教えて!カッピー(水道の歴史編)

掲載日:2017年1月17日
 今回は、「水道の歴史」についてご紹介したいと思います。わたしたちの暮らしを支えている水道はどのようにしてできたのでしょうか。
カッピー?

(1)水道の歴史

「水道が引かれる前」

 その昔、水道がない時代には、飲料水や生活用水は川や井戸に汲(く)みに行くしかなく、重労働であった上に、大量の水を運び利用することは困難でした。
 江戸などの大都市では、郊外の川などから水を汲んできて売り歩く「水屋(みずや)」という商売もあり、そうした行商人からその都度「水を買う」ということもありました。
 また井戸水については水質の問題があり、コレラ、腸チフス、赤痢などの感染症の温床(おんしょう)となってしまうこともありました。
アクアくん おみやげ

「水道のはじまり」

 江戸の人口急増に伴い、1590年には小石川上水(後の神田上水)、1654年には玉川上水が整備されるなどして江戸市中に飲料水を供給していました。江戸は埋立地が多く、井戸を掘っても海水混じりの水しか出ないため、武家屋敷や町人長屋ではこれらの「上水」から来た水を貯めていた「上水井戸」の水を飲料水として使っていました。

「近代水道のはじまり」

 1859年に横浜港が開かれ人口も急増したため、1871年に日本で初めて水道会社が発足し多摩川から横浜(今の神奈川県庁付近)へ水道を引きましたが、木の樋(とい)を通った水道であったので、漏れたり雑菌が入ったりして1882年には倒産してしまいます。
 その後、神奈川県がイギリス人ヘンリー・スペンサー・パーマーに依頼して、鋼管を使った日本初の近代式水道が1887年に完成。1890年にはこれを横浜市に引継ぎ、これが横浜市営水道の始まりとなりました。
木の樋(とう)

(2)神奈川県営水道の歴史

「湘南地方の水道」

 湘南地方では、小規模な水道民間会社が水を供給していましたが、水質も悪く量も確保できませんでした。近くに水源も無く遠隔地から水を引いてくるにも多額の経費がかかるため、湘南地方の市町村が神奈川県に県営水道開設を要望し、神奈川県は1936年に相模川下流(寒川町)から水を取り入れ日本初の広域水道事業である「神奈川県営水道」(湘南地方)を開設しました。

「相模原地方の水道」

 県央地域や相模原市でも飲み水を入手するのが困難であったため、域内の市町村が県に要望し、神奈川県は1942年に相模川上流(旧城山町)から水を取り入れ、「相模原都市建設上水道」を開設しました。

「統合と拡大」

 昭和27年、地方公営企業法施行をきっかけに湘南、相模原両水道事業は合併され、「神奈川県企業庁水道局」として発足し、その後さらに給水区域を拡大し、現在に至っています。
 平成29年1月現在、12市6町に水を供給しており、給水区域面積808.59平方キロメートル 、給水人口約2,799,807人、一日平均送水量953,330立方メートルの大規模水道となっています。(数値は平成27年3月31日時点のものです。)
地域地図
(引用・参考資料)「わたしたちの水道」(神奈川県企業庁)「江戸上水の移り変わり」(東京都水道歴史館)「お江戸の科学」(学研科学創造研究所)
神奈川県

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