Deaf

 Sports

特集 Deaf Sports vol.1

聴覚障がい者のスポーツの祭典、
デフリンピックに夫婦で出場

早瀨憲太郎さん、早瀨久美さん

特集タイトル画像

聴覚障がい者のスポーツの祭典、
デフリンピックに夫婦で出場

障がい者スポーツの大会というとパラリンピックをまず思い浮かべる人が多いかもしれませんが、オリンピックやパラリンピックと同様に4年に一度、開催されているのがデフリンピック。聴覚障がいがあるアスリートたちによる大会です。

そんなデフリンピックに2013年、2017年、2022年と3大会連続で出場したのが、自転車競技のロードレースの選手、早瀨憲太郎さん。そしてマウンテンバイク女子クロスカントリーで2013年、2017年と2大会連続で銅メダルを獲得し、2022年には銀メダルを獲得したのが早瀨久美さん。ともに2025年に東京で開催されるデフリンピックに出場予定のアスリート夫妻です。

2021年、ブラジルで開催されたデフリンピックのロードレース。一番右が憲太郎さん
2021年、ブラジルで開催されたデフリンピックのロードレース。一番右が憲太郎さん

自転車競技を始めたいのに始められない⁉

自転車競技を始めたきっかけは、憲太郎さんが営む学習塾に通っていた聴覚障がいがある生徒がデフリンピックに出場したこと。久美さんはそんな憲太郎さんの姿に触発されてのスタートでした。ただ、すんなりと競技生活が始められたわけではなかったそう。

「今から13~14年前、大会に出ようとしたら主催者から断られたんです。聞こえないと危ないからって」

憲太郎さんはその時のことを「感動した」と表現します。「今の時代にまだこんなあからさまな差別があるんだ、と怒りを通り越して感動しました」と。

門前払いを受けた憲太郎さんはその後も諦めず、同じ聴覚障がいがある仲間を集めて走行会を開くなど実績を作っていき、いまやデフリンピックに連続出場するまでになりました。

「そもそも聴覚障がいがあると、スポーツをやりたくても選択肢が少ないんです」と憲太郎さん
「そもそも聴覚障がいがあると、スポーツをやりたくても選択肢が少ないんです」と憲太郎さん
ブラジル大会のロードレースのコース。アップダウンのあるコースを周回する
ブラジル大会のロードレースのコース。アップダウンのあるコースを周回する

障がいによって生じる壁を解決する方法とは

「そもそも私たちにとって自転車屋さんに行くこと自体、ハードルが高いんです」と憲太郎さんは言います。どのブランドの車体にするか、ヘルメットや専用のシューズ、ハンドル、サドルやサドルの高さなど、競技やスタイル、体格や好みによって選択肢は異なります。「だからお店の人と相談したい、質問したいと思っても、店員さんとスムーズに会話がしづらい。筆談でもできるけど、お互いに面倒になったり…」。また、チームで走りながら声を掛け合ったり、楽しさを共有したりといったコミュニケーションも困難。「でも、後輩に同じ思いをさせたくない。失敗経験も含めて、解決方法を一緒に考えていくことが、私の使命だと考えています」と憲太郎さん。

久美さんは言います。「この世界は聞こえる人が作ったルールによって作られているんです」。例えばレース開始の合図。それをピストルの音だと決めたのは健常者。そこでまず、聴覚障がい者にとって壁ができてしまう。

「でも例えば旗を振るという方法にすれば、一緒に大会に参加することができます」

デフリンピックの水泳競技などではランプの点灯が採用されているなど、「置き換えることによって解決できることがあるんです」と久美さん。また、「大会で嫌なことがあった時、怒ったり文句を言ったりするのではなく、私たちにとって何が問題なのかをうまく説明することが大切」とも話します。

そんな久美さんは自転車を「知らない世界へ連れて行ってくれるもの。新しい世界の見方を教えてくれたもの」と評し、憲太郎さんは「僕にとっての翼。自分の身体だけではいけないところに連れて行ってくれるもの」と話します。「自転車と一体化して走ると、その先の世界、景色の中へ連れて行ってくれるんです」

ブラジル大会クロスカントリーに出場中の久美さん
ブラジル大会クロスカントリーに出場中の久美さん
久美さんが獲得した銀メダル
久美さんが獲得した銀メダル。「ブラジル大会の開催地、カシアス・ド・スルの名産品、ブドウがデザインされているんです」
聴覚障がい者として初めて薬剤師免許を取得。デフリンピックでは日本選手団の医薬品管理も担当
聴覚障がい者として初めて薬剤師免許を取得。デフリンピックでは日本選手団の医薬品管理も担当

100年目のデフリンピックは東京で2025年に開催

2025年にはデフリンピックの記念すべき100年目、第25回が東京で開催されます。東京で開催されるのは史上初。久美さんはこれまでもドーピングの専門家であるスポーツファーマシストとしてもデフリンピック・パラリンピックに関わってきましたが、東京大会では運営委員にも選出されています。

表情豊かにお話しする憲太郎さんと、笑顔でそれを見守る久美さん
表情豊かにお話しする憲太郎さんと、笑顔でそれを見守る久美さん

「トルコでもブラジルでも大会直前に骨折したので、東京大会の目標は骨折しないこと」と茶目っ気ある発言をしつつも久美さんは真面目な表情に戻り、「2025大会は記念すべき大会。この機会に生きていて選手として出られることに感謝しますし、委員としても未来へ残せるレガシーとなるような大会にしたいと思います」と抱負を語りました。

また、「2025大会で私は50歳になっているのですが、その年齢でメダルを取るというのが目標」とのこと。実は以前から様々な大会で競い合ってきた杉浦佳子さんが、東京パラリンピックで2個の金メダルを獲得したのが50歳の時。杉浦さんが事故で頸椎を損傷し、高次脳機能障害に苦しむ姿を見てきて、そこから奮起して金メダルを獲得するその瞬間にも立ち会った久美さんは、50歳で迎える2025大会に格別の思いを抱いている様子。

インタビュー後の記念撮影にて。柔らかな笑顔が素敵な早瀨夫妻
インタビュー後の記念撮影にて。柔らかな笑顔が素敵な早瀨夫妻

「2025年の大会が、自分にとって最後のデフリンピックになると思います」と話すのは憲太郎さん。「デフリンピックが終わった後、その経験を映画にしたいですね」とのこと。『ゆずり葉 ─君もまた次のきみへ─』、『咲む』で映画監督・脚本家としても活躍する憲太郎さんですが、次回作は自身が経験してきたデフリンピックをテーマにすることになりそうです。

「デフリンピックの出場と映画監督。この両方が一人でできるのは僕しかいないんじゃないかなと。これまでの経験を映画にしたい。自分にしかできない映画を作りたいと思っています」

2025年夏、熱い思いを抱いた早瀨夫妻の活躍を、熱く応援しましょう。

取材先:早瀨憲太郎、早瀨久美
^