はじめに 神奈川県には15の米軍基地が存在し、在日米海軍司令部がある横須賀基地や、米第7艦隊の空母艦載機が本拠としている厚木基地、さらには在日米陸軍司令部があるキャンプ座間など、在日米軍の枢要な施設が集中しています。これに伴い、駐留軍従業員数も約9,000人と、全国一となっています。 これらの米軍基地の多くは、都市化が進んだ人口密集地域に位置しており、厚木基地周辺の航空機騒音被害をはじめ、米軍人等による事件や事故への不安、計画的なまちづくりへの障害など、県民生活に多大な影響を及ぼしています。 そのため、本県では、県是である「基地の整理、縮小及び返還」の促進を、長年にわたって日米両国政府に強く働き掛けるとともに、基地が返還されるまでの当面の対策として、騒音問題や環境問題など、基地に起因するさまざまな問題の解決にも努力を重ねてまいりました。 こうした中、平成17年10月に、空母キティホークの後継艦が原子力空母となることが発表され、また、平成18年5月には、在日米軍再編の日米協議が最終合意に至るなど、本県の基地をめぐる状況は、ここ数年で大きく変わってきています。 こうした最近の状況を踏まえ、このたび「神奈川の米軍基地」を改訂し、県内米軍基地の推移や現状と課題、県が取り組む対策などについて、本年3月末現在の状況を取りまとめました。本書が神奈川の基地問題についてご理解を深めていただく一助になれば幸いです。 安全・安心な県民生活を確保するため、今後とも基地関係市と連携しながら基地問題の早期解決に向けた取組みを粘り強く進めてまいりますので、県民の皆様のご理解をお願い申し上げます。 平成19年8月 神奈川県知事 松沢 成文 ----------------------------------------------------------------- 目次 T 基地の推移                        1 県内基地の由来                    2 県内基地の変遷                    3 主な返還跡地の利用                4 横浜市内6施設の整理等                5 米軍再編                       U 基地の現状・課題                    1 根岸住宅地区(FAC3066)            2 横浜ノースドック(FAC3067)            3 富岡倉庫地区(FAC3072)               4 上瀬谷通信施設(FAC3096)            5 深谷通信所(FAC3097)                6 鶴見貯油施設(FAC3144)               7 吾妻倉庫地区(FAC3090)               8 横須賀海軍施設(FAC3099)            9 浦郷倉庫地区(FAC3117               10 池子住宅地区及び海軍補助施設(FAC3087)   11 相模総合補給廠(FAC3084)           12 相模原住宅地区(FAC3102)           13 キャンプ座間(FAC3079)           14 厚木海軍飛行場(FAC3083)           15 長坂小銃射撃場(FAC3104)          III 米軍の事件・事故                  1 主な航空機事故  2 その他主な事件・事故  3 事件・事故通報体制  4 航空事故等連絡協議会 IV 県・国の対策  1 県の基地対策  2 基地関係の連絡協議会  3 米軍との連絡会議  4 国の地元対策事業 X その他  1 日米地位協定  2 有事法制  3 警護出動  4 非核三原則と核持込み疑惑  5 在日米軍駐留経費(いわゆる「思いやり予算」)  6 返還国有財産の三分割有償処分問題 Y 資料編 Z 年表 ----------------------------------------------------------------- 資料目次 T 基地の推移  資料 I-1 平成16年度の返還方針の合意内容            資料 I-2 米軍再編(平成18年5月1日日米合意)の主な内容    資料 I-3 全面返還一覧(昭和50年度以降)            資料 I-4 主な一部返還一覧(昭和50年度以降)         U 基地の現状・課題  資料 II-1 提供施設一覧                    資料 II-2 電波障害対象事業地域図                 