かながわスポーツコンベンション報告書H18

掲載日:2018年9月4日

スポーツの魅力(ちから)と可能性

掲載日:2015年4月1日

平成18年度かながわ生涯スポーツコンベンション報告書

開催日:平成18年12月16日(土曜日)

会場:横浜市開港記念会館

主催:神奈川県教育委員会

 

目次


開催概要

1全体テーマ

 「スポーツの魅力と可能性」

2開催日

 平成18年12月16日(土曜日)

3会場

 横浜市開港記念会館

 〒231-0005横浜市中区本町1-6

4主催

神奈川県教育委員会

5後援

横浜市市民活力推進局、(財)神奈川県体育協会

神奈川県体育指導委員連合会、NPO法人神奈川県レクリエーション協会

6内容

 (1)オープニング

主催者あいさつ・来賓あいさつ

 (2)1部基調講演

「夢と人生」

宇津木妙子(日立&ルネサス高崎女子ソフトボール部総監督アテネ五輪ソフトボール日本代表監督)

 (3)2部シンポジウム

テーマ「スポーツが培うかながわの未来」

コーディネーター

野川春夫(順天堂大学スポーツ健康科学部教授)

パネリスト

 発表1「データでみる青少年のスポーツライフ」

 澁谷茂樹(笹川スポーツ財団業務部エイドチーム)

 発表2「子どもたちを豊かに育むためにスポーツができること」

 河原塚達樹((財)日本レクリエーション協会生涯スポーツ推進部長兼サービスセンター所長)

 発表3「県内中・高校生に競技スポーツの動向」

 倉田昭人(神奈川新聞編集局運動部長)

 発表4「総合型地域スポーツクラブによる地域コミュニティー」

 菊地正(NPO法人高津総合型地域スポーツクラブSELF副理事長兼マネージャー)

 


主催者あいさつ

主催者あいさつ写真

神奈川県立体育センター所長佐々木 悦子

みなさん、おはようございます。ただ今、ご紹介いただきました体育センター所長の佐々木でございます。

本日は、年末の何かとお忙しいところ、また、貴重な土曜日に、私どもの主催いたします「平成18年度かながわ生涯スポーツコンベンション」にご出席いただき、誠にありがとうございました。また、皆様方には、日頃より本県の生涯スポーツ振興に対しまして格別のご理解とご協力をいただいておりますことに心より感謝申し上げます。

さて、現在、私たちを取り巻く社会情勢は、少子高齢化や国際化・情報技術の急激な進歩など大きく変化してきております。このような中、子どもたちの生活環境も大きく変わり、その結果、ここ20年来の体力・運動能力の低下傾向の継続、また、子どもたちが生活習慣病の予備軍と言われるような肥満ですとか、高脂血症ですとか、そのような健康課題の増加、不登校や引きこもり、いじめなど深刻な社会問題も生じてきております。

また、一方、高齢化社会の進行に伴い健康への関心が高まり、自分自身の「心と体の健康」の保持・増進といった取り組みも活発化しており、スポーツに対する需要がますます増え、スポーツに対する期待は大変大きくなってきております。

現在、本県では、県のスポーツ振興指針である「アクティブかながわ・スポーツビジョン」を策定し、誰もが、いつでも、どこでも気軽に参加できる生涯スポーツ振興をめざし、「スポーツのあるまち・くらしづくり」の実現に向けて、新たなスポーツ環境づくりを目指して、様々な施策の展開を行っております。

本コンベンションもそうした取り組みの一つとして実施されるものでございまして、県内のスポーツ関係者や愛好者が一堂に会し、生涯スポーツ振興上の諸課題について議論を深めていただく場として開催させていただいております。

この後、皆様とともに「いつでも・どこでも・だれでも・いつまでも」スポーツに親しむことができる生涯スポーツ社会の実現に向けて、また、未来を担う子どもたちが豊かに健やかに成長するようにスポーツがどのような役割があるのか、スポーツの持つちからと可能性を皆様と一緒に考えて参りたいと思っております。

本日は、すでにご案内のとおり、アテネ五輪ソフトボール日本代表監督の宇津木妙子さんはじめ、スポーツについて、様々な切り口からご発言をいただく講師をお招きしております。ご参加の会場の皆様からも、忌憚のないご意見をいただきながら活発な議論がなされ、このコンベンションの開催が皆様にとりまして、実り多きものになりますよう心より願っております。

最後になりますが、本大会の開催にあたり、ご尽力いただきました関係者の皆様に対し感謝申し上げますとともに、皆様のますますのご活躍を祈念申し上げまして、ごあいさつとさせていただきます。


来賓あいさつ

来賓あいさつ写真

 財団法人 神奈川県体育協会専務理事石原 春夫

皆さんこんにちは、ご紹介いただきました神奈川県体育協会の石原でございます。

今日は神奈川県教育委員会の主催で、生涯スポーツコンベンションということでご参加をいただきました。私ども体育協会も神奈川県教育委員会と一体となって県民の皆様方のスポーツ振興という視点で日々取り組ませていただいているところでございます。

スポーツの環境、大きく流れを見てみますと日本の特徴は、本当に今お話にありましたように誰でもスポーツに親しめる、ブルジョワだけではなくて、そうでない方々もほんとにスポーツに取り組むことができる、これが学校体育を中心として発達した日本のあるいは神奈川県のスポーツ振興だろうと思います。ただ世の中そういう状況から少しずつ変化をしつつあるんではないかなと思います。受益者負担という考え方も、これからどんどん浸透してくると予測はしております。そういった中で、これまでのスポーツのあり方から新たなスポーツのあり方についても我々自身がこの変化に伴ってどうしていけばよいのか、そういう考え方にたったスポーツ振興もこれから行ってかなければならないと思います。そういう意味で今日の生涯スポーツコンベンションの中で、投げかけられる大きな課題に対して皆さん方と一緒に考えていくことは大変意味深いものであるのかな、と思っております。

また一方では、青少年育成の観点から、私が常々考えておりますのは、子どもたちの発達の過程においてはギャングエイジという徒党を組む時期があるわけですが、今子どもたちは一人でコンピュータをいじっているようなこともあり、徒党を組むということ自体が無くなってきている。そのところで精神的な発達がうまくいかず、いじめの問題も起こってくるだろうと私は見ていますが、そういう意味でますますスポーツの果たす役割、これも変わってくると思っております。

このような流れの中で新たな課題、新たな対処の方法をぜひ皆さん方、特に指導者になっていただける方に問題意識を持っていただき、これからのスポーツ振興を担っていただけたら大変ありがたいと思っております。そのような意味でこのコンベンションが皆さん方の問題意識の動機付け、また課題解決の一歩になれば素晴らしい会になると思っております。

今日は宇津木妙子さんのお話もございまして、またパネルディスカッション等もございます。是非、先程申し上げました視点に立って、ご返球をいただけたらと思います。まずは今日のこの大会にご参加をいただきまして本当にありがとうございました。来賓の代表としてのご挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。


1部基調講演 【夢と人生】

基調講演写真

講師 宇津木 妙子(日立&ルネサス高崎女子ソフトボール部総監督、アテネ五輪ソフトボール日本代表監督)

おはようございます。ただいまご紹介いただきました宇津木です。今日は朝早く高崎の方から新幹線に揺られてきました。

関内では、つい先日にジャパンカップというのが横浜球場でございまして、何日か泊まらせていただいたのですが、その時は公園の敷地を10周ぐらい毎朝走りました。まだ1ヶ月もたってないのですが、そんな懐かしい思い出と同時に、今年はここに縁があるんだな、と思いながら来たのですけれども、わりと神奈川県は縁があります。たいした話は出来ないんですけれども、神奈川県だけでどうですかね、・・・講演をもう7回ぐらいやっていると思います。同じ人が聞いていたらなんかまずいかなって思ってきましたが、こういう地域ぐるみで、生涯スポーツを子どもさんからお年寄りまでの健康やまた地域一つになって体を動かすこと、そういうことを考える、そういった場を持つことが本当に今必要な時代になって、なんか寂しいと同時に反面、やはりそういう環境づくりをするのは本当に大事なんだなって改めて感じています。

私自身もソフトボールをさせていただいて、もう41年になります。その41年間の中でやはりいろいろありました。当然です。何があったかというとやはり人間関係ですね。一番難しいですね、人間関係。そういう中で、まあ、どちらかというと叩かれながら今の自分が作られたのかな。でもその時にいつも思うのはいい環境の中でいい出会いが出来て、そして常に夢を追えたこと。常に夢を持ったこと。そして夢を、ただ夢じゃなくて叶えたこと。これが自分の成功への第一歩になったのかな。最初はやはり生涯スポーツから入ったような気がします。生涯スポーツから競技スポーツに入ったんじゃないかな。そしてまた今は、生涯スポーツに戻りつつある。今、自分の役割というか、自分に与えられた使命なのかな、と思いながら生活をしています。ここには、子どもさんもいますし、ソフトボールの選手も今こうして来てくれているので、私の過去を振り返りまして、私が生まれた時からの話をさせてもらおうかな、と思っています。そんな話の中で何かのきっかけづくりになったらいいし、また指導者の方は、やはり一つの信念を持って、また決断をして勇気を持ってこれからの子どもたちに指導をしていってくれればありがたいかなと思います。よろしくお願いします。と同時に、子どもたちのスポーツ教室では、小学生のクリニックでよく「人生苦しいよ」とは言っても小学4年生ぐらいじゃよくわからないですよね。でも「嫌なことあるよねぇー」って話しをするんです。「嫌なことあるよねぇ、お父さんには叱られたり、お母さんに叱られたり、いい子になんなきゃいけない。いい子になって、いい子になっていつも自分を作っていたら苦しくなっちゃうよ。だからもっともっと自然でいいよ。」っていう話しをしながらクリニックを始めます。そしてそのクリニックの中ではいつも3つの約束をします。まず、「大きな声で返事をしよう。」わかったら「ハイ」わかんなかったら「わかりません」そして「常に相手の目を見て話を聞こう。」ってね。「今日は監督が、お父さんやお母さん、先生なんだから、監督の目を見てお話ししようね。」そして「グランドでは走ろう。常に走って機敏な運動をしよう。」「今日集まった人がみんな一つのチームなんだから人に迷惑を掛けないようにしよう。」そんなことを約束にしてスポーツ教室を始めます。それは全て自分の経験・失敗談・挫折からそんなことを決めごとにして、ルールを決めてクリニックを始めています。

振り返れば今から53年前ですね。もう53歳になるんですけど、今日は私と同年代の方が多いので、すごくうれしいです。ほとんどの方は私と同じ年代じゃないかなと思うんですけれども、昭和28年生まれです。同級生いますか。ちょっと顔見ると私の方が若いかなと思うんですけれども、53歳になりました。それで思ったのは、53歳になった年、4月6日なんですけれども、53歳になって初めてですね、両親の墓前で「お父さんお母さんありがとうございました。」初めてですよ、こういう挨拶ができたのは。なぜ「ありがとうございました」って言えたのは、こんな丈夫な体に生んで育ててくれたことに両親に感謝しました。やっぱり体なんだな、体力なんだな、多少頭が悪くってもやっぱり体が丈夫だったからこうやって生活出来るんだなってことをまず両親に感謝したのが、初めてこの53歳になった4月6日だったです。

そして振り返ってその両親に対しては、いなくなったら余計尊敬の念。生きている時には全然親孝行出来なかった自分が「やはり両親ってすごいなぁ」「自分の両親は最高だなぁ」そんな思いを年を追うごとに感じています。私は、5人兄弟の一番末っ子です。一番わがままです。一番自由に育てられました。兄3人、姉が1人で、まあ一番上の兄の時はコロッケ一つ食べるのも大変で、それを4人で割って食べていたっていうぐらいですから、余程大変だったんだろうなって思います。私の時にはなんの不自由もなく、ダッコちゃん時代、フラフープ時代で全部いい物を当てがわれて生活をしていたのが、私の生まれた時代でした。ちょうど28年に白黒のテレビが出た時で、村一番にテレビが入っていつも人が集まってきて、長屋の家だったものですから、地域の人達がいつも家に集まって来ました。そんな家でしたから、人との関わりがすごく多かったです。幸せな家庭に育てられたと思います。その中で地域の人に育てられ、そして地域と同時に小学校にいったら小学校のクラスメイトに出会って、中学校に行ったら地域の中学生の友達に出会えて、高校に行ったら県の友達に出会えて、どんどん、どんどん年を追うごとに人の輪が広がっていきました。そんな人の輪の中で自分は育てられたんだなぁということを感じています。

小学校の時はよく、今もあると思いますけど、授業参観に両親が、特に母が来てくれました。東京生まれでどちらかというとお嬢さん育ちの母は、いつも着物を来て格好よく来てくれました。格好つけてくる母で、すごく気高いとこがありました。兄や姉の時はそんなに先生に叱られるってことは無かったらしいんですけど、私の時はどうも授業が終わると必ず呼ばれるらしいんです。「もう少し勉強してくれなかったら困る」と先生に言われるんです。それがやはり気高い母だから、嫌だったみたいです。母は私のことがあまり好きじゃなかったみたいです。いつも叱られていました。でも、運動会になると一番なんですよね。村一番。昔の運動会といったらみんなが集まって集落一同でやりますよね。そんなことで村一番の娘をもう鼻高々で「うちの娘一番なのよ。」って。その母を見た時に「母ってほんと身勝手だな。」って思い、母のことはあまり好きじゃなかったです。その逆に父は大好きでした。仕事人間で、家庭を顧みず、お給料を入れたことがなかったらしいです。ほとんど部下のために使っちゃったんです。まあ、部下のために使ったか、何に使ったかわかりませんけど、「給料を入れたことない」って母に聞いたことあります。そんな父を好きだったのは、お正月になると部下がいっぱい来てくれるんですね。お年玉が目当てなんですよ。「父はすごいなぁ…」って、お年玉を持ってきてくれる部下がいっぱいいるっていう父に対してはすごい尊敬を抱いていました。それと働いている父、仕事の勉強をしている父を見て、「すごい父だなぁ…」っていつも感心していました。これは小さい時から父の背中を見て、「父ってすごいなぁ、会社休んだことない。」「もう本当にすごい人だなぁ。」っていうことを見ながら私は育てられました。

そして、中学校でソフトボールと出会いました。何気なく入りました。何故ソフトボールに入ったかと言ったら、小さい時私たちは鍵っ子で、両親が共働きで、学校が終わって帰ってくると夜遅くまで遊んでいました。その時に田んぼの中で、三角ベース、昔はテニスの柔らかいボールを手で打って、三角のベースを作って、そうやって遊んでいたのがソフトボールとの出会いだった。そんなソフトボールをした仲間で、たまたま近所の先輩がピッチャーをやっていたんですね。「妙ちゃんソフトボールやらない。」って言うのがきっかけだったんです。自転車で1時間も中学までかかるんですよ。1時間もかかるんじゃ大変だけど、その先輩が好きだったから、「その先輩と一緒に帰れれば、行ければうれしいなぁ。」そんな気持でソフトボール部に入りました。1ヶ月間はどこでも見学に行けるんですよね。それで「1ヶ月間はどこの部活に見学に行っても良いよ。そして見て最後決めなきゃいけないんだよ。」って言うんで、見習いみたいな感じでソフトボールに最初に行きました。その時は、先生や先輩はとっても優しかったです。「ボールはこうやって投げるんだよぉー」「こうやって取るんだよぉー」「こうやって打つんだよぉー」って。「わーやさしいなぁー」「この部でいい。」好きな先輩もいるし、先生も先輩も優しいから。そして一ヶ月が過ぎてソフトボール部に入部しました。とたん、先輩は怖い、先生は怖い、まるっきり180度変わりました。そして1年生の仕事。「ボールの管理や整理整頓、大事にしなさい。」そんなようなルールがありました。そして「はい」と挨拶をしなきゃいけない。当たり前のことだね。当たり前のルールの中でソフトボール部に入りました。それから一生懸命1年生の仕事をしながら、勉強と部活動の両立をしましたが、やはり休みがないのは辛かったです。「1日ぐらい休みがほしいなぁ。」でも、昔はほとんど練習ばっかりです。休みなんかあげたら何をするかわからないような状態でしたから、もう授業が終わると練習。時には「今日休んじゃおう。」と、友達と一緒に授業が終わるとサァーッと自転車乗って帰ろうかなと思うと、先輩が待っている。また先輩に捕まってはグラウンドに戻されて、そんなことをやっているうちにレギュラーポジションを初めてもらったのはレフトでした。レフトのポジションをもらって「さあ頑張ろう。」ポジションもらったとたんもう休んでいられない、頑張らなきゃ。結果を出さなきゃ。そんな気持ちになってから、もうどんどんのめり込んでいきました。私たち3年生の時は県大会の優勝を目指そうと目標を立てました。一生懸命に練習をしたら、郡の大会に優勝して県大会に出場しました。一回戦で負けてしまいました。そして負けたときに、同じ中学生や同じ同年代の子がやっているのにこんなにまで差があるんだなって、それが悔しくて、もっともっと強いチームでやってみたい。同じ年の生徒とやってて、なんでわたしたちはこんなに一生懸命練習しているのに、こんなにまで差があるのか、それが悔しくて「もっと強いところでやってみたい」。

