

寿支援者交流会
2025年 02月 28日困難を生き抜いてきた人々に光を
2025年 02月 28日
4階に寿支援者交流会の事務局が入る横浜市寿生活館。同施設の前には炊き出しの会場などとして利用されている寿公園がある

年末年始の「寿越冬闘争」で行われた炊き出し準備の様子(寿公園)
30年以上にわたり「寿町や野宿生活者と市民社会をつなぐゆるやかなネットワーク」作りを行ってきているのが寿支援者交流会です。
寿支援者交流会が活動の拠点とする横浜市中区の寿地区(JR石川町駅から徒歩5分)は、日本三大寄せ場(日雇い労働者が仕事を求めて集まる場所)の1つとして知られています。簡易宿泊所が立ち並び、約5,700人が暮らす寿地区。近年は住民の高齢化が進み、その9割が生活保護を受けていることから、「日雇い労働者の町」から「福祉ニーズの高い町」になったとも言われています。
寿地区では、毎週金曜日の炊き出しをはじめ、年末年始の越冬闘争、また夏祭りや野宿生活者のパトロールなど様々な活動が行われています。これらの活動にかかわる団体の一つに寿支援者交流会があります。寿支援者交流会のメンバーが事務局となって様々な人や団体をつないでいます。寿支援者交流会の趣旨に賛同する通信会員は約300人を数えます。
寿地区外でも「かながわ県民活動サポートセンター協議会」会長や「反貧困ネットワーク神奈川」共同代表を寿支援者交流会のメンバーが務めており、県内各地の団体と広く連携しています。
個人史聞き取りから見える尊厳

「クリスマスパトロール」の様子。野宿生活者に声をかけ続けること自体が、社会的孤立を解消する支援だといいます

寿越冬闘争のパトロール風景。野宿経験者も参加しています
寿支援者交流会の活動は3つの柱からなります。
1つは野宿生活者を訪問するなどの直接支援。パトロールで出会った野宿生活者に話しかけ、必要に応じて相談対応を行い、支援につなげるというもの。また、寿地区に限らず藤沢や茅ヶ崎などでも野宿生活者パトロールの団体の立ち上げに協力してノウハウを提供しており、県内各地での相談支援も行っています。
2つ目の柱は交流学習会です。「女性の貧困」や「非正規労働」「ネットカフェ難民」などの社会課題をテーマに、当事者を招いて話を聞き理解を深め、背景を学ぶというものです。また、学者を講師に「生活保護」や「人権」についての学習会なども行っています。その他、広く市民に生活困窮者支援の現状を伝える取り組みを手がけるとともに、行政関係者への人権研修や生活困窮者支援の講師なども数多く引き受けており、様々な行政政策を策定する委員などにもメンバーを送り出しています。
3つ目の柱は野宿生活者への個人史聞き取りです。事務局長を務める高沢幸男さんを中心に2000年から行っており、聞き取った個人史は80人超。1人に対する聞き取りは1回3時間、それを3回行うといいます。ありのままに話を聞くことで、自分にも語るべき人生があったことに気付き、困難の中を生き抜いてきた人たちが自ら生きるために身につけてきた知恵や力を自覚することで、エンパワメントの一助になります。
複合的な困難を抱え、寿へ

