平成24年度黒岩知事との“対話の広場”(地域版)川崎会場 実施結果

掲載日:2013年3月13日

平成24年度“対話の広場”地域版とは

 “対話の広場”地域版は、知事が県内各地域に赴き、県民の皆さんと直接意見交換を行う場です。
 今年度は、「マグネット地域」をテーマに、県内5会場で開催します。

 マグネット地域とは、人を引きつける魅力のある地域のことです。魅力ある地域づくりについて、会場ごとに設けたサブテーマに沿って、参加者の皆さんと話し合います。
 川崎会場では、「マグネット地域 -川崎再発見! 自然と歴史ー」と題して開催し、川崎の歴史、川崎の自然それぞれについて、造詣の深いお二人の方から事例を発表していただきました。

   “対話の広場”地域版(川崎会場)の様子

集会の概要

テーママグネット地域 -川崎再発見! 自然と歴史-
日 時平成24年11月8日木曜日 18時30分から20時30分
会 場エポックなかはら 7階 大会議室「武蔵」
内 容

1 知事のあいさつ

 2 地域の事例発表

(1) 川崎市観光協会        会 長 斎藤 文夫 氏

(2) おさかなポストの会       創設者 山崎 充哲 氏

 3 会場の皆さまとの意見交換(「マグネット地域」)
 4 「神奈川県緊急財政対策」・「神奈川州(仮称)構想案」に関する説明及び意見交換
参加者数137名

斎藤 文夫 氏 (一般社団法人 川崎市観光協会 会長)

斎藤 文夫 氏川崎・砂子の里資料館

  東海道川崎宿復興に情熱を注ぎ、私財を投じ京浜地区唯一の浮世絵常設館を開設。
  川崎大師の風鈴市を夏の風物詩として全国に広めた観光カリスマ。
  神奈川県観光協会会長

山崎 充哲 氏 (NPO法人 おさかなポストの会 創設者)

山崎 充哲 氏おさかなポスト

  多摩川の清流復活に奔走し、水辺の安全教育・魚の飼育を通じての環境教育に尽力。
  江戸時代には高級品であった多摩川アユの一夜干しの商品化に成功した。
  川崎河川漁業協同組合総代

知事のあいさつ   

はじめに 

 こんばんは。ようこそ対話の広場にいらっしゃいました。神奈川県知事の黒岩祐治です。

マグネットとは

 “対話の広場”地域版は、マグネット地域をテーマに、各地を回って実施しています。
私は、「いのち輝くマグネット神奈川」を目指すと言っていますが、このマグネットとは、引きつける力、磁力ということなんですね。

(1)マグネット病院

 私は20年ぐらい前に、ジャーナリストとしてナースの問題を取材していました。当時ナース不足が大きな問題になっていました。各病院は、ナースを集めるために大変苦労しており、あちこちの看護学校を回って人集めをしていました。そのような時代に、ナースの方から「あの病院で働きたい」と言って、集まってくる病院があったんですね。そうした病院には、働きたくなる魅力があるんですね。いいナースが集まれば、いい医療が実現できる。すると、患者さんは喜びますね。それが評判になって、更にいい医療スタッフがどんどん集まってくる。このようにいい循環が巡っている病院のことを「マグネット病院」と呼んだのです。そのマグネットという言葉、いい言葉だなと思ったんですね。

(2)マグネット神奈川

 その後、神奈川県知事選に出ることになり、どのような神奈川にしていこうかといったときに、「マグネット神奈川」を目指そうと。わざわざ行きたくなる、そこに行って住みたくなる、そういう神奈川にしよう。神奈川は、もともとそういうパワーがある所です。それをもっと磨き上げていきたい。そして、そのためにはそれぞれの地域がマグネットの力を持つことが大事なのではないかなと思いました。
 今、県内を回って、その地域のマグネットの種になるものは何か、マグネットの力を高めるためにはどうすればいいか、皆さんと対話をしています。今日は、川崎のマグネットについて、会場の皆さんと考えていきたいと思います。

緊急財政対策・神奈川州(仮称)構想案について

 このような対話の広場ですが、今回は、後半ちょっと別のことをさせていただきます。皆さん御承知だと思いますが、県の財政が非常に厳しい状況にあり、緊急財政対策というものを行なっています。新聞報道等もされていますが、私から直接、緊急財政対策で何をしようとしているのかを御説明し、その後、皆さんと議論をしたいと考えています。
 今日は第1部と第2部に分かれますけれども、わざわざ会場までお越しいただいたのですから、来てよかったなと思っていただけるように頑張りたいと思います。最後までお付き合いくださるようお願いいたします。

事例発表

斎藤 文夫 さん  一般社団法人 川崎市観光協会 会長

 川崎の歴史について

(はじめに)

 皆さん、マグネット川崎ということで、愛する川崎のために、頑張っていこうではございませんか。与えられた時間が15分。川崎の2000年の歴史を現代までひも解くのは困難でございます。でも、頑張ります。レジュメをお配りしておりますので、これを通して御説明申し上げます。

(川崎の母なる川 多摩川)

 私たちの川崎の東を流れる母なる川、多摩川。多摩川は、山梨県の笠取山から発して東京湾まで138キロ、我々の地域に沿って、東京との地境を作っている川です。それに合わせて、多摩丘陵がずっと横須賀線の所まで南下をしています。そしてさらに西には鶴見川が流れていまして、言うなら、多摩川と鶴見川との間に挟まれた、川の崎のまちでございます。
 先住民は縄文、あるいはその後の弥生、そして古代時代の古墳とか、あるいは貝塚とか、先住民の歴史は多摩丘陵に存在しています。
 ただ、いかにも多摩川は暴れ川でした。しかし、その多摩川で、私たち市民の、まず江戸時代からの水利、農水、あるいは生活用水、そしてやがては工業用水まで、多摩川のおかげで、我々が生活できた。多摩川あっての川崎、こういうことが言えます。

(川崎の歴史は北部から南部へ)

 そしてまた歴史的には、川崎は北部から南部へ、歴史的に時代を追ってくると、歴史の流れはそういう流れになっています。
 世田谷町田線は津久井往還、鎌倉古道、その古い時代の重要路線です。また、東海道古道と申しましょうか、これは今の246号線で、その当時の重要な街道でもありました。さらに下って江戸時代には、平塚からお酢街道、いわゆる東海道が東京大崎まで通じていました。家康が江戸城に入る際も、この道を通り、中原の渡しを通って江戸へ入る。関八州を治めた家康は、天下を睥睨(へいげい)して、京都、江戸との間にバイパス道路を造ろうとしたのですが、それが平塚から神奈川を通り、川崎を通り、品川へ抜ける、海浜を通る道路でした。
 これをもってしても、川崎の歴史の移り変わりが北から南へだったということを御理解いただけると思います。
 そして、特に川崎の長い歴史の中で、まず奈良・平安時代は武蔵国橘郡、国府は府中にありました。そして、高津の末長の小高谷戸に、当時の租庸調で税を取り立てたりした役所がありました。平安時代には、秩父平氏の流れを汲む、河崎冠者基家が、河崎庄という名前の地域を治めていました。これは約1100年前後です。
 鎌倉時代に入りますと、川崎の南部に稲毛神社があります。あの地域は、佐々木高綱の領地として治められました。そして同時に、北条政子、源頼朝の奥さんになった政子の妹が、川崎の枡形城主、稲毛三郎重成に嫁ぎまして、稲毛の庄、この一帯を治めたところですが、残念ながら、1205年に滅亡しています。
 また、室町時代に入りますと、鎌倉の扇谷の上杉管領、その太田道灌が城を造ろうというので、一番南の多摩丘陵の突端、現在夢見ヶ崎と言われていますが、そこに一夜の仮寝をして、鷹が王冠をくわえて東へ飛んで行く夢を見た。良い所だけど、ここへ城を造るのはやめようというので、江戸へ行って、現在の江戸城、平城ですが、造られました。もしも、あそこに、太田道灌が迷わず城を造ってくれていたら、川崎は天下の中心地になった、いかにも悪い夢を見たなと、私はいつもそう思っています。
 そして、私が住んでいる東海道、砂子にこういう歌が残っています。「かもめいる 砂子の里にきてみれば はるかにかよう おきつ浦風」、太田道灌が残した歌で、当時は砂浜で、いかにもカモメが飛んでいてのどかな、まさに寒村というような所でした。
 戦国時代に入りまして、いよいよ小田原城が秀吉に攻められる。この付近の出先の城は全部北条でしたが、これが衰退し、そして家康が江戸城に入ると、関八州を全部治めました。関ヶ原の合戦が1600年ですから、それを経た後、徳川幕府が成立します。
 川崎は天領でして、町家建てがほどなく行われました。私の家は間口5間、奥行きが戦前は約30間近くあり、本当にウナギの寝床、町家建ての典型的な所に、今もしっぽを切られて住んでいます。
 また、宿駅が制定されました。1601年です。でも、川崎は間の宿でした。それが22年遅れて1623年、はじめて川崎宿が正式に宿駅として認められ、そして東海道五十三次という名前が成り立ったところです。
 試みに、六郷の渡しというのは有名ですが、あそこは最初、1600年に109間の木橋ができました。江戸三大橋随一の大橋でございました。暴れ川ですから、しょっちゅう壊れる。そこで、元禄元年、1633年、残念ながら、今の渡し船に代わりました。以来明治6年まで、195年間、船の渡しが行われました。

