3章 神奈川県をもっと知ろう  1 神奈川県の日本一  神奈川県のさまざまな「日本一」をしょうかいします。 [研究所の新規立地件数] (2016年〜2022年の合計) (工場立地動向調査) 1位 神奈川県       20件 2位 静岡県        12件 2位 京都府        12件 4位 兵庫県         9件 5位 茨城県         8件 5位 埼玉県         8件 7位 愛知県         8件 [通勤・通学にかかる時間](2021年) (社会生活基本調査)  1位 神奈川県       100分  全国平均           79分  山形県,宮崎県    (最も短い)        56分 [Jリーグのチーム数]  (2022年3月げんざい)  1位 神奈川県   6チーム 川崎フロンターレ,横浜F・マリノス, 湘南ベルマーレ,横浜FC, Y.S.C.C.横浜,SC相模原  2位 静岡県 4チーム  横浜中華街(横浜市)  200をこえる料理店がならぶ日本一大きな中華街です。中華料理をめあてに全国から観光客がおとずれます。  鉄げた(南足柄市)  大雄山最乗寺(道了尊)には,世界一の大きさの鉄でできたげたがあります。まつられている天狗さんのはきものです。  2 神奈川県にある日本のはじめて  神奈川県にある「日本初」のものをしょうかいします。  横浜はじめて物語  1859年に横浜が開港されると,たくさんの外国人が横浜にやってきて,西洋の文化を伝えました。横浜では,日本で初めてつくられたり売られたりしたものがたくさんあります。 [横浜から全国へ](例)  ホテル(1860年)  写真館(1862年)  アイスクリーム(1869年)  ビール(1870年)  日刊新聞(1871年)  鉄道(1872年)  ガス灯(1872年)  せっけん(1873年)  テニス(1878年)  近代水道(1887年)  観音埼灯台(横須賀市)  1869年に完成した日本最初の西洋式灯台です。今の灯台は3代目です。東京湾の船の安全を守っています。  3 未来をひらく神奈川の科学ぎじゅつ  わたしたちの生活をゆたかにするために,科学ぎじゅつは大きな役割をはたしています。神奈川県には,新しいぎじゅつの開発をめざす研究所がたくさんあり,企業や大学などと協力しあって,いろいろな研究を行っています。  神奈川にある新しい科学ぎじゅつの研究しせつ JAXA(ジャクサ)(宇宙航空研究開発機構)相模原キャンパス(相模原市)  JAXA相模原キャンパスでは,太陽や星の観測や分析を人工衛星ひので」や「ひさき」などを使って行うなど,最先端の宇宙科学を研究・開発しています。また現在では小惑星探査機「はやぶさ2」が「リュウグウ」の砂つぶを地球に届け,次の目的地へ向かっています。 理化学研究所横浜キャンパス(横浜市)  この研究所では,環境や生命に関する研究をしています。たとえば,環境に負荷の少ないモノづくりや,薬のきき方が人によりちがうことなどについて,調べています。 海洋研究開発機構(JAMSTEC(ジャムステック))  (本部:横須賀市)  JAMSTECで活やくしている「ちきゅう」は,世界一深く海の底をほることができる科学掘削船です。深い海の底をほって,海底下の生命や地しんが起きる仕組みなどを調べています。 かながわで生まれたロボット  人口減少や超高れい社会をむかえ,県ではさまざまな課題に立ち向かっていくため,みなさんの生活を支えるロボットを開発したり,広めたりする取組をしています。  コミュニケーションロボット『パルロ』  高れい者の話し相手となり,歌や体そう,クイズ等を通じて,すこやかな生活のサポートを行うコミュニケーションロボットです。  災害救助対応ドローン  水にぬれるとふくらむうきわを運んで投げ入れるきのうや,危けんを知らせるスピーカーやカメラなどをそなえており,これまでの方法よりももっと安全にすばやく救助活動を行うことができます。  