更新日:2023年3月31日

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伊藤大郎氏へのインタビュー

鎌倉女子大学教育学部教育学科の准教授として教壇に立たれていると同時に、地域での様々な活動など、幅広くご活躍をされている伊藤大郎氏に子どもが生活する地域で、インクルーシブ教育を推進していくにはどんな視点が必要か、お聞きしました。

地域ではぐくむ子どもたちの未来

鎌倉女子大学教育学部教育学科の准教授として教壇に立たれていると同時に、地域の清掃活動や学校運営協議会委員の活動など、幅広いご活躍をされている伊藤氏。子どもが生活する地域で、インクルーシブ教育を推進していくにはどんな視点が必要か、お聞きしました。

インタビューの詳細版は、PDFにまとめてあります。詳細版もご覧ください。

【詳細版】伊藤大郎氏へのインタビュー「地域ではぐくむ子どもたちの未来」(PDF:790KB)(別ウィンドウで開きます)

インクルーシブ教育を推進するために必要な「フレキシブルな枠組み」

―― 本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、神奈川県のインクルーシブ教育の推進のキーワードの1つに「共に学び、共に育つ」という言葉があります。どんな意味があるとお考えですか。

障がいのある子どもと障がいのない子どもが共に学ぶことによって、子どもは共に育つのだという意味です。つまり、共に育つためには共に学ばなければいけないということです。共に学ぶことと、共に育つこと、この2つは分けることはできません。
一方、インクルージョンという考え方は、すべての子どもを対象としています。インクルーシブ教育の推進においては、障がいという概念を取り払って、子どもたちが「みんなで学ぶとみんなで育つ」、と捉えることが大切です。
しかし、インクルージョンをめざすときにあっても、「共に学び、共に育つ」という言葉は、当初、障がいのある子とない子の教育についての理念、最終的な理想を謳ったものであるということを私は大事にしたいと思っています。

―― ニーズとして、「地域の小・中学校で同じ場で共に学ぶこと」、「特別支援学級あるいは特別支援学校で子どもに合った指導・支援を受けること」のどちらもあると思うのですが、これら2つのことはインクルーシブ教育を推進する上でどのように考えていけばよいでしょうか。

まず、インクルーシブ教育を2つの視点で捉えることが大切だと思います。
1つは空間的に捉えたインクルーシブ教育です。現状、特別支援学校と小・中学校、さらにその中でも通常の学級と特別支援学級に空間的に分かれています。子どもたちが、今いる学校で、参加しやすく分かりやすい授業を受けることができる、居心地のいい集団で生活することができるということです。
もう1つは、時間的に捉えたインクルーシブ教育です。現在分かれている通常の学級と特別支援学級、特別支援学校を小・中学校の通常の学級で学習できるような方向性にしていく。インクルーシブ教育においては、どの学校、学級に行くのか、これらの選択が不要になる教育システムを実現、創造すること、それが最終目標です。

―― この2つの視点を整理したほうがいいのではないか、ということですか。

はい。この2つの視点で捉えれば、現在学びの場が分かれていても、どちらかの環境だけがインクルーシブで、もう一方がインクルーシブではない、ということではないと思います。
ただし、方向性としては先に述べた最終的な目標に向かって努力していくことは、止めてはならないことだと思います。

―― では、それぞれの学校でインクルーシブな環境づくりを進めていくとき、これから学校に求められるのは、どんなことだとお考えですか。

それは通常の教育が問われているということだと思います。これまでの通常の教育のフレーム、小・中学校の教育という枠組みに子どもが合わない、合わせられないということが増えているのではないでしょうか。それに向き合うために、自分たちの学校をどうやってフレキシブルな(柔軟性のある)枠組みに変えていくか、という努力が求められていると思います。

