当事者目線の障がい福祉推進シンポジウム〜ともに生きる社会を目指して〜 【第三部 パネルディスカッション】  それぞれが描く「当事者目線の障がい福祉」のみらい (司会)  ただいまから、第三部、パネルディスカッションを行います。ご登壇いただくパネリストは、中井やまゆり園支援改善アドバイザー、社会福祉法人コロロ学舎、羽生裕子(はにゅうひろこ)様。神奈川県手をつなぐ育成会理事、野口富美子(のぐちふみこ)様。にじいろでGO!会長の奈良ア真弓(ならざきまゆみ)様。國學院大學教授、中井やまゆり園外部調査委員会委員長、佐藤彰一(さとうしょういち)様。そしてここからの進行は黒岩知事にお願いいたします。   (黒岩知事)  はい。よろしくお願いいたします。  なかなか、中身の濃い、良い会だなって自分で主催しながら思っていたのですけども、いかがでしょうかね。第一部で、当事者目線の障害福祉推進条例、なぜでき上がってきて、どんな思いを込めているのかといったことをお話させていただきながら、第二部ではそれをまさに実践し得る、まさにその試金石となるような中井やまゆり園の今の現状といったものを皆さんと共有させていただきました。その中でこれから、当事者目線の障がい福祉の未来に向けた、お考え思いなどについてですね、お話をしていきたいというふうに思っているところであります。  最初に第二部におきまして、中井やまゆり園支援改善アドバイザーとしてご登場いただきました羽生さんから、今度は支援者のお立場として、これからの未来について、思いをお話いただきたいと思います。よろしくお願いします。   (羽生氏)  はい。二部から引き続き参加させていただきます羽生です。ここでは、私の所属する社会福祉法人コロロ学舎で運営しております「ころろ子ども探検隊」という、遠足幼稚園ですね、その活動をご紹介したいと思います。  「ころろ子ども探検隊」というのは、園舎のない遠足幼稚園です。園舎がないので、毎日駅や林の中などいろんな場所に集合して、毎日遠足をしているという、そんな幼稚園で、1983年から、東京都国分寺市周辺にて活動しておりまして、もうすぐ40年になります。非常に小規模な幼稚園で、毎年30名から40名、下は2歳から6歳までの未就学児のお子さんが在籍していて、クラス分けなんかはなくて全員一緒に活動をしています。園舎がないので、もう大地が活動フィールドということで、もう全て、全世界の大地が活動フィールドだっていうふうに言っているんですけれども、とにかく歩かないと、どこにもいけません。なので、毎日歩いています。2歳代の子もいるんですけれども、お兄さんお姉さんが上手に手を引いてくれるので、不思議と一緒に歩けるようになっていきます。体がどんどんこうできていくんですね。  もともとは私のそのコロロ学舎というところは、自閉症や知的障がいの方の発達支援というのが本業だったんですけれども、障がいのない子にも同じように、生きる力をつける幼児教育というのが必要なのではないかという考えから、この独自の保育を始めたということです。  週に1回は電車の日というのがありまして、電車に乗っていろんなところに行くんですが、割と小さいうちから山に上ります。東京だと、高尾山なんかは登りやすい山なので、公共の交通機関を使って行くと、自然とみんな、そういう中でのマナーというのを覚えていきます。雨の日は、カッパを着て、探検に出かけて、雨の日には雨の日の楽しさがあって、こういう活動を通して、毎日が発見の連続というような活動です。  右側の写真、上の写真ちょっとぼやけていますけれども、公園で先生が絵本を読んでいるんですが、絵本を読むとか制作をするとかっていう普通は教室の中でやるような活動も、外でやっています。暑い夏や実りの秋、寒い冬など四季折々の自然というのは、もう人間の力の及ばないものです。その中で、五感が鍛えられ、生き抜くたくましさが育っていきます。  この「ころろ子ども探検隊」は三つの理念というのがありまして、こういう探検を通して、心の冒険、体の冒険、心と体を育てていくということと、よく見る、よく聞く、よく考える力をつける、そして、この共に生きるというのが、三つの理念です。今日この共生社会っていうのがテーマであると思うんですが、探検隊もこの共に生きるということを大事にしてきました。  2歳から6歳までが縦割りで、もうみんな一緒に活動する、そしてその中に障がいのあるお子さんもいます。年下の子も年上の子も、障がいがある子もない子も、みんなが一緒に活動することによって、お互いに尊重し合い、共に育ち合う、そんなことを目指しています。  これは、いわゆる障がいがあると言われるお子さん達と探検隊の子たち、一緒に活動してる様子なんですが、探検隊の中にももちろんその障がいのある子が在籍していますし、それとは別に杉並区の方に、発達障がいを持つお子さんの療育クラス、みかん組さんというのがありまして、そこに探検隊の子たちが行って、一緒に活動をする。というようなことを、もう週に1回とかっていう形でやっています。そうすると、みかん組さんの友達にとっては探検隊が来ると、とっても良いモデルになってくれて、いつもできなかった模倣ができたり、いつも先生としか手がつなげない子がお友達同年代の友達と手をつないで歩けるようになったりという変化が見られます。  そして探検隊の子にとっても、やっぱりちょっとこう、いつもとは違うちょっと上手に手がつなげなくて座り込まれちゃったりとかということもあるんですが、そうやって関わっていくうちに、何かもう先生より上手にサポートするというか、やっぱり子ども同士って違うんですよね。お互いに助け合いながら成長し合っていくという姿が見られます。  また、私どもは知的障がい者、大人の施設を持っていて、これはそこの体育館とグラウンドなんですけれども、探検隊は園舎がありませんので、そこのグラウンドを借りて、運動会をして、これはそこの利用者さんと探検隊の子どもと探検隊の保護者がみんなで、ダイナミックリズムというのをやっている場面なんですけれども、こんな活動をしています。  また、知的障がい施設にお泊まりに行って、そこでその利用者さんが、何か輪投げとかカキ氷とかしてくれているんですが、ちなみに法被を着ている利用者さんは探検隊の卒業生ですね。そんな交流があります。  また、地域の人たちとも触れ合っていて、これは、国立にあるキウイ農園にみんなで行っているんですが、キウイを狩らせてもらったりイチゴ狩りをしたり、とにかくみんなで育ててもらっているっていうことですね。自然で育ててもらって、地域の人にも育ててもらって、そして地域の高齢者施設との交流というのも定期的に行っています。