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更新日:2025年11月7日
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神奈川県原爆被災者の会
神奈川県原爆被災者の会は、県内の被爆者を会員とし、県内在住被爆者の健康と福祉の増進を図るとともに、広島・長崎の原子爆弾被害の生き証人として核兵器の全廃を目指すための活動を行っています。
横浜市神奈川区西神奈川1-8-13
045-322-8689
| 番号 | 住所 | 被爆地 | 被爆時の年齢等 | 性別 | 講演内容 |
|---|---|---|---|---|---|
| 6 | 川崎市高津区 | 広島 | 13歳 | 女 | 被爆したときの状況(父を助け出して) |
| 9 | 横須賀市 | 長崎 | 6歳 | 女 | 島原から長崎の実家へ母と帰る状況 |
| 44 | 三浦郡葉山町 | 長崎 | 7ヶ月 | 女 | 親から聞いた原爆投下時の様子 (部屋で寝かされていて、爆風により天井が崩れ落ち下敷きになったが、蚊帳のおかげで助かったこと。) |
| 46 | 高座郡寒川町 | 広島 | 2歳 | 男 | 父の爆死、孤児として苦難の人生を生きて |
| 49 | 横浜市鶴見区 | 長崎 | 1歳 | 女 | 親から聞いた原爆投下時の様子 (母を始め多くの方から聞いたことや、資料をもとに語りたい) |
| 58 | 横浜市港南区 | 長崎 | 6歳 | 女 | 「飛行機が飛んでる」と、上を見た瞬間「ピカッ」と光った。土煙がもうもうとし、伯母は手探りで私を探した。 |
| 60 | 三浦郡葉山町 | 広島 | 2歳 | 女 | 2011年2月に101歳で亡くなった母の「被爆者からの手紙」で紹介された手記 |
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63 |
横浜市 | 広島 | 14歳 | 男 | 中学3年、勤労動員の工場で被爆。枕木も燃える線路伝いに逃げる途次、黒い雨にずぶ濡れ。姉弟など犠牲者は10人。 |
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64 |
相模原市中央区 | 広島 | 4歳 | 男 | 原爆投下の被害は放射能により、子々孫々まで影響することです。核爆弾が人類と共存し得ないことを訴えたいです。 |
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65 |
相模原市南区 | 広島 | 5歳 | 男 | 広島市内の福島町で被爆し、2人の家族を亡くしました。戦争や核兵器の悲惨さやおろかさを子供たちに伝えたいです。 |
| 67 | 鎌倉市 | 広島 | 10歳 | 女 | 学校に運び込まれた被爆者の介護手伝いをし、地獄を見た。核兵器の恐ろしさと戦争の愚かさを次世代に伝えたい。 |
| 71 | 川崎市 | 長崎 | 8歳 | 女 | 被爆当時の体験をお話し、原爆被害の理解を深めてもらい、平和への願いと核兵器廃絶に向けた思いを伝えていきたい。 |
| 75 | 横浜市 | 長崎 | 14歳 | 男 | 投下時の惨状と翌日の救護活動で爆心地を歩いた経緯。60年間生物は発生しないと言われた原子野に翌年春に緑が芽吹いた喜びを伝えていきたい。 |
| 77 | 川崎市多摩区 | 広島 | 被爆者のこども | 男 |
広島市被爆体験伝承者として広島平和記念資料館と全国の学校や自治体で父と広島の被爆者の被爆体験伝承講話の担当をしている。 |
| 79 | 相模原市緑区 | 広島 | 被爆者のこども | 女 |
母の被爆者としての思いと被爆体験伝承者として核兵器、戦争のむごさを伝え、平和の大切さを伝えたいです。 |
| 80 | 座間市 | 広島 | 被爆者のこども | 女 |
母の被爆体験を通して原爆がいかに残酷な行為であったかを伝え、二度と繰り返さない為にはどうしたら良いのかを皆で考えたい。 |
注意:途中の番号が無いのは欠番です。
講演のお申込み方法はこちらをご確認ください。
詳細については、申込み後に神奈川県原爆被災者の会と調整していただきます。
講演費用は無料ですが、実費等(講演者の方の交通費など)をご負担いただく場合があります。
事業実施後は実績報告書及びアンケートの提出をお願いしております。提出方法等については、
講演決定後にご案内いたします。
下記の詩画集は神奈川県原爆被災者の会が令和2年4月に発行した詩画集です。
詩画集「忘れられないあの日」(1~51ページ)(PDF:8,120KB)
詩画集「忘れられないあの日」(52~103ページ)(PDF:8,345KB)
注意:詩画集はファイルサイズが大きいため、2つにファイルを分けて、掲載しています。
| きのこ雲 A mushroom cloud |
ピカッドーン PIKA-DON |
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(PDF:262KB) |
(PDF:297KB) |
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被爆の三態 |
痛みを堪えて救護を待つ Waiting for rescue in great pain |
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(PDF:338KB) |
(PDF:232KB) |
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| 電車の中で黒焦げに Burnt black in a street car |
被爆十分後、防空壕内で In a dugout ten minutes after the bombing |
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(PDF:232KB) |
(PDF:360KB) |
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| 被爆七日目、臨時救護所で Seven days after the bombing at a temporary first aid station |
火に追われて逃げ惑う Fleeing the fire in great dismay |
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| 「黒い雨」に打たれた卒業証書 A diploma hit by "Black Rain" |
荷車の上の産婦 A woman who has just given birth on a cart |
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(PDF:240KB) |
(PDF:209KB) |
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| 瀕死の少女に上着を I put my coat on a dying girl |
瓦礫の中に妻と長男の顔が In the debris, the faces of my wife and my first son ... |
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(PDF:251KB) |
(PDF:289KB) |
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| 防空壕にひびく呻き声 Groaning voices echoed in the dugout |
それはまさに地獄列車(1) That was indeed an infernal train(1) |
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(PDF:296KB) |