寿支援者寿支援者交流会について語る事務局長の高沢幸男さん
寿地区の住民は、複合的な困難を抱えた人たちが多いのが実情です。寿支援者交流会の高沢さんによると、人間関係の貧困を抱えていて身元保証をしてくれる人がいない、前科がある、借金から逃げているなど、様々な理由から非正規雇用の仕事をせざるを得ない人が少なからずいます。また、金銭的な余裕がなく、日払いの仕事でないとお金の回らない人もいます。体力のある働き盛りのころは仕事に不自由しなくても、年を重ねて若いころのように働けなくなると、企業から労働力として必要とされなくなるのが現実。そうなると生活が困窮し、支援してくれる窓口も分からず仕事を求めて各地を転々とし、最後に社会保障を求めて寿地区にたどりつくという人も多いようです。この現象は現在進行形です。また、近年では簡易宿泊所が語学学校の寮などとして利用され、若い外国人の増加が見られるといいます。
そのような寿地区に集う人たちの生活支援を行う高沢さんは、この町にかかわって足掛け36年。大学生のころ、バブル景気に沸く世間を前に、「激化する競争社会で生きていけるか不安だった」と振り返ります。そんな中、様々な困難を抱えながらも社会を生き抜いてきた寿地区の人たちと出会い、支援活動というより「遊びに来ていた」という感覚だったといいます。「市場経済の中で最大多数の最大幸福が求められていますが、そこから排除された一番小さくされた人たちに偏った寄り添い型支援をするのが我々の役割です」と高沢さんは胸を張ります。
求められる「徹底した対等性」
多くの生活困窮者と伴走してきた高沢さん。「自分を追い出した社会に戻ることが『自立支援』なのでしょうか」と指摘します。「社会から排除されて、社会保障も機能せず、野宿生活せざるを得ない状態にした社会に戻ることに意味があるのでしょうか。社会がやさしい社会に生まれ変わらないと怖くて戻れないというのが、実際なのではないでしょうか。変わるべきは社会なのです」。
厳しい社会を生き抜いてきた野宿生活者が、その半生をありのままに語ることで困難の中を生き抜いてきた自分の力に気付き、自尊感情を取り戻していくことがあるといいます。「日雇いみたいないい加減な仕事しかして来なかった」と言っていた人が、「日雇い労働者として生き抜いてきた」と変わり、語るべき人生があったことに自分自身が気付いていきます。このような「個人史」を聞き出せるのも、高沢さんたちが大切にする「徹底した対等性」にあります。寿支援者交流会のプロフィールにも、支援する際の姿勢が明確に示されています。(以下、「寿支援者交流会」公式HPから抜粋)
私たちが最も自然だと思っていることは、町に住む人、野宿する人、そして町の外から寿に来る人の間で『顔と名前のわかる関係』を作ろうという志向、そして徹底した対等性です。生身の人間の表情を、1人1人の歴史と現実、その言葉を、関係の積み重ねを大事にします。外から与えられる『素晴らしい援助』よりも、当事者の『自らを助け、助け合う力』と、その人に関わろうとする人の気持ちを優先します
「自分もこの社会を生きにくいと感じている人が、困難の中を生き抜く野宿者と出会う中で、お互いがどうしたら自分らしく生きていけるのかを模索する姿勢が、支援・被支援の関係を超えて温もりある社会を作っていくためには必要なのかもしれません」と高沢さんは語っています。
「ビジョン」共有した後継者に期待
活動を継続していくにあたり、寿支援者交流会の課題について高沢さんは真っ先に「後継者」を挙げました。単に生活が困窮する「かわいそうな人たち」を支援しているのではなく、困難な中を生き抜く力を持っている人たちから、その知恵や術を学び、困難を生き抜く力を温もりある社会づくりに生かしていく。そういった「ビジョン・想い」を持った仲間を必要としています。高沢さんは「こういった目線を持ってくれる若手は、まだまだ少ないですね」といいます。
貧困化・高齢化・孤立化、それでも安心できる社会を
「貧困化、単身化、高齢化、孤立化は社会的な課題になっています。貧困で単身で孤立化しやすい高齢者が安心して生きられるとはどういうことなのか。そういう概念や仕組みを寿地区から発信していければ、横浜をはじめとした各地への有用なメッセージになるのではないか」と高沢さん。「総貧困化が叫ばれる社会の中で、金持ちでなくてもつながりがあれば豊かに、少なくとも孤立しないで生きられる。そういう社会の在り方を検討していければと思っています」と話します。これからも活動を通じて模索が続きます。
プロフィール
寿支援者交流会
「寿町や野宿生活者と市民社会をつなぐゆるやかなネットワーク」作りを目的として、1993年1月に結成されました。野宿生活者の支援などをはじめ、寿地区=横浜市中区=で行われている様々な活動にかかわる人たち同士の情報共有、出会いの場を提供しています。横浜市寿生活館4階に連絡先(事務局)があります。