最初はちょっとこう入っただけで腰が引けちゃったりする子もいるんですけど、一緒に歌を歌ったり手遊びをしたり、ということをしていく。実はコロナ禍でこれがちょっとできなくなっているんですが、それで2年ぐらい経ったら、こないだスタッフが気づいたんですけど、子どもたちがわらべ歌ができなくなっているんですね。「せっせっせーのよいよいよい」とかそういう遊びができなくなっているというのに気づいて、やっぱりこういう触れ合いがなくなることによって失われていく文化というのがあるんだなというのを、再認識して、早く再開したいなと思っています。  こういうことを通して、もうとにかくみんなが当たり前に一緒に育ち合って、分かち合っていく。人の痛みとか、困っている人に気がついて、そして自然と必要なところに手を差し伸べられる人間に育てていこうと、そういうような考え方をしています。  このような活動をしてきた探検隊の年長さんの夏最後の集大成の行事が、この卒業登山です。八ヶ岳権現岳に登ります。いきなり3,000メートル級の山に登るのではなく、これはこれまでの活動の延長線上にあるものです。こういった活動を通して、子どもたち本当に仲間になっていく。そして一回り大きく成長していきます。  この山に登った後、次の日に、みんな絵を描くんですね。そうすると非常にダイナミックないい絵を描きます。これがその絵なんですけれども、これ皆同じ山に登っているんですけど、一人ひとり全然違うんですね。右側の岩がゴロゴロしたのを描いている子がいます。隣にいっぱいこう人の後ろ姿があるんですけど、この子は一番後ろを歩いていたんですね。こっち側の子はやっぱりこう急斜面をバーッと登ったっていうのがすごく印象に残っていたんだと思います。また、遠くにお山の富士山が浮いている子もいますけれども、富士山が見えたっていうのがすごい印象的だった子や、下の子は、山小屋にブランコがあるんですけれども、それに乗った思い出なんかを描いていて、こうやって同じ山に登っていても、描く絵は三者三様みんな違う。これが多様性ということなんじゃないかなと思っているんですね。  いろんな子、いろんな人がいて、その特性に合わせて分断して分けていくのではなくて、違いを認め合いながら、一緒に生きていく。それが共に生きるということであり、皆が当事者であるということにつながっていくのではないかと思っています。障がいの有無にかかわらず、共に育ち合い、共に生きる社会を目指して、これからも活動を続けていきたいと思います。私からは以上です。 (黒岩知事)  どうもありがとうございました。やっぱり、子どもたちの間から、こういろんな人が触れ合ってくるというのは非常に大事なことですよね。自分目線で考えるのではなくて、その相手の目線で考える、自然に身につくことは非常に大事なことですよね。非常に有意義な取組、ありがとうございました。  それでは次に、障がい者のお子様を持つ親のお立場から、野口さんお願いいたします。 (野口氏)  こんにちは、野口と申します。「人間としてみな同じ、普通に生きる権利を持っている。なぜインクルーシブ教育が必要か。知的障がいを持つ親、息子との歩みを通して」、こういうタイトルで、今までの息子と歩んできた道をお話しながら、ご説明をしたいと思います。  次お願いします。  私の自己紹介をいたしますと、今現在、仕事をしております。それが本職としては、設計事務所の所長をしています。それから、主に知的障がい者の親の会、あるいは支援者も入っています。また、当人の方も会員でいらっしゃいますが、そこの神奈川県手をつなぐ育成会の理事。理事というのは地域の代表が理事になっていまして、私は大磯町の地域の代表として理事を務めております。それから社会福祉法人おおいそ福祉会という小さな事業所の理事長をしています。それから、子どもが3人おりまして、上に姉が2人、下の末っ子が知的障がいと自閉症を持つ息子です。息子が39歳です。姉が45歳と47歳です。  次行きます。今までの経過をちょっとご説明いたします。姉2人が保育園で1歳から、障がいのあるお友達と仲良しに、と言いますのは、今でも、この設計事務所は横浜でやっているんですが、その頃は横浜に住んでいて、上の2人を保育園に預けて仕事をしていました。それで、上の子が1歳から、下の子は3歳から、そのあと2年後にまた1歳からなんですが、2人同じ保育園に通っていたんですが、そこに障がいのある、いろいろ知的であったり、身体障がいであったりするお友達が3、4人いらっしゃいました。それでそのうちの子どもたちをお友達と本当に仲良しになって、おうちに遊びに行ったりもしていたんですね。何か言葉もない時から一緒に生活していて、本当に見ていても、本当にうれしくなるようなそんな関係になっていました。  その後、上の子が小学校に入るときに、夫の実家があります大磯に帰るということになりまして、大磯に引っ越しました。それでその後、引っ越して2年後かな。弟が生まれました。それが自閉症の持っている息子です。その子が、最初は普通の男の子だと思って育てていたんですが、3歳児健診の時に、まず言葉を全然しゃべらなかったのと、またやっぱり多動なことがあったりして、ちょっと保健所の方にお話しましたら、保健所でやっている、今でいう療育だと思いますけれども、言葉の教室みたいのがありますから通いますかって言われたんですが、その時にやっぱり姉たちの経験がありますので、地域にある公立の2年保育の幼稚園があったんですけれども、そのまますぐ近くに、3年保育の幼稚園がありましたので、そういうふうに通うよりは、お友達との生活の中で、言葉もそういうのも進んでいくのかなと思って、入園させました。  それで公立の2年保育に行かないといったときに、いろいろ義理の母とかにすごく反対されたんですけど、それはこちらに入れますということで、そんな感じで。それで話が戻りますけれど、大磯に越してからですね。私は仕事を今でもやっているので嫌いではないのですが、仕事を辞めざるを得なくなったと。それはとってもすごく自分としては苦しい経験として今でも残っております。  それから、幼稚園の中で3年間、本当にいろいろやっぱり園長先生とか、職員の方から、この子、こういうことがあったよとか、いろいろなことはあったんですけれども、やっぱり姉の時と同じようにみんな、本当に仲良く皆と過ごすことができて、本当それはとてもよかったと思っております。  それから小学校に入るときに、それでもやっぱり何かおかしいなと思って、何かこの子は何かやっぱりちょっと違うのかなと思って、初めて、その頃渋谷に「国立こどもの城」というところに、児童精神障がいの診療所がありまして、そこまで行って診断をしていただいたんですね。