更新日:2023年12月12日

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特定失踪者ご家族からのメッセージ

北朝鮮当局による拉致問題を風化させないための神奈川県の取組みをご覧いただけます。

※ 写真をクリックすると、特定失踪者問題調査会のホームページにリンクします。詳細情報はそちらをご覧ください。

特定失踪者 ご家族からのメッセージ

寺島佐津子さん

寺島佐津子さん

昭和54(1979)年8月10日

神奈川県横浜市戸塚区にて失踪

【寺島佐津子さんの母】

佐津ちゃん、今何処にどうして居ますか。元気ですか。今日は調査会の方、県の方、大勢のみなさんとあなたが帰って来た道順を歩いて来ました。一日も早く帰れる様、皆さんに応援してもらっています。

佐津ちゃん、身体に気をつけて頑張って居て下さい。

一刻も早く会えます様願っています。

(平成24年4月4日、特定失踪者問題調査会1万キロ調査において)

大澤孝司さん

大澤孝司さん

昭和49(1974)年2月24日

新潟県佐渡郡新穂村にて失踪

ご家族が神奈川県に在住

【大澤孝司さんの兄】

孝司、この短波放送聞こえるか。孝司、この短波放送聞こえるか。兄の茂樹だよ。今日はな、お前が佐渡島で北朝鮮に拉致されたように、神奈川県民の方も、たくさん北朝鮮に拉致されてるんだよ。今日はな、県庁の役人と調査会の荒木先生と、それと神奈川県警の方々と一緒に神奈川県で拉致された失踪現場を調査しに来たんだよ。

あんちゃん、昭一も巻のほうで、老体に鞭打ちながら、拉致被害者の救出のために頑張ってるぞ。

もうすぐ日本政府が君たち拉致被害者全員を救出に迎えるから、それまで待ってろよ。死ぬなよ。絶対に待ってろよ。

(平成24年4月4日、特定失踪者問題調査会1万キロ調査において)

齋藤正治さん

齋藤正治さん

昭和36(1961)年10月1日

神奈川県逗子市にて失踪

【齋藤正治さんの弟】

私の兄貴、齋藤正治、元気で生活してるか。兄がいなくなってもう50年近くなります。私は弟の齋藤良司です。兄弟で育った横須賀の町、横須賀の池上、その近くで、兄貴が定時制に通ってた横須賀高校に今来ています。そこで、少しでも兄貴が元気でいるうちに助け出したいと思っていますので、何とか何とか命だけは永らえてください。必ず迎えに行きます。頑張れ。

(平成24年4月4日、特定失踪者問題調査会1万キロ調査において)

安達恵美子さん

安達恵美子さん

昭和34(1959)年5月4日

京都府京都市から失踪

ご家族が神奈川県に在住

【安達恵美子さんの兄】

行方不明になっている妹へ

恵美子、私がおぼえているのは旧旅順市出雲町の日露戦争の戦跡記念館前の一軒家からです。近くに友達もいなかったので愛犬のマルと一緒によく遊びました。昭和14年頃です。その後も、貴女は小学校に入るころまで、私の遊び等にいつもついていました。

私は体が弱く、しょっちゅう学校をやすみましたが、小柄な貴女が病気にかかったことはなくとても元気な子でした。その後父が旧満鉄に勤め旧大連市で終戦を迎えました。

近所や学校でも、父がいる家庭は少なく私たちは幸せな毎日を過ごしていました。

然し昭和21年11月に母が急逝しました。翌22年1月に大連から父母の故郷の島根県に引き揚げました。貴女は母に代わって炊事、洗濯等をやってくれました。

昭和24年10月に父が突然亡くなり、当時は貧しい時代だったので、伯父や伯母のところで姉弟4人が紀彦が鷺の伯父のところに多賀子は所原の飯塚さんの家で育ててもらいました。貴女は旧鰐淵村唐川の叔母のところで中学校を卒業し、出雲市の岸本医院に勤め、その後京都の鞍馬口病院に変わりました。貴女は筆まめで手紙を頻繁にくれましたが、私は筆不精であまり便りをしませんでした。当時私は北海道滝川市から小樽市に移りましたが貴女に知らせませんでした。私が貴女の行方不明を知ったのは半年ほどたってからでした。島根の伯父は余り心配することはないと言いました。

私はその後東京に来て毎年秋に行われる行方不明者相談会に3年通いましたが、何の手掛かりもありませんでした。筆まめな貴女が何も連絡がないのは心配ですが元気な貴女ですから健康に過ごしているのではないかと思っています。今一度貴女に会って子供の時のこと等話し合いたいと思っています。

従兄の節夫、志郎、啓子、隆司、さん、紀彦、多賀子が、是非会いたいと申しています。

貴女に会える日をみんなで待っています。

高野清文さん

高野清文さん

昭和51(1976)年7月30日

東京都神津村の民宿から失踪

【高野清文さんの妹】

清文お兄ちゃん、甘えんぼの妹、美幸です。

お父さん、お母さん、弟、私のこと、覚えていますか。

お兄ちゃんがいなくなったとき、私は5歳だったけど、優しいお兄ちゃんにたくさん甘えたこと、忘れないで覚えていますよ。大学へ行くのに親元を離れて一年ちょっとで行方不明になって、こちらは事情も分からず、事故にあったのか。どうしていなくなったのか。土地勘のない神津島をお父さん、お母さん、まあ兄ちゃん、みんなで必死で探して、探して、探して、探し出せなくて、30年も経ってしまいました。今では北朝鮮にいるのではないかと思っています。

すぐに助けてあげられなくてごめんなさい。

お兄ちゃんがどうしていなくなったか分からなくて、お父さん、お母さんは悲しくて悔しくて、たくさん泣いて、すっかり年をとってしまいました。でも、私は必ず再会できるからと、励まして拉致された高野清文さんがすぐ分かるように、お兄ちゃんの味方をたくさん作る努力をしているからね。

私たちは何十年離れていても心は一緒に戦っています。もう少しだけ頑張って。

お母さんが歌を好きだったからだと思うけど、合唱とかで歌っていたお兄ちゃん。私も歌が大好きなのです。

お兄ちゃんや同じ目にあってるたくさんの人、日本で探して待っている大勢の家族を励まそうと思って歌を作りました。

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