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更新日:2024年3月29日

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第2回「黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川」開催結果

平成23年10月19日(水曜)に開催された、第2回黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川の実施結果についてご覧いただけます。

概要

第2回黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川の会場の様子

 

テーマ 子どもたちの笑顔あふれる神奈川づくり-いじめと不登校について-
日時 平成23年10月19日(水曜) 18時30分から20時
会場 神奈川県庁 本庁舎3階大会議場
参加者数 77 名

実施結果(動画版)

当日の録画映像をご覧いただけます。





実施結果(テキスト版)

知事

こんばんは、神奈川県知事の黒岩祐治です。今日は第2回対話の広場Live神奈川にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。

この会は、どういう流れになるかというシナリオはまったくありません。皆様の生の声を受けながら、非常に充実した1時間半にして、その中で県政に生かせるものは、スピード感を持って実現していきたいと考えているところであります。率直なご意見をどんどんぶつけていただきたいと思っています。

私は「知恵袋会議」というものをつくりました。知恵袋会議というのはいわゆるブレーンであり、各界のすばらしい見識をお持ちの方にお集まりいただいて、政策についていろいろなご意見をいただいています。

そこで出てきたテーマを、この対話の広場に持ち込んでお話しし、対話の広場で出たお話をまた知恵袋会議でお話しして、そこで出た話をまた対話の広場に持ってくる。こういう仕組みでありまして、元々は最初の知恵袋会議で出た自殺という問題について、何とか取り組まないといけないという話になって、第1回目の対話の広場では自殺というテーマでお話ししました。

そんな中で、神奈川県の場合は「こころの電話相談」が無料ではなく有料なんだと。救いを求めているにもかかわらず、切羽詰まって追い込まれた人にとっては、有料の電話ということによってチャンスを失うことだってあるんだと。そういう話を前回ここで聞きまして、即座に今回の予算の中でフリーダイヤルということにした次第でありました。

前回いただいた自殺という話をもう一度知恵袋会議に持ち込んでお話をしたところ、今度はいじめの問題に真正面から向き合わないといけないのではないかという話になって、今回のテーマはいじめということであります。

この対話の広場は“Live版”と称しております。ここでの議論は、ネットでライブ中継されております。ですから、この会議の模様をネットで観ていらっしゃる方はツイッターでどんどん意見を寄せていただいて、それもこの中で反映させていきたいと考えている次第であります。

ここでゲストをご紹介したいと思います。今日は知恵袋会議のメンバーに来ていただいております。日本青年会議所元副会頭の竹村光史さん、学校法人東海大学体育学部長の山下泰裕さん、放送大学神奈川学習センター所長の渡辺慎介さんであります。皆さん知恵袋会議のメンバーであります。

それでは、最初に皆さんが共通の理解の上で議論を進めるために、事務局からテーマについての説明をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

子ども教育支援課長

皆様、こんばんは。それでは、お手元にご用意いたしましたA3版の資料[PDFファイル/279KB]をご用意願います。本日のテーマとなっております「いじめと不登校」につきまして、神奈川県の現状と、対策の基本的な考え方などをこの資料に沿いましてご説明いたします。

それでは、まず資料上段、「神奈川県の現状」をご覧いただきたいと思います。その枠内の左側に、いじめの認知件数の推移を示すグラフがございます。平成22年度の学校におけるいじめの認知件数は合計4,673件で、これは全国で6番目の数です。

続きましてグラフの右側、「いじめの態様上位3項目」をご覧ください。いじめには、「1.冷やかしやからかい」といったものから、「2.遊ぶふりをしてたたかれる」、「3.集団による無視」といったもの、また暴力や恐喝を伴った悪質なケース、さらにはインターネットによる誹謗中傷など、周囲から見えにくいものまで様々なものがございます。

続きまして、資料右上の「不登校」をご覧ください。同じようにグラフを示しています。

上段のグラフは小・中学校、下段のグラフは高等学校の不登校児童生徒数の推移を示しています。平成22年度の小・中学校における不登校児童生徒数は合計1万102人、高等学校は3,818人でした。小・中学校の数値は全国最多となっております。

グラフ右側、「不登校のきっかけ上位3項目」をご覧ください。不登校のきっかけとしては、不安などの情緒的混乱、友人関係、親子関係の問題などが挙がっています。ちなみに、いじめをきっかけとした不登校は、全体の約4パーセントという報告になっています。

続きまして、資料中段の「対策の基本的な考え方」をご覧ください。基本的な考え方としまして、未然防止と事後の対応・支援の両面が必要と考えています。

まずは資料左側、未然防止です。いじめや不登校を、どの学校にもどの子どもにも起こり得る問題としてとらえ、「学校教育全体、社会全体での取組み」「見逃さないための取組み」などにより、新たないじめや不登校を生まない未然防止の取組みが必要であると考えております。

資料右側、事後の対応・支援につきましては、いじめや不登校の数を支援を要する子どもの数としてとらえ、「迅速で適切な支援」「一人ひとりの状況に即した支援」など、解消や改善に向けた取組みが必要であると考えております。

この両面から、これまでも様々な対策や検討や取組みを行ってまいりましたが、特に重点的に取り組むべき課題を3点に集約しました。資料中段よりやや下、「共通の課題」をご覧ください。そこに3点をまとめています。左から、「学校が取り組むべき課題」「学校が家庭・地域と一体となって取り組むべき課題」「学校が専門機関等と連携して取り組むべき課題」です。

これらの課題にそれぞれ対応していくため、教育委員会では、資料下段の重点的な取組みとして、本年8月に「かながわ元気な学校ネットワーク推進会議」を立ち上げています。この推進会議では、「すべての子どもたちを元気にし、教職員・保護者も、さらには地域の人たちも元気にするような学校づくり」を目指して、県内の企業、NPO、地域で活動される方など、様々な視点からご意見をいただきながら、枠内に記載しました3つのプロジェクトに着手しているところです。

