III  米軍の事件・事故 さまざまな提供施設が存在する神奈川県では、米軍による事故も多岐に及んでいる。主な事故には、いったん発生すると大惨事になりかねない航空機墜落事故や、艦船や基地からの油等流出による周辺地域の環境汚染などがあげられる。 1 主な航空機事故 県内における米軍機の事故は、平和条約発効後の昭和27年4月から平成19年3月までに、214件の多数に及んでいる。その内訳は、墜落事故62件、不時着54件、落下物68件、その他(オーバーラン、燃料放出等)30件である。 米軍機の事故はジェット機によるものが多く、214件中107件と全体の50%を占め、被害が甚大な墜落事故62件のうち37件を占めている。 厚木海軍飛行場の滑走路かさ上げ工事が完了した昭和35年ごろ、F−4Dスカイレイ戦闘機、F−8クルーセイダー戦闘機、A−4スカイホーク攻撃機等が激しい訓練を繰り返したため、事故が多発した。 特に昭和39年は、9月に大和市館野鉄工所、12月に清川村など8件の墜落事故を含め、17件もの事故が発生し、翌昭和40年5月にも相模原住宅地区、6月には二宮沖と米軍ジェット機の墜落が相次いだ。同じく6月には、北に向け発進したジェット機が離陸に失敗して、大和市上草柳の農地に突込む事故も発生した。 このため、周辺住民により組織された「厚木基地被害対策協議会」は、昭和40年7月1日、進入表面下に高さ10mの旗竿をたてる実力行使に踏み切るとともに、政府に対し、危険区域の明示等6項目を要望した。直ちに、県が政府に対し善処するよう折衝した結果、7月13日、協議会側は政府の誠意を期待するとして実力行使を中止した。 昭和52年9月、空母ミッドウェーへ向けて飛び立ったRF−4Bファントム偵察機が、横浜市緑区に墜落し、死傷者9人を出すという大惨事が起きた。この事故を契機に厚木海軍飛行場周辺の航空交通管制が再検討され、新方式による航空交通管制業務が、昭和53年7月から実施された。 主な墜落事故の概要は次のとおり。 (1)横浜市神奈川区神大寺墜落事故 昭和33年8月31日、厚木海軍飛行場を離陸したジェット機が、その直後故障を生じ、パイロットは、市街地を避け着陸しようとしたが失敗し、神奈川区神大寺に墜落し、パイロットは死亡した。 この事故により、住民に重傷1人、軽傷7人の人身被害が生じ、家屋6棟が全半壊した。 (2)藤沢市高倉墜落事故 昭和36年4月21日午前9時10分ごろ、藤沢市高倉に、岩国海兵隊航空基地所属A−4Dスカイホーク攻撃機が墜落した。同機は、厚木海軍飛行場を発進直後故障が生じ、集落地を避け農地に着陸しようと努めたが、高圧線に触れ、民家に墜落し、パイロットは死亡した。 住民の死亡1人、負傷2人、家屋の全焼6棟、半焼1棟のほか、農作物にも被害が及んだ。 知事は、内閣総理大臣をはじめ、関係政府機関及び米軍に対し、補償の即時実施、事故防止、集落・公共施設等上空の飛行禁止、特に低空飛行の禁止等を要望した。 米軍からは、厚木海軍飛行場の離着陸訓練の一部を木更津で実施すること、また、人口密集地上空における低空飛行を避けること、航空機の安全飛行のため絶えざる努力を続ける旨回答があった。 (3)町田市墜落事故 昭和39年4月5日午後4時28分、岩国海兵隊航空基地第1海兵飛行師団に所属するRF−8Aクルーセイダー偵察機2機が、厚木海軍飛行場に着陸するため飛行中、うち1機が墜落し、東京都町田市原町田の商店街を直撃した。 住民の死亡4人、負傷32人、家屋全半壊27棟の被害が発生した。 知事は、関係政府機関及び米軍に対し、安全飛行について要請した。昭和39年4月7日、日米合同委員会事故分科委員会は、日米合同委員会に対し、人口過密地帯上空の飛行規制を勧告した。 政府は、この事故を契機に、遺族補償について、昭和39年6月23日、補償限度額の大幅な引き上げや、慰謝料の創設などを柱とする補償金額基準の改定を閣議決定し、昭和39年4月1日から遡及適用することとした。 (4)大和市館野鉄工所墜落事故 昭和39年9月8日午前10時58分ごろ、米空母ボノム・リシャール搭載の第194戦闘飛行隊所属のF−8Cクルーセイダー戦闘機が、厚木海軍飛行場を離陸直後、エンジン故障のため、滑走路北側約1,000m地点の大和市上草柳の館野鉄工所に激突し、広い範囲にわたり、機体、燃料が飛散し、大惨事を引き起こした。 館野鉄工所の工場、住居が全焼し、作業中の工場主の長男、3男及び従業員の計3人が即死、次男及び従業員の計2人が入院後死亡した。その他負傷3人の人身被害があった。家屋全壊4棟、一部損壊6棟のほか、農地の損傷があった。 知事は、直ちに、遺族に弔慰金、負傷者に見舞金を贈るとともに、関係政府機関及び米軍に対し、厳重な抗議を行った。 この墜落事故発生により、周辺住民の恐怖、不安は極限に達し、周辺の9市町の議会は、それぞれ、厚木基地の移転、撤去、事故の再発防止等を決議した。県議会も、「再びこのような不祥事件が起きないよう、その根源を断つために新たな観点に立って抜本的対策の確立を期する」旨の決議をした。 また、知事は、関係政府機関及び米軍に対し、機体の整備、パイロットの訓練等にさらに十分の配慮をすること、十分な補償金を早急に支払うことを要望した。さらには、政府に対し、基地周辺民生安定法を制定すること、厚木海軍飛行場のように人口過密地に隣接し、かつ離着陸に際し事故の頻発する飛行場をこのまま米軍に提供することが妥当であるかどうか積極的に検討すること、進入表面下における移転補償の適用基準、範囲の拡大と、移転に伴う農地、山林を適正な価格で買い上げることを要望した。この要望は、昭和40年7月30日、基地問題等閣僚懇談会に取り上げられ、「横田及び厚木飛行場等の周辺における安全措置について」が了解された。 (5)清川村墜落事故 昭和39年12月8日午後0時30分ごろ、厚木基地所属F−8Aクルーセイダー戦闘機が、同飛行場離陸後数分にして、清川村煤ケ谷の農家の裏山に墜落し、機体が庭先に突込んだ。パイロットはパラシュートで脱出、救助された。この事故により、人身被害はなかったが、家屋全焼3棟、一部損壊3棟、山林、農地が損傷した。 知事は、関係政府機関及び米軍に対し、@航空機の整備と訓練の完全を期すこと、A人口過密の地域に基地をこのまま存在せしめることが適当であるかどうかについての検討、B基地周辺民生安定に関する法制定の早期実現、を要望した。 (6)相模原市米軍住宅地区墜落事故 昭和40年5月5日午後9時40分ごろ、横田基地所属F−105サンダーチーフ戦闘爆撃機が、横田飛行場に着陸するため飛行中、機体に異常を発見し、人口過密地を避け、機首を相模湾に向けたのち、パイロットはパラシュートで脱出したが、機体は反転し、相模原市上鶴間の米軍相模原住宅地区に墜落した。 この事故により、日本側は軽傷1人、家屋一部損壊3棟、また、米側には死亡3人、負傷7人、家屋の全半壊があった。 県は、関係政府機関及び米軍に対し、人口過密地上空の飛行を避けること、特に、政府に対しては、抜本的安全対策の確立、基地周辺民生安定法の早期制定、並びに事故補償金の早期支払いを要望した。 (7)横浜市旭区上白根町墜落事故 昭和46年8月24日午後2時50分ごろ、米空母オリスカニーに向かって厚木海軍飛行場を離陸し、飛行中のF−8Jクルーセイダー戦闘偵察機2機のうち1機がエンジン故障し、横浜市旭区上白根町の山林に墜落した。パイロットはパラシュートで脱出した。この事故により、家屋一部損壊1棟及び山林が損傷した。 知事は、直ちに、関係政府機関及び米軍に対し抗議した。 (8)横浜市緑区荏田町墜落事故 昭和52年9月27日午後1時19分ごろ、厚木海軍飛行場を離陸し、洋上の空母ミッドウェーに向かって飛行していた米海兵隊第1海兵航空団第3戦術偵察飛行隊所属のRF−4Bファントム偵察機が、横浜市緑区(現青葉区)荏田町に墜落し、機体とともに燃料が飛散し、炎上した。