧が深く、背の高いカヤやススキが生い茂り、薮のようになっていました。しかし、近くに高校時代に陸上部の駅伝で毎年走っていた丹沢湖があると知り、強い縁を感じたと言います。「これだけ草がたくさんあれば、牛の餌には困らない。ここでならやっていけるかもしれない」。花坂さんは2016年9月に山北町へ移住。地域住民との交流を図りながら2018年6月7日、ゼロからのスタートを切ったのです。

柑橘栽培の担い手育成に尽力

自然と共生する「薫る野牧場」の魅力と挑戦

現在、牧場には計12頭の牛たちがいます。搾乳時以外は、広大な山を自由に歩き回り、思い思いに過ごしています。

「山地酪農」は、経済面と環境面で大きな利点があります。山に自生する草が牛の主食となるため飼料代を大幅に削減できるだけでなく、牛が草を食べ、野芝が根を張ることで土壌が固定され、土砂崩れなどの災害を防ぐ効果も期待できるのです。「植物たちが根を張って自然の力で山を守る”山づくり”のモデルケースを示したいんです」

郷土の生活文化を次世代に

経営上の最大の苦労は、販路の開拓だと言います。自家加工・販売を行うため、出荷先がなければ経営は成り立ちません。特にコロナ禍では、取引先の飲食店が休業し、在庫を抱える危機に直面しました。その窮地を救ったのが、取引先の協力によるクラウドファンディングでした。「皆さんが主導してくださったおかげで乗り越えることができました」と、周囲への感謝を忘れません。この経験から、現在はボトル牛乳の製造許可を取得し、販路を多角化。SNSでの積極的な情報発信に加え、品質の良いものを提供し続け、納期や数量を誠実に守ることで信頼を築いています。

郷土の生活文化を次世代に

未来へつなぐ、持続可能な酪農の夢

薫る野牧場の牛乳は、低温殺菌とノンホモジナイズ製法で牛乳本来の風味を最大限に生かしています。それは牛が食べる草による味わいの違いが、季節ごとに感じられるほど。さらに生乳を加工したソフトクリームやプリンなど、商品のラインナップも増えつつあります。

今後の目標は、まずは借入金の完済とはにかみつつ、「これをやり遂げて初めて、『このやり方で生活していける』という事例になれると思います。男女を問わず、新規就農者の事例として知っていただき、結婚や出産を経ても農業を続けられるという私の姿が、誰かの一歩を後押しできれば」と語ります。

また、二人の子供たちには自然の中で伸び伸びと育ってほしいと願う一方、この「山地酪農」という持続可能な農業の形が、日本全国の山々で当たり前の風景になることを夢見ています。「私が動けなくなった後も、誰かがこの活動を続けてくれたら。そして、この取組が全国に広まっていけば、これほどうれしいことはありません」。花坂さんの瞳は、力強く未来を見据えていました。

相模原市北部の農家に嫁いだ中里さん