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更新日:2023年12月8日

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体験学習、子ども・若者の参画、子どもの権利条約について (育成指針の参考資料-3)  

県立青少年センター青少年支援部指導者育成課「体験学習、子ども・若者の参画、子どもの権利条約について(育成指針の参考資料-3)」

1 体験学習について

2 子ども・若者の参画について

子どもの参画

参画のはしご

3 「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」について

子どもの権利保障に関するおもな成果

条約の名称について

条約の位置づけ

条約の基本

意見表明権について

「子どもの参画」という考え方へ

資料 「児童の権利に関する条約」 政府訳(前文、第12条)

「かながわ青少年支援・指導者育成指針の概要」にもどる

「指針の全文」にもどる

1 体験学習について

 この項目は、津村俊充氏(南山大学人文学部心理人間学科教授)のホームページ「つんつんの体験から学ぼう」から、抜粋させていただきました。感謝を申し上げます。


 「体験学習」という学び方は、学習者の一人ひとりの生きる力を育てるために米国で生まれたものである。「体験学習」とは、学習者自身の体験をもとに自らが気づき、考える力を養うことを大切にする総合的な学習方法である。個人やお互いの関係を尊重する民主的な風土づくりや人間尊重の教育を目指している。こうした教育実践者を“ファシリテーター”とよぶ。

 次に、「人間関係づくりをテーマにした体験学習」について説明する。
人の話を聞いたり、人に話しかけたり、相手の気持ちを理解したり、自分の中で起こる葛藤を処理したりするスキルを身につけるためには、学習者自身の体験を通して自らの問題を発見し、改善していく必要がある。
 このような学び方は「体験学習法」と呼ばれる。講演・講義や読書による一般的な知識は必ずしも学習者自身の個別の問題には当てはまらず、各学習者のスキルの習得には結びつきにくいと考えられる。すなわち認知的に分かることと具体的に行動変容が起こることとは必ずしも同一のことではない。

図:体験学習の4つのステップの解説

体験学習法(体験から学ぶ循環過程)のステップとして、一般に、図にあるように、

(1)具体的体験(Experience)をして、

(2)その体験を内省したり、自他の体験を観察し、感受性を発揮し気づいていく(Identify)、

(3)経験したことを抽象的な概念を用いて考えたり、一般化を試みて(Analyze)、

(4)新しい体験に導くために自分の行動の目標や課題を作る仮説化を行う(Hypothesize)、

といった4つのステップがある。

  • ステップ1 具体的体験
    自分自身を詳細に探求するための基礎となる体験をする。
    一般には2種類の具体的な体験が取り扱われる。一つは、役割演技(roleplaying)や特定のテーマで話し合うといった教育者(訓練者)によってあらかじめ計画され構造化されている実習に参加する体験であり、もう一つは、家族や社会の中での人間関係などの日常の生活の中で生の体験を取り扱う場合である。
  • ステップ2 体験の内省と観察
    学習者自身が、特定の体験においてどのようなことが起こっていたかをふり返ってみることである。
  • ステップ3 一般化する
    「ステップ2」において集められたデータに基づいて、学習者自身がどのような傾向を持っているのかなどの特徴を探ったり、なぜそのようなことが起こったのかといった分析を試み、自分、他者、グループの問題点を考察するステップである。
  • ステップ4 仮説化する
    このステップでは、「ステップ3」で考察したことを生かして、次の機会または新しい場面で学習者自身が具体的に試みるための行動の仮説化を行う。この仮説化を通して自分の新しい行動を計画し、実験的に試みることによって学習者の行動レパートリーを広げ、自分の社会的スキルを習得することになる。

 人間関係、環境、高齢化、防災、地域づくりなどの「現代的な課題」についての学習は、いわば「態度や行動の転換・変容」を目的としている。体験学習とは、学習者の共通した「体験」をもとに、他の人々との意見交換(ディスカッション)を通じ、自分の考えや行動を学習者との関わり方を検討することによって、態度や行動の変容や人間的な成長へつなげていこうとするものである。単に「実際に何かをした」というだけではなく、学習者がいかに考え、「どのように次の行動を生かしていくのか」が問われる。

 したがって青少年活動においては、大人(指導者)がどのような題材(「体験活動」)をどのような考え方で子どもたちに提供するかで、その効果はまったくちがってくる。「体験活動」を提供する場合、子どもたちが体験後の生活あるいは活動にどう生かしていくのかを視野に入れておくべきである。