その時に、お宅の息子さんは中度の知的障がいと自閉症がありますよと。それで今後ですね、中度なので、もちろん地元の学校に行かせるつもりだからその話をして、それはもう是非それがいいと思うけれど、でも、多分だんだん勉強についていけなくなるだろうと言われました。それで重度の人と比べて、支援というか教育のシステム的に、まだ方法が確立してないから、今後いろいろ困難があると思いますと。だけれども、本人のやりたいことを、是非何でもやらしてあげてくださいと。    (黒岩知事)  ちょっと端的にお話いただけますか。時間をオーバーしていますので。    (野口氏)  終わらなくなりますね。そういうことがありました。それで地元の小学校に入ったんですね、大磯の小学校ですけれども。地元の小学校は、1年から3年までは普通級で、4年からは支援級に通級ということをしました。中学もそうです。大磯町は、それは普通にやっています。いわゆるインクルーシブ教育だと思います。それで今でも継続してやっています。それが彼にとってとっても良かったと私は思っています。それで、地元でもお友達が今でもいますので、それが彼の本当の財産になっていると思います。  次いきます。それで今の経験をお話しさせていただきまして、インクルーシブ教育が、  あ、ごめんなさい。ちょっと飛ばしました。その前に、その次のページが地域の話ですね。  (黒岩知事)  ちょっとそろそろ、締めていただけますか。  (野口氏)  そうですね。過ぎてしまいましたね。あとでこれ、読んでいただくとありがたいですけれども、地域活動もしながら、地域の中で暮らしていきました。  それで、その後、育成会の活動にも参加してきました。それで育成会の活動に参加する時に、いろいろな経過はあったんですけど、私自身は、障がい者である息子の人権活動なんだと、自分は本当にこの育成会の方とどういう立場で参加するのかという自分で自問しまして、これは人権活動なんだと思って参加していたんですね。  それでお仲間もできて、いろんな勉強なり、いろんな活動に参加していたんですが、6年前に、津久井やまゆり園事件が起きたんですね。その時に、先ほど知事のお話もありましたけど、当事者の方が非常に怒りの集会をやられました。そのとき私も参加させていただいたんですけれども、本当に、当事者の方の他人事ではないと、本当に自分たちがどうなっちゃうんだろうっていう、本当にそういう切実な発言を聞いて、私も初めてそこまで私も思っていなかったので、本当にすごく残っています。記憶に残っています。  それで、自分が、息子が辿ってきた、自分であんまり意識していなかった、一緒に地域の中で本当にいろんな方と一緒に勉強もしてきたということ、その前にその育成会の先輩がそのことを言ってくださって、自分は意識してなかったけど、これが重要なんだと本当に思いました。それは今でも思っています。  時間がないのでちょっと少し飛ばしまして、それでインクルーシブ教育が必要だということで、育成会の仲間とインクルーシブ教育を進めるべきだということで、いろんなところで発言したり、県にも要望したり、今しております。もうちょっと時間がないので、以上です。   (黒岩知事)  はいどうもありがとうございました。  県も、このインクルーシブ教育といいまして、進めようとしておりますけど、その重要性について訴えていただきましてありがとうございました。  それでは次に、障がい者の立場から、奈良ア(ならざき)さんお願いいたします。   (奈良ア氏)  奈良アです。すいません、頑張って10分で終わらせます。頑張って早回しします。  私は知的障がいの本人です。私は、まず軽く、パワポとちょっとレジメが違うんですが、どんどん飛ばしちゃいます。私の名前は奈良ア真弓(ならざきまゆみ)です。44歳です。今現在はお父さんとお母さんと、お兄ちゃんとお母さんと暮らしています。住まいは横浜です。私自体がまず自分の障がいについて、軽く。次どうぞ。  私は昭和53年。そこ次は飛ばしてください。それで私、赤ちゃんです。(スライド 奈良アさんの乳児時代の写真)私は一番大きく育って、4,200グラムで生まれました。それで私は、2番目の兄も障がい者なので、うちの母が、私がいるお腹を何か月間ぐらいパンパンに入れた存在で生まれました。それで私は3人兄弟の一番下で、女の子でした。  それで、私が障がいが分かった時点で、次お願いします。私はどうして障がい、今現在の私の型を紹介します。私は今、母とお兄ちゃんと住んでいます。お母さんは父が亡くなって、もう3回忌。知事と出会ったときも3年目で、ちょうど父が亡くなったときに、母が寝たきりになって2年目になりました。  それで私は、母とポイントをつけています。母のお世話をするときに、「お金ちょうだい」。私はヘルパーをするのでお金くれって契約をしています。だからおむつ交換やるときも1枚いくら。身体拭くのも1回いくら。それで、お兄ちゃんにもそれと同じことをやっています。  次お願いします。うちの兄は35歳で、精神障がいっていう鬱病になっちゃったので、今は家のことを全部、専業主婦をやってくれて、私とお兄ちゃんの兄妹喧嘩をするときもあります。まだ相変わらず兄妹なので。それで私の兄と私は七つ違うので、今彼は52になったのかな。それで、兄妹で気が合うこと、ポイント1、テレビや昔の漫画やYouTubeを見ることはよく一緒に見ているなっていうのが、仲いいなと。  次お願いします。はい。うちの家族のルールがあって、特別な変なルールがあります。お互い家族でもちゃんと感謝をする言葉を出そうっていうのをしています。それは障がいがあった兄のときにも、うちのお兄ちゃんはしゃべれないが、お辞儀をする練習を父が教えてくれたので、一応全員で挨拶をする練習をさせてもらいました。それで、一応、私が多少収入があるので、うちでは、「お金持ちまみちゃん」とあだ名がつくほど、何かやるとお金をもらって、お金を払うっていう契約をしています。  次お願いします。私は自分の障がいが分かったのが小学校5年生です。多分そのときは、私が障がいっていうのが家族は分かんなかったので、一番兄と、一番ショックだったのが父と母でした。でもある日、うちの2番目のお兄ちゃんの障がいのことが分かってくれたので、知っている方がいろんな相談をして、私の検査をして、それで私が生まれたんだろうなと思いました。私は知的障がいです。  次お願いします。私が小学校6年生で出会ったときに、自分は今まで5年生まで普通学級で、今も6年間普通学級だ、でもいじめにもあった。