更新日:2024年11月15日
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梶原景時ゆかりの地・寒川町をめぐるモデルコース等を紹介しています。
源頼朝に仕える御家人として鎌倉幕府創設に尽力した梶原景時は、寒川に館を構えたといわれる、寒川ゆかりの人物。
2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも、頼朝を支えた「13人」の御家人のひとりとして登場します。
梶原景時とは?寒川とのつながりとは?
一般的に「悪人」のイメージの強い景時の実像に迫りながら、町内に数多くある歴史スポットをぐるりとめぐるモデルコース「寒川ぐるり歴史散歩」を、寒川町観光協会職員とともにレポート風にご紹介します!
※コースの移動時間は、目安のものです。
※本モデルコースの内容は、2021年11月時点のものです。
※地図は、コースのポイントをわかりやすく示すための概略図です。そのため縮尺等が正確でないことがあります。
寒川の見どころをぎゅぎゅっと詰め込んだモデルコースを、寒川町観光ボランティアガイドの金子さんに案内いただきました。
寒川のディープな魅力を、寒川町観光協会のふたりがレポート風にご紹介していきます!
JR寒川駅から、「寒川ぐるり歴史さんぽ」、いざスタート!
寒川町内に4つある真言宗のお寺のひとつ。境内には、江戸時代に四国巡礼に倣い設けられた「相模国準四国八十八ケ所巡り」のうち、第83番の弘法大師石像がある。
寒川町のほか、藤沢市、茅ヶ崎市等の旧相模国内に88個所ある巡礼所は、江戸時代後期に、地域の豪農・浅羽太郎衛門の尽力で建てられた。
美しい観音様が境内を見守るお寺です。蓮の水鉢やクリスタルの睡蓮などがあり、写真映えもします。
昭和初期創業の老舗和菓子店。寒川の悠久の歴史を古木の年輪で表現した銘菓「寒川の年輪」(神奈川県指定銘菓)は、代々受け継がれた餡の風味を存分に楽しめる贅沢な逸品。
一方、景時にちなんだ「MANJU KAGETOKI(饅頭 景時)」は、ベースの白餡にバターやレーズンを加えた洋風和菓子。地元の若者がデザインしたスタイリッシュな包装で、お土産に喜ばれそう。
桜餅、柏餅、水羊羹…と、季節の和菓子も充実している。
愛らしい上生菓子に感激!景時をイメージした「MANJU KAGETOKI」は、レーズン入りのモダンな味わいで美味しかった!
五穀豊穣や雨乞いの神として広く信仰され、「大山詣り」として年間20万人もの参拝者が訪れたという大山。各地から伸びた大山道のうち、江の島と大山をつなぐ「田村通り大山道」は、寒川を抜け、「田村の渡し」で相模川を渡り、伊勢原・大山へと向かった。
この大山道沿いの立派な門構えは、日野屋の名残。江戸寛文年間に近江国の日野の商人が名跡を継いだと言われ、渡辺崋山の『游相日記』には、厚木周辺の豪農としてその名前がある。
日野屋付近は、昭和初期には宿場町としてにぎわった。
昔は寒川の中心がこの大山道沿いだったと聞いて、びっくり。江戸時代の商家「日野屋」さんの風情ある大きな門の前でお話をうかがっていると、それも納得。通りは美しくカーブして、所々古い家もあり、にぎわっていたころの街道の面影を感じることができました。
景時の資料も残る福祉会館の近くに、「松戸橋」の標柱がある。松戸橋の名は後世のものだが、ここを通っていた水路は、鎌倉時代草創期にこの地にあったとされる景時の館の外堀と言われている。
昔はこの歩道が水路だったということを知り、驚きました。そして、その水路はかつて景時の館の外堀として利用されていたというお話に浪漫を感じます。そこかしこに景時が生きた証があるのですね!
梶原景時館址から東に80mのところにある石造物群には、「伝七士(梶原氏一族郎党)の墓」として2説が伝わっている。一説では、1200(正治2)年正月、景時一族郎党が一之宮を出発後、上洛の途中清見関(静岡県静岡市清水区)で討死してしまったので、一之宮館の留守居役であった家族、家臣がこの地に弔ったものという。もう一説には、景時父子が討死してからしばらく、景時の奥方を守って信州に隠れていた家臣七人が、世情が変わったのを見て鎌倉に梶原氏の復権、所領安堵(領有権を認めること)を願い出たが許されず、七士はその場で自害し、この地に弔ったものと伝わっている。
墓碑の脇に立つレリーフには、「箙(えびら)の梅」で知られる景時の長男・景季(かげすえ)が描かれている。一の谷(生田の森)の戦いで、勢いあまって敵陣深く入り込み、矢が尽きてしまった景季は、箙(えびら)(矢をいれる籠)に梅の枝を挿して奮戦した。その姿に、「吹く風を何いとひけむ梅の花 散りくるときそ香はまさりける」という和歌(凡河内躬恒『古今和歌集』)を重ね合わせた平家の公達は、雅を解する坂東武者を称賛したという。
レリーフの景季の絵はちょっと太めの中年ですが、「箙の梅」のエピソードの時、景季はまだ21、22歳。そして、鎌倉武士随一のイケメンだったと伝えられているそう。景季の風流かつ優雅な戦姿を思わず想像してしまいました。
▲イケメンな景季は、こんな風だったかも?
