三崎漁港のうつりかわり

掲載日:2017年10月23日

三崎漁港とは?

三崎漁港は、南に面した城ヶ島が自然の防波堤の役目を果たしている「天然の良港」です。このため古く平安時代から利用されてきたといわれています。

初めに記録に現れるのは、元亀元年(西暦1570年)真鶴の潜り海士30人が北条氏規の命で京都御用の”のしあわび”を作るため三崎に来たとの記述です。江戸時代には江戸湾防備の本拠地に選ばれ、漁港としての機能も発展して、江戸の台所をまかなう港町として栄えました。明治40年(西暦1907年)前後から漁船が機械船になると、新しい漁場の開拓をめざす全国の漁業者が訪れるようになり、その名が知られるようになります。これがマグロ漁業基地としての始まりです。出入り船や水揚げが増えるにつれ、漁港の拡張も必要となり、大正10年(西暦1921年)には、初めて本格的な漁港の修築工事に着手しました。

昭和初期には、神奈川県・三崎町が協力して、当時としては類を見ない近代的な魚市場を建設するなどして、順次埋め立てた土地に漁港施設の拡張整備を行い、これまで約45.2ヘクタールの陸地が生まれています。また、三浦半島近海、伊豆七島海域を漁場とする沿岸漁船、日本海域のイカ釣り、太平洋沿岸域のさば・さんま漁などの沖合漁船の根拠地にもなっています。

近年では養殖ハマチ・マダイなどの活魚の水揚も行われるようになり東日本方面への活魚供給中継基地としての役割も担っています。

三崎漁港拡張に伴う埋立の変遷

埋立前

図:埋立前の様子

昭和20年頃まで

図:昭和20年頃までの様子

昭和63年頃まで

図:昭和63年頃までの様子

現在

図:現在の様子

三崎漁港整備年表

元号(西暦) できごと
大正10年(1921年) 漁港の修築に本格的に着手。漁港法が制定されるまでは、県営及び三崎町営工事として埋立拡張工事を行い、漁港機能を拡充(本港・花暮・向ヶ崎・西浜・田中・通り矢)
昭和4年(1929年) 三崎町営の魚市場(鉄筋・木造併用延べ1,485平方メートル)の完成
昭和25年(1950年) 漁港法の制定
昭和26年(1951年) 第1次漁港整備長期計画開始。漁港整備事業は、国庫補助を中心に県営工事として新たにスタート
昭和28年(1953年) 城ヶ島地区の埋立拡張工事開始
昭和35年(1960年) 臨港道路として三崎と城ヶ島を結ぶ城ケ島大橋開通
昭和43年(1968年) 三浦市営の魚市場完成
昭和57年(1982年) 新港地区埋立拡張工事
平成4年(1993年) 三浦市営の-60℃超低温冷蔵庫(RC3F延べ4,727平方メートル・収容5,406t)と魚市場製氷工場(RC3F延べ863平方メートル・製氷100t/日)完成
平成5年(1994年) 新魚市場(RC3F延べ8,416平方メートル)完成
平成6年(1995年) 第9次漁港整備長期計画開始。二町谷地区漁港整備事業(平成6年度から平成17年度まで)。みうら・宮川フィッシャリーナ整備事業(平成6年度から平成13年度まで)
平成13年(2001年) みうら・宮川フィッシャリーナ完成
平成14年(2002年) 特定漁港漁場整備事業計画開始