 したがって単に体験させるだけでなく、体験後に彼らの感想や考えを引き出し、次につなげることができるように大人が導くことが必要なのである。
竹細工、凧づくり等の体験活動が各地で実施されている。このような活動だけにとどまらず、次のステップでは、以下のような「体験活動」を取り入れていくことが望ましい。

  • 生活体験
    キャンプ、宿泊体験、料理、地域の環境整備、まちづくりへの参画、地域の祭りの企画・運営等
  • 職業体験
    インターンシップ、林業体験、農業体験、商店街のイベントの手伝い等
  • 自然体験
    源流体験、森林体験等

(そして次の段階では、人と川や森林とのつながりを意識させるためのアクティビティー、さらにその先には川の浄化活動や森林保全等の環境保全活動への参画へできるように大人がきっかけづくりをする必要があるだろう。)

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2 子ども・若者の参画について

この項目は、田中治彦氏(立教大学文学部教育学科教授)が、2002年9月28日(土曜日)に神奈川県青少年総合研修センター(県立青少年センター指導者育成課の前身)主催の青少年問題フォーラム「子どもの遊び環境・若者の居場所を考える」で講演された要旨から引用させていただきました。感謝を申し上げます。


子どもの参画

 はっきりした目標を設定してそこに到達させるという社会でなくなったときに、目標が多様化をし動いている社会の中で、子どもをどうサポートしていったらいいのかということになる。指導というのはなかなか難しいが、支援はしないといけないと思う。一つの例だがそれを取り上げて、皆さんの意見を伺いたいと思う。

 それは「参画のはしご」というものである。大人が設定したしっかりした目標に到達させるということがなかなか通用しなくなったのであれば、子ども自身が自分で目標を選び取って、それに向かっていけるように、知識とか技能を子ども自身が身につけられるようにしていくしかない。どうやったら子ども自身が目標を見いだしたりあるいはそこに到達することができるのかということである。それを大人が支援することができるのだろうかということを考えていかなければならない。子どもが主人公であって大人はそれを支援するという立場あるいは一緒に考えるという立場であることが必要になってくる。

 その一つが「参画」と言われるもので、「参加」と言ってもいい。(参加者の)いくつかの意見の中に「子どもたち自身が楽しめるように計画をしているが、なかなか集中できない子どもが多い」とか「細かく指示しないと子どもたちは動かない」「できるだけ子どもたちが考えられるようにやっているが、子どもたちがやってくれない」というものがあった。

 例えばダンスパーティーでは自分たちで企画して場所も確保して、他の人たちに呼びかけて集まってきている。まさに昔、文化祭、部活、サークルなどでやっていたことを、クラブ文化の中で子どもたちがやっている。それから、ストリート文化にしたって、ストリートミュージシャンは地べたに座ってお金をもらうような、へんてこな存在だと皆さんは思うかもしれないが、彼らは自分たちが演奏して、それに対していいと思った人がファンになっていく。彼らは周りの人に挨拶するし、終わった後掃除をして帰っていく。

 大人は、そういう文化になじみがないものだから、「うざいなあ」と思うかもしれないが、彼らには彼らなりのルールとかマナーがある。それが大人社会とちがうものだからなかなか通用しない。

 例えば、ネット文化というものもインターネットの中だけの世界だが、まず挨拶から入る。インターネットは瞬間に切れてしまうものである。自分がメールを出しても読んでもらえなかったり、失礼だと思ったら返事は来ないわけである。ていねいな書き方をする。皆さんの中にメールをやっている方はいると思うが、独特なマナーがあるわけである。「こんな手紙を突然出して申し訳ありません」とか「こんなメールを云々」とか、できるだけ相手に不快感を与えないような書き方をしないと切れてしまうわけである。非常に工夫をして、時にはまわりくどい、失礼だと思ったら「このメールは削除してください」とか、非常に丁寧な言い回しを作法として身につけてきている。

 したがって子どもたちは、自分でやらせると、「しない」「できない」というのはまったく嘘だと思う。それができなというのであれば別の問題があると思う。それで基本的には、私はできると思っている。しかしながら、そのでき方は大人から見れば非常にいらいらするやり方であったりする。それからできないこともたくさんある。若者たちは基本的にはやっていける存在だと思う。そこは議論になるところだと思う。