頼朝の厚い信任を受けて鎌倉幕府創設に貢献した景時は、寒川町一之宮に館を構えた(『吾妻鏡』『新編相模国風土記稿』)とされ、館の西側には城之下(じょうのした)という地名も残されている。この寒川の館は、鎌倉の本宅とは別に、非常時への備えや情報収集のため、頼朝から景時に与えられた所領の一つに建てられたものと考えられている。
館は現存しないが、館址に建つ小さな祠の一之宮天満宮は、和歌をたしなむなど教養のあった景時の風雅を称え、里人が当時の館の物見台跡に創建したものといわれる。
なお、2001年に行われた発掘調査では、館の堀跡らしき遺構が確認されたものの、直接梶原氏に関わるものかはわからず、今後の調査研究の対象とされている。
景時の住んでいた当時の名残とされる水路や、橋がかかっていた場所があり当時の様子を考えながら楽しむことができました。梶の木(浩宮徳仁親王殿下(今上陛下)御成記念に植えられた)や、天然記念物であるヒトツバタゴの木(犬山市から寄贈)といった、普段はなかなか見られない木を見ることもできます。
見た目にも楽しい彩り豊かな地元野菜をはじめ、季節の食材を使ったお弁当が多く並ぶ。素材の味が生きた滋味深いお弁当(550円~)は、コースの途中でのんびりいただくのに最適。数あるお弁当の中でも、「大山街道旅路弁当」は、薄い竹ひごで編まれたこだわりの籐の籠に、大山名物の湯葉巻や、相模川の鮎の天ぷら、焼きおにぎりなど、大山詣りの旅人気分が味わえると人気。
また、町特産品でもある「湘南みやじ豚の豚むす」は、高菜入りの塩味としらす入り醤油味から選ぶことができる(冷凍でのお持ち帰りや、ネットで取り寄せも可能。)。
大山街道旅路弁当(要予約、3,000円+税)
どのおかずも丁寧に調理され、温かみを感じます。とても美味!
やさしい味わいで、愛らしいコンパクトなたたずまいとは裏腹に、ボリューム満点!たくさん食べられる方にも満足いただけると思います。俵屋では、寒川町の梨ワイン(町特産品)も扱いがあり、ビンも小ぶりなのでお土産に良いかもしれません。
「寒川ぐるり歴史さんぽ」は、時代を下って、明治・大正・昭和の時代へ。八角広場は、旧国鉄西寒川支線の西寒川駅があった場所。寒川駅から四之宮(しのみや)までを繋いだこの路線は、当初は私鉄の相模鉄道が開設し、関東大震災後の復興のため、相模川の砂利を運んでいた。その後、1944(昭和19)年、国が鉄道を買収し、国鉄西寒川支線となると、海軍工廠のあった寒川に向かう労働者を運ぶように。1984(昭和59)年3月の廃線の際には、多くの鉄道マニアが詰めかけた。
八角広場には、西寒川支線のレールが残されており、錆びて見えにくいが、「1909」の記号が残されている。これは、開業間もない八幡製鉄所(創業1901年)で1909(明治42)年に作られたレールであることを示すもの。このほかに、「2605」「2606」など当時使われていた「皇紀」で記された珍しいレールも残されている。
今は閑静な住宅街の中の公園ですが、かつてはガス工場があり、多くの労働者が行き交い、電車の通っていた当時は賑わっていたのだろうと思いました。レールに残っているという珍しい刻印探しは、見つからなかったけど、宝さがしみたいでわくわくしました。
大山道沿いに建てられた一之宮不動堂内には、江戸芝口の初音屋平吉が奉納した不動明王像がある。道標(天明6年、浅草黒船町 大黒屋伝四郎・久右衛門の奉納)は、江戸初期のもの。
不動堂からほど近い相模川の岸辺は、有名な「田村の渡し」のあった場所。
お堂の中は集会所になっていて、不動明王に見守られながら、地域の取り決めをするってなんだかすてきですよね!お堂の前には小さなお地蔵さんがいて、とっても愛らしい。ここを通る旅人にも長い間愛されてきたんだろうな…。
広々とした公園は、昭和初期に付近にあった相模海軍工廠にガスを供給したガス工場跡地が整備されたもの。この公園に接して、一之宮緑道として西寒川支線のレールが残されている。春には、見事な桜並木がレール沿いを彩る。
さあここで、先ほど買ったお弁当でのんびりランチをいただきましょう!
ここにも西寒川支線の線路があり、線路の上を歩いたりして楽しむことができました。この公園には緑が多く、鳥の声を聴きながらの休憩時間、お弁当タイムは最高でした。
町内の子どもたちが作成したタイルが緑道に埋め込まれています。一枚ずつ違うので、見ながら歩くとなかなか楽しい!