(川崎の偉人)

 そしてさらに、川崎の偉人というのを挙げてみますと、まず小泉次太夫、宿河原から多摩川の水を引いて、そしてこの川崎、鶴見の潮田、あの地域まで、農業用水、あるいは生活用水、その水路を造り、農業も振興しました。
 そして、その後100年たって、川崎の宿の名主、そして田中本陣の養子である田中休愚が、二ヶ領用水の大改修をし、多摩川の改修と併せて、たいへんな成果を上げました。8代将軍吉宗に認められて、酒匂川、荒川、いろいろな所の工事を進めて、あの身分の厳しき時代に、何と3万石のいわば大名格に取り立てられた。川崎の一町人が3万石の大名になったと。まさに江戸時代のシンデレラボーイだと、私どもはうれしく思っています。
 もう一人、池上幸豊というのが、池上新田開発をし、そして塩田、甘藷糖(かんしょとう)、砂糖です。サトウキビをここまで持ってきた。いわゆる日本の当時の北限のサトウキビを植えて、農民に砂糖をつくることを奨励している。こういうような人が我が郷土の江戸時代の大先輩です。
 さらに、グッと下りまして、明治の終わりから大正にかけて、川崎に多摩川水流を利用して、工場ができ始めました。まず、鉄道が明治5年に、汐留から横浜に敷かれました。そのときに、いの一番に川崎に駅ができました。新幹線だって停まらない川崎に、あの当時文明開化のシンボル、陸蒸気が停まったのです。ナシ畑、モモ畑、そんな中に停まったのは、川崎大師への参拝客のためであった。今も昔も川崎大師、と観光協会会長は声を大にして申しています。
 そのようなわけで、その駅を中心に、多摩川の水利と両方が相まって、工場誘致が始まりました。まず横浜製糖が線路際の多摩川にできました。そして、明治45年、時の町長石井泰助、これが町是として工場誘致をしようと、自らが坪1円で駅裏を3万坪、東京芝浦電気、昔はマツダランプといいましたが、そこへ譲りました。そして、味の素が来る、日米蓄音機、後のコロンビアです、そういう工場を誘致する。そして、川崎に明治38年、当時絢爛(けんらん)豪華な競馬場が出来ました。その場所が4年足らずで廃止になりまして、そこに富士瓦斯紡績を誘致し、川崎の近代工業が発祥しました。
 そして、それに呼応して、浅野総一郎さんが臨海部を埋め立てて現在の近代産業川崎をつくりました。それから、川崎には先程駅ができたと言いましたが、併せて、明治32年、大師電気鉄道ができました。東日本初めての電気鉄道でした。これもお大師へのお客のためにできた、歴史的に大変由緒ある電車でした。それが今日の京浜急行に発展をしたことは、御承知だと思います。

(川崎市のあしあと)

 もう時間もまいりましたので、最後に、川崎が大正13年7月11日、川崎町、大師町、御幸村、この3自治体が合併して、5万188人の市が、横浜、横須賀に続いて、県下3番目で誕生しました。
 そして、それからの発展は、まず昭和2年、田島村、昭和8年には東横沿線の中原村、昭和12年には高津村、今日の田園都市線沿線、そして昭和13年、宮前村を合併しました。
そして最後に昭和14年、小田急沿線の柿生村、岡上等を編入して、やっと川崎市の地勢が固まりました。
 これには、川崎が伸びていくためには、東京と横浜のはざまでありますから、どうしても多摩川沿いに北へ西へと伸びていかざるを得なかった、先人の大変な苦労話がございます。
 現在、7区144万人の大都市に発展をしたわけでして、観光協会会長として私は、自分たちと縁があって住んだところ、住んだまち、それこそお互いにその地域における故事来歴、歴史を知って、その郷土を愛する愛郷の精神を盛り立てていきたい。それが観光立市の精神です。
 ともすれば「公害だ」、あるいは「ばくちの街だ」と言われた我々の川崎。今日では、すばらしい発展を遂げまして、公害も無事に収まった。あるいはまた、世界的な科学、サイエンスの集積した場所。さらにはライフ・サイエンスで、これから大きく展開をしていくであろう、世界に冠たる川崎になりつつある。この栄光は、今生きる私たちが、明日へ向けて、しっかり子や孫に残していかなければならないことだと、このように思っています。
 時間がまいりました。どうも、早口で、とにかく2000年に近い跡を振り返りました。
 どうぞ、賢明なる皆様方が、より一層御理解をいただき、郷土をお互いに愛して、マグネット川崎をより高めていこうではございませんか。御静聴ありがとうございました。

 山崎 充哲 さん  NPO法人 おさかなポストの会 創設者

(はじめに)

 ふだん、多摩川の生態系を守るおさかなポストの運営、また多摩川を使った環境教育、水辺の安全教育、多摩川の漁協の総代、多摩川で川漁師もやっています。あと、東京都の貴重な生き物たちを守るための仕組みがあるのですが、そのレッドデーターブックの委員もさせていただいています。
 また、川崎では、小学校の理科の特別派遣講師、そういうのもさせていただきながら、多摩川のすばらしさ、川崎の、おらが川の、おらがまちの故郷の川、それを子どもたちに知らせる取組みをやっています。

(多摩川の水源)

 皆さんも多摩川、電車の窓などからきっと一度は見たことがあると思います。源流は山梨県笠取山の一滴から始まって、河口はお大師さんの真横、羽田空港の横へ流れてきています。奥多摩のきれいな水なのですが、実は羽村堰という堰から、玉川上水にみんな取られてしまっています。ですので、川崎に流れている多摩川の水は、奥多摩から流れてきていません。では、どこから来るか。その水は、途中から入ってくる下水処理水ですね。それが多摩川の水の約70パーセントを占めています。つまり、多摩川の源流は、皆さんの御家庭の蛇口、それが実は多摩川の源流なのです。割と皆さんこの辺御存知ではない。
 山を守れば水がきれいになる。飲み水はいいのだけれども、実は川崎の多摩川はさしてきれいにはならないのです。つまり、皆さんの御家庭の蛇口の使い方、そこで多摩川は変わってきます。でも、下水処理場、恐れることはありません。思った以上にきれいです。科学技術の進歩は素晴らしいです。

(多摩川のアユ)

 多摩川にアユが、今年は何と1,200万匹上ってきています。私は多摩川で川漁師をやっていますが、捕まえたアユは一夜干しに加工して、日本橋の三越本店、多摩区にあるおそば屋さん、二子玉川のラーメン屋さんに出しています。また、今度、川崎大師門前のおそば屋さんでも川崎おこしをやろうじゃないかと、南の川崎区と、私が住む北の多摩区と手を結ぼうと。多摩川を通じて、いろいろな活動をしていきたい。また今日は、その多摩川のアユを皆さんにご試食いただこうと思いまして、300匹ばかり御用意しています。きっとビールか熱燗欲しくなっちゃうと思うのですけれども。
 最近の多摩川、実は海外でも有名です。アルジャジーラ、イギリスのBBC、韓国のアリラン放送が取材に来ました。また、日本のテレビ局は全局制覇でおさかなポストを取材に来てくれました。
 さて、それは何でかな、というところなのですね。