さらに、資料左下、「かながわ子どもスマイルウエーブ」と銘を打った広報啓発活動を推進しております。子どもの現状や取組みの「見える化」を推進することにより、広く県民の方々に知って関心を持っていただき、地域の取組みに応援、参加、行動してもらうことで、それぞれの学校や、子どもたちにかかわる応援団を増やしてまいりたいと考えております。

このような取組みを行うことで、神奈川県において子どもは社会全体で育むという機運が醸成され、すべての学校や地域に子どもたちの笑顔があふれることを願いながら、取組みを進めたいと考えております。以上でございます。

知事

ということで、神奈川県もこの問題に取り組んでいるところでありますけれども、おそらくそれだけで、すぐに「よくやってるな」というふうには思われないと思います。

まずはこの時間の中で、どういう現状になっているのかということをきちんと踏まえた上で、じゃあどうしていけばいいのかなと、こういう大きな議論の流れにしていきたいと思っております。

それでは、皆さんから率直なご意見をお伺いしたいと思いますけれども、要するにこんな現状があるんだとかあったんだとか、これを聞いてほしいという方がいらっしゃったらどうぞ。

参加者

横浜市瀬谷区のオオタキと申します。私が今日来たのは、今現在、私の娘がいじめにあって不登校の状態にあり、1年3カ月ぐらい経っております。ここで現状などを資料でご説明いただきましたが、私の娘はまず学校の先生にきちんと相談をしました。でも、先生はそんなことはないというふうに突っぱねてしまいました。

その後、親も入って先生と話をして、部活の顧問だった先生に「きちんと対応しますよ」とお約束していただきましたが、夏休みもあったことから、夏休み明けの1カ月も含めて、約2カ月放置されました。私も娘も、いつ学校に「部活に安心して来れるよ」って迎えに来てもらえるか、ずっと待っておりました。でも来ませんでした。

その後、何度か学校に足を運び、顧問以外の生活指導の先生や、副校長、校長と対話をしましたが、いじめであるという認識をしてくれるのに2カ月ぐらいかかりました。「いじめがあったんです」と言っても、「申し訳ございませんでした。人間関係で大変傷ついたようですね」と、決して「いじめ」とは口にしてくれません。先生に、学校の勉強のことが気になっているから、プリントとか何かわかるものがあったらほしいと娘が言っているとお願いしましたが、その時点では「一人のために特別なことはできない」と断わられました。今でこそ毎週プリントが届くようになりましたが、それでも、時間中に配られた資料などはもらえないので、たまに思い切って学校に行っても「今日提出日ですよ。これ出してください」って、その場で渡される状況がまだ続いております。

ここには大変理想的なことが書いてありますけれども、いざ、いじめが起こったときに、いじめた人たちも、もしかすると被害者なのかもしれません。でも、いじめられた子どもやその親は、いくら学校に訴えても受け入れてもらえないときの、窓口が何もないのです。教育委員会に電話をしましたが、「そんなことはないですよ。学校とちゃんと話し合ってください」と言われました。学校が受け付けてくれなければ、誰も助けてくれないです。そのことだけは資料に載っていないと思うので、ぜひわかっていただきたいと思います。

知事

学校がやはりいじめということをなかなか認めない。そういう現実のご指摘がありました。他にいかがでしょうか。

参加者

港南区のコモリと申します。私はNPOとして約9年間、いじめの問題をやっています。 その中で、不登校といじめの問題はとても深い関係にあるということを、現場の先生方から聞いて知りました。ですから、最初の資料の「いじめをきっかけとした不登校が全体の4パーセント」というのは、私が現場で先生方から聞いている実感とはまるで違うということを伝えたいと思いました。

あるいじめ自殺が起きたところの教育長さんとお目にかかってお話を聞いたら、不登校の対策室といじめの対策室が別々にあって、連携をしていないということを聞いたんですね。でも、いじめと不登校は切って離して考えることはできないと思いますので、神奈川県の中で、もしそういう対策をするのであれば、密接に連携を取っていただきたいと思っています。

再発防止を目的とした情報共有は行政機関の中だけでなく、起きてしまった現場、学校、教育委員会、また被害者となった人たち、加害者となった人たち、みんなが情報を共有して再発防止策を探さなければいけないんですが、今のお父様のように、学校から事実を認めてもらえないという現状が非常に多いのが現実です。

ですから、いじめが原因で不登校に陥っている子どもたちが非常に多い、いじめが原因の不登校というのが実はとても多いということ。もし、いじめ問題を解決することができたら、不登校の問題はかなり激減するというのが私たちの実感です。そのためにはやはり、一つこれは提案なんですけれど、日本で一番いじめの認知件数が多い神奈川県になってほしいと思っています。

というのは、先生方が何の評価も気にせずに、事実を全部ちゃんと報告できるようなシステムづくりというものが、事実に向かうための基本的な部分になると思っています。一見、これはほかの自治体から非難されそうな感じのことですけれども、実は今までも、実際に長野県の当時の田中知事が事実を認めて、被害者の自宅に来て謝罪したなんていうこともありましたが、それは実は評価の対象になっているということも過去にありました。先生たちが何も心配がなく事実を伝えられる、そんな神奈川県にしてほしいというふうに思っています。

知事

ありがとうございます。非常に重いお言葉、重い提案だと思いました。他にいかがですか。

参加者

海老名市在住です。いじめについて3つほど意見があるんですが。

まず、私は自分で言うのも何ですけれど、結構冷静な性格で、自分がいじめを受けたときもいじめている人を冷静に観察していたんですが、いじめをする人に理由はないです。爽快だからとか、優越感が得たいとか、そういう理由でいじめをします。

理由はないと言ったんですけれども、間接的にはあると思うんですよ。私の住んでいるアパートはどうも壁が薄くて、隣近所の言葉が結構聞こえてくるんですけれども、父親が母親を怒鳴ると、その母親はそのときは子どもに当たらないんですけれど、父親が姿を消すと、その子どもに当たるんです。その子どもも、たぶんストレスのはけ口がないから、学校とかでいじめをしたりするのではないでしょうか。

