ホーム > 電子県庁・県政運営・県勢 > 県政情報 > 県全体の広報 > メッセージ・発言集 > 令和5年 年始あいさつ
更新日:2023年1月4日
ここから本文です。
令和5年 年始あいさつ
日時:令和5年1月4日(水曜)9時30分から9時50分
場所:県庁本庁舎 大会議場
明けましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
この年末年始、本当に天気に恵まれて、穏やかな静かな形で正月を迎えることができました。思い返せば2年前の正月というのは、元旦から皆で集まって、そして、どうするかという対応を決めて、そして2日には、首都圏の4人の知事と一緒に、当時の西村大臣のところに要望に行ったといったようなところから考えると、本当に穏やかな、のんびりとしたお正月を迎えることができたと思っているところでありますが、しかし、感染者の数だけ見ますと、あのときよりもはるかに多い状況にはなってはいるのですが、われわれはそれだけ、コロナとのつき合い方に慣れてきたということであって、経済のエンジンを回しながらも、コロナに対応できる状況になっているのだといったことを改めて確認できた次第でありました。
私も年末にコロナにかかって、自分で、こういうものか、これだけ用心してもなってしまうものか、と改めて実感をした次第でありましたけども、その回復ということも含めて、箱根に行って、のんびりとしてまいりました。箱根駅伝の選手たちをゴールでお迎えして、そしてその翌日には、また出発するところをお見送りさせていただきました。お客さんもたくさん集まっておられて、関係者によると、町長とも話をしましたけども、コロナ前に大体戻っているということがあったので、良かったなと安心をしたところでもありました。
そのような中で、ちょっとしたエピソードがありました。家内と2人で行っていたわけですけども、実はゴール地点から、せっかくだから箱根神社に初詣に行こうということになりました。そのときのことであります。芦ノ湖は、このような形であって、私の頭の地図からすれば、箱根があってこういうふうに、芦ノ湖があって、下の方に、いわゆるゴール地点があるわけです。南側です。箱根神社は右の方に2kmぐらいのところにあるわけです。私が「はい、行こう」と言って歩き始めたら、うちの家内が「逆だ」と言うのです。「逆だって違うよ、右にあるのだから、右だよ。」「違うよ。逆だ」と言う、何を言っているのだということで、若干の言い争いになったのですけども、実は正解は家内の方でした。というのは、何を言っているかというと、私が「右だ」と言ったときの自分の目線はどこにあったかということなのです。私の頭の中には、地図がぱっと浮かんでいて、箱根神社はゴール地点からこっちだと思い込んでいたわけですけども、実はそのとき私が立っていたのは、道路の向こう側でありまして、湖を私は背負っている形だったのです。ですから、地図は反対を向いていなければいけなかったのですけども、私の頭の中では、元々ある地図があって、転換ができなくて、右と左を大きく間違えてしまいました。そのときに、皆さんにいつもいつも「目線が大事だ、目線が大事だ」と言い続けている私自身が、このような簡単なことで右と左を間違ってしまうということになりかねないのだということを知って、かなりぞっとした次第でありました。といった話ぐらい、目線に立つ、自分の目線ではない目線に立つということは、いかに難しいことかということだと思います。
そもそも、私はこの目線と言い始めた一番の原点は、もう30年以上に遡りますけども、当時、テレビのキャスターとして救急医療キャンペーンをやったと、前からお話をしました。救急車の中に医療がないのはおかしいのではないかというテーマでやったのですけど、そのときに、1キャスターとしていろんな人に取材をしましたが、皆さん言うことがバラバラなのです。いろんなことをおっしゃいます。とにかく、救命救急医療の現場で頑張っているドクターたちは、「とにかく、われわれがいくらこんな頑張っても、ここに到着する前にやってもらわないと間に合わないのだ」と。「だから、一番先に行くのが救急隊だから、そこでやってもらえないと困るのだ」という話をされていましたけど、同じドクターでも麻酔科のドクターになると、「それは違う。アメリカのパラメディックがやっている気管挿管というのは、これは非常に難しい措置であって、そのようなものを消防士がやったならば、めちゃめちゃになってしまう。だから、絶対駄目だ」という人もいる。消防の中でも、一般の消防士の皆さんは「そんなとんでもない。私たちが医療行為をするのは冗談ではないです」と言うし、消防のトップは「消防は変わっていかないといけないのだ」という話もするし、医師会は「医者以外の人間が医療行為をしたら、めちゃめちゃになってしまう、冗談じゃない」ということで、バラバラのテーマを、どの視点で、今で言う目線で、取り上げるべきなのかということが私に突きつけられた大きな課題でありました。そのときに、自分は一体何なのかなと。というときに、自分が、家族が具合が悪くなって救急車を呼ぶ場合に、あるいは自分自身が具合悪くなって救急車が来てくれるという場合に、どんな救急隊が来てくれれば一番良いのか。もうこの1点に自分が立つ以外ないというふうに思いました。ですから、家族のための救急隊、という言い方をずっとしてきたわけでありまして、そのときに、やはり自分の目線をどこに置くかということの大切さということを、生々しく感じたわけでもありました。