(PDF:261KB) |
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| それはまさに地獄列車(2) That was indeed an infernal train(2) |
一人で逝ってしまった A girl passed away lonely |
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(PDF:292KB) |
(PDF:248KB) |
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| ぐるぐる巻きで担架に Totally wrapped up on stretchers |
マンホールに避難した Hidden in a manhole |
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(PDF:267KB) |
(PDF:239KB) |
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| 水を飲んでくれなかった The boy did not drink the water |
幼児を抱き息絶えた母親 A mother passed away, still holding the baby in her arms |
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(PDF:230KB) |
(PDF:315KB) |
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| お母さん死にたくない Mother, I don't want to die! |
少年は力つきて その場に倒れた The boy was exhausted and fell down on that spot |
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(PDF:248KB) |
(PDF:325KB) |
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| その夜から墓場で From that night on at the graveyard |
変わり果てた母の姿 Mother in a horrible shape |
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(PDF:253KB) |
(PDF:240KB) |
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| 私の見たあの日 That day, as I saw it |
救援トラックに載せられて Being picked up by a rescue truck |
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(PDF:277KB) |
(PDF:317KB) |
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| 友の亡骸を荼毘に Cremating my friends' remains |
トンネル工場の中 In a factory located in a tunnel |
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(PDF:288KB) |
(PDF:269KB) |
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| 川は死体で一杯に The rivers were filled with bodies |
一回に50体ずつ焼く Cremation - each time fifty corpses |
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(PDF:271KB) |
(PDF:237KB) |
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| 「お母さん!」と叫ぶ子供 A child crying "Mom!" |
「原爆症」次は自分か "A-bomb disease" - Is it my turn? |
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(PDF:211KB) |
(PDF:272KB) |
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| 帯のように長く燃えて It was burning as long as the belt of a Japanese Kimono |
家族の手をさすり天国へ Rubbing the hands of his family, he left for heaven |
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(PDF:264KB) |
(PDF:253KB) |
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| 材木を集めて子供を火葬に I collected timbers to cremate my child |
この世の地獄 遺体処理 Hell on earth - corpse disposal |
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(PDF:270KB) |
(PDF:332KB) |
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| これが志保子のお骨ばい These are the bone ashes of Shihoko |
あちこちに黒焦げの死体 Charred bodies here and there |
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(PDF:300KB) |
(PDF:245KB) |
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| 広島駅近くの京橋町で At Kyobashi-cho near Hiroshima Station |
片眼を失った友人 My friend who lost an eye |
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(PDF:255KB) |
(PDF:273KB) |
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| 山のような死体を焼く Cremating piles of corpses |
幼かった私が見たもの What I saw as infant |
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(PDF:322KB) |
(PDF:215KB) |
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| 頭デッカチの髪の毛が Hair with thick heads |
父と母とわたし Dad, mom, and me |
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(PDF:263KB) |
(PDF:332KB) |
援護グループ
電話 045-210-4903 | 045-210-4917
このページの所管所属は福祉子どもみらい局 福祉部生活援護課です。