(タマゾン川 おさかなポスト)

 おさかなポスト、おそらく名前だけはちょっと聞いたことあるかもしれません。
 このおさかなポスト、飼いきれなくなった魚、熱帯魚を多摩川に捨てる人があまりにも多いものですから、多摩川でアマゾンの魚が捕れるというように言われてしまっています。それに引っかけてタマゾン川なんていうような言い方をされているのですけれども。
その多摩川への外来種遺棄を防止するために、川に捨てるのだったら、おさかなポストへ持って来てくださいと。
 基本的に、外来種だからといって、殺されていい命は一つもないと思っています。 殺されればゴミとして捨てられます。命をゴミとして捨てるのはいかがなものか。そう子どもたちにもふだんから教えています。ならば、おさかなポストで預かって、もう一度ペットとして飼ってもらえば、命を全うさせることができる。ですから、預かった魚やカメたち、年間1万匹をはるかに越えます。その魚やカメたちは、命の教育ということで、小学校や障害者施設、そういうところを里親学校として飼ってもらっています。100校を越える学校が今は協力してくれています。もちろん、個人の里親さんも募集しています。ただし、また捨てちゃう可能性があるので、非常に審査は厳しいです。
 多摩川への外来種遺棄防止がおさかなポストの役目ですので、いろいろやっています。ただし、正直なところ、ちょっと厳しいお話もあります。おさかなポストの運営は、どこかがお金を出してくれているわけではありません。約8割が、私のポケットマネーです。基本的には無償で来てくれているボランティアさんたちの力だけでやっています。あとは民間企業さんの、いろいろなところからの寄付。たとえば川崎市であれば、パチンコ屋さん組合が私たちに、面白い、やまちゃんやってみろよということで寄付をくれたりしています。
 ただ、悲しいことに行政は、外来種の問題等、ほとんど多摩川の問題を気にしていません。おさかなポストに補助金や助成金は1銭も付いてない。これが現実です。
 持続可能な活動にしていかないと、日本中に外来種がはびこってしまう。それをどうにかならないか。何とかもうちょっと持続可能な形で未来の子どもたちに渡してあげたい。今そういうように考えて、少しずつ動き始めています。
 せっかく知事がいらっしゃいますので、知事にお願いです。環境教育や、生物多様性、少しでも御興味があるのであれば、ぜひ人材や予算、その他もろもろ、御協力いただけたら、大変ありがたいと思います。

(多摩川の魅力)

 多摩川の魅力は何と言っても河原で遊べることです。サイクリングや、野球、散歩、お年寄りの方がゲートボールに出かけたり、いろいろな形で多摩川を利用されていると思います。
 ですが、多摩川の水に触れる方は多くはないと思うんですね。国際化された羽田空港から多摩川を見る人たち、鉄橋や橋や電車や車の中から多摩川を見る人たち、おそらく一日に数百万人もの方が多摩川を見ています。でも、なかなかその水に触れない。それはたぶん、死の川と呼ばれた時代、おそらく皆さん御存知だと思います。この年齢層の方ならきっと知っていると思います。魚が死んで、奇形魚が出て、多摩川が泡だらけになりました。その時代の思い出が吹っ切れていないのだと思うのですね。
ところが、今の多摩川は、タマちゃんが戻ってきたころから、劇的にきれいになっています。アユがたくさん捕れます。だから、子どもたちの魚捕り、野球やサッカー、バーベキュー、そういうようなことで、多摩川に何と1年間に2,500万人の人たちが遊びに行っています。2,500万人、実際はそこまで多くはないです。リピーターがいますので。でも、それぐらい多摩川の河川敷をみんなが利用してくれています。
 いろいろな形で子どもたちが多摩川で遊んでいます。多摩川がおらが川、故郷の川になるように、私たちが子どもたちを指導しています。学校などで紙芝居も使いながらいろいろやってはいるのですが、どうしても水の事故が起こります。それを防ぐために、学校のプールでライフジャケットを使って、子どもたちに水辺の安全を教えています。子どもが遊びに行って安全な場所、また、お年寄りが散歩に行って子どもたちに声が掛けられるような、コミュニケーションができる場所にできたらいいなと思って、やっています。
 多摩川に生き物もたくさん戻ってきています。かつて絶滅危ぐ種だったが多摩川ではたくさん増えちゃったから絶滅危ぐ種解除しようよというぐらい、いろいろな魚が増えています。もちろん鳥もいます。白鳥だって多摩川に来ています。河原に行けば、バッタもいます。ヘビもいます。カメもいます。タヌキがやっぱり結構うろうろしています。そうやって、いろいろな生き物が戻っています。
足下を見れば、石が転がっている。面白い形の石だな。子どもたちと石拾いします。その拾った石に絵を描いて、子どもたちにアートストーン、これもまた一つの学習ではないかなと思っています。
 また、春や秋には多摩川の河原にいっぱい花が咲きます。結構きれいです。お花畑いいな、きれいだな。でも、実はこれは、思った以上にまやかしなのです。このほとんどは外来種です。
野焼きが外来種の種を焼きつくして、本来の多摩川の生態系を戻す、そういうような役目があったりします。ただ、皮肉なことに、この野焼き、行政がやっているわけではありません。多摩川にブルーシートで住んでいる人たちが火を出すのです。あの人たちが火事を起こすことによって、結果として多摩川の生態系が守られていたという、非常に皮肉な結果です。

(3.11)

 3.11後、私達も多摩川から発信しようといろいろなことをやってきました。追憶と鎮魂、復興を祈って、多摩川から被災地にエールを送ろうということで、多摩川で灯籠流しをやりました。子どもから大人まで1,000人近い市民の方たちに集まっていただいて、調布市と合同でやりました。ただ、調布市は行政の予算があったので、300万円ぐらい使ったらしいですが、私たちは全員手弁当です。20万円で1,000人の人間を集めて、みんなで黙トとうをして、故郷の歌を歌って、そういうようなことをやりました。
 今お金の話が出ましたけれども、基本的に、これもみんなボランティアさんです。学生から、20代30代の若いボランティアさんが、3月11日、多摩川に集まってくれて、みんなでやりました。来年(2013年)もやります。3月9日土曜日です。3月11日が月曜日なもので、子どもが集まれないものですから、来年は3月9日の土曜日にやります。また予算はゼロから始めます。さあ、どうやってやろうかな。何かきっといいことができると思います。もしお時間があれば、3月9日、夕方6時、稲田堤でやりますので、遊びにおいでください。
 3月11日の東日本大震災、その陰に隠れていたのは熱帯魚たちでした。水槽が割れた。
揺れて水があふれた。池が割れた。いろいろな形で計画停電もありました。魚を飼えないという理由で、おさかなポストに大量の魚が持ち込まれました。1日で2,000匹です。 私たちは、駐車場等いろいろな所に水槽を並べて、その魚たちの命を何とかつないでやろうということで、頑張りました。もちろん、カメなど1日に200匹も持って来られて、これにはちょっと困りましたけれどもね。今こうやって思い出すだけでも泣けてきてしまうぐらいなのですけれどもね。子どもが、僕は津波から逃げられたのだけれど、カメを流した、泣きながら訴えに来ました。そこからカメをまた引き取りにおさかなポストへ来た、そのような話もあります。
 おさかなポストには、カメも魚もたくさん集まっています。そのカメや魚たちを利用して、レンタルの水槽をやったりしています。いろいろな形で皆さんの協力を仰がなければ、今の私たちの活動を、私たちだけで続けるのは非常に厳しい状況です。でも、お金がないからできないというのは、私は大嫌いなので、みんなの力を合わせれば何かできるだろうと思っています。

(伝えたいこと)

