かながわの歴史を知る15のコース

1神奈川県が有する三つの日本遺産

course1

日本遺産(1)「いざ、鎌倉」

~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~

鎌倉市

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鶴岡八幡宮

治承4(1180)年に源頼朝が鎌倉に拠点を定めると都市としての整備が進められ、以降約150年にわたり鎌倉は日本で初めての武家による政権の中心地となった。頼朝が創建した鶴岡八幡宮や参道である若宮大路を中心に街がつくられ、その頃に南宋からもたらされた禅宗の寺院が次々に建立された。元弘3(1333)年、鎌倉幕府は幕を閉じ、享徳3(1454)年に鎌倉は武家の府としての役割を完全に終えた。鎌倉が再び脚光を浴びるのは江戸時代も半ばとなってからである。大山や江の島等の参詣の行き帰りに観光で訪れるようになった。時を経て明治時代に横須賀線が開通したことに伴い、政財界の人々の別荘地、保養地として注目され、その後、明治・大正・昭和の文豪たちも多く移り住み、文化の街へと変貌した。

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course2

日本遺産(2)巨大な木太刀を担いで「大山詣り」

~江戸庶民の信仰と行楽の地~

伊勢原市/厚木市

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大山詣り

神奈川県北西部、丹沢山地の東端に位置する標高1252mの大山は、古くは万葉集にも詠まれる名峰である。古くから農民が雨乞いの祈りを捧げた霊山で、石尊信仰と呼ばれる山岳信仰が存在したが、五街道が整備され、庶民にゆとりができた江戸時代中期以降、隆盛を極めることになる。年間20万人以上が大山​を目指し、「男山」として特に火消や大工、鳶職人などの粋を信条とする者たちから大人気となった。参詣前に心身を浄める滝垢離で自慢の彫り物を見せ合い、勝負事に縁起がよいとされる名物のこまを買うなど、大山詣りを満喫した。

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course3

日本遺産(3)鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴

~日本近代化の躍動を体感できるまち~

横須賀市

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鎮守府横須賀

明治の富国強兵のもと、日本海軍は急峻な山に囲まれた懐の深い湾を有し、波も穏やかで、大型艦船も安全に進入できる水深を併せ持つ地を選定し、艦隊を統括する後方機関としての鎮守府を明治17(1884)年から明治34(1901)年にかけ、横須賀・呉・佐世保・舞鶴に設営した。また、鎮守府を維持するために整えられたインフラは近隣住民の生活向上にも貢献した。例えば、横須賀の走水水源地の水は開発に当たった技師の名を取って「ヴェルニーの水」と呼ばれ、いまも水を汲みに来る人が絶えない。鎮守府の置かれた横須賀は、明治以降、近代国家として歩み始めた日本の躍動感をいまに伝えており、海軍や米軍の文化を吸収しながら醸された独特な雰囲気が訪れる人々を魅了している。

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2県内を通る幾筋もの街道と人々の営み

course4

県南を抜ける日本の大動脈・東海道

~箱根をはじめ9宿を有する神奈川県~

川崎市/横浜市/藤沢市/平塚市/大磯町/小田原市/箱根町

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県南

関ヶ原の戦いで勝利した家康が、翌慶長6(1601)年、幕府の開設よリも前に乗リ出したのが、主な街道の整備強化だった。古来、しちどうの区割り行政に基づき、東海道の各国府をつなぐ駅路や馬屋が設けられていたが、家康は軍事、流通の面から近世とは違うルートで、東海道宿駅伝馬制や宿場設備の拡充、並木や一里塚、道標等の街道筋の整備の確立を進めた。世情が安定するにつれ、お伊勢参リなどの庶民の利用も拡大し、東海道は観光ルートとしても発展。県下の東海道には、庶民や参勤交代の大名たちの宿泊・休息の場として川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原、箱根の9宿が設営され、各宿場町には現在も県を代表する名物、名産品、観光名所が豊富。

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course5

東海道の要衝・小田原を拠点にした北条五代

~関東に睨みをきかせた街道屈指の名城~

小田原市/南足柄市/愛川町/箱根町/湯河原町/真鶴町

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小田原城

戦国時代末期、関東のほぼ全域を支配した小田原北条五代の祖が北条早雲(そうずい)である。備中伊勢氏出身の早雲は幕府の奉行人だった。長享元(1487)年、今川氏の内紛を調停するため駿河に入って以降、伊豆、韮山、小田原を押さえ、東海道に臨む交通の要衝、小田原を拠点に相模国守護の三浦氏を滅ぼし、伊豆と相模国三浦郡を支配した。その後、甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信の攻撃にも屈することなく関東の覇者となった。その影響力は天正18(1590)年、豊臣秀吉率いる約21万の大軍に5代氏直が降伏するまで約100年に及んだ。

