2 横浜ノースドック(FAC3067) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横浜市神奈川区瑞穂町、千若町、鈴繁町 (2) 面   積 土地     549,927 u          (内訳) 国有  437,872 u              市有   34,545 u              民有   77,509 u         建物    82,687 u          (内訳) 国有   66,562 u              民有   16,125 u        水域  約 110,000 u (3) 接収年月日 昭和21年4月15日 (4) 現   況 在日米陸軍管理下で、横浜技術局、横浜地区輸送事務所、米陸軍第836輸送大隊等が使用している。 ふ頭地区は、大型・小型船用12バース、付属上屋、野積場、物揚場等があり、物資の出入、陸揚関係の業務等を行っており、また、郵便局地区は、軍事郵便業務等を行っている。 U 沿   革 大14. 国は瑞穂ふ頭の建設に着手し(横浜市が造成費の30%を負担)、昭和20年に完成した。 昭20. 9.26 99,564uがモータープール施設として接収された。 昭21. 4.15 474,678uがふ頭地区として、また28,800uが郵便局、その他の施設として追加接収された。(先に接収されたモータープール施設は本施設の一部となった。) 昭47.12.21 日米合同委員会において、陸上自衛隊(京浜港湾処理隊)の共同使用(2−4−a)が合意された。 昭48. 3.31 制限水域の一部約32,000uが返還された。 昭49. 2. 8 代替施設が建設されたことにより、モータープール地区約99,600uが返還された。 昭50. 6.26 郵便局地区の管理が陸軍から海軍に移管された。 昭52. 1.27 土地約13,000u、建物約40uが追加提供された。 平 6. 2.10 横浜冷蔵倉庫返還に伴う暫定冷蔵倉庫として、鶴見区大黒ふ頭に所在する民間倉庫が提供された。 平 7.12.25 水域の一部(約30,900u)が返還された。 平 9. 1.13 グアム海軍補給センターの任務が移管された。 平 9. 6.26 沖縄の県道104号線越え実弾射撃訓練本土移転に伴う物資の輸送が初めて行われた。 平 9. 9.26 横浜冷蔵倉庫代替倉庫(土地約30,900u、建物約16,100u)が提供された(同年10.31暫定倉庫返還)。 平10. 6.18 日米合同委員会において、横浜市道路用地として共同使用(2−4−a)が合意された。 平12. 3.31 日米合同委員会において、神奈川ミルクプラント代替冷蔵倉庫の提供が合意された。 平14. 8.25 米軍舟艇が保管のために搬入された(平16.9までに計32隻搬入)。 平18. 6.30 米海軍極東軍事海上輸送司令部が移転した。 V 主な動向等 (1)瑞穂ふ頭を使用する米艦船の状況 最近数年間の状況は、平成16年は49隻、平成17年は58隻、平成18年は74隻となっている。 (2)沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練移転問題 沖縄県で行われていた米海兵隊のいわゆる「104号線越え実弾射撃訓練」は、砲座と着弾地間に県道104号線が通っており、危険なものであったため、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意に基づき、平成9年7月より本土の演習場で行われるようになった。 移転先は、@別海(べつかい)矢(や)臼(うす)別(べつ)演習場、A大和(たいわ)王城(おうじょう)寺原(じばら)演習場(宮城県)、B北富士演習場(山梨県)、C東富士演習場(静岡県)、D日(ひ)出生(じゅう)台(だい)演習場(大分県)の5か所であり、このうち、北富士演習場と東富士演習場で行われる際には、車両、りゅう弾砲等の資機材が、横浜ノースドックを経由して輸送されることとなった。 平成18年12月までに16回、横浜ノースドックを経由した輸送が行われ、県は、その都度、演習物資運搬の安全管理の徹底、弾薬類の積卸等は行わないことを国に対して要請している。 (3)横浜冷蔵倉庫、神奈川ミルクプラントの移設 昭和58年10月、横浜市が進める「みなとみらい21計画」の予定地に、横浜冷蔵倉庫が位置していたため、横浜市は当該施設の返還申請を行ったところ、平成元年に米側から提示された返還条件(横浜冷蔵倉庫の代替倉庫及び、神奈川ミルクプラントの代替施設を横浜ノースドック周辺に移設)を横浜市が受け入れ、平成5年9月に横浜冷蔵倉庫、平成6年12月に神奈川ミルクプラントの返還が合意された。 横浜冷蔵倉庫の代替倉庫は、横浜ノースドック地先を埋め立て、平成9年9月、米側に提供された。 また、神奈川ミルクプラントは、保冷技術の向上により、米国本土からの直接輸送が可能になり、現地生産の必要がなくなったため、ミルクプラントの移設に変えて、同施設内の冷蔵倉庫のみの移設が返還の条件となり、平成10年1月、日米合同委員会において、その旨修正合意された。その後、横浜ノースドック内に神奈川ミルクプラント代替冷蔵倉庫が建設され、平成12年3月、米側に提供された。 (4)舟艇保管 平成14年6月、外務省より米軍舟艇約30隻がノースドックに搬入され、同施設で保管される予定であるとの情報提供があった。同年8月、第1陣が到着予定であるという連絡があったため、県は国と米軍に対し、周辺住民への影響を勘案し、万全の安全対策を取るよう要請した。 舟艇は、同年8月25日から平成16年9月23日までに、6回にわたり、計32隻が搬入された。 3 富岡倉庫地区(FAC3072) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横浜市金沢区富岡東、鳥浜町 (2) 面   積 土地   国有   28,988 u (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現   況  在日米海軍への移管以前は、米陸軍貯蔵局の出先として、倉庫、野積場、物揚場、ヘリポート、射撃場等があり、横浜ノースドックの予備的施設であった。昭和46年2月17日に本施設の大部分が返還され、現在は、米海軍厚木航空施設司令部が管理する物揚場及び物資の一時保管場所である。 U 沿   革 昭20.09.02 旧日本海軍飛行艇基地を、米軍が米陸軍第508通信修理隊施設として接収した。 昭36.12.  「富岡倉庫地区」へ名称変更された。 昭45.09.23 施設管理が、米陸軍から米海軍に移管された。 昭46. 2.17 土地約310,000u、建物65棟及び工作物が返還された。 昭47. 5.29 国有財産関東地方審議会において、返還跡地利用計画が了承された(国家公務員宿舎約37,000u、神奈川県警機動隊訓練場約56,000u、横浜市公園・道路約230,000u)。 平16.09.02 日米合同委員会第3回施設調整部会において、本施設を返還することで日米間の認識が一致した(同年10.18日米合同委員会承認)。 V 主な動向等 (1)横浜市内6施設の整理等 平成15年から、神奈川県内の在日米軍施設・区域の整理等について、日米間で新たに協議が開始され、平成16年10月に、日米合同委員会において、富岡倉庫地区について、現在の使用が終了した時点で、必要性がなくなるため、返還に向けた手続きが開始されることが承認された。 これを受け、横浜市では、跡地利用について検討を進めており、平成18年6月に横浜市が策定、公表した「米軍施設返還跡地利用指針」では、富岡倉庫地区の跡地利用の方向として、産業振興や地域の魅力向上に寄与する空間の形成を掲げている。 4 上瀬谷通信施設(FAC3096) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横浜市旭区上川井町          〃 瀬谷区瀬谷町、北町 (2) 面   積 土地     2,422,396 u          (内訳) 国有  1,095,099 u              市有   226,801 u              民有  1,100,496 u         建物  国有  23,327 u (3) 接収年月日 昭和26年3月15日(再接収) (4) 現   況 在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下で、家族住宅、独身宿舎等が所在している。 住宅地区等には囲障(フェンス)が設けられ、立入禁止区域とされている。その他区域は、提供条件として農耕が認められている。 U 沿   革 昭16.    旧日本海軍が軍需部等の用地として買収した。 昭20. 9. 2 米軍が接収した。 昭22.10.16 接収が解除され、国は、開拓農地として耕作者に売渡すための手続きを開始した。 昭26. 3.15 米軍が通信施設として再接収した。 昭35. 3.31 日米合同委員会において、本施設周辺地域に電波障害防止制限地域を設定することが合意された。 昭37. 1.25 日米合同委員会において、本施設周辺地域約945万uを電波障害防止制限地域とすること、及びその制限基準が合意された。 昭37.12.27 国と周辺土地所有者との間で、電波障害を防止するため、建築制限等を内容とする契約が締結された。 昭44. 2.27 日米合同委員会において、うど栽培のための共同使用(2−4−a)が合意された。 昭45. 3.25 日米合同委員会において、電波障害防止制限地域の地帯区分変更と制限基準の緩和が合意された(同年4.1実施)。 昭48. 2.  沖縄から本施設へ米海軍第7艦隊第72任務部隊(哨戒部隊)司令部が移駐してきた。 昭48.11.21 米軍、県、県警本部、横浜市及び横浜防衛施設局の間で、本施設内にある旧海軍道路の使用について、横浜市との共同使用が日米合同委員会で合意されるまでの間、現地司令官の暫定的措置として一般に開放することが合意された。 昭49. 3.27 日米合同委員会において、電波障害防止制限地域の削減と地帯区分変更について合意された(同年4.1実施)。 昭52. 3.20 国は、本施設内の国有農地(開拓財産)約107万uを地元の耕作者に売渡した(第2回売渡しは、同年11.1約5,000u。第3回売渡しは、昭59.3.30約19,000u)。 昭52. 3.24 日米合同委員会において、相沢川の本施設内の河川改修及び共同使用(2−4−a)が合意された。 昭52. 4. 1 国は、本施設内の旧海軍道路(約4万u)を横浜市に譲与した。 昭54.12. 6 日米合同委員会において、農地整備のための共同使用 (2−4−a)が合意された。 昭54.12.20 日米合同委員会において、旧海軍道路整備のための共同使用(2−4−a)が合意された(昭57.3.31工事完了)。 昭57. 9.24 日米合同委員会において、大門川の河川改修工事に伴う維持管理のための共同使用(2−4−a)が合意された。 平 4. 3.30 上瀬谷農業専用地区協議会、上川井農業専用地区協議会、在日米海軍並びに横浜防衛施設局の四者間で、農耕及び施設管理を円滑に行うことを目的とした「農耕に関する了解覚書」が締結された(以降5年ごとに更新)。 平 6.10. 1 施設管理が、在日米海軍通信隊から米海軍厚木航空施設司令部へ移管された。 平 7. 4. 1 施設周辺に設定されていた電波障害防止制限地域が廃止された(平6.12.15日米合同委員会合意)。 平 9. 3.19 国と土地所有者との間で賃貸借契約が更新された。 平10. 3.19 地権者1名が、土地返還訴訟を横浜地裁に提起した(平17.10. 7最高裁棄却判決)。 平15.09.17 本施設内に所在していた第1哨戒偵察航空団司令部等が三沢基地へ移転するとの発表があった。 平16.09.02 日米合同委員会第3回施設調整部会において、本施設を返還することで日米間の認識が一致した(同年10.18日米合同委員会承認)。 V 主な動向等 (1)電波障害問題 昭和30年代初頭、上瀬谷通信施設周辺地域での雑電波を懸念した米軍により、施設周辺における建築物等が事実上制限された。昭和33年、日本金属工業(株)の工場建設が断念され、知事が代替地(相模原市内)をあっせんするといった問題が起こった。また昭和35年、横浜市も上瀬谷通信保安隊司令官の要請により公営住宅の建設と分譲住宅の造成計画を断念した。 周辺の土地所有者等は、「法的根拠がないのに建物の建設制限や、土地売買等が制限を受けるようなことは、所有権等の侵害」として、「上瀬谷土地所有権擁護連盟(のちに上瀬谷土地開発委員会と改称)」を結成し、請願運動や抗議行動、電波妨害工作等を展開した。 昭和36年12月15日、国は、閣議了解の形で、制限地域内の土地につき補償を行うこと等を内容とする基本方針を決定し、昭和37年1月25日の日米合同委員会において、施設周辺の電波障害防止制限地域の設定と制限基準について合意した。  同年2月3日、知事は、防衛庁長官の要請を受け、国、県、横浜市、大和市及び制限地域内土地所有者代表によって構成する「上瀬谷通信施設電波障害問題連絡協議会」を設置した。 同年9月13日、防衛庁長官は、知事に対し、国が土地所有者に補償金を支払うことや、希望に応じて土地を買収すること等を内容とした最終解決案を提示し、同日、国、県、横浜市及び土地所有者代表は、上瀬谷電波障害問題処理に関する確認書を作成した。同年12月27日、国と土地所有者代表は、現行安全保障条約の有効期間中、継続的に契約を締結するという内容の覚書を交換した。 昭和44年3月17日、現地司令官の権限により制限基準の暫定的緩和が実施された。さらに、昭和45年3月25日の日米合同委員会では、制限地域の地帯区分の変更及び制限基準の緩和が、昭和49年3月27日の日米合同委員会では、制限地域の削減(724万uに削減)、制限基準の緩和、地帯区分の変更等が合意された。平成7年4月1日、電波障害防止制限地域が廃止されることになったことに伴い、「上瀬谷通信施設電波障害問題連絡協議会」は同年3月31日解散された。 (2)第1哨戒偵察航空団司令部等の移転 平成15年9月17日、外務省は本施設に所在する哨戒偵察部隊司令部等を三沢基地に移転すると発表した。移転の完了に伴い、同年10月末をもって上瀬谷通信施設の通信業務はなくなった。 (3)横浜市内6施設の整理等 平成15年から、神奈川県内の在日米軍施設・区域の整理等について、日米間で新たに協議が開始され、平成16年10月に、日米合同委員会において、上瀬谷通信施設について、一部は、現在の使用が終了した時点で、必要性がなくなるため、返還に向けた手続きが開始されること、及び、残余部分は、現在の使用が終了し、それによりその必要性がなくなった時点で、返還に向けた手続が開始されること、が合意された。 