 今、子どもたちにこういう話の紙芝居をやって回っています。紙芝居はアナログですから、電気も要りません。川の中でもできるし、道路でもできるし、どこでもできます。
 それから、ふれあい移動水族館です。多摩川の生きた魚を幼稚園や小学校や行政、またCSR事業で企業さんたちにみんなが楽しんでもらえる、そういうような機会に多摩川の魚を連れて行って、子どもたちに直接触ってもらう。時には死ぬ魚もいます。でも、命の不思議さ、大切さを伝える事業ということでやっています。これもお金を頂けるときもありますが、頂けなくても、依頼があれば何とかして行くよ、空いている日ならボランティアで集まって行くよ、そうやって頑張っています。
 今いじめの問題や、いろいろなことがあると思います。でも、その子どもたちは、ほとんどが生き物と触れたことがない子たちなのですね。この席でこういう話をしていいのかちょっと分からないのですが、今は外国のお友達が教室にいると、その子のことを外来種と呼びます。僕は、それは間違っていると思うので、子ども達に、「多摩川にタマちゃんが来てくれた。シベリアから来たよね。自分の意思を持って来た人たちを外来種と呼ぶのはおかしいだろう。」と言っています。だから、外国のお友達が教室に来たら、外来種ではなく、仲間なのだということを教えています。
 子どもたちに多摩川の未来をどう残していくか、考えながら活動しています。おかげさまで、まだ父も健在で、私も家にいます。取りあえず食うには困りません。それならば、次の世代に任せられるようなことを何かやりたい、そういう気持ちでやっています。

(終わりに)

 多摩川にはびっくりするぐらいいろいろな人たちが取材に来てくれます。少しでも多くの方たちに多摩川の現状を知ってもらいたい。そして、子どもたちの未来のことを考えてほしい。川を通して町おこしをしたい、川おこしをしたい。こういうことを芸能人の方たちの中にちょっとずつ植え込んでいくと、これがまた結構ネタになります。ほんとにいろいろな方たちが、何か見たような方たちがいっぱい来てくれます。
東京の方がいたら大変ごめんなさい。東京の多摩川にはこんなに取材が来ません。なぜでしょう。これは川崎だから来てくれるのです。川崎の多摩川は、いろいろな人たちが集まって、いろいろな活動ができる。ぜひ皆さん、多摩川に遊びに行ってください。そして、全然知らない子どもでも、悪いことしたら一発怒ってやってください。そして、「あのおじさん、いつも犬連れているおじさんだね、こんにちは。」と、挨拶ができる川にしてあげてください。ただ散歩するだけで結構です。それで町と子どもと人と川がつながると思います。
時間になりました。これで終わりです。ありがとうございました。

意見交換(マグネット地域)

<知事発言>
 “対話の広場”地域版は、県内各地で開催していますが、会場ごとにサブテーマも事例発表者の方も全部違います。そこで、今回、川崎会場のサブテーマとして、なぜ、自然と歴史を選んだのかを少しお話ししたいと思います。
私は川崎という地域をいろいろなところで強くアピールしています。川崎というのはすごいと。あの公害に苦しんだまちが、すばらしい自然を取り戻した。今や環境技術、そして新しいエネルギー技術では、他と比べものにならないものがある。このパワーはすごい、と言っています。それともう一つ、羽田空港のすぐそばの川崎殿町地区。ここはライフイノベーションの国際戦略総合特区に指定されました。今、ここを日本の医療を変える起爆剤にしたいと、一生懸命やっています。その結果、川崎の最先端の部分は、割と光を浴びるようになってきました。
そこであえて川崎の歴史。鎌倉ならともかく、川崎の歴史と言われても、皆さん、ぴんとこないのではないかと思います。だからこそ、川崎にこれだけの歴史があることを、新たな魅力として打ち出していくことが、一つの大きなマグネットになるのではないかと思っています。斎藤文夫先生の名調子には、聞きほれました。途中で切るのはもったいなかった。本当に素晴らしいですね。
 そして、かつて死の川と言われた多摩川を、魚が戻って来る川によみがえらせた山崎さん。外来種が入り込んでタマゾン川とも呼ばれた状況を救おうと、必死で頑張ってらっしゃる。自然がこれだけ守られている川崎の姿も、あまり知られていないのではないかと思います。
 ここからは、会場の皆さんとのやり取りで進行していきます。このお二人への質問や意見、私はこんなことをやっているというアピールでもよいので、どうぞ。

“対話の広場”(川崎会場)意見交換の様子

<参加者発言1(川崎市川崎区・男性)> 
 自分の住むマンションに太陽光発電パネルを設置する際、補助金申請をしましたが、県に却下されました。県の要綱の基準に合わなかったということのようですが、国には許可されたので、却下の理由が分かりません。
<知事発言>
 その要綱の内容が、私はよく分からないのですが、却下はどういう理由ですか。
<参加者発言1(川崎市川崎区・男性)>
 どうしてマンションの場合は駄目なのでしょうか。集合住宅についての要綱があるということですが。
<知事発言>
 太陽光パネルをマンションに設置しようとする場合、分譲マンションでは住民の意志を取りまとめるのが難しいと思います。
そこで県は「屋根貸し」による発電事業を進めています。「屋根貸し」というのは、発電事業者がマンション等の屋根に太陽光パネルを設置し、固定価格買取制度により、そこから生まれる電気を電力会社に売電します。マンション側は、太陽光パネルの設置費用の負担はなく、発電事業者から屋根の賃借料を得ることができるという仕組みです。
今のお話だけでは、補助金の却下の理由は分かりませんが、マンションへの設置も進めたいと考えています。

<参加者発言1(川崎市川崎区・男性)>
 自分のマンションの住民規約に、4分の3決議というのがあります。それに通ったので、申請したのですが、県から却下されました。今ではなくてもよいので、却下の理由を教えていただきたいです。
<知事発言>
この場でお答えするのはなかなか難しいようです。担当の職員も来ているので、後で個別にお話をしていただきたいと思います。


 当該マンションは、県補助金交付要綱で規定されている補助対象の技術的要件を満たしていないため、交付決定を取り消したとの説明を後日、発言者に行った。


<参加者発言2(川崎市幸区・男性)> 
 斎藤先生にお伺いしたいのですが、川崎・砂子の里資料館に時々浮世絵を観に行きますが、いつも展示内容が替えてあります。所蔵品を一堂に会して見せるということはできないでしょうか。
<事例発表者発言(斎藤氏)>
 2013年6月から約3カ月、東京丸の内の三菱一号館美術館で、これぞ浮世絵という、浮世絵の神髄をお見せすることになりました。私の持っている4,000枚の中から、選りすぐった世界的なもの、世界にこれ一つとか、新発見とか、そういう作品をお見せします。
<知事発言>
 4,000枚もあるとは、すごいですね。
<事例発表者発言(斎藤氏)>
 資料館では毎月展示替えをして、大体60枚の浮世絵をオリジナルでお見せしています。これを12年間やってきました。知事にも、毎月月報をお手元へお送りしているので、御覧いただきたいと思います。
<知事発言>
 それは失礼しました。