―― フレキシブルな枠組みとは、どんなことですか。

具体的には、すべての子どもたちが積極的に授業に参加できるように工夫する、子ども同士が学習を助け合う、困っている子どもに支援を提供する、といったことでしょう。要は、子どもたちに合わせてクラスを作る発想が必要であると思います。伊藤先生写真

また、多様性は財産だと言われます。お互いのいいところを組み合わせるということです。お互いのよさに気付き、お互いの理解が深まり、学びも深まっていくわけです。そうやって得意なことを伸ばし、他者の得意なことと組み合わせることによって、社会全体の活力を育てるという視点が大切だと思います。

みんな同じ「子ども」。異なるように見えるものの中に、共通性を見出していく。

―― 柔らかい枠組みづくりのためには、何らかの発想が必要だと思いますが、昨年度のインクルーシブ教育推進フォーラム(以下、フォーラム)の中で、伊藤先生は、支援は「場面」につく、ということを発信されました。改めてどのような意味かお聞かせください。

これまでは、支援を「人」につけるという考えでした。障がいのある子には支援が必要だから、介助員等が横につきます。しかし、その子には、一人でできる場面もたくさんあるし、一方で障がいのない子にも支援が必要な場面もあります。この考え方は、「困っている子どもがいたら誰でも助けます。その子の困っていること解消したら、すぐに引き上げます」という支援のつけ方です。

―― 支援を「場面」につける考え方で、子どもへの見方が変わっていきそうですね。

そうですね。支援を「人」につけると、「支援の必要な子ども」と「支援が必要ではない子ども」に、子どもが二分されてしまいます。また、周りもあの子は「障がいのある子」と見てしまいがちです。これから作ろうとしている社会は、そのように人を見ないという社会です。
支援が「場面」につけば、「あの子ばかりずるい。あの子ばかり助けてもらっている。」という子どもの意識から、「どんなときでも自分も助けてもらえるんだ、みんな同じなんだ。」と安心感を得られるようになり、子ども同士が仲良くなっていくことも考えられます。

―― 先入観なく、「子ども」として見ていくことが大切なのですね。では、そのような視点に立って、具体的に何をしていくとよいとお考えですか。

本当に地道で具体的な取組を行っていく必要があると思います。神奈川県は「共生社会の実現」をめざしていますが、それを支える地道な取組が、将来的に共生社会に結びついてくると思います。
県の施策で言えば、高等学校のインクルーシブ教育実践推進校とか、小・中学校の「みんなの教室」(現在は、インクルーシブ教育校内支援体制整備事業)といった取組を着実に進めていくことではないかと思います。
一般に、障がい者のことをよく知ろうという話があります。しかし、そう考えた時点で、自分が健常者としての立場になってしまうと思います。「障がい者」ではなく、私は「障がい」とは何かを考えるべきだと思うのです。
障がいというのは環境要因です。したがって、障がいは、その人を変えるという発想ではなく、不適応を生む環境、社会のシステムを変えるということが大切だと思います。

―― 学校では何をしていけばよいとお考えですか。

学校で言えば、先生たちの日常的な教育活動とか、子どもの実感とか、そういったものを大切にして、地道な取組を続けていくことが大切だと思います。

―― 保護者の方からは、たとえば「みんな違ってみんないいのだと頭では理解しているが、どうしても目の前にいる我が子には、みんなと同じようにできることを求めてしまう。」という意見が昨年のフォーラムでありました。どんなことを大切にしていけばよいとお考えでしょうか。

親は皆、自分の子どもの発達が気になります。それは、「みんな違ってみんないい」という話とは別で、一般的な発達段階から遅れていると、早くみんなと同じになってほしいと願うことは、親としての当然の思いだと思います。
しかし、一方で「みんなと同じようにふるまえ」という社会に対しては、今述べたこととは違う視点が必要だと思います。互いに「違いを認め合う」ことは大切ですが、「みんな違って見えるかもしれないけど、平等とか人権という視点では同じなんだ」ということの方が、本当のインクルーシブな社会の基盤ではないかと思います。
「異なるように見えるものの中に、共通性を見出していくこと」の努力が、私は大事だと思っています。

