第1回かながわパラスポーツフェスタ2017 トークショー「パラスポーツへの想い」

掲載日:2018年1月10日

概要

 
第1回トークショー

○ 中澤 吉裕氏

リオ2016パラリンピック車いすテニス日本代表チーム監督 ほか

○ 三宅 克己氏

アテネ2004パラリンピック車いすバスケットボール日本代表 ほか

○ 青山 由佳氏

リオ2016パラリンピック女子マラソン(視覚障害)銀メダリスト道下美里選手のガイドランナー

○ 二條 実穂選手

リオ2016パラリンピック車いすテニス女子ダブルス4位入賞

【司会者(以下:司)】:
皆さんは、パラスポーツと関わるようになったきっかけは何ですか。
【中澤監督(以下:中)】:
テニス協会が車いすテニスを教えてくれるコーチを探している時、協会だけでなくテニスメーカーさんや、“テニス”と名のつく様々なところに電話をしていたそうです。その中で、「おもしろそうなコーチがいる」と私の名前があがり、私に電話をしたそうです。きっと中澤ならやるだろうということで電話がかかってきたというのがきっかけです。
【二條選手(以下:二)】:
実は私は元々健常者で、大工をやっていました。しかし、怪我をしてしまい、車いすになりました。また、小さい頃からずっとテニスもやっていました。大工になるという夢はかなえたのですが、車いすになってしまったことで大工はできなくなってしまったと思うと同時に、テニスもできなくなってしまったと思っていました。そんな時に車いすテニスの存在を知り、「車いすになってからもコートに立てる」と思ったのがきっかけで始めました。

青山氏

【青山氏(以下:青)】:
今一緒に走らせてもらっている道下選手が、「フルマラソンを走れる、小柄な女性」を探していた時のことです。道下選手はマラソンを3時間以下で走ることができ、3時間を切るためには厳しいトレーニングを積み重ねなければいけません。そのトレーニングに耐えられて、絆を持って走るときに選手が腕を振りやすい小柄な人が必要でした。道下選手の身長144cm、私が155cmなので10cmくらいの差です。このくらいの身長差だと、腕を振りやすい。また、長期間に渡る遠征になると、日常生活のサポートも大切になり、女性であれば、よりきめ細かくサポートができるということで、マラソン協会の方がたまたまインターネットで私を見つけ、声をかけてもらったのがきっかけです。

【三宅氏(以下:三)】:
私もずっと健常で、小、中、高とサッカー、柔道、ラグビーをやっていました。交通事故で18歳から車いすになって、入院中に車いすバスケの誘いがありました。最初は「障がい者スポーツなんてリハビリ程度だろう」ということで、全く興味がありませんでした。しかし、すごく熱心に誘われる方について行って初めて見たときの衝撃がすごく、これはスポーツだなと思いました。車いす同士がガンガンぶつかって転倒して、筋骨隆々の人達がバンバン当たっているのを見てビックリしました。それを見て自分もやりたいなと思って始めました。

中澤監督

【司】:
皆さん導かれるようにスポーツと出会っているように感じます。それではもっと深く伺っていきたいと思います。まずは中澤監督から。選手とコミュニケーションをとる時に何か心がけてらっしゃることはありますか。
【中】:
チームとして心がけていることは、まず挨拶です。些細な事ですけれども非常に大切です。
会った時の顔色、あとは目が生きているか否か、その時に出している雰囲気から疲れているかどうか。次に、1人ずつに声をかけることと同時に、プレーを見ることです。私はボールの勢いを感じ、今日のコンディションを伝えてあげたいので、できるだけコートに入って行って、一緒に練習することを心がけています。
【司】:
パラスポーツに携わるようになって、沢山の出会いがあったと思うのですが、印象に残っている、支えになっている出会いはありますか。
【中】:
監督をさせていただいてから、金メダルを取った選手がいたり、世界大会で連覇した選手がいたりと沢山あるのですが、最も印象に残っている選手は実は身近にいます。今、客席で黄色いTシャツを着ている彼です。彼は最初ネットを越えるボールを打てなかったのですが、ネットを越えるようになりました。通っていた養護学校を辞めて普通校に行き、自ら車いすを操作し通学して、「通いきって卒業する」と言って頑張りました。「メダルを取る」とか「パラリンピックに出る」という目標もすごく大事だとは思うのですが、彼のようにちゃんと目の前の目標を達成したこともすごいなと思います。心の支えになるかどうかはこれからですが、印象に残っています。