<参加者発言3(鎌倉市・男性)>
 斎藤さんは、川崎の歴史をベースにした観光事業をされているとのことですが、どのような成果があるのか、また、今後どういったことをやっていきたいかお聞かせください。
山崎さん御自身が言及されたように、組織の継続が重要だと思います。次の世代が山崎さんのようなリーダーシップを発揮できるように、また、NPOが今後も続いていくために現在やっていること、あるいは困っていることがあればお話しいただきたいと思います。
<事例発表者発言(斎藤氏)>
 川崎の観光について申し上げますと、川崎7区のうちに、11の地域観光協会がございます。昨今は自分の区の観光ポイントを、それぞれの観光協会が発掘し観光コースを作る等、観光事業の展開をしています。特に今、川崎で脚光を浴びているのは工場夜景や工場見学を含めた産業観光です。東京、横浜から観光バスで来て、船で臨海部の夜景を楽しんでいただく。川崎の工場が売り物になるとは実は思っていませんでした。全国でも、川崎を中心に、北九州、四日市、室蘭等で工場夜景サミットが開かれるようになりました。その他、米子市や浅野総一郎の生誕地の富山県氷見市の観光協会との交流が始まりつつあります。
川崎北部の生田緑地には、東日本の古民家を集めた市立日本民家園があり、その一角に藤子・F・不二雄ミュージアムもあります。それから、あそこにはもう一つ素晴らしいものがございます。それは川崎市青少年科学館(通称:かわさき宙(そら)と緑の科学館)にあるプラネタリウム。ここでは、世界最高水準のリアルな星空が楽しめます。
 柿生は、歴史的に名だたる禅寺丸柿の産地で、みんなでその保存のために頑張っています。そこで作っている禅寺丸柿ワインを地元の名産にしていこうという空気が醸成できたことは、これからの楽しみでございます。
 その他、川崎市は世界各都市と姉妹都市の関係を結んでいます。しっかりとジョイントして、市民交流を深めて、観光にも役立たせていきたいと考えています。
 もう一つ、川崎市の財政が厳しいにもかかわらず、市民の陳情によって約5億円の予算を計上し、東海道かわさき宿交流館が、2013年9月に完成します。見て、来て、そして触って楽しめる東海道歴史館。古い時代にさかのぼれば、川崎の歴史は北部にあります。そういうことをこの交流館でPRをして、細長い地形の川崎の南北交流をより活発にしてまいります。そして、今度は東海道五十三次サミットを川崎で胸を張ってやらせていただこうと、そのくらい素晴らしい交流館ができる予定になっております。
<事例発表者発言(山崎氏)>
 私はこの活動を昭和53年から始めて、もう30年になります。その間、付き合ってきた子どもたちが大きくなり、今、私がやってきたことを継いでくれています。
 ただし、ガソリン代から夕飯代まで全部自腹で、私がいなくなった後に、それを子どもたちに押し付けるわけにはいきません。未来に光が見えるような方法を構築していかなければと今は考えております。
 例えば、私が講演会をやれば、講演料が発生します。それを活動資金に当てる。また、地域のCSR事業として、地域貢献型事業で私たちの移動水族館を使っていただき、幾らかのお金を頂いて、それを活動費としてどんどんみんなに還元していく。そういうような形でも取らない限り、今のところは非常に厳しいのが現状です。
 おさかなポストに、日本中から、例えば来月は、長野県から修学旅行のバスが乗り付けます。多摩川ではこういう取組みをしているのだということで、1日に、多い日は2,000人から3,000人の来場者があります。いけすがあって、水槽が置いてあって熱帯魚が泳いでいるだけなのに、何でみんな見に来るのでしょうか。それは多分、皆さんが多摩川に関心があるからです。その関心を広げていき、そこから幾らかでもお金になれば、そのお金で若い衆たちの未来に光が見えるようにしたいと思っています。
 ところで、県の施設で、1年間に1万人しか集まらないような施設はないでしょうか。おさかなポストには、1年間に20万人が集まり、その運営費は年間で47万円。ただ、この額は、みんなボランティアで金がかからないからなので、これをまじめにやったら、いったい幾らかかるのかなと思います。
それから、タレントとか、新聞社とかがいっぱい来ています。おそらくテレビでの多摩川の宣伝効果は数十億円だと思います。新聞に広告を載せたら幾らになるか。私が多摩川の宣伝マンとして動くことによって、多摩川が良くなって、子どもたちや若い衆らの未来に光が見えるのであればと思っています。とりあえず私がまず長生きするのが一番先決かなと。ただ、私は昨年心筋梗塞で倒れて、2、3週間ちょいと入院をして、でもおかげさまで川崎にはいい病院もたくさんあるので、このとおり、元気です。
正直、おっしゃるとおり非常に厳しい状況です。そこで、知事に申し上げたいのですが、県と何かやりたいと思っています。あっそうか、「県はお金がない」とこれから言うんでしたね。
 さっき知事は、マグネットって言われましたよね。多摩川のそばに住みたいなと言って、わざわざ引っ越してくる方が結構います。多摩川がマグネットの一つでないかなと思っています。
<知事発言>
 山崎さん自身がマグネットだと思います。お話を伺って、バンと補助金でもさしあげたいところですが、今日は「県はお金がない」と言いに来たので辛いところです。今、金がないときは知恵を絞ろうと言っています。
 おさかなポストに年間20万人も来るということですが、その周りに何かできないでしょうか。おさかなポストでお金を落とすわけにいかなくても、見に来た人が、周りの何かにお金を落とすようなことが考えられないかと思うのですが。
<事例発表者発言(山崎氏)>
 川崎市の公園の中に設置しているので、お金を取ることは何もできないのです。募金箱が一個置いてあるだけで、おさい銭箱のごとく1円玉が何枚か入っているだけです。
<知事発言>
 それはどこの公園ですか。
<事例発表者発言(山崎氏)>
 多摩区の稲田公園という所で、大きな駐車場もあり、非常に便利な広場なのですが、漁協が運営を任されているいけすがあり、そのいけすの一角を私どもが組合長に頼み込んで使わせてもらっています。

<参加者発言4(女性)>募金箱に一口100円とか、500円とか、1枚貼るだけで、効果は抜群です。それから、中の見えるプラスチックの箱に1,000円札を1枚入れておくのもよいと思います。

<参加者発言5(川崎市麻生区・男性)>  
 お二人のお話を伺って感激しました。
 二ヶ領用水には400年の歴史があります。江戸時代、小泉次太夫らが、当時暴れ川と言われていた多摩川の改修をしたと。そのようなお話をお聞きした後、山崎さんのお話では、多摩川を復活させ、命の多摩川になったということ。見事につながっている、400年の歴史が続いて今に生きているということを感じました。
<知事発言>
 ありがとうございました。

<参加者発言6(男性)>
 横浜と川崎が一緒になれば500万都市になり、政令都市としてまた新たな構想ができるのではないかという記事が新聞に出ていました。
 それから、横浜は住みやすい所として人気がありますが、川崎は工業地帯で緑が少ないイメージが、今でもあると思います。また、市内を移動する際、南北の便が少ないです。そういう点を改善すれば魅力が出てくると思います。
 また、神奈川県、横浜市、川崎市の公務員の給料は全国でトップクラスだという記事も新聞に出ていました。その辺もよく分かりませんが。
 私の出身地は島根県の出雲大社で、川崎と全く好対照の地域なのですが、古事記編纂1300年ということで、今年は非常に注目を浴びています。そういう意味で、川崎も魅力を作っていけばさらに栄えるのではないかと思います。
 最後に、今の政治家はだらしないと思います。解散、解散ばかり言っています。韓国やアメリカ、フランス等、トップは4年間やっています。あのようなシステムが日本でできないでしょうか。企業人が頑張っているのに政治家は何もしていません。
<知事発言>
 今のお答えは後半にさせていただきます。前半ももうそろそろ時間が無くなってきました。

<参加者発言7(川崎市川崎区・男性)>
 歴史ガイド協会で、川崎区にお見えになる方々のガイドをしています。川崎は非常に歴史豊かなまちで、今後、東海道かわさき宿交流センターもでき、マグネット効果がさらに大きくなっていきます。そこでいつも悔しい思いをするのが、川崎中央部分に大型バスの駐車スペースがほとんど無いことです。川崎区内には大型バスが入る駐車場、団体が宿泊できる宿泊施設、この2つが欠けています。
 せっかくマグネット川崎で全国から関心を集めていながら、多くの人が東京や横浜へ移動して食事をし、宿泊します。この件は県知事さんにお願いしていいのか、あるいは市区町村の首長さんなのかわかりませんが、駐車場と大型宿泊施設、レセプションホールのようなものを是非造っていただきたいと思います。
<知事発言>
 ここで私が、「わかりました、駐車場を造りましょう。」と言ったら、阿部川崎市長に怒られます。ただ、今のお話は神奈川全体の問題です。神奈川には観光客が多く来られますが、日帰りが多く、滞留型というのがありません。そこで、県内の魅力ある地域をいろいろ回ってどこかに泊まってもらうようにしたいと思っています。その旗振りを県がやり、各地域がどうするかというのは、川崎なら川崎市長の仕事だと思います。
 工場夜景が観光ネタになるのはすごいことです。産業観光という言葉を最初に聞いたとき、観光産業なのかと思ってよく聞いたら、産業観光だと。工場を観光するという発想はやはり川崎ならではです。工場夜景の船は最高のデートコースということで大人気。発想の転換というのはやはりすごいなと思います。

