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更新日:2024年4月12日

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県西地域の国指定・県指定無形民俗文化財

神奈川県(県西地域)の国指定・県指定無形民俗文化財について紹介しています。

県西地域で国・県によって指定された無形民俗文化財をご紹介します。

相模人形芝居[下中座・長谷座・林座]

  • 所在地:(下中座)小田原市、(長谷座・林座)厚木市
  • 開催時期:不定期
  • 国指定重要無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和55年1月28日

相模人形芝居(下中座)の画像

下中座

相模人形芝居(長谷座)の画像

長谷座

相模人形芝居(林座)の画像

林座

県内には、江戸時代から明治にかけて十五か所の三人遣いの人形芝居があったが、現在でも五座で続けられている。そのうち国指定は三座である。カシラが文楽よりもやや小ぶりで「鉄砲ざし」という操法を伝える江戸系人形芝居の遺産である。

このうち下中座は、伝承によると、約250年前、関西地方から人形遣いの一行が、江戸を目指して旅興行の途中、その技能を村の青年に伝えたのが始まりと言われている。

また長谷座は、江戸時代中期に始まったと伝えられているものの、長谷座の伝承では、「阿波の人形廻しが来て始めた…」と言われており、長谷の堰(せき)神社には、淡路から伝わったとされる翁面がある。

そして林座は、江戸時代中期に始まったとされておりますが、1850年頃、大阪の人形師吉田朝右衛門の指導により始まったと考えられている。

国の指定にあたっては、下中座・長谷座・林座の三座が相模人形芝居連合会を結成し、国の無形民俗文化財として同時に指定を受けた。

小田原囃子

  • 所在地:小田原市多古
  • 開催時期:不定期
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和51年10月19日

小田原の白山神社における祭礼で行われる祭礼囃子。「囃子」は元々祭りや民俗芸能に限らず、能、歌舞伎、長唄など、各種の幅広い芸能で拍子を取ったり、情緒を添えたりする目的で行われる伴奏のための音楽である。形態は、笛1人、大太鼓1人、締太鼓(しめだいこ)2人、鉦(しょう)1人の5人囃子が基本だが、締太鼓は、現在4人とするところが多い。

曲目は、葛西・神田囃子系では「屋台、昇殿、鎌倉―四丁目―屋台」、目黒囃子系では「破矢、宮鎌倉―国堅―師調目―破矢」といった急と緩、動と静を取り混ぜた組曲形式を基本曲としている。長老組、中老組、少年組の三組をもって保存されている。

寺山神社の鹿島踊り

  • 所在地:小田原市根府川
  • 開催時期:7月中旬の土日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和51年10月19日

根府川寺山神社の鹿島踊りの画像

根府川の寺山神社で7月中旬の土日に奉納される舞踊である。根府川は石材の産地で、石材運搬船に関わる仕事をする人達が多かった。こうしたことから、海や船、航海に関わりのある鹿島信仰が定着し、鹿島踊りも伝えられるようになったと考えられる。

踊り手は25人が定数で、「5行5列」が定型、「方舞」と「円舞」の組合せで舞う。この外に4人の警固役がつく。歌上げがつく場合もある。警固は紋付羽織で、青竹を持つ。麻カミシモのところもある。踊り手は、白丁(白木綿で作った狩衣)平札烏帽子をつけ、白足袋、白緒の草履を履く。踊りの内、太鼓1人、鉦(しょう)2人、黄金柄杓1人、日形1人、月形1人の外の者は左手に幣束(へいそく)、右手に扇を持つ。楽器は太鼓と鉦だけで、太鼓役は常に踊りの中心にいてこの踊りの主役である。黄金柄杓の中にはヨネとよばれる5色の細かい色紙を入れ、棒を振ればはらはらと落ちる。昔はこの中に藁を入れたとのことである。踊りには全て歌がつく。

足柄ささら踊

  • 所在地:南足柄市
  • 開催時期:不定期
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和51年10月19日

足柄ささら踊の画像

「足柄ささら踊」は、江戸時代から明治時代にかけ、少女達が「盆踊り」として踊っていたものである。明治末期以降は徐々に衰退していったが、昭和29年頃、地元の婦人会が再興した。

踊りでは竹のビンササラを突き、小太鼓をうち、2本の扇を用いる。種類としては扇踊り、手拭踊り、太鼓踊り、丸々踊りがある。最近は少女でなく成人した人達が、浴衣と木綿帯に赤い腰巻きを出して、玉だすきで踊る。