これを受け、横浜市では、跡地利用について検討を進めており、平成18年6月に横浜市が策定、公表した「米軍施設返還跡地利用指針」では、上瀬谷通信施設の跡地利用の方向として、広域防災活動拠点や自然を生かしたレクリエーション空間の形成等を掲げている。 5 深谷通信所(FAC3097) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横浜市泉区和泉町、中田町 (2) 面   積 土地 国有  773,747 u         建物     5,484 u          (内訳) 国有   5,155 u              民有  329 u (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現   況 在日米海軍厚木航空施設司令部が管理する送信施設である。 本施設は、事務所、発信室、宿舎及び発電室等の所在する施設全面積の5分の1程度の囲障区域と、非囲障区域とに区分されている。 囲障区域は、立入禁止となっているが、非囲障区域は、周辺住民の耕作地や遊び場として使われているほか、県道阿久和鎌倉線が通過するなど、一般の通行が認められている。  本施設の周辺では、米軍の送信電波によるテレビ・ラジオの受信障害が問題とされたため、国は「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」に基づき、昭和54年度から共同アンテナ方式によるテレビ受信障害防止事業を開始し、昭和58年度までに設備の設置が完了している(45ページの「資料 II 2 電波障害対象事業地域図」を参照)。 U 沿   革 昭 16.00.00 旧日本海軍東京通信隊戸塚分遣隊が設置された。 昭 20. 9. 2 米海軍が送信専用施設として接収した。 昭 45.12. 1 米軍は、現地司令官の判断(いわゆる3条管理権)により、周辺住民に非囲障区域の空閑地約164,000uの耕作を許可した。 昭 55.12〜61.12 同施設内の谷戸川部分の埋立工事が行われた。 平 2. 9.28 農耕のための施設内空閑地の使用に関する覚書が在日米海軍と耕作者代表との間で締結された。 平 4.12.17 日米合同委員会において、県道阿久和鎌倉線の歩道設置のための共同使用(2−4−a)が合意された(平6.10.31完成)。 平 7. 9.21 日米合同委員会において、施設内の地震対策用防火水槽設置のための共同使用(2−4−a)が合意された(平8.3.29完成)。 平14.10.23  日米合同委員会において、防犯灯設置のための共同使用(2−4−a)が合意された。 平16.09.02 日米合同委員会第3回施設調整部会において、本施設を返還することで日米間の認識が一致した(同年10.18日米合同委員会承認)。 平 17. 8.31 施設内の防犯灯の設置工事が完了した。 V 主な動向等 (1)横浜市内6施設の整理等 平成15年から、神奈川県内の在日米軍施設・区域の整理等について、日米間で新たに協議が開始され、平成16年10月に、日米合同委員会において、深谷通信所について、現在の使用が終了した時点で、必要性がなくなるため、返還に向けた手続きが開始されることが承認された。 これを受け、横浜市では、跡地利用について検討を進めており、平成18年6月に横浜市が策定、公表した「米軍施設返還跡地利用指針」では、深谷通信所の跡地利用の方向として、大規模な公園・緑地や防災拠点機能の形成等を掲げている。 6 鶴見貯油施設(FAC3144) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横浜市鶴見区安善町 (2) 面   積 土地   民有   183,784 u         建物         5,210 u         (内訳) 国有    2,469 u              民有    2,741 u (3) 接収年月日 昭和27年11月21日 (4) 現   況 在日米海軍補給センターの管理下で、航空機燃料及び軽油類を貯蔵している。本施設は、エリアT、Uに分かれ、合計20基のタンクがあり、貯油能力は約125,000 klといわれている。 U 沿   革 昭27.11.21 カルテックス石油梶i現在は新日本石油)の所有施設を国が借り上げ、米軍にそのまま貯油施設として提供した。 昭46. 1. 1 施設管理が、米陸軍から米海軍に移管された。 昭51. 1.19 横浜市長が、石油コンビナート等災害防止のための鶴見貯油施設立入について国に要請した。 昭51.12. 2 日米合同委員会において「米軍鶴見貯油施設に係る公共の安全について」が合意された。 昭52. 7. 6 日米合同によるタンクの保安距離等の立入調査が実施された。 昭53. 3.30 日米合同によるタンクの不等沈下の調査が実施された。 昭54. 7.27 本施設エリアUの306号タンクに落雷があり、燃料火災事故が発生した。 V 主な動向等 (1)土壌汚染 平成10年8月、国が同施設内における燃料油の貨車への積み出し施設の改修工事中に油混じりの土壌を確認したため、区域内を調査したところ、環境基準値を超える鉛が検出された。 平成12年12月になって、国が土壌汚染の事実と環境庁(現環境省)指針に基づく調査を実施することを記者発表したため、県は国に対し、徹底した調査と適切な対応を取ることなどを要請した。 国は、平成13年1月から3月まで同指針に基づく調査を行い、その結果、6地点で鉛による土壌汚染が確認されたこと、汚染範囲(30m×90m)が特定されたことを発表した。その後、同指針に基づいた対策工事が実施され、平成15年3月28日、工事の完了が発表された。 7 吾妻倉庫地区(FAC3090) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横須賀市箱崎町(吾妻島)、田浦港町 (2) 面   積 土地  国有 814,810 u         建物  国有 9,281 u         水域  横須賀海軍施設水域(約 8,200,000 u) (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現   況 在日米海軍補給センターの管理下で、航空燃料・艦船燃料等の貯蔵・補給を行う貯油施設で、吾妻島全域と新井堀割水路を隔てた旧田浦送油施設地区からなっている。周辺水域は横須賀海軍施設水域の一部で常時立入禁止である。 本施設には吾妻島に37基の提供タンクがあり、貯油能力は約397,000klといわれている。燃料の貯蔵は、海上のブイまたは接岸により、タンカーからタンクに送油されている。燃料は、はしけ等を利用して米軍艦船に供給されているほか、旧田浦送油施設地区に送油され、タンクローリー車等により各施設に輸送されている。 一部区域は、海上自衛隊が吾妻島補給所(貯油タンク6基、約20,000kl)、弾薬施設(艦船用誘導弾薬整備・調整)、吾妻島信号所、気象観測所(港務支援)及び横須賀水雷整備所(水雷武器整備・調整)として共同使用し、その面積は、本施設の約30%に及んでいる。 U 沿   革 昭20. 9. 2 旧日本海軍吾妻島燃料・弾薬貯蔵所を米軍が接収した。 昭45. 5.28 田浦送油施設約22,000uが本施設に統合された。 昭46. 1. 1 米陸軍から米海軍に移管された。 昭51. 2.17 海底送油管の部品腐食のため、モーターガソリン約190klが提供水域内に流出する事故が発生した。 昭54.12.19 日米合同委員会において本施設の一部を海上自衛隊水雷調整所として共同使用(2−4−a)とすることが合意された(昭54.3.14旧軍港市国有財産処理審議会承認)。 平元.10.16 軌道敷地約2,136uが返還された。 8 横須賀海軍施設(FAC3099) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横須賀市本町、稲岡町、楠ケ浦町、泊町、長井 (2) 面   積 土地       2,363,263 u          (内訳) 国有  2,363,008 u              民有  254 u         建物   国有 884,150 u         水域      約 8,200,000 u (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現   況 本施設内には、在日米海軍司令部(CNFJ)をはじめ、米海軍横須賀基地司令部(CFAY)、海軍艦船修理廠(SRF)、極東海軍施設技術部隊(NAVFAC)、海軍補給センター(FISC)、海軍通信本部、海軍病院、西太平洋艦隊訓練群司令部、第7潜水戦隊などが所在し、在日米海軍、米第7艦隊等の補給、修理、休養等のための支援基地となっている。 また、第7艦隊旗艦の揚陸指揮艦ブルーリッジ、空母キティホークなどのいわゆる母港となっている。 このほか、海上自衛隊が艦船消磁所、第2潜水隊群の基地等として共同使用している。 U 沿   革 昭20. 8.29 米海軍横須賀基地司令官が任命され、翌日、連合国軍が横須賀市内に進駐した。 昭20. 9. 2 旧日本海軍横須賀海軍工廠、鎮守府等を米軍が接収した。 昭22. 4.28 米海軍横須賀艦船修理部が設立された。 昭34. 4.30 本施設内の一部、本町地区のうち約24,000uが返還された。 昭41. 5.30 米原子力潜水艦スヌークが、横須賀に初寄港した。 昭46. 2.19 夏島地先の制限水域の一部約52,000uが返還された。 昭47.11.15 外務省アメリカ局長が、横須賀市長に、空母ミッドウェーの乗組員家族海外居住計画などを含む「米海軍横須賀基地に関する諸問題について」意向照会した。 昭47.11.21 横須賀市長が、上記の照会に対し、現状やむを得ないものとして了承すると回答した。 昭48. 2.10 夏島地先の制限水域の一部約800,000uが返還された。 昭48.10. 5 空母ミッドウェーがいわゆる母港化後、初入港した。 昭50. 3.10 環境整備法による「特定防衛施設」に指定された。 昭50. 5. 2 泊浦を埋め立てた土地(約110,000u)に横浜海浜住宅地区(旧本牧1号地区)の代替住宅427戸の建設が着工された。(昭53.12完成) 昭52.11.22 県、県警、横須賀市及び米軍の四者構成による「横須賀基地犯罪防止連絡会議」が設置された。 昭52.12.28 横浜海浜住宅地区(旧本牧2号地区)の代替住宅350戸の建設が着工された。(昭56.6完成) 昭53. 4.18 泊浦を埋め立てた土地(約110,000u)の「新たに生じた土地の確認」及び「町の区域の変化」について、神奈川県が告示した。 昭53. 6.13 横須賀市、横須賀警察署及び米軍の三者構成で「横須賀渉外連絡会」が設置された。 昭56. 5.18 「ライシャワー発言」により寄港艦船等の核持ち込み疑惑が浮上した。 昭56.12.26 長井住宅地区の代替住宅101戸の建設が着工された。(昭58.4完成) 昭57. 1.29 本施設内の一部、稲岡地区約19,000uが返還された。 昭58. 5.27 海軍兵員クラブが本施設内に移設された。 昭59.12.10 原子力空母カールビンソンが初寄港した。 昭60. 7.12 長井住宅地区の通信試験施設(約4,000u)を統合した。 昭62. 9.〜 米国予算による横須賀港しゅんせつ工事が昭和63年5月まで実施され、泊浦が土捨て場として使用され埋め立てられた。 平 3. 9.11 空母インディペンデンスが母港化後、初入港した。 平 4.11.23 12号バースの重金属汚染問題が表面化した。 平 5. 6.22 泊浦に新たに生じた土地(約67,600u)の「新たに生じた土地の確認」及び「町の区域の変化」について、神奈川県が告示した。 平 9.11.19 12号バースの延長計画が表面化した。 平10. 8.11 空母キティホークが母港化後、初入港した。 平10. 9. 1 防衛施設庁が、12号バースの環境調査結果を公表し、土壌や地下水の重金属等による汚染が明らかとなった。 平10.12.24 防衛施設庁が、12号バース汚染対策工事計画の概要を発表した。延伸工事は汚染対策工事の終了後開始されることが明らかにされた。(平14.10汚染対策工事終了) 平12. 5.30 国の防災基本計画が改訂され、原子力艦船の原子力災害に関しても、地域防災計画に含めうることとなった。 平12. 7. 5 横須賀市が「原子力軍艦事故防災マニュアル」を策定した。 平13. 7.12 県の地域防災計画(原子力災害対策)に原子力艦の災害対策が位置づけられた。 平14. 4.23 国の防災基本計画が修正され、原子力艦の原子力災害対策が記載された。 平15. 6.17 横浜防衛施設局が12号バースの延伸工事に着手した。 平17.10.28 外務省から県、横須賀市に空母キティホーク後継艦として原子力空母が到着予定である旨連絡があった。 平18. 4.17 米原子力軍艦の安全性に関して、米側から情報提供があった内容について、外務省から県及び横須賀市に説明があった。 平18. 6.14 横須賀市長が「現実を直視し、原子力空母の入港はやむを得ないことと受け止める」旨報告した。 平18. 8.16 県知事が「安全航行確認体制、防災対策等の確実な実施と空母艦載機移駐の確実な履行を条件として、今回の原子力空母への交替はやむを得ない、と考える」見解を発表した。 V 主な動向等 (1)空母等のいわゆる母港化 昭和47年11月15日、外務省アメリカ局長が横須賀市長に、通常型空母の乗組員家族約1,000世帯を横須賀市内及び周辺に居住させることについて意向照会した。これに対し、同年11月21日、諸般の事情から横須賀市長は、現状やむを得ないとして了承すると回答した。空母ミッドウェーは、昭和48年10月5日、横須賀に入港した。以来、米空母のいわゆる母港化が継続している。 また、これと前後して、海外家族居住計画に基づく第7艦隊艦船のいわゆる母港化も行われるとともに、在日米海軍施設の集約化が進んだ。現在、本施設をいわゆる母港としている艦船は11隻である。 (2)空母の交替 ア ミッドウェーからインディペンデンスへの交替 平成2年2月23日、来日中のチェイニー米国防長官が、平成3年中に空母をミッドウェーからインディペンデンスへ交替させる計画を明らかにしたことから、県は、「艦船交替に関する事前協議の必要性」や「艦載機数、騒音の程度」などを、外務省に対して照会した。 