スペシャルインタビュー
学びのススメ
大きなキャリアチェンジをきっかけに「学び直し」を考える方も少なくありません。
第一線で活躍をされている著名人の方々に、
体験談を含めてご自身の「学び」について伺ったスペシャルインタビューです。
五大路子氏インタビュー
自分の中にある真実を探すことが
表現することにつながっていく
テレビや舞台で活躍されている五大路子さん。
劇団「横浜夢座」を自ら立ち上げ、「横浜から演劇を発信する」という高校時代からの夢を叶え、演じ続けていらっしゃる力の源などについて、お話を伺いました。
2025/09/09
失望の中から見つけた、「自分」という信じられるもの
俳優というお仕事を選ばれた経緯について教えていただけますか。
お話しするとものすごく長くなっちゃうんですけどね、16歳の時、急に学校に行けなくなっちゃったんです。信頼している先生から投げかけられた一言で、信じるものを見失ってしまって。そんな時期に神奈川県立青少年センターの演劇講座に参加したのですが、そこで人生の師となる素晴らしい先生方に出会ったんです。中でも東京藝術大学の野口三千三先生の言葉が、私の人生に大きな転機を与えてくれました。「まず自分を大切にしなさい。あなたの中に真実を見つけなさい。自分の体に問うことが、あなたが生きているということです」。生きる価値観を見失って絶望していた私が、生きていくために信じるべきものは、自分の体、そして自分の命。これだけは何があっても信じられるものなのだと気付かされた言葉でした。
当時は横浜での演劇は全て地方公演扱いで、発信地は主に東京でした。中学時代から学校の演劇部に所属していた私は、地元横浜が大好きで、なぜ横浜は地方公演しかやらないのかと不満に思っていたんです。そして、いつか俳優になって地元横浜から演劇を発信する!という夢を抱いて進学した桐朋学園で、演出家の竹内敏晴先生が主催する劇団に出会い、演劇の面白さにはまっていきます。ところが練習中に怪我をしてしまって…空中回転をしている団員さんたちを見ていたら、自分にもできるような気がして、急に走り出してみごと空中回転!…できるはずもなく、そのまま落っこちて頸椎を損傷しちゃって。私そんな性格なんです(笑)。救急車で運ばれた先の病院の先生に「編み物をして余生を過ごしなさい」と言われました。でも、短い人生でもいいから演劇をして生きたい!と、アングラの早稲田小劇場に飛び込みました。ものすごく厳しいお稽古だったのですが本当に楽しかったです。ただ、純朴が過ぎるところがあったようで、劇団の主催者の鈴木忠志先生に「お前は火の塊みたいなやつだから、どこかで1年修行してから帰ってこい」って、放り出されちゃったんです。1年だけの修行先と思って所属した新国劇で、NHK連続テレビ小説『いちばん星』の主役を引き継ぐかたちで朝ドラのヒロインに抜擢されたことで人生が変わっていきました。
その後、「横浜夢座」を立ち上げられました。
芸能界に身を置いてお仕事をしていく中で、ふと気付いたんです。『五大路子という人』は、私とは遠く離れたところを歩んでいる、と。キラキラ輝く芸能界で望まれるままの女性像を演じているけれど、私が演劇の道に進んだのは「私が私であるため」だったのに、今の私は、私ではなくなってしまっている。この差を縮めないと私がなくなってしまう、と。だから自分で劇団を作って横浜から発信していきたいという夢に立ち返ろうと、軌道修正していきました。そんなタイミングで「劇団を作りたい」という同じ夢を持った人(俳優の大和田伸也さん)と出会い結婚しました。その後、長男が4歳くらいのころです。突然膝が動かなくなってしまって、すべてのテレビ番組や舞台を降板することになりました。原因は不明。立つこともできない。もう女優はできない。どう生きていけばいいのかわからなくなった時、高校時代の恩師に「お前は薔薇や百合のような大輪の花ばかりを花だと思っていないか?」と問われました。「小さな花も己の命を咲かせて美しく生きている。お前もこれから自分の花を探しなさい、自分にしかできないことを探しなさい」と。その時再び、「生きることとは」「表現することとは」という自分探しが始まるんです。その後、奇跡的に膝は治癒するのですが、歩けることのありがたさ、演じることができる素晴らしさを実感しました。そして、16歳の頃からの夢だった「横浜から演劇を発信すること」に没頭していきました。
「横浜夢座」は、市民が作る、市民が発信する劇団です。横浜から演劇を発信したいという私の夢に賛同してくださる同志が集まって、ボランティアさんたちに支えられながら1999年に立ち上げました。私たちは地元横浜をその歴史から探りながら、演劇というボールを今を生きている人ひとりひとりに投げ続けているのです。正解があるわけではなく、肉体を通して投げかけているだけです。でも、返ってくるんです。観てくださったお客様から、言葉ではない何かが。それを私たちはしっかり感じています。
横浜の街を紐解くことで辿り着く、戦争という足跡
今年30周年を迎えたひとり芝居『横浜ローザ』について、教えていただけますか?
