遠藤大由(オリンピック・バドミントン) 相手との「かけひき」 二條実穂(パラリンピック・車いすテニス) 相手の「癖」をつかむ ■リオ大会での目標を教えてください。 (遠藤)金メダルを目指してやっているので、メダルを取れたらいいですね。 (二條)私も、メダル獲得が目標ですね。 ■リオ大会で皆さんに見ていただきたいところ、見所などはありますか。 (遠藤)(バドミントンは)簡単そうに見えるかもしれないけど、意外と相手とのかけひきがあって、そういうところを気にしながら見てもらえるといいと思います。次のラリーに行くときの間の取り方とか、ちょっと腹黒いところもあって・・・(笑)。そういうところをぜひ! (二條)車いすテニスは、2バウンドでの返球が認められている以外は、通常のテニスのルールとほとんど変わりがないので、見てくださる方にはとてもわかりやすい競技ではないかと思います。 動きの中で通常のテニスと違うのは、健常の方が立ってテニスをする時には、サイドステップと言って、横に動くことができるのですが、車いすに乗ってプレーすると真横に動くことができないので、バックターンと言って、打った後に、相手に背中を向けて後ろに戻る動作が入るんです。ですので、相手のボールを読むことや、相手の癖をつかむということが重要になってくるので、選手がどういう風に予測をしながら戦っているんだろうということを想像しながら見ていただくと、より楽しめるのではないかと思います。 ■遠藤選手の言われた「かけひき」ということでしょうか? (二條)そうですね。バドミントンとすごく似ている部分があると思います(笑)。相手からポイントを奪ったり、相手のミスを誘ったりということも、もちろん大事なことですので、相手とのかけひきは車いすテニスにもありますね。 ■神奈川県民にメッセージをお願いします。 (二條)私はパラリンピック(出場)を目指して横浜に拠点を移したので、まず一つ、目標を達成できたことを嬉しく思っています。拠点を移した時には単身で来て、コーチ以外の知り合いが全然いないような状況だったのですが、2007年からの9年間にたくさんの方と出会って、応援やサポートしていただいて、その結果、パラリンピックの出場権を得ることができました。自分のプレーを通じて皆さんに恩返しをしたいと思います。 (遠藤)学生の頃、鴨志田(横浜市青葉区)に住んでいまして、近所のお店でごはんを食べさせてもらっていたので、メダルを獲って恩返しがしたいです。 ■鴨志田の皆さんにということですね(笑) (遠藤)鴨志田の皆さんにということです(笑) ■神奈川県内で好きな場所やお店とか、ここに行くと気持ちが上がるというようなところはありますか? (二條)私はみなとみらい地区が好きで、トレーニングで走ることもあります。海外遠征が多くて、1年の半分を海外で過ごしているような生活なので、みなとみらい地区でのトレーニングは、海外遠征の合間のリフレッシュにもなっています。 (遠藤)自分が好きなところは、「グラバー亭」というお店です。 ■どちらにあるのですか。 (遠藤)鴨志田です(笑) (二條)鴨志田押しですね(笑) (遠藤)その(グラバー亭の)上に「ラズィーズ」というインドカレー屋もあって、そこからちょっと行った所にある「更科」のからあげ定食も好きです。その3つのお店が特に好きです。 ■神奈川県内での思い出の場所はありますか? (二條)横浜に移ってきた時は、ロンドン大会を目指していたのですが、残念ながら出場できませんでした・・・ パラリンピックを目指して、これまで本当にたくさんの時間を、拠点にしている若葉台のコートで過ごしてきたので、テニスコートが思い出の場所です。 (遠藤)神奈川で主に過ごしたのは健志台だったのですが・・・鴨志田ですけどね(笑)。そこで学生時代を過ごして大きく成長したので、やはりそこかなと。 (二條)すごく鴨志田愛が伝わってきますね(笑) 遠藤 大由(えんどう ひろゆき) 1986年12月16日、埼玉県生まれ。小1でバトミントンを始める。小5    のときに全国小学生大会でシングルス8強。このとき敗れた相手が後にペアを組む早川賢一だった。10年に早川 選手とペアを組み、ロンドン五輪を目指すも叶わず。しかし翌年12年に全日本総合を制し以降3連覇、今季は自身として三度目となる全英銀メダルを獲得と安定した好成績を残し、日本のエースペアに成長した。 二條 実穂(にじょう みほ) 1980年12月8日、北海道生まれ。大工の仕事をしていた建設現場での転落事故により車いすとなる。24歳で車いすテニスを始め、2007年頃から本格的に海外ツアーに参戦し、2014年にプロへ転向。パラリンピックへの出場経験はまだないが、2011年から車いすテニス世界国別選手権の日本代表として プレー。