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3海・山・川の恵みが育んだ豊かな大地

course6

先史時代の数々の貴重な遺跡

~日本最古の2万年前の住居状遺構も発見~

相模原市/綾瀬市/横浜市/川崎市

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竪穴住居

神奈川県には旧石器時代、約3万5000年前には人が住んでいたと思われ、関東ローム層の赤土からいくつもの石器や土器などが見つかっている。横浜周辺では明治時代、小高い丘の上に貝塚が発見されたことから調査が進み、縄文、弥生、古墳時代にわたる270もの竪穴式住居跡が発見された。また相模川に臨む相模原市も先史時代の遺跡の宝庫である。田名向原遺跡は後期旧石器時代の住居状遺構で、日本で発見された中ではもっとも古い約2万年前のものだ。県内各地で幅広い時代の遺跡が見られる神奈川。実際に遺跡を目の当たりにしながら、先史時代から近現代に至るまでの歴史を学ぶことができる貴重な場所だ。

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course7

古代相模国の国府と国分寺

~相模川沿いに点在する遺構の数々~

海老名市/平塚市/小田原市/茅ヶ崎市/寒川町/大磯町/二宮町

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国分寺

天平13(741)年、仏教に深く帰依した聖武天皇は全国に国分寺および国分尼寺の建立を命じる。神奈川でも相模の国に国分寺が置かれた。相模国分寺は西に大山・丹沢山系を望む相模川沿いの台地、いまの海老名市国分南に建てられた。3万平方メートルに及ぶ広大な敷地に、金堂と高さ60メートルを超える七重塔が東西に配され、周囲を南の中門や講堂、鐘楼が囲む法隆寺式の伽藍配置であった。国分尼寺跡は国分寺跡の北側、約500mのところにある。国分寺跡は歴史公園として整備・公開され、国分尼寺跡は金堂の礎石と位置を示す案内板や石碑が立っている。

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course8

多摩川下流右岸に形成された穀倉地帯

~家康の命でつくられた二ヶ領用水~

川崎市

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川崎市

神奈川県と東京都の境を流れる多摩川から取水し、川崎市内を流れる水路が二ヶ領用水だ。県下最古、国内でも有数の歴史を誇る濯漑用水で徳川家康の命を受けた用水奉行・小泉次大夫じだゆうが、慶長4(1599)年から工事に着手し、流域農民の協力も得ながら同16(1611)年に完成。享保9(1724)年の田中休愚の改修を経て、60力村、2000haの水田が潤い、辺りは大穀倉地帯となった。一時は京浜工業地帯に工業用水を供給し、横浜の飲料水として供給されたこともある二ヶ領用水。現在は市民が水や自然に親しむ憩いの場を提供している。

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4美しい自然と景観を誇る風光明媚な地

course9

神仏習合の聖なる島・江の島

~大山詣りとセットになった江戸庶民の巡礼スポット~

藤沢市

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江の島

江の島の由来は「絵島」であるとも聞く。海から突き出た岩山は絵のように美しく、古来、人々の崇敬を集めてきた。北斎や広重など江戸時代の絵師も好んで題材に選んでいる。太平洋に臨む洞窟の「岩屋」は古くからの信仰の要であり、奈良時代の修験道の祖・役小角えんのおづのもここで修行したと伝わる。弘仁5(814)年には空海が岩屋本宮を創建した。現在も有名な弁財天が祀られたのは寿永元(1182)年、奥州藤原氏調伏のため、文覚上人が琵琶湖竹生ちくぶ島の弁財天を勧請したとされ、江戸時代には、芸能に携わる人々も多数参拝したが、特に大山詣りが大流行した江戸時代中期には、男神の大山に対し、女神の江の島も一緒に参拝することが縁起がいいとされ、大勢の参拝客が江の島を訪れた。

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course10

横浜郊外の景勝地・金沢八景

~広重も描いた江戸時代の人気観光地~

横浜市/横須賀市

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金沢八景

鎌倉の東、7キロほどのところに位置する金沢は、鎌倉幕府の頃には鎌倉の外港の役割を担い、現在の東京湾沿岸地域や房総半島と結ぶ航路の玄関口として賑わった。金沢八景の名称は江戸時代、明の僧侶・心越しんえつ禅師が能見堂から金沢を眺め、中国の瀟湘しょうしょう八景(水墨画の画題として有名な八つの名所)になぞらえたことから広まったという。歌人の京極きょうごく高門たかかどがその景色を表現し、広重が浮世絵に描いたことも加わリ観光地としても人気を博した。現在は埋め立てのため景観も変わってしまったが、称名寺や琵琶島を望む風景には当時の名残もあリ、現代に伝わる浮世絵と見比べてみるのもいい。