県では,子どもたちが科学に親しむことができるように,夏休みに県内の研究しせつや大学などで行われる,さまざまな実験教室や 工作教室などを,「かながわサイエンスサマー」としてしょうかいしています。みなさんもぜひ参加してみてください。  4 神奈川県ゆかりの人  (1)武士の世の中をつくった源頼朝  今からおよそ900年前,中央(今の京都)の貴族政治がみだれ,争いが多くなると,農民たちの中には刀や弓などを武器に,田や畑を守る人たちがあらわれ,強い力をもつようになりました。その人たちは,武士とよばれていましたが,その中でも特に強い力をもっていたのが源氏と平氏でした。  平氏によって伊豆(今の静岡県)に流されていた源頼朝(1147年〜1199年)は,源氏に味方する東国の武士団を集め,1185年に平氏をほろぼし,1192年に征夷大将軍に任じられました。  源頼朝が幕府をつくった鎌倉は,鶴岡八幡宮を中心に若宮大路など道が整えられ,たくさんの寺が建てられて,日本の政治の中心になりました。また,平氏や源氏によりはじまった武士による世の中は,こののち約700年間続きました。  (2)わが国を代表する戦国大名の北条早雲(伊勢宗瑞※)  今からおよそ500年前は,全国各地で大名とよばれる有力な武士がそれぞれ勢力をふるい,争っていた時代です。戦いが多かったことから,のちにその時代を戦国時代とよんでいますが,げんざいの神奈川県の地域で大きな勢力をもった大名が北条早雲(1456?年〜1519年)です。  北条早雲は,姉がとついでいた駿河(今の静岡県)の今川氏をたよって京都からくだり,勢力を強め,伊豆をうばいました。  やがて早雲は大森氏に代わって小田原城に入り,さらに三浦半島の三浦氏をほろぼして相模の国をおさめるようになりました。早雲は,20年で伊豆と相模の国を支配し,そののち北条氏は,小田原城を拠点として5代約100年にわたって伊豆,相模,武蔵の国をおさめ,今の関東地方の北部あたりまで勢力をのばしました。 ※北条早雲は死後に広まった名前で,生きている時には伊勢宗瑞と呼ばれていました。  (3)農民のためにつくした二宮尊徳(金次郎)  今からおよそ200年前,小田原を流れる酒匂川が大洪水となり,多くのひ害が出ました。当時,少年だった二宮尊徳(1787年〜1856年:そのころの名前は二宮金次郎)の家の田畑も流されてしまいました。尊徳の両親は,その後の苦労であいついでなくなりましたが,尊徳は,一生けんめいに働き,まずしかった家を立派にし,少しでも村のためになるように工夫と努力を重ねました。  二宮尊徳は,小田原だけでなく,全国のまずしい農村をゆたかな農村にするための仕事に一生をささげ,農民のためにつくしました。  このほかにも,ゆたかな農村にするために,多くの人たちによって,県内にたくさんの新田が開発されました。 吉田新田ができるまで  吉田新田は,商人である吉田勘兵衛が中心となって当時は海だった関内駅の西側のあたりをうめ立ててつくられました。  吉田新田の工事は今からおよそ350年前の1656年に始まりましたが,大雨で流され,一度失敗してしまいました。しかし,あきらめずに二度目の工事を1659年に行い,1667年に完成しました。  吉田新田はつりがねのような形をしているのが特ちょうです。広さは約35万坪で横浜スタジアムが44個分はいるくらい大きな新田です。  どうやってつくるの?  当時のし料がなく,つくり方については分からないことも多いです。しかし,当時の川や海のようすから,水の力を受けやすいつりがねのてっぺんに最初にじょう夫つつみ(水があふれないようにきずいた土手)をつくり,そのあと下につつみをのばしていったと考えられます。  材料となる土や砂は近くのがけを切りくずして船ではこびました。また,石がきに使った石は千葉県南部や伊豆半島からはこばれました。  工事には一日で数百人もの人が参加したと言われています。  (4)浦賀にペリーあらわれる  1853年見なれない大きな外国船が4せき,浦賀(横須賀)沖にあらわれ,人々をおどろかせました。それは,アメリカ合衆国の使節,ペリーのひきいる艦隊でした。日本はそれまで「鎖国」といって,いくつかの国とだけしかつきあいをせず,外国人は長崎以外には,住めませんでした。  ペリーはアメリカ大統領の手紙を幕府に渡し,「鎖国」をやめることを強くせまりました。幕府はことわりきれず,次の年に横浜で話し合い,日米和親条約をむすび,日本に来たアメリカの船に食料や水を渡すことにしました。さらに,1858年,日米修好通商条約をむすび,その後オランダ,ロシア,イギリス,フランスとも同じような条約をむすびました。今まで小さな村にすぎなかった横浜に港やまちがつくられ,外国人も住むようになりました。  (5)京浜工業地帯のもとをきずいた    浅野總一郎  富山県に生まれた浅野總一郎は,東京や横浜に来て,いろいろな商売をしました。横浜では,みそを包む竹の皮や石炭を売ることから始め,セメント会社をつくるなど,事業をしだいに大きくしていきました。  その大きな事業のひとつが,鶴見(横浜)や川崎の海のうめ立てです。500ha(ヘクタール)もの新しい土地をつくる計画をたて,イギリスからサンドポンプ船(どろやすなを水といっしょにポンプですいあげる船)を輸入して,うめ立てをしました。新しい土地には大きな工場が立ちならび,京浜工業地帯のもととなりました。   (6)民主主義と平和に一生をささげた尾崎行雄(尾崎咢堂※)  尾崎行雄は,明治〜昭和時代に活やくした政治家で,1858年に相模国(今の相模原市)で生まれました。  1890年の第1回選挙から連続25回当選し,94歳まで63年もの間衆議院議員をつとめました。94歳は日本最年長記録であり,この記録は今もやぶられていません。政治を長い間ささえたことから,「憲政の神様」「議会政治の父」とよばれています。  尾崎行雄は戦争で荒れたヨーロッパを訪れた経験から,戦争のつらさを学び,平和の大切さを伝え続けました。日本が戦争中であっても,戦争を行う軍に反対する演説を行いました。  尾崎行雄をたくさんの人に知ってもらうため,尾崎行雄が生まれた相模原市緑区の尾崎家代々の屋しきあとに,「尾崎咢堂記念館」が建てられました。 ※本名は尾崎行雄ですが,本を書く時には「尾崎咢堂」という名前を使っていました。  5 歴史と伝統が育てた地域産業  神奈川県には,海に面した地域,森林が広がっている地域,武士の時代に政治の中心となった地域,外国との交流がさかんな地域など特色のある地域があります。地域の特色や歴史のえいきょうを受け,昔からさかんな産業が県内にあります。  (1)鎌倉彫  800年前に中国のえいきょうを受け,仏像や仏具に使われる彫刻とうるしぬりのぎじゅつから生まれた工芸品です。  カツラの木が主に使われ,草花のもようが力強くほられ,落ち着いた色のうるしぬりが特ちょうです。  古くはお寺で使う仏具が主に作られていましたが,茶の湯がさかんになると,茶道具として広まり,今ではおぼんやお皿などの日常生活品も作られています。作品を作るのに1か月以上かかります。カツラの木の不足により,大きな形のものが手に入りにくくなっています。古いぎじゅつを受けついで,鎌倉市を中心に作られています。  鎌倉彫職人三月さんのお話  工芸品には工程ごとにちがう人が手分けして作るものもありますが,鎌倉彫では,自分の作品として発表する場合,はじめから終わりまで全て自分で仕上げることが多く,それもみりょくの一つです。見た人がわたしの作品だと気づいてくれるような作品づくりを心がけています。鎌倉彫をもっともり上げていくために,伝統的なものだけでなく,今の生活にあった新しい商品も作っていきたいと思っています。  (2)箱根寄木細工  木が持つ自然の色,木目を生かして,カツラやミズキ,サクラなどちがう色の多くの木を組み合わせてもようを作っているのが特ちょうで,おぼんや小物入れなどが作られています。