資料 II-3 横須賀海軍施設水域図                資料 II-4 いわゆる母港化艦船                    資料 II-5 年度別空母入港状況                    資料 II-6 原子力軍艦年度別寄港状況              資料 II-7 合意書                        資料 II-8 池子合意書中の「逗子市要望のいわゆる33項目」    資料 II-9 厚木海軍飛行場の使用区分                資料 II-10 厚木基地に本拠を置く空母等艦載機   V 米軍の事件・事故  資料 III-1 米軍機事故                   資料 III- 2 県内の米軍機墜落事故一覧(昭和27年4月28日以降))  資料 III- 3 最近の県内における米軍機事故(平成元年以降)  資料 III- 4 県内における米軍人等による交通事故発生件数  資料 III- 5 県内における米軍人等の検挙件数 W 県・国の対策  資料 IV- 1 基地数と面積の推移  資料 IV- 2 各市の跡地利用計画  資料 IV- 3 在日米軍との消防相互援助協約・協定締結状況  資料 IV- 4 県内基地の広域避難場所選定状況  資料 IV- 5 基地交付金(国有提供施設等所在市町村助成交付金)  資料 IV- 6 調整交付金(施設等所在市町村調整交付金)  資料 IV- 7 環境整備法体系図  資料 IV- 8 住宅防音工事施工区域図  資料 IV- 9 住宅防音工事の施工実績  資料 IV- 10 住宅防音工事の工法  資料 IV- 11 年度別基地対策関係国庫支出金一覧(神奈川県分) Y 資料編  資料 VI- 1 日米合同委員会組織図  資料 VI- 2 神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等に 関する第3回施設調整部会の概要  資料 VI- 3 日米同盟:未来のための変革と再編(抜粋)     資料 VI- 4 再編実施のための日米のロードマップ(抜粋)  資料 VI- 5 在日米軍の兵力体制の再編(相模総合補給廠)  資料 VI- 6 在日米軍の兵力体制の再編(キャンプ座間)  資料 VI- 7 在日米軍の兵力体制の再編(艦載機の移駐図)  資料 VI- 8 提供施設返還手続図  資料 VI- 9 米海軍横須賀基地に関連する諸問題について  資料 VI- 10 米海軍横須賀基地に関連する諸問題について(回答)  資料 VI- 11 米国の原子力軍艦の安全性に関する ファクト・シートの概要  資料 VI- 12 外国の港における合衆国原子力軍艦の運航に関する 合衆国政府の声明(抄訳)  資料 VI- 13 エード・メモワール(訳文)  資料 VI- 14 米国原子力潜水艦の本邦寄港について  資料 VI- 15 米国原子力水上軍艦の本邦寄港について  資料 VI- 16 原子力軍艦艦別寄港状況  資料 VI- 17 原子力艦放射能調査指針大綱(抜粋)  資料 VI- 18 放射能調査測定点位置図  資料 VI- 19 自動記録騒音計設置場所(厚木海軍飛行場周辺)  資料 VI- 20 騒音調査結果  資料 VI- 21 厚木飛行場周辺の航空機の騒音軽減措置(抄)  資料 VI- 22 厚木飛行場への自衛隊ジェット機乗り入れ状況  資料 VI- 23 訓練通告に基づくNLPの状況  資料 VI- 24 航空機騒音に係る環境基準  資料 VI- 25 航空機騒音に係る環境基準の地域類型指定  資料 VI- 26 音の大きさのめやす  資料 VI- 27 横田及び厚木飛行場等の周辺における 安全措置について  資料 VI- 28 厚木飛行場周辺の航空交通管制の再検討について  資料 VI- 29 在日米軍に係る事件・事故発生時における 通報手続(外務省仮訳)  資料 VI- 30 航空事故等連絡協議会規約  資料 VI- 31 航空事故等に係る緊急措置要領  資料 VI- 32 軽微な航空事故等に係る措置について  資料 VI- 33 渉外関係主要都道県知事連絡協議会規約  資料 VI- 34 神奈川県基地関係県市連絡協議会規約  資料 VI- 35 厚木基地騒音対策協議会規約  資料 VI- 36 横須賀基地防犯連絡会議規約  資料 VI- 37 県央地区渉外連絡委員会規約  資料 VI- 38 池子住宅地区及び海軍補助施設に係る 地域連絡協議会規約  資料 VI- 39 神奈川県内における提供施設の整備について  