そして、出会ったのが星野女子高校。やはり同じように厳しかったです。先生も厳しかったし、先輩なんてもっと厳しかった。でもそれは中学校の時もある程度やってきましたから、当然だと思いながら一生懸命やっていました。毎日毎日1年生の仕事、道具の管理、そして先輩には挨拶。挨拶をしないとしょっちゅうお説教。ほとんど毎日のようにお説教が多かったです。そんなお説教の毎日の中、1年生の9月ぐらいですね、何か毎日のお説教がちょっと納得いかない。ちょっと理不尽じゃないかな、私はどちらかというと責任感が強いというよりも、ちょっとボス的な存在で番長みたいなとこがあったんですね。で、「ちょっとおかしいよね、先輩を懲らしめようよ、こんな説教耐えられない、おかしい。」そして一年生の中で7人、リーダー格が「明日学校行くのをやめよう、休んじゃおうよ、休んで先輩を懲らしめよう」そしたら同級生みんな「そうだ、そうだ」、「じゃあ明日いかないよ、約束だよ。」、「うん」そして次の日、私はみんなと約束しましたから行きませんでしたが、あとの6人は私の約束破って行きました。「寂しいもんだよ、同級生なんて。」と思いながら、私はもう意地でも行かない。毎朝お弁当持ってバス停まで行ったふりをして、そのあと両親が会社に行きます。そして行ったのを見届けて家に戻ってきて、それから田んぼ道を走って、近くの神社に行っては壁にボールぶつけてキャッチボールやって、そして素振りをやって、そんな生活を1週間していました。そして1週間たって、もうウズウズしてソフトボールがやりたくてしょうがない。でもどうしていいかわからない。自分から頭を下げるのも癪にさわるし、「もお!」と思いながら過ごした。そして、ちょうど1週間目ですね、現在の校長先生が迎えに来てくれました。「宇津木、みんなが待っている、帰ってこい。お前がいないとチームにならないんだよ。」って。「あっ、そうだろうなぁー」なんて思って帰ったんです。で、ちょうど学校が休みだったんです。そして一生懸命ノックをやっていて、「さぁ私がいなければチームになんないんだから。」っていう気持で戻ったら、とんでもない。顧問の先生に叱られるし、同級生・先輩からいやーな目で見られるし、「ああどうしよう、でもソフトボール辞めたくない。みんなと一緒にやりたい。」そんな思いが強かったから、「先生すいませんでした。迷惑掛けてすいませんでした。」そうしたら先生が、「お前はな、みんなに迷惑を掛けて。チームはお前だけじゃないんだぞ。チームはみんながいてチームなんだぞ。お前が1週間休んだおかげでみんなに迷惑掛けたんだから1ヶ月間の草むしりと1ヶ月間1年生の仕事を全部やれ。」、「はいッ!」それから授業が終わるとサッとグランドに出て道具を並べてライン引きをして、グランド整備をして、そしてみんなが集まって練習が始まる頃には隅の方で草むしりをする。1ヶ月間草むしりをしながら、泣くっていうことよりも、悔しかった。自分に悔しい思いがした。「何でみんなが耐えられて、自分が耐えられなかったのかなぁ。」いくらみんなが「約束だよ」って言っても、「やっぱりみんなは、どこか強かったんだな。自分は何て弱い人間なんだろう。一つのルールの中でみんな先輩もやってきたことに、なんで私だけがこんな弱い人間なんだろう。」それが悔しくて、悔しくて、そんな思いで1ヶ月間一生懸命草むしりをしました。練習を見ながら、草むしりをしながら「辛いなぁ、早く練習をしたいなぁ」そんな思いをしながら1ヶ月間が過ぎました。10月ですね。新人戦が始まる頃でした。新人戦の前日、先生からスタメンが発表されました。そしたら私の名前が入っていたんです。「さぁー、みんなに迷惑掛けた分頑張ろう。」3年生もいなかったし、1、2年生のチームでした。そして新人戦で優勝をしました。「やったぁ、今度はもう大丈夫だ。」そんな思いから練習も一緒に参加してやり始めたときに、私が休んでいた時にレギュラーをもらっていた同級生が私の入ったおかげで補欠になっちゃった。それから今でいうところの、私はそうは思っていないのですが、いじめに近い意地悪をされました。一緒にキャッチボールをやっている時やノックを受けている時、わざとポーンとボールをぶつけたり、肘でガンとやられたり、お尻でグンとやられたり、部室に戻るとちょっと私物がいろいろとボロボロになっていました。いろんなことがありました。でも私自身「どうしようかな。先生に言おうかな。それよりも先生に言う事じゃない。もしその子の立場になったら私も同じような事やっていたんじゃないか。やっぱりその子だって意地悪をしようとしてやってんじゃない。何かがあるから、私に対してそういうことやってんのかな。」と同時に「私自身は部を辞めたら、学校も辞めなきゃいけないんじゃないかな。」そんな思いから「なんとかしよう。」じゃあ、なんとかするにはどうしたらいいか。「その子のためにやろう。その子になんとかして私自身を認めてもらう。そのために、その子のために頑張ろう。」それからは朝一番のバスで行って、朝練をやって授業を受けて、授業が終わって部活動をやって、部活動を終わってみんなが帰る。それから一人で残って最終のバスの時間まで練習をするっていう生活を、あれからもう38年経っていますけれども、ずっと走り続けています。年間ほとんど、数えるに1週間休むか休まないかぐらいです。今朝も5時に起きて走ってきました。もう毎日のノルマです。やはりソフトボールをやっている以上はその時のことを忘れちゃいけない。それが私の一つの信念みたいなもの、でもその子のおかげでこうやってやれたんだな、と感謝もしています。そんな思いからほんとに必死になってやってきました。そして3年生になったら、もう叱ってもやめることはないだろうということで、「キャプテンをやれ」って言われました。そんな上手な選手じゃなかった。ただ叱られ役でした。叱られることに慣れていました。母もいつも私のこと叱ってましたから、だから褒められたことがなかった。褒められたことがないって事は楽でした。叱られっぱなしだから、でも叱られながらも、「何で私ばっかり叱られるのかな。私ってやっぱりできないんだな。やっぱりダメな人間なんだ。」と思いながらも、心の隅の方では「負けたくない」って言う気持がすごくあった。叱られるにはやっぱり理由があって、友達に迷惑を掛けたから叱られているんだとか、先生も私のことを何とかしてあげたいと思っているから叱ってくれるんだろう。でも子どもの時はそんなことを思わなかったです。「何で私ばっかり叱られてんのかな。」って事しか思わなかった。でも叱られることによって、慣れることによって、どこかで自分は「これでいいんだ」って自分の中で、自分に向き合いながら高校の時はやってきたと思います。でもキャプテンを命ぜられて「叱られ役でもいい。みんなをまとめて、3年生で最後の年は優勝目指して頑張ろう。」「インターハイと国体に出場しよう。」そしてインターハイ、高知のインターハイだった。初戦、延長14回まで戦い勝負がつかず、抽選で負けてしまいました。そしたら先生に「おまえら根性ないから負けたんだ。」って言われました。抽選は5対4で負けたので根性なかったと思います。そして国体。和歌山国体。昭和46年でした。決勝戦まで行きました。そして準優勝しました。初めて県の代表として星野女子高校は単独で行ったんです。学校全体でも応援に来てくれて、また和歌山県の海南市って言う地域で民泊でしたからその民泊の人までが喜んでくれて、祝勝会をしてくれました。そして祝勝会の晩に毎日毎日私に対してあたっていた同級生が「妙ちゃん、ごめんね。そしてありがとう。」その言葉をいただきました。でも逆でしたね。私の方がその子に対して「ありがとう、そしてごめんね。」って言えました。

本当にあの3年間、あの10月からその子が私に対していろいろありましたが、でも自分がそれに耐えたって言うよりも、その子も辛かったと思います。いじめる方も辛かったと思います。いじめるって私に対してそういうことをやることを罪だと思いながらやったと思うんです。今でもたまに会います。今はちょっと病に、もう寝たきりになっているんですけれども、年1回行きます。「あんたの話ししながら、戦ってるよ。」っていう話をします。「あんたのおかげで今こうやってあるんだよ。」って言います。「苦しい時、必ずあの時のことを忘れない。あの高校の時のことを忘れないよ。」そんなことを言います。で、いつも二人で涙流しながら思い出しながら、また原点に帰っているような状態をしています。

その時、私が星野女子高校1年生の9月、10月の苦しい時に、本当に助けてもらったのはクラスメイトだったんです。クラスの友達たちはみんな知っていました。もちろん1週間も休んでまた1ヶ月間草むしりをしていた姿を担任の先生も見ていました。その時に一生懸命私のことを見守ってくれました。そして一生懸命激励してくれました。「頑張れよ!」って毎日でした。「負けちゃダメだぞ。」って言われました。そんな中、1年が過ぎて2年が過ぎて3年になって、そういう中で本当に頑張れた自分。でもその時に思ったのは、やっぱりクラスメイトだったり、チームメイトだったり、そして担任の先生。星野女子高校で子どもから大人になる一番大事な時に私はいい学校と、いい先生と、いいクラスメイトに出会えたな。あの人達が本当に私のこと認めて見守ってくれなかったら、今の自分はないんじゃないかな。その時にはまさか私がこんな風になる生徒だとは思ってないと思います。一人の生徒のために一生懸命助けてくれる、今の学校生活はどうなのかなあと思います。だから色んな学校に行ってこんな話をします。「やっぱり子どもの時、また学生の時の先生また友達っていうのは大きいですよ。それによって子どもってどうにでもなりますよ。」私は「やっぱりいい学校といい先生といいクラスメイトやチームメイトに出会えたなぁ、それがあったから今の自分があるんだなぁ。」これが本当の自分の原点だと思います。だから人として、ソフトボール以外の時も、苦しい時逃げたいな、と思った時にいつもその時のことを思い出します。何を思い出すか、人に迷惑を掛けちゃいけない。人に迷惑を掛けたら相手も傷つけるし、自分も傷つくんだ、それをすごく学びました。

そして今度は高校卒業と同時に岐阜のユニチカに入社しました。父は猛反対をしました。やはり一番末っ子で一番かわいい娘を出すのを嫌がっていた。でも「いずれは嫁に行くのだから」って母は冷たかったです。やっぱりそこでも母と父との差がありました。そんな中、私は「どうしても行きたいんだ。」で、ユニチカの監督も「すぐレギュラーで使うから」みたいな感じで呼んでくれたし、私は当時のプロ野球の長嶋さんや王さんぐらいの気持ちで行きました。高校の時もそこそこやったから使ってくれる、そんな気持ちでピッチャーと一緒にユニチカに行きました。そしてユニチカの企業スポーツの厳しさを本当に学びました。まず出勤し、仕事は3時まで、そして3時以降練習。練習の中では企業スポーツは勝たなければいけないということが宿命ですね。そんなことを指導されながら必死になってやってきました。そして高校の時にそこそこやった私が即レギュラーに使ってもらえるかと思ったらとんでもない、高校の時にあれだけ前に飛んでいったボールがぜんぜん飛ばないんです。その時にハッと思いました。「これが実業団と高校との差なんだなぁ」って。このことを学びながらも、「悔しい、悔しい、早くレギュラーになりたい。」必死になって練習しました。練習は高校の時から毎日やっていましたから全然苦にならない。朝5時に起きて工場1周が4キロあります。工場4キロを走って、体育館に行って素振りをやったり、腹筋や背筋をやったり、そして仕事に行って仕事終わってからソフトボールをやるっていう生活の中で、練習は苦にならないんですけど、やっぱり先輩との差がありました。私自身のプレー、技術、体力より、やっぱり先輩の方が上だなっていう、そんなこと思いながらレギュラーになりたい、なりたい、そんな思いで必死になってやっていました。

そして、5月の連休に父が私に会いに来てくれました。そして高校生と練習試合していた私の姿を見た時に、私がバット引きとボール拾いをしていたんです。そしてその晩にユニチカの監督がお父さんお母さんを夕食に招待してくれた。で、私も招待されて食事をしていた時に、うちの父もお酒飲みなんです。おとなしい酒飲みなんです。暴れないです。そして飲んでいて、ずいぶん飲み始めて終わったときに、ユニチカの監督に「監督さん、明日、妙子を一緒に帰らせるから。」ビックリしてしまい、何この人言うのかなって。「約束が違う、レギュラーで使ってくれるって言ったから、うちの娘はやったんだ。使ってもらえないんだったら一緒に帰る。」父は一緒に私と生活したいから、「娘はバット引きやボール拾いをやらせる、そんなつもりで行かせたんじゃない。」そういうこと言うんです。「何言うんだろう」と思い私はビックリしました。と同時に父に対して申し訳ない気持と、ユニチカの監督に対してほんとに申し訳ないって言う気持でいっぱいになって、すぐ父を呼んで「お父さん、違うんだよ、まだまだ私の力がないんだよ、やっぱり先輩の方が上手だし、私がまだ力がないからもうちょっと待ってて、3年間待ってて、3年待ってレギュラーになれなかったら私は帰るから。」で、父は「わかった」といい、その次の日に帰りました。「3年だぞ、約束だぞ。」「うん」それからはもう本当に必死でした。

「何とかレギュラーになりたい。何とかレギュラーに。」そして丁度10月に埼玉でリーグ戦があったんです。「10月までに何とかレギュラーになりたいなぁ。」もう練習を一生懸命やりました。どうしたら先輩に勝てるか。先輩を抜けるか。でもやっぱり体力の差とかスピード、パワーの差とか、それは自分がよくわかっていました。そんなある日「先輩がケガをしてくれないかなぁ、先輩がケガをすればレギュラーを取れるんじゃないかなぁ。」って思ってノックやっていたときです。石ころが、1年生はグランド整備良くやりますからその石ころを持っていた。まぁその石ころは小さい石ころですよね、で何気なくノックが終わった時、ポンと置いておいたんですよね。置いておいたと言うより、私のポケットに穴が空いてたので落ちただけなんですけど、で一生懸命「先輩ケガしろ、先輩ケガしろ」って祈ったんですよね。当時だからいいですよねぇ。今だったら何言われるかわかりませんけど、必死になって先輩ケガしてくれないかなって思ったら…なんのことない、先輩捻挫したんです。その石で捻挫したなんて事は絶対ないですよね。先輩の不注意ですよね。隙があるからケガするんだと思いました。そしてケガした瞬間、「さぁこれはチャンスだ、何とか自分を認めてもらおう。」「捻挫は治るまで一週間かかる。一週間のうちになんとかこのチームに私の存在をアピールしよう。」必死になってやったのは声です。大きい声で自分をアピールしました。サードを守っていて「さぁこい!さぁこい!」って「私はここにいるのよ!」と、取れないボールでもサードからファールフライでバァーと走って行ってヘッドスライディング。何しろ打つ方は長打が打てないもんですから、何とかバットにボールを当てよう、そしてファーストまで全部ヘッドスライディング。そんなような形で何しろ必死だったです。自分をアピールする、自分のパフォーマンスの中でこのチームにアピールする。そして認めてもらいたい。力がない、力がないからこそ、こういう事をやってみんなに認めてもらおうと必死でやりました。そして1週間経って先輩が治ってきました。「あぁ、また補欠かなぁ」そんなこと思っていた時です。監督が「おまえはおもしろい選手だ。」おもしろい選手がレギュラーになったんです。それからというもの必死になって、自分の出来ることは声を出すこと、でも声だけじゃダメだ、もっともっと結果を出さなけりゃいけない。もっと自分がこのチームの中で出来る役割、何が出来るか?チームの中で自分が出来ること。一生懸命考えたのは声とガッツ、そして何でもいいからがむしゃらに向かっていく気持ち。それだけに徹してやりました。と同時に必死になって練習もしました。そして段々にチームの中でも結果が出るようになってからレギュラーポジションを取る。10月に埼玉大会に母が来て私がエラーして打てなかった時、「あなた下手なのに使ってもらったんだよ。」母に言われた時は悔しかったです。「絶対今度は母にそんなことは言わせないように頑張ろう。」で、帰ってきてからまた必死になって練習したのが、ユニチカの時の1年生のスタートだったんです。そしてやはり厳しい練習をしながらレギュラーポジション取り、キャプテンを5年間、そしてコーチの仕事をさせてもらったり、マネージャーの仕事をさせてもらったり、全日本のジュニアのコーチをさせてもらったり、ユニチカでの13年間のソフトボールでは全ての経験をさせてもらいました。嬉しかったです。

でも、ソフトボールは何となくマイナーなスポーツだったんです。特にユニチカの場合は、昔東洋の魔女日紡貝塚がありました。大松監督の率いるバレー、私たちも一緒だった日紡垂井っていうチームだったです昔は。そんなバレーを見に行った時に私たちのチームとバレーとの差、まずお金の使い方の差、これはすごくショックだった。私たちは会社の経営が上手く行かないと自分たちの身銭を切って遠征に行きました。スポーツ教室をしながら資金を集めてやったこともありました。バレーは何億っていうお金の中で朝から晩まで練習をする、そんな環境の違い、苦しかった、悔しかったです。「いつかメジャーにしたい。いつかメジャーにしたい。」という気持がすごく強かったです。そんな中で13年間もソフトボールが出来ました。必死でした。自分の中で「今何が出来るかな。ここまでソフトボールやったんだからもっともっとマイナーなスポーツからメジャーにしたい。」っていう気持が私の中に芽生えてきて、どんどん、どんどん夢が膨らんできました。

でも、夢と同時に私自身は3時まで仕事がありました。そして仕事は、最初は総務部の福利厚生の職場に入りました。何をやるかと言えば、当時の紡績ですから寮生が沢山いました。高校生は3年の短大の幼児教育科とか歯科衛生士の資格を取りに自分の仕事をして自分の働いたお金で学校行って、そして資格を取って辞めて地方に帰る。中卒の子は20人くらい毎年入ってきます。ほとんど家庭内暴力とか学校内で色々あった子が入ってきます。そんな寮生のまあ郵便配達ですね、当時は1000人くらいいました。1000人の寮生がいるって事はほとんど毎日、荷物や郵便物がたくさん来ます。その寮生に郵便物の配達係と、後は1000人もいるって事は寮ですからトイレが詰まるんです。毎日のようにトイレが詰まります。昔は今みたいなきれいな水洗じゃないです。垂れ流しの丸い昔の中国のトイレみたいなもんです。ちょっと壁があって、そこに一斉に流れるわけですよね。すると寮生が部屋の先輩が「宇津木さん、どこどこの寮たのむねぇ。」って言うんです。「はーい」、上司が一人、50歳ぐらいのおじいちゃん。おじいちゃんと言っていたんですけど、そのおじいちゃんと一緒に「宇津木どこどこの寮へ行くぞ。」「はい!」ジャージをはいて、長い長靴をはいて竹の棒持って行くんですよ。竿を持っていって、バッバァンと突っつくとサァと気持ちよく詰まりが流れるんです。それが仕事でした。同級生が6人いましたが、私はそんな仕事です。後の5人は正門の受付をやったり、電話番をやったり、現場の事務をやったりみんなスカートできちっとユニフォームを着てやってるわけですよ。私だけはトイレ掃除ですよ。トイレの詰まりを直す、郵便物、誰でも出来る。上司に言いました。「おじいちゃんに何で私はこんな仕事しか任されないの。やっぱり私は勉強出来ないからかなぁ。こんな事しかないのかなぁ。」そしたらその上司に言われました。「宇津木、働くって事はこういう事だぞ。こういう事をする人がいなかったら誰がやるんだ。これだってお金をもらうには何だってやらなきゃならないんだぞ。そういう人がいないと寮生活も成り立っていかないし、工場全体がやはり生活していくためにはこれだって仕事なんだぞ。当たり前の仕事なんだぞ。おまえだって自分の家でトイレが詰まったらどうすんだ。そのままにしとくか。」って言われた時に、「ハッ」と思いました。「あっ、そうなんだ。」でも何となく、友達と私との差が随分違うのでやっぱり辛かったです。毎日のようにトイレの詰まりの仕事が、本当に毎日4ヶ所、5ヶ所それを突っつく。3年間やりました。だから今トイレの詰まりを直すのは上手いですよ、もうどこでもやっていけますよ。そんなことを3年間経験しながら今度は総務の中で動きがあって、人事教育課、人を集める仕事、求人要項を作ったり求人票を作ったり。そして3年が終わったら今度は違う賃金計算、会社の貯金を入れる台帳に手計算で入れたりとか、なにしろ13年もいましたから総務の中のことは全部やらなきゃいけない。そして一番最後にやったのは寮生を扱う仕事。生活をしていく寮生との関わりの中で、寮生活の寮宿舎指導員の仕事をさせてもらいました。毎年120から130人入ってきます。それの入社、退社の手続きです。みんな最初は元気よく来ます。その元気よく来た寮生の名前を全部覚えるんです。北海道から沖縄までの寮生、北海道の何々さん、名前と顔を応募書類で覚えておき来る度に、赴任してくる度に、「何々ちゃん、何々ちゃん」って呼ぶんです。すると「この人は何で私の名前知ってんだろう。」すぐ、名前を知っているだけで、寮生達は気軽に話をしてくれます。そして朝は「おはよう」、大きな挨拶、学校へ行く時は「行ってきます」、「いってらっしゃい」、会社へ行く時は「いってらっしゃい、頑張れよ。」、「はい」、事務所を通る度に大きな挨拶を交わしていきます。そんな挨拶をしながら一ヶ月が過ぎ二ヶ月が過ぎると段々挨拶がなくなります。挨拶がなくなると「どうした?」、必ず挨拶がなくなると同時に「寮生活が上手く行かない。」「学校生活が上手く行かない。」「仕事が上手く行かない。」がほとんどです。呼んで聞いてみると、「先輩と上手く行かない。」「先輩がこうするんだぁ。」「職場が上手く行かないんだ。」「あの上司はいつも私のこと叱るんだぁ。」「学校はついて行けない。」もうほんと様々です。そして話を聞いてあげて、「でもね、みんなあなたのことを思ってやってくれてんだぞ、頑張んなきゃだめだぞ。目標があるだろ、幼児教育を取って将来保育士さんになりたいんでしょ。夢を捨てちゃだめだよ。」、「じゃぁわかった。」、随分お金も使いました。寮生のために、お菓子を買ったりカップラーメン買ったりしてやりましたから。そんなような寮生との関わりの中で、中には特に中卒の子、子どもから大人になる一番大事な時期に、私も高校の時に経験した、悪い寮生がいます。鉄道公安に捕り、迎えに行ったり、警察署に捕まれば迎えに行ったり、中には男の子に連れ出されて新潟の佐渡まで行っちゃって私が迎えに行ったこともあるんです。それぐらいに仕事をしました。その中で、一番にやった一つのいい経験というのは、寮生が毎週火曜日になると寮破りをするんです。男の子と逢い引きするんです。紡績っていうのは、野麦峠の話がありますけど、まわりが塀で囲まれているんですよ。その塀にうまいこと橋があるんですね。寮生が橋を造ったかどうかわからないんですけど、毎週火曜日の夜1時頃になると抜け出すんですよね。男の子が待ってるんですが、部屋の先輩も心配していて、「宇津木さん、あの子は毎週火曜日になると寮破りをする。捕まえてくれ。」、「よし。わかった。」で、バットを持って塀の所で待っているんですよ。その子が塀を登りかけた瞬間、「こらー!」捕まえて、事務所で「何やってんだ。」そしたらその子が何を言うかと思ったら、「スリルを味わっているんだ。」、「なにがスリルだぁ。あなたのためにこんなにみんなが心配しているんだろう!」そして、私は随分叩きました。上司として叩きました、じゃなくてやっぱり思いがあったからです。「こんなにみんなが心配しているんだよ。」その後、その子が私の胸に飛び込んでわんわん泣いていました。「親にも叩かれたことがない。何で宇津木さんは私のこと真剣に叱ってくれるの。」「だってみんなが心配しているし、あなたのことがかわいいからだよ。」って。無意識に手が出ました。上司としては失格だと思います。会社の中で手を挙げるって事は。でも何気なく無意識に出ちゃったんです。私も一選手だったですから当時は。でもその子は今42歳の2児の母になっています。よく電話がかかってきます。「あなたの話をしてるよ。」、「えー名前言わないでね。」、「名前は言わないよ、個人情報に引っかかっちゃうから。」って言っていますけど、本当にそういう寮生が、「スリルを味わいたくって、そして私を認めてもらいたい、私なんかどうでもいいんだ、世の中私がいたってみんな心配してくれる人はいないんだ。」それを言った時に「そうじゃないよ。先輩はこんなに心配しているんだよ。私だってあなたのこと心配しているよ。」そういう寮生との関わりの中で、「やっぱりみんな人はそれぞれ個性があって自分を認めてもらいたいんだな、私も小さい時、母に対してそういう気持があったな、どこかで私はここにいるんだよ、私を認めて、私はこんなに頑張ってんだよ。」っていう姿を見て欲しいんだ、それは、いいことやるか悪いことやるか、様々かもしれません。でも「やはりきっかけを何らかの形で行動で示すんだなぁ。」そんな寮生との関わりの中で、寮生がやはり1000人もいればみんな違います。兄弟が入ってくる、兄弟でも性格が違います。みんな個性があります。お姉ちゃんが出来て妹が出来ない、兄弟5人もいたらやっぱり差があります。うちの兄弟と一緒で、そうなってくるとやはり親の躾、また先生方、「あそこの姉ちゃんは頭良かった、でも妹はたいしたことない。」よく言われます。「そうじゃないんじゃないかなぁ。みんなそれぞれにいい個性がある、いいものがある。みんな誰でも何かいいものがある。そのいいものをどうやって生かしてあげるかっていう、それができないリーダーじゃだめじゃないかな。」これはユニチカの寮生との関わりの中ですごく勉強させてもらいました。