それから、教師の対応についてですけれども、昔いじめを受けていたときに、教師に「対応をしてくれ」と言ったんですけれども、学校の中では監視の目を強めるが、一歩学校から出たらもう自分たちは関係ないと思っているじゃないですか。下校途中を狙われたりなどは普通にあるので、そういうことも考えてほしいと思います。

教師は不登校になった子どもに対して何かしようとするけれど、それって意味ないんじゃないですか。というのは、不登校になっている原因はいじめが起こっているからであって、それはいじめをしている人に対して何かをしなければいけないんじゃないですか。いじめられている人の親も、教師に何かしてくれと言うのではなくて、いじめている人の親とか、いじめている人に対して何か言うべきなんじゃないでしょうか。以上です。

知事

ありがとうございました。いろいろ学校の問題点が浮び上がってきましたけど、他にいかがですか。

参加者

横浜市青葉区から来ました、神奈川県立荏田高等学校のシノダと申します。まず黒岩知事にお聞きしたいのですが、知事はいじめられた経験、またはいじめをその場で見たという経験はおありでしょうか。

知事

自分の人生を振り返ってみて、自分がいじめたんじゃないかと思う経験もあります。いじめられたと思う経験もあります。自分は確かにいじめるつもりはなかったけれども、結果的にはあれがもしかしたら、今で言ういじめだったのかもしれない。僕はとても仲よくフレンドリーにしたつもりなんだけれども、後から「いじめられた」という人の声を聞いたとき、こんなふうにされた、あんなふうにされたというときに、あれ、もしかしたらあれはいじめだったのかなと。

でも、昔はそんなことで、そんなにいじめ、いじめということは、あまり今のように言われなかったんですね。ところがその後、ある日突然、仲間が一切口をきいてくれなくなった。シカトされたということですか。何が起きたかわからないということになって、自分は今で言ういじめられる側になったということを実感したこともありました。

参加者

僕は小学校の時に、無視されて、「シノダキン」と呼ばれて、すごく悔しい思いをしたことがあります。正直、辛くて話したくないんですけれど、学校へ行って、ぶつかるといきなり言ってくるんですよ。挙げ句の果てに無視、シノダキン。正直、自分で何していいかわからないんですよ。それなのに先生に言っても、「シノダ君が、何が悪いか、自分をまず見つめ直しなおしなさい」と。「自分が何をしているかを考えて、それで、そういうことをされるのはなぜか」と言われたんです。

でも、俺は自分で何かやった覚えもないし、しかも突然だった。だから、先ほどの方が言ったように、やはりいじめというのは、やられている側が悪いのではなくて、やっている側が悪いんだということを、まず知ってほしいんですよ。やられている側の配慮ではなくて、それはもちろんいろいろと話しかけたり、配慮というのも必要でしょうけれど、まずいじめている人がいなくならない限り、絶対いじめはなくならないと思います。

中学校になったときに、僕に対するいじめはなくなったんですけれど、僕は逆にほかの人をいじめてしまいました。なぜかというと、その人の味方をしたら、またいじめられるから。そっちの方に行っちゃったら、またいじめられる。そんな学校が成り立っているんです。

いじめ認知件数が多いって言いますけれど、正直、いじめがない学校の方が多分少ないと思うんですよ。いじめがない学校なんて、多分俺は信じません。何らかのいじめ、暴力であったり、部活関係であったり、無視であったり、そんなのは絶対にあると思うんですよ。それをどうするかなんて、まずいじめをしないっていうことを最初からたたき込まないと、絶対に何もできない。起こってからだったらもう遅いんですよ。俺みたいになっちゃうんです、本当に。そんなふうにならないように、本当に最初からきちんといじめについてみんなで考えて、起こる前にまずいろいろと議論してほしいと思います。

知事

ありがとうございます。率直に語ってくれたということで、みんな本当に自分の問題として受け止めたんじゃないでしょうかね。他にいかがですか。

参加者

横浜市戸塚区から来ました、アオキでございます。

いじめの問題はいじめるやつが悪いと。それも先ほど出たんですけれども、いじめる子どもも、かなり心とか家庭とか病んでいる場合が多いと。そうした場合に、じゃあ誰がその子を支えるのかと。僕はいじめる子をまず救ってやらなかったら、いじめはなくならないと思っております。

そうした場合に、よく行政の言う「地域で」というのが、本当に役に立っているのかと。たとえば横浜市の場合、学校と家庭と地域の連携ということで会議を開いたり、青少年指導員や体育指導員を呼んで会議をやって、地区の町内会長、連合町内会長を呼んで会議をやって終わりと。そんなのでは、絶対に地域でいたずらっ子を救えるということはないと思っております。

やはり私の住んでいる地域も、元不良というのがうようよいる。彼らはもうきちんと更生していますから、そういう多様性のある地域がなければ、絶対にうまくいかないと思います。ですから、行政が「地域」と言ったときに、町内会の役員や区役所、市役所とか、地域にかかわっているそういう指導する立場の人たちだけだったら、絶対に解決しないと思っております。あと、いじめは学校と母親、父親だけでは絶対解決しないと思っております。

ちなみに私は消防団に入っておりまして、当地区の消防団は、ピンは東大出、キリは元暴走族の総長というのまでおりまして、なかなか中学生にはにらみの効く組織になっております。以上です。

知事

ありがとうございます。今、新しい視点が出てきましたね。いじめる側が悪いんだと。いじめられる側は被害者だと。しかし、いじめる子を救ってやらなきゃいけない。こういう言葉も出てまいりました。いかがでしょうか。

参加者

先ほど地域という言葉が出ました。私も地域の活動をしている、茅ヶ崎のヤマガミと申します。子ども会の役員をしているわけですけれども。

数年前から、マスコミでも「地域力がなくなった」ということはよく言われています。まさに地域力というのは、地域全体でやると一般的には言うんですけれど、そうではなくて、もっといろいろな組織、例えば母親クラブとか、婦人会であるとか、子ども会とか、その音頭を取る人がだんだん少なくなっているというのが現実だと思うんです。