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参画のはしご

図:参画のはしご「参画のはしご」というものがある。

 これは子どもたちがいろいろ参加していく場合に、子どもが本来計画をし実行し評価までやってくれる方が本当はいいわけである。なかなかそこまでいかないので、はしごを作って自分たちで子どもたちが参加できているかどうか評価しようとしている。

 下の3段階は参加していないという状態である。上の5段階は参加しているという状態である。
参加しているという状態から見ていこう。

 4段階に「子どもは仕事を割り当てられるが、情報は与えられている」というものがある。これはどういうことかというと、大人が計画をしているが子どもは役割を果たしている状態である。ユニセフ募金などの募金活動において、例えば今年は赤い羽根募金をやるが、1班は1丁目、2班は2丁目、3班は3丁目をまわるということを大人が指示をする。子どもは情報をもらっているから何をするかわかっている。この募金がユニセフ募金でなく赤い羽根募金だということはわかっていて、役割を与えられている。この段階が4段階である。学校で言えば当番とか日直とか役割を決められたものがある。

 その次の5段階「子どもが大人から意見を求められ、情報を与えられる」では、意見が言えるわけである。例えば前の例で、同じように募金活動で役割を与えられてそのまま聞くのではなく、「私は3班だけれど、1丁目に住んでいるので、よく知っているので1丁目にまわしてもらいたい」という意見が言える。しかし、決定するのは大人であり、「それでは1丁目に行きなさい」とか「それでも新しい仲間と3丁目に行きなさい」ということになる。
最終決定は大人の側にある。4段階は、意見は聞いてない。しかし5段階では意見が言えるということである。

 6段階目はさらに進んで、「大人が仕かけ、子どもと一緒に決定する」というものである。やはり前記の募金の例で言えば、「3丁目のハナちゃんから1丁目に行きたいという意見が出たが、どう思う?」と子どもに投げかけて、子どもと話し合いをして納得の上で決めていくのが6段階である。
4段階から始まって6段階まで行けば、活動としてはだいたいいいだろうと、ときどき思うことがある。

 しかし、その上の7段階は「子どもが主体的に取りかかり、子どもが指揮する」。自分たちで活動自体、何募金をするとか、自分たちで持ってきて、そして何のためにやるかを自分たちで決めて、自分たちで分担をして活動をする。

 大人はほとんど役割がなくて腕を組んで見ていればいい。これは頼もしい。こうなってくれればいい。なかなかそうはならない。しかしながら、サブ・カルチャー・マップにある子どもたちが勝手にやっている活動は、こればかりである。ストリートミュージシャンにしろ、クラブ文化にしろ、ネット文化にしろ、彼らは勝手にやっている。企画をしてやってみて自分たちで評価をしている。あるいは子どもの遊びも、皆さんは子ども時代に好き勝手に遊んだと思う。親の目の届かないところで、勝手に子どもたちは遊んでいる。そういうところでは子どもは7段階をやっている。

 例えば、「みなとみらい」でコミックのイベントがあるから、自分たちで親から小遣いもらって5人ぐらいで行って帰ってくる。子どもたちは盛んにやっている。子どもの世界では当たり前だが、なかなか子ども会だとかガールスカウトだと7段階まで行かないというのは何故だろうということになる。

 さらに8段階というものがある。ロジャー・ハートは、「子どもが主体的に取りかかり、大人と一緒に決定する」と言っている。

 子どもが自分たちでやるんではなくて、大人を巻き込んでしまうという活動である。先ほどの赤い羽根募金で言えば、「テレビでアフガン難民の映像を見てひどく心を痛めて、自分たちで何とかしよう」というのは7段階だが、「やるからには近所の子ども会のリーダーにやり方を聞いてみよう」「どこに集まった募金を持っていっていいかわからないので、親に聞いて調べてもらおう」というように、大人を巻き込んでいるが最後まで自分たちが責任を持つ活動である。

 この段階を7より上に置いている。自分たちで発案して大人まで巻き込んだ活動である。学校の文化祭で、クラスとか部活で子どもたちが活動するときに大抵7段階であるが、そこに先生を巻き込んでしまうと、ものすごくおもしろくなる。演劇やスタンツをやるのだが、アフガン戦争についてやるときに、先生に白い布をかぶせてオサマ・ビン・ラディンをやってもらおうという活動である。これはうけるだろう。そういうふうに大人を巻き込んでやってみるというものが8段階である。
これらの4~8が参画をしている段階である。