資料 VI- 40 在日米軍労務費(日米負担内訳)  資料 VI- 41 駐留軍従業員県別在籍者一覧表  資料 VI- 42 米軍提供財産の返還後の利用に関する 基本方針について  資料 VI- 43 返還財産の処分条件について  資料 VI- 44 大口返還財産の留保地の取扱いについて  資料 VI- 45 大口返還財産の留保地の今後の取扱いについて  資料 VI- 46 提供施設の年度別推移  資料 VI- 47 調達庁告示第4号(抜粋)  資料 VI- 48 全面返還一覧(昭和27年〜49年)  資料 VI- 49 都道府県別基地面積一覧  資料 VI- 50 在日米海軍(県内所在の主な部隊のみ)概要図  資料 VI- 51 在日米陸軍(県内所在の主な部隊のみ)概要図  資料 VI- 52 在日米軍に提供されている施設・区域(陸上)一覧表  資料 VI- 53 水域・空域位置図  資料 VI- 54 県内提供施設の主な一般開放日  資料 VI- 55 神奈川県内の自衛隊施設  資料 VI- 56 最近における要望事項 -----------------------------------------------------------------          本文中に使用される用語の説明 日米地位協定第2条1項a(2−1−a)  いわゆる米軍専用施設・区域。 日米地位協定第2条4項a(2−4−a)  いわゆる米軍管理共同使用。米軍が一時的に使用していない施設・区域に ついて、日米合同委員会の合意に基づき、米軍管理のもと、施設・区域を日 本国政府や日本国民が使用すること。 日米地位協定第2条4項b(2−4−b)  いわゆる国等管理共同使用。米軍が一時的に使用する施設・区域について、 日米合同委員会の合意に基づき、日本国政府等管理のもと、米軍が使用する こと。 提供条件 公民有地を基地として提供する場合、賃貸借契約を結ぶ際の条件 ----------------------------------------------------------------- I 基地の推移 1 県内基地の由来 (1)占領の開始 神奈川県は、首都に隣接する地理的条件も要因の一つとなって、戦前から軍事上の枢要地帯となっており、横須賀鎮守府や首都防衛基地をはじめ陸・海軍の数多くの重要な基地が随所に存在していた。 終戦後の昭和20年8月30日、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ち、横浜市内のホテルニューグランドを臨時司令部として占領政策の指揮を開始した。連合国軍は、県内においては旧日本軍施設からホテル、個人住宅まで、国有、民有の別なく軒並み接収し、その数は膨大であった。 その後漸次解除が予定されていたが、昭和25年6月、朝鮮戦争がぼっ発すると、日本国内においては、飛行場の拡張要求や、軍需物資の倉庫、兵器工場、演習場など新たな土地、建物の調達要求があり、また、予定されていた接収解除の全面的中止や既に接収解除されていた財産の再接収という事態も生じた。県内の現存基地の中でも、キャンプ座間の陸軍管理下で野外物資集積所として使用されてきた厚木基地が飛行場として、またいったん接収解除され開拓財産として売渡しを進めていた上瀬谷基地が受信施設として、新たに活動を開始した。 (2)平和条約発効 昭和26年9月8日、米国サンフランシスコ市において、連合国との間で平和条約が調印され、同時に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧安保条約)が締結された。この条約に基づいて、昭和27年2月28日、東京において、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定」(行政協定)が調印され、接収財産は、同年4月28日の両条約発効とともに、旧安保条約第3条に基づく行政協定第2条の提供財産に切り替えられることになった。 この際に取り交わされた岡崎・ラスク交換公文に基づいて設置された予備作業班で合意された切替方針の主な内容は、次のとおりであった。 ○原則として、陸、空軍は都市地域外に駐留することとし、海軍はおのおのの使命に合致した最小限の港湾地区に集中すること。 ○継続使用される特定の財産を決定するに際しては、以前、日本軍により使用されていた財産並びに日本政府所有の他の財産を使用することにつき優先的な考慮をはらうこと。 ○学校、図書館等に使用されていた公共財産は、可及的速やかに返還すること。 これらの切替作業は、平和条約発効後は行政協定に基づく日米合同委員会が行うことになった。 