ですから、そういうものをどこで埋め合わせるかということで、子ども会ではセンターの先生方の世話になりながら、「青年リーダー」というのを育てております。青年リーダーは「ジュニアリーダー」とか「シニアリーダー」と申しますけれど、その辺が活躍してどんどん働けるところは事件が少ないというのは、全国的に表れております。

事件、いじめが少ないということは、先ほどの学校の話なんて、地域でもやはり大きな問題だと思うんですね。ぜひそういう地域の力をどうにかして育てていくということを、真剣にそれぞれのシステムで考えていかなければいけないのかなと思います。先ほど消防団という話も出ましたけれども、町内会、子ども会、婦人会、老人会という人たちが本気になって地域をパトロールするとか、地域の中で活動して、目を開かないといけないと思うんです。

私も県下全部の市町村を回って、いろいろな講演をやっていますけれども、だんだん大人の参加が少なくなってきています。ということは、それだけ地域力が少なくなっていると思うんですね。そんなことをぜひ一緒に、できればセンターの先生方と、そういった組織をつくって、見回り隊をつくっていきたいなと思っております。ぜひお力になっていただきたいと思います。よろしくお願いします。

知事

ありがとうございました。他にも手が挙がりました。

参加者

横浜の鶴見区の菊名の方から来た、シライシマサトと申します。話を聞いていて、本当にごもっともだと思いました。

まず、私の持論なんですけれど、確か神奈川にフリースクールとか、学校との連携協議会があると聞いていまして、私もこれからフリースクールと学童併用型のものをつくっていきたいと思っております。その中で、これからフリースクールとか夜遅くまで預かるような新学童をやろうとしている私に対して、行政が話し合いの場でさえも全然与えないと。その辺がまず問題あると思うんですね。私もかかわりたいけど、やはり変なふうに思われている部分があります。

現実に、もちろんいじめた人はいけないと思いますけど、いじめをなくすためには当然、加害者とか、親なんかを追及していくと。私も中井裁判を傍聴したりしていますけれど、学校がなかなか認めない。それは当然やるべきだと思います。

それから、いじめで不登校になった子のことでまずお伺いしたいのは、行政の方々は学校へ行かせようということが根本にあると思うんですね。それは間違いだと思うんですよ。本人の意向を最大限尊重する。日本は子どもの権利条約を22年前に結んでいるんですね。子どもの権利条約の中には、学校を選ぶことも、行くことも行かないことも、ちゃんと権利にうたわれているわけですよ。やるならば、フリースクールとかフリースペースとか、家庭教師、塾、予備校など、多様な教育をまず行政が認めていただきたい。その中で、自分が本当に合ったものを選んでいただきたい。それでもつまずいた場合は、また振り返ったり、じっくり自分で考えながらやっていただきたい。

いじめのことで学校が冷たいというのなら、まず転校したらいかがかなと思うんですね。フリースクールも含めましてね。いろいろありますので。その辺のことを含んでいただけたらなと思います。

それから、地域力に対しては、簡単に言いますと、私も防犯をやっています。まず、部活を社会体育にしたらどうかと思います。私が考えている社会体育というのは、上昇志向ではなく、社会人と中学生または高校生たちが、部活を地域型総合スポーツクラブのようにして、人のつながりを深めるとか、孤独死防止や老化防止、自殺防止につなげていければと思います。その中で中学生の贅沢病をなくして、たとえば体操着と試合用のユニフォームを統合して、体操着は立派なものがあるんだから、試合用ユニフォームはいらないんじゃないかとかいうようなことが見えてくると思うので、皆さんもぜひこの辺で考えていただきたいと思います。

知事

ありがとうございます。「学校」というキーワードがあり、「地域力」なんていうキーワードが出てまいりました。他にありますか。

参加者

川崎市からまいりました、シノハラマキと申します。本日は、私の経験したことをお話させていただきたくまいりました。

私は昨年の6月に、当時中学3年生だった次男のマサヤをいじめ自殺で亡くしました。当初、学校側はいじめはなかったと発表しました。しかし、3カ月後の調査委員会による発表では、いじめがあったと認められました。調査委員会の方々がしっかりと調べ、隠すことなく46ページにも渡る報告書を作成してくださいました。

特に教育委員会のメンバーでもある川崎市教育委員会のお二人は、マサヤが残したわずかな心の軌跡を元に、マサヤの身辺周辺で何が起こり、何を感じ、何を悩み、何を訴えたかったのかを必死で探してくださいました。延べ100人近い生徒や教師から、話を聞いたそうです。

お二人は今でも毎月、命日にはお焼香にいらしてくださいます。そして、よくおっしゃる言葉があります。「ずっとマサヤさんと対話をしてきました」と。もちろん、生前のマサヤには会ったことはないのですが、お二人はずっとマサヤと対話をして、マサヤの気持ちを真剣に知ろうとしてくださったのだと思います。調査の最中には、どうしても真実を知りたいという思いからでしょう。夢にまでマサヤが出てきたそうです。

このように、心あるお二人にお会いでき、事実を知ることができた私は裁判を起こさずに済みました。しかし、私がお会いした遺族のすべてと言っても過言ではないほど、多くの遺族は事実を隠蔽され、我が子はなぜ亡くなったかもわからないまま苦しんでいます。しかたなく裁判を起こす遺族も少なくありません。我が子を失うというだけでも、地獄の苦しみなのです。それにもかかわらず、亡くなった理由もわからず、裁判まで起こさなくてはいけない苦しみは、想像を絶します。

いくら嘆き悲しんでも、愛する我が子は戻ってきません。しかし、遺族はせめて我が子に何が起こったのかを知りたいのです。知らなければならないのです。私がお会いした川崎市教育委員会のお二人のように、本当に気持ちがあれば、遺族は二重の苦しみを抱えずに済むはずです。人としての心を持っていれば、できるはずです。