13年目、今まで取れたボールが取れなくなったり、打った打球が失速し始めたとき、「あぁ辞める時期だな。」オフになって監督に、「監督、私はソフトボールを今年で上がります。」、「あっそうか、ご苦労さん。」仕事はやりましたからね、仕事で残してくれるんだろうなと思った。そしたらとんでもない。「おまえ、ソフトボールで入ったんだろ。ソフトで入ってソフト辞めたら会社を辞めるの当たり前だろ。」って言われて、「あーこれが企業スポーツなんだ。」そんな思いから13年お世話になった岐阜を後にして埼玉に戻ってきました。ほんとに岐阜ではソフトボールでも全てを勉強させてもらって、また仕事の中でも、仕事のイロハを勉強させてもらいました。そして企業・組織、組織の中では様々なことを勉強させてもらいながらも、人との関わり、人が常にいて、その中で自分がやはり認められたり、認めてもらいたい、そしてまた自分に期待されたり、自分が期待している、そういう人との絡み、人との関係っていうのを勉強させてもらいました。これはソフトボールでは経験出来なかった寮生との関係の中で、本当にいい勉強をさせてもらいました。

埼玉に帰ってきてから星野女子高校の2軍を見ていた時に日立高崎の実業団チームから、「監督がいないのでトレーニングコーチで来てくれないか。」そして遊びに行きました。12名の選手と出会いました。当時は3部のチームでした。今1部リーグで日本一、オリンピックに出るような選手も数名いますけれども、当時は3部のチームでリーグでは一番最下位のチームだった。そして12名の選手と出会った時に、「みんな、ソフトボール好き?」って聞いたら、「大好き」って言う。「夢は?」、「一部リーグ」、「あっそう、1部と3部の差はないから大丈夫だよ。夢を持って頑張ろう!監督が決まるまで、しっかり教えてあげるから頑張ろうね。」、「はい!」、厳しい監督っていうことはみんな知っていましたから、ずいぶん厳しくやりました。選手はビビって毎日緊張感の中で練習をしました。そして一ヶ月間やってきた時、当時の工場長に呼ばれて、「宇津木さん、選手が監督をして欲しいって言っているんだけれども、やってくれないか。」、「えっ、嬉しいなぁ。」反面、当時女性の監督なんてあまりいなかったんですね。そんな中、迷いながらも自分の中では「やってみたいなぁ。」でも丁度お正月休みに入るときで、「じゃぁ年明けに返事をします。」ってことで帰って、埼玉・星野女子高校の先生の所に行きました。「先生、監督の話があるんだけれどもどうしよう。」、「おお、そうか、でもな、やめとけ、そんな甘くないぞ。」当時32歳ですから、「もう32歳のばあさんなんだから結婚しろ。星野の2軍でも見てればいい」、「あ、そうか、そうですね。」って言いながらも、気持ちのどこかで「監督したいな。」って気持ちがあって、そして帰って父に相談しました。そしたら父が言いました。「やめとけ、企業スポーツはそんな甘くないぞ。」と同時に父は私の性格をよく知っていました。私が「どうしよう?」と言う時は絶対決めていた、いつも確認なの。そんな父は、私にこういう事を言いました。「もしお前が監督になりたいのなら、時には社長であり時には用務員でなければだめだ。みんな部下はお前を見て育つんだぞ。両親を見てお前も育っただろ。お兄ちゃんお姉ちゃんを見てお前も育っただろ。チームになったら監督を見て選手は育つんだぞ。まず選手は自分のことだけ考えてればいい。でも監督になったら選手のことを考え、選手の親のことも考えて、そして選手の学校のことも考えて、選手の学校の先生のことも考えなきゃだめだ。そして会社のことも考えなきゃダメだ。何よりも結果だぞ。そういう結果が出ないと企業スポーツは成り立っていかないんだぞ。そして、用務員。言い方は悪いかもしれない。雑用、何でも出来なかったらだめだぞ。グラウンド整備から、それこそ草むしりまで全てグラウンドの管理、そういう全てが出来ないとただグラウンドで威張っているだけじゃだめだ。ただ結果を出せばいい、それだけじゃだめだ。ソフトボール馬鹿の選手じゃだめなんだぞ。」そんなことを父に言われました。そして父に言いました。「私は全てユニチカで経験させてもらっている、だからそれを全部生かしてみたい、自分が今まで経験してきたこと、高校の時の挫折、そんな色んな経験の中で自分が一回自分自身にやっぱり挑戦してみたいんだ。」そして父に約束して、父がその時言ったのが「3年、3年頑張れ、3年で結果が出なかったら辞めな。」、「はい!」年明けに工場長の所に行って、「監督をさせてもらいます。」そして日立高崎の方で監督就任をさせてもらってから、まずチーム作りをしました。

まず一番にやったのは、生活の中のルールです。寮生活全員が挨拶、時間厳守、整理整頓、相手に対する気配りや目配り思いやり、配慮、心配りそして自己管理、「体だよ。自分の体だってみんなの体なんだよ。自分がケガ、風邪、なにしろ体調壊したらみんなに迷惑をかけるんだよ。一番に迷惑をかけているのは自分自身に迷惑をかけちゃうんだよ。」そんなことを自分の経験の中からのルールを決めました。そして食事は出されたもの好き嫌いないように、作ってくれる人に「ありがたい。ありがとう。」の感謝の気持ちを持って、全てそういう感謝っていう気持ちを持って取り組もう、これがルールでした。朝、毎日食堂に集まってその言葉を、まあチームの理念ですね、みんなで大きな声で、声を発して読ませて、そして2時半までの仕事。日立高崎の場合は、ソフトボール辞めてからみんな会社に残っています。ユニチカと違います。だからこそ余計「責任ある仕事をしろ。」何しろ任される仕事、責任ある仕事をすることによってグランドに来ても責任を持つようになる。「中途半端な気持ちでいるな。ソフトの選手はエリートだからと言って、生意気な感じじゃだめだ。ソフトボールの選手だから、何でもいいんだ。仕事はどうでもいいんだ。なんて思ってはだめだ。何でもいいから一つでいいから責任ある仕事を任されなさい。」そしてそれは上司にもお願いして、「何しろ厳しい指導をして下さい。2時半までの仕事の中でしっかり仕事をさせて下さい。」そんな約束、そして3時から練習、その3時からの練習は徹底練習。常に目的意識、練習はほとんど毎日同じです。「今日はこういう練習をするよ。」毎日同じ練習をどう新鮮に、また根気よくやれるかどうか、そして選手一人ひとり目標、「今日私はこういうところに注意してやろう。意識してやろう。」そして今日目標の中で終わったら、出来たか出来なかったか、何故出来たか何故出来なかったか、その時の体調はどうだったか。全部ノートに書かせて、時にはノートを見ながら、それに対してコメントを書いたり、まあ時には親がどうだった、私の職場はどうだった、そんな色んな自分の私的な悩み事も書かせながら徹底練習をし、目標に向かってチーム作りをしました。2年間で2部に入りました。そして2部に入って1年目で優勝して1部に昇格しました。簡単に1部リーグに入りました。何故簡単に上がれたか、それは選手達の意識です。自分の一人ひとりのチームの中での役割、適材適所の中で、「私はこういうふうに使うよ。その中でチームのためにこうしなさい。」そして一番にやったのは選手一人ひとりのいいものを試合の中で活かす、それをやりました。そして何しろ平等に扱ったこと、もちろんこれはレギュラーとレギュラー外の選手がいますから、なかなか平等って言うのは難しいです。私がやったのはレギュラー以外の選手を何とか活かそうといつも心掛けていました。私自身もいつもレギュラーじゃなかったから、レギュラー以外の選手はどんな気持でいつもベンチにいるか、いつもどんな気持でバット引きをしているか、そんな気持がすごくよくわかったんです。もちろん力がないからバット引きをしています。ボール拾いをしています。でもそうじゃない。その選手たちだって試合に出たい。出たい気持でやっているんだ。だったら何かチャンスを与えてあげよう、そんな気持でやったからこそ、選手達が自分の与えられた中で、このチームで何が出来るかな。中には3年間バット引きの選手がいました。有名な高校から卒業してきた、エリートでした。3年間もバット引きでした。でもその選手が3年間バット引きしていた時に、ずっと日本一になっていました。そして終わる時にこういう事を言いました。「私は3年間日本一のバット引きになった。」今は看護婦の資格を取って子どもをもうけて家庭と仕事を両立して生活しています。すごい選手を本当にみんないろんな形で、チームの中の自分の役割、適材適所を考え、選手の使い方、活かし方など、いつも選手のことを考えて、愛情を持ってほんとに厳しく指導をしてきました。もう特に厳しかったのは、怠慢なプレーそして何よりも自己中心なこと、自分のことしか考えない。また、私もこの年になると80名くらい卒業生がいます。80名いるって事は親も倍いますね。まあ、ほとんどの親が勝手です。自分の子どもしか見てない。当然これは私の経験から言っても一緒です。うちの父、母は自分の子どもしか見てない、一緒だったなと思います。そんな親も指導しました。特にエリートの選手の集まりです。でもみんな挨拶も出来ないんです。挨拶出来ない親じゃ子どもはどうしょうもない。まず、親の教育からしました。そういうふうな形で、チーム作りをしました。そして子どもには本当に厳しい指導をしました。ルールも決めました。21年間選手を育ててきて、周りの人によく「昔と今とではずい分選手も違うでしょ。」と言われます。確かに昔と今の選手とでは、選手一人一人の個性が強く、理解するのに時間がかかる時もありますが、学んでいく環境や、教える人間の信念がしっかりしていれば、今も昔も変わりなく選手は育っていきます。でも、21年もすれば時代も変わります。最初の年は、テレビゲームもさせずソフトボール漬けでした。服なんかも全部決めました。「明るい色は着ちゃだめだ。」とか、本当に厳しく指導しました。パンツも10センチ、小さいパンツだと冷えるから腰痛防止のためにも10センチパンツをはかせました。スカウトに行くと高崎は10センチパンツをはかなきゃいけないから行きたくないという生徒がいました。それぐらい徹してやりました。何しろ全てそれは、大事な娘を預かっている以上はケガをさせちゃいけないという責任があります。だから厳しい指導もしました。親以上に厳しかったと思います。でもその反面、厳しかったけれども私は選手みんなが好きでした。みんな愛情を持って接してきたつもりです。そういう私の思いと選手のその1部リーグに入る思いが強かったからこそ簡単に1部に入ったと思います。そして1部に入ってから、やっとうちのチームがずっと勝ち始めた時に、アトランタオリンピックの正式種目に入ってきました。私はコーチとして参加させてもらった時に、「いよいよソフトボールもメジャーだ。メジャーになれるんだ!何とか結果が出ればメジャーになれるだろう。」夢はどんどん膨らんできました。「でも私が現役だったらなぁ、オリンピック行きたかったなぁ。」でも、もう指導者としてしか行くことは出来なかったですけれども、そのあとはシドニーに向けて監督になってからも、高崎と同じように徹底した練習とやはり生活の中でのルール、高崎の3部と同じようにチーム作りをやってきました。一番にシドニーの選手に指導してきたのは「何しろ、目標はみんな一つなんだよ、その一つの目標に向かってみんなが同じ方向を向こう、自分を犠牲にしてもこのチームのため、ソフトボール界のためにやろう、それは結果的に自分のためになるんだぞ。」そんな事を言いながら心を一つにして戦ったのがあのシドニーオリンピックでした。本当によくやってくれました。あんなにやる選手はいなかったと思います。何しろ午前中3時間ノックだけ、走りっぱなしのノック、私はずっと打って、3000本ぐらい打った。特に冬場、1月の合宿は、3時間ノック。あと1時間お昼休憩、午後から打ち込み1000本ノルマ、そんな中でやってきました。本当によくやった。やはり選手みんなが日誌に書いてあります。最初は、「もう死んじゃう。もう日本に帰れない。」台湾での合宿の時「どうしよう、このまま私たち倒れちゃったらどうしようか。」それが5日目くらいになると日誌が変わってきました。「あの子には負けたくない。あの子あんなに頑張ってる。あんな選手に負けるものか。」もうライバル意識、そして2週間終わった時の日誌は達成感。「あぁやれた。やれるんだー。これで私たちはメダル取れるんじゃないか。」そんな自信を付けた台湾の合宿。そして2月はアメリカ、やはり2週間。1週間は同じような練習、1週間は練習試合。そして3月オーストラリアに合宿に行って試合に…。そしてその時は小さい大会だったけれど、優勝したときに「あぁやれる。勝てるんじゃないかなぁ。」そんな予感の中、4月に最終15名を決めるプレオリンピックに参加して、そこで最終的に15名を決めて、6月にまた集めて、15名で合宿をして、最後の追い込みをしながらシドニーに向かっていきました。リーグ戦は全勝で勝ちました。そして決勝トーナメントに入ってオーストラリアに勝って、全部勝って、最後の決勝戦、アメリカ戦。「さぁいよいよ優勝戦。これに勝つと初めて日本のソフトボールは金メダルだ。絶対勝とうね!」そんな思いで戦いました。4回にポーンと宇津木麗華のホームランが出て、「さぁ金だ!やった!」でもまだ試合は終わってないのに「あーッ!」震えが来ながらも、打った瞬間すぐブルペンにいる高山樹里ちゃん。ここ神奈川県出身の、ブルペンにいる樹里に、「樹里!すぐ交替だぞ。次のイニングに行くんだよ。」、「ハイッ!もう監督、できあがっています。」、「よぉし!」、そして次のイニングに代わった時に、「さぁ、タイム掛けなきゃ。」そしたら震えが来ちゃった。もうがたがた、がたがたベンチの中で震えちゃって、金縛りにあったような状態で、私を動かしてくれないんです。「どうしよう、どうしよう、どうしちゃったんだ。」自分でもわかんない。わかんない時に、マウンドではピッチャーの増淵が一生懸命投げています。1アウトをとって、次のバッター、デッドボールでランナーファースト、セカンドゴロでランナーセカンド、「はぁ、いやだな。」次のバッター、キャッチャーのヌーブマンっていう大きいキャッチャー、その前ライトゴロを打っている。「あーッ、どうしよう。どうしよう。タイム掛けなきゃ、行かなきゃいけない。」、でもまだ金縛りにあっている。2ストライクに追い込んだ後、1球外して1ボール、1ボール2ストライクの後、スコーンとファールボールがファーストの方にライナーで飛んでいって、「アウトコース高めに投げたらやだなぁ。もう1球ボールで攻めなきゃいかん。攻めなきゃいかん。」、と思ったら、アウトコース高めにいったら、スコーンと右中間に打たれて、1-1同点、慌ててタイム掛けて、「ピッチャー交代!」、そして1-1になってから樹里が今度投げて、樹里ちゃんがいいピッチングをして、そして何度かチャンスをもらいながらもチャンスを活かせずに、8回タイブレーカーに入って、雨がちょっと降り始めて、タイブレーカーランナーセカンド、フォアボールでランナー1・2塁、キャッチャーの山田選手がタイム掛けて「監督、さっきまで審判ストライク取ってたんだけど、取ってくれなくなっちゃった。どうしましょう。」、「あっそうか。」樹里のボールは真ん中でもライズがしっかりかかっていれば打たれないから、何しろポップフライ打たせればいい。」、「わかりました。」で、キャッチャーが戻った。いつもタイムを掛けたら必ずみんなマウンドに行って、みんなを集めて指示するのにもかかわらず、その時は二つの失敗。ピッチャー起用が一つ失敗、そしてキャッチャーだけに指示をした。キャッチャーはもう自分だけの指示の中でやった。そして1アウト、1・2塁、スコーンとレフトにフライが行った。「あっフライ!レフトフライだ、よし打ち取った!」と思った瞬間、パッ、レフトの選手のグラブにボールが一旦入ったら、ストーンと転んじゃって、ボールがコローンと転がって、瞬間、セカンドのランナーが全力でホームイン。サヨナラ負け、アメリカの選手はベンチの前でウワーッと抱き合って泣いている。私たちは呆然として、全日本のフォーメーションどおりに、時間が止まったような状態で選手は立ちすくんでいました。「はぁこれじゃぁいけない、すぐ閉会式がある。」すぐ選手をあげて、更衣室に戻して、「閉会式の準備しな。」、選手は涙流しながら着替えて、そしたらそのレフトの選手はトイレに入ってわんわん、わんわん泣いてた。泣いていた時に、「いつまでも泣いてんな。お前のエラーで負けたんだろ。」、言っちゃあいけないことを言っちゃったんだよねぇ監督が。うちの選手だったんだよね。もう日常なんですね。「何やってんだ!下手っピが!」そんなことはしょっちゅう言っていた。でも、舞台が違ったんだよね。日本の大会の練習試合と違った、世界の大舞台で苦しかったと思うねぇ。「いつまでも泣いてんな。お前のエラーで負けたんだろ。」っていうこの言葉っていうのは「ある種の言葉の暴力だなぁ」と、その時に選手に言われました。「この子のエラーじゃない、みんなのエラーだ。監督はチーム作った時に何て言いましたか。」って選手に説教されました。「うるさーイッ!」ってまた怒鳴って…。そうだよね、振り返ってみたらこの全日本作った時に「みんな一つの方向向こう。チームのために犠牲になってでも、みんなが一つなんだぞ。何があってでもみな一つなんだぞ。」時には打ち上げの時にカラオケで歌えない歌でもみんな歌わして、飲めないお酒も飲まして、ドンチャン騒ぎをさせて、何しろ一つの方向に向こう、練習もみんな一緒、苦しい時も楽しい時も全てみんな一つなんだよ。めちゃくちゃやってきました。めちゃくちゃ服従させました。そういうふうに出来上がったのは、あのシドニーのチームでした。だからこそ選手もそんな思いで言ったんじゃないかな。そして選手達が閉会式にグランドに出た瞬間、私は更衣室に一人で残って、もう大声で泣いてました。「いいチームをつくったなぁ」反省しました、ほんとにいいチームでした。もう二度とできないと思います。めちゃくちゃやって、「絶対監督に服従だよ!監督は絶対なんだよ!」って言ってきて、ほんとに言うこと聞いてくれました。それも年齢からいったら37-8歳から18歳、すごい年齢の幅がありました。その年齢の幅の選手達が、本当に監督また全日本代表の責任、そして「日本のソフトボール界のために頑張ろう。何とかメダルを取ってメジャーにしたい。子ども達のためにメジャーにしたいんだ、するんだ。」その気持ちから戦ってくれた選手達に対して「本当に申し訳ないな。そしていいチームを作っちゃったな。」っていうのがシドニーの反省です。

