当事者目線の障がい福祉推進シンポジウム〜ともに生きる社会を目指して〜 (司会)  皆様こんにちは。  本日は、「当事者目線の障がい福祉推進シンポジウム〜ともに生きる社会を目指して〜」にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。  本日の総合司会を務めます、かながわSDGsスマイル大使のMITSUMI(みつみ)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。  本日のプログラムは三部構成となっております。  第一部は黒岩知事による「当事者目線の障がい福祉の推進」をテーマにした講演、その講演に続いて、様々な障がいのある4人の方々にご登壇いただき、知事とのクロストークをいたします。  第二部では、3名の有識者から、「中井やまゆり園における当事者目線の支援の取組」と題し、お話しいただきます。  午後2時頃に休憩を挟みまして、第三部は、パネルディスカッション「それぞれが描く当事者目線の障がい福祉のみらい」をテーマに、ともに生きる社会の実現に向けたディスカッションをいたします。  終了時刻は午後3時15分を予定しています。皆様どうぞ最後までお付き合いください。  それではただいまから、第一部、知事講演「当事者目線の障がい福祉の推進〜ともに生きる社会を目指して〜」を始めます。黒岩知事、お願いいたします。 【第一部 知事講演、クロストーク】  「当事者目線の障がい福祉」の推進 〜ともに生きる社会を目指して〜 (黒岩知事)  神奈川県知事の黒岩祐治です。本日は日曜日にかかわらず、「当事者目線の障がい福祉推進シンポジウム」、これにたくさんの皆様にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。  そして今日はオンラインでご視聴の方も随分たくさんいらっしゃると聞いておりますので、有意義な時間にしていきたいと思っております。  私も先般はコロナに感染してしまいまして、1週間、自宅療養を余儀なくされました。その中でもオンラインを使ってですね、仕事もしていましたけれども、やっぱり今日は何としても、この場にいたいなという気持ちが強かったのですけど、何とか金曜日に自宅療養があけて、今日ここに駆けつけることができました。  それでは早速、この「当事者目線の障害福祉推進条例 〜ともに生きる社会を目指して〜」、これはつい先般、議会で全会一致で成立したわけでありますけれど、まずは、これは一体何なのかといったところからお話をしてみたいと思います。    スライド1 平成28年7月26日、津久井やまゆり園事件発生。事件発生後の津久井やまゆり園の敷地全体を上空から写した写真。 6年前に津久井やまゆり園事件が起きました。とても信じられないような事件で19人もの貴重な命が奪われた。コミュニケーションが取れない人間は生きている意味がないんだ、といったでたらめなことで、次々次々殺害をしていったという、極めて残虐な事件でありました。    スライド2 平成28年8月11日、津久井やまゆり園訪問。黒岩知事が、献花台の前で合掌している写真。  スライド3 黒岩知事と津久井やまゆり園の入所者がお話している写真。体育館での生活の様子の写真。  そしてこの時に、私も現場に行った時はですね、その血だらけの現場ですからね、体育館に集まっていただいて支援が続けられておりました。この場で私も様々なものを見て感じたものがありましたけども、振り返ってみて、正直申し上げますと私は、次々判断を間違えていました。この間違えたことをどんなふうに変えてきたかといったことも、皆さんに、正直にお話をしていきたいと思います。  スライド4 平成28年9月23日、第5回再生本部会議にて、全面的建替えの方針を決定。会議中の写真。  スライド5 平成29年1月27日、第7回再生本部会議にて、全面的建替えの方針を撤回。会議中の写真。  この時に、こんな現場で掃除したからと言って、支援を続けてくださいというのは無理だなと。ただその、職員の皆さん、それから家族会の皆さんから建て替えてくれと言われました。分かりました。じゃあ建て替えましょう。160人規模の施設を建て替えると、すぐに約束をしたわけでありましたが、今から思えば、これがまず、最初の第一の間違いでありました。そして、この再生本部といったものを立ち上げて、どんなふうにこの津久井やまゆり園を再生していこうか議論を始めました。そして、建替えの方針、全面建替えの方針を出したのですけれども、3か月ぐらい経ってから、いろんなところから、知事は何を勘違いしているんだと。