県内において行政協定による「施設及び区域」として提供されたものは、単独住宅を除き162件、土地面積は3,586万uであった。 (3)日米安全保障条約の改定 昭和32年6月岸・アイゼンハワー共同声明(ワシントン)で「日米新時代」が強調され、安保条約再検討のための委員会の設置が合意された。 改定交渉は、昭和33年10月、東京において藤山外相とマッカーサー駐日米大使との間で開始された後、昭和35年1月6日の会談で妥結し、岸首相を首席とする調印全権団は、同年1月19日ホワイトハウスで「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(新安保条約)及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(日米地位協定)等に調印した。 新安保条約及び日米地位協定は、昭和35年2月5日、第34回通常国会に関連法令とともに提出され、衆議院において強行採決された後、同年6月19日、参議院の承認なしに自然成立した。 一方、アメリカでも、同年6月14日、上院外交委員会が満場一致で新条約を承認し、6月22日には上院が承認した。 同年6月23日、批准書が交換され、新安保条約及び日米地位協定が発効した。(日米地位協定についてはX章1項を参照) 2 県内基地の変遷 (1)市街地施設の集約移転 平和条約発効前から、横浜市においては接収解除運動が行われていたが、条約発効後も引き続き、県、市、地元をはじめとした広範な強い運動が続けられた。こうした運動もあって、平和条約の発効に伴い、市街地中心部の米軍施設を周辺部の施設内に集約する計画(いわゆるリロケーションプログラム(代替施設を提供して集約・移転する計画))が、日米両国間で合意された。 この計画には、市街地中心部にある機能を、移転先に施設を建設して移すことが条件とされ、米国側から機能再配置の申し入れがあった。 この計画が県下でも進展し、横浜市内にあった在日米陸軍兵站司令部、横浜兵器廠などの諸施設が、昭和32年ごろにかけて、座間町(現座間市)、相模原市などの米軍施設内に集約、移転された。 また、横浜市内に散在していた兵舎、宿舎は、岸根兵舎地区、新山下住宅地区などに集約、統合された。 この集約移転計画により、横浜市の市街地に所在した多数の施設が返還された。この時の主な返還状況は次のとおりである。 ○山下公園住宅地区の返還 米軍住宅として接収されていたが、相模総合補給廠に代替施設が建設され、昭和29年から昭和35年6月までに順次返還された。 ○岸根兵舎地区への集約 昭和30年、横浜市に散在する諸施設の代替として、神奈川区岸根の市有地に兵舎施設が建設され、次の諸施設が返還された。 ・キャンプマクネリー(南区花之木町ほか) ・バンドホテル士官宿舎(中区新山下町) ・横浜M.P.本部(中区長者町) ・キャンプ・コウ(中区福富町) ・その他小規模施設 ○横浜ノースドックへの集約 昭和32年10月、横浜倉庫鰍ェ、横浜ノースドックに隣接して埋立地の造成に着手したが、この埋立地のうち約18haを国が借上げ、次の諸施設を集約統合して、その跡地が返還された。 ・ノースドック付近地区(神奈川区千若町ほか) ・センターピア(中区新港町) ・YOD地区(神奈川区恵比寿町) ○新山下住宅地区への集約 通信大隊地区として使用されていたが、昭和31年5月、この地区に独身将校用の代替宿舎が建設され(ベイサイドコート、のちに統合し新山下住宅地区)、主として市街地に散在する部隊の居住者を収容して、これらの施設が返還された。 (2)地上戦闘部隊の撤退 昭和32年6月21日、ワシントンにおいて「日米新時代」を強調した岸・アイゼンハワー共同声明が発表された。共同声明は「合衆国は、日本の防衛力整備計画を歓迎し、安全保障条約の文言、精神にしたがって、昭和33年中に、日本国内の合衆国軍隊の兵力を、地上戦闘部隊の速やかな撤退を含めて、大幅に削減する。また、日本の防衛力の増強に伴い、合衆国の兵力を一層削減する計画である。」というものであった。 続いて昭和32年8月1日、米国防総省から在日米軍地上戦闘部隊の撤退が発表され、撤退は昭和33年2月8日に完了した。これにより、県内においても、次のように大規模な地上戦闘部隊施設が返還された。 昭和32年 慶応大学住宅地区、横浜兵器廠など4施設 昭和33年 PX中央倉庫、長井海岸訓練場など17施設 昭和34年 辻堂演習場など4施設 昭和35年 鶴見倉庫地区、JLC滑走路など10施設 昭和36年 田奈弾薬庫、中山通信所など9施設 (3)米軍施設・区域調整計画 昭和37年以降、米軍基地の返還数は減少してきたが、40年代の高度経済成長期の中で、市街化の波は急速に基地周辺にも迫り、深刻化した土地問題、地域開発計画などのため、米軍基地の返還、集約・移転が切実な問題となった。 