帰ってきてから、変わりました。ソフトボールの世界が本当に変わったのが、今まで私たちの前に来てくれたマスコミの数が全然違ったこと、シドニーの前の合宿なんて数名の人が来てくれただけです。シドニー終わってから世界は変わりました。また、親戚も増えました。「監督を育てたのは俺なんだぞ。」って、シドニーが終わってから親戚がいっぱい増えたんですよ。「あっそうですか、ありがとうございます。」、知らないおじさんでも、「宇津木よ、おまえが若い時、俺が育てたんだぞ。」、「あぁそうですか、ありがとうございます。」、本当にちょっと変わりました。一番変わったのは、自分が変わったなぁと思いました。そして「今度は金だ!もう銀の上は金しかないんだ!」そんな事言いながらアテネに向けて4年間、必死になってやりました。その間にルール改正があったり、ボールが変わったり、いろんなことありました。そしてその中で一生懸命強化をしました。そしてアテネに向かって行った。アテネが終わったあとは、銀の上の金じゃなくて、銀の下の銅、「銅だったんだ、何やってんだ。」まず「銅だったんだ、何やってんだ。」が一番で、叱られちゃったんだよねぇ、監督は。やっぱり代表監督としてはほんとに失格だな。行く前は皆さんの前で「金だ、金だ、」って言ってて、帰ってきたら銅。「もう帰れないんじゃないかな、」ほんとに予選リーグの負け負けでいって1勝3敗になった時は、「これは本当エーゲ海に飛び込まないと、私はエーゲ海から日本まで泳いで帰ってこれるかな。」ってそんな心境でいたんですから。でもその後みんなが頑張ってくれて、最後、銅を取ることが出来ました。そして終わって帰ってきてからいろんな仕打ちがありました。でもこれはリーダーとしての責任だと思います。「やっぱり結果の責任は監督にあるなぁ。じゃあなぜ、銀の上が取れなくて銀の下だったんだろう。」反省しました。「やっぱり準備不足だった、安易だった、油断しちゃった。そして何よりもやっぱり監督は勘違いしていたなぁ。」シドニー前の自分と、シドニー後のアテネまでのやはり4年間、自分をどこかで見失ってたなぁ。格好付けてたな。いつもマスコミの人やテレビカメラがぐるぐる回ってると人間ちょっと勘違いしてきたんだな。それが今回のアテネでの銅だったんだな。」これはもう選手に対して申し訳ない気持で一杯でした。と同時にアテネが終わって帰ってきたら、本当に淋しいぐらい親戚が去っていきました。「もう、知らない。お前なんか知らないよ。」、「これが世の中なんだなぁ、勝てば官軍、負けたらほんとに辛いなぁ。」いい時はみんなが寄ってくる、悪くなるとみんながサーッと去っていっちゃう。でもその負けた時に一生懸命応援してくれた人は本当の真の応援者なんだなってことも、最近は改めて感謝してます。

そんな思いから2年半経ってます。「全日本終わってから自分は今何が出来るかな。」ソフトボールのお陰で本当にたくさんの経験といい思い出、またいい選手と出会えました。そんな中で何ができるかなって思った時には、やっぱりソフトボール。子ども達の指導!そして自分も苦しかったけど、それに対して頑張ってきた、そんな自分の姿を子ども達にも伝えていきたいな、そしてソフトボールの楽しさ、挨拶、「キャッチボールと一緒だよ。いいキャッチボールばっかりないよ。いいストライクボールばっかりないよ。悪いボールを取ってくれるかどうか、それがチームメイトなんだよ。」そんなことを子ども達と話ながらしてます。挨拶だって「おはよう!」、いい挨拶もあれば時には「おはよう・・」って小さい挨拶もある。「その時にどうしたのかな。」って思う、そういう相手の調子や体調、これは親子関係もそう。先生と生徒もそう。地域もそう。「お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます。」、「行ってらっしゃい。今日も頑張って来いよ。」そういう地域であって欲しい。また学校教育もそうであって欲しい。今はいじめや学校問題、いろいろと今日も教育委員会主催でやってますけれども、ほんと難しいです。「どっちが悪い」じゃないです。「誰が悪い」じゃないです。もっともっと大人達が子ども達と自分もそうですけれども向き合わなければだめです。今、子ども達がよく言うのは、「自分の子どもがどんな状況でいるかお父さんお母さんわかってますか。学校の先生わかってますか。」そこですよ。子どもは何となく親には申し訳なくて言えない。いい子でいたい、お父さんお母さん苦しめたくない。それをわかんない親の方が私はどうなのかなと思う時があります。もちろんこれは学校の先生に相談したけれどもだめだったという話も出ています。本当に子ども達のためにどのくらい親が手を差しのべたり、また子ども達が今どんな生活、またこの子はどういう性格なんだろう、わかっているかどうか。先ほど言いました兄弟だって性格は違います。その兄弟も違うのに、「この子はこう、」「この子はこう、」決められないです。「この子はいい子だ、」また親の願望も強いです。自分の子どもに限って、このクラスに限って、うちの学校は違う、うちの会社は違う、そうじゃない。もっともっとみんなは問題意識を持って生活したらいいんですよ。何かあった時に「うちの会社どう。うちの地域はどうなんだろう。うちはどうなんだ。」そういうやはり問題意識を持った中で生活をしていったら大きなミスはないと思います。そして、もし過ちをしていたらその場ですぐ言うべきだと思います。「あぁこういう失敗しちゃったんだ。申し訳ない。でも今度こう切りかえて頑張るから。」そういう勇気を持って欲しい。そして勇気を持ったら決断して、その中で改革していって欲しい。そうしていかないと世の中ほんとに暗くなりますよ。もうこんな暗いニュースばっかりですよ。落ちるところまで落ちちゃうかもしれない。落ちてからどうやって這い上がっていくか。もう自己中心の生活ばっかりですから今、こんな格好いいこと言ってても、私もいつも自分に向き合ってます。「いいかな。言い過ぎたかな?またどういうふうに捉えたんだろう。あぁ余分な事言っちゃったかなぁ、言い過ぎたかな。」人の捉え方っていうのはみんな違います。ここにいたらここの子ども達、私より年配の方、そしたらみんな受け方違いますよ。「何言ってるんだ。」って言う捉え方、「ああ、そうなんだと思う人」、「いや、そんな事言ってもなかなか出来ないんだ。」様々だと思いますよ。出来ないんだ、じゃなくて、やろうとしてないだけなんですよ。言葉で並べるのは簡単ですよ、書くことも簡単、やることも簡単。「こうやろう!」ただそれを実行出来るかどうかですよ。もうそこなんですよ。一番大事なのは。私たちチーム、たかがソフトボール、たかが20名の選手。その選手達にいつもそういう話をします。「言うこと書くことは簡単だよ。それをやっぱり実際やる。やってみる。結果を出すこと。こんな難しいことはないよ。そのために生きるんだよ。そのために負けちゃいけないんだよ。」選手にその話をよくしてます。「それと同時にいつも感謝をしなきゃだめだよ。今こうしていられるのは親がいるから自分たちがいるんだよ。そして常に周りに人がいるんだよ。」それはチームメイトであったり、地域の人であったり、学校であったり、様々だと思います。そこに初めて、人対人です。人間だけです言葉が通えるのは。その言葉が通えるんだから、人と人との関わりをして、この生涯スポーツのように地域でやってもらうからやるんじゃなくて、自分たちから率先してこの地域のために、子どものために、自分たちのために、お年寄りのためにそういう気持でやっぱり取り組んで欲しいなと思います。それは自分のためにもなります、いつかはみんなやはり年老いていきます。そのときに、振り返ったときにどうだったのかな、その立場になって初めて後悔することもあると思います。今私は小学生のクリニックをしながら、障害者に対してのクリニックもしています。私のまわりに一人のダウン症の3歳の女の子がいます、その子と向き合って生活をしています。すごいです、一生懸命生きています。その子を見て「ほんとにこの子は神様がくれた子だなぁ。」私のそばにこの子が現れたって事は、何か伝えてくれたんだな。素晴らしいです。すごいです。純粋です。これを忘れちゃっているんじゃないかな。こういう純な心、私たち忘れているな。だから常に自分と向き合って生活をしなきゃいけない、常に反省しなきゃいけない。と同時にやはり常に緊張感を持った生活をしなきゃだめなんだ、そういうことをいつも考えながら今生活をしています。

また常に夢を持っています。特にここ神奈川県の出身者が今5人いるのかなあ。そしてうちの選手の三科選手も神奈川だし、ここにソフトウェアの選手が沢山います、斉藤監督は監督になるかどうか、これが終わってから決断するでしょう。もう本当に皆さんが一つになって日本中の皆さんの後押しをしてもらって、ソフトボールがこれで復活に向けて、何とか北京オリンピックで金を取って、私も何だか出来ることを一生懸命やっていきたいと思いますので応援をよろしくお願い致します。また来シーズンのソフトボールも始まりますので、応援して欲しいと同時に、皆さんこれはソフトボールの関係者だけではないと思います。各競技団体の皆さんが一つになって、私の競技だけがよければいいじゃなくて、みんながやっぱりいろんな形でお互い助け合って、地域のために、この生涯スポーツのために頑張っていって欲しいなと思います。よろしくお願いします。

またご縁がありましたら、お会いしたときには声を掛けてください。ちょっと変な話ばかりしましたけど、私の話を終わりにさせていただきます。今回のイベントの中での私のこの話が活かせるかどうかわかりませんけれども、一つのきっかけになってくれたらいいな。

あとは本当に苦しいです。その苦しさから負けない自分を作ってください。拝聴していただき、ありがとうございました。

【講師略歴】

星野女子高等学校卒業

1972年ユニチカ垂井(岐阜県)ソフトボール部に入り、13年間内野手として活躍。世界選手権2位、全日本総合選手権2回優勝、全日本一般選手権3回優勝、全日本実業団選手権4回優勝、日本リーグ1部2回優勝など、選手として活躍するとともに、1981年日本代表コーチ、ジュニア日本代表コーチを務める。

引退後は、1986年より日立高崎(現日立&ルネサス高崎)女子ソフトボール監督に就任。全日本総合選手権8回優勝、日本リーグ1部6回優勝するなど、黄金時代を築いている。

1990年に日本代表監督に就任。1996年日本代表コーチとしてアトランタ五輪参加。1997年に日本代表監督に復帰し、2000年シドニー五輪では銀メダルを獲得する。2002年世界選手権銀メダル、アジア大会金メダル、2004年アテネオリンピック銅メダルを獲得するなど、輝かしい実績を残す。

2005年に国際ソフトボール連盟(ISF)殿堂入り。

【主な著書】

「努力は裏切らない」幻冬舎、2001

「チームワーク -心を一つにして-」学陽書房、2001

「女は女が強くする」草思社、2001年(共著)

「宇津木妙子ソフトボール入門 -レベルアップのための基本技術と勝つための戦術-」大泉書店、2001

「金メダルへの挑戦!シドニーからアテネ、そして北京へ」学陽書房、2004

「いちばんわかりやすいソフトボール入門《ワイド版》」大泉書店、2006

 


2部 シンポジウム
テーマ【スポーツが培う かながわの未来】

コーディネーター 野川 春夫
(順天堂大学スポーツ健康科学部教授)
パネリスト 澁谷 茂樹
(笹川スポーツ財団業務部エイドチーム)
河原塚 達樹
(財団法人日本レクリエーション協会生涯スポーツ推進部長兼サービスセンター部長)
倉田 昭人
(神奈川新聞社編集局運動部長)
菊地 正
(NPO法人高津総合型スポーツクラブSELF副理事長兼クラブマネージャー)
 

「趣旨説明」

「趣旨説明」写真

 コーディネーター 野川 春夫 (順天堂大学スポーツ健康科学部教授)

皆さんこんにちは、シンポジウムの進行はパネリストの先生方にテーマに添って、ご発表いただきます。その後、会場の皆様方からご質問等をいただいて、議論を深めてまいりたいと思っています。

神奈川県の中学校運動部の入部率が今約63%で、3人に2人がちゃんと部活をやっている。高校生の方は38.9%、3人に1人が運動部活動をやっている。それ以外の子ども達は何をしているのか。子どもの体力が危ないとか、子どもの外遊びがなくなったとか、コミュニケーションがとれないとか、パァっと走っていって転んだら手が出なくて歯が取れちゃったとか、いろいろな問題があるというところで、子どもを取り巻く環境を大人が本当に考えなくちゃいけない時代になってきたと思います。では大人は、環境設定するだけでいいのか。子どもに対するいじめの問題、その対処策として学校の放課後に開放しようということで、130億円ぐらいの予算を国が概算要求で付けようとしているわけです。子どもの居場所づくりで80億円を加えると、だいたい200億円ぐらいの予算が、子どもだけで来年度からまた出てきそうだということです。それで本当に問題解決するのか。対応策ばかりで、後追いなんですよね。その辺のところを今日は現状をザクッと分析していただいて、問題の所在を明らかにして、今後どの様な形にしたら後追いではなくて、もうちょっと先に進めるような対策や方策をご提案できればと思っております。

【コーディネーター略歴】

米国オレゴン州立大学大学院研究科教育学博士課程(体育学専攻)修了。

1986年聖徳学園短期大学専任講師、1988年国立鹿屋体育大学助教授(1995年7月教授)、1998年4月より現職。

スポーツ社会学、生涯スポーツ、イベントマネジメントを専門分野とし、スポーツイベントのマネジメント、生涯スポーツの国際比較、スポーツ・ツーリズムを研究の主要テーマとする。

現在、日本スポーツクラブ協会理事、日本生涯スポーツ学会会長、イベント学会理事、日本ボウリング場協会理事、文部科学省スポーツクラブマネージャー養成講座講師、神奈川県総合型地域スポーツクラブ普及・定着化協議会副委員長などを務める。

【主な著書等】

「健康・スポーツの社会学」健帛社、1996(分担執筆)

「オリンピックの汚れた貴族」サイエンティスト社、1998(監訳)

「スポーツ産業論入門(改訂版)」杏林書院、1999(分担執筆)

「選手が育つポジティブ・コーチング」サイエンティスト社、2001(監訳)

「実践イベント学入門」サイエンティスト社、2003(分担執筆)

「総合型地域スポーツクラブマネジメント養成テキスト《普及版》」ぎょうせい、2005(編著)


発表1「データで見る青少年のスポーツライフ」

「発表1」写真

 パネリスト 澁谷 茂樹(笹川スポーツ財団業務部エイドチーム)

タイトルの通りデータで見る青少年のスポーツライフということで、青少年のスポーツライフの現状、体力低下の問題等が色々騒がれておりますが、実際にどういう状況なのか、それから青少年がどんなスポーツをどのようにやっていて、どんなスポーツにニーズがあるのか、そういった部分についてシンポジウムに先立ちましてみなさんと共通認識を持ちたいということで、客観的なデータを中心に紹介してまいりたいと思います。よろしくお願いします。

青少年の体力・運動能力の低下ということで、皆さんも新聞等で毎年のようにご覧になると思います。文部科学省で毎年スポーツテスト、現在、新体力テストと言われてますけれども、いろいろな項目について運動能力の調査を行います。その新体力テストの結果を、翌年の10月、体育の日に近い時期にあわせて文部科学省が毎年発表しているのですが、これは今年10月に発表されたものから拾ったものの一つですけれども、11歳の男女の20年前との運動能力の比較ということで、50m走とソフトボール投げ、11歳の男女を比較したものになります。新聞に毎年出ていますように、ずっと体力低下の傾向が言われてるわけですが、これは1985年頃をピークに落ちてきています。特にこの50m走とソフトボール投げの結果が顕著ということで、左から図を見ていきますと、昭和60年の11歳男子が8秒75だったのが、現在は8秒95、女子についても9秒だったのが9秒20といずれも0.2秒遅くなっています。これで大体距離にしてどれくらいになるかといいますと1.1m位ですね、遅れてゴールするという感じになります。多分それくらいだと、そんなに体力落ちてないんじゃないかと思われるかもしれませんが、全国の平均でこれだけ落ちているということは、非常に看過出来ない問題なんじゃないかと思われます。それからソフトボール投げの方ですが、こちらの方が落ち幅が激しくて、11歳男子、昭和60年を見ますと34mのところが昨年については29.8mとこれ10%以上落ちているんですね。女子についても同じです。こういう状況が他の種目にもあるんですが、特に顕著な種目としてこれらを紹介させていただきました。

このような結果、体力が落ちているということになりますが、参考に身長や体重がどうなっているかを見てみますと、逆に増えているんですね。昭和60年の男子の平均身長が143.2cmだったのが、145.1cmと2cm近く増えています。体重についても36.5kgだったものが39.1kgということで体格はしっかりしてきているのに、運動能力は落ちているという状況があります。参考までに神奈川県の平成17年の50m走とソフトボール投げの数字をご紹介いたしますと、まず11歳男子は全国平均よりも若干遅くて9秒09、女子が9秒36、それからソフトボール投げの方が、男子が27.73m、女子が15.95m、といずれも全国平均を若干下回っております。