行政が、そして国が凛とした姿勢でいれば、いじめはなくなると信じています。川崎市ができたことです。神奈川県もこれに続き、全国に先駆けていじめ撲滅、隠蔽撲滅を実行していただきますよう心から願っております。

知事

ありがとうございました。行政のあり方、非常に示唆に富む、大変貴重なご経験ありがとうございました。

参加者

戸塚区から来ましたナカミと申します。

今までの皆様の話を受けて、いじめの問題を解決するには何が一番肝要かということを考えてみました。やはり、それには未然に防止するということですね。発見してからいろいろと対応するのは対症療法であって、抜本的な解決にはならないと。私自身は教育問題の根幹には学習指導要領の問題があると考えていますが、それを言ってしまうと政治の横やりが入ってなかなか前に進まないと。

じゃあ、黒岩知事が主導権を発揮するにはどういう場面があるかということを考えてみますと、私は教育の現場にメディアリテラシーというものを導入することが一つの方策としてあるのではないかと。

すなわち、この資料にもちょっとしか出ていませんけれども、いじめの形態として「学校裏サイト」というものが出てきています。学校裏サイトに限らず、個人のブログなどでも、中学生、高校生たちが人の悪口を書き連ねたりする。これについて、私の知り合いの教員に「学校裏サイトはどうなっているんだ」と聞くと、実はそういうサイトを立ち上げた人がいじめられるという現象が起こっているという話も聞きました。つまり、当然書かれた側も傷つきますけれども、書いた側も今度は無視の対象になったり、新たないじめを受けている現状があるそうです。

やはり、そういった問題をしっかりと認識させる。そして書いた側がどういう責任を負うのか。それを多くの人が目にすることによって、自分にも責任が生じる。そして相手も傷つけることになる。こういったことを、しっかり教育の現場で学ばせるというのが私は大切だと。それができるのは、教育委員会や文部官僚ではなくて、やはり長年ジャーナリストとして報道の現場に携わってきた知事しかできないことだと私は考えています。

そしてもう一点。いじめの問題を学校側がなぜ、なかなかしっかりと向き合ってくれないのかという点も、これ意外とメディアリテラシーと関連するのかなと。つまり、私も学生時代に教職課程で単位を取って一応教職免許は持っているんですが、このメディアリテラシー、情報を読み解く力というのを勉強する場がありません。とにかく教科書を読んで頭に知識をたたき込むだけ。そういった教育を経験してきて教員になっても、相手の立場を理解しろとか口先では言いますけれども、それが実体験として対応できない。だから、保護者の方にそういった相談を受けても、まともに応えることができないという現状があると思います。

ですから、教職課程の現場、要するに教員にこれからなろうという人に対しても、しっかりとそういうメディアリテラシー、情報を読み解く力を勉強させるような教育現場を、これは県としてもしっかり取り組むべきではないかなと思いますが、知事のご意見もぜひともお聞かせいただきたいと思います。以上です。

知事

今、メディアリテラシーとおっしゃったのは、情報を読み取る力という意味でおっしゃっているんですね。

参加者

全般的には情報を批判的に読み解く、情報を正しく読む、相手の立場を理解する。そういった観点を、あえてメディアリテラシーという言葉を使いました。

知事 

要するに、たとえばテレビではこういうふうに報道されているという、その裏側を読めということを言ってらっしゃるんですか。

参加者

それも一つの実践だと思いますし、たとえばインターネットを使うということがどういう結果をもたらすのか、インターネットというのは不特定多数に発信しているのだと。それによってどういう影響が起こるのかというのも、やはり情報を読み解く中で一つ大切だと思います。

知事

基本的にいろいろな情報がありますからね。たとえばインターネット裏サイトの話というのは、現状がどうなっているのかと。新しいいじめの手口なんていうのも出てくるだろうし、いじめの形もどんどん変わってきているかもしれないし。

少なくとも、私はなぜこういう会を催しているかというと、今の一番生の話を受け止めながら、どうすればいいかということを、みんなで考えたいということでありまして、そういう情報をみんなで共有しながら、どうすればいいかということをみんなでアイディアを出していく。それが、私がこの問題に向き合うための姿勢だとお考えいただければと思いますけれども。他にありますかね。

参加者

座間にあります相模向陽館高校の保護者会の会長をやっていますタカハシと申します。先ほどから先生の取組みという部分でいくつかお話があったと思うんですが、この学校の先生の取組みについて、少しお話しできればと思います。

この学校の先生方の取組みは、心理学をきちんとすべての先生が日々、学んでおります。それを学んだ上で、生徒とどう接するか、生徒をどう受け入れるか、生徒とどう対話していくかを一つ一つ考えながら取り組んで、子どもたちと関係をつくっております。

いじめる側、いじめられる側というお話もありましたけれども、どちらもやはりいろいろな意味でのストレスがあったり、自分を出す機会、上手にうまく自分を表現できないというものがあって暴力に走ってしまう場合、あと、それを受け入れて対処できなくて、引きこもり、不登校などになってしまう場合、その両極端があると思います。

それらの学校を受け入れるものが定時制高校であったり、いろいろないわゆる全日制の昼間の高校じゃないところが多いと思うんですけれども、この学校としては、定時制高校として設立されているんですけども、朝から学べるという形で、夜だけ行く定時制高校と違って、普通の学校の生活ができます。子どもたちは普通に制服を着て、普通の学校に行っている、僕は普通の人間になれるというような形で学校に臨んで行く。そこでまたいろいろな出来事が起こると、同じ不登校の繰り返しになってしまうので、それを防止するために、先生たちが日々学んで、努力しているという活動をしております。

子どもたちが失ってしまった自分の自信、積み重ねてきた自分を自分として認められなくなってしまった体験、それを一つ一つ見つめ直して、自分の個人、君はこういう人だよということを改めて認識して、でもあなたはここにちゃんと生きているんだよというものをきちんと見つめて、次につなげていく。今何をしたらいいのか、何をして将来につなげていったらいいのかという取組みを、学校と私たち保護者と連携して、やらせてもらっております。そこにも、先ほどおっしゃった地域の力もお借りして、地域の自治体にも一緒に取組みにかかわっていただいております。