<参加者発言8(川崎市多摩区・男性)>
 まず山崎さんにお聞きしたいです。私も多摩川で泳いだり、魚を釣ったりして遊ぶのが好きで、地域の子どもたちを川に連れて行き、ライフジャケットを着させて遊んでいます。とても楽しいので、これをずっと続けていきたい、続けていくのが未来の光だと感じています。
 しかし、その未来の光を消してしまうのが原子力発電ではないかなと思い、ちょっと心配になりました。福島での原発事故の後、多摩川の汚染が心配で区役所に聞きましたが、答えが返ってきませんでした。たとえばアユ、ウナギ、カニ、エビ、その辺の汚染のことをお聞きしたいと思います。
 知事にお聞きしたいのは、横須賀にあるアメリカの原子力艦船のことです。自然、歴史、文化を破壊してしまうのが、原子力であり放射線かなと思います。また、私たちの飲み水も西の方から運ばれてきています。横須賀で事故が起こってしまったら、その水も飲めなくなります。知事のお考え、お立場をお聞かせください。
<事例発表者発言(山崎氏)>
 企業に補助金を出してもらって線量計を買い、多摩川のあちこちを全部測りました。結論としては、場所によっては子どもを連れて行けません。でも、日本人が水に流すのが大好きなのと同じように、場所によっては放射性物質も水に流されて、普段より低いような所まであります。役所に聞いても答えてくれなかったので、自分たちで確認しています。
 主催するイベントでは、川のアユも食べますが、お母さんたちはものすごく心配しています。だから、それに応えるべく、きちんとした線量計でたくさんの箇所を測って、ここなら大丈夫だ、そういう場所をちゃんと選定しています。どこが危ないかは、後で個人的にお話ししたいと思います。
 福島は線量がめちゃくちゃ高いので、川遊びは厳禁とのことです。だから、移動水族館で、多摩川の魚を連れて行き、子どもたちに触らせたり、カメたちと遊ばせたりしました。福島第一原発のすぐ裏の須賀川にも行って子ども達と楽しんできましたが、そこの線量は1を越え、まだ厳しい現状です。この先30年、50年と経ち、子どもたちがどうなるか、知らんふりすることはできません、今の大人の責任だと思います。
御質問の答えにあまりなっていませんが、今日持ってきたアユは大丈夫なので食べて帰っていただきたいです、ちゃんと測ってもらいましたので。
<知事発言>
 確かに原子力空母が横須賀に停泊しています。この問題は、この船だけを見て考えられる問題ではありません。日本の安全保障とはどうあるべきか、大きな視点から考えることも大事です。例えば日米安保は要らないから危ないものは出て行ってくれといって日本の安全が守れるのか。尖閣諸島がああいうことになっている時、アメリカ軍のプレゼンス(存在)があるということが、我々を守ることにつながっていると思います。日米安全保障体制というのは、大事だと思います。このような状況で、原子力空母と共存していかなければいけないとき、やはりきちっとした信頼関係、何かあったとき、ちゃんと情報を出してくれることが一番大事だと思っています。
 神奈川県というのは沖縄に次ぐ第2の基地の県ですが、このことは意外に知られていません。知られてないというのはどういうことかというと、沖縄は基地の問題でニュースになるが、神奈川はあまりならない。あまりニュースにならないということは、実は地元と信頼関係を作りながらやっているからだと思います。
 沖縄県の仲井眞知事から、神奈川は何でうまく米軍と共存できるのか、沖縄と何でこんなに違うのか、今度一回見学に行かせてくださいと言われました。
 在日米陸軍と在日米海軍の司令官とは会談を行い、何でも言える個人的な信頼関係を作っています。何かあったときには抗議をする、言うべきことは言わなければいけない。でも、ちゃんと信頼関係を作っていこうということで、いつも相手と確認しながらやっています。
 だから、原子力のことについても、特に福島第一原発事故後、日本人はものすごくナーバスになっています。少しのことでも隠されたら皆さんの反発心が大きくなるから、これだけは気を付けてくださいね、ということは、いつも言っています。
 こういう地道な積み重ねをやっていくことが、私の仕事かなと思っています。

知事によるまとめ(マグネット地域)

 今日は川崎のマグネットについて、話をしてまいりました。川崎にもこれだけの自然や歴史があるということなんですね。私は、地元の方がそういうものがあるということを知ることが大事だと思います。
 山崎さんの活動などは皆で支えていきたいではないですか。そのためにはまず皆が知ること、そして皆で支援していこうという形ができたらと思います。今日来てくださった方は、川崎にすごい力があることを知ったわけですから、支えるために頑張っていただいて、新たなマグネットの柱にしていただきたいと思います。これで第1部は終わりにさせていただきます。ありがとうございました。

知事による「神奈川県緊急財政対策」及び「神奈川州(仮称)構想案」の説明・意見交換

■説明

「神奈川県緊急財政対策」についての説明

神奈川県の人口の変化

 皆さんにまず御理解いただきたいのは、神奈川県の年齢別人口の変化です。グラフにすると、1970年はこんな状態だったんですね。(資料1 [PDFファイル/118KB])見事なピラミッドですね。85歳以上の人は、これだけしかいなかったんです。
 2050年になるとどうなるか。逆ピラミッドという感じですね。(資料2 [PDFファイル/97KB])これが一気に進んでいくんです。特にこの神奈川県は、超高齢化の進み方が早いんです。

介護・措置・医療関係費の推移(資料3 [PDFファイル/98KB]

 高齢化の影響は既に現れています。介護・措置・医療関係のお金が、平成17年から24年のわずか7年間で約2倍になっています。

義務的経緯費の見通し(資料4 [PDFファイル/88KB]

 介護・措置・医療関係費や借金を返す公債費、人件費等を義務的経費といいます。
 県税収入額の推移を見ていただくと、一時上がっているんですね。義務的経費を越えるかな、いい感じだなと思っていたら、平成20年のいわゆるリーマンショックで、ドカンと落ちました。そこからなかなか立ち直れない状況が続いています。

神奈川県の職員定数の推移(資料5 [PDFファイル/75KB]

 では、神奈川県がこれまで放漫経営をやっていたのかというと、神奈川は、行政改革にしっかり取り組んできたんですよ。これは、私がやったのではなく、これまでの知事たちが取り組まれてきたんですね。
 県の職員定数の推移を見ると、この15年間で警察官と教員は増えていますね。これはやむを得ないところがあるでしょうね。ところが、知事部局の職員は、平成9年度には1万3,551人いたんですが、平成24年度には7,629人です。約6,000人減らしているんです。平成9年度を100とすれば、平成24年度は56.3。これだけ行政改革やっているんです。

出先機関の見直し(資料6 [PDFファイル/83KB]

 出先機関の見直しも平成9年度の279機関から、平成24年度には132機関と、15年間で半分に減らしています。

教職員人権費の見直し(資料7 [PDFファイル/80KB]

 県は、このように努力をしているんですが、財政面で構造的な問題があるということを御理解いただきたいと思います。
 予算総額1兆7,730億円のうち、教職員人件費の占める割合は28.8パーセントです。その教職員人件費の43.2パーセントが、政令市の学校の先生の給料なんですね。県の学校ではないけれども、県が払っているんです。でも、政令市の先生に対しては人事権は県には無いんです。法律でこういうふうに決めてしまっているんです。これが非常に大きな負担になっているということなんですね。

県債年度末現在高の推移、地方交付税及び臨時財政対策債の推移(資料8 [PDFファイル/66KB]