 一方、参画をしていない段階が1~3である。

 これらは事例を出すのは難しいが、3段階の「形だけの参画」、これは4と似て非なるものである。子どもは形だけは参加しているが、実は参加していない。

 例えば、一番わかりやすいのが「子ども議会」というものである。「青年議会」とかである。「各中学校から1名を選んでください」となれば、校長は優等生を当然選ぶ。質問項目にもシナリオがあって、市長には項目をあらかじめ知らせている。子どもたちに出しなさいとか言っても、例えばスキャンダルのようなものは、それは駄目だということになる。そのように選ばれた質問をするのだが、答弁もきちんとするのだが、その後何もしない。これは形だけの参画である。中学生が議会に来ましたという形だけである。

 事前に全部アレンジされていて、事後もしないというのは形式的な参画である。もちろん、その後フォローをして実行すれば4段階になる。あるいは、事前の質問まで考えさせれば、5段階になる。事前の質問にはシナリオがあり、終わった後に何もしないというのは3段階で、「青年議会」とか「子ども議会」によくあるタイプである。

 2の「お飾り参画」、1の「操り参画」だが、2は「子どもがこの場所にいれば絵になる」というもので、例えば、テレビのマイホームのCMのときに、家族だから子どもがいた方がいいということで、そこにいる子どもに「飴あげるから、ちょっとそこに立っていてくれない?」と言って子どもを入れる。子どもは、ただ飴がほしいだけなのに、CMができあがってみれば子どもが映っている。
このようなものを「お飾り参画」という。飾りに子どもがいるという事例である。大人の募金活動、チャリティーでも子どもがここにいてくれたら絵になるというので子どもに来てもらう。これも「お飾り参画」である。子どもに募金箱を持たせているが、子どもは何しているかわからない。けれども飴がほしいからそこにいるという状態。

 1の「操り参画」、これも似ている。しかし、これはだましている状態、もっとひどいものである。2はお飾りだからまだ罪はないが、1はだましてしまうというものである。大人がやっているのにもかかわらず、子どもがやったということにするものである。
例えば、幼稚園の子どもに絵を描かせる。それをまとめて絵本にする。子どもが作ったといって売り出す。これは嘘である。子どもは絵を描いただけで、大人が編集をして勝手に作った絵本である。だましているわけである。

 学生たちに1~8の例を挙げてもらった。次のような例があった。「小学校1年の時に書道教室に行っていた。自分は書道の雑誌にのることになった。自分がどうやって練習をして1等賞を取ったか書いた。出てきた本を見てびっくりした。「・・・先生のおかげでここまで来ました。・・・先生ありがとう」と付け加えられていた。だまされたと思った。」これが「操り参画」である。

 ということで、3以下は参加していない状態である。参加しているのかどうか危ういのが3段階である。本当に形だけなのか、子どもたちがわかっているのか。

 上に行けば行くほどいいわけだが、このはしごを見ていると必ずしも上がいいとは限らないというのがわかってきた。

 少なくとも3以下はよくないというのはわかるが、地域の伝統行事とか子どもとやっている歌舞伎などは、ほとんどが4段階である。子どもは役割がはっきりしていて、子どもは納得してそれに参加しているというものである。ですから4段階だから必ずしも悪いとは言えない。
私も大学のゼミを運営していて、4段階から始める。学生たちは知識がないので、私がゼミでこういうことをやると言って、皆で分担をして報告するようにと言う。ゼミ生の中から意見が出てきて何かやろうという提案が出てくる。大抵遊びだが、このようにやろうということになる。コンパやろうとかボウリング大会をやろうというものが出てくる。ゼミの内容も、こういうこと調べたいとか1年の後半になると自分たちでテーマを持って分かれようということになる。そうすると5段階、6段階になっていく。1年かかってやっと5段階、6段階という運営をしている。

 これはプロセスでもあるので、学生たちとの関係性においてどの段階がいいというのは、その状況に応じて異なると思う。しかし、3以下はよくない。4、5、6は、1セットで段階があると思う。無理矢理はしごにしているので直線的になっているが、必ずしも直線で考える必要はないだろう。

 たまに7のように子どもが主体的にやってみたり、そこに大人を巻き込んでみたりとなかなか意図的にはできないと思うが、出てくることは時々ある。

 これが「参画のはしご」というもので、ロジャー・ハートがモデル化したものである。こういうものを指し示して、子どもたちにああしなさい、こうしなさいと言ってやれる社会でない社会になったときに、子ども自身が自ら参画していけるような活動をめざしていくということを盛んに主張している。