相模人形芝居[前鳥座・足柄座]

  • 所在地:(前鳥座)平塚市四之宮、(足柄座)南足柄市
  • 開催時期:不定期
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和57年2月9日

相模人形芝居(前鳥座)の画像

前鳥座

 

相模人形芝居(足柄座)の画像

足柄座

 

前鳥座(さきとりざ)は、四之宮に伝わる3人遣いの人形浄瑠璃芝居の1座で、古くは四之宮人形と呼ばれた。前鳥座の名称は、昭和32年に当時の平塚市長により、前取郷・前取神社にちなんで与えられた。

 人形は、首(かしら)を胴体部になる肩板に差し込み、これに手と足を付け、衣装をつけて操る。3人遣いは、主遣い(おもづかい)が人形の首と右手、左遣いが人形の左手、足遣いが人形の両足を操って演技する。

 前鳥座の歴史は、前鳥神社の奉納行事として、江戸時代の中頃から始ったと考えられる。後に、上方で活躍していた吉田朝右衛門らの指導によって今日の基礎が固まった。第2次世界大戦前後に活動が一時中断したが、昭和27年に有志らによって再興された。

 また足柄座は、「斑目(まだらめ)人形」として知られていた人形芝居で、江戸中期に、酒匂川の洪水で逗留した人形師によってもたらされたというが、師系のはっきりしているのは明治に入ってからである。太平洋戦争時は公演を控え、その後、昭和31年の公演を最後に一時中断しましたが、昭和40年に地元婦人会有志により再興した。

 ここの頭は、古浄瑠璃時代の頭を改良したものや、優れた人形細工職人として有名な駿府長兵衛の銘がある頭も存在し、資料価値が高い。

山北のお峯入り

  • 所在地:山北町皆瀬川
  • 開催時期:不定期
  • ユネスコ無形文化遺産(「風流踊」として国内40件の民俗芸能とともに記載)
  • 記載年月:令和4年11月
  • 国指定重要無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和56年1月21日

山北のお峯入り(道行き)の画像山北のお峯入り(棒踊り)の画像

「山北のお峯入り」は、足柄上郡山北町の共和地区に古くから伝わる民俗芸能であり、祭事である。山岳信仰(修験道)の影響を受け、更に、風流踊りや古代の儀礼などを交えている。男性のみ約80人が、天狗、獅子、おかめ、山伏、国見役、殿様などに扮し、笛、太鼓に合わせて「道行き」と呼ばれる行列を組んで練り歩く。そして、みそぎ、満月の歌、棒踊り、鹿枝(かしえ)踊り、修行踊り、歌の山、四節(しせつ)踊り、五色(ごしき)踊り等8種類の歌舞(かぶ)が奉納される。

大きな男根を背負ったおかめがユーモラスに踊る「みそぎ」に始まり、満月の歌は、4人の歌にあわせて笛(6人)、太鼓(4人)がリズムをとる。踊りはない。棒踊りは、棒で天を指したり、大地を突いたりする踊りで、4種類ある。鹿枝踊りは、万燈(まんとう)、弓(ゆみ)、毛槍(けやり)、先払(さきばらい)、先箱(さきばこ)、ほろかご、奴(やっこ)など38人で踊る。修行踊りは山伏4人が演じるもので、山伏修験道の儀式が芸能化したもの。歌の山は、笛と太鼓の囃子(はやし)だけ。四節踊りは殿様、若殿、御側(おそば)、国見役等6人で、国見と蹴鞠(けまり)の仕草をして踊る。五色踊りは、おかめが1人で踊る。

なお、行事の資料としては、文久3(1863)年の「大神宮御祭礼帳」が残っている。

令和5年度は「山北のお峰入り」を開催しました

令和5年度の「山北のお峰入り」は令和5年10月8日(日曜日)に披露されました。詳細は山北町ホームページを御確認ください。

世附の百万遍念仏(よづくのひゃくまんべんねんぶつ)

  • 所在地:山北町向原
  • 開催時期:2月中旬の土日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和53年6月23日

山北町の世附に伝わる百万遍念仏は、600年の伝統をもつといわれる念仏信仰である。もとは山北町世附の能安寺(のうあんじ)で行われていたが、三保ダムの建設に伴い、現在では山北町向原に移転された能安寺で開催されている。

