神奈川県水産技術センター メルマガ377

掲載日:2014年1月18日

神奈川県水産技術センターメルマガ VOL.377 2011-9-2

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/KN/ 神奈川県水産技術センターメールマガジン  VOL.377 2011-9-2
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□研究員コラム

○ 魚と私(その1)   (水産技術センター所長 米山健)

○「よもやま話 13」   (栽培技術部 村上哲士)

○ 3.11八戸(地震発生から避難民になるまで)  (資源環境部 岡部久)

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○ 魚と私(その1)   (水産技術センター所長 米山健)

 私の自宅は、南足柄市にあり、祖父の時代までは専業農家でした。その後、専業農家では収入がおぼつかないので、父、私と続けて第二種兼業農家になり、現在は、土日には、米やみかん、野菜の世話をして暮らしています。

 私の子供の頃の記憶をたどると、我が家の主力作物は米で、農繁期になると青森県から出稼ぎの青年が住み込みで手伝いに来ていました。また、畑では、サツマイモ、タバコ、栗、桃(足柄桃と言い、当時はちょっとしたブランドだったようです)などを栽培し、昭和30-40年代から現在のみかんに移りました。

 このように、海とは離れた土地に住んでいましたので、その頃の遊びは、夏になれば近所の川での魚とりでした。酒匂川の支流である狩川の堰の深みに潜って手づかみで魚を取ったり、川虫でハヤを釣ったりしていました。さらに、雨降りの後、学校帰りに堰の所でジャンプするウグイなどを広げた傘で受けて獲ったこともあり、獲った魚は、家に持って帰り甘露煮にして食べました。当時は、内水面漁業調整規則なども知らず、年配の男性が川沿いを注意深げに見ながら歩いているのを見つけると、「監視員が来た。」と、漠然と怖がり仲間と逃げ出すこともありました。さらに、ここでは書けないような魚の取り方もしており、現在、水産の仕事をしている我が身としては赤面の思いがします。しかし、そんな川遊びも、急速に川が汚れたため、小学校高学年になると終わりを迎えました。

 再び、子供の頃の思い出がよみがえったのは大学進学の時。第二志望の水産学科に合格しましたが、ほかの大学も合格しており、どちらへ進もうか迷っていたときに、小さい頃魚とりが好きだったことを思い出し、水産の道を選んだのでした。現在、狩川はきれいになりましたが、そこで遊ぶ子供の姿はめったに見かけません。また、近年、鮎釣りなどの遊漁客も減少しているようです。せっかく自然が回復したのに、それに親しむ子供たちの姿が見られないのは、たいへん残念なことと思っています。

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○「よもやま話 13」 (栽培技術部 村上哲士)

 「残暑お見舞い申し上げます。

 昨年も暑かったのですが、今年はその上をいくのではと思うのですが、皆さまは夏バテなどなさっていませんか?

 いまこれを書いている時点では涼しいのですが、また少し暑さがぶり返すとか・・・、寒暖の差が身に堪える年齢になりましたので勘弁して欲しいです。

 今年はヒラメの生産はお休みとなり、4月からトラフグの生産を開始しました。最も予算の関係で大規模とはいかず、試験的なものになってしまいましたが、トラフグそのものの試験は順調で7月までに終了しました。今までにも今回より小規模の試験は行っていましたが、しばらくはその検証と大量生産に必要な知見を得るための試験が続くと思います。厳しい予算状況から「選択と集中」で、なかなか思うようにはいきませんが、いつでも量産に移れるように備えておこうと思います。

 さて、今年度は飼育密度の検討を主に試験を実施しましたが、トラフグ自体はふ化も順調で成長も良好だったのですが、共食いが予想以上に激しく生残率は従来の結果より少し低い値となってしまいました。来年度は今年の結果を踏まえて試験計画を作成して最適な飼育密度や方法を詰めていきたいところです。

 トラフグが終了してからは昨年と同じくサザエなのですが、今年は採卵が一度で大量に取れたのが一度きりで、その後4回、都合5回の採卵を行い少しずつ採苗(浮遊している稚貝を珪藻という餌が付着した波板に付けること)を続けてきました。

 しばらく前から稚貝も大きくなり、目で確認出来るようになってきたのですが、思ったよりも上手く採苗出来たようで、今は餌不足でやり繰り算段が大変な状況です。まァ、うれしい悲鳴でしょうか。当分はこれが続き、もう少し大きくなったら波板から剥がして生簀での飼育に移ります。全部の波板が片付く頃は秋が終わる頃か冬が始まる頃か。 皆様お身体に気をつけてお過ごしください。

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○ 3.11八戸(地震発生から避難民になるまで)  (資源環境部 岡部久)

 2011年3月11日の午後、私は八戸駅前のビルの8階ホールで開催された「サンマ等小型浮魚類資源研究会議」に出席していました。会議2日目の研究発表のセッション終盤、私は座長として最後の演者をフロアに紹介し、タイムキープのために時計を見て、開始時刻と終了予定時刻をプログラムに書きました。14:46-15:06。震源からの距離による時間差でしょう。2枚目のスライドを演者が説明しているときにカタカタと軽い揺れを感じました。八戸へ向かう日の朝に宮城県沖で発生したM7クラスの地震の余震と思い、「揺れが収まるまでしばらく待ちましょう」とアナウンスしてマイクを置いた瞬間、激しい揺れが始まりました。多くの参加者は床に投げ出され、座っていることができません。途中、弱まりかけた揺れがまた強くなって、5分以上にわたり続きました。心臓が口から出るかと思いました。八戸の震度は5強との発表でしたが、新しいビルとはいえ最上階の揺れは凄まじく、体感震度は6強以上だと思います。とにかく、尋常でない5分間でした。しばし呆然としていると、「早く建物から出てください」との声が。火災発生を心配したのでしょう。会議はそのまま散会し、参加者は急いで階段を駆け下り、ある人はホテルの延泊の交渉に、ある人は帰る手段の模索に動き始めました。私は奇跡的につながった携帯電話で家族と無事を確かめ合った後、情報収集のため、頻繁な余震が続く中、駅周辺を歩き回っていました。

 入ってくる被害状況は断片的で、ラジオを持った人がボリュームを上げてくれて、ようやく地震の規模(過小評価でしたが)や震源、三陸沿岸を津波が襲っているらしいことなどを知りました。後で知ったことですが、八戸港にも津波が押し寄せ、一人が亡くなられていました。関東の状況はまったく伝わってきませんでしたが、やはり緊急時にはラジオが頼りになると思いました。交通機関はタクシーと一部路線バスを除いてストップ。会議参加者を含む多くの人たちが帰宅難民となっていました。日が傾きかけて寒さを感じ始めたころ、消防の方が駅前に現れ「今日、帰るところがない方、こちらにお集まりください」といいました。あっという間に100名を超える人が集まったところで、「これから皆さんを避難所にご案内します。人員を確認しますのでこちらに並んでください。」というと、皆が整然と20人×数列に並びます。「誘導しますので私についてきてください。」というと、これまた整然と2列縦隊で歩きます。海外の人たちは被災した日本人の冷静な対応に驚いたようですが、この時、私もそれと似た感覚を覚えるとともに、これは子供のころからの避難訓練の賜物だろうとも思うのでした。結果的に私は3月16日に帰宅することになるのですが、その間の顛末は、紙面の都合で別の機会に。

 この場を借りまして、震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また職業柄、三陸を中心とする水産業の復興にむけて、何かお手伝いできないかと考えているところです。

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