これに対して外務省は、事前協議は必要がないこと、騒音については、早期の代替訓練施設での訓練実施に努力することなどを回答した。 県は、艦載機数の増加等に伴う航空機騒音の激化など、県民生活への影響が懸念されることから、その後2度にわたり見直しを含めた慎重な対応を外務省に対し要請したが、インディペンデンスは平成3年9月11日、横須賀に入港した。 イ インディペンデンスからキティホークへの交替 平成9年8月12日、インディペンデンスが翌年夏キティホークへ交替することを在日米海軍司令部が公表した。これを受けて、県は8月27日、外務省に対し、「乗組員数及びその家族数」、「交替配備に伴う新たな住宅棟の施設整備」、「艦載機の編成」などを照会した。 これに対し、翌日外務省から、「乗組員約3,100名、航空要員約2,700名、家族約1,000世帯」、「交替に伴い新たな住宅建設の必要性は生じない。」、「引き続き第5空母航空団所属の航空機によって編成される。」との回答があった。 平成10年8月3日付けで、外務省から8月11日にキティホークが横須賀に到着予定である旨の連絡を受け、県は、航空機騒音、事故、治安の問題など県民生活への影響を懸念し、外務省及び在日米海軍に対し、「厚木基地の航空機騒音の抜本的解消」、「安全管理の徹底」、「より一層厳重な規律の保持」、「空母配備の継続に伴い、新たな措置を講じる場合の速やかな情報提供など慎重な対処」などを要請した。 キティホークは、同年8月11日横須賀に入港し、以来、西太平洋方面を中心に作戦行動を展開している。 ウ キティホークから原子力空母への交替 平成17年10月28日、外務省から県及び横須賀市にキティホークの後継艦として、平成20年に原子力空母が到着予定である旨連絡があった。その後、平成17年12月3日には、到着予定の原子力空母はジョージ・ワシントンである旨、外務省から連絡があった。 これに対し、県及び横須賀市は、通常型空母の配備を外務省等に求め、平成18年3月23日には横須賀市長が外務大臣に対し、原子力空母の安全性について見解を示すように要請した。 一方、外務省は、同年4月17日に県及び横須賀市に対し「合衆国の原子力軍艦の安全性に関するファクトシート」をもって、米原子力軍艦の安全性に関して、米側から情報提供があった内容についての説明を行った。同年5月8日横須賀市長及び神奈川県知事連名で、外務大臣にファクトシート並びに原子力軍艦の安全性について質問を行い、さらに、横須賀市長は同年6月2日、「横須賀市と米海軍との災害時における相互支援協定等について」要請を行った。これらの質問、要請に対し、外務省北米局長は同月12日、回答し、横須賀市に対しては、政府としても協定締結に向けて積極的に支援したい旨の回答もした。 この回答を受け、横須賀市長は同月14日、市議会全員協議会で、「現実を直視し、原子力空母の入港はやむを得ないことと受け止める旨」報告した。 他方、県は、その後の政府とのやりとりを踏まえて、同年8月16日、知事が「安全航行確認体制、防災対策等の確実な実施と空母艦載機移駐の確実な履行を条件として、今回の原子力空母への交替はやむを得ない、と考える」見解を発表した。 (3)原子力軍艦の寄港 ア 寄港の経緯 横須賀は、佐世保(長崎県)、ホワイトビーチ(沖縄県)とともに、我が国における米原子力軍艦の寄港地となっている。 原子力軍艦の寄港問題は、昭和38年1月9日、米国政府の原子力潜水艦(原潜)寄港申し入れに端を発し、安全性の問題、万一の場合の補償問題、核兵器積載の疑惑などをめぐり、国会をはじめとして、一年余にわたる論争が続いた。 原子力委員会(原子力行政の民主的運営を図ること等を目的として設置され、現在は当時の原子力委員会から安全に関する部分を分離した原子力安全委員会及び原子力委員会があり、ともに内閣府に設置されている)は、昭和39年8月24日付けの米国政府の安全性、予防措置等を保証する声明及びエード・メモワールを受けて、同年8月28日、「声明の内容が確保されれば、寄港は国民の安全上支障ないと判断する。なお、政府は環境の安全を確保するため放射能調査等の措置をとるべきである。」旨表明した。これを受けて、同日、外務省は米国に対し寄港に異議のない旨通告した。 これにより、原潜シードラゴンが昭和39年11月12日、佐世保に初寄港し、また、横須賀には、昭和41年5月30日、原潜スヌークが初寄港した。 原子力水上軍艦の寄港については、昭和42年9月7日に米国政府から申し入れがあり、同年11月2日、日本政府は寄港に異議のない旨通告した。その後、昭和43年1月19日、原子力空母エンタープライズと原子力巡洋艦トラックストンが佐世保に初寄港し、また、横須賀には、昭和46年3月1日、原子力巡洋艦トラックストンが初寄港した。 イ 寄港の状況 横須賀への原子力軍艦の年度別寄港状況は資料U-6のとおりである。原子力軍艦は、平成9〜18年度の過去10年間に平均して21回程度寄港しており、平成2年度には、これまでの年間寄港回数の最高39回を記録している。また、平成18年度までの横須賀への原子力軍艦寄港回数は758回(停泊日数5,600日)であり、佐世保の285回(1,205日)、ホワイトビーチの260回(472日)(昭和47年沖縄返還後の回数)と比較し、際立っている。 ウ 放射能調査 前述の原子力委員会の見解を受け、環境の安全確認のため、横須賀基地及びその周辺では、原子力軍艦放射能調査が実施されている。 現在の調査は、昭和43年5月6日、佐世保寄港中の原潜ソードフィッシュ周辺で、平常と異なる高い放射能測定値が検出された問題を契機とし、同年9月5日に政府により制定された「原子力軍艦放射能調査指針大綱」(指針大綱)に基づき、寄港時調査、年間4回の定期調査、年間を通じての通常調査を実施し、空間、水中の放射線測定、海水、海底土の放射能測定、分析が行われている。 この調査は、文部科学省が中心となって実施しているもので、海上保安庁や港湾を管理する市または県当局などが参加している。横須賀にお いては、横須賀海上保安部、横須賀市に加えて神奈川県も、ソードフィッシュ事件を契機として、昭和44年4月16日入港の原潜フラッシャー(原子力艦の通算寄港回数第13回)から、安全確認のため、寄港時の放射能現地調査班の一員として、放射能調査に参加している。 横須賀の場合、放射能測定は、基地内外に設置された4か所のモニタリングポスト(水中、空間の放射線測定)及び6か所のモニタリングポイント(空間積算放射線測定)で、常時、連続的に実施されている。また、海上保安庁所属のモニタリングボートも、空間、水中の放射線測定等を実施している。 横須賀では、原子力軍艦の初寄港以来、現在に至るまで、原子力軍艦による放射能異常値は認められていない。 なお、平成18年9月14日に出港した原子力潜水艦ホノルルについて、モニタリングポスト、モニタリングボートでの放射能調査は平常の値と同様であり異常は認められなかったが、出港した際に採取した海水試料からコバルト58、コバルト60が検出された。これを踏まえ、文部科学省では、原子力艦放射能調査に知見を有する専門家による原子力艦放射能調査専門会合を開催し、放射能調査について評価検討を行った。その結果、「検出物は原子力潜水艦由来である可能性は否定できないものの、ホノルル由来とは断定できない。ただし、原子炉・冷却器系の事故、トラブルに起因して放出されたものではなく、ごく微量であり、環境、人体に影響を与えるような数値ではないこと」が確認された。 エ 放射能事故対策 昭和63年7月23日に横須賀沖で発生した、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と民間船の衝突事故を契機として、県は、神奈川県基地関係県市連絡協議会などを通じ、原子力艦の万一の事故に備えた対策の確立を政府に要望し続けていたが、政府は、米国原子力艦の安全性は米国政府が保証しており、安全性に問題はなく、追加的な安全対策は不要との姿勢を崩さなかった。 そのような中、平成11年9月30日に茨城県東海村のウラン加工施設で発生した臨界事故を契機として、原子力災害対策の強化に向け「原子力災害対策特別措置法」(原災法)が平成12年6月に施行された。しかし、引き続き、原子力艦はその対象から除外されていたため、県では、同年11月19日に渉外関係主要都道県知事連絡協議会を通じ、原子力艦についても法の対象とするか、または、同様の効果が生じる方策を講じるよう政府に要請した。 この問題についての政府の方針は、国会等での議論を経て、事故は発生しないため対策は不要という従来の姿勢から、万一の事故発生を想定した対策は必要であると変化した。平成12年5月30日、国の防災基本計画が修正され、原子力艦に係る原子力災害も地域防災計画に含めうることとなり、平成14年4月には、国の防災基本計画に「原子力艦の原子力災害対策」が新たに盛り込まれた。これを受け、平成16年8月、内閣府は原子力艦の原子力災害発生時に関係省庁が連携し、一体となった防災活動が行われるよう必要な事項をまとめた「原子力艦の原子力災害対策マニュアル」を策定した。また、文部科学省においても、前述の「原子力軍艦放射能調査指針大綱」を平成17年7月に改訂した。 一方、県は、平成13年7月に地域防災計画「原子力災害対策計画」を策定し、その中に原子力艦に係る事故災害対策を位置づけ、また、国の防災基本計画の修正を受け、平成15年3月には県の計画を修正し、原子力艦の原子力災害時の応急活動対策及び災害復旧対策等を追加した。 また、県では、神奈川県基地関係県市連絡協議会を通じ、原子力艦に関して「原災法に準じた対策の米側への申し入れ」、「放射能調査の強化充実」などを改めて要望している。 なお、横須賀市は、県の地域防災計画「原子力災害対策計画」が作成されたのを受け、平成12年に作成した「原子力軍艦事故防災マニュアル」の内容を市の地域防災計画に取り込む形で編成し、平成14年5月から運用している。同市は、基地周辺のモニタリングポストが異常値を示したことを想定する「原子力総合防災訓練」を平成14年度から実施しており、平成15年度から米海軍も参加しているが、米側が「原子力艦にかかる事故は起こりえない」という姿勢を崩していないため、原子力艦の事故を想定した訓練は平成18年度までは実施されていない。しかし、平成18年6月に横須賀市が原子力空母の入港はやむを得ないものと受け止める旨報告したことを契機に、安全対策及びその他の関連する措置等に関し協議するために「米原子力空母ジョージ・ワシントンへの交替に係る安全対策等に関連する実務者協議」を横須賀市、日米両国政府により開催しており、その中で、将来の防災訓練について意見交換が行なわれている。 (4)12号バース延伸工事と環境汚染問題 12号バースは、主として空母等の大型艦船が接岸する桟橋として運用されているが、長さや幅が不足し現有の空母の係留等に支障をきたしているとして、平成9年11月、防衛施設庁は、平成10年度予算の概算要求において、12号バースの延伸工事を要求していることを公表した。 12号バースについては、昭和63年10月、米軍が付近を工事中に油混じりの土壌が見つかり、分析したところ重金属等が発見され、平成4年11月、この事実が表面化した。平成5、6年に米側が再調査を行ったところ、重金属の汚染がみられたため、日本の対策指針等に則った方法で米側による応急措置がとられるなど、従来から環境汚染が問題になっていた。 延伸工事に関連して、横浜防衛施設局により、平成9年8月から平成10年7月にかけて、12号バース地区の土壌調査が実施され、その結果が平成10年9月1日、防衛施設庁から発表されたが、地区のほぼ全域に渡り重金属などで地下水や土壌が汚染されていることが判明したため、防衛施設庁は、延伸工事に先立って、環境庁(現環境省)指針などに基づいて恒久的な汚染対策工事を実施することとなった。 そのような中、平成11年3月には、汚染対策工事にかかる港湾法に基づく協議が行われたが、新たに既設クレーンの老朽化に伴う更新が行われることとなったため、変更協議が提出され、12月に港湾管理者である横須賀市の了解を経て汚染対策工事が着手された。平成14年10月31日、横浜防衛施設局は、汚染対策工事の終了を公表した。 汚染対策工事の完了を受け、同年12月6日には横浜防衛施設局が延伸工事に係る港湾法に基づく協議書を横須賀市に提出し、平成15年1月7日に条件付きで了承された。工事の概要は既存岸壁(約277m)の改修と海上に杭方式で約133m延長整備し、計画有効バース長を約385mにするというものである。延伸工事は同年6月17日に着手され、平成18年3月に完成し、5月に米側に引き渡された。 さらに、平成20年に予定されている、ジョージ・ワシントンへの空母の交替に向けた横須賀海軍施設の提供水域内におけるしゅんせつ工事について、平成19年3月に横浜防衛施設局が横須賀市に対して、協議書を提出したところである。 (5)泊浦埋立問題 昭和62年9月に、米国予算による横須賀港のしゅんせつが行われ、その堆積土砂の捨場として泊浦湾が仕切られ使用された。その後、泊浦湾のしゅんせつ土砂による悪臭対策として覆土工事が行われ、土地の形状を備えるかの様相を呈してきたため、その利用計画について論議が持ち上がったが、国は、具体的な利用計画はないとしていた。 その後、平成5年5月7日、国は横須賀市長に対し、土地確認の依頼書(約67,600u)を提出した。この土地確認について、横須賀市長は現地調査を行い、同年6月4日に開催された平成5年度第2回横須賀市議会の本会議で原案どおり可決されたため、県は、地方自治法に基づき、「新たに生じた土地の確認」及び「町の区域の変化」について、同年6月22日に告示した。 この土地について、平成15年2月、米側から横浜防衛施設局を通じ市に整備計画が示され、平成15年度以降に米国の予算により、サッカー場、ソフトボール場などが整備されている。 (6)劣化ウラン弾 平成9年2月10日、外務省は、平成7年12月から8年1月にかけて、米海兵隊が沖縄県の鳥島射爆場において、1発あたり約147gの劣化ウランを含む徹甲焼夷弾を計1,520発誤射していたことを発表した。 平成9年2月15日、横須賀を母港とする米艦船の機関砲にも劣化ウラン弾が使用されていることを、在日米軍報道部が認めたとの新聞報道がなされた。県では、神奈川県基地関係県市連絡協議会を通じ、「県内各基地及び艦船等における劣化ウラン弾の保管状況」、「劣化ウラン弾の安全性と管理体制」について、外務省に照会した。また、同年2月27日には、渉外関係主要都道県知事連絡協議会を通じ、「再発防止の徹底及び速やかな情報提供」、「国内における不使用の徹底」、「安全管理の徹底」を政府に要請した。 