ぜひ、知事に一度見に来ていただけたらなと思って、今日は参加させていただいたので、相模向陽館高校をご記憶いただければと。皆様もよろしくお願いします。

知事

ありがとうございます。私もこの前、学校訪問をさせていただいて、学校の現状、定時制も見させていただいた。非常にがんばって学校改革に取り組んでいらっしゃる。神奈川県の中でも、いろいろな学校の問題というものが指摘されていて、何とか変えていこうという、いろいろな挑戦、試みも行われているんですよね。

学校という問題が何回も出てまいりましたが、学校に絞ってここから議論してみましょうか。学校の問題で、何かこのことを言いたいという方、いらっしゃいますか。

参加者

小田原からまいりました、ワダと申します。NPOをやっております。同時に実は教育委員長もやっております。今日はNPOの立場に立って申し上げたいと思いました。

実はこういう席に来るのは初めてで、というのは、来ても何もならないんじゃないかという思いが今までありました。ところが、5月だったと思いますが、食育学会で知事にお話をしていただきました。僕は評議員でもありましたので、あのときにお話を聞かせていただいて、大変感動いたしました。そして、病に対する現代医療が取り組んでいる姿勢というものに、ちょっと違う角度からお話をいただきました。確か、お父様のご病気のことだったと思います。要するに、現代の医療が病気を見て命を見ない、人を見ないというようなお話だったと思います。実はこの視点がとっても僕は大事ではないかというふうに思って、期待を持って今日、ここに来させていただきました。

実は、今いじめとか不登校、特にいじめ論、いじめの問題が大変多く議論されていましたけれども、我々のところにも子どもたちとのかかわりの中で、いじめで苦しんでいる子どもたちが来ます。実際にそういう子どもたちを、まずはともかく保護してあげなければならない、助けてあげなければならない。それはもっともなことです。でも、最初にお話なさったご父兄の立場で、学校に対してそういうふうな異議申立てをするということも、全くもっともなことだと思います。

ところが、なかなかこれが解決していかないという現実があります。当事者である方が、冷静に学校に対してご自分の意思を伝えるということはなかなか難しいんですね。ですから、NPOがそれを代行します。いったん受けます。そして、学校と対応するときには、必ず第三者であるNPOが対応をします。

そのときに、いじめにあっているお子さんを守るというのももちろんそうなんですけれども、学校の教育環境が問題なんですね。誰もがやはり安心して学べる教育環境にしなければならない。いじめが、非常にこれは突出して出てきている氷山の一角であるという気もするんです。その底辺には、大変それに類するものがたくさんあるんではないか。

ですから、一人の方のいじめという問題をきっかけに、教育環境を改善してくださいという要求を出します。そうしますと、それを受け止めた学校側は、いじめだけの問題ではなく、いろいろな角度から教育環境についての見直しをしてくださいます。この視点が先ほどの、知事が病のことでおっしゃっていた、その視点だと思うんですよね。その全方位的なものの見方をして解決していく。そういうことを担うのが、やはり第三者であるNPOの役割ではないか。そんなふうに僕は考えておりまして、こういう視点で学校とのかかわりで改善していった例はいくつもあります。以上です。

知事

ありがとうございます。確かにいじめの問題だけというよりも、やはり学校全体の教育環境の問題、そこにいろいろな問題が実はあるんだという、そのご指摘は確かにそうだなと思いますけれどもね。学校の問題について、ご意見どうですか。

参加者

鎌倉市のタキタと申します。今度、知事とは11月7日に鎌倉の方で話をさせていただきますけれども。

私は横須賀で、不登校、引きこもり支援のNPOをやっているんですけれども、私自身も教師をずっとやってきまして、早期退職をして、不登校に取り組んでいるのはなぜかというと、学校というのは子どもを中心に考えているはずのものが、どうしても学校中心あるいは教師を中心に考えてしまうという形に、結果的にならざるを得ないということを、ひしひしと感じているんですね。

たとえば、なぜ我々のようなNPOに親御さんたちが子どもを預けてくれるかというと、受け取ったその日から、我々は子どもに対応できるわけですね。だから、細かなことを話さなくても、「あ、学校でいじめられたのね」あるいは「学校に行けないのね」「勉強苦手なのね」という話になって、「じゃあ学校じゃなくて、うちに来てみたら」と言えば、お金も交通費も払って来るわけですね。

ところが、「じゃあ何で学校に行かないの」と言うと、学校は信用してくれない。いじめの話があると、いくら先生方に説明しても受け取ってもらえない。すなわち、子どもを中心に考えないといけないはずの学校が、子どもを中心に考える以上に、学校の体制とか教師の配置の問題を中心に考えざるを得ないような、要するに構造的な課題に陥っているように私は思うんですよね。

子どもたちが本当に中心であるためには、子どもたちが自己肯定感を持てる環境がないと、実はなかなか子どもたちは心を開かないと思うんですね。だから、結果的に我々のようなNPOは、自死の問題とか、本当に引きこもってしまう、あるいは病気、そういうものと背中合わせにやらざるを得ない。ということは、簡単に我々は受け止めていますから、来ようと思えば誰でも来てくれるわけですね。

すなわち、誰でも来られる環境が、学校としてどう提供できるのかということが、今本当に問われているのではないか。そのために、私も学校・フリースクール等連携協議会の会長をやらせていただいているんですけれども、教育委員会もよくがんばってやっています。市町村の教育委員会も一生懸命やっています。だけど、現実的に子どもさんのところ、あるいは先生のところに届かないものがあるので、昔、神奈川で言うと、長洲元知事さんが壮大な運動を神奈川で繰り広げていました。ぜひ、マグネットの力で地域、学校をつなげていただけるような黒岩知事の、教育問題をもう一度沸き立たせていただければありがたいなと。我々NPOはどこからでも援助しますし、支援しますし、がんばりますので、よろしくお願いしたいと思います。