政府は、在日米軍基地全般にわたって全面的再検討を行い、昭和43年9月12日に開催された日米安全保障に関する事務レベルの協議会において、「在日米軍基地の検討方針」を米側に提示し、基地の返還、移転、集約整理等について協議を行った。 その結果、同年12月23日に開催された第9回日米安全保障協議委員会において、「米軍施設・区域調整計画」が日本側に示され、翌12月24日、日米合同委員会で合意された。 この調整計画には、全国148施設のうち、約50施設について、返還、移転等の計画が示され、県内では、座間小銃射撃場、山手住宅地区、久里浜倉庫地区など10施設が挙げられた。 これら10施設は、日米間の折衝の後、昭和44年には、観音崎艦船監視所、横浜兵員クラブ、横須賀海軍埠頭、座間小銃射撃場、根岸競馬場地区が返還された。また、昭和47年には、横浜ランドリー、久里浜倉庫地区が返還され、山手住宅地区は、住宅236戸を厚木海軍飛行場に移転後返還された。横浜海浜住宅地区は、旧本牧1号地区部分の住宅427戸及び旧本牧2号地区部分の住宅350戸並びに関連施設を横須賀海軍施設に、また住宅1戸などを根岸住宅地区に移転後、昭和57年3月31日に返還された。 また、調整計画以外にも、昭和45年には、横浜神栄生糸ビル、米陸軍調達部事務所、昭和47年には、衣笠弾薬庫、追浜海軍航空隊施設の残部、鶴見野積場、岸根兵舎地区、横浜貯油施設等が返還された。 (4)在日米軍の整理・統合計画 昭和44年7月25日、グアムにおいて、アジア諸国の自主防衛努力の強化とそれに対する援助等を内容とする、アメリカの新アジア政策、いわゆるニクソン・ドクトリンが発表された。 このような動きの中で、昭和45年12月21日、第12回日米安全保障協議委員会において、在日米軍要員約12,000人の国外撤去と移駐、基地の縮小及び返還並びに共同使用等が合意された。これを、在日米軍の整理・統合計画という。 この合意は、昭和32年6月の在日米軍地上戦闘部隊の撤退方針以来の大幅な再編成・統合計画であり、在日米軍の主要基地の大部分について集約、返還並びに共同使用の具体的計画にまで及ぶものであった。 ○厚木基地 米軍機及び米側要員の大部分は移駐し、一部の小規模な米軍専用区域を除き、飛行施設を含む大部分が海上自衛隊に使用転換され、日本政府の管理下で共同使用される。 ○横須賀基地 第7艦隊の主要な支援基地ではなくなり、小規模の在日海軍司令部と海軍支援施設に縮小され、横須賀・横浜地区の海軍の兵站施設、横浜市中心部の米軍住宅地区及びその関連施設も不要となる。 当時、この再編成・統合計画は、基地問題の抜本的解決をもたらす画期的なものであり、県及び関係市町は、県民とともにその実現に大きな期待を抱いた。 しかしその後、県内の米海軍の大部分の削減は中止となり、上瀬谷通信施設に駐留していた海軍保安隊(通信)の三沢基地への移駐、厚木基地に常駐していた艦隊偵察第1飛行隊の大部分、艦隊戦術支援第50飛行隊等の国外基地への移駐、厚木飛行場の滑走路を含む飛行施設部分の海上自衛隊への使用転換、横須賀基地1号〜3号ドックの海上自衛隊との共同使用、及び4号、5号ドックの運輸省(現国土交通省)との共同使用(2−4−a)が実現したのみであった。 この再編成・統合計画の海軍関係の中止の理由については、日米両国政府から明らかにされていない。 それ以降は逆に、第15駆逐戦隊の横須賀基地配備(昭和47年11月)、第7艦隊第72任務隊司令部の上瀬谷通信施設への移駐(昭和48年2月)、空母ミッドウェーの横須賀基地のいわゆる母港化(同年10月)、戦闘補給艦ホワイトプレーンズの佐世保基地から横須賀基地への配備替え(昭和50年9月)、第15駆逐戦隊所属駆逐艦4隻の新型フリゲート艦への変更(昭和50年〜52年)といった動きが現れた。 (5)いわゆる「関東計画」 昭和47年1月、カリフォルニア州サン・クレメンテの佐藤・ニクソン会談において、米軍施設の整理統合計画の一環として、関東空軍施設整理統合計画(いわゆる「関東計画」)が協議された。この計画は、関東平野における空軍諸施設を横田飛行場に集約移設する大規模な整理統合計画であり、昭和48年1月23日の第14回日米安全保障協議委員会で合意された。 