二條選手

【司】:
続いて二條さんにお聞きします。これからパラスポーツをやってみたいなという方は、どこから始めていけばよろしいでしょうか。
【二】:
私の場合は、元々テニスをやっていたというのもあったので、すぐに車いすテニスをやりたいという思いがあり、自分からアプローチしていきました。私が始めた頃は、このイベントのように、パラスポーツに触れ合う機会はなかったです。もちろん東京2020大会も決まっていなかったので、パラリンピックという言葉自体も、今よりも聞く機会が少なかったです。本当にこれから始めたいという方は、自分がどの競技を楽しいと思うのかを大切にしてください。本当にまず楽しんでもらえるということが大事なので、いろんな競技をまずはトライしてみるのがいいのではないかと思います。それで、その中で自分に合った、自分が楽しいなと思う競技をさらに追求していっていただければいいと思います。やはりこういう機会を与えていただいているというのは、パラスポーツをする方にとってすごく貴重な機会だと思いますし、また障がいがある方ない方、共にパラリンピックという競技やパラリンピアンのこと、障がい者のことを知ってもらう機会になると思うので、是非こういったイベントがもっとあるといいなと思います。
【司】:
そして先程、大工としてもすごく強い思いを持っていたという話もありましたが、車いすテニスを始めて何か変わったことはありますか。
【二】:
私はニッカポッカをはいて、地下足袋を履いて頭にタオルを巻いて大工の仕事をしていました。その時、私が心に留めていたことは、日本一の大工さんになりたいという目標です。その後、車いすテニスと出会い、海外遠征に出るようになって、私が次に目指したことは、世界一のプレーヤーになるということでした。
誰でも車いすになるとやはり大変だと思います。どうしても行動に制限がかかり、できることとできないことが出てきます。しかし、私の場合は、健常だったときには日本一というスケールだった夢が、怪我をしてからは世界一になりました。健常の時よりも怪我をして車いすになってからの方が、夢の幅というのは広くなりました。これは障がいがある人ない人、年齢に関わらず皆さんでも可能なことだと思います。私自身一番変わったと思うのはそこです。

 【青】:
どうしても一緒にプレーをすることに意識がいきがちですが、例えばレースの応援に行ったり、練習会場への送迎をしたりすることも、支えになると思います。あとは、練習会場のセッティングをしてくれる運営スタッフの方や、監督やコーチを支えることも、パラスポーツ全体を支えることになると思います。
【司】:
本当にいろんな支え方ができますよね。ずばりパラスポーツの魅力、醍醐味というのはどこでしょうか。
【青】:
私たちは絆を持って、選手と一緒に走ります。その絆から力をもらったり与えたりすることができるということが魅力です。
私も選手から「私(青山さん)の頑張りが伝わってきたから最後まで一生懸命走れた」と言われたときには、1人で走っている時には感じられないような喜びを得ることができます。

三宅氏

【司】:
そして、三宅さんもパラスポーツを始めて変わったことがあれば教えてください。
【三】:
事故をしてすぐは落ち込んでいましたが、スポーツを始めて仲間ができたり、いろんなところに行って見識が広がったりすることで、とにかく明るく、前向きになれたところが一番大きく変わったところだと思います。
【司】:
青山さんにも伺ったのですが、パラスポーツの見所はどのようなところだと思いますか。
【三】:
今日は車いすバスケットボール連盟から来たので、宣伝も兼ねて言います。8月31日、9月1・2日と東京体育館で「三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP 2017」という国際大会があります。今まで本格的な車いすバスケットボールの世界大会を日本でやったことがなかったのですが、東京の体育館で今年初めて開催され、東京パラリンピックが始まるまで行われます。出場国は、世界の強豪オーストラリア、イギリス、トルコといった世界大会で優勝したり、パラリンピックで金メダルを取ったりするような国で日本より実力は格上です。そこで、実際に間近で見ることによって、勇気や希望や感動をもらえます。手足の欠損や様々な障がいのある人が、残った手足を最大限に生かして車いすに乗って全力でプレーする姿を見ると、必ず何かを感じられると思います。是非、間近で見ていただけるとうれしいです。よろしくお願いいたします。