 しかし、決して新しいことを言ってるわけでなく、従来の健全育成でもさんざんやってきたことである。サブ・カルチャー・マップにあるように、大人が「サークル文化」のあたりで目標を設定している。その範囲内で選ばせている。だから子どもたちは最初から入らないとか、途中から抜けていってしまう。もっとこのサークル文化から抜け出して、若い人たちが何をしたいのかということにもう少し耳を傾けていけば、また違う様相が見えてくるのではないか。

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子ども・若者の参画の意義
  • 子どもには、その発達段階なりに参画する能力があり、参画したいと思っている。そして、参画が達成できれば喜びを感じる。
  • 子どもたちは、自分たちが大事にされていると感じる。
  • 参画のプロセスを体験することで、「民主主義」のあり方を学ぶことができる。
  • 自ら問題を見つけ出し、それを解決する力を身につけることができるようになる。

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3 「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」について

子どもの権利保障に関するおもな成果

外務省の人権に関するホームページから転載)

  • 1924年
    「ジュネーブ宣言」が国際連盟で採択される。
  • 1959年
    11月20日、「児童の権利に関する宣言」が国連総会で採択される。
  • 1978年
    ポーランドから国連人権委員会に「児童の権利に関する条約」の草案が提出される。
  • 1979年
    国際児童年。国連人権委員会は、ポーランド案を検討し、最終草案を作成するための作業部会を設置する。
  • 1980年
    「国際的な児童の奪取の民事的側面に関する協定」(ハーグ条約)が、国際私法ハーグ会議で採択される。
  • 1985年
    「少年司法の運用のための国際連合最低基準規則」(北京規則)が国連総会で採択される。
  • 1986年
    「国内の叉は国際的な里親委託及び養子縁組を特に考慮した児童の保護及び福祉についての社会的及び法的な原則に関する宣言」が国連総会で採択される。
    ユニセフ執行理事会は「児童の権利に関する条約」の草案作りに全面的に協力することを決議する。
  • 1989年
    「児童の権利に関する宣言」採択30周年記念日の11月20日に、「児童の権利に関する条約」が国連総会で採択される。
  • 1990年
    1月26日、「児童の権利に関する条約」は、その支持を表明する署名のために開放され、61カ国が署名をする。
    9月2日、「児童の権利に関する条約」が発効する。
    9月21日、日本が109番目の署名国となる。
  • 1991年
    1月26日、「条約」が署名のために開放されてから1周年の記念日までに、130カ国が署名、70カ国が批准を終える。
    2月27日、「条約」締約国の第1回会合がニューヨークで開かれ、児童の権利委員会の10人の委員が選出される。
  • 1994年
    4月22日、日本が「条約」を批准し、158番目の締約国となる。

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条約の名称について

条約の原題は「ConventionontheRightsoftheChild」である。日本政府は、「Child」を「児童」と訳し、「児童の権利に関する条約」としているが、民間団体は「子ども」と訳し、「子どもの権利条約」としている。日本の学校制度からいうと、「子ども」が適訳と考えられるという考え方による。この「Child」は「18歳未満のすべての者」という意味である。

 自治体では、相模原市、大阪府、三重県、高知県、北海道、福岡県などが「子どもの権利条約」という名称を使用している。

 これらの自治体は、子ども向けのパンフレット等を作成し、子どもへの啓発を図っている。
ちなみに神奈川県では「児童の権利に関する条約」という名称を使用している。

条約の位置づけ

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」は、1989年に成立して、1994年に日本は批准した。それによって、憲法と同等の上位法となっているので、これに基づいた施策が要請されている。しかし、現在のところ、この条約は軽視されているのではないかという論議もある。

 1998年に、日本政府の報告に対して、国連・子ども権利委員会より、異例の44項目に及ぶ懸念、提案及び勧告が出され、それを受けて2001年に第2回目の報告を提出した。

 1998年に、日本政府の第1回報告について、国連・子ども権利委員会で審議し、同年6月5日の会合で採択された最終見解が出された。この審議に際して、NGOの団体が、不登校や児童虐待など子どもの置かれている状況の報告書を別に提出し、審議会での審議の資料にとりあげられた。それが優れた内容の懸念、提案及び懸念になった。そして、いわゆる先進国における子どもの問題について、どう考えるべきか、問題提起にもなっている。

 「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の実施の中できまっている政府の報告義務によってなされた、1998年の国連・子ども権利委員会の最終所見に対する政府の第2回目報告は139ページに及ぶ長いものである。