同年7月14日に外務省から、「劣化ウラン弾については、米軍は運用上の観点等により保管状況等を公表しない」、「管理体制については、米軍規則等に基づき万全が期されている」、「安全性については、米軍の調査及び科学技術庁の調査結果においても、劣化ウラン弾が外部の人間に影響を及ぼす可能性は無視できる」との回答があった。県ではこれを受けて、同年7月28日に神奈川県基地関係県市連絡協議会を通じ、「国内における不使用の徹底」、「安全管理の徹底」を要請した。 (7)基地周辺対策 横須賀海軍施設周辺では、言語、生活習慣の違いなどもあって、米軍人、軍属等による犯罪が基地周辺地域に発生し、住民に被害、迷惑を与えていた。 このため、県は、米軍に申し入れ、昭和52年11月22日、県、県警、横須賀市、在日米海軍の四者構成による「横須賀基地犯罪防止連絡会議」(平成5年度から「横須賀基地防犯連絡会議」と名称変更)を設け、以来、米艦船入港時、年末年始などの適宜な時期に、この会議を開催し、米軍人等の犯罪防止に努めている。(157ページ以下の第W章の3(1)「横須賀基地防犯連絡会議」の項参照) 横須賀市においても、市独自の立場から、昭和53年6月13日に、横須賀市、横須賀警察署、米軍による「横須賀渉外連絡会」を設置し、米軍人の犯罪防止対策や周辺住民の苦情、要望について協議を行っている。 また、平成6年9月25日に横須賀市内の繁華街で発生した、米軍人と日本人による集団乱闘事件を契機に、同年10月から毎月1回程度、地元町内会を中心に、国、県、市、県警、米軍等が参加して、横須賀基地近くのドブ板通り周辺の夜間巡回パトロールが行われている。 さらに、平成18年1月3日に横須賀市内で発生した、米軍人による強盗殺人事件を契機に横須賀基地周辺の地区における安全対策について、市、市民、米軍、県、県警等が連携して協議するため、同年3月1日に「基地周辺地区対策協議会」が設置された。 9 浦郷倉庫地区(FAC3117) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横須賀市浦郷町 (2) 面   積 土地  国有 194,304 u         建物  国有 4,614 u         水域  横須賀海軍施設水域(約 8,200,000 u) (3) 接収年月日 昭和25年9月1日 (4) 現   況 在日米海軍横須賀基地司令部の管理下で、同基地兵器部が、本部、弾薬荷揚場、弾薬庫として使用している。従来は、池子弾薬庫(旧名称)への弾薬輸送中継基地として、搬入弾薬の検査、選別も行っていたが、池子弾薬庫の事実上の閉鎖に伴い、現在はドックに入る艦艇等の弾薬の一時保管施設として使用されている。弾薬の積み降ろしは艦艇を沖泊まりさせ、米海軍のはしけを用いて行っている。 施設前面水域の一部は、横須賀海軍施設水域に含まれ、常時立入禁止である。 なお、昭和49年の日米合同委員会の合意による、海上自衛隊の弾薬庫等としての共同使用は、日米間における弾薬等の保管基準が相違することなどから実現を見ていないが、水雷調整所(昭和60年7月1日「水雷整備所」と名称変更)については、吾妻倉庫地区を共同使用することとなった。 U 沿   革 昭25.9.1 旧日本海軍軍需部狢(むじな)火薬庫を米軍が接収した。 昭49.6.6 日米合同委員会において、本施設の一部を海上自衛隊が弾薬庫、火工調整所、水雷調整所として共同使用(2−4−a)することが合意された(昭48.6.8旧軍港市国有財産処理審議会承認)。 10 池子住宅地区及び海軍補助施設(FAC3087) T 施設の概要 (1) 所 在 地 逗子市池子、久木         横浜市金沢区六浦町 (2) 面   積 土地       2,884,341 u  逗子市分面積 2,516,751 u  横浜市分面積 367,590 u          (内訳) 国有  2,879,243 u              民有    5,098 u         建物   国有 181,029 u (3) 接収年月日 昭和20年9月1日 (4) 現   況 在日米海軍横須賀基地司令部の管理下で、横須賀地区における米軍住宅の不足を解消するため、国において家族住宅の建設計画が進められ、平成10年3月31日、全住宅の建設が完了した。 現在、高層棟8棟528戸、低層棟60棟326戸の計68棟854戸のほか、食堂などの中央公共施設、テニスコート等スポーツ施設などがある。 また、平成6年11月17日の三者合意に基づき、平成8年2月14日に県、逗子市、防衛施設庁及び在日米軍の4者による「池子住宅地区及び海軍補助施設に係る地域連絡協議会」を設置し、逗子市民と米軍人等の良好な関係の形成と親善交流に努めている(159ページ以下の第W章の3(3)「池子住宅地区及び海軍補助施設に係る地域連絡協議会」の項を参照)。 U 沿   革 昭13. 旧日本海軍が軍需部池子倉庫(逗子市域)を設置し、その後第二海軍航空廠補給部池子工場として引き継がれた。 昭17. 旧日本海軍が横須賀海軍第二工廠造兵部谷戸田注填場(横浜市域)を設置した。 昭20. 9. 1 米軍が接収し、弾薬庫として使用した。 昭22.11.17 爆発事故が発生し、火薬庫7棟が焼失、周辺住民が避難した。 昭41. 1.10 宿舎地区約22,000uが返還された。 昭45. 7. 1 施設管理が米陸軍から米海軍に移管された。 昭47.12.20 管理事務所地区約60,000uが返還され、逗子市が第一運動公園を設置した。 昭48. 4. 6 浦郷倉庫地区から弾薬輸送が再開された。 昭52. 8.31 久木地区約25,000uが返還され、逗子市が久木小・中学校の運動場を設置した。 昭52.10.14 弾薬が最終搬出された。 昭53. 7.10 米軍人、日本人従業員全員が引き揚げ、事実上の閉鎖状態となった。 昭53.12. 6 管理事務所地区の残地約1,300uが返還され、逗子市が第一運動公園(拡張分)及び道路を設置した。 昭54.12.21 213uが返還され、京浜急行電鉄鰍ェ神武寺駅の拡幅を行った。 昭57. 3.23 国道16号線(横浜横須賀道路)敷地約20,000uが返還された。 昭58. 7.20 横浜防衛施設局長から知事・逗子市長に、「池子弾薬庫を米軍家族住宅建設の適地とした」旨の通知があった。 昭60.11.29 名称が、「池子弾薬庫」から「池子住宅地区及び海軍補助施設」に変更された。 昭62. 5. 8 知事は、防衛施設庁長官・逗子市長との三者会談を経て「知事調停案」を国・市に提示した (同年10.27逗子市長が同案を返上) 。 昭62. 9.30 横浜防衛施設局は、建物の取壊しや工事用防音・防塵塀の設置などの工事に着手した。 昭62.11.27 日米合同委員会において、本施設の一部を県道金沢逗子線バイパス敷地として共同使用(2−4−a)することが合意された。 平 6.11.17 知事、防衛施設庁長官、逗子市長が池子問題の円満な解決のための「合意書」に調印した。 平 8. 2.14 県、逗子市、防衛施設庁及び在日米軍の四者構成による「池子住宅地区及び海軍補助施設に係る地域連絡協議会」が設置された。 平 8. 2.16 日米合同委員会において、住宅320戸の提供が合意された(同年4月入居開始)。以下、順次提供され、入居が進んだ。 平10. 3.22 日米合同委員会において、本施設の一部を久木小・中学校共同運動場近道として共同使用(2−4−a)することが合意された。 平10. 3.31 高層住宅4棟248戸が完成したことにより、854戸全てが完成した(同年4.9提供合意、同年5月入居開始)。 平10. 8.26 簡易な小学校が完成し、日米合同委員会において施設提供が合意された。 平11. 9.19 池子遺跡群資料館が開館した。 平11.10.17 400mトラックを除く西側運動施設(テニスコート、野球場、少年野球場)の市民利用が開始された。 平16. 4.28 日米合同委員会において逗葉地域医療センター、逗子市保健センターへの進入路(歩道部分)の共同使用(2−4−a)が合意された。 平16. 9. 2 日米合同委員会第3回施設調整部会において、横浜市域の飛び地(約1.2ha)を返還し、施設内の横浜市域に住宅を700戸程度建設することで日米間の認識が一致した(同年10.18日米合同委員会承認)。 平16. 9.17 逗子市が米軍住宅の追加建設をしてはならない義務の確認を求めて、国を提訴(平19.2.15第二審判決・確定)。     平18. 8.17 横浜防衛施設局が横浜市と金沢区米軍施設建設・返還跡地利用対策協議会に対して米軍家族住宅の基本配置計画案を示した。 V 主な動向等 (1)逗子市域における池子米軍住宅建設問題 ア 弾薬庫としての使用中止・遊休化 逗子市と横浜市金沢区にまたがる池子弾薬庫(昭和60年11月29日「池子住宅地区及び海軍補助施設」へ名称変更)は、昭和20年9月1日、米軍に接収された。 米陸軍は、接収以来、弾薬類の貯蔵、保管施設として使用し、また、弾薬庫内で検査、手入れ、廃弾処理等の作業を行ってきた。約5万トンと言われていた弾薬貯蔵能力は、昭和30年代の半ば以降、周辺地域の宅地化が急速に進むとともに、周辺地区との保安距離の維持が不可欠なことから、実際は、約1万トンになったと言われていた。 このような状況の中で、半ば遊休状態となり、返還が近いのではないかとの期待が高まった。昭和45年7月1日、在日米海軍へと移管された後もほとんど遊休状態が続いていたが、昭和48年4月6日、突如として魚雷、砲弾、弾薬類が搬入され、弾薬庫としての使用が再開された。 その後も米海軍によって小規模の弾薬搬出入が浦郷倉庫地区との間で行われ、輸送経路の沿道住民に不安を与えていたが、昭和52年10月14日の搬出を最後に、以後弾薬輸送が途絶え、本施設には貯蔵弾薬がなくなったものと推測された。 昭和53年7月10日、米軍人、日本人従業員が全員引き上げ無人状態となり、その後は警備員が巡回警備するのみで、事実上遊休化していた。このため、県は、横浜市、逗子市とともに繰り返し返還を要請した。 イ 住宅建設問題の発生 昭和55年頃、本施設に米軍住宅を建設するとの噂が広まり、昭和57年8月26日には、国から県及び逗子市に対し本施設を有力な候補地として進めたい旨の通知があり、県、逗子市及び横浜市は、計画の中止、全面返還を要請した。その後昭和58年7月20日には、本施設の逗子市域の一部に住宅1,000戸程度及び関連施設を建設したい旨の通知があった。 これに対し、逗子市長は、昭和59年6月5日、市議会、市民協議会の意見を踏まえ、33項目の条件を付して国に協力する旨回答したが、逗子市においては、その後、市長リコール運動などがあり、11月11日に、新たに当選した市長は、国に計画の白紙撤回を要請した。 ウ 神奈川県環境影響評価条例に基づく審査 国は、昭和60年3月28日、神奈川県環境影響評価条例に基づく「環境影響予測評価書案」を知事に提出し、一連のアセス手続きが開始された。8月には、事業者である国の住民に対する事業説明会が開催され、昭和61年2月から6月にかけては、県主催の公聴会などが行われ、昭和62年1月22日に環境影響審査会から答申がなされた。また、2月17日、逗子市長から意見書が提出された。 知事は、これらを踏まえ審査を行い、同年2月24日、環境影響評価審査書を国に送付した。 エ 知事調停案の提示 しかし、依然として、国と市の間に立場の大きな隔たりがあったため、知事は、国、市の責任者に呼びかけ、昭和62年3月25日、三者会談が行われた。三者の間で、池子の森を守ることと、日米友好のギリギリの接点を探った結果、「知事調停案」がまとめられ、同年5月8日、知事から防衛施設庁長官と逗子市長に提示された。 国は、尊重するとして受け取り、神奈川県環境影響評価条例に基づく知事審査書並びに調停案を踏まえて作成した環境影響予測評価書を、同年9月8日、知事に提出した。市長も、調停案を尊重するとして受け取った。 オ 建設工事の着手と知事調停案の返上 昭和62年9月30日、国は、建物の取り壊しや工事用防音・防塵塀の設置などの工事に着手し、翌10月1日、環境影響評価条例に基づく着手届を県に提出した。 一方、逗子市においては、調停案返上に関して市民の意思を問うために市長が辞任し、これに伴う市長選挙が行われた結果、市長が再任され、同年10月27日、知事調停案を返上する旨の表明がされた。 カ 国・県・市の三者による合意書の締結 平成4年11月8日に実施された市長選挙により選ばれた市長は、当初は住宅建設反対を表明していたが、平成6年4月に国との和解の意向を示し、市議会、市民懇談会等を経て、5月26日に知事に国との話し合いのための仲介を要請した。 その後、8月5日の逗子市の臨時市議会で、市長がこれまでの住宅建設反対の基本方針を変更し、解決に向けて全面努力をするとの決意を表明し、市議会においても、池子問題解決に向けての意見書が採択された。 それらの経緯を経て、平成6年8月31日、7年ぶりに国、県、市による三者会談が行われ、話し合いを重ねた結果、同年11月17日、問題の円満解決に向けて、合意書が締結された。 なお、本合意書では、昭和59年に提出された「逗子市要望のいわゆる33項目」についても対応することが記された。 また、本合意書及び逗子市要望のいわゆる33項目の内容を受けた対応がなされた中で、次のような動きや問題が生じることとなった。 (ア) シロウリガイ化石と池子遺跡群資料館 県教育委員会は、文化財保護法に基づき、分布調査及び試掘調査を終了後、平成元年度から本格調査を開始したところ、弥生時代から近世にかけての土器、獣骨、竪穴式住居址などが発見された。 一方、昭和61年3月、アセス審査会における現地調査の際、西側丘陵部でシロウリガイ化石が発見されたことから、関係機関で学術的な協議をした結果、西側丘陵部は一部移築のうえ記録保存し、新たに発見された中央部分及び東側部分は現状保存することとなった。 これらの埋蔵文化財については、平成11年9月19日にオープンした基地内の池子遺跡群資料館に展示されており、希望者は、事前申し込みにより資料館を見学することができる。 (イ) 西側運動施設問題 平成10年12月17日に在日米海軍横須賀基地司令官と逗子市長との間で交わされた共同声明の中で「今後、池子住宅地区の一般開放、さまざまな友好的活動、見学、スポーツ関連の大会や競技会等の文化的な交流及び友好行事を司令官と市長の責任において促進することを同意する。」こととされたことを踏まえ、当時まだ米側に提供されていなかった400mトラックを除く西側運動施設の日米親善交流による部分的な市民利用が平成11年10月17日から開始された。 同年11月18日に米側に400mトラックが提供されたが、自由な市民利用は認められなかったため、平成12年2月、県と逗子市は防衛施設庁等に対して400mトラック等への自由な立ち入りができるよう要請を行った。