今や地域分散型で地域移行していく、小規模でやっていくというのが時代の大きな福祉の流れなのに、そんな大規模施設をまた作り直すとは何を考えているんだ、といった意見が出てきましたので、ここで撤回をいたしました。  知事が一旦言ったことを撤回するというのは恥ずかしいことです。でも、これはやっぱり一から議論し直そうといったことで、議論し直しました。  スライド6 平成29年8月17日、津久井やまゆり園再生基本構想の報告書受領。報告書を受け取っている写真。  そして再生基本構想というのをいただいてですね。最終的には、そこに大規模施設を建て替えるのではなくて、2か所に分けて、そして全部小規模の形、地域移行を前提とした形で再生していくことに決めました。  そんな中で、だんだん私も再生に向かって進んでいっていると思っていました。ところが、この津久井やまゆり園でもですね、信じられないような支援が続いていました。    スライド7 松田さんの様子。車椅子に座っている、女性利用者の写真。車椅子の座面に布の紐があり、車椅子と女性の太もものあたりをその紐で縛り、固定している。  これはテレビでも紹介された松田さんという女性ですけれども、津久井にいるときには、このような車椅子に、ずっと縛りつけられていました。  スライド8 松田さんの様子。笑顔の松田さんの写真。建物の外を歩いている。   そして、この方は、その後この施設を出て、別の施設に移ったら、このような表情になりました。一体何が起きたのか、といったあたりで、これまで建物の話をずっとしていましたけれども、ハードですね。それよりもその支援の中身を、もう1回ちゃんと目を向けなきゃいけないんじゃないのかなと思って、こういった事例を踏まえながら、その共同会でどんな支援が行われていたんだといったことを調べてみると、いろいろ出てきました。  この松田さんが典型ですね。そして、なぜこの人が縛りつけられているんだと。部屋に24時間閉じ込められている人もいる。何で?と言ったならば、要するに、強度行動障がいといって、いろいろな刺激に過敏に反応する、そのことによって暴れちゃうとか、自分で自分を傷つけたりもする。「危険だ、その人の安全のために部屋に閉じ込めてあげとくんだ。」「この人暴れるから、危険だから、車椅子に縛りつけておいてあげるんだ。」と、当たり前に行われていました。  でも、これは今の定義からいうと、虐待なんですね。明らかに虐待なんですね。再生に向かっている中で、建物をこうしていこうという、地域移行を前提とした、個室を中心とした形でやっていこうと言っても、行われているソフトの支援の中身が、職員が一生懸命、頑張っているが、虐待を重ねている。「どういうことなんだ、これは。」といった中で、当事者の皆さんと意見交換をいたしました。    スライド9 松田さんの様子。知事が、「本当はもっと早く気づけばよかった。ごめんね」と松田さんの肩に手を置き語り掛けている写真。  その時に、私は彼女に会いに行きました。そして会いに行ったときに、最初に、お母さんもいらっしゃったんですけども、普通はお母さんの方にこう行きますよね。でも、そうじゃなくて、松田さん本人に向き合っていこうと思ってですね。ぱっと彼女に会ったときに、「ごめんね」って、私は謝りました。  そしてこのように、肩を叩きながらずっと「ごめんね」って、「今こんなにいい表情をしているじゃないか。気づかなくてごめんね」って。「ずっと車椅子に座っていて嫌だったんだね。気づかなくてごめんね、ごめんね」って。ずっと言ったら、彼女はずっと頷いて聞いてくれていましたけれども、正直言って、分かっているか分かっていないか、私も分かんなかったです。でも、言い続けました。  その後、お母さんが話に入ってきて、「津久井やまゆり園」と言葉が出た瞬間に、彼女はぱっと立ち上がって部屋を出て行こうとしました。「ちょっと待って」と。やっぱり「ごめんね。本当にあそこで嫌な思いをしたんだね。ごめんね、ごめんね、ごめんね。」って言うと、また落ち着いてくれました。衝撃だったのは、この後です。  「じゃあ、僕帰るからね」って帰ろうと思ったら、彼女は僕の後をついて来てくれました。そして、玄関のところまで来てくれた。「見送りしてくれたんだ。ありがとうね」と言って帰ろうと思ったら、今度は、そこからまた靴を履いて、車のところへ出てくれました。そして、帰る車をずっと見送ってくれました。  気持ちは通じたんだって。それが、私が感じた初めての体験でありました。絶対分かっているんだ、通じているんだと。表現はうまくできないかもしれないけど、通じているんだって。これは、大きな大きな出来事でありました。