その後、ナースの取材をずっとしていた時代がありました。「感動の看護婦最前線」という人気ドキュメンタリー番組シリーズがあったのですけども、その中で、日本医大救命救急センターに配属された8人のナース。この人たちをずっとフォローをして取材をしていました。3年経ったときに、また訪れました。8人のナースは3人に減っていました。いろんな部署に変わっていって、その中の1人にカメラが密着をしました。ここに寝ている患者さんがいました。意識はない。ICUに繋がれた患者さんです。その患者さんに向かって、そのナースが一生懸命語りかけていました。そして、何をしゃべっているかというと、モニターの説明をしていました。われわれはその映像を見ながら、ナレーションをつけました。放送作家がつけるのですけれども、私は当時から、いちいちコメントにうるさいので、放送作家が書いた原稿も全部自分で朱を入れていましたけれど、今でもそういう癖が抜けないのでありますけど。それでやったとき、私たちは、「意識がない患者さんにも優しく語りかける何とかさんというナース」という表現をしました。ところが、その映像をスタジオで見ていたのが当時の日本看護協会会長の南裕子さんという人でありました。その隣には、日野原重明先生もコメンテーターとしていらっしゃったわけでありますけれど、その映像を見ながら、全然別のことを、彼女は発見しました。「彼女も随分成長したものですね」と言って「なぜ彼女がモニターのことを説明していたか分かりますか。それは患者さんの目になっているからです」と。患者さんの目は虚ろに開いています。でもわれわれは見て、この人は意識ないから、目には何か写っていても何も分からないだろうなと思っていますけれども、彼女はその寝ている患者さんのまさに目線に立って、写っているのであろう光景について説明をしていたわけであります。「この数字はあなたの心拍数でね、このラインはあなたに繋がっていてね、これで送っているのですよ、これで薬剤を入れているのですよ」こういう説明をしていたわけでありました。つまり、そのナースが成長したというのは、ナース自身の目線で見るのではなくて、その患者さんの目線に自分の目線を切り換えて、それで見ることができるようになった。それは、大きな成長だと言ってくれました。ところが、患者の目線になるだけでは、良いナースにはなれないです。目の前の患者さんに没頭し続けて、全体が分からなくなると、これも逆に言うと皆さんの足手まといにもなりかねないといったときに、私もそういう意味で、いろんな取材現場に見に行きながら、ナースをじっと見ていましたけれども、この人の目は一体どこにあるのかなと思うような動きをするナースもいました。おそらく、その人の目は天井についているのかなと、病室全体、病棟全体を見る目がどこかにあって、自分は今、一生懸命患者の目線になってやっているけれども、ポンと切り換えたらば、カメラを切り換えて、全体を上から見るような目線の中で、ぱっと人がいないところに行くという、それを瞬時にぱっぱっぱっと切り換えていけるという、こういうナース、素晴らしいと思って見ていました。その感動の看護婦最前線という問題でずっと見続けたのは、看護は要するに何だろうかという目でずっと見ていたわけでありますが、看護って目線なのかなと。目線ということがやはり非常に大事なのだなということを、その長い、12年以上続いた番組でありましたけれども、その番組を通じて学んだことでありました。