この委員会では、関東計画のほか、沖縄県における米軍施設の整理統合計画が検討され、また、県内では米陸軍医療センター、横浜市内の若干の住宅等の移転、整理の協議継続とともに、昭和49年3月を目途に、若干の代替施設の提供を待って、キャンプ淵野辺を返還することが基本的に合意され、これらは同年11月30日に返還された。 3 主な返還跡地の利用 (1)田奈弾薬庫(横浜市港北区(現青葉区)奈良町) 横浜市港北区(現青葉区)奈良町の田奈弾薬庫は、昭和34年3月閉鎖されたが、返還跡地の平和利用を求める県民世論の高まりを受けた県市一体の運動の結果、昭和36年5月5日、約97haが全面返還された。 それより先、昭和35年8月8日、厚生省(現厚生労働省)は同地を国立中央児童厚生施設「こどもの国」建設予定地と決定した。昭和34年4月の皇太子(現天皇)の成婚を記念して、昭和40年5月5日のこどもの日に「こどもの国」が開園した。 (2)横浜海浜住宅地区(横浜市中区本牧町他) 昭和44年3月27日の日米合同委員会において、旧本牧1号地区が、横須賀海軍施設内移設を条件に返還されることが合意され、また、昭和52年12月15日の日米合同委員会において、旧本牧2号地区が、横須賀海軍施設及び根岸住宅地区内移設を条件に返還されることが合意され、昭和57年3月31日に返還された。 横浜市は、健康で文化的な都市生活の確保を目ざした公共施設の整備と宅地の利用増進を図るため、周辺地域も含んだ「横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業」を昭和56年度から63年度まで実施した。 複合ショッピングタウンの先駆け的存在の「MYCAL本牧」を中心とした民間主体の街づくりが行われた。 (3)キャンプ淵野辺(相模原市上溝) 昭和48年1月23日の第14回日米安全保障協議委員会で返還が合意、昭和49年11月30日に返還され、三分割有償処分の初の適用例となった(返還国有財産の三分割有償処分問題については181ページ以下のX章6項「返還国有財産の三分割有償処分問題」を参照)。 その後、地元市、県、国の間で跡地利用についての話合いが行われ、昭和57年2月18日に国が決定した利用計画に基づき、相模原市立の小、中学校(一部はこれ以前に建設)や公園、県立高校、国の機関では宇宙科学研究所等が建設された。 また、留保地の一部(1ha)については、平成2年11月15日に市立博物館建設用地としての利用が認められ、博物館は平成7年11月20日に開館した。 (4)米陸軍医療センター(相模原市上鶴間) 昭和52年12月15日、日米合同委員会において、診療部門をキャンプ座間に、病院部門を横須賀海軍施設に移設完了後、返還することが合意され、昭和56年4月1日、返還された。 これにより、昭和58年12月15日、国有財産関東地方審議会の答申を経て、跡地利用が決定され、住宅、複合文化施設、百貨店や県立高校など、相模原市南部の中心市街地にふさわしい街づくりが進められ、留保地についても平成6年3月に外務省研修所が開所するなど、跡地すべての利用が図られている。 (5)海軍兵員クラブ(横須賀市本町) 昭和52年12月15日、日米合同委員会で、長井住宅地区、横須賀海軍施設の一部(稲岡地区)とともに、横須賀海軍施設に移設・統合後、返還されることが基本的に合意され、昭和58年10月28日に返還された。 市街地再開発事業として、平成5年11月に、横須賀芸術劇場、ホテル、住宅等からなる「ベイスクエアよこすか」が開設した。 なお、稲岡地区は昭和57年1月29日に返還され、既存の三笠公園と一体となった都市公園として整備された。 長井住宅地区は、横須賀海軍施設に統合された通信試験施設(約4,000u)を除き、昭和60年5月31日に返還され、横須賀市によって「長井海の手公園(ソレイユの丘)」として整備された。 (6)大観山通信施設(足柄下郡湯河原町、箱根町) 平成4年6月、兵庫県の六甲通信所がその機能を実質的に停止しているとの報道がなされたため、県は、この施設と一体化した機能をもつ本施設について、国への照会や現地調査を行った。国からは「機能停止については承知しているものの、今後使用されるかどうかについては米側から何の連絡もない」との回答があったが、平成5年5月11日、日米合同委員会施設特別委員会で、米側から全面返還するとの予告があり、同年8月31日に全面返還された。 返還跡地のうち民有地は所有者に返還され、県有地は県有林となっている。 (7)横浜冷蔵倉庫(横浜市中区新港町) 横浜市が進める「みなとみらい21計画」での臨港幹線道路予定地に位置していたため早期返還を求めていたところ、平成5年9月16日の日米合同委員会において、横浜ノースドック地先に埋立代替倉庫を提供する等を条件に返還されることが合意され、平成6年4月1日に返還された。 