知事

ありがとうございます。ちょっとお伺いしたいんですが、先ほどちょっとご指摘がありましたよね。いじめと不登校というのは、関係していると思いますか。県のデータでは4パーセントしか関係していないという話だったけど、やはり現場では関係していますか。

参加者

もちろん子どもたちは、きっかけはいじめが大きいですね。たとえば、暴力を振るわれたことから、お金を取られたりしたこともありますし、先生のちょっとした心ない一言で傷ついている子どもたちもいるし。先程から示されたようなことがありますね。

だけど、もう一つ言うと、その背後で子どもたちは自分自身をいじめている。すなわち「本当に僕は生きていていいのだろうか」から始まって、本当に僕は仲間とうまくやっていけるんだろうか、あるいは先生に本当に僕は認められているんだろうかという、不安を持ちながら育っている。こういう社会状況というか、環境があると思うんですね。

すなわち、「いいよ、そのままで」と受け止めてもらえていない。たぶん今日もNPOの方が何人か来ていますので、そういう経験いっぱいあると思うので、ぜひ、本当に子どもたちが「生きていていいな、生きていていいんだ私は」という環境をつくっていくことが僕は大事だと思っています。

知事

ありがとうございます。今、本当に驚く言葉が出てきたと思っているんです。学校が生徒中心ではなくて、教師中心としてつくられていると。皆さん、その点についてどうですか。そういう現実ですか。高校生の皆さんもいらっしゃいますけれど、どうですか、現実は。そんなこと思いますか。この点について、いかがですか。学校のあり方というのは。

参加者

釜利谷高校から来たヤマグチなんですが、さっき言われたとおり、教師陣の視野がすごく狭いんですよ。担任を持っている人は1クラス40人とか持っているから、視野が広いだろうと思うと思うのですが、実際は教師が後ろを向いて黒板を書いているときとかに、いじめはもう起きているんです。その瞬間から、物を投げたり、立ち歩いて髪を切りに行ったり、殴りに行ったり。ここら辺は僕の体験談になってしまうんですけれど、足を切られそうになったり。そういうことがあるんです。

こうやって、いじめにあう子が思う感情というのは怒りではありますけど、だいたい「あー、こいつうぜえな」「ほんと、何なんだよ」と。だんだんむかついてくると、「こいつ死ねばいいのに」とか、最終的には「こいつは俺が殺す」。そういう黒い感情になってくるんですよ。たぶん、不登校になる人には、殴られるのがいやだとかもあると思うんですが、こういう黒い感情を抑える人もいると思うんですよ。

それで不登校になり、学校裏サイトに書きこみ、またそれをインターネット上でたたかれ、それで自殺につながったりとかあると思うんですよ。教師陣にそれを言っても、教師陣はまず受けてくれないんですよ。「おまえの気のせいだよ」とか、「もう少し我慢してみな」みたいな。それで、だんだんエスカレートしてくるんですよ。

子どもというのは、親にこれは言いづらいんですよ。親を心配させたくないという気持ちが絶対にあるから。だから教師に言うのに、教師が請け合ってくれないから、自分の中でためてしまう。さっき、引っ越せばいいって意見があったと思うんですけど、親に言えないから、絶対に引っ越せないんですよ。それで自分の中にためてしまい、さっきの黒い感情が生まれ、そういう悪循環が絶対に生まれるんですよ。

僕の場合、いじめにあったときに、ちょっとやりすぎだったんだろうということで、仲間がどんどん増えてきて、逆にいじめの首謀者がいじめられる側になったんですよ。それまでのきっかけで、そいつがだんだん独りになってくるからなのか、エスカレートしてくるんですね。「あいつはみんなの敵なんだから、おまえら仲間につくんじゃねえ」的な感じで。僕の場合は家族をばかにされて、本当にむかついて、そいつのことを一発ぶん殴ったんですが、そのときに友達に止めてもらってそれで終わったんですけど、そういうことがやはり学校では絶対に起きるんですよ。

僕が殴ったことも、教師陣は絶対に見ていないです。見ているのかもしれないですけれど、何も言ってこないです。もう少し、教師陣にはそういう子どもと接する場を設けてほしいですよね。学校には昼休みもあるし、放課後もあるんですから。生徒と仲良くする、話し合うなど、もう少しそういう場を持ってくれないと、子どもはやはり黒い感情を持ち、それで引きこもり、自殺、いじめ、いろいろなことが起こると思います。

いじめにしても、これは本当にループすると思うんですね。いじめる人といじめられる人がいて、だんだんいじめている人はいじめられる人の仲間になってくるということがあるんです。そうすると、独りになったいじめている人が、今度いじめられるんです。これがずっと続くから、どこかで止めてあげないと、本当に一生終わらないんですよ、いじめって。これを止めてあげられるのは、学校で教師だけなんですよ。なので、本当に教師には視野を広くしてほしいです。絶対にそうしないと止まらないので、これだけはどうかお願いしたいです。ありがとうございました。

知事

ありがとうございます。先生が受け止めてくれないんだという話。これに似たような話は何度も出てきましたけど、どなたか先生はいらっしゃいますか。先生もいろいろな方がいらっしゃると思いますけれども、教師の立場としていかがでしょうか。

参加者

小田原からまいりましたツユキと申します。

今の意見ですけれども、私は二つあると思うんですね。確かに先生というのは本当に忙しくて、子どもと向き合っている暇はないくらい、いろいろな雑用が多すぎると思います。それと、今よく言われていますモンスターペアレントですね。保護者からのクレームも特にひどくて、それに対応するということもあると思います。

視野が狭いというのは、私は20年以上一般企業に勤めていて、その後教師になったので、その実態というか違いがよくわかるんですが、やはり先生というと確かに頭がよくて、そこだけしか知らないということがありますので、いろいろな対応の仕方ということに慣れてないということがあります。