この人の本当の思いに寄り添うというか、寄り添うのじゃなくて、この人の本当の思いになんなきゃ、話が始まらないんじゃないか。今まで考えてみたら、こういうその福祉のあり方は、私自身もそうでしたけれども、まずは、親の皆さんとお話しますよね。親御さんと話をする。親御さんも大変な思いされてきたんですよね。この施設、例えば津久井やまゆり園に行くまでの間、いろんなところに行って拒否されて、拒否されて、やっと津久井やまゆり園で見てくれた。そういう思いを持った親御さんたちの声を聞いている。あと支援をしている職員の皆さんの声も聞いている。でも、当事者の皆さんの声って本当に聞いていたでしょうか、という思いがしてまいりました。  そうすると、これは松田さんだけのことではありませんでした。  スライド10 平野さんの様子。積み重なった発泡スチロールの箱の隣に、男性利用者が笑顔で立っている写真。  スライド11 平野さんの様子。黒岩知事と笑顔で握手している平野さんと、その後ろにあるソファーに座っている男性利用者(吉田さん)の写真。  スライド12 吉田さんの様子。収集された段ボールを運んでいる吉田さんの写真。  この人、平野さん。同じことです。彼も津久井やまゆり園で、24時間部屋に閉じ込められていました。その彼がこの笑顔。この発泡スチロールに貼ってあるシールを、刃物を使ってばんばん剥がすという作業を、ニコニコしながらやっていました。彼は津久井やまゆり園にいる時には、暴れて危険だからといって、部屋に24時間閉じ込められていたそうです。こんなに変わるもんなんだ。彼に対しても、「ごめんね、ごめんね」って。この笑顔です。  後ろにいる吉田さんも同じです。一生懸命やって働いていました。彼なんかは、津久井やまゆり園にいるときに、妙な痣がいっぱいあるというふうなことが明らかになったけれども、結局何があったか、よく分からないままになっていたような人でありましたけども、こんなに大きく変わるもんだなと。  スライド13 中井やまゆり園Aさんの様子。何もない居室の扉の前で、体を丸めるように横たわっている、つなぎを着た女性利用者の写真。  スライド14 中井やまゆり園Aさんの様子。ソファーに腰掛け、絵本を持っているAさんの左右に他の利用者さんが座っている写真。  そして中井やまゆり園、これは県の直営施設です。津久井やまゆり園は、県の指定管理による施設ですけども、中井やまゆり園というのは、県の直営施設です。その県の直営施設でも、虐待と言わざるを得ないものが、今も続いていたと。私、見に行きました。  衝撃だったのは、このAさん。この部屋の中に、部屋から出せない女性がいるんですと言われて、部屋の窓から覗きました。「いないじゃないですか」って。「いや、いるんですよ」「どこに?」と言ったら、「この真下にいるんです」と。ドアの一番先のところに、こんな形でへばりついて、部屋から出たいんですね、きっと。でこうやって、ずっとずっとこのままです。この部屋には何にもありませんでした。何にもない部屋って、なかなか見たことない。動物園以下でした、この部屋は。そこにこんなふうに、彼女はコミュニケーションも取れない、そして暴れちゃうと。危険だからということで、動物以下の扱いですね。こんな形でありました。その彼女は、さっき申し上げた施設、てらん広場で、全部てらん広場です、今までの。移って、そして、たった1泊でこの表情。本当にお見せしたいですけれども、これ皆さんと一緒に、この横に皆さんと一緒になってですね、ソファーに腰かけて、ハロウィンのパーティーを楽しんでいた。こんなに変わるものなのか、ということでありました。  この人の思いになる、という支援をすると、こんなふうに変わるんだということに気が付きました。  そういったときに、このちょうどこの部屋ですね。実はですね、振り返りの中で、私は共同会に指定管理をずっと続けてもらうという方向でいました。それは私が決めたわけじゃなくて、そういう流れになっていた。しかし、どんどん、どんどん津久井やまゆり園での共同会による虐待といったものが明らかになってきた。このままいったならば、ちょうどあの彼の裁判が、植松死刑囚の裁判が始まる頃でしたから、このままいったらば、県は一体何やっていたんだということになるからと言って、「ちょっと待った」と。「共同会の指定管理継続はストップ」と強引にやりました。もう議会からは大変な反発を受けました。議会と一緒で決めたことを何で知事が勝手に止めるんだと、もう孤立無援でありました。  スライド15 令和2年2月20日、障がい当事者からの要望書を受領。ピープルファースト代表小西さんから、黒岩知事に要望書を渡している写真。  