道路整備事業は、平成6年度に着工し、平成9年度に完成した。 (8)神奈川ミルクプラント(横浜市神奈川区亀住町、東神奈川二丁目) 平成6年12月15日、日米合同委員会において、横浜ノースドック内に移設することを条件として、返還が合意された。その後、神奈川ミルクプラントの閉鎖が決定したため、返還条件が変更され、横浜ノースドック内に乳製品用の冷蔵倉庫を移設次第返還されることになり、代替冷蔵倉庫完成後の平成12年3月31日、返還された。 返還跡地には保育所が整備され、現在、浦島公園の拡張整備中である。 なお、神奈川ミルクプラントの返還により、施設提供されている県有地はなくなった。 4 横浜市内6施設の整理等 平成15年2月6日に、日米間で、神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等について、日米合同委員会の下部機関である施設特別委員会の下に設置されている施設調整部会で協議を行うことが決定され、2月21日には第1回施設調整部会で、海軍施設・区域に焦点をあてていくことが決定された。 さらに、同年7月18日には第2回施設調整部会が開催され、池子住宅地区及び海軍補助施設の横浜市域に、根岸住宅地区に所在する約400戸に加え、従来から神奈川県内において不足していた約400戸、合わせて計800戸程度の住宅とその支援施設の建設がなされれば、根岸住宅地区、上瀬谷通信施設(一部)、深谷通信所及び富岡倉庫地区の返還について考慮することが可能となる、との米側の見解が示された。 これに対し、日本側からは、協議の対象となっている4施設については、必要性がなくなった時点で直ちに返還するよう求めるとともに、地元自治体の理解を求める必要があるとの考えを示し、同年7月22日付けで、神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等に関する協議内容について、横浜防衛施設局長名で、横浜市長に意見を求めた。 これに対し、横浜市から横浜防衛施設局長に対し、米軍施設の返還については無条件での返還が原則ではないかなど、同年9月11日及び10月20日の2度にわたり計12項目の照会を行ったところ、住宅等の建設と基地の全部又は一部返還は一連の案件であり、一括して処理すべきものである等の回答があった。 こうした国の回答に対し、横浜市長は、平成16年8月4日付けで、「市内米軍施設に係る国からの申し入れに対する声明」を発表し、その中で池子住宅地区及び海軍補助施設の飛び地及び小柴貯油施設の返還、上瀬谷通信施設の全部返還、自然環境の保全等の観点から住宅建設戸数のできうる限りの削減について、新たに提案した。 同年9月2日に開催された第3回施設調整部会では、横浜市の新たな提案を踏まえ、 ○新たに、「池子住宅地区及び海軍補助施設」の横浜市域の飛び地部分(1.2ha)を返還する。 ○上瀬谷通信施設の残余部分については、現在の使用が終了し、それにより必要性がなくなった時点で、返還に向けた手続きが開始される。 ○小柴貯油施設については、当該施設・区域の一部について、米側は、早期返還の達成に向けて、所要の措置をとる。 ○住宅建設については、建設に伴う改変面積は、横浜市域分の半分以下に抑制するとともに、住宅建設戸数を700戸程度に縮減する。 ことなどで日米間の認識が一致した。 これを受け横浜市長は、同年10月5日に、横浜防衛施設局長あて、文書で、具体的協議に応じていくことを表明し、10月18日には、日米合同委員会において、第3回施設調整部会の協議内容が承認された。 その後、平成17年10月18日の日米合同委員会において、小柴貯油施設の陸地部分全域と制限水域の一部を、同年末を目途として返還することが合意され、同年12月14日に日本側に返還された。 これに先立ち、横浜市は、上瀬谷通信施設、深谷通信所、富岡倉庫地区、根岸住宅地区、旧小柴貯油施設の跡地利用を検討するため、平成17年6月に、学識経験者、国等関係行政機関の職員を委員とする「横浜市返還施設跡地利用構想検討委員会」を設置し、同検討委員会は、同年12月に、「返還施設の跡地利用に関する提言」を市長に提出した。 この提言は、豊かな緑地空間の創出など都市環境の改善を5施設共通の全体テーマとして設定し、各施設の跡地利用の方向性などを掲げており、横浜市は、市民や施設内民有地の所有者の意見も踏まえ、平成18年6月に、提言の内容に沿った「米軍施設返還跡地利用指針」を策定した。 また、この指針を具体化するため、平成19年3月には、市内米軍施設の返還から跡地利用に至るまでの取組方針を「横浜市米軍施設返還跡地利用行動計画」としてとりまとめた。 