第4回委員会における主な意見 当事者目線の障がい福祉に係る将来展望検討委員会第5回(令和3年10月20日)資料3 1障がい福祉の将来像について (1)津久井やまゆり園事件を契機に、地域共生社会の実現を図っていくべきではないか。 ○地域で生活していると、黙っていても交流になる。言葉にださない交流があると思う。 ○近所の方たちとおしゃべりをする。軽度の知的障がいだからできるのかもしれないが、普通の会話が普通に生まれている。 ○保育園で、他の園児と一緒にクラスを過ごす中で、適応障がいにさせない、ならないようにする取組みを、小さい頃から思春期、大人に向けて続けていくことが大切である。 (2)障がい福祉において、家族目線・支援者目線ではなく、当事者目線の考えを徹底するべきではないか。 ○県が意思決定支援に取り組み、全県に展開していくことは、全国に先駆けた良い取組みである。意思決定支援の取組みを進めるには時間がかかるが、県下全体で展開する必要がある。 ○意思決定支援は、入所施設だけではなく、地域で暮らしているときも含め、幅広く取り組んでいく必要がある。 ○意思決定は大切ではあるが、すべての人に「思い」があることと、周りの人がその「思い」をどれだけ尊重できるかにかかっている。 ○良き支援をしている人は支援しているというよりも、障がいのある人と一緒に暮らしているという印象を持つ。支援する側、される側という立ち位置ではなく、支援者も、ともに人生を築き合っていくという立ち位置であるべきである。 ○てらん広場のスタートは、新しい人生を作ろう、という支援職員と利用者の間での約束である。多様な人たちに囲まれ、多様な経験の中で自分が好きになる。その延長線上に一人ひとりの望む暮らしが広がっているので、てらん広場が取り組む意思決定支援に終わりはない。 ○意思決定は聞いてくれるが、相談はできないことが多く、「意思決定と相談の関係」と疑問に思う。 ○意思決定について、今まではものすごく強固な意思を持っている人を前提にしていたが、今は困ったなあという弱々しい、あるのかないのかもわからない意思を重視しようという時代の流れになっている。 ○弱い人が迷いながら何かを決めている前提で、「あなたの決定に他の人も関わります」というのが意思決定支援だと考えている。 ○小さい時から、いろいろな地域の資源を見て、体験することが必要である。 ○「どんな障がいがあっても、この人は無理だと言うべきではない」という視点を大事にしながら、体験や経験の機会を提供していかないと、意思決定支援は広がっていかない。 ○今までの障がい福祉は、重い知的障がいの人も考えがある、あるいはあったかもしれないのに、親も含めて周りが決めてしまってきた長い歴史がある。小さいときから発言する経験を保障してこなかった私たち周囲の至らなさがある。 ○意思決定支援の中心は自己決定の支援である。ただし、その自己決定には自己責任を伴わないという感覚が必要だと思う。 ○他者の権利を侵害しなければ、その人の意思決定を尊重する基本原則は、まさに当事者目線のことを言っている。意思決定をして結果は違うと思ったとしても、それは失敗ではなく学びである。その学びを蓄積し、本来の意思決定ができるようになっていくのだと思う。 ○今の意思決定支援は、支援者や親、学校の先生など、高みからの意思決定支援になっているが、大切なのは友だちである。専門家にリードされた意思決定ではなく、今後は、「彼が地域に行ったのだから僕も行ってみたい」というような、友だち関係を大切にした意思決定支援を本格的にやっていく必要がある。 〇津久井やまゆり園の意思決定支援について、関係者は努力し一生懸命やったということは否定しないし、簡単に結果が出るわけではないことも分かるが、結果が出せたのかが問われている。意思決定支援の評価をきちんとやっていく必要がある。 ○幼児期の療育相談により、親が子どもに関わり、つながって、育てる苦しさよりも、一緒にやっていこうという気持ちになれるのかどうかが重要である。親の教育、意思決定支援が、共感を持って周知されていくことが必要ではないか。 ○自分の意思をなかなか言えない人もいるので、自分が代わりに言うこともあるし、職員からお願いされて自分が言うこともある。言えない人には仲間同士のサポートが必要である。 ○入所施設は、福祉サービスを提供し支援するという一方的な構図になり、虐待や無理な意思決定支援が生まれている。打開するには、居場所を増やす、ピアカウンセラーなど当事者の役割を増やすことである。 (3)強度行動障がい、高齢障がい者、医療的ケア児など困難性の高い支援課題に対し、県として果敢に取り組むべきではないか。 ○強度行動障がい等に対する専門性として何よりも大切なのは、常に新しい発見や出会いに気づけるかどうかである。利用者とともに喜んだり怒ったりして一緒に過ごす、そういった部分が根底にないと、専門性は暴力に変わるときがある。マインドを受け継ぎ、継承することが大切である。 ○現状、行動障がいと呼ばれている人たちを1か所に集めてしまった結果、構造化された空間の中で刺激を遮断され、何もない生活、暮らしを強いられている。パニックが起きないで静かに落ち着いている、という評価だが、本当に心を穏やかに暮らしているのとは違う。 ○県民の総意をもって、県民総ぐるみで、議会も行政も、この委員会で決めることや決まったことを一過性のブームにせず、持続して実践することが重要である。そのために、県が条例を作り、障がいがある人たちの、入所施設だけではない居場所を、県民一人ひとりが作っていく決意を示してほしい。 (4)障がい者は地域社会を構成する一員であり、本人が希望する場所で、尊厳をもって、その人らしく暮らすことが当たり前であるべきではないか。 ○地域で暮らすにはあいさつが大事。あいさつから輪が広がっていく。 ○仲間たちのことを、葬儀に参加できない、しない方がよいと考える人がいるが、仲間たちは参列できるし、喪主もできる。