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course11

文人や政治家、外国人が愛した湘南

~保養地・別荘地として発展した鎌倉・大磯・箱根~

鎌倉市/葉山町/大磯町/箱根町

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湘南

県南中央部、相模湾に臨む大磯町は、背後の丘陵地帯に守られ、冬は暖かく夏は涼しい。過ごしやすい気候とともに美しい砂浜を有したことから、明治18(1885)年、陸軍軍医総監を務めた松本順が日本で初めて海水浴場を開設した。以後、政財界人の人気保養地となり伊藤博文を始め8人もの首相経験者が居を構えている。また東の鎌倉も明治時代に入ると、洋風、和風の別荘が建てられ、やがて芥川龍之介や川端康成といった文化人たちが居を構えた。かつて「天下の嶮」と言われた箱根も明治11(1878)年の富士屋ホテル開業、明治21(1888)年の国府津・湯本間の馬車鉄道(現在の箱根登山鉄道)開通を受けて以後、日本初の高原避暑地として発展を遂げた。

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5開国・近代化の舞台となった横浜と横須賀

course12

久里浜沖に現れた4隻の米艦隊

~日本の歴史を塗リ変えた黒船来航~

横須賀市

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久里浜

嘉永6(1853)年、米国大統領の国書を携えたペリー提督率いる4隻の船が浦賀沖に現れた。うち2隻が、煙突から黒々とした煙を吐く蒸気船であった。その報告は浦賀奉行所から幕府に伝わリ、浦賀奉行所与力の中島三郎助が対応するが、メモを取って熱心に質問する姿を見て、米国側の通訳・ウィリアムズは「奇抜な言動だ」と不審がったと伝わる。実は中島は天保8(1837)年モリソン号事件の際、砲手だった。中島はこの時の経験から、軍艦の製造と艦隊を持つ必要性を痛感し、老中に提出した意見書が元で浦賀に造船所が設置される。その後、中島は戊辰戦争で戦死するが、その志は明治29(1896)年の浦賀船渠株式会社の創設、近代日本の誕生へと受け継がれていったのである。

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course13

日米和親条約と生麦事件

~幕末の重要な条約と重大事件の現場となった横浜~

横浜市

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生麦事件

嘉永7(1854)年、ペリーと江戸幕府の間で、同年3月31日に日米和親条約が締結、さらに安政5(1858)年、米英仏露蘭5力国との間に修好通商条約が結ばれ、各国との通商及び神奈川の開港が決まった。各国領事の強引な要求と幕府の対応に攘夷運動が高まりを見せ、そうした中、文久2(1862)年、東海道の川崎宿と神奈川宿の間に位置する生麦村でいわゆる「生麦事件」が起きている。薩摩藩主の父、島津久光の行列に4人の英国人が馬に乗ったまま割リ込み、薩摩藩士に斬られた。のちにこの事件は薩英戦争を経て、実力を知った薩摩と英国の歩み寄りから、明治維新に進む契機にもなった。現在、旧東海道沿いには、事件を伝える碑が立っている。

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course14

世界に開かれた港

~貿易の拠点として整備され発展する横浜~

横浜市

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港

安政5(1858)年、修好通商条約を受けて、翌年には横浜が開港、貿易が始まった。これによりのどかな漁村だった横浜は大きく姿を変えていく。開港に先立ち元町側から海に向かって長く延びた砂嘴さしだった横浜村と江戸時代前期に開墾された吉田新田の間の深い入江を埋め、急ピッチで街がつくられた。幕府は、江戸日本橋の三井呉服店をはじめとする商人を全国から集め、万延元(1860)年にはその数が200軒ほどになったという。中でも生糸とお茶は主要輸出品であり、特に生糸で財をなした原富太郎(三渓)は横浜・本牧に広大な庭園「三渓園」を作り、今でも当時の横浜の繁栄を偲ぶことができる。

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course15

横浜はじめ物語

~近代都市へと変貌する横浜発祥のいろいろ~

横浜市

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横浜

開港に伴い近代化した横浜は、新橋との間に開通した鉄道をはじめ「日本で初めて」が多い街である。開港後の人口増加に対応するため、まず近代的な上下水道が整備されたが、明治20(1887)年英国人技師により約44キ口の鋳鉄製水道管が敷設されたのが始まり。下水道は明治2(1869)年、居留地でエ事が開始された。また日本最初の洋式公園は明治3(1870)年に山手居留地にできた外国人専用の山手公園で、明治11(1878)年には日本初のテニスコートもつくられた。食について言えば、日本初の牛鍋屋は文久2(1862)年に開店した伊勢熊屋。開港の翌年には仏軍の技術を習得してパンが焼かれている。その他にも横浜発祥のものは多いが、各所に案内板等があリ、街歩きしながら探してみるのもいい。

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