江戸の末期ぐらいに石川仁兵衛という人が,静岡からこのぎじゅつを持ち帰り,箱根の畑宿で作られるようになったと伝えられています。箱根の山は木の種類がほうふにあったことや,東海道を行き交う人,箱根への温泉客のぞうかにより、おみやげとして生産が活発になりました。時代とともにぎじゅつが開発され,ちみつでさまざまなもようのものが,箱根町や小田原市で作られています。  寄木細工職人金指さんのお話  伝統の技に自分なりの工夫をくわえて,新しい作品を生み出すことがこの仕事のやりがいです。寄木のもとをうすくけずってはりつける「ズク」ではなく.寄木のもとそのものをくりぬいて作品にする「ムク」という作り方にこだわっています。日本を代表する伝統工芸品といえば,だれに聞いても箱根寄木細工と言ってもらえるようにすることが夢です。寄木細工をもっと多くの人に知ってもらうため,毎年,箱根駅伝往路の優勝記念トロフィーもつくっています。  (3)小田原漆器  600年前から伝わる工芸品です。木材の表面をうるしでこすりつけ,自然の木目を生かしているのが特ちょうです。この方法で,おぼん,おわん,お皿が作られています。小田原市を中心に作られています。  (4)横浜スカーフ  1873年のウィーン万国博覧会や,1880年のメルボルン万国博覧会へ絹のハンカチを出品したのをきっかけにさかんに作られるようになりました。  図がらをプリントするぎじゅつは世界的に高く,ていねいな仕上げが特ちょうです。  (5)半原の繊維  およそ200年前に八丁式撚糸機(より糸をつくる機械)を取り入れたのが,愛川町の半原でより糸を生産するようになった始まりです。八丁式撚糸機は水の力を使い,短い時間でたくさんの糸をつくれるのが特ちょうです。  そして,げんざいでは,より糸からぬい糸(ミシン糸)へ発展し,ネクタイなどの繊維製品も作られています。  6 みんなの宝物  (1)見に行こう神奈川の祭り  「浜降祭」「大凧まつり」「貴船まつり」などは古くから伝わる祭りです。昔の人が信じていたものや願いが祭りという形で今に伝えられています。  「横浜開港記念みなと祭」「湘南ひらつか七夕まつり」「箱根大名行列」などはその地域の発展を願い,商業などをさかんにするために行われるようになった祭りです。 横浜開港記念みなと祭(5月)  横浜の港が開かれたことを祝う祭りです。ザよこはまパレード(国際仮装行列)は,71年の歴史をほこり,大きなフロートやマーチングバンドが参加するはなやかな祭りです。 相模の大凧まつり 座間市大凧まつり(5月)  こどもの日を祝う祭りです。江戸時代から続く伝統行事です。大凧は同じはっぴを着た100人以上の人によって,大空へあげられます。 湘南ひらつか七夕まつり(7月)  平塚駅前の商店街を中心に高さ10メートルくらいのさまざまな七夕かざりがかざられ,七夕かざりのトンネルができます。さまざまな産業が元気になることや,全国の方々に“平塚”を知ってもらうことを願って,開催しています。 貴船まつり(7月)  全国に知られた船祭りで,船に神様をおうつしすることにより,漁業の大漁と安全を願い,また,無事にすごせることへの感謝をあらわします。ごうかにかざりつけられた船が真鶴港からでます。2日間にわたり行われる祭りです。 浜降祭(7月)  寒川神社をはじめ,寒川町,茅ヶ崎市内にある大小合わせて 40基をこえるみこしが朝早くに茅ヶ崎西浜海岸に集まります。そして,みこしを清めるために,海の中にかつぎこまれます。 大井よさこいひょうたん祭(8月)  子どもたちに「ふるさと」を大切にする気持ちをはぐくんでもらうために開さいしています。  「ジュニア&キッズダンスフェスティバル」と,「よさこい踊りコンテスト」が行われ,多くの参加者・観光客が訪れる町内一大きな祭りです。 川崎山王祭(8月)  毎年8月上旬に盛大に行われる稲毛神社の祭りです。