膝が治癒したその頃です。横浜開港記念みなと祭の仕事先で偶然、白塗りのメリーさんに出会いました。真っ白なおしろいを塗りたくったその老女を初めて見たその時、彼女からの強烈なメッセージが私の中に降りてきたんです。「あなた、私の生きてきた今までをどう思うの?答えてちょうだい」って。強く、明確なメッセージでした。いろいろ調べていくうちに、私が知っている楽しくて明るい賑やかな横浜の街に、昔、飛行場があって、米兵たちが闊歩し、街角に娼婦と呼ばれるメリーさんのような人たちが立っていた。この事実を知り、衝撃を受けて動けなくなりました。そしてこの人のことをもっと知りたいという猛烈な思いに駆られて、いろいろな人にお話を聞いてまわりました。そうして取材を続けていくうちに、彼女の人生だけではなく、この横浜に何があったのかを重ねて知り、私自身の中にあったものもどんどん変わっていきました。そしてメリーさんの人生を演じたい、表現者として発信していきたい、と思ったんです。
このお芝居は今年で30周年。長い間演じ続けています。「飽きないか?」とよく聞かれるのですが、全然飽きない。セリフは何一つ変わらないのですが、毎年新しいんです。実際、30周年の今年の舞台の千秋楽では、ずっと答えが出なかった新たな演技が確立できたことで、何かを一つ超えられた、新しい景色が見えたと実感しました。そうするとまた、来年このお芝居を演じることが楽しみになるんです。横浜ローザは、横浜という地に生まれ、育ち、この地から受けた色々なものを探している私が、私自身を探る旅なんだと感じています。
戦争をテーマにした舞台を多く手掛けていらっしゃいますね。
戦後の娼婦の物語『横浜ローザ』や、横浜大空襲をテーマにした『真昼の夕焼け』、フィリピンの日本人戦犯たちを扱った『奇跡の歌姫 渡辺はま子』など、戦争をテーマにした舞台が多いせいか、反戦女優ですか、と聞かれることがあります。私はいいえ、と答えるのですが、それは戦争に反対していないということではなく、あえてそういったレッテルを貼るのはちょっと違うと思っているからなんです。シュプレヒコールをあげるのではなく、私にできることを、舞台を通して心に語りかけていくという方法が、私のやり方なのかなと思っているのです。
私は中高校生の頃から、自分が出会って何かを感じて「知りたい」「おかしい」と思ったことの真意をずっと探ってきました。戦後生まれで戦争を体験しているわけではなく、戦争というものを意識してお芝居をしているわけでもないのですが、横浜で生きてきて、この目で、手のひらで、体で感じることを元に、知りたいと思ったことを辿っていくと、その先に戦争があるんです。
次の世代に戦争というものを伝えていきたいという使命感もあります。小・中高校生に朗読劇『真昼の夕焼け』鑑賞とワークショップを体験してもらう「夢育事業」と名付けた取組を2016年にスタートさせ、神奈川県内の多くの児童、生徒達にこの朗読劇を発信し続けています。今年の9月に県立相模原弥栄高校で生徒達に披露した公演は、この事業での観劇動員数1万人を達成する記念すべきものになりました。2022年11月には、県立神奈川総合高校の舞台芸術科で演劇や舞台の世界を目指す高校生達と一緒に、この『真昼の夕焼け』の舞台を作り上げていく取組もおこないました。彼らの瑞々しく素晴らしい感性からは学ぶところがたくさんあり、高校生というより一緒に舞台を作り上げる同志であると強く感じました。神奈川県をはじめ、プロジェクトにご協力、ご参加くださった皆様には本当に感謝しております。
自分に興味を持ち、自らの血肉となることに時間を費やすことが大切
五大さんにとって「学ぶこと」とは、どういうものでしょうか。
私は知りたいと思うとすぐ調べはじめちゃうんです。メリーさんのことだって、最初はお芝居にしようなんて思っていなかったのですが、知りたいと思って調べるうちに、表現するという出口を見つけた感じです。今を生きる私が、その出会いをどうキャッチして、どう今に活かしていくかを、自分の方法で考え、伝えていくことが表現なんだと思います。学ぶということは、本を読んで頭の中に収めていくことや、単に勉強することではないと思います。私は、出会ったものやこと、ひとを紐解こうと思って調べて、確かめるためにその場所へ行きます。そして、学びが立体的に私の中に溢れてくると発信したくなるんです。これがきっと、私の学びなのだと思います。
図書館が私の調べ物の拠点です。お芝居の資料も、図書館の本を山のようにコピーして集めています。余談ですが、高校生の頃の私にとって当時の神奈川県立図書館は、どんなことがあっても、何もかもをはねのけてくれる重厚な静けさがある場所でした。学校に行けなかった時期も、ここにいればその静けさが私を包んで守ってくれるという雰囲気が醸す安心感が大好きでした。女子校だったので男子生徒がいるだけで心がときめいちゃったり(笑)。青春の思い出の場所なんですよ。
生涯学習に興味のある方に、メッセージをお願いします。
自分に興味を持つことが、とても大切だと思います。10代でも80代でも、自分ってすごいんだ!と知ってほしいのです。自分の肉体は世界にたったひとつで、今この瞬間を生きている自分は、今しかいない。それってすごいことなんだから、もっと自分に拍手してあげてください。疑問や不安があっていいんです。「自分はなぜこんなに不安を持っているの?」「自分って何?」というところから発進して、自分が何に興味を持つのかということを丁寧に探していくことで、学びは尽きないんじゃないかと思います。
誰かが良いと言ったからという理由で対峙しても、興味がなければきっと素通りしてしまいます。それで知識の財産ができたように思うかもしれませんが、わかったつもりになってしまうのは、なんだか寂しい。人生って頭だけでわかるものではないんじゃないかな。自分が生きている中で、自分が知りたいこと、自分の血肉になることを知るために費やす方が良いですよ。だって、生きている時間は永遠ではないのですから!
プロフィール
五大路子(ごだい みちこ)氏
神奈川県横浜市出身。桐朋学園演劇科に学び、早稲田小劇場を経て新国劇へ。NHK朝の連続テレビ小説『いちばん星』でテレビドラマデビュー。1999年に横浜夢座を立ち上げる。1996年にひとり芝居『横浜ローザ』で横浜文化奨励賞受賞ほか、受賞多数。