仲間が葬儀に参列するのは当たり前である。 ○当事者に対して、何を話しても通用しないというのは決めつけである。決めつけはよくない。ちゃんと話をして、楽になって、意欲的になっていくということは良いことである。 ○当事者委員が地域生活で体験していることを、入所施設の仲間たちにも体験してもらいたい。 ○地域資源の拡充として、グループホームだけでなく、重度訪問介護の展開拡大やパーソナルアシスタントのような個人に特化した支援も考えていく必要がある。 ○地域生活での、ウェルビーイング(「良き状態」「幸福」「本人なりの生活」「悩まない生活」)を実現するため、パーソナルアシスタントのような個人に特化した支援が制度上検討されることが可能な社会を目指すべきである。 ○自分が欲しいのは居場所である。居場所には友だちが必要で、職場の同僚との外出が楽しい。仲間たちにも居場所が必要である。時には友だちに疲れることもあるが、いないと寂しい。福祉サービスだけではないことを社会に理解してほしい。 ○入所施設であっても、利用者と職員の暮らしは、地域全体に広がっている。多様な仕事や日中活動、商店街での買い物、食事、美容院や、休日には出かける。入所施設は単独で存在しているわけではない。 ○生活の場と日中活動の場を分ける「職住分離」の考え方は大切である。地域の様々な場所でいろいろな日中活動を行うこと、多様な種類の仕事があることが重要である。 ○入所施設は、基本的にその施設内で日中活動をするという制度的な枠組みになっている。同一法人だけではなく、制度を超えて他法人の事業所に行き、利用者の方々が生き生きとした顔をされているのであれば、むしろ制度が実態に合わないということである。他の施設、国の施策にも反映させるべきで、国の制度も含め、おかしいと言っていかなければならない。 ○保育園の段階から適応障がいにしない取組みと体制づくりが重要である。 (5)障がい者故の価値の創造や、SDGsの「誰一人取り残さない」持続可能な多様性と包摂性のある社会の実現を目指すという理念を生かすべきではないか ○SDGsは、どんなに障がいの重い方も地域で生活する、共生社会を実現する、という神奈川県の覚悟、目標設定と軌を一にするものである。 ○電車やバスといった公共交通機関を利用するときに、駅員や運転手に普通にあいさつしている。みんながそんなふうにできる社会を作りたい。 ○障がい当事者の活躍の場を、公的福祉サービスの範囲にとどまらず、一般企業にも視野を広げることが可能な社会を実現すべきである。 ○障害者権利条約では、地域生活が難しいのは関係者の怠慢により地域生活の支援のための仕組みを作っていないからと謳われている。障がいのせいにせず、関係者の努力や熱意が求められる。 2県立障害者支援施設のあり方について (1)地域生活支援拠点の役割を持たせ、緊急時に対応できる短期入所の整備を必須としてはどうか (2)相談支援の機能と人材育成の機能を充実させることとしてはどうか (3)長期の入所者の地域生活移行を加速させるとともに、通過施設(有期限の入所期間)と して位置づけることとしてはどうか。 ○ただ暴れている人なんだ、何を話しても通用しないと見るのではなく、なぜ入所するのかをきちんと話をすると本人の不安が消えていく。 ○アセスメントを行う上で留意しているのは、できることが増えているか、居場所が増えているか、関わる人がふえているか、本人が楽になっているか、意欲的になっているかという視点である。このような状況が生まれていないと、アセスメントがきちんとできていないのではないか、そのことが本人の可能性を狭めてしまうということに危機感を持ちながら、アセスメントを実施している。 ○地域に戻るというのは、関わる人が増える、居場所が増えるということを意味しいる。 (4)長期入所の定員は漸減させることとし、終の棲家を念頭に置いた新規の入所につい て、原則として、行わないこととしてはどうか。 ○グループホームを作ったから利用者が移行するのではなく、利用者が必要とする支援の仕組みを、利用者に合わせて広げていくという考え方だ。例えば、入所している人が医療的なケアが必要となった時は、施設で支援するよりも、地域で訪問医療などを使った方が手厚い支援ができる。 ○同一法人の中だけで努力するのではなく、民間の他事業者も含めて地域で受け入れていくということが、神奈川全体の福祉を考えていくのに重要な論点である。 ○現状として直ちに県立施設を廃止することはできないだろう。できないのであれば、どうするかを、今後さらに掘り下げて議論すべきである。 (5)民間では担えない理由を明確にし、目的を達成するために必要な実施態勢についても検討してはどうか。 3その他 ○県立施設における不適切支援のこれまでの振り返りは十分ではない。常に反省と振り返りが必要であり、責任を追及するのではなく、なぜこんな状態になったのかということをきちんと検証する必要がある。将来を展望するには、過去の振り返りが必要である。 ○団体等に対するヒアリングの結果については、いろいろな意見が入っているので、是非、今後の議論に生かしてほしい。 ○委員会の報告書が、県民目線として分かりやすく、例えば「いのち輝くともに生きるかながわ」を一つの柱にして、「神奈川で生まれて、神奈川で暮らしてよかったと思えるような福祉づくりを目指す」といったフレーズを入れていくと、県民にとって分かりやすいものとなるのではないか。 ○委員会の報告書が実効性のある仕組みとしてアウトプットされるよう検討してほしい。行動指針か行動計画か、あるいは条例になるかは分からないが、県の本気度を形にしてほしい。 ○他県の差別禁止条例は、知的障がい当事者には分かりにくい。当事者目線と言いながら、当事者が全然分からないような条例は作ってほしくない。 ○新たな条例などを検討するのであれば、当事者の言葉、思いを組み込んだものとしてほしい。