その時に、この部屋に障がい当事者皆さんが集まってくれました。ピープルファーストの皆さんが、全国からどんどん、どんどん、どんどん集まってきて、この部屋に450人。全国から集まった障がい当事者の皆さんが来られて、「知事、頑張ってくれ」って。「当事者目線と言っているのは正しい。頑張ってやってくれ。」「津久井やまゆり園事件とか二度と起こさないでくれ」といった、こんな要望を受け取りました。    スライド16 令和2年2月20日、障がい当事者からの要望書を受領。県の大会議場に集まった当事者450人と、要望書を受け取った黒岩知事の集合写真。  この前でガッツポーズしているのは、あの時の松田さんでもありました。これ私にとっては、本当に大きな力をいただいた出来事でありました。  間違ってない、これでいくんだといったことで、そして、「当事者本人の声を聞かなきゃ駄目だ」ということで、当事者の皆さんとの対話、これを徹底的にやってまいりました。       スライド17 令和2年11月7日、障がい当事者との対話(にじいろでゴー!)。当事者複数人の集まりに、知事が参加している写真。  これは、この後登場される奈良アさんですけど、「にじいろでGO!」で活動されています。皆さんの中に入って、いろいろ話をしたりとかね。  スライド18 令和3年10月18日、障がい当事者との対話(アール・ド・ヴィーブル)。当事者複数人の集まりに、知事が参加している写真。  これも「アール・ド・ヴィーブル」といってね、障がい者のアートをやってらっしゃるところで、皆さんと話をしたりとかね。  スライド19 障がい当事者との対話(猿渡氏)。猿渡さんは、電動車椅子に乗っています。猿渡さんと黒岩知事が二人で対談している写真。  今日も来られていますけどね、猿渡さんとじっくりお話をさせていただきました。  スライド20 令和3年11月18日、障がい当事者との対話(日本ALS協会)。野さんはリクライニング式の車椅子に乗っています。気管切開をしていて、人工呼吸器をつけています。野さんと黒岩知事が目線を合わせている写真。  そして、野さんというALS(筋委縮性側索硬化症)の患者さんで、彼は県庁職員として我々が雇用しています。ロボットのorihime(おりひめ)を使って、様々なアドバイスをもらっているところであります。    スライド21 令和4年2月7日、障がい当事者との対話(ピープルファースト横浜)。ピープルファースト横浜の当事者と、黒岩知事がリモートで対話している様子の写真。  こういったピープルファーストとオンラインでもやりましたね。  スライド22 令和3年度、当事者目線の障がい福祉に係る将来展望検討委員会。県庁大会議場にて、検討委員会を行っている最中の写真。  スライド23 令和4年3月29日、将来展望検討委員会報告書を受領。将来展望検討委員の11名から、黒岩知事へ報告書を手渡している写真。  そして、当事者目線の障がい福祉に係る将来展望検討委員会。条例に向けて、いろいろ検討していこうという中で、ここには障がい当事者の皆さん3人に入っていただいて、徹底的に議論をいたしました。そんな中で、報告書をいただいたといったことでありました。「当事者目線の障がい福祉」、これを推進していくための条例をちゃんと作りましょうという話になった。    スライド24 令和4年9月19日、国連障害者権利委員会、ラスカス副委員長と対談。黒岩知事がラスカス副委員長に当事者目線の障がい福祉について説明している様子の写真。  スライド25 令和4年9月19日、国連障害者権利委員会、ラスカス副委員長と対談。黒岩知事と、ラスカス副委員長が二人で写っている写真。  こういったことを受けて、実は、国連の障害者権利委員会のラスカス先生というですね、この副委員長が日本に視察に来られました。国連での障がい者の権利を進めていこうという中で、日本はどんな現状なのか。私は、彼の前で日本の現状を言うのは本当にためらわれました。「なんだ、日本はまだそんな現状なのか」と、もう徹底的に馬鹿にされると思いましたが、一生懸命話をしました。ただ結果的には、彼は非常に感銘を受けてくださったという話を聞きました。何に感銘を受けてくれたのかと聞いたならば、障がい当事者に、知事が直接会って、謝っているということ。こんな話は聞いたことがないと言って、彼は感銘を受けてくれたということでありました。  スライド26 令和4年10月14日、県議会で「当事者目線の障害福祉推進条例」可決。議会中の様子の写真。  そんな中で、「当事者目線の障害福祉推進条例 〜ともに生きる社会を目指して〜」といったものを、議会の皆さんにご提案して、そしていろんな議論をした上で、最終的には全会一致で成立をいたしました。    