現在、日米親善交流による部分的な市民利用は行われているものの、この区域への自由な立ち入りは実現していない。 (ウ) 病院建設問題 逗子市は33項目の要望の中で、池子住宅地区内に総合病院建設用地の確保を求めている。平成10年3月31日、国は病院建設の候補地を提示した。逗子市は総合病院を経営する社会福祉法人と話し合いを行ったが、平成13年5月、国が提示した条件に合わなかったため、当該法人は、進出は困難である旨表明した。同年7月、市長が、総合病院の誘致先は、地区の内か外かを問わず進めざるを得ない旨表明した。その後、平成18年12月に選出された新市長が、新たに条件を精査している。 キ 小学校の建設 地区内の小学校については、当初建設計画は出されていなかったが、平成10年3月30日に横浜防衛施設局が「簡易な小学校」の建設に伴う「環境影響予測評価書変更届書」を県に提出したことから計画が明らかになった。 同年4月1日、横浜防衛施設局長が逗子市に対し、児童の通学の負担を軽減させる観点から、「本設小学校」の建設、及びそれまでの暫定的な措置として「簡易な小学校」の建設について協力を求めた。これに対して同年4月6日、逗子市長は横浜防衛施設局長に対し、「簡易な小学校」の建設については人道上やむを得ないこと、及び「本設小学校」については具体的な建設計画の決定後、再度通知されたい旨回答した。 これにより、平成10年4月27日の日米合同委員会での施設整備の承認を経て、5月1日「簡易な小学校」の建設に着手し、8月26日、対象児童を小学校3年生までとする「簡易な小学校」が米側に施設提供された。 その後、平成13年6月、逗子市は、国が住宅の追加建設をしないこと等を前提に、本設小学校の建設に係る環境アセスの受入れを表明した。しかし、平成15年7月に、池子住宅地区の横浜市域での住宅建設に係る日米間の協議が開始されたため、逗子市は前提条件が崩れたとし、同年11月、国に対し、本設小学校建設計画の白紙撤回とアセス手続きの即時中止を求めた。 平成17年2月10日、横浜防衛施設局より、県に環境影響予測評価書が提出され、これに対して平成18年2月10日、知事が環境影響予測評価審査書を送付した。その後4月28日、横浜防衛施設局より、県に事業着手届出書が提出され、平成19年度より国は建設工事に入る予定である。 (2)横浜市域における池子米軍住宅建設と三者合意 平成15年7月18日に開催された日米合同委員会第2回施設調整部会で、横浜市内4施設の返還と横浜市域に約800戸程度の住宅を建設することが協議され、国は横浜市に意見を求めた。 一方、逗子市長は、横浜市域への住宅の追加建設は、三者合意に反する旨知事に申し入れたため、県として調査を行うこととした。 県は、平成15年8月19日に、三者合意に至る経緯も含めて調査した結果、三者合意に横浜市域は含まれないとし、今後の対応として、横浜市、逗子市からの要請があれば、誠意を持って対応していきたい旨表明した。 逗子市長は、三者合意の合意内容を確認するため、平成16年4月26日付けで、防衛施設庁長官あて照会を行い、これに対し、同年6月22日付けで横浜防衛施設局長から、「家族住宅を追加する考えはない」との記述(昭和59年9月5日付け横浜防衛施設局長から逗子市長あて回答)は池子住宅地区及び海軍補助施設の逗子市域の計画区域を対象としているとの回答がなされた。 逗子市は、平成16年6月22日の横浜防衛施設局長の回答等を踏まえ、改めて国に対し、米軍家族住宅の建設の白紙撤回を求めたが、同年8月23日付け横浜防衛施設局長から、神奈川県における在日米軍施設・区域の大規模返還に道を開くとともに、在日米海軍の当面の住宅不足を解消する最善のものであることから、理解と協力を求める旨回答があった。そのため逗子市は、これを不服として、同年9月17日、国を相手に、池子の森に米軍家族住宅を追加建設してはならないとする義務等を確認する訴訟を提起した。 平成18年3月22日、横浜地方裁判所は逗子市の訴えを却下したため、これを不服として逗子市は控訴したが、平成19年2月15日、東京高等裁判所は逗子市の控訴を棄却した。逗子市は上告せず、判決が確定した。 平成18年8月17日、横浜防衛施設局は、横浜市等に対して、池子住宅地区(横浜市域)への米軍家族住宅の基本配置計画案を示した。横浜市は、地元の要請も踏まえ、同年10月2日、横浜防衛施設局に対して、自然環境への配慮、周辺環境対策の実施等11項目の要請を行った。 11 相模総合補給廠(FAC3084) T 施設の概要 (1) 所 在 地 相模原市矢部新田、上矢部、小山 (2) 面   積 土地   2,143,508 u          (内訳) 国有 2,143,387 u              市有     100 u              民有    21 u         建物  国有 331,826 u (3) 接収年月日 昭和24年12月20日 (4) 現   況 在日米陸軍の管理下で、物資保管、修理などの兵站業務を担っている。 かつては、東洋一の兵站機能を持つ基地として活用されたが、ベトナム戦争後、アメリカのアジア政策の変更等の情勢変化に伴い、基地機能が大幅に縮小された。 本施設内には、各種物資を保管する倉庫のほか、ヘリポート、体育館、消防署、家族用住宅等の施設がある。 U 沿   革 昭13. 8.13 旧日本陸軍造兵廠東京工廠相模兵器製造所(相模陸軍造兵廠の前身)として開設された。 昭20. 9. 2 本施設に米陸軍が進駐した。 昭24.12.20 米陸軍が横浜技術廠相模工廠として接収した。 昭29.01.14 本施設西側約125,900uが返還され、向陽小学校、住宅、道路が建設された。 昭34.08.25 本施設東南部約92,700uが返還され、県営住宅、国家公務員住宅、県立相模原青少年会館が建設された。 昭36. 1.10 相模倉庫地区と相模工廠が統合、相模総合補給廠となった。 昭41. 7. 1 米陸軍兵站センター(所沢市所在)の機能を吸収した。 昭47.05.05 ベトナムへの戦車輸送の事実が明らかになった。 昭47.8〜10 戦車輸送阻止活動が激化した。 昭49. 7.00 組織名を在日米陸軍本州司令部相模公務局と変更した。 昭53.07.25 本施設南側約23,300uが返還された。 昭55.09.26 本施設西側約9,500u返還された。 昭61.10.24 本施設西側約2,500u返還された。 平04.11.19 本施設東南部約4,400u(イーズメント(地役権)を含む)が返還された。 平09.07.18 約70u(イーズメント)が返還された。 平09.10.07 本施設南西側約3,056uが返還された。 平11.02.19 PCB含有物保管の疑いが浮上した(同年11.11国が保管の事実を認めた)。 平12.08.27 メデックス2000(統合衛生野外演習)が実施された。 平16.03.30 緊急車両等の立入に係る協定が締結された。 平18. 5. 1 米軍再編の政府間合意に、一部土地(約17ha)の返還、西側野積場(約35ha)の地元との共同使用等が盛り込まれた。 V 主な動向等 (1)戦闘車両の修理と輸送 本施設は、かつて、横浜ノースドック、鶴見貯油施設などを統括し、生活物資、武器、弾薬等の調達、保管、修理、補給などの兵站業務を担う基地として、朝鮮戦争、ベトナム戦争で大きな役割を果たしてきた。 昭和45年以降、ベトナム戦争で損傷した米軍の戦闘車両の修理は本施設で行われたが、修理後の走行テストで発生する騒音や土埃が、地域住民を悩ませていた。 昭和47年5月5日、本施設で修理された戦車、兵員輸送車といった戦闘車両がベトナム戦争へ送られていたことが明らかとなり、多くの日本人のベトナム反戦感情を刺激したため、県、相模原市及び横浜市は、日米地位協定と基地の使用目的、国内法(道路法、道路交通法)との関係について、国及び米軍に対し抗議を重ねた。政府は国会で、米軍に国内法を遵守させることを約束したが、有効な措置が取られなかった。そのため、同年8月5日未明、戦闘車両を積載した米軍のトレーラーが、横浜ノースドックを目前にした村雨橋付近の路上で、国内法の遵守を求める約100人の国、県、市議会議員等によって通行を阻止され、トレーラーは本施設に引き返さざるを得なくなった。この事件に続いて、本施設正門前を市民団体等が占拠し、戦闘車両の搬出入を阻止したため、付近に混乱が生じ、周辺の商店街や民家に被害が発生した。 同年9月8日、県は、本施設の戦闘車両修理部門の閉鎖又は移転を含めた方策をとるよう国に要望した。同月12日の閣議では、本施設での戦闘車両修理機能の縮小ないし停止の検討と、ベトナムへの戦争関係車両の輸送は行わない方針で米側に働きかけることが明らかにされた。これを受けて同月19日、戦闘車両のうち兵員輸送車10台が横浜ノースドックに向けて搬出されるとともに、本施設正門付近一帯を占拠していたテントや立看板等は撤去され、周辺の治安が回復された。さらに同年10月18日、車両制限令の一部改正が公布、施行され、自衛隊の教育訓練、米軍の輸送活動等は、車両制限令の適用除外となり、同年11月8日本施設から戦車を含む戦闘車両の搬出が再開された。 その後、戦闘車両の修理の停止に伴い、昭和48年から49年にかけて、約2,800人の日本人従業員が解雇され、施設の機能は大幅に縮小された。 (2)PCB含有物保管問題 平成11年2月19日、本施設にPCB含有物が保管されている疑いが判明したため、県と相模原市は直ちに国に対しその事実関係を照会した。 その後、同年11月11日に国から保管の事実が明らかにされたが、その種類や数量等は明らかにされなかった。このような中、平成12年3月23日、本施設のPCB含有物の一部を入れたコンテナがカナダに搬出されたが、現地で荷揚げを拒否され、その後に寄港した米国でも荷揚げを拒否されたため、日本へ再移送されることとなった。コンテナは一時的に横浜ノースドックで保管され、同年5月13日、米国領ウェーク島へ向け搬出された。この間の4月28日、県と相模原市は国に対し、情報提供や、県、市による立入調査の実現等を求めた。 その後、平成14年8月28日、在日米軍が管理するPCB含有物を処理・廃棄するため米国へ搬出することについての「環境評価報告書」(案)が公表され、同日、日本側によるPCB含有物保管状況の立入調査が実現した。 同年12月18日、同報告書が確定したことにより、米国製PCB含有物の搬出が可能となり、平成15年1月17日、本施設に保管されていた使用済みPCB含有物の一部が横田基地より米国へ搬出された。 日本製の使用済みPCB含有物については、外国製PCB含有物の輸入を禁止する、米国「有害物質管理法」が平成15年4月18日から1年間適用除外となることが決定されたため、この間の米国搬出が可能となった。平成16年4月10日までに、米軍が保管する、その時点における全ての使用済みPCB含有物が米国に搬出された。 その後も数回に渡り、新たに使用済みとなったPCB含有物について搬出が行われ、県及び関係市に通告があった。 (3)緊急車両の立入 相模総合補給廠及びキャンプ座間周辺では、基地があるために、緊急車両の出動に際しては、基地周辺道路を大きく迂回せざるを得ない状況にあり、火災や救急の現場への到達時に相当の時間を要していた。 平成13年1月11日、日米合同委員会において、在日米軍施設・区域内への緊急車両等の限定的かつ人道的立入について合意され、立入申請者(緊急車両等を運営する者)と現地米軍当局者の間で協定を締結することが可能となった。 そこで、同年9月13日、相模原市が緊急車両の立入について申請を行い、平成16年3月30日、相模原市と在日米陸軍の間で、両基地内の緊急車両の通行について協定が締結された。 (4)米軍再編 県と相模原市は、市の中心部に広大な面積を占めている本施設について、返還を求めるとともに、特に西側野積場や北側部分の早期返還を求めてきた。また、相模原市では、当施設の返還後の市としての利用について市民や学識者、それに県を含む関係機関の参加を得て検討を行った結果、平成16年3月に、相模総合補給廠跡地利用構想を作成した。 平成18年5月1日の米軍再編の日米政府間合意では、相模総合補給廠の一部土地の返還等として、具体的には、地元の再開発のためJR相模原駅前の土地(約15ha)を返還すること、線路及び道路のため西側野積場の一部土地(約2ha)を返還すること、西側野積場の特定部分(約35ha)は緊急時や訓練目的に必要な場合を除き、地元が共同使用することが盛り込まれた。 その一方で、キャンプ座間における在日米陸軍司令部の改編に伴い、戦闘指揮訓練センターその他の支援施設を相模総合補給廠内に建設することが盛り込まれた。また、当施設の一部土地の返還に伴い、影響を受ける住宅を相模原住宅地区に移設するとされている。 県及び相模原市では、土地の返還が仮に有償で行われた場合、地元の負担が大きいことが予想されること等から、返還に当たり地元負担の軽減を図るよう求めている。 12 相模原住宅地区(FAC3102) T 施設の概要 (1) 所 在 地 相模原市上鶴間 (2) 面   積 土地   594,559 u    (内訳) 国有 507,833 u              市有  4,929 u              民有  81,796 u         建物   国有 83,167 u (3) 接収年月日 昭和25年5月10日 (4) 現   況 在日米陸軍の管理下の住宅専用施設であり、住宅のほか、日用品等販売所、小学校、劇場などがある。 U 沿   革 昭14. 1.22 旧日本陸軍電信第1連隊が、東京から転営、開設した。 昭25.05.10 旧日本陸軍電信第1連隊施設を周辺民有地とともに接収し、連合国軍人等住宅公社が住宅を建設した。 昭48.04.13 約1,938uが返還され、市道鶴丘が拡幅、整備された。 昭48.06.14 約1,173uが返還され、市道磯部大野が拡幅、整備された。 昭51.01.28 約865uが返還され、市道鶴丘が拡幅、整備された。 昭56.06.17 約606uが返還され、市道磯部大野が拡幅、整備された。 昭57.05.11 約258uが返還され、市道鶴丘が拡幅、整備された。 平13.06.28 約1,200uの返還が合意された(相模原市道として整備予定)。 13 キャンプ座間(FAC3079) T 施設の概要 (1) 所 在 地 相模原市磯部、新戸         座間市座間 (2) 面   積 土地  2,346,393 u   相模模原市分面積 1,725,560 u    座間市分面積  620,832 u         (内訳) 国有 2,336,921 u              市有    1,119 u               民有    8,352 u        建物    国有 272,406 u (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現   況 本施設内には、在日米陸軍司令部兼第9戦域支援コマンドと在日米陸軍基地管理本部等があり、在日米陸軍の中枢部として、後方支援業務の指揮命令の統括や作戦・訓練計画等の支援を行っている。