Para Sports

特集 Para Sports vol.4

本気で向き合う 積み重ねが今になる

中澤 吉裕さん(東京2020パラリンピック競技大会
車いすテニス日本代表監督)

特集タイトル画像

本気で向き合う 積み重ねが今になる

相模原市を拠点にテニススクールを運営する「㈲エヌ・プランニング」の代表・中澤吉裕さんは、金を含む4個のメダルを獲得した「東京2020パラリンピック競技大会車いすテニス」の日本代表監督を務めました。本大会を振り返った感想や選手との向き合い方、共生社会についての考えについて話を聞きました。

中澤吉裕さんってどんな人?

茅ヶ崎市出身で、テニスを始めたのは中学生から。3年間で出場した市内大会ではほぼ負けなしと優れた才能と運動能力を遺憾なく発揮していましたが、「テニスはやり切った」とテニスからは離れた人生を送っていました。

「好きなことをやればいい」。高校卒業後、一般企業に就職した頃、小学校の同窓会で言われた恩師の言葉がきっかけとなり、再びテニスの世界に。コーチを募集していたテニススクールに足を運び、たまたま得られたプロ選手との出会いが、この後の人生を変えることになります。

腕には自信を持っていた中澤さんでしたが、プロ選手を前に為す術なく、試合はボロ負け。この悔しさがバネとなり、仕事を辞め、テニスで生きていくことを決意させた出来事となりました。

テニススクールの手伝いをしながら自分の練習を行い、アルバイトを掛け持ちするような生活を送っていましたが、20代前半には日本ランキング入りを果たすなど、その覚悟は結果へとつながってきました。

東京パラリンピック車いすテニスの日本代表を務めた中澤さん
東京2020パラリンピック車いすテニスの日本代表を務めた中澤さん

車いすテニスとの出会いは?

中澤さんが車いすテニスと出会ったのは、30歳のとき。現役生活を終え、コーチとしての道を歩み出していた際に、車いすテニスプレーヤー・玉澤紀洋選手からコーチへの依頼を受け、「自分にできることがあるなら」と引き受けたのが始まりです。

「僕が魅力的なコーチで無くなったらいつでもクビにしていい。その代わり、あなたが魅力的な選手で無くなったらコーチを辞める」。互いにルールを決め、玉澤選手とともに切磋琢磨しながら練習に取り組んだ末、「全日本選手権で優勝」という最高の結果を残すことにつながりました。こうした実績を重ねて、日本代表コーチ、そして監督へのオファーが掛かるようになりました。

東京2020パラリンピックへの思い

初めて日本代表監督としてパラリンピックに挑戦したのは、2016年のリオ大会。東京2020パラリンピックに向けて、代表スタッフ・コーチで5年前に掲げた目標は「笑って終われる大会にすること」でした。リオ大会の課題を受けて、強化したのは徹底したスタッフミーティング。メダル獲得に向け、細分化したタスク管理と実行を率先して実施しました。新型コロナウイルス感染症の影響を受け、1年長く準備期間が増えましたが、チーム間の連携が整い、計画もスムーズに進んだことから「振り返ってみると、この1年があって良かったものになった」と語ります。

今大会で獲得したメダルは、金を含む4個。自国開催ながらも過酷なスケジュールを調整し、これまで以上の成績を収める結果となりました。「結果だけみれば、良かった人も、自分の目標に届かなかった人もいます。しかし、大切なのは結果だけではありません。選手もスタッフも、支えて下さる多くの人のために『何ができたのか』を考え、今後に活かせればと思います」と振り返ります。

選手との向き合い方について

指導方法の基本は選手の主体性を尊重すること。これを達成するためのアクションとして、「①待つこと ➁見ること ③聞くこと ④聞き出すこと」を重視し、この順番を大切にしています。プレーするのは選手自身であり、プロ・アマチュア、障害の有無に差はありません。言葉使いなど相手により良く伝えるコーチングの質は変わるけれども、この指導コンセプトを芯として取り組んでいます。「進む道を決めることは、他人に評価されるものではありません。私も経験したことがあるように、『覚悟を決める』ということは、不安がついてもまわるものでもあります。それを乗り越えて、覚悟を決めて前を向いているように、サポート陣も同じ覚悟を決めるのは当然であって、関わる人とは常に本気で向き合うように心掛けています。一番のこだわりは「自分自身のスキルアップを怠らないこと」。

車いすテニスを通じて、障がい者への理解を広めています
車いすテニスを通じて、障がい者への理解を広めています

個性は人それぞれ。障がい者がいるのも当たり前の世界に

中澤さんが目指しているのは「共生社会の実現」。選手育成だけでなく、サークル指導や講演会などにも出席し、普及活動にも余念がありません。その活動実績からさまざまな賞を受賞しています。「障がい者と向き合うには〝共に過ごす〟ことが一番。高校の部活に、車いすテニスのトップアスリートを連れていき、試合をさせると、高校生たちはその凄さに圧倒されます。そして、『障がい者』という括りは無くなり、プレーの上達の仕方など、より関心を深めていきますね。ぼくは出来る範囲の中で、そうした場を増やしていきたいと思います」と、これまで得てきた知識や経験を活かし、後進の指導にあたるほか、障がい者が主役となるイベントも計画中。中澤さんの覚悟を決めた挑戦はまだまだ続きそうです。

^