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更新日:2023年11月7日

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湘南地域の国指定・県指定無形民俗文化財

湘南地域の国指定及び県指定の無形民俗文化財についての説明です。

湘南地域で国・県によって指定された無形民俗文化財をご紹介します。

相模人形芝居[前鳥座・足柄座]

  • 所在地:(前鳥座)平塚市四之宮、(足柄座)南足柄市
  • 開催時期:不定期
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和57年2月9日

相模人形芝居(前鳥座)の画像

前鳥座

相模人形芝居(足柄座)の画像

足柄座

前鳥座(さきとりざ)は、四之宮に伝わる3人遣いの人形浄瑠璃芝居の1座で、古くは四之宮人形と呼ばれた。前鳥座の名称は、昭和32年に当時の平塚市長により、前取郷・前取神社にちなんで与えられた。

 人形は、首(かしら)を胴体部になる肩板に差し込み、これに手と足を付け、衣装をつけて操る。3人遣いは、主遣い(おもづかい)が人形の首と右手、左遣いが人形の左手、足遣いが人形の両足を操って演技する。

 前鳥座の歴史は、前鳥神社の奉納行事として、江戸時代の中頃から始ったと考えられる。後に、上方で活躍していた吉田朝右衛門らの指導によって今日の基礎が固まった。第2次世界大戦前後に活動が一時中断したが、昭和27年に有志らによって再興された。

 また足柄座は、「斑目(まだらめ)人形」として知られていた人形芝居で、江戸中期に、酒匂川の洪水で逗留した人形師によってもたらされたというが、師系のはっきりしているのは明治に入ってからである。太平洋戦争時は公演を控え、その後、昭和31年の公演を最後に一時中断しましたが、昭和40年に地元婦人会有志により再興した。

 ここの頭は、古浄瑠璃時代の頭を改良したものや、優れた人形細工職人として有名な駿府長兵衛の銘がある頭も存在し、資料価値が高い。

相模のささら踊り

  • 所在地:藤沢市・秦野市・厚木市・海老名市・綾瀬市
  • 開催時期:7月下旬(相模ささら踊り大会)
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:平成20年2月5日

旧相模国で江戸時代に流行した七夕踊り・小町踊りの流れをくむ女性だけによる盆踊り。大正末期には廃絶してしまったが、戦後、旧相模国域各地で復活した。揃いの浴衣に帯を締めた襷掛(たすきが)けの女性が、長詞(ちょうし)型または短詞(たんし)型の独特な唄に合わせてビンササラを突き、小太鼓を打ちながら踊る。

江の島囃子

  • 所在地:藤沢市江の島
  • 開催時期:7月14日前後の土・日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:平成13年2月13日

7月14日前後の土・日、八坂神社において行われる夏祭りは「天王祭」の名で親しまれている。江の島の「天王様」と、対岸の腰越の「天王様」は夫婦神様だといわれ、江の島が男とされているが、いずれも「須佐之男命(スサノオノミコト)」を祀っている。

この祭りの特徴は、大海士(大モグリ)とよばれる裸潜水漁労者が、祭りの重要な担い手になっていることである。それは、この神社の御神体を海中から引き上げる時、東町のモグリ(大海士)18人によったという故事に由来している。

宵宮、神幸祭(しんこうさい)と囃子(江の島囃子)の行列、神輿の海上渡御(かいじょうとぎょ)などが見所である。

ここの祭囃子は江戸時代から知られる特異なもので、チャルメラ、三味線、銅羅、柄太鼓(えだいこ)、小太鼓が加わる。西町、東町の2組に分かれ、屋根を杉葉でふいた底ぬけ屋台に締太鼓(しめだいこ)を3個乗せて並べ打ちしながら島内の坂道をねり歩く。

茅ヶ崎海岸浜降祭

  • 所在地:茅ヶ崎市南湖の海岸
  • 開催時期:7月第3月曜日(海の日)
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和53年6月23日

「茅ケ崎海岸浜降祭」の画像1「茅ケ崎海岸浜降祭」の画像2

早朝、茅ヶ崎市南湖の西浜海岸に、茅ヶ崎市及び寒川町の各神社から神輿が集まり禊ぎを行う。神体や神輿、人が潮水を浴び、潮水がもつ浄化作用によってケガレを祓い弱体化した霊力が再生するという「浜降(はまお)り」の祭祀儀礼は、古くから東日本の太平洋岸で行われており、茅ヶ崎もこの一つである。

市内、町内各社から約20から30基の神輿が集まって行われる。深夜に各社を出立し、市内、町内を練り歩き、海岸に集まる。寒川神社の神官による祝詞奏上、玉串奉納が行われる。その後、各神輿は砂浜を練り、時に海に入り禊(みそ)ぎを行う。その後各社に帰り、それぞれの神事を行う。

茅ヶ崎市南湖に江戸時代からの旧家である鈴木家があり、祭り前日、海岸に寒川神社の神輿の神座をしつらえる。一間四方に砂を一尺盛り、四隅に青竹を立て、注連縄を張り、それに海藻をかけ、ハマゴウの枝を敷く。祭日には神饌(しんせん)としてワラサ(生魚)供え、玉串を捧げる。