世附の百万遍念仏は一般的な百万遍念仏とは異なり、柱に固定した滑車に大珠数をかけ、302顆の珠数を男達がぐるぐる回すという珍しい形式である。

山北町付近には、民俗の中に修験の影響が色濃く残っており、百万遍念仏の修験の行装をした1人が道場に入って祈りを捧げると、大太鼓、締太鼓(しめだいこ)、笛に合わせての念仏が始まり、大珠数を回す。百万遍念仏の実施日はかつて15日から17日までの間だったが、現在は2月中旬の土・日曜日に変更されている。また、念仏が終わると、青年達による獅子舞が行われる。これは百万遍念仏に付属したものではなく、いつからか同時開催されるようになったものと考えられている。そして獅子舞を行う獅子が、幣を川に流して終わる。

当日、道場には赤・白・青・黄・黒の5色の注連縄(しめなわ)が天井いっぱいに下げられる。この注連縄は各家の戸口にかけると疫病除けになると伝えられている。

室生神社の流鏑馬(やぶさめ)

  • 所在地:山北町山北
  • 開催時期:11月3日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:平成7年2月14日

鶴岡八幡宮、寒川神社とともに県内に3個所残る流鏑馬で、室生神社の例大祭に神事として古儀(こぎ)に基づき行われる疫病除け、除魔の悪霊(あくりょう)祓いの行事である。

起源は源頼朝の石橋山挙兵の際、土豪(どごう)の河村義秀が平家方に味方したために領地を没収され、斬刑に処されるところであったものの、鎌倉での流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事によるとされている。

室生神社では当社の大祭に際し、社前の道路約300mに砂を敷き詰め、的は3箇所設ける。流鏑馬が農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われた。3つの的は、一の的が早稲(わせ)、二の的が中稲(なかて)、三の的が晩稲(おくて)の出来を表していた。

流鏑馬神事は「馬場駈け」「流鏑馬開始の式」「馬場入りの儀」「垢離(こり)取りの儀」「流鏑馬始式」「騎射(きしゃ)」の順に執り行われる。そして拝殿(はいでん)前の「終了報告」により終了する。

箱根の湯立獅子舞[仙石原神楽保存会]

  • 所在地:箱根町仙石原
  • 開催時期:3月27日
  • 国指定重要無形民俗文化財
  • 指定年月日:令和4年3月23日

湯立獅子舞[仙石原神楽保存会]の画像

箱根の仙石原諏訪神社に、「湯立獅子舞」の名で親しまれる民俗行事がある。この両地区に伝えられる獅子舞は、江戸時代に、伊勢神宮の外宮の大々神楽が地方に伝えられ、それを獅子舞として一部分取り入れたものだとされている。

獅子頭をつけて舞うことは、悪霊や悪疫を払うことであり、舞の後に行われる「湯立の神事」は、氏子(村人)に1年間の疫病(疫神)が取り憑かないようにとの呪法である。

村の中に病気が流行したときは、獅子舞により疫神を追い払ったり、稲に害虫がついた時は、獅子舞に「虫送り」を頼んだり等、暮らしに溶け込んだ獅子舞であることが注目される。

舞は、平舞、宮舞、剣の舞、行の舞。この舞が終わって、「湯立神楽」が始まる。忌竹の内側に大釜を据え、火を焚き、釜の湯が煮えたぎる中に幣を入れ湯冷ましの法をし、剣印をして湯釜をはらってから湯笹を取って熱湯をかき回し、これを引き上げ本殿の前で打ち合せる。次いで氏子や観衆の頭上でも、たっぷり湯のふくんだ笹を打ち合わせる。舞の時には、2人立ちとなるが、湯立は獅子頭を被り、胴幕を巻きつけて1人立ちとなって行う。獅子頭は1頭であるが、仙石原は牡獅子といわれている。

国では、仙石原神楽保存会が継承する湯立獅子舞と宮城野獅子舞保存会が継承する湯立獅子舞を「箱根の湯立獅子舞」とまとめて国の重要無形民俗文化財に指定している。

箱根の湯立獅子舞[宮城野獅子舞保存会]

  • 所在地:箱根町宮城野
  • 開催時期:7月15日
  • 国指定重要無形民俗文化財
  • 指定年月日:令和4年3月23日

湯立獅子舞[宮城野獅子舞保存会]の画像

箱根の宮城野諏訪神社に、「湯立獅子舞」の名で親しまれる民俗行事がある。江戸時代に、伊勢神宮の外宮の大々神楽が地方に伝えられ、それを獅子舞として一部分取り入れたものされている。