担任の先生にも冷たくされたことがいっぱいあった。  次お願いします。それで私がある日、近所のおばあちゃんから髪の毛を切ってもらったとき、「あなたは髪の毛が、まみちゃん。どうして髪の毛がどんどん落ちていくの」って言われて、全部ストレスで髪の毛が抜けちゃいました。小学校5年生のときの髪の毛が抜けた前の写真です。  はい。次お願いします。私これ本当は見せたくないんですが、私の高校の写真です。私が高等養護学校に行って、中学校の時は自分が障がいって分かって、自分から選んだ選択、自分は障がい者だから障がい者の村に行くって、父親に言って、障がい者の支援級に行きました。それで高校は養護学校もまた自分で選んで、私は横浜市高等養護学校っていう養護学校に行きました。  次お願いします。自分が障がいっていうのが分かった時点で、いろんな理由があります。障がい者っていうのはうるさい、電車に乗って騒がしいって、周りの人から言われたことをよく覚えています。ただそのときは、私は障がいで、馬鹿にされたんだなあと思って、仕方ないな、自分で選んだ選択だ、これは道が外れたんじゃないかと悩みました。  次お願いします。私は障がいのない人と一緒にどうやって活動しようかと思ったとき、まず私は、障がい者っていうより、障がいのことを知ってもらう。私の障がいより私のできる仕事を見てもらおうと思って、いろんなところでボランティアをしました。それで私を知ってもらって、私はいろんな国に行って、いろんな格好をして、いろんな人と出会うことが好きです。  次お願いします。はい。私からポイント3つ。相手とお互いのすることを認めるあうことを大切にする、自分のことを大切にすることが、皆さん、先ほど第一部の人もそうなんですが、猿渡さんか小西さんかな。自分の障がいをよく知ってもらおうって言うんですが、まず自分の障がいも大事だが、お互い好きなことを紹介するのも大事なのかなと思います。それで私はよく仲間と喧嘩もできるし、障がいがない人でも喧嘩してもいいと思います。  次お願いします。私から見て、ハッピーになるって、自分がハッピーじゃないと相手も幸せになれないなと思っています。障がいだからという理由でハッピーになることは、皆さんが「自分が幸せですかって、自分で声かけてください」って私はよく言います。そのときにハッピーって簡単そうで簡単じゃありません。さっき知事がハッピー、ハッピーって言うけど、ハッピーって犬にハッピーもいるが、でもそれでも、たまにハッピーって、ただの、まず「自分を大好きですか。」「相手は好きですか。」っていうふうに私はまず聞きます。その後、自分の障がいのことをちゃんと話ができますか。でも私はあなた明日、知事がコロナになったみたいなので、コロナで障がい者になっちゃうかもしれませんよ。そのとき自分がハッピーで相手に説明できますか、というふうに自分に声かけをするといいのかなと思っています。そのぐらい皆さんはどうですか。自分のことを好きですか。あと3分。はい。飛ばします。  次行きます。私から見て、まとめ。まとめお願いしますね。私はいろんな本人活動を作るのが好きで、いろんな人と出会う場所を作ろうと思っています。是非、知事も私と来年はいろんな会を作るのを手伝ってもらいます。私の「黒岩知事の認知症予防会」に、皆さん入ってくださいね。神奈川県職員も、はい。佐藤さんは第一番に入ってもらいましょうね。そのぐらい仲間を作ろう。人は一人じゃないです。みんなとつながる場所を作る場所です。一番自分が大好きな人と作ることが幸せだと思います。  次お願いします。私は障がいがあってもなくても、いろんな人と出会うことが大事です。でも出会うって難しいです。トイレで「こんにちは」って、先ほど冨田さんがいいこと言ってくれたので、挨拶ができるかという。挨拶を無視する仲間も増えています。それでいいと思います。私は毎回、千葉とかいろんな全国のお母さんと友達になると、私は嫌いになってもいいけど、他の仲間を好きになってあげてねっていうふうに言っています。  次お願いします。私は、障がい者があっても差別はする。先ほど私はショックでした。皆さん覚えています。最初、第一部の方は椅子でした。椅子だけど、この飲み物がないです。私たちはある。自慢していいんでしょうかっていうぐらい。はい。以上です。終わります。 (黒岩知事)  ありがとうございました。もう奈良アさんのこの名調子ね。これ検討会でも一緒に入っていただいてね、この調子でガンガン、ガンガン言っていただいてですね、非常に議論の流れに大きな、大きな影響を与えていただきましてありがとうございました。  それでは佐藤さんお願いいたします。もう先ほど、他のお話はいただきましたけども、こういった大きな流れを作ってく中で、この佐藤さんの存在というのは非常に大きかったわけですね。専門的なお立場から、これ我々は直視していこうという流れをしっかりとサポートしていただいて、これからどうなってくるかということもしっかりと見ていただくわけでありますけども、その反面、障がい者の親のお立場ということでもありますので、今回はその親の立場からちょっと話をしていただきたいと思います。 (佐藤氏)  はい、佐藤です。奈良アさんの後はしゃべりにくいんですよ。もう、パンチが効きすぎてですね、何をしゃべったらいいのかよく分かりませんけれども。支援者の立場から羽生さんのお話があり、親御さんの立場から野口さんのお話があり、そしてまさに当事者本人、奈良アさんが本当に障がい者なのかねという気はするけども、当事者の立場から、奈良アさんのお話がありということだったんですが、それぞれの立場から、神奈川県の状況というものを語っていただいたというふうに思っております。  神奈川県に今回の条例ができた。知らなかった。もちろん知っていますけども、今までなかったということは不思議ですね。もっと早くからできていたはずなんだろうというふうに思いましたけれども、なかったんですね。  日本で一番、この障がい者関係の条例が一番早くできたのは千葉県です。私は千葉県に住んでおりまして、神奈川県の人間ではないんですが、この千葉県の条例の策定に少し関わらせていただきました。2007年のことですね。  そのときの経験で言いますと、条例って作る時にものすごく盛り上がるんですね。千葉県の場合も、各障がい者、障がい当事者の方が皆さん参加されて、かつ差別をしてるぞと言われる事業所の方も参加されて、条例を作りましたということなんですね。もう激論を交わしました。毎週のようにですね。その中で経験したことは、盛り上がるっていうと同時に、障がい当事者自身が、他の障がい者のことを知らないんですよね。