5 米軍再編 (1)米軍再編の動き 冷戦終結後、米国は世界各地に展開する米軍の配置等についての見直しに着手した。特に平成13年9月の同時多発テロ事件以降、テロや大量破壊兵器の拡散など新たな脅威への対応という考え方が強調され、米軍再編(=トランスフォーメーション)の動きが本格化した。 このような中で、平成16年3月頃から、米国ワシントン州フォートルイスに拠点を置く米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移転など、我が国に駐留する在日米軍の再編についての動きも徐々に報道されるようになった。 当時、国から地元への情報提供はなく、県は、事実関係を政府に照会するとともに、渉外関係主要都道県知事連絡協議会、神奈川県基地関係県市連絡協議会と連携し、情報提供や地元の意向尊重について繰り返し政府に要請活動を行った。また、平成16年6月と平成17年10月の知事訪米の際には、直接アメリカ国務省、国防総省に地元の基地の実情を伝えるとともに、基地機能強化反対等の要請を行った。 関係市の動きとしては、座間市が「キャンプ座間米陸軍第一軍団司令部等移転に伴う基地強化に反対する座間市連絡協議会」を平成16年11月に設立、また相模原市は、昭和46年6月に設立した「相模原市米軍基地返還促進市民協議会」を中心にそれぞれ基地強化に反対する運動等を展開した。 (2)日米協議の合意内容と県の対応 平成17年2月18日、日米両国の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(いわゆる「2+2」)で、我が国の防衛や新たな脅威への対応等の日米の共通戦略目標が合意され、さらに同年10月29日に「日米同盟:未来のための変革と再編」(いわゆる「中間報告」)が合意された。 この「中間報告」では、抑止力の維持と地元負担の軽減を図るとの基本方針に基づき、日米両国の「役割・任務・能力」及び「在日米軍の兵力構成見直し」が検討された。この中で、地元の基地負担については、米軍基地が「人口密集地域に集中している場所」では、「再編の可能性について特別の注意が払われる」とされている。さらに、県の基地に関わる具体的な部分としては、キャンプ座間の在日米陸軍司令部を「展開可能で統合任務が可能な作戦司令部組織に近代化」することや、「空母艦載機の厚木飛行場から岩国飛行場への移駐」などが盛り込まれた。 中間報告後、関係閣僚等が県、関係市を相次いで訪問し、中間報告の内容や日米協議の状況について説明を行った。 平成18年4月28日、知事は外務大臣及び防衛庁長官と会談し、日米協議にあたり地元意向を尊重することや、日米地位協定の見直しの着手、充実した地元振興策を実施すること等を要請した。 平成18年5月1日の日米安全保障協議委員会において「再編実現のための日米のロードマップ」(いわゆる「最終報告」)が合意され、在日米軍の兵力構成見直し等について目標年次等の具体的措置が決定された。この中で、県内基地については、キャンプ座間の「在日米陸軍司令部の改善」、「厚木基地から岩国基地への米空母艦載機の移駐」、「相模総合補給廠の一部返還」などが盛り込まれた。 さらに、平成18年5月30日に日米合意に基づく政府方針が閣議決定され、「最終報告」で合意された再編関連措置の着実な実施や地元振興策等の実施等が決定された。 この日米合意について関係市の反応は、厚木基地からの空母艦載機の移駐が盛り込まれたことを評価し再編の着実な実施を求める声がある一方、基地の恒久化等に対する懸念も表明された。県は、基地の整理、縮小及び返還の促進、再編実施に当たっての地元意向の尊重、厚木基地航空機問題の早期解決、地元振興策を含む負担軽減策の実施などを国に求めた。 (3)駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法 平成19年5月23日に、「駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法」が成立した。同法は、10年の時限立法で、米軍再編及び平成20年に予定されている横須賀における空母後継艦の配備を対象とし、再編等で負担を受け入れる市町村に対し、再編等の実施に向けた措置の進捗状況に応じて交付金を交付することを柱としている。また、特に負担が大きい市町村に対する国の支援、在沖縄海兵隊のグアム移転促進事業に係る国際協力銀行の業務に関する特例等の措置、駐留軍労働者に対する技能教育訓練等の措置が盛り込まれている。