駅ボラ・ヨコハマ 第11号 駅ボラ・ヨコハマ 駅ボランティア10年の軌跡  ●●● 巻頭言 ●●● 駅に ぬくもり を吹き込む        〜 人と人とのつながりを大切にする新しい関係づくりに向けて                               交通局 高速鉄道本部長 荒 川  義 則       この10年間、駅ボランティア活動を通じて横浜市営地下鉄をご支援いただき、心から感謝申し上げます。  私が初めて活動を知ったのは、横浜市が市民と協働して新しい公共を創っていく、そうした行政手法を都市経営の柱として積極 的に展開している時でした。それは、「協働」という聞き慣れない言葉が横浜市の行政を席巻している時に、「駅ボラ」の活動が、 わかりやすく、こういうものだよ、と語りかけてくれるように思われたのでした。  駅は、人、まち、暮らしをつなぐ交流の要所であるにも関わらず、ともすれば無機質な空間としてのイメージがありました。 そこへ、忘れかけていた人と人とのつながりを呼び覚まし、機械的で効率性を優先する地下鉄のシステムに、ぬくもりを吹き込む。 行政の不得手な部分を市民の方々が担い、市民力により、心の通った円滑なモビリティとして支援いただく。駅ボラの活動は、そ んな活動であると思います。 震災により、人々の心に有無も言わせず覆いつくした重苦しい緞帳の隙間に、少しずつではありますが光が漏れ始め、それとともに、 人と人とのつながりの大切さが問われています。それはかつて、人々が当たり前のように支えあって生活していたノスタルジックな 関係への郷愁ではなく、例えて言えば、ITによるコミュニケーションの便利さを享受しながらも、何か埋めきれないものを感じつ つ、困っている人に出合えば見知らぬ人でも手をさしのべるといった合意を、お互いが共通認識として確認している、そうした新し い関係が生まれているような気がします。  駅ボラの活動が時代の要請を受けながら、これからもますます広がっていくことを期待するとともに、笑顔やありがとうに溢れる 心の通った駅づくりに向け、新しい関係を築きながら、ともに協働していくことを改めて約束いたしまして、私のご挨拶とさせてい ただきます。    ●●● 駅ボランティア 10周年によせて ●●●   菜箸の旗                          水道局 お客さまサービス推進部長 星 崎 雅 代  駅ボラ10周年の節目の年に、寄稿の機会をいただき、ありがとうございます。   思い起こせば、駅ボラスタートの年に当時の電車部営業課に異動。直後に、関課長の下で担当したのが上大岡駅の講習会でした。    講習初日は誘導がうまくいかず、駅構内で迷子になってしまう参加者が続出。急遽、自宅の買い置きの菜箸で、グループ番号を 記載した旗を作成。誘導担当者に掲げてもらったりもしました。その後、いくつかの駅に拡大していく中で、他の鉄道事業者や国 土交通省の方々に事業についてご説明する機会にも恵まれました。  昨年度までいた観光振興課では、外国人観光客の滞在環境向上のため、案内サインの多言語化を担当。その頃、「バリアフリー 観光」に取り組まれている方々の活動を知りました。「行ける場所に行くのではなく、行きたいところに行く」という当たり前の 観光旅行を誰でも楽しめるようにしようとNPO法人を設立。自主的に移動の支援などの計画を作っておられました。  日常生活の中で、気軽に声をかけあい助け合うことは、駅でのご案内や観光客のおもてなしだけでなく、災害発生時にも、さら に急速に進展する高齢化・国際化に対応するためにも、ぜひとも必要なことだと思います。私も、皆様に負けないよう、毎日の通 勤の途中など、一声かけることができるよう心がけたいと思います。     駅ボラへの調味料                    横浜管区駅 前駅長  武 冨 四 郎    私は駅長として、皆さんの行動と共に会話を大事にしていました。その活動記録は、駅ボラの皆さんの、駅でお困りの方々への お手伝いによる、人との出会いから一つの物語(ドラマ)が生まれ、"何か"を心に残します。  駅ボラ活動の一部でもある駅勢圏・地域案内で、「私は地の人」と自慢気の人がいました。しかし自分の経験行動が中心の案内で、 問い合わせに必要ない案内が含まれることもありました。日常会話では"間違えちゃった"ですむ話も、その案内を頼りに相手は行動 するんです。  地上部は目標物が明確で案内しやすいですが、変化が早いです。地下部は変化が遅いが神経を使います。しばらくするとエレベー ターが蒔田駅に設置。戸塚駅西口の再開発も進み、常に沿線は変化しています。  今後は、車椅子と似た、シニアカーの利用が増えそうです。少子化と言われますが、マタニテイーマーク・ベビーカー利用の案内。 筆談ボード・介助犬のご利用・黄色い旗の案内。外国の方のご案内(英語だけでは・・・アジア系のお客様も増加しています)。 鉄道利用マナーのご案内。少々辛めに"駅ボラの皆様の高齢化"も悩み・・etc  駅ボラの皆さん"身の丈"に少々の味付けを施し、これからもがんばってください。 ●●● 駅ボラの風景 ●●● いつも同じ時間に横浜駅を利用される、少々お体の半分が不自由な男性の方にお声を掛けましたが、リハビリの一環とのことで直接 のお手伝いは断られましたが、ホームに通じる階段まで毎回ご一緒させていただきました。その方は、汗をふきながら、高校野球が好 きなこと、ご自身もスポーツが大好きだという事などを話して下さり、そしてお別れをする時はいつも「がんばって下さい。ありがと う。」とエールをくださりました。隣に付いてお話を聴く事しかできず、申し訳ないなあという気持ちは今でもあります。 私がボランティア最終日にその旨を伝えると、「いつも楽しかったよ」と笑顔で握手をして下さった時は、少し涙が出てしまいました。                                       (平成18年7月:横浜駅) 地下鉄上大岡駅で活動中、子ども連れの若い母親から、地下鉄で元町まで行くには、どこの駅で乗り換えすれば良いですか?と尋ね られました。横浜駅で乗り換えMM線の駅に行くよう案内しましたが、横浜駅は工事箇所も多く地下鉄横浜駅からMM線の駅まではかなり の距離があり、初めての人はまごつきますので、地下鉄横浜駅にもエプロンをしたボランティアが活動してますので、案内して戴くよ う説明しました。もしボランティアが見当たらない時は駅員さんに聞いて下さいと話しました。若い母親は何度も何度もお礼の言葉を 述べられました。母親に寄り添っていた幼稚園児が、おじちゃん・ありがとう、と大きな声で繰り返しながらホームに向かいました。 周りのお客さんも皆さん微笑んでいました。紅葉のような小さな手を振る姿が今も目に浮かびます。幼稚園児に励ましを受けたことで、 心も身も明るくなりました。                           (平成18年7月:上大岡駅) 出札口付近で見る寸描を披瀝しましょう。男も女も老いも若きも、時としてあらゆるポケットに手を突っ込み何やら探し出そうと懸 命である。皆さんも見かけませんか。首をひねりながら「たしかここに入れたんだが」「しっかりしなさいよ」夫婦ばかりか友人同士 にも、一抹の不始末で活がとぶ。ズボンのポケットやショルダーバッグ、ショッピングの袋など散々引っかきまわした挙げ句に「アっ たあ」小さなポケットから切符が現れた。関内駅の人間模様から、私も勉強になり、地下鉄のトンネルから吹き出す心地よい風が適当 な癒しとなり私を励ましてくれたのである。                           (平成19年2月:関内駅) 駅ボランティア活動の日が来て、期待と不安を胸に、湘南台駅へ出向きました。「どうもありがとうございます。よろしくお願いし ます。」と駅員の皆さんに笑顔で迎えられ、ほっとしました。早速、特製の青いエプロンを身につけ、名札を胸に下げて券売機の近く に立ちました。ちょっと恥ずかしいような晴れがましいような気分になりました。そんな私におかまいなく、乗降客の多くは横目でち らっとこちらを見て足早に通り過ぎていきました。それなのにどうも落ち着きません。直立不動の姿勢をしたり、休めの姿勢になった り、手を前にやったり、後ろ手にしたり、視線をキョロキョロさせたり・・ただ立っているだけのことが難しく感じられました。そん な時、「ごくろうさん、大変ですね。」と声をかけてくれる方がいて、うれしくなりました。                           (平成20年12月:湘南台駅) 『 駅ボラ・ヨコハマ 』  ボランティア投稿記事 より抜粋                         ●●● リレーエッセイ ●●●      10年の時の重み                           高速鉄道本部 営業課長  横 山 浩    平成7年から交通局勤務になって16年以上が経過し、気づけば社会人としての大半の時間を市バス・地下鉄の仕事に携わり過ごして きたことになります。私は交通局生え抜きではないので、どこか「ルーキー」的なイメージをずっと自分自身に対して持っていましたが、 さすがに10年以上在籍すると「古参」に仲間入りし、他の職員に「昔」を語るようになってしまいました。  駅ボランティアが誕生した平成13年、私は地下鉄の事業管理や収支見通しを担当していました。そんな少し離れたところから、当時 の駅ボラの担当者が、忙しそうにしながらも、やりがいをもって頑張っていた姿が目に映っていました。ここ数年、主に市バスに関係す る仕事に携わっていたことから、皆さまの活躍に触れる機会はほとんどなく、その間に運営委員会が発足し、『駅ボラ・ヨコハマ』が発 刊、継続されていることなどについては、この5月に現職に着任してから知りました。皆さまが駅ボラへの情熱をずっと持ち続けて活動 し、駅ボラ10周年という偉大な功績を打ち立てたことに対し、深い感謝と賞賛を贈ります。  10年といえば、駅ボランティア開始の年、ベビーカーに乗っていた赤ちゃんが小学校5年生になり、ボランティアができる年齢にも なります。私事で振り返れば、結婚し、2人の子を授かり、上の子は小学校に入学するという、人生の大行事を盛りだくさんに詰め込ん だ期間にあたり、10年という時間の長さ、重さを改めて感じます。  今年は、東日本大震災の発生により、春・夏の常駐型ボランティアが見送られ、残念に思う一方で、10年の節目として「駅ボラのこれ から」を考える機会ともとらえています。今後も私たち交通局職員は皆さまとともに、多くの人に`駅ボラの心`を広げるべく努力してい きたいと存じます。ご協力をお願いいたします。                                   広 報 誌  『駅ボラ・ヨコハマ』                                 発  行  : 駅ボランティア運営委員会                                 〒231-0051 横浜市中区尾上町3−42 地下鉄関内駅B1コンコース                                 電  話  : 045−664−0856 (駅務管理所)                                 発行責任者 : 市川 鬼子夫                                 編 集 長 : 小池 久身子                                 編 集 委 員 : 安田 正代                                 デザイン担当 : 大房 浩次(駅務管理所)