どうしてこういう事が起きているかという原因については、しっかりと科学的根拠があるデータ等は取れてはいないんですけれども、経験的に運動量が減少しているというのは明らかだと思います。ただそれが、運動量がどれくらい減ったためにこのように体力が落ちてきたのかっていうことがわからないので、どういう対策を取ったらいいのかというのが、うまくいかない部分があるのではないかと思われます。実際にこの50m走やソフトボール投げの能力の低下については、単純に筋力が落ちたと、そういった部分だけではなくて、体を正しく使うそういう動きを身に付けられていない、そういう部分の方がむしろ大きいと考えられます。たとえば50m走でも、ただ走るスピードが速い遅いだけではなくて、おそらくニュース等でもご覧になると思うんですけど、子どもが徒競走で真っ直ぐ走れない、特に小学校低学年などに見られるんですけれども、そういうのは筋力というよりも正しく体を使えてないわけですね。神経と筋肉の回路がうまくつながってないというような言い方をすれば分かり易いかもしれません。真っ直ぐ走れないことでバタバタ無駄な動きをするので、このように遅くなっているということが考えられるかなと思います。ちゃんと裏の取れているデータではないんですが、ある学識者から聞いた話で、運動量が減少しているというデータとして参考資料がございまして、昭和40年代の小学生と、現在の小学生の一日平均の歩数データがございます。これは、昭和40年代は2万7千歩一日平均で子どもたちが歩いていたものが、現在は1万2千歩ということで、本当にこんなに落ちてるのかなとちょっと怪しいところもあるんですが、そんなデータをある学識者からうかがったことがございます。こういった単純に体力テストの能力が低下して、日本人の国際競技力とかいうパフォーマンスの問題はいいとして、日常生活でスポーツマン以外の人はどういう影響があるんだろうか、別に足が遅くなったり、ボールが遠くに投げられなくなったからといって、たいした問題じゃないんじゃないかと言われる方が、いらっしゃるかもしれませんが、こういう体力の落ち方というのは、その原因と思われるもので増えてきてるものとしては、例えば怪我の増加なんてものがあります。これが小学生の骨折者の割合を1978年と1999年で比較しますと1.7倍にも増えているんですよね。これは、おそらく正しく体を動かせないから、正しい身のこなしが出来ないために今までする事もなかった怪我をしているということが考えられます。それから肥満ですね。肥満の増加ということで大人に関しては、メタボリックシンドロームっていうのが喧しいですが、小学校6年生のデータで見ますと、男子が11.6%、女子が10.1%というのが肥満という様に認定されてるんですが、これが25年前の約2倍という数字で、これもやはり見過ごせない数字ではないかという様に思います。

ここからは体力の問題から離れまして、中学生以降の運動スポーツの現状というものを、まず部活動の加入状況などを中心に見ていきたいと思います。こちら中学校の生徒数と学校運動部活動加入率の推移を表したものです。まず、紫色で右肩下がりになっているのが中学校の生徒数でして、2001年から2005年までの4年間で約400万人から360万人と40万人くらい減っているという状況です。こういう状況にあって運動部の加入率なんですけれども、大体67%強前後でここ5年間ぐらいはほぼ横ばいという数字になっています。参考までに神奈川県のデータということで同じ2005年の公立学校のみのデータですと64.37%ということで、ほぼ同じくらいかなという数字になっています。こうして加入しているということはわかったんですけれども、どんな運動部に入っているかということで紹介させていただきたいと思います。男子、女子と分けて2001年度と2005年度ということで登録者それから登録率ということで順位を付けています。まず男子の2005年の結果ですけれども第1位が軟式野球・第2位がサッカー・第3位がソフトテニス・第4位が卓球・第5位がバスケットボールとういような状況ですね、女子を見ますと第1位がソフトテニス・次いでバレーボール・バスケットボール・卓球・バドミントン等々の順位になっています。こちらの図でわかりますように生徒数はどんどん減っていってるんですね。加入率はほぼ横ばいということで当然登録者の数は減っていく現状にあるんですけれども、2001年から2005年の変化というのを見てみますと、男子の方はソフトテニスをご覧いただくと2001年が11.6%という登録率だったのが12.9%で生徒数が減っているにもかかわらず登録者も登録率も増えているということで、ここ4から5年で若干人気が上がっているのかなということがうかがえます。一方で順位も落ちていて、参加率も大きく減っている種目を見ますと、バスケットボール、2005年は5位のバスケットボール、それからその下の陸上競技、それから剣道、こちらがここ5年間ぐらいで登録者の数が大きく減っている種目と言えると思います。女子の方を見ますと10位のテニスが参加率・参加者とも一番増えておりまして、テニスの人気の高さがうかがえるかなということであります。神奈川県の公立学校のデータを見てみますと、やはり地域によって違うんだなというのがわかるんですけれども、順番が異なります。男子の順番をいいますと第1位は同じ野球、軟式野球ですね、第2位はサッカー、第3位はちょっと変わっていましてバスケットボール、それから第4位が卓球、第5位がソフトテニスということで、一応上位5種目については並び順は違いますが同じということになっています。次は女子ですけれども、第1位がソフトテニス、これは一緒ですね。それから第2位がバスケットボール、それからその次がバレーボール、次いでバドミントン、それから全体ですと6位になっている陸上競技が第5位ということになります。

続いて今度は高校の部活の方を見ていきたいと思います。こちらも生徒の数、それから加入率ということでデータを出しておりますが、一番上の緩やかに落ちていっているのが生徒数で、これは10年前と比較が出来るデータがございまして1995年と2005年の比較が出来ますが、472万人いた高校生は、2005年現在360万人、少子化というのはこうやってみるとちょっと恐ろしいなと思えてしまいます。加入率の方を見ますとちょっと原因はわからないのですが、1995年から2000年にかけては、若干加入率は低下する傾向にあったのですが、2000年を境になぜか伸びてまして現在35.1%、先ほど野川先生もご紹介いただきましたが3人に1人ぐらいの高校生が運動部に入ってるということがわかります。ちなみに同じ年の神奈川県のデータですと2005年ですと先ほど野川先生からご紹介いただいたのと若干異なるのですけど42.7%ということで神奈川県の高校運動部加入率は全国平均よりだいぶ高いということがわかります。

続きまして、今度は高校の運動部活動でどんな種目をやってるかというものを1995年から10年後の2005年ということで比較をしてみました。上位5種目を申し上げますと、男子はサッカー・バスケットボール・テニス・陸上競技・卓球という順番になっているんですが、ここで注意する必要があるのは高体連の加盟状況の資料で、中学と違い高校の場合は高野連とは別の組織になっていまして、実際部員数が一番多いのは男子では硬式野球になります。硬式野球はですね2005年現在16万5千人になっているんですが、実はこれも頻繁にニュースで取り上げられてるんですが、1995年から非常に登録者が伸びてまして、1995年14万2千人だったところが16万5千人と3万人位増えているという現状がございます。続きまして女子ですけれどもバレーボール・バスケットボール・バドミントン・ソフトテニス・そしてテニス、これは硬式テニスですね、というような順番になっています。これ10年間の変化など見ていきますと、男子なんですけれども、先程申し上げたように高野連で野球が伸びてますよというのがございまして、それ以外ですと男子3位の硬式テニス、これも少子化にもかかわらずだいぶ善戦してるなと、おそらく部の数が増えているんだと思われます。それから第5位卓球ですね。それからソフトテニス・バドミントン・弓道と、そういった種目については10年間で参加者が増えてるという現状があります。バスケットボールと陸上競技が少し減ってるなというのが見て取れます。

次に、女子で特に大きいのは、子どもが減っているにもかかわらず弓道が、ずいぶん参加率の方では頑張ってるというのがわかります。あとはバスケットボールと陸上競技とソフトテニスの減り幅が大きいというのがわかります。神奈川県のデータと比較したいんですが、神奈川県の2005年のデータですと男子は、最も多いのは全国データと同じ硬式野球、それからサッカー、次がテニスですね。それから、その次がバスケットボール・陸上競技・バドミントンと、大体似たような順位にはなっているんですが、若干テニスに人気があるかなというのがわかります。それから神奈川県の2005年のデータですと女子は、第1位がテニス、その次がバスケットボール・バドミントン、その次がバレーボールですね。そして、その次にダンスというような順番になっているんですが、こうやって中学校・高校のデータを見てみますと全国平均に比べて神奈川県では、バレーボールの人気がそれ程なくて硬式テニスを中心にテニスの人気があるというのがわかります。

こういう中学校・高校の登録ということで加入状況を見てきたわけなんですが、私たち笹川スポーツ財団の方で、実は十代を対象に全国の子どもを無作為に選びましてスポーツ実施状況をいろいろ調べた調査をしております。部活の登録状況等を見ればどんな種目を行ってるかわかるのですが、実際に運動部以外でどんなスポーツをやっているかというデータですとか、運動部に入っていても真剣に打ち込んでいる子もいればそうでない部員もいるわけで、部活等の登録のデータだけですと、本当に十代がどんなスポーツが好きで、どんなふうに取り組んでいるのかということが見えないだろうということで、全国2500人を無作為に抽出して調査を行いました。初めての調査は2001年に行いまして、2回目の調査ということで昨年2005年に行った結果を今年発表いたしました。ここからは、そのデータを紹介したいと思います。十代の運動スポーツ実施頻度ということで紹介しますと、まず2005年のデータの「実施頻度」ですが、「全然やっていない」から「週7回以上やっている」ということで並べてみました。一番左の「非実施」というのは「過去1年間に学校の体育の授業を除いて運動やスポーツをあなたはしましたか」という質問をした回答ですけれども11.7%が「過去1年間に学校の体育の授業以外では全く運動スポーツをやってない」と答えているんですね。ちょっとこれビックリなんですが、それからは「週1回未満」「週1回から2回」ということで順番に並べてますが、1番右端の「週7回以上運動スポーツをやっている」と答えた人が28.5%と3人に1人います。これ7回以上ということなんですけれども、どういう事かといいますと、たとえば同じ日にサッカーもやって野球もやったというふうになりますと、週7日間あるんですけれども、僕はスポーツ8回やりましたというカウントになっているので、7回以上という数字が出てきます。そういうかたちでご理解ください。こうやって見ますと真ん中の「週3から4回」「週4から5回」この辺がなぜか落ち込んできてるんですね。これがどういう事を現しているかというと、おそらく、ガンガンやる子とやらない子というのが二極化する傾向にあるんじゃないかということが、この図からは見て取れると思います。特に2001年だとその山がハッキリすると思うんですが、二極化傾向にあるということが見てとれます。これは体力・運動能力についても同じことが言われてるんですね。やる子はしっかりやって体力あるけれども体力が全くない子というのが増えていると思われます。それがですね、今の全国調査なんかの運動能力の低下に繋がってるんじゃないかと分析される方がいらっしゃいますが、それを裏付けるデータと言えるかと思います。続きまして、こう答えた人たちに「過去1年間にどんなスポーツをよくやりましたか」と聞いた結果がこれになります。ここでは「よくおこなった」というのを説明しなければいけないのですが、二階建てで質問をしました。最初に「あなたは過去1年間に1回以上どんな運動スポーツをしましたか」という一覧表を見せます。で、「この一覧で当てはまるものに○してください」と答えてもらうんですね。そうすると「過去1年間にボウリング行ったっけなぁ?」なんて言ってそれを見て○を付けていくのですが、そうしますと年1回以上にいろんな事みんなやってるんですね、例えば海水浴に行ったとかそういうものも入ってきます。それですと実際にどういう運動やスポーツを特によくやったかが判らないので、そういう質問をした後に「あなたが答えた中で特によくやったものを3つだけ教えてください」「それはどれぐらいの頻度でやりましたか」という二階建ての質問をした答えがこちらになるんですね。年1回以上運動やスポーツをした子ども達で、特によくやった3種目というのがここに答えられているということになります。2005年の結果ですと、サッカー・バスケットボール・野球・バレーボール・バドミントン、先程見てきました中学校・高校の男女の運動部の加入率と近いようなものが出てきていると思います。特徴的なものがあるとすれば、6位の水泳ですね。これは先程の部活にはなかったのですけれども、小学校などでスイミングスクールなどに行っていると思いますが、そういったものが反映されていると、それから8位のドッジボールですね。これなども小学生が放課後ですとか休み時間にやってる様子がわかるかと思います。それから9位・10位を見ますと筋力トレーニング・ジョギング・ランニングと、個人で健康づくりとかダイエットとかの目的でされているという様子がなんとなくわかってきます。先程のは、全体の数字だったんですけど、男女分けてみたいと思います。そうしますとやっぱり男子はサッカー・野球・バスケットボールなどが上位に、それから女子はバレーボール・バドミントン・バスケットボールが中学や高校の運動部活動の上位結果をなぞるような形になってるというのがわかります。ただこれちょっと注目したいのが、男子でサッカーが1位で野球が2位なんですね。これは中学と高校の結果を先程紹介しましたが、部員登録の数では野球の方がサッカーより多かったにもかかわらず、ここでは逆になっている。これも予想の域を出ないんですが、野球をやっている人が「ちょっと気晴らしにサッカーやろうか。」というケースはままあると思います。それは野球以外の種目でも同じだと思いますが、しかしサッカーとか他の種目をやってる人が「気晴らしに野球をやろうか。」ということはあまりないのかなと思います。そういう種目のやりやすさといいますか、そういったものが現れてるのではないかと予想されます。次に、よくやった種目というのを十代を対象に学校期別に分けてみました。小学生・中学生・高校生・大学生でどれをやっていますかという順位をつけてみました。ここでいう小学生というのは10歳から19歳で切って調査をしていますので、10歳の小学校4年生から12歳の小学校6年までで、中学校は12歳のまだ誕生日が来ていない中学校1年生からすでに誕生日を迎えた15歳の中学校3年生まで、の学校期ということになっています。本来はここに勤労者というのがありまして、いわゆる中学を卒業されて、それから高校を卒業されて学校に進まずに働きに出られている方についてもデーターを取ってるんですが、数がそれほど多くないので今回は割愛をさせていただきました。順番に見ていきますと、小学校期第1位は水泳ですね。ある意味予想出来るかなぁというのがあります。それからドッヂボールですとか、第7位に縄跳びがありますね。この辺はクラブとかそういう組織に属さずに休み時間とか放課後とかに遊んでいるのが、どんなものなのかというのがこれで見えると思います。それからだいたい中学・高校は部活に関係するものというのが入ってきているのですが、大学生になって入ってくるものとしてボーリングというものがありますね。これは、いわゆる不定期に行われるレジャー志向のスポーツというのがここでわかると思います。最後にこういった10代の青少年が「今やっている運動やスポーツも含めて、どんなことをこれから行いたいですか」というのを性別、それから学校期別に聞いたものなんですが、性別はそれほど面白くないので省きますが、下の学校期別というのを見てみますと、小学校・中学校の第2位に硬式テニスがあります。これは、中学校で硬式テニスをやってる割合は非常に少ないはずなんですけれども、そういう事を考えますと非常に硬式テニスをやりたいというニーズが小・中学生にはあるんだなぁということがわかります。まあ、あとは高校・大学は大体部活の結果等に沿ったものかなということになります。こういったニーズもふまえて地域のスポーツの環境ですとか、それから部活動が本当に今の青少年のスポーツのニーズに答えているのか。というのは、みんなで考えていかなければいけない問題なのかなと思います。私の発表はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

【パネリスト略歴】

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻修士課程修了。1998年より笹川スポーツ財団業務部調査研究課、情報課、スポーツ白書チームで、情報収集・分析・調査業務に従事し、「スポーツ白書」「諸外国におけるスポーツ振興政策についての調査研究」等を担当。現在はスポーツ団体への資金援助業務に携わる。


発表2「子どもたちを豊かに育むためにスポーツができること」

「発表2」写真

パネリスト 河原塚 達樹(財団法人日本レクリエーション協会 生涯スポーツ推進部長兼サービスセンター部長)

最初に少しビデオを見ていただきたいと思います。今、ご発表の澁谷さんのお話と若干重なる面があるのですけれども、「子どもたちの体がちょっとおかしくなってるよ」という問題を考えるヒントになるようなビデオかと思いますので、ちょっと見ていただければと思います。じゃあお願いします。このビデオは、「元気アップ親子セミナー」という文部科学省と一緒になってやっている事業のお父さんお母さんたちに見てもらうビデオです。(ビデオ上映)

今、最初のシーンを見ていただいたのですが、つまり問題はですね、子どもたちの暮らしの大きな変化なんですね。皆さん方が子ども時代、あるいは皆さん方のお孫さんの世代かもしれませんし、まあ様々かもしれませんが、昭和30年代までは、子どもたち、あるいは40年代までぐらいですかね。40年代までは子どもたちはほんとに外で遊んでたわけです。ほっといてもどこかで遊んでいた。遊びながらそれぞれの運動能力を培ってきたという、現実の暮らしがあったかと思います。ところが今、私たちの暮らしが大きく変化したことによって、今ビデオで見ていただいたような深刻な状況が生まれて来つつあるということかと思います。

若干おさらいになりますけれども、少し見ていただきますと先ほどの澁谷さんのお話にもありましたが、走・跳・投と基礎的な運動能力が基本的に落ちているということでございます。そして骨折や、それから頭や顔のケガが増えていると。今の子どもたちの肘や膝をご覧なった方いらっしゃるとよくわかると思うんですが、とてもきれいです。なぜきれいかというと転ばないからですね。転ばないのは身体能力が高いからではなくて、転ぶような遊びをしないからなんですね。そこで一度転ぶと顔や頭で受けてしまうということかと思います。そして生活習慣病が増えていると、恐ろしい話ですね。たかだか10代で糖尿病になって、残り70年抱えて生きていかなきゃいけない、とても深刻なことだと思います。私たちは、もっと真剣に受け止めなきゃいけないんじゃないかと思いますね。

そして、先程澁谷さんのご紹介にも少しありました運動量が減っている。子どもが歩きません。それは実は都市の子どもだけではなく、地方の子どもの方がはるかに歩かない。公共交通機関が発達していませんので、なにかというと車で移動します。そしてお母さんが迎えに行ってあげる。外遊びもしないというようなことですね。こういった変化、暮らしの中の変化ということに注目しないと、実はこの体力の問題というのはよく見えてこないんじゃないかなと考えています。

「だるい」、多分お子さんと付き合ったことがある方はすぐわかると思うんですが、今の子どもはすぐ「疲れた」「だるい」「やだ」って言いますよね。「なんだよ、このこらえ性の無さは」と思うんですが、多分子どもの実感なんじゃないかなという気がします。なぜなら子どもたちは眠りません。遅くまで起きています。私も地域で子どもたちと活動していまして、例えば「昨日何時に寝た?」と言うと、「1時」なんていう子がいます。小学校1年生です。恐ろしい話ですね、そして朝学校に行くわけですから、たかだか7歳でそんな暮らしをしていて、いったいどうなっちゃうんだろうという気がします。外遊びが減って、就寝時間も遅くなる。しかも遊び方が非常に片寄っているという気がしますね。室内の中で2から3人で遊んでいるような、また後ほど少し触れたいと思いますけれども、何れにしてもこうした状況・背景にして体に危機的な状況が生まれているということかと思います。先程のビデオにもありました「子どもはかぜの子、ほっとけばなんだかんだいったって子どもは遊ぶじゃないか」という認識を我々は基本的にしているわけですけれど、ところがそういう認識はちょっと甘すぎるよ、という時代になってきてしまったと思うわけですね。