スライド27 令和4年10月24日、条例の「わかりやすい版」を受領。黒岩知事が、条例のわかりやすい版の作成ワーキンググループのメンバー5名から、わかりやすい版を受領している写真。  ところが、この当事者の皆さんは、ズケズケ、ズケズケ言ってくれますね。後から登場されますが、ズケズケ言いますからね。遠慮なしですからね。「当事者目線の障害福祉条例を作るのはいいけど、条例の文章なんて難しくて、私たちにはわかりません」と言って、「じゃあ、わかりやすくしましょうよ」と言って、「じゃあ、そのための検討委員会を作りましょうよ」って言って、当事者の皆さんみんなに入っていただいて、そして条例の一文一文を全部わかりやすくわかりやすくしてできました。  これはおそらく、日本の中で初めてのことだと思いますね。条例本体が出たと同時に、「わかりやすい版」が同時に出たといったことになったという次第でありました。  さてこれから、これをどんなふうにして形にしていくかと。条例ができたから、「ああ、よかった、よかったね。終わった。」じゃないですよね。条例ができても、何も変わってないですからね。ここから始まるんだ。「当事者目線の障がい福祉」というのは、こういうもんなんだ、といったことが当たり前になる。これが今始まっているといったことでありまして、そのためにはまず、この条例が持っている意味は何なのかと。どんな背景で出てきたのかといったことを、より多くの方にご理解いただいて、そして皆で、そっちを目指していこうといった、その場の第1回目が今日であります。  中井やまゆり園で今、その改革が始まっています。この後この「当事者目線」という考え方を入れたらどんなふうに変わるのか。生々しいレポートがあると思いますけれども、そういったことを踏まえながら、是非しっかりと皆さん、今日の議論に参加していただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。 (司会)  黒岩知事、ありがとうございました。  それではここからは知事のお話にもありました、条例の「わかりやすい版」の作成に携わられたワーキンググループの皆様にもご登壇いただきます。どうぞ前へお願いいたします。 (司会)  ご登壇者のお名前をご紹介します。会場の皆様から見て左から、ピープルファースト横浜会長、小西勉(こにしつとむ)様。ブルースカイクラブ会長、冨田佑(とみたたすく)様。神奈川県障害者自立生活支援センター、猿渡達明(さるわたりたつあき)様。ピアサポーター、下条章子(しもじょうあきこ)様です。  クロストークの進行は黒岩知事にお願いいたします。 (黒岩知事)  それでは、まさに当事者の皆さん、言いたい放題言われる方ですから、楽しみにしていただきたいと思いますけどね。  まずは小西さん、先ほどのスライドにありました、ピープルファーストからいただいた要望書の中に、「暮らす場所は自分で決めたい。私たちのことは私たち抜きで決めないでほしい」とありました。  小西さんが望む暮らす場所とはどういったものでしょうか。お話をいただきたいと思います。 (小西氏)  自由な暮らしが良いですね。スライドにあったのが、2020年2月20日の要望書です。私たちは、部屋に閉じ込められたり、車椅子に縛りつけられたりするために生まれてきたんだろうかなど話しました。実は、6年前にも仲間の声を聞いてくださいと、県に要望書を持ってきました。県の人からは「もう親の意見を聞いているから」と言われました。ショックでした。自分たちの話を聞いてもらえないような気がしました。  僕の暮らしの中で、大切にしているのは、場所ではなく、居場所、場です。僕には、仕事、ピープルファースト、毎日行くコンビニ、美術館などの居場所があります。そこでは、いつも「人のつながり」があります。こういうことが、暮らしに必要だと思います。  また、自分のほしい場所には友達が必要です。寂しくなる時もあったり、頭に来る時もありますが、そんな時にも会いに来てくれる人が関わり続けてくれる存在であれば、自分の心の中に居場所ができたような気がします。自分のやりたいことを押してくれたり、一緒に考えてくれたり、悩んだり、自分の気持ちを分かってくれる存在が必要です。職員にもそんな存在になってほしいです。  施設に暮らす人たちにも、居場所と友達が必要です。冠婚葬祭に参列したり、楽しく外出したり、会議に参加したり、仲間たちの可能性に目を向けてください。仲間たちは、みんなに心があるし、幸せを求めて生きています。  