長谷川大悟 の「技術」 (オリンピック 陸上 男子三段跳び) 矢澤航 の「迫力」 (オリンピック 陸上 男子110mハードル) 松下祐樹 の「全力」 (オリンピック 陸上 男子400mハードル) 辻沙絵 の「挑戦」 (パラリンピック 陸上 女子400m他) ■競技種目の魅力、アピールポイントを教えてください。 (長谷川)他の競技とは違って、三段跳びっていうのは、走る能力も必要ですし、筋力も必要ですし、リズムだとか、技術が必要な種目です。単純と言ったらちょっと失礼になるかもしれないのですが、他の競技よりもすぐにできる種目でもありません。そういった他の種目にはないような魅力があると思っています。すべての力をバランスよく使いこなすことで記録に繋げることができる種目、そういったところを知っていただければなと思っています。 (矢澤)松下選手とは中学から同じ神奈川県でやってきた仲で、今回二人で一緒に出場できるというのは、とてもうれしいです。     110mハードルは、短距離の100m、200mとは違い、ハードルとハードルの間の歩数が決まっている競技です。どんなに早く次のハードルを飛び越えたいと思っても、歩数が決まっているので、もどかしいといえばもどかしいです。 そういった面の技術力といいますか、9.14mのハードル間を4歩で刻んでいかないといけないので、あの間に4歩入れるのはけっこう大変だな、というところを見ていただきたいし、106cmの高さがあるハードルを、高身長の選手が越えていくのは迫力があると思います。 そういったところを見ていただきつつ、僕は感情が顔に出やすいので、「緊張しているのかな」、「嬉しいのかな」、というところも見ていただけたら良いかなと思います(笑 (松下)400mハードルというのは、400m走りながらハードルを10台越えていく種目です。400m走るだけでも相当キツくて、乳酸物質という、体が「これ以上動いてはいけない」と動きを抑制するような物質が出て、ラスト100m、何十mは体が本当に動かなくなるんです。 その中で色々なタイプの選手がいて、前半からぶっ飛ばしていく選手もいれば、前半は少し押さえてラストに他の選手を追い上げていく、という選手もいます。色々なレースパターンがある中で、誰が最初にゴールをするか、何番でゴールをするかというのが決まってくる。 僕はあまり前半のスピードは速くなくて、後半を得意としていて、最後の100mは世界の選手たちにも負けないような力があると思うので、ラスト100m自分が他の選手から遅れていても、そこからどれだけ世界の選手を追い上げていけるか、抜かしていけるかというところに注目して見ていただけたらなと思います。 (辻)私たちのパラ陸上は障がいの程度にあわせてレースがあって、義足の方だったら、膝下、膝上の義足でもクラスが全く違います。私はひじ下の欠損切断のT-47というクラスで、走るときは走る用の義手をつけて走ります。見たことがない人が多いので、是非見ていただきたい。それと、あとは、先ほども話に出ていましたが、400mは乳酸がきついので、そこをいかに耐えられるかというところ、苦しい表情をしているなというところを見ていただけたらなと思います。 あとは、私はハンドボールから転向し、陸上を始めて1年目でどこまでできるのかというところを見ていただけたら嬉しいなと思います。 ■矢澤選手と松下選手は昔からの知り合いとのことですが、同じハードル種目だったのでしょうか? (矢澤)そうですね(笑)中学時代は同じ競技をしていました。 ■お二人とも110mハードルと400mハードルということですか? (矢澤)僕は中学からずっと110mハードルなのですが、彼(松下選手)は色々な種目を転々としていて・・・(笑) (松下)中学時代に、彼とは同い年で同じ110mハードルを走っていたんですけど、彼は中学時代から全国で活躍している選手で、同じ種目をやっている以上は、2人が1番になれないので、この人には勝てないと思って、当時の混成競技、今でいう十種競技を始めました(笑)。結果回りまわって今はハードルに帰ってきました(笑) ■皆さんお互いに聞きたいことはありますか? (長谷川)辻選手は、どこで練習されてるんですか? (辻)今日体大の4年生なので、日体大です。 (矢澤)1年で(出場する)なんて僕らには考えられない(笑) (長谷川)僕なんて乳酸なんて言葉も知らない(笑) (矢澤)それはそういう練習してないからでしょ(笑) (長谷川)3歩でいいから(笑) (矢澤)確かに(笑) (松下)小学校でも中学校でも足が速かったんですか? (辻)わりかし速かったんですけど、ずっとハンドボール部で、大学もハンドボールで入りました。2年生の夏に、「大学を卒業してからパラリンピックの陸上に出てみないか」って言われて、いろいろ適性検査とかをしました。    あと、逆計算をしたんですよ。初めてのパラリンピック出場が東京2020大会になるんじゃなくて、1度その舞台を知っておいた方がいい。