神様の結こんと誕生を表す祭りで,「孔雀」「玉」と呼ばれる男女のみこしが町を練り歩くのが特ちょうです。 箱根大名行列(11月)  江戸時代の大名の参勤交代の行列をさいげんしています。170名がその当時の衣装で行列し,箱根湯本を一回りします。 小田原梅まつり(2月)  約35,000本のうめの花がさく曽我梅林と,約250本のうめがさく小田原城址公園で開さいされます。  うめの花を見るだけでなく,地元の食べ物やししまいのおどりも楽しめます。  (2)祭りにたずさわる人たち  祭りは開さいする人だけでなく,その地域に住んでいる人の力でも成り立っています。祭りにたずさわる人たちがどのような想いで祭りをつくっているのか見てみましょう。 鎌倉まつり(4月) 鶴岡八幡宮を中心に鎌倉市内でさまざまな催しが行われます。特に,鶴岡八幡宮で行われる「静の舞」や,鎌倉武士の恰好をして馬に乗り矢を放つ「流鏑馬」が有名です。 〇鎌倉まつりに携わる鎌倉市観光協会稲田さんのお話  鎌倉まつりは春の鎌倉を代表するお祭りです。中でも,静の舞は,鎌倉時代,源頼朝の命令で京都で有名な静御前が愛する源義経のために舞ったと伝わります。  2022年に放送された大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)の中でも,静の舞のシーンがありました。このような歴史や文化,伝統芸能は,鎌倉まつりのみ力の一つであり,これからも続けていけるように取り組んでいきたいです。 相模国府祭(5月)  大磯町内で平安時代から続くと言われている伝統ある祭りで6つの神社がともに行います。  神揃山と大矢場(馬場公園)でみこしや座問答,ちまきなどさまざまな行事が行われています。 〇祭りに向けての準備 草かり  みこしが通る神揃山の道の草かりをします。  地域の方が協力し,2時間ほどで作業を終えました。 ミゴづくり  ミゴとはわらのしんをぬき出したもので,ちまきのたわら使われます。  ミゴづくりは一年ごとに代わる当番の地域の方が行います。 @わらを根元から切り,節の上をはさみで切る。 A穂先の部分をひっぱり,ミゴをぬき取る。 Bミゴを100本束ねて,輪ゴムでしばる。  20人ほどの地域の方が参加し,8000本ものミゴをつくりました。  (3)残したい神奈川県の文化財  神奈川県にはわたしたちが守ってきたさまざまな文化財がたくさんあります。2022年(令和4年)げんざいで2,593件が国,県,市町村に指定され,そのうち19件が国宝です。  箱根関所(箱根町)  国指定 史跡(記念物)  この関所は,江戸時代(今から約400年前)に江戸(げんざいの東京)を守るために,人や武器の出入りを調べた建物です。げんざいは,関所の建物がふくげんされています。  相模国分寺跡(海老名市)  国指定 史跡(記念物)  奈良時代(約1,300年前)のお寺のあとで,げんざいは,七重の塔の土台がふくげんされています。  海老名市温故館には,お寺のふくげん模型がてんじされています。  旧横浜正金銀行本店本館 (神奈川県立歴史博物館)(横浜市)  国指定 建造物(有形文化財)  国指定 史跡(記念物)  1904年に横浜正金銀行本店として建てられました。げんざいは神奈川県の歴史の理解を深めるための資料や,昔のものをさいげんした模型がてんじされています。  勝坂遺跡(相模原市)  国指定 史跡(記念物)  縄文時代(今から約5,000年前)の村のあとです。当時の家のあとがたくさん見つかりました。  げんざいは公園として,ふくげんされた家をみることができます。  チャッキラコ(三浦市)  国指定 民俗芸能(民俗文化財)  チャッキラコは,三浦市三崎の花暮,仲崎地区で毎年1月におこなわれる伝統行事です。少なくとも約300年前から続いているとされ,2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録され,2022年には「風流踊」として改めて拡張登録されました。  