拘束や部屋に閉じ込めるということをやめることで、幸せではありません。何もない環境から、仕事、趣味、一緒に作り出すその苦労の先に幸せがあります。友達をつくるチャンスが必要です。福祉サービスじゃなく社会を理解してもらいたいです。人と人の通じ合う仲間たちが、自信を持って活躍できる場が必要です。そういう福祉が実現できるといいと思います。 (黒岩知事)  ありがとうございました。小西さんから、本当に教えていただきましたよね。地域移行と言いながら、地域から移動すればいいってものではなくて、やはりそこに、地域に行った時に自分たちの居場所というものが必要なんだと。そういったやっぱり友達、仲間というのは、そこに必要なんだ、といったことのメッセージを、ずっと発信してくださって、これは、非常に我々の大きな気づきとなりました。今日はありがとうございました。  それでは次は、冨田さんですね。条例は誰もがその人らしく生き生きと暮らせる社会の実現を目指しておりまして、障がい者の地域生活移行に向けて取組を進めています。冨田さんは一人暮らしをされておりますけれども、地域の中で大切にされていることは何でしょうか。 (冨田氏)  はい。地域のことで一番大切にしていることは、朝、挨拶することです。おはようございますとか、例えば、魚屋さんに行ったら「昨日の魚おいしかったですよ」とお礼を言ってくれます。あと自分で自分の障がいのことを伝えています。  それで今の一人暮らしについてですけど、最初、自分は一人暮らしは無理っていう方が結構いらしたんです。でも、1人の職員さんが「冨田さんなら大丈夫よ」って言われて、もう一人暮らしを始めて、母が亡くなって17年経つので、もう17年過ぎました。今は自分でも料理を作ったり、いろいろお風呂洗いとかやっています。なので、決して無理じゃないと自分では感じました。  あと、今から1か月近く前に、郵便局に行ったんですね。その時に僕、姉が好きなお菓子、生まれが仙台、東北なので、たまたま大船で東北の物産展をやっていたんですよ。その時に姉が好きなものを、最中とお饅頭を送ったんです。その時に郵便局の方から、最初はなんか「これお金かかるよ」なんて言っていたんですね。そしたらその後、また言ったんです。「実を言うと、自分はちょっと障害を持っていまして」と言ったら、急に態度が変わったんです、その郵便局の方が。「じゃあ、こっちの安い方がいいね」とか言って、「お姉さん喜ぶね」なんて言ってくれたんです。  だから、障がいのあることを自分から言うと、結構いいことがあると思うんです。だから言える人が言っていった方がいいと思います。以上です。 (黒岩知事)  ありがとうございます。ねえ。なるほどなあという感じしますよね。そういう障がいがあるとちゃんと言った方が、皆さん、ちゃんと見てくれて、コミュニケーションが生まれるという。  やっぱり「おはよう」という挨拶から始まるコミュニケーション。これがやっぱりないと、地域に移行すればいいってもんじゃないっていうことはね、小西さんのおっしゃることにもつながるところですよね。 (冨田氏)  ありがとうございます。あと、名古屋に行ってもそんな感じで、野球大好きなので、よく名古屋に行くと、そこでも伝えました。そしたらもうすごくやっぱり手厚くやってくれます。「何かお手伝いすることありますか」とかって言ってくれますもん。それがやっぱり、僕にとってうれしいですね。   (黒岩知事)  前に冨田さんがおっしゃっていたDeNA(横浜ディーエヌエーベイスターズ)は良くなりましたか。   (冨田氏)   はい。よくなりましたけど、ただ困っているのは、中日(ちゅうにちドラゴンズ)からDeNA(横浜ディーエヌエーベイスターズ)に移った選手が2人いるんです。逆にDeNA(横浜ディーエヌエーベイスターズ)から中日(ちゅうにちドラゴンズ)に来たのが2人いるんです。来年に。 (黒岩知事)  冨田さんがこの会の中でね、DeNA(横浜ディーエヌエーベイスターズ)に行ったら、何かすごい冷たい扱いされたと言われたので、私、DeNA(横浜ディーエヌエーベイスターズ)の南場(なんば)会長にすぐ電話したんですよね。「分かりました。すぐ何とかします」と言って。今度聞いたら「よくなりました」という話だった。 (冨田氏)  でも申し訳ない。切符売り場でちょっと人数が少ないって言ったら、もう知事の名前を言ったらびっくりしていましたよ。すぐに人が入ってくれました。 (黒岩知事)  ありがとう。本当にもう現場からのレポート、ありがとうございました。  それでは次は猿渡さんですね。