 【司】:
ありがとうございました。最後の質問です。まもなくやってくる東京2020年オリンピック・パラリンピックについて伺いたいと思います。パラスポーツ界の将来について、2020年以降を見据えて期待することはどんなことでしょうか。一人一言ずつお願いします。
【中】:
期待することは沢山ありまして、一言では言い切れないですけども、まず一番は2020年がゴールではないということです。2020年以降のためにそれまでにしっかりとした構造を作って、支える側とする側が意識を高く持っていくことが大事だと思いますし、2020年が来た時に「日本でやってよかったね」と言ってもらう為には、段差があったら皆さんで手を貸してあげたらいいと思います。「日本人って優しいよね」、「日本最高だよ」と海外の人達に言ってもらえる2020年の大会があって、2024年以降もオリンピック・パラリンピックと続いていけば。そこからお互い何かを感じる環境をいかにしっかりと作って行くことができるのかということです。
【二】:
私は自分がパラリンピックに出場する前に、先輩の出場経験者にパラリンピックの場は特別な場だよということを聞いていました。私は出たことがなかったので、若干強がりも含めて、「そうは言っても同じテニスをすることに変わりはない」と思っていましたが、実際に自分が出場させていただいて感じたことは、「パラリンピックは本当に特別な場所だなぁ」ということでした。次の開催は日本です。会場で見ても、テレビで見ても参加していることになると思います。そうすることで私が感じた特別感を皆さんにも感じてもらえると思いますので、どうか色々な形でパラリンピックに関わっていただきたいなと思います。
【青】:
私も伴走を始めてから沢山の人に出会って、輪が広がっていきました。オリンピック・パラリンピックは人と人をつなげる場になっていると思うので、それを1人でも多くの人に実感してもらえたらいいなと思います。
【三】:
是非会場に足を運んでいただき、特に日本の応援をして、相手のブーイングをして欲しいです。自分たちが海外に行くと、ブーイングにあって、車いすを壊されることも当たり前にあって、車いすバスケでも乱闘があります。一つのスポーツとしては楽しいですし、まず今日の体験会を見ていただいて、自分の夢はJリーグやプロ野球の選手だという話をするように障がい者スポーツも楽しいねという話ができたらとてもうれしいです。2012年ロンドンパラが大成功して、つい先日もイギリスであったパラ陸上の大会が超満員でした。是非皆さん応援していただいて、興味を持っていただけたら最高です。

質問

【司】:
本日体験会もたくさんありますので、まずは知って、そこからパラリンピックへ、そしてその先へとつながっていければいいですね。ありがとうございます。
それではここから、ご来場の皆さんからの質問に移りたいと思います。
【来場者】:
試合前にするゲン担ぎや勝負飯があったら教えてください。中澤監督、お願いします。
【中】:
私は、自分自身のものはありましたが、それどころじゃないのだなと思って、やめました。選手の為になることは何かを優先に考えています。私がプレーヤーの時には、カツを食べたら勝てるぞというゲン担ぎをしていました。本当は脂っこいので前日に食べるのはよくないのですが、試合前になるとカツ丼が食べられるという喜びもあったので食べていました。監督になってからは選手たちがメインなので、「これを食べたら勝つぞ」というものがありません。二條選手、どうですか。
【二】:
リオの時は、私は北海道民なので、道民のソウルフードである「きびだんご」をブラジルまで持って行き、試合前等に食べていました。あと、ルーティーンとして、中澤監督が来てくれた時には、試合前に握手をしてパワーをもらってから試合に行くということがあります。
【司】:
ありがとうございました。ここまでとさせていただきます。中澤監督、二條さん、青山さん、三宅さんありがとうございました。

神奈川県

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