農耕に関係する五穀豊穣神事と禊ぎの祭礼が同時に複数の神社によって行われることが注目される。

浜降祭の由来は諸説あるが、鶴嶺八幡社の禊祓(みそぎはらえ)説、寒川神社の神輿が漂着した漂着神説などの伝承がある。

茅ヶ崎海岸浜降祭保存会のコメント

茅ヶ崎海岸浜降祭保存会のホームページ

大山阿夫利神社の倭舞及び巫子舞

  • 所在地:伊勢原市大山(大山阿夫利神社社務局)
  • 開催時期:8月28日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和51年10月19日

「大山阿夫利神社の倭舞及び巫子舞」の画像

伊勢原市の大山阿夫利神社に伝えられる舞に「倭舞(やまとまい)」と「巫子舞(みこまい)」とがある。両舞とも、この神社に古くから伝えられたものではなく、明治の初期、奈良の春日大社から伝授をうけたものといわれる。

今日まで、大山の先導師を務める家系の子供達によって、この舞が伝えられているという特色を持つ。

「倭舞」は男子が舞う。小学校の高学年から中学3年生ぐらいの少年が1人、あるいは4人で舞う。行在所の前に畳のゴザを敷き、その上で舞うが、衣装が宮中の官人風であるため、貴族的な雰囲気が漂う。手には扇や榊を持つ。

また「巫子舞」は女子(童女)が4人または6人で舞う。1人(独)舞のこともある。衣装から白拍子(しらびょうし)の雰囲気が漂い、檜扇(ひおうぎ)や鈴を持って舞う。

舞に伴う楽器は両舞いずれも和琴、笏拍子(しゃくびょうし)、大和笛、ヒチリキで、社人(しゃじん)が奏でる。普通は8月28日の祭礼の時に奉納舞が行われる。

大磯の左義長

  • 所在地:大磯町大磯
  • 開催時期:1月14日(1月14日が平日の場合には1月第3土曜日)
  • 国指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和55年1月28日

1月中旬の朝、各町内(8町内)につくられている「サイノ神」を祀ったオカリヤをこわし、浜に運んで9つの「サイト」を立てる。この時、正月の門松、お飾り、古い御札などもあわせ、その高さは8メートルにもなる。

サイトを立てる時、安定を保たせるため、3本の綱を張るが、その1本は必ずその年の「アキの方(恵方)」に張り、夜になってサイトに火がつけられ、焼け落ちる時は、アキの方の綱を引いて、その年の福を町内にとり入れるようにする。サイトが焼け落ちると、町内の老若男女が、棒の先につけたダンゴを焼いて食べる。

その後「ヤンナゴッコ(綱引きに似たもの)」が、浜方(はまかた)と岡方(おかがた)に分かれて行われる。なお、ヤンナゴッコには、卜占や呪術の意味がある。

国府祭(こうのまち)

  • 所在地:大磯町国府本郷
  • 開催時期:5月5日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和53年6月23日

中郡大磯町の国府本郷にある六所神社を中心にして、毎年5月5日に行われる。端午の節句に行われるところから、古くは「端午祭」の名があったというが、明治以後に「国府祭(こうのまち)」の名で親しまれるようになった。この祭は、寒川町にある相模の一ノ宮(寒川神社)をはじめ、二宮町の二ノ宮(川勾神社)、伊勢原市の三ノ宮(比々多神社)、平塚市の四ノ宮(前鳥神社)、それに平塚市の八幡神社の6社による合同の祭りである。

祭りは「六所神社」をはじめ、「神揃山」と「大矢場」の3ヵ所で行われる。

まず、前日の5月4日、六所神社では道を浄め、浜降りの神事を行う。5日になると、神揃山において六所神社以外の5社の神輿が集まり、神事が執り行われ、そのあと大矢場に降り、6社による神事がなされる。

なお、かつては大矢場の近くに農具市が立ち、その盛大なところから相模三大農具市などといわれてきた。

西小磯の七夕行事

  • 所在地:大磯町西小磯
  • 開催時期:西小磯東地区:8月6日、7日 西小磯西地区:8月6日、7日に近い土日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:平成20年2月5日

7月7日の「たなばた」(注:西小磯の七夕祭りは8月に行なわれる)は、子供の頃からもっとも親しまれてきた行事の一つである。古い時代に中国の思想や習俗をとり入れたものではあるが、日本に定着してから「みそぎ」という意味を強く持つ行事へと変化した。

西小磯の七夕祭りは、そうした古い伝統を今日に伝えているという意味で貴重である。東地区は男子のみ、西地区は男女ともに参加する。子ども達は頭のいる宿(現在は公共施設を使用)に集まって組を作る。そして短冊をつくり、思い思いの願いごとや、星の名前を書く。墨書きした短冊を笹竹につけると習字が上達すると言われてきた。

6日の朝、子供達は集落の神社やサイノ神などを回り、笹竹で祓(はら)い清める。その時に用いた笹竹で「竹神輿」をつくり、夕方近くなると集落内を練り歩く。翌、7日の朝、この「竹神輿」は、年長の男の子達が海岸へ運び、沖へ持っていって流す。もとは、この笹神輿の竹を用いて釣竿(つりざお)や漁具を作れば良い釣竿になるとされ、かつては漁民が競って沖へ出ていた。

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