猿渡さんとは昨年11月に、対談させていただきましたけれども、その際、「当事者目線の支援」、つまり心の声に耳を傾けた支援は、私たちにとっても喜びにつながるという双方向性のものだといったお話を伺いまして、この考え方を参考に、条例の基本理念を考えているところでありました。  この「当事者目線の障がい福祉」について、改めて猿渡さんのお考えを教えていただけますでしょうか。 (猿渡氏)  その知事と対談させていただいたときに思ったことというのは、本当に知事がですね、毎回、津久井やまゆり園の再生基本構想の時も、ずっと毎回毎回来られて意見を述べられて帰って行ったり、あとは本当に私たち、「わかりやすい版」、「よくわかる版」を作っているんですけれども、そういうところに来ていただいて、いろんなことっていうのを考えていただくんですけど、「当事者目線」というのは「本人目線」ですよね、まず。施設にいる方たちが、本当にそこを選んで入ったのかっていうと、そうではありません。やっぱりその、障がいが重くて、社会生活するのが難しい方が入ってしまった。だけど、その方にはそれだけの支援の方法しかなかったわけではなくて、環境が生まれた時から別々にされてきて、それでその選択しかやっぱり周りの方も知らないので、社会的なバリア。今は医学モデルから社会モデルというふうになりましたけれども、まだまだ言葉だけしか動いてありません。  そういう中で、当事者目線で、本人が本当にそこに選んできたのか。例えば今、医療的ケアの必要なお子さんの法律もできました。でも実際住んでいる相模原のところでは、地域の学校に通ってない医療的ケアのお子さんもいますし、生活しにくい方がやっぱり施設に取り残されて虐待を受けてきているんですよね。それは僕、身体の方のネットワークと知的の方のオンブズマンと両方やっていく中で、やっぱり望んで、やっぱり自分が望んでいくことと、あと、相談支援専門員とかの立場では、グループホームが最後になってるんです。生活の場。そうじゃなくて、グループホームより先ですね、地域生活っていうのがあるんです。  その地域生活を選べるような、そのいろいろな選択肢はですね、私たち当事者が増やしていく、お互いに知りながら増やしていったり、知事もいろんなところへずっと行かれてると思うんですけども、そこに行きながら、自分がもし当事者だったらどうなるんだろうっていうことをですね、やっぱり常に考えて、支援者の方も動いてほしいなっていうのが一番の願いです。  なので、本当に、当事者でなければ分からないっていうことはあると思います。でも、当事者は、言葉で言いたくても言えない人はいっぱいいます。ですが、表現の表出っていうところはあると思うので、例えばこんなこと言われた時に顔真っ赤になったり怒ったり、筋緊張が強くなったり、そういうところですね。どんな状況があるのか、出てくるのかっていうのを調べてもらって、みんなと一緒に、この条例の「わかりやすい版」とか条例ができただけじゃなくて、本当に毎年1回ないし半年に一遍、現実を見て、改革していければなと思います。以上です。 (黒岩知事)  ありがとうございます。本当に猿渡さんに教えていただいた、一生懸命この人の心の声、まさに思いは伝わっていても、それをうまく表現できない方はいらっしゃる。でもそれは、心が声を出している。その心の声をしっかり受けとめるっていう、それを受けとめて対応をちゃんと支援すれば、当事者の方も、「ああ、よかった」「通じてよかった」「やってくれてよかった」という安心感があると同時に、その支援した人も、その人の笑顔が出てきたりするとうれしくなるという。お互いのことだというか、つまり、「してあげる」「してもらう」という形じゃなくて、支援する側も当事者も、要するにお互いがハッピーになるような形を目指していこうという。そういう非常に。 (猿渡氏)  そうですね。本当にいつも皆さん、ウイークネスですね。悪いところとか、できないところを支援しようと思ってやられていると思うんですけれども、ストレングスですね。その人のいい視点を是非見てもらって、良い支援に、その人のための支援というか、地域に還元されるための支援をしていただきたいと思います。 (黒岩知事)  ありがとうございました。  それでは、下条さん。下条さんはですね、条例の「わかりやすい版」を作成するワーキンググループに参加していただきました。一方ピアサポーターとして、障がい者をサポートする活動をされていらっしゃいます。まさに障がい者が障がい者を支える、ともに生きる社会の取組の実践をされているわけでありますけども、その活動内容と取組を通じて、感じていることがあれば教えていただきたいと思います。 (下条氏)  私は、地域移行・地域定着支援事業とピアサポーターをしています。