激論を交わしているんですけども、議論を交わすと、この人たちこうなんだっていうことがよく分かるということがありまして。  エピソードを一つだけしゃべりますと、私の時間が何分か分かりませんが、その会合の中で、聴覚障がいの方々の集会に招かれたことがあるんですね。条例の中身をしゃべれと、こういう話なんですが、会場全員聴覚障がいの人です。手話通訳の方がいらっしゃるんですよ。私、手話通訳の人の傍を動けないんです。みんな手話ができるんだけど、私だけできないので、手話通訳の人は私のためにいるみたいな話なんです。その時初めて、手話通訳の人って、聴覚障がいの人のためだけではないんだということを、人生で初めて気が付いたというようなことがありまして、障がい者の方々が持ってらっしゃるいろんなご苦労、あるいは立場というものを障がい者同士が分かったということがあります。  今回の神奈川県の条例は、実はそういう議論を経ていません、と私は見ています。トップダウンっていうかな、行政が主導で、いろんな障がい当事者団体の方の意見を聞いていらっしゃると思いますけども、それは障がい者団体同士が意見を言い合ったのではなくて、行政が聞いたという、そういう形で作られていますので、そういう意味では、若干盛り上がりが欠けた形でできたのかなっていう。知事を横に置いて、こんなこと言っていいのかよく分かりませんけども、そのところがあるかなと。  しかし、行政主導で行政が責任持って、これから神奈川を作っていくぞっていう力強い宣言をしたわけなので、これはこれから、いろんなところでいろんな人たちが活躍をしていくだろうというふうに思っております。特に、行政が責任を取って紛争処理するぞというふうに明記しているんですね。これおそらく、所轄の課長さんあたりは大変なことにこれからなっていくと思いますけれども、それを覚悟の上でということで作ってらっしゃるということですね。これ非常にいいことだなあというふうに思います。  できれば、親の立場からしゃべるということですけど、あんまり親の立場で、大した親じゃないので、しゃべることはないんですけども、我々はみんな、障がい者になって死んでいくっていうふうにいつも思っています。横にいる知事さんもそうだと思います。高齢化して耳が聞こえなくなり、目が見えなくなり、歯が抜けて、だんだん歩くのもおぼつかなくなるっていうふうな状態で、我々が死んでいくわけで、みんな障がい者になると、こういうふうに思っています。  そういう中で、みんなが障がい者なんだっていうことを認識できている人が一体どれだけいるのか、ということですよね。この条例ができることによって、そういう考え方、これが神奈川県のみならず、日本全国に広がっていくということが重要なのかなというふうに思います。  と同時に、親の立場で何かしゃべるというから最後に言いますけども、障がいがあるなしにかかわらず、人は失敗するんですよね。先ほど能力がみんなあるんだよとこういうふうに言いましたけども、もちろん能力があって、やれることはいっぱいあるんですけれども、それを引き出すっていうことが必要ですけども、同時に街中で生活するときに失敗をすると。その失敗を経験して、初めて人は成長するというところがあるんですね。その失敗、障がい者っていっぱい失敗します。昨日も子どもと一緒にドライブしていていろいろと失敗してくれるわけです。失敗すると経験が増えるんですね。経験が増えて、かつてはレジに並べなかった障がい者がレジに並んで買い物ができる。ジュースを選べなかった人がジュースをいくつか選べると。選べるって、間違ってなんか飲むわけですよ。で、間違って飲むから、こんなのがあるんだということを初めて知るみたいな話で、失敗を許容する、そしてその人の能力を助けていくと。それが親の立場であり、支援者の立場であり、かつ当事者自身もそう思っているというふうに理解していただけるといいのかなと思っています。  そういう意味で、この条例をどんどん、どんどん行政が後押しする形で、神奈川県全体の市民の皆さんに広めていただけるといいなと思っています。千葉県では、条例の認識率は、県民の約2割だと言われています。これは残念なことなんですが、神奈川県ではそうならないように、どんどん広めていっていただければいいのかなというふうに思っております。とういうことで私の話は終わります。 (黒岩知事)  ありがとうございました。  冒頭申し上げたようにこの条例の原点はですね、津久井やまゆり園事件だったわけですね。ですから我々どうしても、その知的障がいというところからスタートしてきた議論ですね。それを当事者目線という言葉に集約してきた中で、言ってみれば、知的障がいにかなり偏った部分は、これはやや否定できないですね。ですから議会との議論も踏まえながら、いろんな障がいの皆さんいらっしゃるんだと。そういったことで、それから、私自身も障がい当事者の皆さんとの意見交換といったものも、知的障がいの皆さんだけじゃなくて、聴覚障がい、視覚障がい、身体的な障がい、様々な皆さんと交流をしていったといったことでありますけれども、これも全てまだ始まったばかりでありますので、この条例をしっかりとした実効性あるものをしていくためには、いろんな障がいの皆さんがお互いに、自分の障がいはこうだけれども、違う障がいを持った人はこういう状況なんだなという。お互いの理解促進といった非常に重要な要素だと思いますので、今の佐藤先生の話をしっかり受けとめて、前へ進めていきたいというふうに思っています。ありがとうございました。  残された時間がわずかになりましたけど、少し皆さんとクロストークをしたいと思います。この中井やまゆり園の出来事の話、皆さん、かなり衝撃を持って聞かれたんじゃないでしょうかね。さりげなくそこに書いてあった、その実態ですね。肛門にナットが入っていたっていう、これ信じられないことでありますね。何でそんなこと起きたのか。そういった中で、いろんな衝撃的な事実が明らかになりましたけれども、その時に我々が取った姿勢はどういうことだったかと。何でこんなことをやっていたんだと言って、その中井やまゆり園を責め上げるのではなくてですね。「どんどん出せ」と言って、「もうこの際、一気に膿を出そうじゃないか」と。「もう1個1個のことは問わないから、全部出せ」という話をしました。そしたら、出るわ出るわ。こんなに出てくるかと思うぐらい、よく出てきました。    それに向かって、じゃあ、それをどうすればいいかといった中で、今入って、これ本当に我々、まさに「神奈川県の当事者目線障害福祉推進条例」といったものの真価が問われることだというふうに思っています。  