一の鳥居は、相模鉄道が1929(昭和4)年に寄贈したもの。二の鳥居は高さ16mで、コンクリート製としては県内一の高さを誇る。参道は約1キロの松並木となっており、近隣の農家の野菜の直売を楽しむこともできる。
参道の途中(端午橋脇)にある庚申塔(こうしんとう)は江戸時代のもの。
私には見慣れたはずの参道ですが改めて近くで見た鳥居の大きさに、こんなに大きかったのね…と感動!木漏れ日の中をゆっくり歩くことができ、心身ともにリラックスできます。
江戸時代、寒川神社には5つの寺があったが、明治の神仏分離令で唯一残されたのが西善院。本尊は阿弥陀如来だが、本堂にある鉄製の不動明王像は大山寺のものとよく似ていると言われている。
寒川神社の三の鳥居からすぐのお寺です。境内には、握手ができる弘法大師像(握手大師)や六地蔵があります。ここの本堂は、夏至の日に大山に沈む夕陽がまっすぐ差し込むように建てられているそうです。
寒川神社神池橋(太鼓橋)の西側にある宮山神社は、明治政府の神社合祀によって、古くから宮山地区に鎮座していた七社の小祠が明治から昭和にかけて合祀されている。そのため、小さなお社ながら、8柱もの有名な神様が祀られているパワースポット。
約1600年の歴史を有する寒川神社は、相模國の一之宮として崇敬を集め、『吾妻鏡』には頼朝も妻・政子の安産祈願や国家安泰祈願をしたとの記述がある。また古くより方位除、とりわけすべての災いを事前に除き福徳円満をもたらす八方除(はっぽうよけ)の総守護として、庶民からも幅広く信仰されてきた。
御本殿奥にある神嶽山神苑(かんたけやましんえん)や、拝殿傍にある渾天儀(こんてんぎ)など見どころが多く、ガイド(下記※参照)との拝観がお勧め。新年の迎春ねぶた、流鏑馬神事(やぶさめしんじ)、相模薪能(さがみたきぎのう)などの行事がある。
※ガイドツアーについては、寒川町観光協会にお問合せください。
※神嶽山神苑への入苑は、ご祈祷を受けた方に限られます。
春分・秋分の日に寒川神社から見て日の出方向、日の入りの方角を直線で結ぶと、富士山、元伊勢、出雲大社などの聖地がその線上に並ぶ。レイライン(御来光の道)と呼ばれるこの線上に寒川神社は位置することから、太陽の恵みを受ける地として注目され、春分・秋分の日には、この日限定の「御来光守(ごらいこうまもり)」を求め、多くの人が訪れる。
春分・秋分の日には、寒川からダイヤモンド富士を見ることもできる。
寒川神社は、神門も拝殿も青空に清々しく映えていました。境内は広々として、バリアフリー。神池の鯉も美しく、涼やかです。例祭の前日(9月19日)に行われる「流鏑馬」も見てみたい!絶品八福餅は、はずせないお土産です!
寒川神社への参拝記念には、定番の八福餅をどうぞ。全国唯一の八方除の守護神にちなみ、八角形に練り上げられた八福餅は、愛らしいかたちと昔ながらの味わいが特徴。
2018年にオープンした「パンプトラックさむかわ」では、BMX、スケートボード、ストライダー、インラインスケートなどが楽しめる。コースは全長35.7mのスピードリンクと、全長104.1mのグランプリの2種類。施設利用時には必ず指導者が在中しているので、子どもから大人まで、初めてでも安心して利用できる。
ヘルメットを装着して、いざ、体験。軽くて、小さなサドルにはびっくりしましたが、基本立ちこぎ自転車なんですって!平地でまずは脚慣らし。カーブは体重移動で行います。ぐるぐる回れるようになったら、コースへGO!!何度か転びましたが、緩衝チップが敷いてあるので、あまり痛くなかったです。約20分で、最終的には青い長いコースを一周できるようになりました!
フランスから取り寄せたレンガが使われた風情ある建物が美しいラ メール洋菓子店。オーナーの選んだ旬の果物を使った生菓子は、彩も美しく、目移りしてしまう。
「宮山ロール」「スティックキリ」「寒川慕情 焼きちょこ」「棒コロ スイーツ」など町の特産品となっている商品をはじめ、バラエティに富むスイーツが並ぶ。
オーナーのお薦めは、「寒川慕情 焼きちょこ」。しっとりと濃厚なチョコが、口の中いっぱいに広がる。カフェスペースもあるので、お散歩の最後にゆっくりとどうぞ。
素材からこだわり抜いたキラッキラのお菓子たち♪どのケーキを食べようか迷って迷って選べない!ついつい買いすぎちゃう!
寒川の見どころを知り尽くしたボランティアガイドによるガイドツアーに参加すれば、寒川の奥深い魅力の虜になること間違いありません。ガイドツアーについては、寒川町観光協会へぜひお問い合わせください。
企画調整部 商工観光課
電話 0463-22-9268
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