三浦は「大変な場所だ」
吉田さんは、静岡県の稲作農家に生まれました。子どものころから田植えや稲刈りなどを手伝い、農作業は身近なものだったといいます。就職先は地元の銀行の保養所でしたが、縁あって三浦に嫁ぎました。12月の寒空の下、生まれて初めて降り立った三浦は「大変な場所だと感じた」といいます。「温暖な気候とミネラル豊富な土壌を持ち、多品種の生産ができる反面、稲作のように農閑期が無く、一年中を通して、何かしらの農作物を作り続けなきゃいけない。色々工夫をしなくちゃと思いました」と振り返ります。
当初はスイカやダイコン、キャベツを中心に育てていましたが、ニーズの移ろいに合わせて現在は、春にはキャベツ、夏にはカボチャ、冬には三浦ダイコンを育てています。さらに保養地である三浦の特色と、三浦海岸駅や宿泊施設からほど近いという地の利を生かし、秋にはミカン狩りや冬から春にかけてイチゴ狩りといった観光農園にも力を入れています。
義母の後押し 仲間とグループを発足
吉田さんの転機は、昭和42(1967)年の農業改良普及所による「若妻講座」でした。年間10回の講座でしたが、吉田さんはその全てに出席し、参加者との交流を深めました。「農作業が佳境となると、講座を休んで仕事を優先したくなることもありました。でも、そのたびに義母が『こういう機会はなかなかないんだし、周りの人たちと関係を築いておくと、きっといいことがあるよ』と背中を押してくれたんです。静岡から一人で来た私を見守ってくれて、応援してくれたお義母さんには感謝しています」
こうした交流の中で生まれたのが、昭和50(1975)年の「松原生活改善グループ」でした。同会は、生産過程で捨てられてしまう摘果スイカや茎ワカメ等に目を付け、粕漬けや調味漬けといった、今でいう農作物の加工品を発案し、商品化していきました。地域のイベントに出品してみると、美味しいと評判に。こうした商品を販売する直売所を自宅敷地内にしつらえました。「最近はコロナで会えない時もあるけど、今でも交流は続いています」とにっこり。毎週月曜日、水曜日、金曜日のうち2日程度開く直売所には、採れたての農作物や、梅干しや切り干し大根、パンといった、手作業で仕上げた商品が並び、地域の仲間や観光客などが足繫く通っています。
海外へ広がる農業の輪
その後、吉田さんは三浦半島地区農漁業家生活研究連絡会の会長等の職を歴任する中で、国際農業者交流協会にも参加しています。これまでにアメリカやニュージーランド、オーストラリア、オランダ、ドイツ、デンマークなど各国の農業を視察し、女性であっても経営者マインドを持って農業に臨む姿を直に学びました。さらに伝統的に栽培されている三浦ダイコンを広く知ってもらおうと、下茹でした大根をベーコンで焼いたステーキや、大根の葉と沢庵を使ったおにぎりなど三浦ダイコンをふんだんに使ったコース料理「三浦ダイコンフルコース」を発案。このコースが国土庁の「食アメニティコンテスト」で長官賞を受賞したこともあり、平成18(2006)年には、イタリアで開かれたスローフード国際大会に神奈川県代表として出場しました。
吉田さんは海外で学ぶばかりではなく、平成3(1991)年からはマレーシア、ネパール、タイなどから日本の農業を学びに来る海外研修生を毎年受け入れています。31年目を迎える今年も、2名のタイ人女性を迎え入れ、三浦の農業を体感してもらっています。
「受け入れ当初は文化や宗教の違いから戸惑うことがいろいろありました。でも、結局は特別なことを教えないで、一緒に働き、一緒にご飯を食べながら過ごす中から、三浦の農業を学んでもらうことを心がけています。自国に戻った時に広めてもらえたらうれしいですね」と目を細めます。
仁王立ち 太きダイコンの 抜けしとき
「三浦ダイコンフルコース」を発案し、関連書籍を2冊発行するほど、吉田さんの三浦ダイコンへの思いは強くあります。吉田さんによると、三浦の主流は青首ダイコンで三浦ダイコンは全体の1%未満。三浦ダイコンは茎近くまで土を被せるため収穫がしにくく、さらに1本あたりの重さも青首ダイコンより重いことから、その苦労の多さが生産量に現れている、と吉田さんは語ります。しかしその苦労の分だけ、引き抜いたときの喜びや達成感はひとしお。「仁王立ち 太きダイコンの 抜けしとき」は、丹精込めて育てた三浦ダイコンの収穫した時の達成感を表現した、吉田さん自らの句です。
吉田さんはこの三浦ダイコンの美味しさを市内の講習会を通して伝えています。平成4(1992)年からは、三浦市市民センターで「大根料理講習会」を毎年開催するほか、南下浦市民センターで三浦ダイコンの創作料理講座を開いています。老朽化の影響で南下浦市民センターの講座は、今年10月29日に一度幕を引く予定ですが、「遠方から92歳のおかあさんが来てくれて、楽しみにしてくれている。自分より年上の人が頑張って見に来てくれているんだから、建て替え後も講座を続けていきたいね」と話していました。
農作物への感謝の心を育む
10月は、観光農園のミカン狩りが始まる季節。今年も早速、200名以上の団体客の予約を皮切りに多くの来場が予想され、その準備に追われています。しかし吉田さんは、「美味しいミカンを味わってもらいたいから」と、この苦労を露程も出しません。
今年、傘寿を迎えましたが、今も情熱は衰えるところを知りません。吉田さんは、「タダで出来る農作物はない。農家が手間暇をかけて、美味しくなるように大切に育てていることを多くの人に知ってもらい、農作物が出来るまでの裏側を知ってもらい、農作物への感謝の心を育むことも生産者に課せられた宿命だとおもいます。まだまだ、たくさんやりたいことがあるのよ」と、キラリと目を輝かせています。