ここでもし本当に変わったっていうことが、皆さんの前で堂々と言える状況になったらば、日本の障がい福祉はがらっと変わると思いますね。先ほど膿を出しきれといったもの。これはまだ調査しているわけじゃないので、はっきりと言いませんけども、今日の議論の中でも様々出てきましたけども、おそらくこれ、中井やまゆり園だけのことじゃないんじゃないのかな。いろんなところで、こういったことが行われているというのが、日本の障がい福祉の本当は現状なんじゃないかな。それが見えないから、見えないから分からない。見えないというのと、そういう事実がないというのは違いますから。だからこの際はどんと膿を出し切っていこうと。そういったことをやっているところでありますけど、その中で、それはまさに当事者としてですね。羽生さんに入っていただいて、まさに変わりつつあるという、非常に我々もこの励まされるような素晴らしいプロセス。それを支援していただいた羽生さん、心から感謝申し上げますけれども、先ほどちょっと話題になっていました野口さんも、親御さんの立場からということがありましたけども、この今変わりつつあるこの現状というのは、その中井やまゆり園の利用者の皆さんの親御さんは、どんなリアクションしていらっしゃるでしょうかね。 (羽生氏)  まず、家族会というのが定期的に開かれておりますので、そこで園の方からも、現状こういう形だということを映像などをお見せしながら、お伝えしているところです。やっぱり親御さんからもその変化を実感するお声も聞かれておりまして、「何か表情がキリっとしたね」というような声があったりとか。あと、コロナ禍で外出できないというようなことも一時期はあって、それだけの理由ではなかったと思うんですが、今、積極的にその先ほどのAさんも親御さんと一緒に、ドライブ外出みたいなことを定期的にされていたりして、そういう交流も増えてきています。  モニターで監視されていたお部屋の方もこの間、1時間ぐらい親御さんがお部屋に入って一緒に談笑していたというような、目に見えた変化が出てきているので、課題はたくさんあるんですけれども、そういった変化の部分についても、感じていただけている部分はあるのではないかなと思っております。 (黒岩知事)  Aさんの姿を見たら、親御さんは感動されるでしょうね。そういう現状ありましたか。 (羽生氏)  そうですね。ちょうど私も2人が車に乗って出かけるときに、私が登園してきて、お母さんも車が止まってくださって声かけてくださったんですけれども、本当に何か2人とも和やかな表情で出かけて行かれて、あまりちょっと深いお話はできていないんですけども、その表情から非常にいい時間を、帰ってきた時も過ごされてきたんだなっていうのが感じられました。 (黒岩知事)  ありがとうございます。これ野口さんね、親の立場としてお話をいただきましたけども、冒頭、私も申し上げましたかながわ共同会、津久井やまゆり園、これをやっぱり変えていくという時ですね、共同会の指定管理を1回止めると言った時に、大変な反発もあったわけですね。そのことについて、私も現場行って説明もいたしましたけども、罵声を浴びせられました。その時に私が、皆さんには見えないかもしれないけど、今も虐待という事実が続いているんだという話をしたらば、「うちの子どもはよくやってもらっているんだ」と。「そんな、ちょっと見たぐらいで、よそがどうだこうだって、うちの息子、娘はちゃんとやってもらっているんだ」「勝手なこと言うな」というような罵声を浴びせられたこともありました。  これ、だから、「当事者目線」という言葉を強く言っているというのは、ある種、親の目線じゃないよ、というメッセージもあるんですね。親目線を全く無視してというわけじゃ当然ないわけですけども、それのバランスということがあると思うんですけど、「当事者目線」と我々が言うことについての、野口さん、親御さんとしてのその気持ちって、どんなもんでしょうか。 (野口氏)  私は先ほど申し上げたように、ここで言う当事者目線、本人の子どもの小さいときから、本人に意思があるというのは、もう生活の中で感じていましたので、そういうことにはすごく反発しました。親御さんの、そういう意見にはですね。  それでもう一つ、先ほどインクルーシブ教育の話をしましたけれども、もう一つこの施設が、これからの施設というのは入所、やまゆり園でも入所ですし、中井やまゆり園も入所施設ですけども、私先ほど、小さな地元の育成会が作った小さい事業所の運営に関わっていますけれども、もういろんな地元の事業所ですから、いろんな人がいます。いろんな障がいがいます。本当にこれが教育でいったらインクルーシブ教育だけども、社会のインクルージョンだと思っていて、これが本当にいいなと、毎日の生活なんか実感していますので、やはりこれからやまゆり園とかの将来展望は、やっぱり地域にみんなが行くっていうことが最終。それに向かって、皆さんが尽力していただけるとありがたいなと思っています。 (黒岩知事)  ありがとうございます。  奈良アさんはね、本当にズバズバと自分の思いをガンガンしゃべってくれるわけでありますけども、この親御さんとの関係で非常に難しいと思うのは、私はこの後も、いろいろと対話を重ねた。親御さんとも対話を重ねたんですけども、そのときはっきり言われました。当事者目線って言ったときに、「うちの子どもの気持ちなんかわかんないんだ」「俺が全部わかってんだから」と言われましたね。僕はさすがに、「それは違うんじゃないですか」と申し上げました。  どこのご家庭でも、「子どもの気持ちは全部俺が分かっているんだ」と親に言われて、その子どもが「そうです」という子どもは、おそらく誰もいないんじゃないかなと思いましたよね。でも、そういった声がポンと出てくるということ。やっぱりこういう議論を積み重ねときに、冒頭で申し上げたように、当事者の皆さんの生の声ってなかなか出てこないんですけども、その家族会だなんだって、こうくると、「それが当事者のみんなの声なんだ」と言われると、こちらはそうなのかって言って、動いていたという。  これは、今までのこの県の障がい福祉の政策を振り替える中でも、ここはやっぱり大きなポイントだったんじゃないのかなという気がしてならないわけですね。こういった中で、私の奈良アさんにね、あるテレビ番組でこういう特別番組があったんですね。そこで出会って、彼女のしゃべりを聞いて、びっくりしたんですね。皆さんびっくりしませんか。障がい者というより、なんか僕にとっては天才に見えますね。