この事故により、3才と1才の幼児2人が死亡、その他重傷3人、軽傷4人、家屋全焼2棟、損壊3棟等の被害が発生した。死亡した幼児の母親も重傷で入院していたが、4年4か月後の昭和57年1月26日に死亡した。 知事は直ちに、開会中の県議会に報告し、昭和52年9月28日、国及び米軍に対し、米軍機の飛行中止等の要請をした。県議会でも、同日「米軍機墜落事故に関する意見書」を採択した。その後知事は、10月1日、被害者を見舞い、現地を視察した。また、同日、基地関係県市町連絡協議会を緊急に開催し、10月3日、横浜市長ほか関係市長とともに米国大使館に出向き、厚木基地の撤去を申し入れた。11月17日、知事は、同協議会を代表して米国大使館へ再度赴き、飛行の中止を強く申し入れた。また、11月21日、同協議会は関係政府機関に飛行の中止を申し入れた。 昭和53年1月24日、日米合同委員会事故分科委員会は、事故原因について、「左エンジンが飛行中に故障し、大火災を発生した。この故障は、アフターバーナー排気ダクト第3ライナーの不具合により生じた。ライナーの不具合は、サポートの接着不良が原因であった」と公表した。 また、住民の安全を確実にするため、可及的速やかに厚木飛行場周辺の航空交通管制を再検討すること、及び基地ごとに事故が生じた場合における緊密な連絡、調整に努めること等の勧告を行った。 この勧告を受け、今後の改善措置を図るため、海上自衛隊第4航空群(厚木)と在日米軍(横田)との間で検討が進められた結果、新しい航空交通管制について合意が得られ、昭和53年7月3日から新方式「厚木飛行場周辺の航空交通管制の再検討について」による運行が始められた。 その後、墜落事故は昭和59年及び62年に計2件発生し、昭和62年2月7日、厚木基地北側フェンス真近の基地内に米軍フライングクラブ所属のセスナ機が墜落した事故では、乗員2名が死亡した。いずれも住民の人身被害はなかった。そして、この事故以降平成19年3月現在墜落事故は発生していない。 (9)最近の航空機事故 県内では、平成16年7月19日、米空母キティホーク所属へリコプターから機関銃弾200発入りの箱が落下し、同年12月7日、同ジェット機からの部品落下が発覚した。幸い人的被害はなかったが、一歩間違えば人命にかかわる事故になりかねないことから、いずれの事故でも、知事は国と米軍に対し、事故原因の究明、安全対策の確立等を要請した。 また、同年8月13日の沖縄県における米海兵隊ヘリコプターの墜落事故、19日の横浜市内における横田基地所属ヘリコプターの不時着事故、10月4日の沖縄県における米空軍ジェット機の接触事故等、県内外で米軍による航空機事故が頻発したため、県は国と米軍に対し、渉外関係主要都道県知事連絡協議会を通じて、徹底した安全対策の構築、迅速な情報提供、事故の原因究明等について強く要請した。その後も、人的被害は生じていないものの、平成17年8月1日には藤沢市片瀬海岸に米軍ヘリコプターの不時着事故、平成18年5月13日及び10月13日には米軍航空機からの部品等の落下事故が発生するなど、米軍航空機による事故の発生は続いている。 2 その他主な事件・事故 (1)貯油施設の事故 ア 鶴見貯油施設の落雷事故 昭和54年7月27日、午後5時35分頃、エリアUの306号タンクに落雷があり、火災事故が発生した。事故の際、ジェット燃料JP−4が約10,000 kl貯蔵されていたといわれ、約4時間30分にわたり炎上した。鶴見貯油施設は石油コンビナート等災害防止法に指定された特別防災区域に所在しており、横浜市と県は、事故原因の徹底究明、再発防止のための安全対策の強化、及び早期通報体制の確立を米軍、国などに強く要請した。 