条約の基本

財団法人 日本ユニセフ協会抄訳を参考にした。)

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」は、以下の4つの権利を基本的な考え方に据えている。

1 生きる権利

第6条(生命への権利、生存・発達の確保)

  • 防げる病気などで命を奪われないこと。
  • 病気やけがをしたら治療を受けられることなど。

2 育つ権利

第2条(あらゆる差別の禁止)

第3条(子どもの最善の利益)

  • 教育を受け、休んだり遊んだりできること。
  • 病気やけがをしたら治療を受けられることなど。

3 守られる権利

第2条(あらゆる差別の禁止)

第19条(親による虐待・放任・搾取からの保護)

第20条(家族環境をうばわれた子の保護)

第34条(性的搾取、虐待からの保護)

第39条(搾取、虐待、武力紛争等による被害を受けた児童の回復のための措置)

  • あらゆる種類の虐待や搾取などから守られること。
  • 障害のある子どもや少数民族の子どもなどは特別に守られることなど。

4 参加する権利

第12条(意見表明権)

  • 自由に意見を表したり、集まってグループを作ったり自由な活動を行ったりできることなど。

意見表明権について

基本的な4つの権利のうち「参加する権利」=「意見表明権」は、子どもが社会の中で、大人と同様に認められた存在として扱われることを意味し、大人に向かって自分の考えや意見を自由に述べることができるといことを意味している。
そのもっとも大切な意味は、次の3点にある。

1 人間の尊厳の保障
無視されず、顔を自分に向けてもらう人間関係の形成によって、子どもは一人の人間としての尊厳を確保できるのである。

2 居場所の保障
どんなことでも言える、安心と自信と自由を保障してくれる人間関係をとおしてはじめて、子どもは自律的で責任のある大人へと成長発達できるのである。

3 主体的な成長発達=自己実現の機会の保障
人間関係をとおして成長発達過程に自ら参加するから、今の人生を主体的に生きられるのである。

「子どもの参画」という考え方へ

この「意見表明権」は、「子どもの参画」という考え方の基本になっていて、この権利を保障することによって、子ども自身が自分で目標を選び取って、それに向かっていけるように、知識とか技能を子ども自身が身につけられるようにしていくことができる。例えば地域活動などに「子どもの参画」を促進することで、子どもたちに地域社会で大切にされているという意識が青少年に芽生え、また地域社会を居場所と感じるようになる。そして最も大切なことは地域社会で民主主義のプロセスを実践し学ぶことができるということである。

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資料 「児童の権利に関する条約」政府訳(前文、第12条)

前文
この条約の締約国は、国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであることを考慮し、国際連合加盟国の国民が、国際連合憲章において、基本的人権並びに人間の尊厳及び価値に関する信念を改めて確認し、かつ、一層大きな自由の中で社会的進歩及び生活水準の向上を促進することを決意したことに留意し、国際連合が、世界人権宣言及び人権に関する国際規約において、すべての人は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしに同宣言及び同規約に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明し及び合意したことを認め、国際連合が、世界人権宣言において、児童は特別な保護及び援助についての権利を享有することができることを宣明したことを想起し、家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員、特に、児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神並びに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等及び連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し、児童に対して特別な保護を与えることの必要性が、1924年の児童の権利に関するジュネーヴ宣言及び1959年11月20日に国際連合総会で採択された児童の権利に関する宣言において述べられており、また、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約(特に第23条及び第24条)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(特に第10条)並びに児童の福祉に関係する専門機関及び国際機関の規程及び関係文書において認められていることに留意し、児童の権利に関する宣言において示されているとおり「児童は、身体的及び精神的に未熟であるため、その出生の前後において、適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする。」ことに留意し、国内の又は国際的な里親委託及び養子縁組を特に考慮した児童の保護及び福祉についての社会的及び法的な原則に関する宣言、少年司法の運用のための国際連合最低基準規則(北京規則)及び緊急事態及び武力紛争における女子及び児童の保護に関する宣言の規定を想起し、極めて困難な条件の下で生活している児童が世界のすべての国に存在すること、また、このような児童が特別の配慮を必要としていることを認め、児童の保護及び調和のとれた発達のために各人民の伝統及び文化的価値が有する重要性を十分に考慮し、あらゆる国特に開発途上国における児童の生活条件を改善するために国際協力が重要であることを認めて、次のとおり協定した。

第12条

1 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

2 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。

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