要点をガンガンついてきて、ボンボンボンボン発言するという、これ奈良アさん、どっからそのパワーは出てくるんですかね。 (奈良ア氏)  いつも天才、天才って、いつか私は天才バカボンになりそうで怖いんですけど。私は天才というか、ただ私、ずっとおじいちゃん、おばあちゃんの施設で今も働かしてもらっているので、多分、会話がすごい多いんですね。例えば、おじいちゃんおばあちゃんに、朝「おはよう」と言ってもわかんないおじいちゃん、おばあちゃんにハグしたり、顔触ったり遊んだり、そういうコミュニケーションを、私ちっちゃい時からかずーっとやっているんですね。  それで、私、変な子で、人の匂いを嗅ぐのが大好きなんですよ。この人の匂い苦手とか、そういうふうに行動しています。それは何でって言うんですが、皆さん人って、「匂い、ないわよ」っていうけど、あるんですよ。例えば、朝ご飯を食べた匂いがそのまま残っているし、味噌汁の匂いとか、朝からお肉の匂いとか、それと同じなんです。  ただ障がい者って、今、知事がいいことを教えてくれたが、私は母と兄が今一緒に生活していますって、何で契約していると思いますか。お金って、お金でうまくいくんですよ。世の中お金があれば、ほしいものが買えるじゃん。例えば、知事にほしい物を買ってって言っても、買ってくれなさそうだけど、お金があれば、もうすぐクリスマスですからね、世の中。皆さん、知事にプレゼントを期待してましょうね、というくらい、お金があれば幸せもあるよっていうのを、是非。今、家族が、私も当事者で、障がい者本人がお金って最終的に残しておいてくださいっていうのは、2番でいいです。  1番は、私は、親と親同士のつながりを作ってって。やっぱり最終的に私は母親と兄と父さんもいたけど、絆がいっぱいあったので、そこで障がい者の親以外に、私はいろんな絆を作ろうと思っています。  それで最近面白いんです。私、千葉にちょこちょこお邪魔して、佐藤さん以上に千葉人かなってほど、行っています。そのぐらい千葉の親たちと、「まみちゃファンクラブデー」っていうのを作っています。そこで何をしているのって言うんですが、まみちゃんがイケメンランキングを作っています。是非、知事、私のイケメンランキングで入ってもらってもいいんですけど、今現在ごめんなさいね。知事は18位なんだ、残念ながら。1位はちなみに今まだ内緒なんですけど、今度ランキングを出しますので、是非皆さん見てください。   その後は、お母さんたちはいろんな悩みがあります。お父さんも非常に悩みます。それに応えてあげる本人さんでいてあげたいなと私はいつも思っています。以上です。 (黒岩知事)  ありがとうございました。もうね、「わかりやすい版」も奈良アさんの発言から出てきたんですよね。「難しいからわかりません」とかってね。もうそれから出てきまして、もう徹夜状態で作業に参加していただきまして、ありがとうございました。  さて、全体を締めくくる時間に入ってまいりましたけど、当事者目線の障害福祉推進条例を作って、さあこれから実効性を持たしていくということが非常に大事だという中で、中井やまゆり園ですと、その実証が進んでいるということも踏まえながら、今日全体を振り返ってみて、最後に一言総括をお願いしたいと思います。 (佐藤氏)  何か全体を振り返る余裕が今なくなっているんですけれども、県立施設というのは、どこの県もそうなんですけれども、他では受け入れない人を受け入れるという、そういう役割を押し付けられてきているんですね。「押し付けられてきた」ということですけれども、でも実は、他では受け入れられるんですよね、現実には。そういうところが受け入れないので、しょうがないから、親御さんは苦労して県立施設にたどり着いたというところがあって、そのたどり着いた親御さんのご苦労というか、心持ちというのは、その「子どものことは俺が全部知っているんだ」という親御さんはちょっと珍しいと思いますけれども、だけども、ご苦労されて、「ここへたどり着いた」と。「やっと安心した」という、これ親の心ですよね。  それを受けとめた施設職員の皆さんは、他で受けられないんだろう、俺のところで面倒見るしかないみたいな感じで受け入れて、施設の暮らしを作り上げていくという、それはもう全然、永久の住処になっちゃうということで動いてきたわけですね。その結果として、人間らしい生活ができなくなっていといることになるので、施設職員も親御さんもみんな苦労されているんです。  我々は、これからそれを改革しようということで動くわけですけども、極端なことを言う親御さんというのはちょっとあまりいないと思いますけども、親御さんのそれは「当事者目線」ではなくて、「親の目」なんですよね。親の目線も、しかしそれは重要なので、親御さんの心配というものを助長するような形で改革を進めてはいけないというふうに、急に私は親になっちゃいますけども、それは思っています。だけれども、親の目線だけで言っていると、ご本人さんたちがとんでもない暮らしを押し付けられるということになるので、それを誰がどうやって当事者の立場に立って、ご本人の立場に立って見ていくのかということが非常に重要だと。  今神奈川県は、そういう目線に立って、施設改革をしようとしていると。そのためには何が必要かというと、地域が変わらないと駄目だということすね。施設だけ見ていても変わらないです。施設から地域に移行するときに、移行する地域がなかったら移行できない。だから親が苦労しているということなんですよね。地域がきちんと当事者、障がい者を受けとめてくれるという、そういう地域社会を、これから神奈川県は作っていくという宣言を、この条例は謳ったということなので、これからそういう形でどんどん、どんどん神奈川県とそれから地域社会の人たちが、そういう活動をともに手を携えて、進めていっていただきたいなというふうに思いますし、知事、よろしくお願いいたします。 (黒岩知事)  ありがとうございました。今日は、非常に濃い時間を、皆さんともに過ごすことができたのかなというふうに思いますね。  私もこの問題にずっと向き合ってきてですね、さっきの奈良アさんの話じゃないけども、障がいって何なのかなっていうか、これまで考えれば考えるほど、よく分かんなくなってくるところが、実はありますね。そして例えば、今回の当事者目線の障害福祉推進条例、その当事者の心の声に耳を傾けてという、それに対して対応して、そして、それが通じたならば、その人に笑顔が生まれ、私も楽しくなるという。この話って、別に障がい者との関係だけの話じゃないんじゃないのかなと。みんなそうなんじゃないのかな。  例えば、私がこう言って、自分の知事室の秘書がいて、秘書の心の声に耳を傾けているかっていうか。