同年8月3日、横浜市消防局は、施設に立入り、日米共同で事故原因の調査にあたったが、国内におけるこの種の事故例がなく、また、雷に関しては、学術的にも未解明な部分が多いため、同年10月30日には、一次的要因は落雷によるものであるが、落雷から出火に至る経緯は確定できなかったと発表した。 イ 旧小柴貯油施設の爆発事故 昭和56年10月13日正午過ぎ、6号タンクが、突然爆発し、火災事故が発生した。爆発したタンクには、航空機のジェット燃料JP−4が約24,000 kl貯蔵されていたといわれ、4時間余りにわたって炎上した。一時は他のタンクへの誘爆の恐れがあり、周辺住民に避難命令が出された。周辺住民に人身被害7人、物的損害463件にものぼる広範囲の被害が発生した。知事、横浜市長は、直ちに、厳重な抗議談話を発表するとともに、事故原因の究明と再発防止、安全対策の確立、速やかな被害実態の調査と誠意ある救済措置を、米軍、国などに強く要請した。 なお、横浜市消防局は、昭和57年1月に現地立ち入りを実施した。 事故原因については、昭和58年7月28日に米軍の調査結果が公表された。この調査結果は、「爆発原因を特定することはできなかった」と述べるとともに、推定される爆発原因についてふれ、さらに今後の再発防止措置として、14点の対策を指摘した。 また、同日、米軍と共同捜査を行ってきた県警の捜査結果及び横浜市消防局の調査結果が発表されたが、いずれも爆発原因は特定できなかったとし、推定原因を述べるにとどまった。 1年9か月にも及んだ米軍による事故調査の結果がこうしたものであったことに対し、知事、横浜市長は、遺憾の意を表明するとともに今後の安全対策を国、米軍に強く要望するという談話を発表した。 (2)油・汚水等流出事故 ア 油流出事故の連続発生(平成13年) 平成13年6月27日、鶴見貯油施設のタンクから軽油約23,100gが流出し、一部が配水管と土壌に浸透し運河にも流出した。同年7月19日には、吾妻倉庫地区の貯蔵タンクから約1,800gの灯油が漏れ、うち約56gが付近の運河に流出する事故が、さらに8月28日には、横須賀の吾妻島沖合に停泊中の軍艦カウペンズから、燃料約38gの油が流出する事故が発生した。 知事は、事故発生の都度、直ちに国と米軍に対し、施設の整備点検や土壌・地下水の調査と報告等を行うよう要請した。同年10月19日、在日米海軍司令官は知事に対し、それぞれの事故について適切な除去作業が行われた旨、文書回答した。 イ 油流出事故の連続発生(平成15年〜16年) 平成15年10月5日、横須賀基地内に停泊中の空母キティホークからの廃油を積み替え作業中のタンクから燃料油約34,000gが流出した。同年12月5日には、横浜ノースドックに停泊中の軍艦エフェクティブから約20gのビルジ(海水混じりの廃油)が流出した。 平成16年1月2日には、横須賀基地内でディーゼル発電機の排水施設から潤滑油約2,270gが、7日には、同基地内に停泊中の空母キティホークから380gの油が、さらに14日には、2日に事故を起こした施設から再度、潤滑油約76g〜95gが流出した。 知事は、相次ぐ油漏れ事故について遺憾の意を表明し、事故原因の究明、安全体制の見直しを、米軍や国に強く要請した。 ウ 油流出事故の発生(平成18年) その後、平成17年中は油流出の事故は発生しなかったが、平成18年に入り、1月17日に横須賀基地内で停泊中の空母キティホークから約 3,168gの油が、2月28日には横須賀基地内に停泊、給油中のミサイル駆逐艦フィッツジェラルドから約76gの油が流出した。 さらに3月23日及び4月12日にはキャンプ座間において、焼却施設へ軽油を供給するパイプの亀裂から流出した油が、相模原市内の鳩川に流入する事故が発生した。 これらの油漏れ事故に対して、県は原因究明や再発防止等について、米軍や国に強く要請した。 (3)米軍人よる事件・事故 ア 平成18年1月に横須賀で発生した殺人事件  平成18年1月3日早朝、横須賀市内の雑居ビルで空母キティホーク乗員により、女性が殺害され、現金が奪われるという事件が発生した。 本県にとって過去に例を見ない米軍人による凶悪な犯罪であったことから、神奈川県基地関係県市連絡協議会では、事件発覚後、米側(大使館及び米軍)及び政府(外務省及び防衛施設庁)に対し、強く抗議し、厳正なる綱紀粛正及び、事件の再発防止に努めること、また被害者遺族への迅速かつ誠実な対応を強く要請した。  事件を受けて、在日米海軍では、1月5日から8日までの間、「反省の期間」を設定し、軍人等の夜間外出を禁止した。その後も、在日米海軍では事件の未然防止のために、@飲酒制限、A20歳以下の海軍構成員は午後9時以降、基地外ではパートナーと行動することとする制限、B服務教育、Cパトロールを行っている。 イ その他の事件・事故 米軍人等による交通人身事故の発生件数は資料V-4、検挙件数は資料V-5のとおりである。  県としては、神奈川県基地関係県市連絡協議会などを通じて、米軍人等の規律の保持や交通事故の予防対策を徹底して図るよう米軍及び国に申し入れを行っている。 3 事件・事故通報体制 平成8年12月2日、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告の中で、在日米軍にかかる事件・事故につき、日本政府及び適当な地方公共団体の職員に対して適時の通報が確保されるようあらゆる努力が払われる旨の報告がなされた。 この報告に基づき、平成9年3月31日の日米合同委員会で「在日米軍に係る事件・事故発生時における通報手続」が合意された。これは、通報すべき事件・事故を明確化し、通報経路を確立させることによって、日本側関係当局の迅速な対応を確保し、事件・事故が地域社会に及ぼす影響を最小限のものとするための手続を定めたものである。 4 航空事故等連絡協議会 昭和52年に横浜市緑区で発生した墜落事故を踏まえて、昭和53年1月の日米合同委員会事故分科委員会で、事故が起きた場合に、基地ごとに緊密な連絡、調整に努めるよう勧告されたことに伴い、国は、各防衛施設局長をはじめ関係機関に対し、必要な措置をとるよう通達した。 これを受けた横浜防衛施設局は、昭和53年末から県、関係市等へ働きかけ、昭和54年7月まで、県市町の関係機関、米軍及び自衛隊の間で協議が重ねられたが、連絡調整体制の整備を要するという点で一致をみたものの、協定化の必要性、事故の範囲、国の責任等をめぐって、基地対策行政サイドから異議が唱えられた。 そのため、昭和54年7月9日、消防、警察及び防衛の関係機関により、緊急連絡、応急及び救援活動につき、体制が整備されるまでの間の「航空事故連絡体制整備会議消防等関係暫定申合せ」が合意された。 その後、横浜防衛施設局は、「暫定申合せ」を発展的に解消し、体制を整備すべく、その後も県市の基地対策行政機関等と協議を重ねた。 その結果、 @ 航空事故だけでなく、陸上、海上で発生した不測の事故も対象とする。 A 応急及び救援活動を要しない軽微な事故についても措置をする。 B 具体的な体制づくりは、協議会を設置して検討する。 など、国と関係自治体等の間で意見の一致がみられ、昭和62年1月20日、航空事故等連絡協議会が発足した。 協議会は、関係自治体の行政・消防・警察、米軍、防衛施設庁、海上保安庁の関係機関35担当部署(平成19年3月末現在24機関38担当部署)をもって構成し、航空事故等が発生した場合に備え、関係機関相互の連絡調整体制を整備し、総合的な応急対策の実施について連絡協議することを目的としている。 協議会は発足後も、さらに具体的な体制づくりについて検討を重ねた結果、昭和63年1月29日、「航空事故等に係る緊急措置要領」及び「軽微な航空事故等に係る措置について」の合意をみた。