また、本施設内には、住宅、中・高等学校、診療所、小規模な飛行場(キャスナー飛行場)、販売所、ゴルフ場等の施設がある。 U 沿   革  昭12.09.30 旧陸軍士官学校が東京から移転、開校した。 昭20.09.02 米陸軍が接収し、9月5日、第1騎兵師団第4兵站廠となった。 昭25.06. 米陸軍第8軍司令部が設置され、キャンプ座間となった。 昭28.11.17 約105,400uが返還され、公園等に使用されている。 昭32.07.01 在日米陸軍司令部が設置された。 昭46.06.25 日米合同委員会で、陸上自衛隊の一部共同使用が合意された (昭46.6.29閣議決定) 。 昭46.10.15 陸上自衛隊第1施設団第102建設大隊が移駐し、共同使用(座間市域2−4−a)を開始した。 昭47. 1.18 約27,073uが返還され、座間市富士山公園が建設された。 昭47. 3.23 約3,642uが返還され、県道相武台入谷線立体交差点として整備された。 昭47. 5.15 沖縄返還に伴い第9軍団が沖縄から座間へ移駐した。 昭51.08.02 約1,800uが返還され、駐車場として整備された。 昭52.06.16 キャンプ淵野辺の返還に伴う宿舎、倉庫等9施設の代替施設が提供された。 昭55.06.19 米陸軍医療センター返還に伴う診療部門の代替施設が提供された。 昭63.12.21 約1,790uが返還され、水道管敷設替えが行われた。 平03.11.05 座間市側約24,000uが返還され体育館が建設された。 平06.12.09 第9戦域陸軍地域コマンドが創設された。 平07.08.22 第1軍団(前方)連絡事務所が創設された。 平07.09.22 第9軍団が解隊された。 平11.07.29 日米合同委員会において県営水道導入に伴う給水工事の実施が合意された(平14.4.1供給開始)。 平12.10.16 第9戦域陸軍地域コマンドが第9戦域支援コマンドに名称変更された。 平16.03.30 緊急車両等の立入に係る協定が締結された。 平18.03.16 日米合同委員会において市道新戸相武台の拡幅に係る共同使用が合意された。 平18. 5. 1 米軍再編の政府間合意で、在日米陸軍司令部の改編や陸上自衛隊「中央即応集団司令部」の移転等が盛り込まれた。 V 主な動向等 (1)陸上自衛隊の移駐 陸上自衛隊の共同使用については、昭和46年6月25日、日米合同委員会で合意され、同年10月15日、陸上自衛隊第1施設団第102建設大隊(現第4施設群)が朝霞基地から移駐してきた。移駐に際し、座間町(現座間市)と横浜防衛施設局との間で、自衛隊の共同使用の範囲、米軍の縮小撤退の際の跡地の地元優先利用等を内容とする覚書が交換された。 (2)ヘリコプターの騒音問題 本施設内の北端のキャスナー飛行場を離発着するキャンプ座間所属の米陸軍ヘリコプターは、周辺住民に対し、騒音・振動による苦痛と墜落の不安を与え、また近年、厚木基地所在の米海軍ヘリも同飛行場で訓練を行っており、住民の苦情が増加している。このため、県と相模原市では、住宅地上空での低空旋回飛行及び18時から翌朝8時までの飛行活動の禁止等を、日米両国政府に要請している。また、相模原市では、飛行実態や騒音状況を把握するため、同施設に隣接する地区に騒音計を設置し、平成18年10月1日から、ヘリの騒音を測定している。 (3)相模原市道新戸相武台の拡幅 本施設の第4ゲート付近から施設を横断し第3ゲート付近へ通じる本道路は、昭和11年〜12年頃、既存道路の代替道路として旧日本陸軍が建設した。昭和57年〜61年度にかけて、トンネル部分を除く道路の拡幅と歩道設置を行ったが、幅員が狭く通行制限が行われることや、トンネルの老朽化等により、周辺住民から再整備の要望が高まっていた。平成15年10月9日、相模原市は拡幅のための共同使用申請を国に提出し、平成16年4月13日、日米合同委員会の施設特別委員会において審議が開始され、平成18年3月16日、日米合同委員会で合意に達した。 (4)キャンプ座間への県営水道の導入 本施設については、かつて座間市栗原中央にある井戸から給水していたが、平成14年4月1日より県営水道が給水している。座間市では井戸等が置かれている土地について返還等を求めている。 (5)ごみ焼却炉からのダイオキシン発生 本施設にある焼却炉は、昭和59年4月から稼動している。平成14年5月10日、本施設内ごみ焼却炉の排煙から法律で定められた排出基準値の4倍を上回るダイオキシンが検出されていた、との報道がなされたため、県は国と米軍に対し、検出数値などの公表を要請した。この要請に対し、6月21日に環境省を通じて情報提供があり、国内法の基準を上回るダイオキシンの検出が確認されたため、24日、県は国内法の排出基準を守ること等を在日米軍に要請した。 平成15年3月までに、焼却炉の改修工事が行われ、同月の測定では排出基準値を満たし、米軍に引渡しがなされた。 (6)米軍再編 座間市では、米軍再編の動きが伝えられた当初から、米本土に拠点を置く米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移転が報じられたこともあり、これらの動きが、基地機能の強化や基地の恒久化につながるものとして、平成16年11月に設立した「キャンプ座間米陸軍第一軍団司令部等移転に伴う基地強化に反対する座間市連絡協議会」を中心に反対運動等を続けてきた。 平成18年5月1日の在日米軍再編の日米政府間合意では、キャンプ座間に所在する在日米陸軍司令部は、2008(平成20)米会計年度までに改編すること、及び陸上自衛隊「中央即応集団司令部」を2012(平成24)年度までに移転(相模原市域)することが盛り込まれた。 また、改編に伴い相模原住宅地区に家族住宅を整備すること、住宅地区(座間市域)の一部土地(1.1ha)を日本国政府に返還することや、同住宅地区の追加的な土地の返還について、引き続き日米間で協議することも盛り込まれている。 県では、国に対し、引き続き地元との協議を行うとともに、地元負担の軽減を図るよう求めている。 14 厚木海軍飛行場(FAC3083) T 施設の概要 (1) 所 在 地 大和市上草柳(そうやぎ)、下草柳、福田         綾瀬市深谷、蓼(たて)川(かわ)、本蓼川         海老名市東柏ヶ谷 (2) 面   積 土地    5,068,806 u 大和市分面積 約1,121,000 u 綾瀬市分面積 約3,946,688 u 海老名市分面積 約1,102 u (内訳) 国有  5,064,306 u             市有    20 u             民有    4,480 u         建物  国有   460,601 u 標点位置 北緯35度27分5秒 東経139度27分12秒 標高62m  滑走路  延長約 2,438 m × 幅約 45 m(8,000フィート×150フィート)       方位 7度〜187度(磁方位) オーバーラン北側、南側 各 300 m(1,000フィート)       コンクリート舗装 誘導路  延長6,764m、幅22m エプロン 面積152,680u (3) 接収年月日 昭和20年9月2日 (4) 現  況 施設管理を行う在日米海軍厚木航空施設司令部をはじめ、西太平洋艦隊航空司令部、第5空母航空団のほか、第51対潜ヘリコプター飛行中隊及び米陸軍第78航空大隊分遣隊等が駐留し、米海軍航空部隊航空機の整備、補給、支援業務を行っている。 また、米海軍と共同使用している海上自衛隊は、航空集団司令部、第4航空群、第51航空隊、第61航空隊、航空管制隊、航空プログラム開発隊及び厚木航空基地隊が配属され、対潜活動、航路の安全確保、災害時の救援活動等の任務にあたっている。 本施設は、米軍専用区域(2−1−a)、米軍管理共同使用区域(2−4−a)、自衛隊管理共同使用区域(2−4−b)に分かれている。 米軍専用区域には、家族住宅、小学校、ゴルフ場、格納庫の一部等があり、米軍管理共同使用区域には、司令部、診療所、消防署、兵舎、レクリエーションセンター等がある。また、自衛隊管理共同使用区域には、滑走路、管制塔、オペレーション施設等がある。 本施設周辺では、空母(現在はキティホーク)の横須賀入港のつど、艦載機による騒音問題が発生している。平成5年に硫黄島が夜間連続離着陸訓練(Night Landing Practice以下「NLP」という。)の訓練施設として米軍に提供された後、NLPそのものによる騒音被害は減少したものの、近年は、洋上の訓練空域との往復に生じる騒音に加え、NLPの直前の時期に実施される集中的な訓練をはじめとする昼夜を問わない激しい航空機騒音や事故への不安が周辺住民の日常生活に深刻な影響を及ぼしている。 空母キティホーク艦載機等 平成19年3月現在、空母キティホークには第5空母航空団所属の艦載機が搭載されている。昭和48年のいわゆるミッドウェー横須賀母港化以来、厚木基地に飛来してくる艦載機のほとんどは、この航空団所属の飛行機である。なお、キティホークから原子力空母に替わっても艦載機の交替はないとされている。 U 沿   革 昭13. 旧日本海軍が、航空基地として建設に着手した。 昭16. 帝都防衛海軍基地として使用を開始し、相模野海軍航空隊を設置した。後に、厚木海軍航空隊、第2相模野海軍航空隊となり、本土防衛の主要基地となった。 昭20. 8.30 連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した。 昭20. 9. 2 施設を米軍が正式に接収し、キャンプ座間の資材置場として使用されるなど、米陸軍の輸送基地としての任務を担った。 昭25.10.25 朝鮮戦争のぼっ発に伴い、米国は極東地域に海軍航空基地を必要としたため、海軍建設部隊が、荒れ果てた滑走路、建物を復旧した。 昭25.12. 1 米海軍第7艦隊所属艦載機の修理、補給、偵察基地として、米海軍厚木航空基地が発足した。 昭33.2. 軍用機のジェット化とともに、7,000フィート滑走路の延長工事が進められ、8,000フィートになった。 昭33.11.25 飛行場の南北両端に安全地帯を設けるため、約284,000u(基地南側約215,000u、北側約69,000u)の追加提供が閣議決定された。 昭35.10.19 日米合同委員会に騒音対策特別分科委員会が設置された。 昭38. 9.19 日米合同委員会において「厚木飛行場周辺の航空機の騒音軽減措置」が合意された(昭44.11.20一部改定)。 昭40. 8. 7 滑走路の両端に各1,000フィートのオーバーラン等着陸帯の拡張工事が完了した。 昭44.12. 県が周辺に自動記録騒音計3台を設置した(大和市、藤沢市、海老名市各1か所。その後順次設置)。 昭45. 8〜 9 大阪万国博覧会による東京国際空港の混雑緩和のため、民間航空機が乗り入れた。 昭46. 6.25 日米合同委員会において、本施設の一部を海上自衛隊に移管することが合意された(昭46.6.29第4航空群等の使用を閣議決定)。 昭46. 7. 1 米海軍厚木航空施設と名称変更した。海上自衛隊が厚木基地航空分遣隊を設置し、土地約2,640,000u、建物約12,000uの共同使用(2−4−b)を開始した。 昭46.12.23 飛行場施設の海上自衛隊移管を契機に、大和市内にあるイーストキャンプ地区の一部約44,608uと綾瀬市内にあるピクニックエリア地区の一部約42,969uが返還された。 昭47. 7.20 ピクニックエリア地区の一部約11,080uが返還された。 昭48. 3.20 ピクニックエリア地区の一部約18,897uが返還された。 昭48. 5.21 イーストキャンプ地区の残余部約95,395uとピクニックエリア地区の一部約31,097uが返還された(イーストキャンプ地区はすべて返還され、現在、大和市立引地台中学校、引地台公園の用に供されている。また、ピクニックエリア地区については、綾瀬市立綾北中学校、光綾運動公園、心身障害児通園施設の用に供されている)。 昭48.10. 5 米海軍第7艦隊所属空母ミッドウェーが横須賀母港化後初入港した。以後、艦載機の頻繁な飛来により、一時減少していた騒音が、周辺地域の深刻な問題となった。 昭51. 9. 8 第1次厚木基地騒音訴訟として、周辺住民92人が、飛行差止め、損害賠償を求めて、横浜地裁に提訴した(平5.2.25最高裁判決、平7.12.26差戻し審判決・確定)。 昭54. 8. 滑走路等の補修、灯火設備の換装、ILS(計器着陸装置)施設の新設工事が行われた。 昭54. 9. 5 「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」第4条に基づく第1種区域(住宅防音工事の助成)の指定が告示された(最終告示は平18.1.17の第5回告示)。 昭55. 5.23 県が、「航空機騒音に係る環境基準」に基づく地域類型を指定した。 昭56.12.25 海上自衛隊のP−3C対潜哨戒機が配備された。 昭57. 2. 夜間連続離着陸訓練(NLP)が開始された。 昭58. 5. 9 国からNLPの実施計画が関係自治体に事前に通告されるようになった。 昭59.10.22 第2次厚木基地騒音訴訟として、周辺住民161人が、飛行差止め、損害賠償を求めて、横浜地裁へ提訴した(平11.7.23控訴審判決・確定)。 昭61.11.14 空母ミッドウェー搭載のF/A−18ホーネット戦闘攻撃機が機種転換後、初飛来した。 平 3. 8.23 空母インディペンデンス艦載機のF−14トムキャット戦闘機が初飛来した。 平 3. 9.11 空母インディペンデンスが空母ミッドウェーの後継艦として初入港した。 平 5. 3.23 基地西側約2,110uが返還され、市道7号線として、拡幅、整備された。 平 5. 4.23 硫黄島代替訓練施設が、米軍に全面提供された。 平 6. 5. NLPの硫黄島移転支援のため、自衛隊ジェット機の乗り入れが開始された。 平 6.12.12 基地東側の一部(通称三角地)約42,386uが返還され、現在海上自衛隊宿舎として利用されている。 平 7. 9.27 「新特別協定」により、NLP等の訓練移転経費を日本側が負担することが合意された。 平 9.12. 