例えば皆さん方、子どもたちが自由に遊ぶ場所、どこにあるとお思いでしょうか。小さな児童公園で思いっきり遊べるでしょうか。実際、安心して遊べる場所があるんでしょうか。原っぱや道路や私たちが子ども時代、無尽蔵にあった遊び場というのが本当にあるかどうかという問題、それから今の子どもたち、大人に「今何時?」ってよく聞きますね。非常にある種、大人のいうことを聞く面があってですね、お母さんに「お前何時からどこどこで習い事だよ、だから何時までね」って言われてるわけですね、とてもその事を意識しています。ですから何か活動していても必ず「今何時?」って聞きますよね。時間が無いですよね、子どもたち。そして仲間です。今の子どもたちの付き合い方・遊び方、ほぼ同学年・同クラスです。しかも気の合った2から3人の子どもたちですね。異学年、上のお兄ちゃん・お姉ちゃんと出会ってそこから遊びながら何かを学ぶ、そういう体験がすごく不足しているような気がします。この話、ちょっと先走って申し上げましたけれども、要は同学年・同クラス、室内で2から3人で。しかもですね、同じ室内にいて1人の子は漫画を読んでるんですね、1人の子はテレビゲームをやっています。で、しばらく飽きるとまたおしゃべりをして、というような遊び方をしています。共感するとか、達成感を得るとかですね、共に、そして本当に一体になったっていう感じとか、あるいは「負けるもんか」とかですね、「自分自身もっと頑張んなきゃ」というようなのは全く無縁の世界で、遊びの世界を過ごしている。そういう子どもたちがそのままどんどん大きくなっていくような状況なんではないかなと考えているわけです。それが実はその心の危機の問題にもつながってきている。「意欲がないよ」とかですね、「わかんない」とすぐ言うとか、「教えて」って聞きますね。今の子ほんとに、「どうしたらいいの・教えて・やって」自分でなにクソと思って、じゃこうやって工夫していこうという、遊びながら培う創造力の様なものがほんとに不足してるんじゃないかな。「キレる」という言葉がありますが、すぐ怒ります「もうやんない・いい」というような子どもとか、人と交わる事、社会性というのがあまりにも乏しいんじゃないかというようなこととか、ともかく日頃いらいら、いらいらしている。まぁ、ストレスの増加ですか。ストレスというのは、昔は大人に対して言う言葉でしたが、実は今の子どもが深刻な問題として抱えてきてしまっているということかと思います。遊びとかスポーツというのが、何が出来るかという問題なんですね。

こういう今の子どもたちの暮らしぶりを私たちが深く受け止めること。その事によってじゃあスポーツを通じて出来ること、私はレクリエーションの組織で働いてますから、遊びというふうに広く考えたいわけですけれども、育むものというのは大変大きくあるんじゃないだろうかなと思うわけです。一つのルールを理解する事だって頭をすごく働かすことなんですね。勉強と体を動かすことは、別物だというのは大きな間違いでありまして、優秀なサッカー選手などは如何にイマジネーションがあるかとか、頭を働かすかということをよく言われますけれども、知性というのは、実はスポーツの世界でも鍛えられていくんだということかと思います。そして思いやり・協調性、特にチームスポーツになれば一人が勝手に動いて物事が上手くいくということはほとんどあり得ないわけで、如何に配慮しつつ全体でゴールに向かって、より良いパフォーマンスをしていくかという事を無意識に考えざるを得ないという体系になっているわけですよね。その事をもっともっと私たちは考えるべきだし、その効果ということに注目すべきなんではないかなと思っているわけです。

そして体の問題でいえば、とにかく体を動かすこと、ということかと思います。ただ一方で、その弊害としてかなり前から指摘されていた面もあるかと思いますが、小さな頃から一つの種目だけを激しくやることによって、逆に体の健やかな成長を阻害するという問題もあろうかと思います。子どもたちの発育・発達ということをふまえた指導ということが非常に問われてきている時代かと思います。その点もしっかりと指導者としてはふまえなければならない問題かと思いますが、いずれにしましてもスポーツ・遊びが育むものということをもっと我々はしっかり意識してスポーツ指導に臨んでいくべきなんじゃないかなと思うわけです。つまり、子どもたちを豊かに育むために、実はスポーツが出来ることというのは大変基本的な3つの要素があるんだということですね。このことを意識して是非スポーツ関係者は、指導普及に臨んでいただくことが大事なんじゃないかなと考えているわけです。以上で、私からの発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。

【パネリスト略歴】

明治学院大学社会学部社会学科卒業。1981年(財)日本レクリエーション協会に入局。月刊RECの編集にたずさわり、1990年4月より月刊REC編集長。2006年4月より現職。社団法人日本環境教育フォーラム理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、財団法人日本ボールルームダンス連盟評議員。


発表3「県内中・高校生の競技スポーツの動向」

「発表3」写真

パネリスト 倉田 昭人(神奈川新聞社編集局運動部長)

よろしくお願いします。松坂選手の話は後でさせていただこうと思っています。私たちの神奈川新聞運動部は、すぐ近くにあるんですけれども、運動部というのは、簡単に説明させていただくと現状、私を含めて10人なんです。

神奈川県にはプロ野球・プロサッカーチームが5つございます。多分ご存じだと思いますけれども、横浜ベイスターズというプロ野球チームと、横浜マリノスというプロサッカーチームと、あとJリーグの川崎フロンターレというチームと、横浜FCというチームと、それから湘南の方で頑張っている湘南ベルマーレというチームがありまして、それぞれに担当記者を付けております。もちろん今日のテーマであります中学生・高校生の競技に関してはですね、中体連・高体連の専門部のある競技は全てその10人でまかなっております。そこでいつも思うのは、まず記者として育てられるのは、そこでの指導者との出会いであったり、選手との出会いであったり、先程松坂選手の話もありましたけれども、そういうところで記者としても日々育てられております。それが運動部の記者の醍醐味でもありますので、今日の導入として話させていただきました。

中学・高校のスポーツなんですが、大きなものは中学生の場合は県内で申しますと、7月下旬にあります中学総合体育大会、高校の場合でいいますと5月のゴールデンウイークの周辺にありますインターハイの予選、いわゆる県高校総体、この2つがだいたい中学生と高校生の、まあ中体連・高体連の主催する大会では一番大きいのかなと思います。そこでいろんな選手と会うんですけれども、一般論として先程お二人が、「子どもの体力は落ちている」と、もちろんそれに全然異論を唱えるつもりは全くございませんけれども、ただ私たちが日々会っている、取材の対象にしている子どもたちは、各大会の上位入賞者。新聞記事にする場合ですね、その子たちの技術だとか体力が落ちてるかというと先程の話とは全く逆で申し訳ないんですけれども、20年前に比べると、かなり記録も伸びてますし、体も大きくなってますし、それはトップレベルだからということかもしれませんけれども、比べるところがそれしか無いもので簡単に比べさせていただきたいと思います。

まず代表的な競技として陸上競技があるんですが、その中に中学通信大会というのがあるんですけれども、100mの優勝タイム、これが1986年、20年前ですね。男子が11秒2、女子が12秒7でした。今年同じ大会で、男子が11秒3、女子が12秒6、ほぼ変わってないんですよ。ちょっと良くなっていると。あまりここでは差が見られなかったんですけれども、いろいろなものを今回のこのために調べたんですが、一番差が出てたのは水泳でございました。その水泳の進歩の度合いは顕著に出ました。県中学総体の男子100m自由形の優勝タイムが、20年前が58秒67、今年は53秒63、約5秒縮まっております。女子も同様で同じ100m自由形で、20年前の62秒99から59秒94に進歩しました。高校は陸上の100mこそあまり20年前と差はなかったんですが、水泳は56秒89から52秒93、女子も63秒66から57秒87と、これは自由形だけの比較なんですけれども、全体にもっと比べますと男子よりも女子の記録の伸びが非常に顕著に表れているという数字的な結果が出ました。他にいろいろと体力的にトップアスリートになるとあると思うのですが、もう一つ大事な条件として、道具ですね。スパイクだとかウエアー、体力面だけではなくてそういうものの進歩が非常に早いというのがあります。特に先ほど比べた水泳なんですけれども、この間引退を表明しましたイアン・ソープ選手が着てたので一躍有名になったスイムウエアー。あれは多分20年前は「なんだこんなの」という感じで誰も着なかったと思うんですけれども、あれが発明されたことによって水の抵抗が少なくなる。ああいうものはすぐに中学生だとか高校生も導入します。そうするとやはり中学の大会でも高校の大会でも記録は確実に伸びます。同じ練習をしていても、その力を借りて伸びる事ってたくさんあるというふうに私たちは、取材の現場であらためて知りました。もう一つウエイトトレーニングですね、先程あまり小さな時からガンガンやるなというお話があったんですけれども、確かにバランス良く鍛えなければいけない。

20年前の指導者が、中学生に「こういう練習をしとけばいいんだ」と言って、それだけやっていてもある程度の記録は出せたんですが、今の中学生はいろんな所でいろんな情報を得てますので、「この筋肉を鍛えるとこういう強さが出るんだよ。この競技にはこの筋肉が必要なんだよ。だからこのウエイトトレーニングをやりなさいよ。」というふうに指導者が説明してあげないと、選手は納得して練習をしない。それは悪いことでは決してないと思いますね。子どもたちを納得させたうえでトレーニングをさせている。こういう指導者の学校・クラブは必ず団体競技であれば強くなるし、個人の競技であれば個々のメニューを必ず出して、A君とB君とC君は同じ陸上部だから、「このメニューでやりなよ」というんじゃなくて、A君用・B君用・C君用という必ず違ったメニューを出してる先生がいる学校は、必ず結果が出てますし、ケガも少ないです。それはデータがあるわけではないんですけれども、感覚的にそういうふうに思っております。個々のメニューを出せるか出せないかというのは、指導者のこれまでの蓄積だとか、経験があるか無いかの違いだと思うんですけれども、やっぱり今、指導者不足という事を言われて、なかなか先生の方も、たとえば自分がやってなくても陸上の顧問をさせられちゃったとか、そういう現場の声を非常に聞くわけです。ただ、同じ全然経験のない先生でも、たとえば陸上競技を一生懸命勉強して、紙で見て生徒に教えようとする先生と、「まぁ顧問になっちゃったからしょうがないなぁ、6時までつき合ってやろうかな、ケガしなければいいな」という先生の学校にいったら、当然子どもたちのやる気は出てくる学校と出てこない学校があります。優勝者しか私たちは取材をしないと先程言いましたけれども、グラウンドに行けば目が生き生きしている学校と目があんまり良くないなという学校は必ずわかります。なぜかというとスタートラインは多分子どもは同じだったという様に私は思ってるんですが、その指導方法の違いによって、子どもの中学校・高校の3年間が全然違ったものになってしまう、これは非常に悲しいなと現場では思っております。

もう一つ20年前とはちょっと違ったのはですね、優勝者に今日の結果「勝因は何かな」って聞きますね。そうすると返ってくる答えが似てるんですけれどもちょっと違うんですね。20年前は「練習どおり出来ました」と言うんです。で、近頃は「イメージどおり出来ました」。この違いは似てるようで全然違うと思うんですよね。練習どおりというのは昔僕らも野球をやっていたんですが、その練習をしたとおりのプレーが出来たという様に思っていた。イメージどおりなんていう言葉が頭の中にもイメージされなかったんです。今の子たちはイメージトレーニングというのをいっぱいやってるんですね。中学生でも自分のいい時のプレー、自分のいい時の泳ぎ方・走り方・投げ方をたくさん知っている。こういうビデオもあるし。昔は無かったですよね。先生に言われるままやってただけですから、その言葉の違いもあるし、だから「イメージどおり出来ました」ということを、そのまま原稿に書いてくる若い記者がいますが、それは通用しないんです。「イメージどおり出来ました」というのが非常に多くなったということは、20年間で指導者が子どもを教える中でそういうトレーニングをたくさん積んできているのかなというふうに実感しております。

それから、昔から「日本選手はプレッシャーに弱い」という事を言われてきて、まあオリンピックでもそうですし、中学校・高校でも自分の力を出し切れないというのは大勢いたと思うんですけれども、先程のイメージを膨らませることによって、今の子どもたちは有言実行の子が非常に増えています。虚勢ではなくて、力のある子どもたちは言ったらやりますから。この辺は非常に精神的にも逞しくなってきたなと、現場としては感じております。

今日の未明ですかカタールのドーハでアジア大会が終わったんですけれども、日本は金メダル10個を含む198個のメダルを獲得しました。その中には私が高校生の頃取材した、この間神奈川新聞にも出したんですけれども、県庁の星ということで女子空手の諸岡選手が金メダルを取りました。彼女は清泉女学院高校という県内の高校なんですけれども、1年生の時に私取材しました。小柄で、かわいくて、どんな子かなと話を聞くとその当時から皆さんが今こちらを見ているとおり真っ直ぐな目でハキハキと答えて、「私は空手が好きです。これで頑張りたいです」という事を言ってました。私は、注目してたんですけれども、彼女が大学行って、大学の職員になってあまり練習できなくなって、県庁の職員になったら急に優勝したと。県庁っていい所なんだなと私は思いましたけれども、ただ彼女の場合は目がやっぱりすごかった。松坂君も、先程ありましたが同じでした。やっぱり生き生きしていました目が。自分で考えて練習していました。そういう子たちに会えるのが私たちの商売のいい所なんですけれども、いろいろと、とりとめのない事を言い、申し訳ないんですが、20年近く記者をやってるんですけれども、中学校・高校のスポーツの中で一番大事だというのは、先程先生の違いとか生意気なこと言いましたが、やっぱり選手と指導者が2人3脚で同じ目標に向かっていっているチーム・選手は、必ず結果が出ていますね。その2人3脚の足並みが乱れてしまうと、指導者は選手を叱ったり選手は指導者に不信感を持ったりすることがあります。プラス話し合い。一番大事なのは同じ目標タイム、同じ結果を求めた時にいろんな話し合いができる間柄をつくっていただける、中学校にしても高校にしてもですね。そんな選手がいれば、今いっぱい、いじめだとか不登校だとかありますけれども、私が取材している相手は当然スポーツをやっている相手ですからいないんですけれども、中学生・高校生の目があの子たちの目のようになってもらえたらいいなというふうに思って、いつも取材をしております。

これからもその取材は続けたいと思います。後でご質問があれば松坂君のことは取っておきますので、ご質問があれば答えたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

【パネリスト略歴】

日本体育大学体育学部卒業。1989年神奈川新聞入社。主な取材として1998年世界陸上東京大会、長野冬季五輪、横浜高校春夏甲子園連覇、横浜ベイスターズ優勝、2000年サッカー欧州選手権(オランダ、ベルギー)等がある。報道部では県警、司法のデスクを担当。2005年9月より現職。


発表4「総合型地域スポーツクラブによる地域コミュニティー」

「発表4」写真

パネリスト 菊地 正(NPO法人高津総合型スポーツクラブSELF 副理事長兼クラブマネージャー)

皆さんこんにちは。ご紹介いただきました、高津総合型スポーツクラブSELFの菊地と申します。よろしくお願いいたします。今までのお話とは変わりまして、私は一総合型スポーツクラブでございますけれども、SELFの今までの設立の経緯ですとか、苦労話ですとか、向かっているところだとかを少しお話しさせていただきまして、是非皆さんの地域にも総合型が設立されるといいなと思っておりますので、そんなことをお持ち帰りいただければいいかなと思っております。

まずSELFという名前ですけれども、まさしく、ガソリンスタンドに今よくSELFとありますが、ガソリンスタンドをやっているわけじゃなくて、自分自身でみんなが参加して自分たちで創り上げるクラブという思いを込めましてSELFという名前を作りました。スポーツ・エンジョイ・ライフ・フレンドリーというS・E・L・Fということで、スポーツを通してみんなで仲間になって楽しい思いをして健康になろうということでございます。基本理念が、人づくり、町づくり、健康づくり、仲間づくりということです。今日のスポーツという課題ですけれども、もちろん総合型スポーツクラブですからスポーツをテーマとした活動を中心に行っておりますが、どちらかといいますと私どものクラブは、この最後の仲間づくりというところに大変力を入れております。人と人が触れ合って小さいお子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで一緒に共通の趣味を持って仲間をつくり、楽しいクラブライフを楽しんでもらおうじゃないかということを重んじてクラブづくりをしております。

クラブの概要は時間が余り無いんで簡単にご説明しますけれども、ここからそう遠くはないですね。溝の口という場所をご存じかと思いますが、高津区の久本というところにあります川崎市立高津中学校を中心にいたしまして、体育館・校庭・武道室というところをお借りして、施設開放の一団体として活動しております。この高津中学校区には6万2千人という人口、2万9千所帯という方々が住んでらっしゃいます。クラブは理事長・副理事長・以下理事・利用会員さんで、今のところ350名の会員で構成されております。設立までの経緯でございますが、2003年、約3年前に設立準備委員会を発足いたしまして、その後2年間にわたりまして日本体育協会の指定クラブということで、育成のための資金をいただきまして2年間準備をして参りました。今年の2月に正式に設立したばかりでございます。とはいうものの3年強、この間準備を含めて活動を続けております。同時に3月にこのNPO法人を取得いたしまして、4月には川崎市の高津スポーツセンターという大変立派なスポーツ施設でございますが、体育館・武道室等々の指定管理者として、指定管理を受託しております。また同時に地域の団体ということで、川崎市は初めて今年から学校の安全管理業務というのを地域に委託しました。これは一言で言いますと用務員業務でございます。昼間の業務それから夜間、土曜日・日曜日・休業日の学校の安全管理を私どもが受託してやっております。先程申し上げましたけれども住民主体のクラブづくりということで、もちろん県の教育委員会・体育協会さんはじめ川崎市の教育委員会等々行政の方には大変お世話になっていますが、あくまでも地域のみんながやろうじゃないか、という気持が一つになって創り上げたクラブだと思っております。この総合型スポーツクラブは、ご承知の方たくさん今日もおいでかと思いますけれども、今、野川先生のお話にありました二千数百のクラブが既に立ち上がっておりますが、極端にいいますと二千何種類のクラブではないかなと思っています。一つ一つが地域・集まった人・行政、いろんな条件によって全部違うクラブという事で私は認識しております。その中でSELFはどちらかというと住民が主体で、先程申し上げました人づくり・コミュニケーションづくりのためのクラブというのが特徴かなと思っています。

もともと川崎市には、地域教育会議という学校を中心としました地域と学校と子どもたち、そして家庭を結ぶ教育会議がございまして、私自身も子どもが小学校の時から地元の小学校・中学校にお世話になり、PTAの会長をやったりしておりまして、この地域教育会議の議長を8年ぐらいやっておりました。様々な地域の問題を学校と共に、地域の皆さんと共に問題定義をして解決していくという、8年間でやはり色々なスポーツ団体も、それから地域活動団体も大変活発に活動している団体はたくさんあるんですけれども、それが一つになって核となる、簡単に言うとスペースですとか、組織ですとか、中心になる人物ですとか、そういったことがなかなかどこの活動団体を見てもない。「是非学校の中に、できれば学校の中にそういったスペースを作っていただいて、みんながそこに集まってワイワイ楽しくいろんな話が出来るスペースがあるといいなあ」なんていうことを地域教育会議で話しておりました。総合型地域スポーツクラブの話がありまして、クラブハウスが出来るんじゃないかということで、このクラブハウスが核となって、是非この辺の活動が盛んになっていくだろうなぁということで、この地域教育会議が中心になって総合型地域スポーツクラブの設立準備委員会がスタートしたことで、もちろん皆さんの地域にもたくさんいらっしゃいます体育指導委員会の皆さんやPTAの皆さんが中心になりこの準備を始めました。また、もちろん欠かしてはならないのが町内会・自治会の皆さん方だと思います。ここに行政の様々な、先程申し上げました2年間の日本体育協会からの設立準備の資金ですとか、そういった行政からの後押しがありまして、あくまでも地域の皆さんがこのクラブを引っ張り上げていってくれたというような図が出来上がるのかなと思っています。

現在のSELFの組織図でございますが、特別・特徴的なものはございませんが、大きく分けて2つの組織に分かれております。実際、会員をもって毎日毎日活動をしているSELFという組織と、それから先程ちょっとお話ししました指定管理者として事業を行っている事業部というように、2つ組織を明確に分けてございます。クラブの発足に当たっての問題点というのは、今お話しした中にもいくつか出てまいりましたが、やはりよく人・物・カネという様に言われますが、人は元々地域教育会議を中心に、「3人のバカがいるといろんな事が出来るねぇ」なんて言うんですけれども、うちは幸いにも5人ぐらいのバカがいて地域教育会議を中心に人が集まってきた。体育指導委員さんが25名ぐらい手を挙げていただいてメンバーに入ってきてくれたということで、人・物・カネのうち、人はそれで集まった。次に、活動場所というのが大変問題になるわけですけれども、先程申し上げました高津中学校の学校施設開放の一団体として、現在も活動を行っております。どちらの学校も学校施設開放は150%・200%の利用率で隙が無いというのが現状でございますけれども、これもやはり地域の皆さんとよく話をして、今まで1面・2面を全部使っていた団体さんを1面ずつ2団体で使っていただくとか、4時間使っていたところを2時間で集中して練習をしていただくとか、いろんな話し合いをして現在のスペースを空けていただいたという、まあこれにはやはり2年近くお話し合いをさせていただいたという状況がございます。

