
治承4(1180)年に源頼朝が鎌倉に拠点を定めると都市としての整備が進められ、以降約150年にわたり鎌倉は日本で初めての武家による政権の中心地となった。頼朝が創建した鶴岡八幡宮や参道である若宮大路を中心に街がつくられ、その頃に南宋からもたらされた禅宗の寺院が次々に建立された。元弘3(1333)年、鎌倉幕府は幕を閉じ、享徳3(1454)年に鎌倉は武家の府としての役割を完全に終えた。鎌倉が再び脚光を浴びるのは江戸時代も半ばとなってからである。大山や江の島等の参詣の行き帰りに観光で訪れるようになった。時を経て明治時代に横須賀線が開通したことに伴い、政財界の人々の別荘地、保養地として注目され、その後、明治・大正・昭和の文豪たちも多く移り住み、文化の街へと変貌した。