皆さん、じゃあ夫婦の関係があって、パートナーの心の声に耳を傾けているか。実は、その心に傾けて、それに対してしっかり対応して、お互いがハッピーになってくるという、これって何か人間関係の基本なんじゃないのかなっていう、そこを実は示している話であって、実は障がい者の皆さんの話が、そういうことを教えてくれているのかな。そんな感じもしている次第でありました。  実はこれ、もうすぐ皆さんところに届きますけども、1月号の県のたよりであります。これ石、よく見てください。私、これを見たときに、接着剤でくっつけているんだろうと思ったんですが、違うんですよ、これ。これ、「ロックバランシング」と言うんです。ロックバランシングアートと言って、その辺の石ころをこうやって重ねて、こんな形で出来上がっているんです。接着剤は使っていない。お互いのそれぞれの石がいろんな形があり、大きさも違う、いろんなものがあるけれども、みんなで支え合っていて、こうやってバランスある美しい形を作っている。これはロックバランシング。  我々は今回その1月号の新年号に、この写真を掲載したのは、我々が目指す「ともに生きる社会」は、こういう社会なんだと。みんなでともに支えていこうじゃないかという、そういう社会を作っていくための、今日はその条例が制定できた後の第一歩となったということで締めさせていただきたいと思います。どうもありがとうました。  今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうました。 (司会)  パネリストの皆様ありがとうございました。もう一度大きな拍手を送り下さい。  当事者と一緒に考えたわかりやすい版、「みんなで読める神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例」、こちらは神奈川県庁のホームページからもダウンロードできます。全てのページに、ユニボイスというコードがついていまして、音声で読み上げてくれたりもしますので、是非いろんな方に広めてください。ありがとうございました。  さて、本日のプログラムは全て終了いたしました。皆様、長時間お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。本日の来場者数は96名の皆様でした。ご来場ご視聴いただきまして、ありがとうございます。  受付でお渡ししましたアンケートの回収箱は会場後方にございます。今後の参考にさせていただきますので、アンケートへのご協力をお願いいたします。また、Web参加者の皆様、YouTubeの概要欄にアンケートフォームのリンクがありますので、そちらからご回答をお願いいたします。  以上をもちまして、「当事者目線の障がい福祉推進シンポジウム、ともに生きる社会を目指して」は終了とさせていただきます。最後までご参加いただき誠にありがとうございました。お忘れ物ないよう気をつけてお帰りください。 (参考 野口氏の資料)  タイトル  人間としてみな同じ。普通に生きる権利を持っている。なぜインクルーシブ教育が必要か。知的障害を持つ息子とのあゆみをとおして。        野口富美子(のぐちふみこ)  スライド1枚目  自己紹介をかねて。  設計事務所の所長、神奈川県手をつなぐ育成会の理事、社会福祉法人おおいそ福祉会の理事長。  姉二人と弟の三人の子供。末っ子が知的障害と自閉症を持つ。息子とのあゆみをたどります。    スライド2枚目  姉二人が保育園で1才から障害のあるおともだちたちとなかよしに。  引越ししてから弟が生まれる。  3才児検診の時ことばがなかったので1年早めに3年保育の幼稚園に入園。  地元の小学校入学前に、初めて知的障害と自閉症と診断される。  姉たちが自然に受け止め、子供に教えられ、息子とともに成長していこうと決意。          3年まで普通級で、4年からは教科によって支援級に通級。   中学も基本は同じ。  12年間、地域の友達とともに過ごすことができたことが彼の財産。今でも地元が大好き。  小中時代は療育にも通い、お泊り体験などもした。  スライド3枚目  地域の障害児の親の先輩たちと家族ぐるみでレクリエーションや施設見学などをした。   大人になってからの彼の居場所が厳しいことを知る。  親や作業所の方や地域の人たちとグループ外出をする「ガイドヘルパーの会」を立ち上げ、歩きやバスや電車でたくさんの外出をした。地域の子供たちもヘルパーに。制度化された後、移動支援事業に移行。  グループホームなどは自分たちが動かなければ実現しないことを知り、そのために、障害者の人権支援活動として育成会の活動を始める。  息子とともに、育成会の本人活動を含め、様々な活動に参加した。  息子が通所していた、育成会が設立し運営していた地域作業所が、寄付者もあり法人化することになり、設立理事となり、その後理事として継続し、約4年前から理事長を務めている。  B型事業所と生活介護などを運営している現場に関わるようになり、障害者の方とのうれしいふれあいとともに、小規模施設の地域での必要性と、また運営の困難さも実感している。  スライド4枚目  津久井やまゆり事件後の集会で。  障害当事者の方たちの怒りと恐れの発言が強く心に残りました。  育成会の先輩の、子供の時から共に触れ合わなければ差別はなくならないとの発言に共感し、息子との経験を発信しなければと思うようになりました。わたし自身も息子を育てる前は、知的障害の方のことはよくわかりませんでした。恥ずかしいです。  息子も色々なトラブルがありましたが、相手に説明し、悪いことは悪いと本人に教えました。それで理解をしてくださる方がふえたと思います。  なぜ虐待をするのか、現場の人だけを責めても変わらないと思います。自分が愛されて、みな同じ人間だと思う経験をしてこなかったかもしれないのですから。  スライド5枚目  インクルーシブ教育について。       先日の国連の障害者権利条約委員会、対日審査の勧告にもインクルーシブ教育の実施についての項目がありました。  ともに生きる社会を実現するためには、どんな子供にも、ともに教育を受ける権利があると思います。障害のない子供にとってもです。多様性のない社会で苦しんでいるのは子供たちなのですから。  障害に限らず、今の社会は様々な分断が進んでいることがとても不安です。ともに生きるということとは、相いれないことだと思います。  実現までは、様々な困難があると思いますが、まず将来展望に向かって、合理的配慮を重ねていっていただくことを願います。