三つの舞台を中心にニューツーリズムによる日本一の保養地再生

掲載日:2013年8月19日

大磯全景画像

湘南の奥座敷

  南は相模湾、北は高麗山と鷹取山と豊かな自然に囲まれた大磯。海岸一帯は古くから名勝として知られ、その景観を詠った歌は、万葉集や古今和歌集など幾多の歌集に収められています。平安時代末期には、相模国の中心として国府が置かれていました。東海道の宿場町として栄えた江戸時代には、「湘南」という言葉が、ここ大磯で誕生したといわれています(下記参照)。明治時代に入ると、政財界の重鎮たちがこぞって別荘を建築し、保養地として脚光を浴びました。
  現在では、旧別荘地の一部が期間限定で公開されるにとどまりますが、東海道の松並木など別荘文化の佇まいが町のそこかしこに見受けられています。

<湘南発祥の地・大磯>

  「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」

  この歌は、平安時代末期の歌人・西行が大磯海岸周辺を吟遊して詠んだとされています。江戸時代に入り、小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、この歌にちなんで、昔の沢らしい面影が残る景観の良い場所に、石仏の五智如来像を運び、草案を結び、「鴫立沢」の標石を建てたと伝えられています(現在の鴫立庵)。この標石の裏には「著盡湘南 清絶地」と刻まれており、これが「湘南」という言葉の始まりといわれています。

三つの舞台を中心に、ニューツーリズムによる日本一の保養地再生を目指す

  明治41年(1908年)の日本新聞社実施「全国避暑地百選」で第一位に選ばれた大磯。それから100年以上の時を経た現在、「ニューツーリズム」と「六次産業」をキーワードに、新たな保養地として生まれ変わろうとしています。

  まず、町を三つのエリアに捉え直し、それぞれが持つ特性を観光の資源として活用する試みを始めます。町の北側、高麗山から鷹取山にかかる大磯丘陵「グリーンパーク」エリアでは、農業とスポーツを軸とした観光を提供。明治時代に別荘が建ち並んだ国道一号線沿いは「邸園文化交流圏」とし、地域密着型観光保養施設を創出します。そして、東に北浜海岸と照ヶ崎海岸を望むこゆるぎの浜を中心とした「ブルーパーク」エリアでは、大磯港を拠点とした地域活性化を促進し、それぞれ特色のある観光保養地づくりにつなげていきます。

  歴史が醸造してきた地域資源を現代に活かし、大磯を再び日本一の保養地としようとする取組にご期待ください。

「三つの舞台を中心にニューツーリズムによる日本一の保養地再生」概要(大磯町HPへリンク)

大磯町新たな観光の核づくり推進協議会を設置しました

<会  長>菅井克行 東海大学教授

<副 会 長>山田喜一 特定非営利活動法人大磯ガイドボランティア協会

<構成団体>東日本旅客鉄道株式会社、大磯プリンスホテル、大磯飲食店組合、大磯逸品の会、公益財団法人神奈川県公園協会、特定非営利活動法人大磯ガイドボランティア協会、特定非営利活動法人西湘をあそぶ会、大磯町漁業協同組合、湘南農業協同組合、株式会社ランナーズ・ウェルネス、学校法人東海大学、おおいそオープンガーデンホーム運営委員会、NPO法人大磯だいすき倶楽部、大磯町区長連絡協議会、神奈川県湘南地域県政総合センター、神奈川県平塚土木事務所、社団法人大磯町観光協会(提案団体)、大磯町商工会(提案団体)、大磯町(提案団体)

神奈川県

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