リオ大会に出場するための世界選手権に出場するためには、去年の3月に始めなきゃ遅いというふうになりました。 ■リオ大会での目標を教えてください。 (長谷川)日本記録の更新を狙っていまして、リオの舞台で日本記録を出してメダルを獲れればなと思っています。 (矢澤)日本記録が出てから今年で12年になるので、12年ぶりに更新したい。その更新する舞台がリオ大会だったら素晴らしいことだなと思います。それを目標にやっていけば、もう1ラウンド(準決勝)もう1ラウンド(決勝)と進んで行けると思うので、しっかりやっていきたいと思います。 (松下)オリンピックの400mハードルに関しては、過去に決勝に残った日本人が誰もいないので、なんとか日本人初のファイナリストになるのが自分の目標ですね。 (辻)400mでは、メダルを獲得することと、100、200mではファイナリストに残ることです。 ■神奈川県民、応援して下さる方々や将来陸上選手を目指す子供たちにメッセージをお願いします。 (長谷川)陸上競技は、正直スポーツの中で、すごくメジャーかというと・・・ 現状ではサッカー・野球には勝てないですが、覆していきたいと思っています。神奈川県から4名出場するということで、陸上競技を盛り上げて、神奈川県民が陸上競技を注目していただけるように、ここにいる全員でメダルを獲ります(笑) 全力を尽くしますので注目していただければと思います! (矢澤)(松下)勝手に言いましたよ(笑) (矢澤)神奈川県の陸上競技は中学高校とすごく盛んな地域で、特に高校のレベルは日本でも有数で、神奈川を制すればインターハイでのメダルを獲れると言うくらいレベルが高い。ただ、その先を見たときに続けていくような選手があまり出てきていないという現状もあります。 僕たちは社会人競技者としてやっているんですけど、「自分も学生を終えてからもどんどん陸上を続けていきたいな」という選手が出てこられるように、僕らが結果を出すことで、社会人でも競技が続けられるような、(バックアップしてくれる)企業さんが増えていくようになればと思っています。 まずは「こうしてくれ」「ああしてくれ」と言うよりも、結果をしっかり出してから言うことが大切だと思うので、しっかり頑張ってきます。 (松下)僕が小さい頃、オリンピックというのは夢の舞台だったんですけど、まさか自分が出られるとは思っていなくて、ましてや4年前のロンドン大会の時でさえも4年後に自分が出られるなんて思ってもいませんでした。 今回出られたことは、きっと目の前のことを全力で取り組んできて、いつのまにかそういう(オリンピックに出場できる)レベルの選手になっていた、そういう夢にたどり着いた、ということだと思います。 神奈川の方々や子どもたちには目の前のことを全力で取り組んでいってほしい。そうすれば、いつかきっと目指すところに届くんじゃないかなと思います。 (辻)私はハンドボールから転向したことで、こういう風にいろんな道が開けました。挑戦すること、その勇気を持つことが、自分にはすごい大切でした。私が(リオ大会で)結果を出して、皆さんにもそう(挑戦すること、その勇気をもつことが、大切だと)思っていただけたら嬉しいなと思います。 長谷川大悟(はせがわ だいご) 1990年2月27日、神奈川県生まれ。中学校1年生から陸上競技を始め、神      奈川県桐蔭学園高等学校2年生から3段跳びに専念。東海大学卒業後、日立ICTに所属した。第50回記念織田幹雄記念国際陸上競技大会において、日本歴代4位タイとなる、16メートル88をマークして連覇。同種目において、アテネ五輪以来の3大会ぶりの日本勢出場となった。 矢澤航(やざわ わたる) 1991年7月2日、神奈川県生まれ。中学生から陸上競技を始め、3年時に  は、全日本中学校選手権110mハードルを日本中学校記録で優勝した。法政大学ではアジア選手権でも3位入賞を果たした。株式会社デサントに入社後も着実に力をつけ、今年6月に行われた布施スプリントでリオ五輪参加標準記録を突破した。 松下祐樹(まつした ゆうき) 1991年9月9日、神奈川県生まれ。陸上は中学生から始め、中学3年時には110mハードルと走高跳で全日本中学校選手権に出場した。大学から400mハードルにも取組み、日本選手権で8位となる。2015年には世界選手権の出場も果たし、2016年にはゴールデングランプリ川崎では自己ベストを更新する49秒10をたたきだした。 辻沙絵(つじ さえ) 1994年10月28日、北海道生まれ。スポーツ推薦にて日体大に入学し、ハンドボール部に所属。2014年の夏にパラリンピック種目への転向打診があり、2015年4月からハンドボール部に所属しながら陸上競技を開始。2015年12月に本格的にパラリンピックでのメダル獲得を目指すためにハンドボール部から陸上競技部に転向し、パラ陸上競技の日本記録を樹立。