今だからこそ考える、学校の本質とインクルーシブ教育

―― 現在、新型コロナウイルス感染症によって、生活が変化しています。そこから得られた気づきというのはありますか。

先日銀行に行ったとき、足元にラインが引いてあり、足跡のマークもつけてありました。銀行だけでなく、スーパーマーケットでもそうでした。それから飲食店では、アクリル板でひと席ずつ仕切ってありました。それらを見たときに、まさに「構造化」のアイデアではないかと思いました。障がいのある方が利用する施設では、ずいぶん前からそのような工夫がなされています。
障がいのある方が理解しやすいように環境を整える「構造化」のアイデアが、コロナ禍においては、すべての人たちが理解しやすい環境として提供されているのです。コロナ禍においては、すべての人が障がい者と呼ばれる人たちと同様の不便な状況に置かれているということです。
つまり、コロナ禍で不便な環境に置かれ、それを解消するための手立てとして、支援のメソッドが世の中に広く導入されている、ということです。このことは、障がいというのは環境によって起こるということを、示してくれています。
もう1つは、コミュニケーションの取り方が多様になっていることです。直接的なコミュニケーションができない状況で、オンラインでコミュニケーションを取ることが増えました。それもまたコミュニケーションの1つの取り方です。
それらをいかにインクルーシブ教育の推進に向かって活用していくかが、コロナ禍でのチャンスとして、問われるのだろうと思います。

―― 今おっしゃったように、ICTの利活用を推進していく流れがあります。どのような可能性があると考えていますか。

授業のあり方が変わっていく流れを作っていけると思います。ただ、対面のメリットというのはオンラインのデメリットでもあります。たとえば、オンデマンドでの配信は、一方通行になりやすいですよね。そこに、子どもたち同士のコミュニケーションの機会を作っていく。つまり、コロナやICTに振り回されるのではなくて、コロナ禍の環境の中で、いかにICTを活用してコミュニケーションを充実させていくか、そういうことに教師が知恵を使うということが必要じゃないでしょうか。

―― 一方で、これからも変わらない学校の普遍的な役割とは何だとお考えですか。

学校は、子どもたちにとって大切なコミュニケーションの場であり、円滑にコミュニケーションを取れるような環境を作る。これが学校に課せられた根本的な役割だと思います。「人はそれぞれ違う。でも本質は同じなんだ」ということに気付かせていく。それは教室の中、地域社会、国、世界も同じということです。鎌倉女子大学正門

教師は、何のために勉強するのか、子どもたちをどこに向けて育てようとしているのか、ということについて、さらに意識を向けていく必要があると思います。
インクルーシブ教育は、教育の問題であると同時に、地域を、世界をどうしていくかという話とリンクしています。

インクルージョンは自分の態度であり、行動である

―― 最後に、今私たちにできることは何でしょうか。

インクルーシブ教育は、教育の問題としてだけでなく、社会の問題として捉えていくことがとても大切です。学校は、社会を構成する一つの組織ですから、これからも率先してインクルーシブ教育を推進してほしいと思っています。
インクルージョンは人々の態度であり、行動そのものであると思います。地域に目を向けると、その言葉を使っていなくても「インクルーシブ」な取組はたくさんあります。
地域の身の回りに世界の課題があるのです。たとえば、貧困の問題、高齢化社会の問題、環境問題などです。その中で私たちができることは何かを考え行動することが大切だと思います。たとえば、公園の掃除をする、登下校の見守りをする、まずはそういうことでいいのだと思います。当然、そこには障がいのある子もいて、大人が当たり前に接している姿を見て、子どもも当たり前に接するでしょう。そういった地域社会を自分たちで作っていくということが、私たちにできることなのだと思います。

―― ありがとうございました。

 

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