そのような中で、私が、県庁に来てから、「いのち輝く神奈川」、最近いのち輝くの方ばかり言っていますけども、もう1個あるのです。「マグネット神奈川」という言葉があります。「マグネット神奈川」はどういうことか。引きつける力という言い方をいつもしていますけど、あれこそ実は目線の話なんです。つまり、神奈川県に来て欲しい、来て住んで欲しいという思いを、どうやって皆さんに伝えるかといったときに、どんな神奈川県だったら、どんな、例えば三浦市だったら、鎌倉市だったらば、皆さんが来たいと思うかということです。来てもらいたいという気持ちのまま考えていると、多分道は全然開けないです。つまり、自分は神奈川県に住んでいるのだけども、神奈川県の住民なのだけども、ぽんと目線を変えて、神奈川県以外の人たちから見たときに、どうやったらあそこに行きたい、あそこに住みたいかと思う。つまり、自分の目線を神奈川県外に変える、外の人間に変える、というところ、これが一番大事なことだと思うのです。私も知事になる前、ずっと地域再生ということに関心があり、さまざまな日本中の現場を回って取材もし、お話もしてきましたけども、要するに、この1点に尽きるなと。自分たちの目線で考えている街は絶対によくならない。外からの目線に切り換えたときに、その街は大きく生まれ変わっていくエネルギーが生まれてくるのだといったことをつくづく感じた次第でありました。例えば、ずっと住んでいる人にとってみれば、そこにある景色は当たり前、何の魅力もないのが当たり前。ところが、外の人から見れば、その当たり前の景色が実に素晴らしいということは、よくあることです。最近三崎の方で、三浦市の三崎の方で、古い蔵、これをどんどんリノベーションして、そして美しい蔵の街がどんどん再生されています。例えば、あのような古い蔵というのは、その現場に住んでいる人からすれば、「もうこんな古臭い、これが駄目なのだ」と思っている。ところが、外からや、むしろ都会の人から見れば、そんな古い蔵がこの商店街に残っているということ自体が面白い。魅力的だなと思う。そこに気が付いて、その蔵の中をきれいに改装して、そして中に入ったならば、非常に快適な空間になっていて、皆で泊まって、高級ホテルに泊まっている以上のそういうクオリティがある。外から見れば古い蔵。これがやはり魅力だということです。これも、どうしてそういう再生ができたのかといったら、やはり目線を切り換えることができた。とかく、このような作業を行うには、自分たちだけで発想するのは無理です。それは自分たちがいくら頭の中で考えても無理です。これをやったのはやはり外から来た人です。外から「魅力的だ。この町は」と思った人が古いものを残しながら、中をきれいにリノベーションしていって、町の魅力がどんどんどんどん際立ってきているということでもあります。自分たちにとっては、古臭いものを早く切って捨ててしまえといったものを外の人たちが「ちょっと待った」と残して、いい町並みが残ってきているというのはたくさんある。大磯町もそうです。大磯もどんどんどんどん生まれ変わっています。大磯は、私にとってみれば、若い頃、憧れの町でした。大磯ロングビーチは、皆がデートに行くような最高の憧れのコースでもありました。いつもテレビでは、芸能人の水泳大会とかをやっていて、少し下品なシーンありましたけど、あれをやっていたのはフジテレビでした。あれだけ魅力的な大磯が、私が知事になって行ったときには、もう廃墟のようになっていた。なんだこれはと見たときに、古い家が残っていました。これは、かつて陸奥宗光が住んでいたお家で、ある会社によってずっと保存されて残っていました。陸奥宗光といえば神奈川県知事の大大大先輩でもあります。そういうお家を見たら、ここは大隈重信のところであるとか、伊藤博文のお家もあるぞと言いながら、伊藤博文の滄浪閣はボロボロで、いかにも早く皆が潰して欲しいと思うような状態でありました。でもちょっと待った。私はそのときはよそ者ですから、あのときは、昔6年間横浜市に住んでいましたけれど、そのあとずっと、横浜、神奈川県に住んでいない人間で、知事選で突然のごとく、神奈川県はどんな状態だろうといって選挙しながら周ったときに、あのかつての大磯のすたれ具合、そしてよく見ると、ボロい建物だけど、きちんと残っているところもあるといった中で、こういう古いものを残せることができれば、この町は改めて歴史を感じさせる町に変わるぞといったところから始まったわけでありまして、そういったことを地元も巻き込んで一生懸命やっていたら、国が目を向けてくれて、大きな国の直轄事業にもなったということがあって、伊藤博文の滄浪閣も今生まれ変わろうとして、どんどんどんどん魅力を増そうとしているということです。こういうことも含めて、やはり「目線」ということが、どれだけわれわれに大きな発見、そして大きな原動力を生み出すかということをよく物語っていると思います。
