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Sports
特集 Para Sports vol.6
パラテコンドーを通して
子どもたちに伝えたいこと
阿渡 健太さん
パラテコンドーを通して
子どもたちに伝えたいこと
上肢障がい者を対象にしたパラテコンドーが誕生したのは2006年。2020年東京パラリンピックからは正式種目になりました。今回、お話をうかがったのはそんなパラテコンドーの日本代表強化指定選手、さらにYouTuber、日揮パラレルテクノロジーズ株式会社の副社長でもある阿渡健太さんです。
幼少期から運動神経が自慢。サッカー強豪校でエースに
阿渡さんは生まれつき上肢に障がいがあります。右は肘から、左は手首から先がありません。それでも家庭の教育方針もあって、健常者と同じ環境で過ごしてきました。幼少期から運動神経は抜群で、小学校時代には地元・横須賀でサッカーの市選抜に選出。中学ではトップ下のレギュラーとして、チームを市ベスト4に導きました。高校はサッカーの強豪校に進学。健常者のライバルたちがいる中、スターティングメンバーとしてレギュラー入りも果たしました。日揮ホールディングス株式会社に新卒で入社した後もサッカー部に所属。もちろん、健常者と同じピッチで、エースとして活躍していました。
「メダリストパレードに自分も立ちたい」
パラスポーツへ取り組むきっかけとなったのは2016年、リオデジャネイロのパラリンピック。
「東京銀座のメダリストパレードをテレビで見ていて、自分もここに立ちたい!と思ったんです」と阿渡さん。それまでずっと健常者と同等にスポーツをしてきた阿渡さんにとって、パラスポーツに初めて興味が湧いた瞬間でした。
「パラリンピックでメダリストになる!」。そう決めたものの、パラスポーツは全くの未経験。「何をやるかは決めていなくて、とりあえずいろいろ体験してみよう」と、2017年1月に東京都が開催したパラスポーツ体験会に参加してみたそうです。
そこで陸上競技を体験中の阿渡さんを見ていたテコンドーの指導者から声をかけられ、「当時は名前を聞いたことがあるくらい」だったテコンドーと出合い、この道へ進むことを決意。
「ミットを蹴った時の気持ちよさ」、そしてサッカーで培った体力と脚力が生かせることも魅力だったと言います。
スポーツエリートが初めて知った「世界の壁」
パラテコンドーに転向してからも、阿渡さんは持ち前の運動能力を発揮。体験会から半年後の2017年6月に全日本強化指定選手の選考会に出場し、見事日本代表に選出。同年10月の世界選手権に出場。まさにとんとん拍子でした。
「ずっと健常者の中で戦っていましたし、障がいがあってもなくても、自分より運動神経のいい人はいないと思っていました」
自分に勝てる障がい者なんていない。そう思っていた阿渡さんでしたが、世界選手権2回戦で当時世界ランキング1位のフランスのボファ・コング選手に「ボッコボコにされた」と振り返ります。
「こんなすごいヤツがいるんだと驚きました。自分は世界を知らなかったんだと」
ただ、完敗を喫したものの、「2~3年必死に練習すれば東京(パラリンピック)で勝てる」との手応えも感じたそうです。
「間合いと駆け引き」。やっと実感したテコンドーの本質
しかし、目標に定めたパラリンピック東京大会では、惜しくも日本代表の座を逃し、補欠となった阿渡さん。努力が実を結んだのは、その後に開催された全日本選手権大会でした。見事、優勝を果たしたのです。
「ものすごく楽しかったです。自分の思い通りに身体が動いて、狙い通りの蹴りが決まった感覚でした」
実は阿渡さん、指導者から「お前はテコンドーの本質をまだ知らない」とよく言われていたそうです。もともと体力、脚力に自信があった阿渡さんは、本人いわく「勢いや蹴り数だけで戦う」パワーゴリ押しスタイル。大会出場経験を重ね、対戦相手に研究されるようになったこともあり、蹴り数や勢いだけでは通用しづらい状況に陥っていたそうです。
「間合いと駆け引きを意識するようになってから、テコンドーの楽しさや奥深さを理解することができ、言われていたのはこれだったのかと実感しました」
パラテコンドーの魅力について、「ありきたりな表現ですが、華麗な蹴り技」と阿渡さんは言います。そしてさらに、「パラテコンドーは自分の特性を活かせる競技なんです」とも。
パラスポーツの中で、パラテコンドーは車いすなどの補助器具・特殊な道具等を使わない唯一の競技。防具こそ使いますが、勝敗を決するのは自らの身体だけです。
「自分は背が低いので、スピードとステップで相手の蹴りをかわしながらの攻めが得意。一方、高身長な選手なら、リーチを活かして自分の間合いでじりじりと攻めていけます」
つまり、自分の身体的能力や特徴を踏まえて、個々に適した戦術で勝負できる。それがパラテコンドーの魅力だと阿渡さんは話します。
やりたいこと、やるべきことを見据えた今後
取材当日時点では、2024年パリパラリンピックの出場選手は未決定。選出基準となる世界ランキングの発表を待つ心境は「正直しんどい」と苦笑します。今後の目標としてはまずパリのパラリンピックですが、2026年に名古屋で開催されるアジアパラ競技大会まで現役を続けるか、考えているところだと言います。
「いずれはパラテコンドーの監督というのが、一つの選択肢になっています」と話す阿渡さん。けれど実はやりたいことがたくさんありすぎるそう。
冒頭にお伝えしたように、日揮パラレルテクノロジーズ株式会社の副社長でもある阿渡さん。日揮ホールディングス株式会社に採用された後、会社に掛け合ってアスリート制度を導入。そして障がいがあっても働きやすい人事制度を導入した子会社、日揮パラレルテクノロジーズ株式会社の新設にもかかわってきました。
また、YouTuberとして自らの「パラテコちゃんねる」で動画を配信。食事や着替え、入浴といった日常生活を紹介したり、パラテコンドーの大会や合宿の模様をレポートしたりと、積極的に情報発信を続けています。
スポーツが自信や居場所を作ってくれる
現在、オンラインで「パラテコンドー教室」を月1回開催。時に対面で行ったり、季節行事のイベントも行ったりして、後進の育成に尽力しています。自身が現役選手、かつ副社長という二足の草鞋を履きながら時間を割くのは、さぞや大変だろうと察せられますが、「僕にしかできないことで社会の役に立ちたいから」と笑顔で話します。
パラテコンドーを始めてから、体験会や講演会に参加する機会が増えた阿渡さん。そこで自信や居場所をなくした子どもたちが多いことを知りました。不登校になった、挫折してしまった子どもたちに伝えたいことがあるのだと言います。
「僕自身、スポーツで救われてきたところがあるんです。仲間が出来たり、自信が付いたり…。それに『障がいは不自由だけど、不幸じゃない』と伝えたいですね」
パラテコンドーに興味をもった人はもちろん、居場所がないと感じている人、自信を持ちたい人は、「まず僕に会いに来てください」と阿渡さんは話します。Instagram、X(旧Twitter)のDMで連絡すれば、機会を設けてくれるそうです。
「会うだけでもいいので、まず一歩、踏み出してみてください。行動してください。ここから人生が変わるかもしれません」
- 取材先:阿渡健太さん 阿渡健太さんのInstagramはこちら▶