 それと、借金の問題、これが一番本質的に難しい問題なんです。今、県が抱えている借金は3兆5,355億円、予算の倍ですね。ただ、先ほども申し上げたように、神奈川は行政改革をやってきたんです。見てください。県の単独の借金は、減ってきていますね。ところが、この赤い部分、臨時財政対策債が増えているんです。臨時財政対策債とは何かというと、通常、地方交付税というのが国から支給されます。しかし、国も財政厳しいからといって借金として臨時的に渡されたのが、もう10年以上続いているんです。平成24年度で言いますと、本来ならば地方交付税は3,270億円が現金でもらえるはずのところが、そのうちの4分の3、2,430億円は何と借金なんですね。だから、県が借金を減らそうと努力しても、どんどん増えていくという、こういう構図であります。

都市部に高い臨時財政対策債の割合(資料9 [PDFファイル/64KB]

 今、国から借金を背負わされていると言いましたが、これは財政力指数の高い所ほど、借金をたくさん背負わされるという、こういう構図なんですね。だから、大都市圏はみんなこれでヒイヒイ言ってるんです。ところが、島根県や高知県等、税収が少ない県は、地方交付税がドンとあって、臨時財政対策債は少しだけ。神奈川県みたいに県税収入がたくさんあると、地方交付税はちょっと、あとは全部借金。こういう構図になっているんですね。

平成25、26年度の財政収支見通し(資料10 [PDFファイル/83KB]

 平成25年度、26年度の2年間で1,600億円財源不足が生じる見通しです。これを何とか補っていかなくてはいけないわけです。

義務的経費の見通し(資料11 [PDFファイル/90KB]

 義務的経費の今後を見通してみると、高齢化が進めば、介護・措置・医療関係費がどんどん伸びていきます。そして、さっき申し上げたように、臨時財政対策債のために借金の返済額が膨らんでまいります。これは、人件費等々を、ぎりぎり抑えるという前提ですよ。ですから、今、財政対策で、その部分をできるだけ抑えましょうと言っているわけです。
 県税収入の予測として、平成26、27年頃少し上がっているのは、消費税増税を見越しているからですが、このまま行けばどうなるかというと、義務的経費が歳入総額を10年もたたないうちに上回ることが考えられます。にっちもさっちも行かなくなるということが目の前に来ているということなんです。

経済のエンジンを回す取組み

 ただ、県税収入が伸びれば、財政の問題はすべて解決するんですね。
 そこで、経済のエンジンを回そうと言って、京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区や、さがみロボット産業特区の旗を振っています。
 観光でも経済のエンジンを回していこうと、横浜・鎌倉・箱根に次ぐ第4の観光の核づくりに取り組んでいます。

医食農同源

 重要な課題として、介護・措置・医療関係のお金の伸びを抑えなくてはいけません。でも、じゃあ医療や介護のお金を切りますって言ったら、皆さんどう思われますか。冗談じゃないよ、黒岩知事は「いのち輝くマグネット神奈川」を目指すと言ったじゃないか、いのちを切るのかと言う声が、当然出てきますね。
 私がよく言っている、東西医療の融合とか、未病を治すとか、医食農同源というのは、食のあり方によって、未病を治す、つまり病気にならないようにするということなんです。
 今後、高齢化は進んでいきます。多くの人が長生きできるのだから高齢化自体は、悪いことではありません。でも、高齢者がみんな病気になって介護が必要になったら、医療や介護費はどんどん膨らんでいきます。だから、高齢になっても病気にならない、介護を必要としない、そこを目指してやっていきたいと思っています。その結果として、介護・措置・医療関係のお金を抑えることができたらと思っているんですね。

神奈川臨調

 緊急財政対策をまとめるにあたっては、6名の専門家からなる外部有識者調査会、神奈川県緊急財政対策本部調査会、いわゆる神奈川臨調から提言を頂きました。短い時間で検討していただいたので、県有施設や補助金について、一つひとつチェックしたわけではありません。神奈川臨調からは、県有施設は3年以内に全廃、補助金も負担金も全部、一時凍結という大きな方向性を示していただきました。頂いた提言を基に、県として検討していこうということになりました。

緊急財政対策の主な取組み(資料12 [PDFファイル/80KB]

 その結果、県有施設も補助金も全部ゼロベースで見直そうということで、緊急財政対策をまとめました。県有施設については、廃止や移譲もあるだろうし、民間活力の導入もあるだろう、そういうことを全部検討しましょうと、今進めているところです。補助金や負担金も、その必要性や内容の妥当性を検証し、一つひとつ検討しているところです。
 このように、県民の皆様にもある種の痛みをお願いしなくてはいけない部分もあるだろうから、まずは、県自らが身を切る覚悟を示さなくてはご理解いただけないだろうと思っています。県では、これまでも職員数を減らしてきましたが、今後も、職員数、給与の削減等によって、人件費総額をさらに抑制していこうと考えています。

中長期的課題への対応(資料13 [PDFファイル/78KB]

 先ほど申し上げましたように、臨時財政対策債のことは国に要望していきますが、同時に本県独自の取組みとして、県の借金対策をしっかりやってまいります。
 また、政令市の学校の先生の給与を県が支払わされているという、教職員給与負担のねじれについても、早く解消してもらうように国に言っていきます。一方、教育は、財政面からだけでは論じられないので、教育のあるべき姿を考えながら、財政負担をなるべく少なくするにはどうすればいいか、一年かけて教育臨調で検討しているところです。
 今のままでは神奈川という船は沈没します。みんながこれだけは残してほしい、削らないでほしいと言っていたら沈没します。ですから、みんなで知恵を出そうと言っています。市長さん、町長さん、村長さんとも話し合い、ゴールを目指してやっていこうと思います。
 以上が私からの説明です。ここからは皆様からの質問をお受けしたいと思います。御質問のある方、どうぞ。

■ 意見交換 

<参加者発言1 (横浜市・男)>

 神奈川州構想について、伺います。 

 国からの権限と財源の移譲、臨時財政対策債の地方交付税への復元、特区の活用等、素晴らしいですが、これらは今までも国に要望してきたが実現しなかったから今に至っているのではないのでしょうか。知事は本会議で、神奈川州構想について腹案を持っていると言われました。それを是非教えていただきたいです。

<知事発言>

 今、大阪都構想とか政令市の独立の話も出て地方自治のあり方が関心のあるところとなっています。

 私はキャスターとして、長年、道州制の議論に関わってきましたが、道州制になった場合の住民のメリットといった議論をしていないことからリアリティが感じられないので、あまりこの問題に深入りする気はありませんでした。また、知事になった当初はエネルギー危機、その後財政危機という状況だったので、道州制の議論に距離を置いていました。ただ、大阪都構想をはじめとして議論が盛んになり、神奈川として、いつまでも黙っているわけにもいかないということで、今回、集中して議論をしました。これまで積み重ねてきた議論も踏まえどうすべきかを考えた結果、やはり道州制を目指そうということになりました。政令市も独立していきたいという思いの中で、うまく共存していけるのではないでしょうか。国からは権限をもらい、県の権限は基礎自治体に譲っていこうと考えています。

 では、道州制の枠組みをどうするか。首都圏連合とか山梨や静岡と組む道州制も選択肢としてあります。ただ、神奈川の人口は900万人で、これはスウェーデンと同じ規模です。だから、今のところ、神奈川で一つの単位でいいのではないかと考えています。その中で神奈川モデルを示していきたいのです。その中身については、今後、県民の皆さんにとって何がメリットなのか、議論していきたいと思っています。

 たとえば、政令市の教員の給与負担の問題等も、国の制度の問題があって、その中でもがいています。道州制では、神奈川はこんな教育制度にするといって、県民の皆さんがそれがいいという話になったら、それでやっていきます。

 医療も神奈川として、こんな医療をつくっていこうじゃないかという試論も必要です。人口がこれだけ多い県と過疎の県で、同じ医療のあり方というのは、かなり無理があります。神奈川は神奈川として医療のあり方を示していきます。その中身を皆さんと議論しながらこれから詰めていきたいと思っていて、それを腹案と言っています。