現在は体育館を週に3回・グラウンドを週に3回・武道室を週に3回ということで、月曜日から土曜日まで夜7時から9時まで一部、日中のプログラムを含めまして毎日約17種目の競技をもって活動しております。学校の近隣の様子ですけれども、この溝の口というところは駅も綺麗になりまして、学校のすぐ横にこんな100Mのマンションが11月に入居が始まりました。真ん前に県のサイエンスパークという立派な施設、ともかくマンションだらけで、私がPTAをやっていたころは、小学校1年生1クラスなんて時代があったんですが、今年はこの100Mマンションができまして5クラスぐらいに増えるようで、教室が足らなくなってきているというような状況で、完全に首都圏型のエリアでございます。クラブハウスの様子でございますが学校の体育館等の一部、木工室・金工室という部屋が1階と2階にございました。木工・金工が選択授業ということで、あまり授業がないということで校長先生と教育委員会の方で1階の木工室をクラブハウスとしてお貸しいただけるということで、教室一つ半分ぐらいのスペースをクラブハウスとして活用させていただいております。体育館では高齢者向けの太極拳ですとか3B体操、子どもたちのニュースポーツとかですね、外国人の方もたくさん会員になっていただいております。卓球・バドミントン。そしてフラッグフットボールというのが新しく種目になりまして、来年の11月に川崎市でアメリカンフットボールのワールドカップが元川崎球場で開催されます。今、フラッグフットボールというアメリカンフットボールの子ども版なんですが、「フラッグを腰に付けましてそのフラッグを取ったらそこでストップ」というようなたいへん頭と体力を使う面白いスポーツでSELFもこのチームを作りまして、小学生はなんと川崎市で優勝させてもらい、この間、関東大会にいって早稲田に1回戦で負けてきましたけれども、今あちこちでやっているようでございます。SELFもこれに力を入れています。

後はやはり大事なのが、先程申し上げましたがコミュニケーションという部分でイベントの存在だと思います。なかなかスポーツというのは、やはり毎日毎日一週間、我々としては毎日来ていただきたいんですけれども、なかなか毎日来れない、あるいはいろんな競技に参加してもらいたいんですけれども、どうしてもバドミントンやりたい人はバドミントンをやるというような単一的な選択が多いようです。そこで大事なのがやはりイベントかなというふうに思っていまして、年に2回ウォーキングですとかハイキング、あるいはこれはこの間県の方で主催してもらいましたカヌー教室とか、こういったものに参加させていただいたりしております。後は、子どもたちの誕生パーティーとかケーキ作りなどです。

ここは話がダブりますが、先程申し上げましたが体育指導委員さんがスタッフで約25名、PTA関係者・地域の住民の方、その他ということで構成されております。現在は、当初550名の会員さんが居りましたけれども、今年の2月26日に設立を正式にしまして、会費を年会費制度にしたり、今まで入会したけどなかなか来れなかったという会員の皆さんもいらっしゃいましたので数字を整理したところ一応200人というふうに会員さんが減りました。まあこれは想像してたところで、もう一度仕切り直しということで会員さんを再登録し、整理させていただきました。その結果の200名ということですが、その後10月までにまた150人の方が増えて、現在は355名ぐらいの会員さんと聞いております。年齢別に見ますと小学生・中学生が圧倒的に多くて、正会員である大人の方がその両方を足したのと同じくらい。この正会員・一般会員というのがあるんですけれども、正会員というのはあくまでもNPO法人でございますので、我々のスタッフとして会員になっていただいているメンバーです。一般会員というのはご利用いただいている会員、それと幼児・高齢者・障害者の方というふうになっております。

そしてクラブを運営していく財源なんですけれども、なかなかどちらのクラブも皆さん財源が厳しい状況の中で、我々も会費が月額1000円・500円、年一括払いですと8000円・4000円というような会費を徴収しております。この350人の会員の方の会費だけではやはり年間で4百万ぐらいというようなことでございまして、なかなか消耗品程度の財源しかないということで、今年の春から指定管理者・あるいは学校管理というような事業を取り入れて参っております。ただこれは事業をやることによって資金的な補助がクラブにできるということも一部もちろんございますけれども、それは大きなものではなくて、やはり人材の確保ということが大変多いと思います。こういった外の事業をいただくことによって給料を確保して、人を確保して、その指導者の皆さんに基本的にはボランティアで総合型の運営に携わっていただくというようなことで考えておりますので、クラブの方にはほとんど人件費がかからない、あるいは指導者費がかからないというようなことで、これが結果的には大きな財源になっているのかなと思います。

前後しましたが、このような形で大人1000円・子ども500円、高齢者の方・障害者の方500円、それを年会費にしますと8000円と4000円ということで、現在は年会費で会員になっている方が圧倒的に多いという状況です。

今後の課題といたしましては、大変問題なんですけれども、場所の確保と同じようにどうしても学校開放ということで、夜の7時から9時が活動時間になっておりますので、前後の子どもたちのクラブに参加する帰宅時の安全確保の問題等々を抱えております。もちろん保護者の皆さんの協力をいただいて今活動しているわけです。今350名、これは500名ぐらいまでのキャパシティーはあるのかなと思いますけれども、これがもっと増えますと場所がなかなか足りなくなるということです。指導者の確保それから地域企業の参加ということが必要になってくるかなと思っています。

時間が無くなりましたので指定管理者の話がこの後ございますけれども、皆さんの地域でもこの指定管理者、外部事業を受託することによって総合型の生きる道というのはたくさん出てくると思いますけれども、まあ指定管理者というのは当然事業・仕事でございますので、安易に受けられるものではないかなと思います。いろんな形の指定管理、あるいは地域の事業の管理・委託というのがあると思いますので、こんな事をやりながら我々も今SELFの活動を進めているとこでございます。先程申し上げました、あくまでもこの真ん中にあります人材を確保するという意味で管理者、あるいは学校の業務委託等々をいただいてやっているというところでございます。

簡単な説明でご理解いただけないところもたくさんあったと思いますけれども、このクラブが将来的にはやはり地域の若い人達が育って、またこのクラブを次に担っていただく人材が確保出来るような社会的な地位が持てるようなクラブに成長していくことを我々目標として頑張っております。

以上でございます。ありがとうございました。

【パネリスト略歴】

川崎市立久本小学校・高津中学校PTA会長・高津中学校区地域教育会議議長など、地域活動に長く参加。現在は、川崎市スポーツ振興審議会副会長、川崎市総合型地域スポーツクラブ育成連絡協議会副会長、指定管理川崎市高津スポーツセンター副館長等を務める。小学校より29歳までアイスホッケー競技で国体、インターハイ、インカレ、全日本選手権大会等出場。


【ディスカッション】

「ディスカッション」写真

(野川)

パネルディスカッションという形になりますので、できるだけ最初は皆様方のご質問にお答えして、その後に2から3点ぐらいに絞りましてパネリストの方のご意見を伺い、パネリスト同士の議論等を踏まえながら進めたいと思っております。

ご質問を3ついただきました。ありがとうございました。まず1番目でございますが、総合型地域スポーツクラブについて高津SELFに伺いたい事があると、逗子市の方からのご質問なのですが、こちらは具体的なご質問がございますか。お願いいたします。

(会場参加者)質問抜粋

  • なぜ総合型地域スポーツクラブを作らなくてはいけないのか。どのように設立をしていけばよいのか。「こうしたらうまくいく」などの妙案があれば教えて欲しい。また設立をした時の苦労話などを聞かせて欲しい。
  • 財政面はどうなっているのか。
  • 活動場所はどのように確保しているのか。高津中学校1箇所だけなのか。部活動との関わりはどうなっているのか。

(野川)

かいつまんだ形になってしまうかも知れないですが、菊地さんの方から宜しくお願いいたします。

(菊地)

こうやっていくと上手くいくというのは、なかなかありません。今日、会場に設立準備をしている、他の市町村の方もお見えで、顔馴染みの方もいらっしゃいますが、県にも、我々各クラブにもそういう質問が出ます。ですが、解決論がなかなかありません。そういったことで、私が「こうしたら上手くいきますよ」なんて話は全く申し上げられないのですが、最初に申し上げましたように、一つ一つの地域によってクラブがみんな違うということです。体育指導員の方が会長までガッチリ入られて、しっかりした組織にして、大勢の会員さんを集めようという目標を持ってやられるクラブもあります。どちらかというと高津は、350人の会員で指定管理まで取れるようになりましたが、最初は本当に我々体育指導員の仲間が20人から25人集まって、一人千円ずつ払って自分達が会員になって、月に二万円ぐらいのお金があるから、それで何をやろうかという所から始まりました。体育指導委員長も我々の仲間に入っていただいています。ただこれは、誤解のないように聞いていただきたいのですが、我々の考え方としては、組織として入るのではなく、皆さんが個人として入っていただいている。体育指導委員長として入られるのではなくて、なになにさんという立場で入っていただいています。町会や、自治会あるいは行政、体育指導員といった、組織を背負ってこられると、その組織の都合や事情が入ってきて、それらのために合意に至らないという所がたくさんあると思います。我々は最初からそれを想定したわけではないのですが、たまたまみんなが個人で集まって、千円の会費を払った中でスタートを切ったものですから、そこは苦労せずにスタートしたというのが、現状でございます。「こうしたら上手くいきますよ」なんていうのは、なかなか私もアイデアもノウハウもないのですが、今までのそれぞれの組織の活動とはやっぱり変わっていかなければいけないということが言えると思います。先程申し上げました、行政や体育指導員の方々のご意見もたくさんいただくのですが、高津SELFにおいてはどなたでも自由に参加していただける、そしてやはり子育ての為、子どもたちの健全育成、体力増進という事を中心に、自分たちで地域が作りあげていくという事を重んじているものですから、最終的には我々で決めていくようにしております。

次にエリアに関しては、ご指摘の通り高津中学校だけではありません。ただ高津中学校は、大変恵まれた地域にございまして、高津中学校と久本小学校と高津高校が同じ敷地にございます。大変環境の良い所でございます。防球ネットを挟んだだけで、塀がないという所です。それぞれの施設開放、それから隣の東高津中学校と、2中学校、1小学校、1高校の、施設開放の管理を私どもがさせていただいて、皆さんと話し合いながら、その4つの学校のスペースを借りさせていただいています。

それと先程の話でありましたが、私どもが知っている限りで、高津スポーツセンターという所の指定管理をしておりますけれども、今のお話で大変羨ましいなと思ったのですが、こういった公共のスポーツセンターが、定休日でも一日でも貸していただけるというのが、これは行政の大変な計らいだと思います。

我々も是非ですね、この高津スポーツセンターを使いたいと思っているのですが、さまざまな条例上の問題がございまして、一民間の団体ですから、使えないというのが現状で、逆に中学校、小学校を使わせていただいているという所でございます。

(野川)

どうもありがとうございます。人気種目は何か?どれがこれから流行るか?どういう人たちが住んでいるか?その辺の所は、マーケティング的な話になってくるエキスかも知れませんから、みんなの前で話せないかも知れない。そういう事もございます。

それでは続いてもう一つ総合型クラブの方で、上級指導者の確保を今後課題としていますけれども、日本体育協会公認指導者との関わり方、それから、体育指導委員の方がスタッフ内に25名いるとのこと、この方は指導資格を持っている人でしょうか。例えば、スポーツ指導者の資格を持ち、対象種目のトレーニングを受けているのかというご質問ですが、その辺はいかがでしょうか?

(菊地)

現在、体育指導委員に所属しながら参加しているメンバーの方で、上級指導資格をもっている方はいらっしゃいません。ただ、先程のご質問にありましたが、プログラムにいろんなものがございまして、子どもたちのニュースポーツや、子どもたちのゴルフといった種目もございまして、その辺には専門資格を持っているものがいますが、日体協の上級指導者として指導者を派遣していただいている種目はまだありません。市のレベルでは、レクリエーション協会などに指導者を派遣していただいたり、イベントの時に元アジア大会の陸上のメダリストですとか、そういった方を招いて指導していただくというケースはあるのですが、常駐の指導者としては残念ながらおりません。

(野川)

ないというようなことですね。レクリエーションでちょっと話が出たのですが、河原塚さんの方は、これまで全国的な規模でいろいろ見られたと思うのですけれど、レクリエーション関係の場合、指導者資格に関してはどのようになっているのでしょうか。

(河原塚)

私どもレクリエーションでは関連資格というのが6つあります。レクリエーションコーディネーターという資格がありまして、社会体育指導者、日体協のスポーツ指導者と同じカテゴリーの中で、平成17年度までは文部科学大臣の事業認定を取っていました。その他に、レクリエーションインストラクターという、この人たちがベースとなっていて一番人材として多いのですが、コーディネーターが九千人弱でインストラクターが十万人超える位います。さらに、福祉レクリエーションワーカーという、高齢者福祉を中心にした福祉分野の指導者として活動する専門資格。それから、余暇生活開発士、余暇生活相談員という、若干切り口が違うのですが、例えば、2007年問題で言われていますように、定年退職された方々が、膨大にある自由時間をどう豊かに過ごしていくか、そのお手伝いをするなどといった、余暇という切り口で様々な支援をする人材等。もう一つグループレクワーカーという資格もあるのですけれども、いずれにしても、資格制度では6つの資格がございます。

(野川)

レクリエーション関係で資格をもってらっしゃる方というのは、総合型地域スポーツクラブには、非常にフィットしているとは思いますね。その辺も今後どのように、その人たちとコンタクトしながら協力してもらうか、という所があるのではないかなと思います。

もう一つのご質問でございます。『昔、民間で働いていました時、経営者に言われたことがあります。「相撲取りは勝ってなんぼ。人格者かどうかは関係ない。会社はもうけてなんぼ。人が良くてどうする。アクが強くて結構。」というふうに言われたと。そうしたら、指導者として組織を束ねる時、部下がついてこないのではといつも疑問に思っていました。いろいろな団体のリーダーの実態はいかがなのでしょうか?』という非常に意味深な質問でございますので、まず、倉田さんの方からお願いできますか。

(倉田)

難しい質問ですね。先程ここでしゃべった時に、松坂君の話が出たのですけれども、彼は横浜高校の出身で、教員指導者は渡辺監督という指導者、有名な監督さんがいました。今の質問にあたっているかどうかわかりませんが、渡辺監督は24歳から監督をやっていますが、当時は当然選手に対して厳しく接してきた。当然自分が100%正しくて、選手は100%間違っているという教え方をしてきた。で1回優勝した。次に勝てない自分が出てきた。「どうして勝てないのかな?」というふうに考えて、今の世の中が変わっているように、選手の気質も変わってきている。それを納得させるには、どうしたら良いのかと言ったら、自分が変わらなければいけない。昔はこれで通じたけれど、今は通じないという事がたくさんあって、高校野球でもそうらしいですね。監督が何をしたかというと、選手に対してメールを送る。携帯にですね。62歳の監督が、選手に高校生にメールを送るのです。しゃべらないことがたくさん、百何人もいると一人一人と時間がなかなか取れずしゃべれない。すると一人一人にメールを送る。そうやってコンタクトを取っていく。その中の一人が松坂選手でした。ですから、指導者というのは気配りが大事だなというふうに、その話を聞いた時に思ったのですけれど、企業は、高校生とは違いますが、やっぱり、僕らも話をして変わらない時には、会ってやらなくてはいけないのではないかなというふうにその話を聞いて非常に痛感しました。

(野川)

澁谷さんの方は、ご自身がまとめられたスポーツ白書ですよね。私もこれを書け書けとだいぶ激励されて、尻を叩かれたのですが、澁谷さんの場合はいろいろなスポーツの方とコンタクトがあると思うのですが、同じ質問で、最近の指導者はこういうふうに変わってきているようになってきたのか、あるいは変わっていないのか?その辺はいかがでしょうか。

(澁谷)

いろいろあると思うのですが、少なくとも総合型地域スポーツクラブにからめてお話しますと、クラブのプログラムですごく人気のあるプログラムの指導者というのは、まず指導力の面、それから人との接し方の面とかで、従来型の一方的に教えるというだけの指導者でないという現状を、いろいろな所で見て来ました。総合型の先駆けで、戸畑コミスポという北九州のクラブの事例をご紹介したいのですが、バトミントンの教室をやっていて、バトミントンの先生をされているのは、元々学校の先生でバトミントン部の顧問をされた方が、リタイアされて指導にあたっています。その指導力に大変定評があるということで、かなり遠くからも教えを請いに、たくさんの方が参加されています。実際にその方の指導も拝見し、お話も伺ったのですが、まず技術を教える上手さ、それから人に接する接し方、そういう部分に非常に魅力を感じました。他に私どもで、スポーツエイドという助成金事業をやっている関係で、いろいろなスポーツクラブの方とも、お付き合いをさせていただいているのですが、総合型のクラブの中で売りになっているプログラムの指導者にはそういう共通な部分があると感じております。

(野川)

ありがとうございます。順天堂大学では、鹿島君と富田君という体操で金メダルを取ったのがいます。彼らは大学院に行きながらセントラルスポーツという形で、大学院で練習していたのですが、その大学の監督が全日本の監督で、この間のアテネオリンピックに行きました。彼らがメダルを取った時、「彼らが小さい時に英才教育ができたため、これが金メダルの秘訣だ」というふうにマスコミで大々的に言われていたのですが、私から見ますとちょっと違うなと。いわゆる高校生の金の卵が大学にいっぱい入ってきます。高校生の金の卵は、プロ野球とかJリーグにも大勢行きます。しかしほとんど孵化しないのです。一番難しいのは、高校生ぐらいの生意気盛りから、大学生でもっと生意気になって社会人になってといった時期に、きちっと対応できるような指導者が日本は少ないのではないかと。そういう点からすると、その体操の先生は、非常に上手ですよね。怒らない。自主性を上手に伸ばすように我慢できる。そういうふうに言っていましたね。それからもう一人は、小出さんという方ですね。むちゃくちゃ練習をさせたそうです。例えば、やり投げで、「腕が折れるまでなげろ。」って言ったら、腕が折れる手前まで投げて、インターハイで優勝した。それが、千葉県立佐倉高校の生徒です。こちらでいう神奈川でトップの県立高校の頭の良い子、だと思っていただければいいですね。それほど運動やってなかったのが、高校に入って腕が折れる手前までやったら高校で勝っちゃった。そのときは、頑張れ、頑張れ、褒めて、褒めて、褒めて。その経験が高橋尚子さんに生きるんです。だからやっぱりちょっと違ってきているのかと。スポーツの指導者は、いわゆる「無理偏にげんこつ」と書いたと。しかし、今はちょっと違うのではないかなというふうな感じがいたします。先ほど、倉田さんの方から、「丁寧に説明してあげる」「納得しないともう子どもは動かない」とそういう時代になったな。相手を見ての指導ですよね。そういうふうな指導者が求められて来たという。それは総合型地域スポーツクラブでも同じだと思います。ただ、鉄は熱いときに打てという事で、やはり中学生、高校生の時は必要な時にはガチッとやらせるそうです。それで一番成功しているのは、成田高校の陸上部。いわゆる、室伏広治君の時ですよね。やっぱり熱い時と、熱くない時の見極められる指導者のような話が出てまいりました。