地域移行・地域定着支援事業というのは、様々な事情で長期入院をしている当事者の退院促進や退院支援、障がい当事者が自分の体験を語ることで、障がいや障がい者について知ってもらう、普及啓発などを行う事業です。  地域移行・地域定着支援事業のピアサポーターは、病院などを訪問して入院している当事者の方々と交流会や茶話会などを開いたり、セミナーや勉強会などでの体験発表をしたり、退院の予定がある方への個別支援、外出時の同行支援などをしています。ただ、今はコロナ禍のため、病院訪問ができなくなってしまっているので、ニュースレターのようなものを定期的に作って、病院などに届けたり、オンラインで入院している方との交流会などをしています。  私はピアサポーターとして活動を始めて5年になりますが、活動をしてきた中で、当事者と支援者の間に温度差のようなものがあると感じています。当事者が困っていることなどを支援者に相談するとき、支援者は、今ある福祉サービスの枠の中でできることを提案してくれますが、当事者は、自分が困っていることを、そのものを解決する手段がほしいので、話がうまく伝わらない、納得できない、ほしいのはそれじゃないといった不満を感じることが多くなっています。  他にも説明が足りない、専門用語が多くて話についていけないといったこともあり、当事者側が聞いても分からないからと諦めてしまっていることが多いです。これは支援者と当事者の間で信頼関係が築かれ、密なコミュニケーションが取れていれば、解消できることだと思います。  もう一つ感じるのは、認識の違いです。これは私が発達障がいだからというのもありますが、普段の生活で「普通」や「当たり前」、「一般常識」と言われるものが多いと思います。しかしこの「普通」や「当たり前」、「一般常識」というのは、全ての人に共通することではなく、障がいがない人にとっての「普通」なのです。障がいがない人にとっての「普通」は、当事者の「普通」とは違うかもしれません。周りとは違うことに気づかないことも多く、自分の中の普通の行動が、周りから見ると変だと思われる、避けられる、嫌な気持ちになるというそんな当事者も少なくはないと思います。  これからの支援には、多くの可能性や、普段と違う視点も反映されると良いと思います。もちろん当事者側も、「自分のことを話す」「自分から発信する」ことが重要です。この自分から発信するという点では、話せる当事者であるピアサポーターをもっと活用していただけると嬉しいと思います。  今回、作られた「当事者目線の障害福祉推進条例 〜ともに生きる社会を目指して〜」では、言葉で意思を伝えられない当事者の意思を支援者が汲み取って、希望を最大限に反映させるような支援をするためのものだと、いうことになっています。ただ、当事者の考えや希望は100%、それを汲み取れるものではありません。やはり支援の方は、その病気自体になったことがないため、その人の、当事者の本当の辛さを知ることが難しいと思います。  この支援自体にもできることやできないことも必ず出てくると思いますが、今回の条例が、今の支援よりも、もっと当事者に寄り添った支援を目指せるものに役立つものになってほしいと私は考えています。以上です。 (黒岩知事)  ありがとうございました。もともと精神障がい者をサポートされているわけですけど、こういった機会で、様々な障がい者のところに行ってサポートされるという、いろんなところでもつながっているものを感じるというね。それと同時にやっぱりその、今の話を聞いてみると、当事者と支援する側、要するにコミュニケーションがどれだけ取れるかっていうことですよね。  だからこの話をずっと考えてみると、今日ずっと話を聞いていても、いつもそう思うんですけれども、何もこれ障がい者の話をしているんじゃないのかなっていうね。たまたま、障がい者の皆さんの話から始まってはいますけれども、ここで皆さん訴えてらっしゃる話というのは、あれ、我々実は、みんな社会っていうのは、そういったことをしっかりみんなで配慮しなきゃいけないんじゃないのかなということ。それを皆さんが気づいて発信してくださっているのかなと、そんな感じさえするわけでありましてね。  そういうことをみんなで気づいて、いろんな形でアクションを起こしたことによって、まさに「ともに生きる社会」といったものが、前に進んでいくのかなと改めて思った次第でありました。4人の皆さん、どうもありがとうございました。 (司会)  ご登壇いただいた小西さん、冨田さん、猿渡さん、下条さん、そして知事、ありがとうございました。  それでは続いて、第二部に移ります。会場の準備が整うまで少々お待ちください。