<参加者発言2(横浜市・女)> 

 3点質問があります。港北区の県立武道館は、移譲を含めた検討ということになっていますが、市が受け取らなかった場合、どうなるのでしょうか。また、神奈川州に関して、県民にとってのメリットは何か。そして、教育問題に関して、知事が1学級のクラスの人数も決めたいようなことをおっしゃっていましたが、今の国の基準の40人よりも減らす方向なのでしょうか、増やす方向なのでしょうか。

 先ほど、知事は米軍と良好な関係を築いているとおっしゃったが、900万県民の生命を預かる知事の発言として、看過できません。先日、平和委員会の方々と平和問題のことで基地対策課及び危機管理対策課と対県交渉を行いました。その時に、原子力空母ジョージワシントンに関する知見を県は持ち合わせていないと断言されました。3.11の際には、海底までわずか1メートルの引き潮がありました。横須賀の原子力空母に、もしも放射能漏れ事故が起こったら、近隣の地域では、4人に1人が急性被曝で死に至ります。そのような危険な物が横須賀港に年間半分以上、停泊しています。それに対する知見を県が持ち合わせていないと答えられました。それと、垂直離着陸輸送機オスプレイ。厚木基地を拠点基地化するという計画を…。

<知事発言>

 3点の割には随分たくさんですが。

<参加者発言2(横浜市・女)> 

 神奈川州で1点と考えてください。知事は、オスプレイの厚木基地拠点化を新聞報道ではじめてお知りになったということです。これは米軍といい関係を築いているのではなく、米軍に黙らされているということではないですか。神奈川は沖縄に次ぐ2番目の基地県で、米兵犯罪も沖縄に次いで2番目に多いのです。このことを知事はどうお考えか、お伺いしたいと思います。

<知事発言>

 県立武道館のことについては、今、話し合いをしている最中なので、個別のことを申し上げることはできません。道州制のメリットについては、先ほど申し上げたとおり、皆さんでそのメリットを考えていこうと申し上げています。

 それから、1クラスあたりの人数をどうするかという話。これも教育臨調で、今、1年かけて議論しています。財政の問題と両にらみでやらなくてはいけません。例えば、他の県では、35人学級といっても既に35人以下となっているところがあるのですから、それと同じ基準で神奈川でやれるかどうかは非常に厳しいです。もちろん、できれば少人数の方がいいと思いながらも、現実的にどうするかという問題があります。そこで、みんなで知恵を絞ろう、1年間かけて議論しようと、今やっているところです。

 県が原子力空母の知見を持ち合わせていないと回答したという話は、私にはその意味がよく分かりませんが、米軍との関係において、原子力空母がどういうふうになっているか、情報をちゃんと出してくれということは、しっかりと信頼関係を結んだ上で、厳しいことも言っています。オスプレイが厚木に来るという話は、報道が出ているだけで確認されていません。どうなっているのか、県としても聞きましたが、決まったことでも何でもないということでした。だから、仮定の話についてお答えするわけにはいきません。

 私は、基地のある県で作っている渉外知事会の会長ですが、その立場としても、米軍には、オスプレイの配備やその他、地元の了解をしっかり取ってほしい、皆さん不安を持っているからしっかり説明することが大前提だと言っています。説明なしにオスプレイを持ってきたら怒らなくてはいけませんが、今この時点では何も決まっていないので、怒る段階ではないということです。

<参加者発言3 (川崎市・男)>

知事は、年々増える介護費用を何とかしたいと言われましたが、具体的に考えていることがあれば、教えていただきたいです。

<知事発言>

 介護の問題は、今後大きな問題になってきます。一番大事なのは、介護を必要としないこと、つまり介護予防ということです。それを、普段の生活の中に取り入れる、そういったものを全県的に展開していきたいと思っています。

 今日、知恵袋会議という私のブレーン会議がありましたが、その場でも介護予防の話題が出ました。その時、メンバーの学校法人東海大学副学長・体育学部長の柔道の山下泰裕さんが、高齢になっても運動するという生涯運動のようなことをやっていくのが非常に大事なのではないかと言われました。

 それと共に、私が前からずっと思っているのは、介護の現場に光を当てたいということです。つまり、介護の現場、ヘルパーさんたちは一生懸命やっています。ところが周囲の人が持つイメージは、3K(きつい、汚い、危険)だというわけです。給料安いのに大変な仕事をして、大変だ、大変だと言っています。でも、大変だ、大変だと言うと、余計に目指す人も少なくなるかもしれないし、一生懸命やっている人が、くじけてしまうのではないかと思います。ヘルパーの人に、大変ですかと聞いたら、楽しいですよと言っています。楽しいですと現場で言っています。人間同士のふれあいの中で、老人が少しでも回復したら、一緒になって喜んだりする、そういう思い。そして、利用者や家族の方から感謝されることもあるのに、一緒くたにして大変だ、大変だっていうのは、ちょっと違うのではないかという思いがありました。

 そこで、介護の現場に光を当てたいという思いから、かながわ感動介護大賞という賞を設けて、あなたの介護の感動的な体験談を寄せてくださいと募集したら、たくさん集まりました。今、選考をしていて、もうすぐ発表します。体験談は感動的です。このような話をオープンにすることによって、その現場で頑張った人が報われて、もっとやろうという気持ちになる。頑張れば、頑張りがいがあるんだという、そういう流れをつくっていきたいです。

<参加者発言4(川崎市・男)> 

 神奈川県緊急財政対策の提案は、神奈川臨調からの提言の内容を、そのまま出したのですか。

<知事発言>

 神奈川臨調からの提言を受けて、県としてどうするかまとめたのが、先程御説明した神奈川県緊急財政対策です。提言の通りに県営施設を全部3年以内に廃止するのではなく、施設ごとに廃止か、移譲か、民間活力が導入できるか等を、皆さんと御相談しながら検討していこうという方針をまとめました。これが県の提案です。

<参加者発言4(川崎市・男)>

 宮前区の県立東高根森林公園は、移譲するという提案になっていますが、移譲の相手先や形態を、是非お聞かせください。

<知事発言>

 移譲は相手があることなので、勝手に決めるわけにいきません。県は、移譲すると決めたのではなく、移譲できないか検討していこうということです。今はそこまでしか言えません。

 時間も来たので、最後にお一人だけ。

<参加者発言5(川崎市・女)>

地域で子育て支援をやっています。小児医療費助成補助金が、検討する補助金に入っています。今の若いパパは、ママに早く働いてほしいと言います。しかし、子どもが、病気がちだったり、せめて幼稚園卒業するまではということで、皆さん家で子育てをしています。生活は苦しいが頑張っています。だから、子育てに必要な費用は、減らさないでほしいのです。東京の大田区は、中学3年生まで小児医療費は無料で、川崎市は小学校1年生まで補助してくれます。川崎市幸区は、今若いパパママがいっぱい増えて、今度小学校も新しく一つ創られます。子育てしやすい神奈川県にしていただきたいです。

<知事発言>

 私は「いのち輝くマグネット神奈川」の実現を打ち出しており、これを変える気持ちは全くありません。だから、個別のことについては、皆さんの御意見をお伺いしながら、検討していきます。

 ただし、いのち輝くというのは、今輝くだけではなく、20年後もしっかりと輝くようにしたいということです。そのために皆さんと共に知恵を絞りながらやっていきたいと思っています。

おわりに

 今日はマグネット地域についての対話の広場の中で、後半、短い時間でしたが、緊急財政対策の話をしました。今後、この話題だけに絞った説明会、討論会もありますので、そういう機会にまた是非お越しいただければありがたいと思います。また、皆さんの疑問等はメールやファックスでお受けいたしますので、どんどんお寄せいただきたいと思います。
 今日は長い時間、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

「神奈川県緊急財政対策」に関するお問合せ先

 総務局 財政部 財政課

 

「神奈川州(仮称)構想案」に関するお問合せ先

 政策局 自治振興部 広域連携課

              

関連ページへのリンク

 神奈川県緊急財政対策本部について

 これからの神奈川県のあり方について (案)平成24年12月版

注)県民の皆様からの御意見等により、平成24年12月版より「神奈川州(仮称)構想案」という表現は使用していません。

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神奈川県

このページの所管所属は 政策局 政策部情報公開広聴課 です。