そのような中で、昨年、振り返ってみて、私が一番大きな出来事だったと思うのは、当事者目線の障害福祉推進条例といったものを、全会一致で作り上げたといったことでありました。なぜ、あの津久井やまゆり園であのような事件が起きたにも関わらず、われわれは再生を目指して必死で頑張ってきたにもかかわらず、ともに生きるかながわ憲章といったものをつくり上げて、そして前へ前へ進んでいこうとしていたにもかかわらず、今も虐待と言われるような事実が続いていたという。これは本当に大きな衝撃でありました。なぜなのかと現場へ見にいったときに、当たり前のように、24時間部屋に閉じ込められている人がいるわけです。私が見に行っているのだから、まずいと思って隠したりするのかと思ったら、隠しもしない。堂々と丁寧に説明してくれて、この人はなぜ部屋から出せないのかっていったことを語ってくれました。でも、今の法律のもとでは、24時間部屋へ閉じ込められているということ自体が虐待なのです。でも、虐待ということは、法律でちゃんと規制されているにも関わらず平気で皆やっていた。なぜなのかと話を聞いてみたら、「この人は強度行動障害。いろんな感覚に非常に過敏で暴れる。暴れると危ないから、皆さんの安全安心のために、ご本人の安全安心のために、この人を閉じ込めて差し上げているのだ」ということです。何か納得できなかったです。そんなとき、私の中に「目線」という言葉が浮かんできました。この人の目線に立っているのか。親の皆さんは私にどんどん言ってきました。「もう他の施設では預かってもらえなかったのだから、この施設でしか預かってもらえなかったのだから、知事はゴチャゴチャ言うな。息子さんがどうだってあんたは言うけど、息子の気持ちなんて俺が一番分かっているのだから、俺の言っていることが息子の気持ちなのだ」と。何か変だなと。皆さんどうでしょうか。自分の気持ちは全部親が分かっているのだぞと言われて、そうだと思う子どもが1人でもいるでしょうか。冗談じゃないと皆思うのが当たり前ではないでしょうか。本人の目線に立ってない。なぜか。おそらく、この人に話を聞いても意見はないだろうと、何も言わないだろう、分からないしという。私も正直最初はそう思っていました。津久井やまゆり園の中に入ったときに、障害者の人を見て、この人たちとコミュニケーションをとるのは、自信がなかったです。むしろ、支援者の皆さんが、職員の皆さんが一生懸命対応したのを見てすごいと思ったぐらいでありましたけども、そのような中で、この人たちの「生の声」というのは聞けるのかなという中で、さまざまなアプローチありましたけれども、その当事者の思いというものを聞くことができるということを知りました。それからは当事者との対話を徹底的に重ねてきました。そうすると、いろんな思いが出てきた。それは、われわれが気が付かなかったことでありました。それは、障害当事者の目線に、自分が置き換えたからこそ、どんどん私に伝わってきた情報でありました。その中で1人が言いました。「私も暴れて、かつて閉じ込められました。そのときに、なぜ私が暴れたのか、聞いて欲しかったのだ」と。なるほど、そういうことかと。暴れたけど、何か言いたいことがあった、うまく言えないから暴れる。暴れているから抑えられる。どんどん閉じ込められる。この悪循環から抜け切れていなかったのが、これが障害福祉の現場にあった出来事なのか、ということを強く感じました。そういう思いを出しながら、この出来上がった条例。これをつくる作業にも、皆さんに参加してもらいました。そうしたら「条例の文書なんか難しくて分からないよ」と言ってくる人がいました。では、分かりやすいバージョンを作ろう、といったことで、これは日本の歴史で初めてだと思いますけれども、条例と同時に、分かりやすい版が出た。これは、われわれが誇るべきことだと思っています。
この作業を通じて気が付いたことは、これは障害者だけの問題ではない、ということだと思います。われわれも今、働き方改革で、笑いあふれる職場、働きやすい職場を作っていこうといったときに、ぜひ皆さんにお願いしたいのは、上司の皆さんは、自分の部下の目線に立って、どういう運営マネジメントをしていけばいいのか。自分が言っている一言ひとことというものは、自分はこういう思いで言っているけれども、ぱっと切り換えて、部下はどういう思いで聞いたのかな、ということを考える癖をつけて欲しいと思います。ご自宅に帰ったら、奥さん、旦那さんがいたときに、お子さんもいたときに、おじいちゃん、おばあちゃんもいたときに、何かぱっと言ったときにぱっと切り換えて、相手の目線に立ったら、どう受けとめられたのかな、ということを考える。ぜひ、癖をつけていただきたいと思います。それを意識するだけで、人間関係というのは、全然変わってくると私は思います。自分の目線だけで考えている人のことは、わがまま、自己満足。相手の目線にぱっと切り換えて考えられる人のことを、優しい人というと、私は思っているところであります。この神奈川県庁で、今、アグレッシブに、どんどんどんどん、いろいろな仕事が出来てきて、本当にすばらしい誇るべき集団だというふうに思いますが、目線をぱっと切り換えることによって、温かい職場づくり、これをこの一年かけてやっていただきたい。それが、新年の私のメッセージであります。今年も一年頑張りましょう、ありがとうござました。
このページに関するお問い合わせ先
このページの所管所属は政策局 知事室です。