8 第3次厚木基地騒音訴訟として、周辺住民5,047人が、損害賠償を求めて、横浜地裁に提訴した(平14.10.16第一審判決、平18.7.13控訴審判決、7.26国の上告断念により確定)。 平10. 8.11 空母キティホークが空母インディペンデンスの後継艦として初入港した。 平11.10.19 基地北側約310uが返還され、綾瀬市道1号線として整備された。 平12. 2. 4 できる限りNLPを硫黄島で実施することが、日米両国政府間で了解された。 平14. 5.22 在日米海軍司令官がデモンストレーションフライトを今後実施しないことを表明した。 平15.11.13 F/A―18Fスーパーホーネット戦闘攻撃機がF−14トムキャット戦闘機からの機種転換後、初めて飛来した。 平16.10.02 F/A−18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機がF/A−18Cホーネット戦闘攻撃機からの機種転換後、初めて飛来した。 平17. 2.28 S−3Bバイキング対潜哨戒機の部隊が解隊された。(離日は前年11月) 平18. 1.17 「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」第4条に基づく第1種区域(住宅防音工事の助成)の第5回指定が告示された。 平18. 5. 1 在日米軍再編協議において、空母艦載ジェット機等59機を2014年までに岩国基地に移駐させることが合意された。 V 主な動向等 (1)騒音問題の経緯 ア ジェット化と滑走路の拡張 昭和25年に使用開始された厚木基地に、昭和29年から30年にかけて第11海兵飛行連隊が移駐してきた。米海軍、海兵隊所属飛行機のジェット化が進む中、昭和30年ごろからジェット機が飛来するようになった。 このため、米軍は、昭和33年2月に、滑走路の8,000フィートへの延長を、昭和35年6月に航空機の重量化に対処するための滑走路のかさ上げを行なった。 当時の飛行状況は、滑走路の特定部分を空母の飛行甲板にみたてた艦載機の離着陸訓練等による、滑走路至近空域内で反復して行われる低空旋回飛行等が激しかった。訓練飛行は、3機またはその倍数で実施されることが多く、飛行経路下の住民は、訓練の多い日には、1日数百回に及ぶ頭上通過のジェット機騒音に悩まされた。 加えて、ジェットエンジンを機体から外して行うエンジンテスト、テスト終了後、エンジンを機体に取り付けて行うエンジンランアップ(エンジン駆動)は、何らの防音設備もなく、昼夜長時間にわたって行われた。このため、地上のジェット騒音は、滑走路から数キロメートル離れた周辺住民にまで多大な騒音被害を与えていた。 厚木基地に常駐していた第11海兵飛行連隊(最盛時約90機)は、ベトナム戦争の激化に伴い、昭和40年6月、所属機約70機とともに他の基地に移動したため、昭和48年夏ごろまでは、比較的騒音が少なかった。 イ 空母ミッドウェー艦載機の飛来 昭和47年11月、米軍の家族海外居住計画に基づいて、空母ミッドウェーのいわゆる横須賀基地母港化問題が発生した。政府は、米国の要求を受け入れ、昭和48年9月27日、同空母の艦載機の第一陣が厚木基地に飛来してきた。艦載機は、同年10月4日から10月5日にかけて、その大部分が飛来し、周辺住民からの苦情が県及び地元市町に殺到した。 空母艦載機は、空母の入港中は発着艦できないため、入港前に洋上から一挙に飛来し、また、出港後に洋上の空母に帰艦する。その際発生する騒音のほか、空母入港中、厚木基地を本拠とする艦載機による訓練飛行は、大きな騒音被害を周辺住民に与えた。 艦載機のパイロットは、常に練度を保つため、入港中も訓練飛行を行わなければならないとされており、そのため、訓練飛行の大部分を三沢、岩国基地で実施していた。この訓練飛行に赴くときの発進及び帰投時の着陸による騒音が特にひどかった。なかでも、夏期は日没が遅いので、帰投時間も遅くなることが多く、大きな問題となった。 ウ 夜間連続離着陸訓練(NLP)の実施 昭和57年2月以降、他の基地で実施されていた空母ミッドウェー艦載機のNLPが厚木基地でも行われるようになった。 これは、滑走路を夜間の空母の甲板にみたてて、タッチ・アンド・ゴー(連続離着陸のことで、航空機が着陸後、惰性の落ちないうちにエンジンを全開し再離陸する方法)等を行うものである。 NLPが厚木基地で行われるようになった理由は、@三沢、岩国での訓練では、利用可能な夜間の飛行時間が不足、A遠距離に、訓練場が2か所あることによる支援要員の増加、B維持修理、補給面での負担の甚大化、C遠距離からくる運用面でのムダ、D燃料代等も含めての経費の増加、E母艦の搭乗員及びその家族に対する配慮、からであるとされている(昭和59年4月24日、衆議院安全保障特別委員会における防衛施設庁長官の答弁)。 通常、2機の艦載機が厚木基地の場周経路(滑走路上空を中心に周辺に設定された飛行経路)を使用して、日没から午後10時ごろまで、訓練を行った。周辺住民は、長時間にわたって1分30秒ないし2分30秒ごとに1回の割合で、激しい騒音にさらされた。 昭和58年5月から、国は、NLPの計画を県など関係自治体に通告するようになった。 昭和61年、空母ミッドウェーの艦載機のうち、F−4ファントム戦闘機(2飛行隊24機)とA−7コルセア攻撃機(2飛行隊24機)の48機を、F/A−18ホーネット戦闘攻撃機へ機種転換することとなった。F/A−18は、同年11月14日から21日にかけて、3飛行隊36機の全機が厚木基地に飛来し、連日、昼夜を分かたぬ激しい訓練が実施され、周辺住民から関係自治体へ騒音に対する多くの苦情が寄せられた。 特に、NLP時にあっては、F/A−18が厚木基地を1周するのに約3分と、F−4に比べ騒音の発生間隔が約半分と短くなったこともあり、騒音問題は一層深刻となった。 エ 空母インディペンデンスへの交替 平成2年2月23日、空母ミッドウェーを1991(平成3)年中に通常型空母インディペンデンスに交替させることが発表された。同艦はミッドウェーより大型で、艦載機、乗組員数とも多く、航空機騒音の激化等、県民生活への影響が懸念されたため、県は配備の見直しを含めた慎重な対処を国に求めたが、平成3年9月11日、インディペンデンスは横須賀に入港、艦載機としてF−14トムキャット等が新たに厚木基地へ飛来するようになった。 平成8年6月、米海軍の軍備最新鋭化と近代化のため、空母インディペンデンス艦載機のA−6イントルーダー攻撃機がF/A−18ホーネット戦闘攻撃機へと機種転換された。 オ 空母キティホークへの交替 平成10年8月11日、空母インディペンデンスに代わってキティホークが横須賀基地に配備された。インディペンデンスから引き続き第5空母航空団所属の航空機が艦載されることとなった。 平成15年11月から12月にかけて、空母キティホークに搭載されていた艦載機のうち、F−14トムキャット戦闘機(1飛行隊)がF/A−18Fスーパーホーネット戦闘攻撃機(複座)へ機種転換された。また、平成16年10月には、F/A−18Cホーネット戦闘攻撃機(1飛行隊)がF/A−18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機(単座)へ機種転換された。 (2)住民運動 ア 集団移転 昭和34年6月、すさまじいジェット機騒音により甚大な被害を受けた基地至近の住民は、移転補償を求める運動を開始した。国も、被害の重大性を認め、補償を行うことを決め、昭和35年末、滑走路南端付近の住民(大和市福田南庭18戸)が初の集団移転をした。 昭和35年〜46年大和市計180戸 昭和37年〜41年綾瀬町(現綾瀬市)計41戸 イ 爆音防止期成同盟の結成 爆音に日夜悩まされた周辺住民は、被害からの救済を切実に求め、特に滑走路北側の大和市上草柳の住民が中心となって、昭和35年7月23日、「厚木基地爆音防止期成同盟」(爆同)を結成した。 昭和36年5月18日、厚木基地爆音防止期成同盟は、横浜地方法務局と神奈川県人権擁護委員連合会に、「米軍ジェット機が生活をおびやかしているが、国はなんらの善処もしてくれない。これは、住民の基本的人権を無視するものだ」として、国を相手どって人権侵犯の申立をした。 昭和38年12月2日、横浜地方法務局は、「基本的人権を侵害するものであるかどうか、にわかに決し難いところであるが、相当多数の住民が精神的及び日常生活上ある程度の被害を受けていることが認められ、憲法の理念としている基本的人権の尊重の観点から考えると、このまま放置することはできない問題である」との一応の結論を出し、本件を法務省人権擁護局へ移送し、法務省人権擁護局長は、昭和39年10月28日、防衛施設庁へ通知した。 (3)厚木基地騒音訴訟 ジェット機騒音は、昭和40年から48年ごろまで比較的静かであったが、昭和48年9月27日、空母ミッドウェーの艦載機が初飛来して以来、周辺住民は再び激しい騒音に悩まされるようになった。 県も、この事態を踏まえ、再三、米軍に騒音軽減を図る具体的方策の実施を求め、米軍もこれに応じて、業務遂行の範囲内で可能な限りの改善努力をしたが、都市化の中の飛行場、艦載機特有の訓練形態等の要因により、騒音軽減にはおのずから一定の限界があった。 他方、昭和50年11月、大阪空港騒音公害訴訟控訴審において、大阪高等裁判所は、午後9時から翌日午前7時までの夜間飛行の差止めと損害賠償の支払を求めた住民側の請求をほぼ全面的に認める判決を下した。 こうした中、厚木基地爆音防止期成同盟を母体とした騒音被害に悩む周辺住民92人が原告団を結成し、昭和51年9月8日、国を相手どり、@毎日午後8時から翌日午前8時までの間、一切の航空機の離着陸及び航空機のエンジンの作動を禁止、A午前8時から午後8時までの間、原告らの居住地に65ホンを超える一切の航空機騒音を到達させない、B過去及び将来の騒音被害による損害賠償の支払、を求める訴訟を横浜地方裁判所に提起した。 昭和57年10月20日、過去の損害賠償を認める一部勝訴の判決が出たが、これを不服として原告、被告双方とも東京高等裁判所へ控訴した。 昭和61年4月9日、原告全面敗訴の判決が出され、4月22日、原告が最高裁判所へ上告、平成5年2月25日、過去の損害賠償については、原審の破棄、差戻し、その余は上告を棄却する最高裁判決が出された。平成7年12月26日、過去の損害賠償についての東京高等裁判所の差戻し審判決が出され、WECPNL(W値)80以上の騒音被害については、損害賠償が認められ、原告、被告とも上告せず判決が確定した。 また、第2次騒音訴訟として、昭和59年10月22日、周辺住民161人が、第1次騒音訴訟と同様の請求趣旨で横浜地方裁判所へ訴えを提起した。平成4年12月21日、過去の損害賠償を認める一部勝訴の判決が出たが、これを不服として原告、被告双方とも東京高等裁判所へ控訴した。平成11年7月23日、W値80以上の騒音被害については、過去の損害賠償を認める控訴審判決が出され、原告、被告とも上告せず確定した。なお、いわゆる危険への接近理論が一部の原告に適用され、損害額が減額された。 さらに、第3次騒音訴訟として、平成9年12月8日、周辺住民5,047人が国に対して過去及び将来の騒音被害による損害賠償のみを求め、横浜地方裁判所に訴えを提起した。平成14年10月16日に出された判決は、第1次及び第2次訴訟判決を拡大し、W値75以上の騒音は受忍限度を超え違法とし、過去の騒音被害に対し総額約27億4,600万円の損害賠償を行うよう国に命ずるものであったが、原告、被告双方が東京高等裁判所に控訴した。平成18年7月13日、第一審判決を維持し、国に対し基地の騒音訴訟としては過去最高の賠償額である約40億4,076万円の支払いを命じる控訴審判決が出され、同月26日に国が上告を断念することで、判決が確定した。 (4)騒音調査 ア 騒音計による調査 航空機騒音は、他の音源と比較して著しく大きく、音源が移動するため、広範囲にその被害を及ぼしている。また、厚木基地に飛来する軍用機は、飛行時間帯が一定していない。また、空母が横須賀に寄港するたびに艦載機が集中的に飛来し、特にNLPなどの訓練飛行により、広い地域にわたり、多数の住民に被害を及ぼすなど、日常生活に重大な影響を与えている。 県の騒音調査は、昭和35年に始められた。同年8月30日から9月7日までの間、基地周辺で初めて航空機騒音実地観測調査を行った。 昭和36年から38年までは、大和市、綾瀬町(現綾瀬市)の協力を得て、夏期に実地観測調査を実施した。昭和39年5月、県は自動記録騒音計を購入し、昭和44年まで随時調査を行った。 昭和44年12月、現地測定とあわせて、自動記録騒音計による常時測定調査を開始した。平成19年3月末現在、厚木基地周辺等11地点に自動記録騒音計を設置し、地元市の協力を得ながら常時騒音測定を実施している。 また、厚木基地周辺の各市においても、独自に騒音計を設置して常時測定を行っており、昭和58年度からは、国も自動記録騒音計を厚木基地周辺に設置して、常時測定を行っている。 イ 厚木基地周辺生活環境調査 県では、平成12年7月から9月にかけて、厚木基地周辺住民の生活環境等への航空機騒音の影響、住宅防音工事等の施策の効果などを把握するため、厚木基地周辺6市(藤沢市、相模原市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市)の基地周辺住民1万人を対象に、「厚木基地周辺生活環境調査」を実施した。 その結果、航空機騒音の影響として9割の住民が「電話や話が聞き取りにくい」、7割の住民が「ゆっくりくつろげない」と回答していること、9割の住民がNLPの硫黄島への全面移転を望んでいること、過半数の人が住宅防音工事の効果がないと感じていることなどが明らかになり、航空機騒音が厚木基地周辺住民の生活環境に大きな影響を及ぼしていることが改めて確認された。 ※WECPNL(W値。いわゆる「うるささ指数」)とは、Weighted Equivalent Continuous Perceived Noise Level(加重等価継続感覚騒音基準)の略で、特に夜間の騒音を重視して音響の強度のほかにその頻度、継続時間の諸要素を加味して、人の生活に与える影響を評価する航空機の騒音基準である。WECPNLでは、騒音とその発生時刻の関係について、午前7時から午後7時まで発生する騒音回数を1とした場合に、午後7時から午後10時までの1回は3倍に、また、午後10時から翌朝7時までの1回は10倍に、それぞれ評価しなおすことになっており、特に夜間の騒音を重要視している。 (5)騒音軽減措置 ア 騒音軽減措置の合意 昭和35年8月に実施した航空機騒音調査の結果に基づき、県及び地元市町は、国等に対して騒音軽減の要請を行った。同年10月19日、この要請を受けた日米両国政府は、日米合同委員会に航空機騒音対策特別分科委員会を設置し、厚木基地における航空機騒音を軽減する具体的方策の検討に着手した。 