それでは体力ということで、澁谷さんと河原塚先生の方は、「体力は落ちていると。これから大変だ。」と言っていたら、倉田さんの方が、「いや、体力は上がっている。」と違う話が出てきたので、本当はどっちなのだろうと。競技と一般の選手なのか、というような所を、専門的にまず、澁谷さんの方からお願いできますか。

(澁谷)

プレゼンの中でも簡単にちょっとお話をしたのですが、やはり、がんがんやる子とやらない子という、二極化に近い形の中で、やる子は当然正しい練習法とかそういうものを身に付ける中で、どんどんスキルが上がっていく。一方でやらない子というのは、置き去りになっていく。トップは上がって来ているけれど、全体にならして平均値を見てみると、体力が下がっている。という形が正解かなというふうに感じています。

(野川)

それともう一つ、体力と言った場合には、スポーツ的な体力の事なのか、健康が守られればいいというような体力、その辺があると聞いていますが、その辺は如何ですか。

(澁谷)

はい。一般的に行動体力と防衛体力と言いまして、体力テストなどでわかる体力というのは、スポーツ的な強さですね。行動体力というのにあたりますが、例えば、筋力とか長距離を走る筋持久力といった所にあたると思うのですが、一方では防衛体力という事で、病気になりにくい、高い免疫力を持っている体という2つがあると思います。体力運動能力調査の結果で、そんなに持久力がガタ落ちしている訳ではないのですが、やっぱり落ちてきていると。筋持久力に影響するような、例えば長距離を走ったりするような運動をすると、いわゆる毛細血管といった体の血管が発達することで免疫力が高まるという事が、科学的にわかっている事でして、まず体力低下の問題に対して、真っ先にやるべき事というのは、個々の低い体力を上げようという事ではなくて、例えば、スピードはその個人個人に任せるけれども、一定の期間持久走ができるとか、そういった所を課していく事が一つポイントになるのかなというふうに感じています。

(野川)

河原塚さんの方は、同じ質問ですが、どのようにお考えですか。

(河原塚)

今、澁谷さんがおっしゃったように、基本的には全体でならした時に、子どもの体力が明らかに落ちている。しかし、指導者もそうですし子どもも知識を持って自分で考えるようになって、トップレベルの人たちの記録は当然上がってきています。よりスマートになっていると言うのでしょうか。

問題なのは、やっぱり全体でならした時に低下しているということで、それは子どもたちが、良い子はすごく良いけれど、あとの子はどんどん低下し、かつてより落ちている。体、器はいいわけですよ。澁谷さんのご発表にもありましたように。で、どうなってしまうの?という事ですね。今の子どもたちが、50代60代になった時に、筋力、そのままで行ったらどうなってしまうのという話もあると思います。おそらく想像では、50代で杖をつく人が1割ぐらいでてしまうのではないかとかですね、それぐらい体幹、体を基本的に支える筋力さえ、危うい子どもが出てきているといった話があります。もっと極端な例を申し上げますと、汗をかけない子どもが出てきているという話があります。今、私たちの暮らしは大変快適で、大体マンションにはエアコンが付いていますね。産まれた時から、10歳、12歳頃まで、夏は涼しく、冬は暖かいため、汗をかく必要がない。ところが、汗をかくという事は生き物として不可欠な機能です。汗をかくことによって、体内の温度を下げる。それができないという事は、人工の空間でしかその子は生きられないということになます。これは、大変恐ろしい事実だと思います。つまり、あまりにも快適で便利な暮らしの中で、子どもたちの暮らしが若干偏っている。そのことの認識というのをもっともっとしていかないと、体力の問題というのは、個別ので「やれ何メートル投げられたとか」という所だけで見てしまうと、よくわからなくなってしまうのはないかと私は捉えているんです。

(野川)

ちょっと怖いようなお話でしたけれども、倉田さんはいかがですか。同じ質問ですけれども。

(倉田)

いやいや、体力は…。皆さんが言っている私の専門分野は、競技会の専門分野でして、一般的には多分そうだというふうに思います。ただ、競技会で、先ほど優勝タイムを比較しました。これは予選があり、予選のカットラインがあり、というのは実は20年前とそうは変わっていません。ということは、トップレベルの選手は、いろんなトップレベルの練習をして、トップレベルの記録を出している。ただ、学校スポーツとしてやっている生徒さん、「野球が楽しい」「サッカーが楽しい」「陸上が楽しい」それはそれですごく良いことですが、それで優勝とかではなくて、「じゃ競技会に出ようよ」「頑張ってね、今日は」それでも目標が達成している。目標の立て方が違いますので、そこのレベルでいうと、そうは違っていない。という事は、数値として出ています。

(野川)

子どもの体力づくりということで、中学生、高校生になってから頑張ろうというのでは、ちょっと遅いのではないか、というふうな意見も先程出たのですが、総合型地域スポーツクラブは例えば、幼児の時からどのような事に携われますか。いわゆる、体力づくりという観点からするといかがですか。

(菊地)

はい、地域、幼稚園、学校を見ていても、なかなか就学前あるいは幼稚園児の時に、そういった体操だとかそういった事にふれるチャンスが非常に少ないと思います。指定管理で高津スポーツセンターを運営しておりますけれども、ここでもいくつかのスポーツ教室を事業化しておりますが、幼児体操教室とか親子体操教室というプログラムはやはり少ないです。ないことはないのですが、少ないです。利用者は圧倒的に大人です。あるいは健康づくりの高齢者の方というのが圧倒的に多くて、子どもたちが、それこそ体力をつくる場があまりにも少ないなというのをすごく感じております。場所は努力すればできると思うのですが、なかなか指導者とか、そういった事業を展開していく中心になるところが見つかりません。実はこの小さい子どもたちの体操というのは、非常にコストがかかります。手間がかかるわけです。指導者がたくさんいないとできない。道具をいっぱい使わないとできない。もちろん怪我をするリスクも高い。そのわりには事業でいうと、高い料金が取れないというような、事業的には大変難しい所があって、総合型スポーツクラブとしても、やはりコストがかかるという意味では、これは世の中の大人の事情でしかないのですが、そういう環境づくりができないというところが、すごく私も改善していかなければいけないなと思っているところでございます。

(野川)

このような話をしただけでも、ほとんど時間がきてしまったのですが、もう一つ河原塚さんにお聞きしたいのですが、最近、任天堂のWiiというのが盛んにでていますよね。擬似体験をしてスポーツにふれるとその人たちが実地体験に行くかどうか。総合型地域スポーツクラブにしても、何にしても、一番怖いのはゲームですよね。ゲームが敵なんですよ、本当のことをいうと。スポーツクラブの一番のライバルは、塾かゲームかと言われているのですけれど、その辺の所で、Wiiが出てきたということは、これからのスポーツライフ、子どものスポーツを取り巻く環境にどんな影響を及ぼすと思われます?河原塚さん、もう無責任な発言で結構ですから。

(河原塚)

そうですね…あのテレビゲームというのは、画期的、ある種、双方向、僕が子どもの時には、何かやったら返ってくるおもちゃは、ありえなかったです。やっぱりおもちゃはおもちゃで、それはそれで楽しかったけれど、そんなものだ。ところが、あれは双方向でなんかいろいろ動くし、やればやるほど、のめり込むという、ある種画期的な遊びだとは思います。大人がものすごい開発費をかけて、本気になって仕事で子どもの欲望を刺激しているわけですから、良い物ができてしまうという事実はあると思います。

ただ、どんな子でも幼児の頃を見れば、跳べる事だけでうれしい。ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん飛び回って、それが楽しいという時代がありますよね。それこそお母さんが、「こらっ、やめなさい」って叱るぐらい。ということは人間である限り体を動かす事は、基本的に楽しいっていうものは、誰もがもっているものだと思います。その仕掛け方を、我々はこういう時代だから逆にもっと、敏感になっていかなければいけないのではないかなと思います。つまり、かつてはほっとけば子どもは自分なりにどこでも遊び場を見つけて、ぴょんぴょん遊んでいたわけですけれども、今、そういう遊び場さえない。さっき申し上げましたが、時間も空間も仲間も、どんどん少なくなっているという時代なのではないかなと思います。そこでやっぱり、大事なのはスポーツと言った時に、スポーツの上手い人は「楽しいし、見せたいし、やりたい」と、どんどんやるのですが、上手くない子もいるんです。上手くない子はやっぱり「ちょっとやだな、見られたくないな」といって、原点として持っている体を動かす楽しさを忘れている面があると。そこら辺をいかに引き出して行くか、というのがこれから問われてきているのではないかな、というふうに感じております。ちょっとずれたかも知れませんが。

(野川)

澁谷さんはどう思われますか。

(澁谷)

あの、今回のWiiの前に、「ダンスダンスレボリューション」という画面に合わせて、足を開いたり、チョキにしたり、いろんな事をやるゲームが、ちょっと流行っていた事があったのですが、結局それが、例えば民間スポーツクラブか何かで、プログラム化されたという事はありませんでした。そう考えると、多分あのゲームも、スポーツにつながる物は、ちょっとないのではないのかなというふうに感じております。一つその、ゲームでしか体を動かさない人というのは、おそらくちゃんとした動きができないと思います。そうすると、間違った動きのままやっているので、結局、本来体が身に付けるべき動作というのが、身に付けられないままいってしまうのではないかなと。そんな印象を持っています。

(野川)

それでは、ご質問等、体力の事でも結構ですし、総合型地域スポーツクラブの事でも結構でございますし、本当にもう限られた時間になってしまうのですが、このようなゲームが出現すると、非常にカルチャーが変わる可能性がありますね。

(会場参加者)

現在、専門家の指導員のいないなかでニュースポーツを子ども達と楽しく遊ぶといった趣旨で指導をしているのですが、高津総合型地域スポーツクラブでも実施しているのでしょうか。

(菊地)

もちろん実施しております。ニュースポーツと言っても、結構古いものも入っているのかも知れないのですが、今やっている物は、キンボール、ドッジビーですね。ソフトバレーボールはかなり一般的になりましたけれども、子どもたちのニュースポーツとしては、そういったものをやっております。おっしゃるように、そこにはあまり専門家の指導員という事ではなくて、子どもたちとゲームを中心に遊んでいると。ただ、キンボールは東京都大会とか関東大会という一応組織的に大会がございますので、子どもたちなりにそれを目指して、優勝するとかというよりは東京へ行って、東京都体育館のすばらしい所で、年に1回大会ができる事を楽しみに、励みにしてやって活動しております。

(野川)

総合型地域スポーツクラブという所にあまり特化させたくなかったのですが、総合型地域スポーツクラブというのは、基本的に指導する側と、そのサービスを受ける側というふうに、はっきり分かれるというものでは本来ないのです。本来は、みんな仲間ですから。みんな仲間なので自分の強い所の部分は、必要とあれば教えよう。でも必要なければ別に教える必要もなければ、ニュースポーツみんなで楽しもうよ。それはそれでいいだろう。だから教室型があったり、クラブ型があったりいろいろあるのでしょう。ただ、民間フィットネスクラブのように、お金さえ払えば指導してもらって、それであともう帰ってしまう。そういうふうな場所ではないのです。ですから、指導員も確かに必要なのですが、指導者として特定の人間を雇うというような事ではなく、できるだけ自分たちのメンバーの中で、教え合える人がいたら教えて、そういう人が、もうちょっとレベルアップしたければ、いろんな講習会に行くのをみんなで助けるような、そういう団体ができたらいいでしょうねという事だと思うのですね。ただ、ニュースポーツは技術的に、あまりきちっとしなくてもできてしまうから、ここがちょっと怖いのです。つまり、体が大きくて、動ける子は強い。その子たちが、うわぁーとやってしまうと、その場では試合をやると勝ってしまう。そうすると、その動きが身に付いてしまう。それはそれでいいんですが先程から言っているのは、最近自分の体のコーディネートができない子が増えてきた。体と心のアンバランスが出てきた。これを考えていこうとすると、シミュレーションとか何とかではなくて、もっと実体験をさせながら、ポイント、ポイントで教えるというよりも、チェックができるようなシステムもおそらく我々に求められるだろう。そうすると、ただ単に、面白いゲームだけやっていて、バキーンとラケットをふると上手くいった、ところが実際にテニスラケット持ってやってみたら、全然上手くいかない。つまんないからやめちゃえ。それは我々の、顧客をそぐ事になります。そんなのがちょっと先に見えてくるような気がします。スキーのシミュレーションやった人は本当にスキーやってくれるのか。しかしやらない。ダンスダンスレボリューションおもしろかった。でもダンスに行かない。カナダの高齢者の記憶力を良くするためにダンスダンスレボリューションがいいというデータがでているけど、それが楽しくてダンスを始めたという事はでてこない。でもゲームカルチャーの時代になってくると、我々はちょっと違う方向に行き始めていて、非常にそれはパワフルで、子どもにとって非常に魅力的であり、親はもう抵抗できない。残念ながら。それを地域力という形で何かしていく時に、例えば、メディアではどういうふうな情報というか、メッセージを発信するべきか、多分でてくるのではないか。あるいは、地域クラブとして、発信しなくてはいけない情報というのが、団体だからできる。その辺の所があったのです。倉田さん。一言で結構なのですが、倉田さんはどう考えられます。Wii…ゲーム。

(倉田)

Wii。ゲームはゲームですよね。準備体操をしてやる訳でもないし、筋力トレーニングする訳でもないですが、今おっしゃった通り、それができるからテニスができるとかね、それができるからゴルフができるとか、そういう勘違いの子たちができるのが一番怖い。それはそれで、楽しければいいのですが。それを、テニスコートに行ってやってできなかった時、「なんだよ」って言われる、「このスポーツってつまんないなー」って思われるのが、一番私は怖いと思います。やる事自体は、時間を決めて1時間なら1時間やればいいんですけれども。向こうも商売で造っている訳ですから。ただそれが、イコールスポーツがつまらないって思われるのが一番怖いですね。私としては。

(野川)

それでは本当に時間になってしまいましたので、すみません。司会の不手際で私がしゃべりすぎたのですが、最後に一言ずつ。神奈川県の子どもの取り巻くスポーツ環境を、こういう点、今後どういうふうにしたらいいのではないかというような、ご指摘でも結構ですので一言ずつお願いします。まず、最初に、菊地さんの方から、お願いいたします。

(菊地)

指摘というのは、全くないのですが、やはり総合型をやっておりまして、先ほどから今日のテーマになっておりました、子どもたちの体力とか遊び場という問題で、あまりにも大人の都合で場所がないな、チャンスがないなと感じております。是非、各地域で総合型を作っていただいて、本当に10人、20人、30人でやってらっしゃる総合型も地方にはございます。予算を持たずにやっている所もございます。そういう場を、是非子どもたちに提供してあげて、一緒に楽しく、自分自身も体力の向上になる事ができればいいなと思っていますので、是非みなさんにお願いしまして、今日の私の話とさせていただきます。

(野川)

ありがとうございます。倉田さんお願いできますか。

(倉田)

私の所は報道なのですが、みなさんと違って、受け身、子どもたちがやった事を報道するという側なのですね。先程の話はトップレベルの話だったのですが、神奈川新聞にはマイタウンスポーツという、地域のスポーツのメインがありまして、実はそこが一番気をつかっているのですが、自分の名前、自分のチームが新聞に出るという事は、非常に子どもたちの励みになる。その名前を切り取ってくれている子たちも、たくさんいると聞いています。地道ですけれども、報道は報道として、小学生とか中学生とか、地域で頑張っている綱引き大会でも、野球大会でも何でも構わないのですが、そういう事を地道に載せていきたいなと。また、ここにいらっしゃる方で、そういう団体のトップの方がいらっしゃいましたら、ぜひ神奈川新聞に結果を入れていただければ、チームの結果を載せますので、是非よろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

(野川)

ありがとうございました。続いて河原塚さんお願いいたします。

(河原塚)

先程から、子どもの危機的な状況という事でずっとお話申し上げているのですが、実際、お母さんたちが、「確かに、そうだ、うちの子もっと運動させたい」と思った時に、その場が必要だと思うのです。そのときに、総合型、高津さんのような総合型のクラブがまず1つあるでしょうし、その他地域には、さまざまな受け皿がある、あるいは必要だと思います。そしてその時に、とても大事なのは、できるだけ間口が広いというかですね、完成されたスポーツの指導者がいてその競技を厳しく練習するというやり方では多分難しいと思います。とにかく、体を動かす、楽しいな、いいなってその中から、いろんな子がいてもっともっと上を目指したい子はまたそこに行けるような仕組みが大事だと思いますので、まずは間口を広く、体を動かす楽しさをできるだけ、ここにいる皆さま方始め、神奈川県の、もちろん全国もですが、子どもたちに提供できたらいいのではないかなと考えております。ありがとうございました。

(野川)

どうもありがとうございます。最後に澁谷さんお願いいたします。

(澁谷)

総合型地域スポーツクラブの育成で、皆さん非常にご苦労されている方も多いと思うのですが、将来的には競技力向上という、運動部活動の部分を総合型で担う事になるとは思うのですが、それはまだしばらく先の話であるというふうに思います。今の総合型地域スポーツクラブに課せられているものというのは、まず中高年の健康づくりであるとか、コミュニティーづくりの部分と、できれば中高年の健康づくりの指導者とかそういうノウハウを、小さいお子さんをお持ちのお母さんとか保護者の方への、健康意識とか小さいうちに体を動かす事の大切さとかを、教育する場面で使えるように活用していただきたいなというふうに思っております。ちょっと、営業させていただきたいのですが、笹川スポーツ財団はですね、スポーツエイドという助成事業を行っておりまして、今スポーツ好きの子どもたちを育てようというキーワードを中心として、青少年のスポーツ参加について、競技力向上ではなくて、いろいろな種目を楽しみながらやろう、活動等に助成金でお手伝いしている制度がございますので、ご活用いただければ幸いです。

(野川)

ありがとうございます。総合型地域スポーツクラブは、大変長い名前でよくわからない。子どもを取り巻くスポーツ環境という事で、子どもに我々は何ができるか。残念ながら本日はここに子どもが誰もいないんです。本来ならば彼らの方からの声が出てこないといけない。でも、我々はそういった声を吸い上げられない。やはり保護者は、自分の子どもに、子どもにとって何が一番いいか。体力がよければいいか。頭もよくなって欲しい。性格も良くなって欲しい。みんなと仲良く、等々。いろいろな事があった時に、キーワードとしてみんなで集められるのは何かというと、スポーツってすごく魅力があります。体力というと、ちょっと「んー?」と思われてしまうかも知れない。運動といっても「んー?」と思われてしまうかも知れない。どういう言葉で、子どもたちが能動的になるようになるか。大人が空間を設定して、それで子どもたちが勝手に遊べるというような時代ではないと思います。現在の子どもの居場所づくりというのは、少なからずそういう所があるのですが、その辺の所を我々の方でもう少し空間を創出して、どんなメッセージを送るのかというような事が多分必要だと思います。

今日のお話の中から、私が我田引水したのですが、神奈川の子どもたちの体力はそれほど伸びていないということはちょっと衝撃です。国体があったのは、1998年ですよね。それからまだ8年しかたっていないのに、いわゆる国体の効果があまり見られないというような事も考えた時に、やはり拠点を持ってこれから組織的に展開していく必要性というのはやはりあるのではないかと思われます。最後は手前味噌な話になってしまいましたが、長時間本当にどうもありがとうございました。

聴衆の皆さんどうも本当にお集まりいただきましてありがとうございました。それから、4人の講師の先生方大変お忙しい所、貴重なご意見等ありがとうございました。お互いに盛大な拍手をしたいと思います。

どうもありがとうございました。

本文ここまで
県の重点施策
  • ヘルスケア・ニューフロンティア
  • 未病の改善
  • さがみロボット産業特区
  • 県西地域活性化プロジェクト
  • かながわスマートエネルギー計画
  • 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会
  • ラグビーワールドカップ2019
  • マグカル
  • ともに生きる