大人の女性が歌を,4.5歳から12歳くらいまでの女の子が,舞を神前で奉納し,その後旅館や商店でひろうすることで,正月を祝い一年の豊漁を祈ります。  高徳院銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉市)  国宝 彫刻(有形文化財)  鎌倉の大仏として知られています。台座を除いた高さは約11mで,つくられた当時(1260年ごろ)の姿を今もよくのこしています。  また,鎌倉市内にはこの鎌倉の大仏のほかにも,多くの国宝があります。  この鎌倉の大仏を含む鎌倉の歴史的文化財を世界遺産へ登録するためのじゅんびが,げんざいすすめられています。  小田原城跡(小田原市)  国指定 史跡 (記念物)  1500年ごろに築かれた,関東の中でも最大希望のお城です。  小田原城はほとんどがこわされ,残っていた石がきも1923年の関東大震災でくずれ落ちてしまいました。  げんざいは,ふくげんされたお城のすがたを見ることができます。  小田原城天守閣館長諏訪間さんのお話  小田原城の特徴は,北条氏が領民とまちを守るために築いた堀と土塁の「総構」があることです。  豊臣秀吉との小田原合戦では,総構の中に領民も立てこもって戦いました。豊臣氏や西国の大名は小田原城の丈夫な総構を参考に城に総構を築きました。  領民が平和に暮らせる国づくりを目指した北条氏と小田原城のすばらしさを多くの人に知ってもらいたいです。目指せ「北条五代を大河ドラマに!」  相模人形芝居(厚木市)  国指定 民俗芸能 (民俗文化財)  相模人形芝居は,江戸時代中ごろ(今から約300年前)に始まったと言われています。  鉄ぽうをうつようなしせいで人形を持つ「鉄砲差し」と,主遣い(頭と右手を動かす)・左遣い(左手を動かす)・足遣い(足を動かす)の3人が協力して1体の人形をあやつる「三人遣い」が特ちょうです。  相模人形芝居にたずさわる相模人形芝居林座座長葉山さんのお話  相模人形芝居は昔からの物語をたくさんの人形でお芝居しています。  昔の人は,テレビやインターネットが無い時代に,「なにか楽しいことをやろう」と,たくさん,たくさん考えて,色々なことをしていました。  私たちは,昔の人がやっていたそのような楽しいことを,今の時代にも伝えていくために活動しています。  (4)水のみりょくにあふれる神奈川  神奈川県は,緑ゆたかな美しい自然と,湖や川,たき,わき水,海など,ゆたかな水にめぐまれています。山にふる雨は,森林にたくわえられ,ゆっくり流れ出て川となり,やがて海へと注がれます。水は,わたしたちのくらしになくてはならないものであり,やすらぎや楽しみをあたえてくれます。  これらの宝物を大切に守っていきましょう。 大山のとうふ(伊勢原市)  「大山のとうふ」など,わき水を使った名産品があります。 夕日の滝(南足柄市)  県西地域には,金太郎がうぶ湯をつかったと伝えられる「夕日の滝」など,たくさんの滝があります。 大磯海水浴場(大磯町)  明治時代から海水浴場として知られている大磯海岸や,日本ヨットのはじまりの地である葉山など,歴史とみりょくのある神奈川の海は,たくさんの人びとでにぎわっています。 丹沢湖と水源林(山北町)  相模湖,津久井湖,奥相模湖,宮ヶ瀬湖,丹沢湖は,「やまなみ五湖」とよばれ,わたしたちの大切な水がめです。 相模川(相模原市)  県の中央を流れる相模川は,あゆが放流されており,あゆつりを楽しむ人でにぎわいます。 京浜臨海部の夜景(川崎市)  化学工場や石油コンビナートなどの工場が集まる京浜臨海部は,船にのり,水上から美しい夜景を楽しむ観光が人気です。 江の島と湘南海岸  三浦半島から湘南,湯河原にいたる美しい海岸線は,県民の協力により,開発から守られてきました。海岸を美しくたもつため,そうじのボランティア活動が行われています。