米軍は、昭和36年4月1日以降、着艦訓練の一部を木更津基地で実施したり、昭和37年12月27日には、厚木基地離着陸機の有視界飛行コースを西回りに変更する等、騒音軽減措置を図ったが、騒音被害を減少させるには至らなかった。 厚木基地とともに、横田、板付両基地においても航空機騒音が大きな社会問題化していた昭和38年9月19日、「厚木飛行場周辺の航空機の騒音軽減措置」が、日米合同委員会で全国に先がけて合意された。 合意内容の骨子は、飛行活動に関する時間制限(原則として22時〜翌朝6時の飛行・ランアップの禁止、日曜日の飛行訓練を最小限に止める)、アフターバーナーの使用規制、ジェットエンジン試運転時間の制限、消音器の設置と使用の勧告等であった。   しかし、騒音軽減の第一歩であったこの措置は、例外規定が多く、周辺住民の満足を得るものとはならなかった。 なお、昭和44年11月20日の日米合同委員会において、飛行高度の規制措置が800フィートから1,600フィートに、ジェットエンジン試運転時間の制限が18時〜翌朝6時から18時〜翌朝8時等に改定された。 イ 消音器の設置 昭和35年から、県、周辺市町及び住民が、米軍に対して消音器の設置を要求した結果、昭和41年10月28日、西太平洋艦隊航空司令官が、書簡をもって、知事に着工の予定を明らかにした。 昭和44年6月にテスト用、ランアップ用消音器各1台が完成され、昭和57年度末には機体用消音器1台が、平成14年12月にはテスト用消音器1台が完成した。現在は3台の消音器が稼働している。 ウ 騒音軽減措置の改定要請 神奈川県基地関係県市町連絡協議会(現神奈川県基地関係県市連絡協議会)は、昭和53年11月15日、前述の「騒音軽減措置」の改訂を要請し、その後若干の変更を加えながら毎年要請を行ってきた。 同協議会による要請では、全面的な見直しを求めるとともに、緊急時を除く各項目の遵守を米軍に義務付けるよう国に求めている。さらに、@12時〜13時、並びに18時〜翌朝8時までの飛行活動及びエンジンテストの禁止、A土曜・日曜・祝日、盆並びに年末・年始及び重要な学校行事・市民行事等における飛行活動の禁止、B低空飛行、編隊飛行、急旋回、急上昇、曲芸飛行及び連続発進の禁止、などについても要請を行なっている。 (6)夜間連続離着陸訓練(NLP)問題 ア NLPの中止と代替訓練施設設置要請 厚木基地における航空機騒音は、昭和48年の空母ミッドウェーのいわゆる母港化により激化の一途をたどったが、昭和57年2月以来行われるようになったNLPは、それ以上に激しいものであり、周辺住民に今までないほどの苦悩をもたらした。 そのため、周辺自治体は、従来にも増して強い要請活動を展開した。昭和57年7月、大和市基地対策協議会は、厚木基地の基地対策の抜本的改善を求めて、海上訓練施設の設置、代替訓練施設の提供について提言し、国にその早期実現を要請した。 県は、こうした状況を踏まえ、昭和57年9月13日、航空機騒音対策の徹底を求めて、@連続離着陸訓練の禁止、A18時以降の訓練飛行の禁止、B航空機オンライン監視装置の設置と過度な騒音が測定された場合の警告体制の確立、C周辺対策の積極的な推進、D海上浮体訓練施設の建設等適切な代替訓練施設の設置、等を日米両国政府に要請した。 さらに、昭和57年12月には、知事が防衛庁長官を訪問し、直接、代替訓練施設調査費の予算化を要望した。 また、昭和58年9月のNLP時に、県、大和市、綾瀬市、藤沢市、相模原市、海老名市、及び座間市が、初めて連名で、NLPの即時中止と代替訓練施設の早期実現を求めて、国等に要請した(その後、翌10月に、横浜市を含めた県及び7市連名による要請が行われた)。 イ 米側の要望 一方、米軍も、昭和57年8月、日米安保事務レベル協議の場で、在日米軍司令官が厚木基地の代替訓練施設を日本政府に要望した。米軍の要望内容は、@ 横須賀、厚木から100海里(約185km)以内であること、A 滑走路の長さ1,800mないし2,400m、幅150m(滑走路部分45m)程度の規模であること、というものであった。 ウ 国の対応 国は、こうした要請に対応し、昭和58年度から代替訓練施設に関する予算を確保し、@ 関東地方及びその周辺地区で既存の飛行場を使えないか、A 同じ地区で新設飛行場の適地はないか、B 何らかの海上浮体構造物が考えられないか、といった3つの視点から調査検討を始めた。その結果、昭和58年12月、国は三宅島を重点候補地と決定したが、地元の反対の意向が強く、その後も騒音問題解決のめどがつかない中、厚木基地においてNLPが実施された。 県は、周辺7市との首長会議を開催し、対応を協議するとともに、国に適切な代替訓練施設の早期実現を繰り返し要請した。この結果、昭和60年防衛庁長官から「政府は代替施設について真剣に努力している」旨答弁があるなど、厚木基地の騒音問題への認識は、政府部内においても徐々に深まっていった。 エ 厚木基地騒音対策協議会設立と硫黄島着陸訓練施設 県と周辺7市は、行政と議会関係者で、国会議員の協力を得て、厚木基地騒音対策協議会(第W章の2(3)「厚木基地騒音対策協議会」の項を参照)を昭和63年8月に設立し、代替訓練施設の早期実現等を国に働きかけた。 こうした働きかけにより、平成元年1月に、国は「厚木飛行場の騒音軽減を図るため、同飛行場の代替施設を三宅島に設置するまでの間の暫定措置として硫黄島で艦載機着陸訓練を実施することについて、防衛施設庁と在日米軍司令部との間で基本的了解に達した」と発表し、平成元年度から工事に着手した。硫黄島着陸訓練施設は建設費約167億円を投じて完成し、平成5年4月23日に米側に全面提供された。 平成6年5月には、NLP支援のための自衛隊ジェット機の厚木基地乗り入れを県、大和市、綾瀬市が承認した。 また、平成7年9月に締結されたいわゆる「新特別協定」(「新特別協定」は、第X章5「在日米軍駐留経費」を参照)により、NLP訓練移転経費については日本側が負担することとなった。この協定は平成13年4月及び平成18年4月に更新され、平成23年3月まで効力をもつものとなっている。 平成14年2月には、日米両国政府間で、できる限り多くのNLPを硫黄島で実施することで了解がなされた。 一方、三宅島へのNLPの代替施設の建設については、国は平成12年10月31日、同島をNLPを行うための代替訓練場の適地と判断しているが、地元の理解を得られていないため、今後とも努力すると答弁しているものの、その後の火山活動により動きがみられない状況となった。 オ メガフロートの活用案 厚木基地騒音対策協議会では、厚木基地からのNLPの全面移転のための方策を求める観点から、国及び米国に対し「他の方策による可能性について、実状を踏まえた検討」を進めるよう要請していたが、この「他の方策」の一つとして、メガフロート(海洋空間の開発・利用を図るための超大型浮体式海洋構造物)にも注目してきた。 平成11年度には横須賀基地沖の米軍提供水域内に1,000mのメガフロートが作られ、平成12年度には小型飛行機による離着陸実験が行われた。 メガフロートを視察した知事は、これをNLPの訓練施設として設置することに期待感を示し、在日米海軍司令官も、平成11年11月に知事と会談した際に、「今後の技術進歩を考えれば、可能性については楽観的と考えている。」との見方を示した。 カ 最近の状況 硫黄島が米側に全面提供されて以降、平成19年3月末現在、38回の訓練が硫黄島で実施されており、平成18年の硫黄島での実施率は約96%となっている。 県としては、ほとんど低騒音機のみとはいえ、いまだに厚木基地でNLPが実施されていることから、厚木基地騒音対策協議会等を通じ、NLPの厚木基地からの全面移転を要請しているが、米側は、硫黄島で100%NLPができない理由について、@厚木基地から1,250km離れている、A硫黄島と厚木基地との間に緊急着陸用の施設がない、B硫黄島は天候の影響を受けやすい、と説明している。 平成15年10月のNLPでは、硫黄島の訓練も台風の影響のため一部が実施できなかったにもかかわらず、硫黄島での訓練日程を延長し、本土では全く実施しなかった。本来、硫黄島での訓練が実施できなかった場合は、本土で実施することとされているため、この取扱いは画期的なものであった。 なお、近年は経験的にみて、NLP自体の騒音よりも、NLP直前の時期における訓練の騒音被害が大きいとみられる。実際、県及び周辺各市に寄せられる苦情件数をみると、平成14年度から18年度では、NLP実施期間中は数件であるが、年によってはNLP直前の時期に年間の苦情件数の約4割が集中している。 (7)デモンストレーションフライトの廃止 日米友好親善を目的とした厚木基地の基地開放は、昭和30年ごろから始まった。昭和63年ごろからは、デモンストレーションフライト(デモフライト)が実施されるようになり、騒音の発生や墜落事故等への不安など、新たな問題が生じた。 県と周辺7市は、危険な飛行による事故の不安や、周辺住民への騒音被害を及ぼすとして、かねてから、国及び米軍に対し中止又は廃止の要請を行ってきた。また、平成8年度からは厚木基地騒音対策協議会においても、デモフライト問題を取り上げ、廃止の要請を行った。 この結果、平成14年5月22日に、在日米海軍司令官が「基地周辺住民の懸念や意見を尊重して、今後デモフライトを実施しない」旨を表明し、デモフライトは廃止された。 (8)厚木基地に係る騒音対策 厚木基地の航空機騒音等の周辺被害に対して、国では様々な制度を設けて対策を行っている。これらの制度は、昭和49年に施行された「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」(環境整備法)に基づき、国(防衛施設庁)が行う助成制度であり、主なものに住宅防音工事がある。 住宅防音工事は、防衛施設庁が算出したW値をもとに、防衛施設庁長官が指定した区域ごとに助成等を行うものである。 これに対し、県では、騒音問題が抜本的に解決されるまでの間、住宅防音工事は速やかにかつ十分になされるべきとの観点から、指定区域の拡大や告示日以降の新増築住宅への助成など、当該制度の一層の拡充を、渉外関係主要都道県知事連絡協議会や神奈川県基地関係県市連絡協議会を通じて国に要望している。 また、その他の対策として、テレビ受信料の助成、農耕阻害損失補償及びテレビ受信障害防止工事がある(各制度の詳細については第W章の4(2)「環境整備法の概要」の項を参照)。 (9)厚木基地の自衛隊移駐と自衛隊機の配備 昭和46年6月25日の日米合同委員会において、厚木基地の飛行施設の大部分を、6月30日をもって日本政府に返還し、日本政府の管理下で米軍が共同使用することが合意された。 これを受けて、昭和46年7月1日から海上自衛隊が厚木飛行場の飛行場管制業務と着陸誘導管制業務を行うことが決定され、厚木飛行場の約2分の1に当る土地約264万uと、建物約12,000uが、海上自衛隊の管理下におかれ、米軍と共同使用されることとなった。その後、昭和48年12月25日、海上自衛隊航空集団司令部が厚木に移駐した。 海上自衛隊は、昭和52年12月に対潜哨戒機P−3C 45機の導入を決定、昭和55年10月、厚木基地にも配備されることが防衛庁から発表された。その後昭和56年12月25日P−3C 3機が厚木基地に配備され、平成19年3月末現在の機数は、約18機となっている。 (10)米軍再編 平成18年5月1日の米軍再編の日米政府間合意においては、厚木基地から空母艦載機のF/A−18、EA−6B、E−2C及びC−2合計59機が、必要な施設の完成などの後、2014年(平成26年)までに岩国基地に移駐すること、岩国基地から海上自衛隊のEP−3(電子戦データ収集機)、OP−3(画像データ収集機)、UP−3(試験評価機)等合計17機が厚木基地に移駐してくること等が合意された。 また、恒常的な訓練施設を2009年(平成21年)7月又はその後のできるだけ早い時期に選定することも合意された。 空母艦載機が移駐されれば、厚木基地周辺の騒音は確実に減少すると思われることから、県及び関係市は空母艦載ジェット機の移駐等を確実に実現するとともに、移駐までの間も、騒音被害の解決に積極的に取り組むよう日米両国政府に求めている。 【厚木基地における平成19年5月の空母艦載ジェット機によるNLP】 在日米海軍は、天候不順などで空母キティホーク艦載機の硫黄島でのNLPが実施できないとして、平成19年5月10日、14日、15日の3日間、厚木基地において、激しい騒音を発生させる空母艦載ジェット機によるNLPを実施した。 高騒音機によるNLPの実施は平成12年以来、約7年ぶりのことであり、この3日間に住民から県及び基地周辺各市に寄せられたNLPに関する苦情件数は804件に上った。 県では、実施通告を受けた5月10日に中止を求める知事コメントを出すとともに、11日には、基地関係7市長と連名で、政府及び米側に対し、また、14日には、知事単独で、横浜防衛施設局長に対し、中止要請を行った。14日夜には、知事は、基地関係市長とともに、厚木基地でのNLP実施を視察し、厚木基地司令官に翌日15日のNLPの中止を申し入れた。 しかし、このような再三にわたる中止要請にもかかわらず、空母艦載ジェット機によるNLPが実施されたことを受け、知事及び基地関係7市長は、21日に連名で、@空母艦載機の厚木基地からの移駐の確実な実現、A移駐実現までの厚木基地周辺の騒音の軽減、B的確な情報提供について、外務省、防衛省及び防衛施設庁への緊急要請を行った。 15 長坂小銃射撃場(FAC3104) T 施設の概要 (1) 所 在 地 横須賀市長坂 (2) 面   積 土地  国有  96,631 u         建物  国有 108 u (3) 接収年月日 昭和20年10月19日 (4) 現   況 陸上自衛隊武山駐屯地業務隊の管理下で、昭和44年の使用転換後、覆道式射撃場に改良された100m、200mの各レンジの射撃場があり、米軍が共同使用(2−4−b)している。 昭和44年の日米合同委員会の合意条件は次のとおりである。  @ 合衆国軍隊がこの施設を使用している期間は地位協定の必要な条項が適用される。 A 合衆国軍隊の使用期間は、年間160日以内とする。 U 沿   革 昭20.10.19 旧日本海軍の海軍大学校、機関学校の射撃場を米軍が接収し、キャンプマクギル小銃射撃場として使用した。 昭44. 6.19 日米合同委員会において、本施設を自衛隊の管理する射撃場とし、合衆国軍隊に対しては、2−4−b規定の適用のある施設及び区域として一時使用を認めることが合意された。 昭44. 8.16 自衛隊管理の射撃場となった。 平14.09.06 本施設の一部約4,300uが返還された。