獅子頭をつけて舞うことは、悪霊や悪疫を払うことであり、舞の後に行われる「湯立の神事」は、氏子(村人)に1年間の疫病(疫神)が取り憑かないようにとの呪法である。

村の中に病気が流行したときは、獅子舞により疫神を追い払ったり、稲に害虫がついた時は、獅子舞に「虫送り」を頼んだり等、暮らしに溶け込んだ獅子舞であることが注目される。

舞は、平舞、宮舞、剣の舞、行の舞。この舞が終わって、「湯立神楽」が始まる。忌竹の内側に大釜を据え、火を焚き、釜の湯が煮えたぎる中に幣を入れ湯冷ましの法をし、剣印をして湯釜をはらってから湯笹を取って熱湯をかき回し、これを引き上げ本殿の前で打ち合せる。次いで氏子や観衆の頭上でも、たっぷり湯のふくんだ笹を打ち合わせる。舞の時には、2人立ちとなるが、湯立は獅子頭を被り、胴幕を巻きつけて1人立ちとなって行う。獅子頭は1頭であるが、宮城野は牝獅子といわれている。

国では、仙石原神楽保存会が継承する湯立獅子舞と宮城野獅子舞保存会が継承する湯立獅子舞を「箱根の湯立獅子舞」とまとめて国の重要無形民俗文化財に指定している。

貴船神社の船祭り

  • 所在地:真鶴町真鶴
  • 開催時期:7月27日、28日
  • 国指定重要無形民俗文化財
  • 指定年月日:平成8年12月20日

足柄下郡真鶴町の貴船神社の祭礼で、7月27日及び28日に行われる。

「御座船」の形式を整えての船祭りは、真鶴が古い漁村であり、また石材の積み出し港であることが背景にある。元々この船祭りは、貴船神社のある場所と集落までを繋ぐ海岸の道路がなく、祭礼の日には神輿が山を越えなければならなかったので、漁船に神輿を乗せて海上を渡御させたことに始まっている。また、貴船神社に鹿島踊りが奉納される。

鹿島踊りは、浴衣で、神社前、御仮殿、御旅所等町内の各地でも舞われ、同じく海上渡御(かいじょうとぎょ)の曳行(えいこう)中などに唄われる「船唄」とともに、この祭りを特徴づけるものとなっている。

1日目、氏子達は、小早船(こばやぶね)、櫂伝馬(かいでんま)各2艘、これに2艘の囃子舟と1艘の神迎船で、神社へ神迎えに行く。小早船の船上に屋形を組立て、周囲に彩色のある彫刻板を嵌め込んで、吹流し、提灯等で飾り立てる。内部には「唄之介」と称する3人の老人がいて、船唄を唄う。囃子船は花幣で飾られ、笛、太鼓の囃子方が乗る。神輿が船に移され、海上渡御の後、御仮殿に奉安されて、第1日目の行事が終る。2日目は神輿の町内渡御の後、夕闇迫る頃、神社へ帰っていく。

吉浜の鹿島踊り

  • 所在地:湯河原町吉浜
  • 開催時期:8月1日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:昭和51年10月19日

吉浜の鹿島踊りの画像

湯河原町の吉浜にある素鵞神社における夏祭りで、8月1日に行われる。

この神社に伝えられる「鹿島踊り」は、県下の西湘地区によく残り、伝えられるこの種の舞踊の中では、古い形式をよく留めているとされる。その理由の一つは、踊り手が腰に白紙をつけているためで、これは「物忌」のしるしと見られることによる。

踊り手は25人が定数で、「5行5列」が定型、「方舞」と「円舞」の組合せで舞う。白丁を着、烏帽子をつけ、白足袋や白緒の草履を履く。太鼓、鉦、日月黄金柄杓の三役を中心に踊る。

鍛冶屋鹿島踊り

  • 所在地:湯河原町鍛冶屋
  • 開催時期:4月第3土日
  • 県指定無形民俗文化財
  • 指定年月日:令和5年3月20日

マワリオドリカクオドリ

湯河原町の鍛冶屋にある五郎神社における例祭で、4月第3土日に行われる。

江戸時代後期には伝承されていたとされ、明治期に復活し、現在に至るまで伝承されている。

踊りは西湘地区の「鹿島踊り」の特徴をよく示しており、踊り手は25人が定数で、「5行5列」に並んで踊る「カクオドリ」と円形に踊る「マワリオドリ」の組合せで踊る。白丁を着、烏帽子などを被り、白足袋や白緒の草履を履く。太鼓、鉦を持つ「三役」と、黄金柄杓・三日月を持つ踊り手を合わせて「道具持ち」と呼び、「道具持ち」を中心に踊る。

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