でも、若い先生は非常に皆さん熱心にやっていただいていて、たまたまその学校が受け止めてくださる先生がいなかったと言いますけれども、これはトップに立つ校長先生、管理職がどう考えるかということだと思います。いじめに対して、いじめは犯罪だ、絶対悪いことだ、許さない、という態度でやってくださると、それが非常に教師の中にも浸透してきます。よくテレビを見ていると、謝罪して何も言わない校長先生が映りますけれど、そこのところは毅然と悪いものは悪いとおっしゃってくださると、ちょっと変わってくるんじゃないかなと思います。

そして、私もNPOに関係しておりますけれども、やはりいじめは犯罪だと、ポスターや学習会で、本当に子どもたちにもそういう、ネットいじめとかを知らしめるっていうことも大事じゃないかなというふうに思っています。

知事

ありがとうございます。他にありますか。

参加者

座間市にあります相模向陽館高校で働いております。ここで働く前は、中学校で臨任で働いていたこともあり、自分自身が中学生と高校生の保護者でもあるので、いろいろ混ざった意見を言ってしまうかと思います。

中学生と高校生を比べると、中学生の方がストレスの多い生活をしていると思います。きっと中学校の方が、さっきの件数でもありましたが、いじめや不登校が多いと思うんです。子ども自身がまだ小学校から中学校に変わったという、大人になりきれていない部分もあると思いますし、高校入試が3年後に迫っていますので、そのストレスがすごいものだと思います。

通信簿の成績のつけ方ですけれども、今はテストの点だけではなくて、観点別の評価というのをやっています。その子の授業中の関心、意欲、態度、ノートの取り方、手を挙げているかとか、そういうのをすごく細かく見られていますので、要領のいいきちんとした女の子なんかだと、いい成績がつくと思うんですけれども、男の子はそんないい格好したくないとかあったり、プリントがぐしゃぐしゃだったり、字が汚かったりすると、テストでいい点を取っても、成績はいい評価にならないんですね。

あるいは生徒会活動、部活動とか、そういうのが点数化されるのを子ども自身がわかっていますし、塾に行っているお子さんと行っていないお子さんの違いもあります。塾によっては、それがそのまま経営に結びつきますから、どれだけポイントが上がったかとか、何々中学校の先生の過去問とかを集めていますので、そういったところでも、本当に教育力のあるおうちと、そうじゃないおうちは違ったりとか。部活の先輩、後輩のこととか。

それから、小学校と中学校は校区がほとんどつながっていますので、今までのいろいろな子ども同士の関係もつながったまま、なかなか新しいスタートは切れないと思うんですね。高校生になりますと、全然自分の知らない地区の離れた高校に行ってしまいますと、子どもはそこでまた人生やり直しみたいな感じで、そこで新しいキャラで、自分のやりたいことをやり直すということもできると思うんですけれども。

そんなところも、中学校の先生ということもあると思いますし、自分自身が中学校の教師をしているときに、ごめんなさいって言いたいんですけど、本当に忙しいんです。朝も朝練を見ますし、授業も高校の教員より持ち時間数がすごく多いですし、国語を教えていても、さっきのように塾で全部やっちゃって過去問も勉強している子から、漢字の宿題だってやってこないようなおうちの子まで、全然違うんですね。どこを焦点に、何を教えたらいいかという感じで違いますし、昼の給食も一緒に食べなきゃいけないし、そのあとは委員会もあるしって、本当に追いまくられるような生活です。

知事

教えていただきたいんですけど、学生さんの方からは、先生が聞いてくれないんだと。いじめられているんだと言っても、聞いてくれないんだと言って、先生の方からは、忙しくてそれどころじゃないんだと。雑用がやたらに多いんだと。今、同じようなお話でしたよね。それと、モンスターペアレントが、がんがんクレームつけてくるんだという。全部、何でもかんでも学校のせいだといって、親がどんどん言ってくるという。それに対応するのが大変だということが出てまいりましたけど。

たとえば、いらない雑用って何ですかね。これはやらなくてもいいはずなのに、これをやらされていることが、非常に我々が子どもと向き合う時間がなくなっている大きな原因であって、県は率先してこの雑用やめさせてくれという、何かそういうのはありますか。

ここまで聞いてこられて、どうですか、放送大学神奈川学習センター所長の渡辺さん。いろいろな問題点が浮び上がってまいりましたけど、ここまで聞かれていかがでしょうか。

渡辺委員

いじめの問題は、私は何ともお答えしようがないと思うんです。ただ、いじめる側もいじめられる側も、いじめの問題が多くなるのは、多分小学校でもある程度高学年とか、中学校とかだと思うんですけれども、子どもの成長に従って、その年代というのはかなり精神的に不安定になってくると思うんですよね。その影響というのはかなり、いじめる方にもいじめられる側にも、あるんではないかなという気はします。

それから、先ほど地域の話がお二人の方から出ましたけれども、もちろんNPOとかそういうところで、教育の問題も含めていろいろなことにかかわっていただくことは非常に重要なことだと思うんですけれども、地域の人が地域のために働くということも非常に大事だと思うんですよね。

つまり、自分のまちの子どもを知って声かけをするとか、あるいは一緒に何か活動するということが大事なのではないかという気はしています。昔は「向こう三軒両隣」と言ったけれども、そういう地域はだんだん少なくなって、特に住宅街に行ったら、隣のうちは知っているけど、それ以上は知りませんと。高層アパートに行ったら、隣のうちも知りませんという状況になるわけで、やはり地域の人が地域で地域のために働くということは、その地域の教育力を高めてくれるのではないかと思っておりますので、私は事あるごとに様々なところでそういうことを申し上げております。

知事

ありがとうございます。ツイッターでもいろいろとご意見をいただいておりますけれども、「学校がいじめを認めない体質が、いじめを深刻化させている」と。この現場で出された意見と非常に近いところがあるのかなという感じがしますけれどね。 「少年犯罪でもそう言われるが、加害者側が擁護され、被害者側のことが何も考えられないことに違和感を覚えないことがおかしい」というご意見とか。「学校が事実を隠蔽して何も知らない遺族がたくさんいる。苦しい日々を過ごしている」「シェルター的な、いじめられたら一時避難できる学校を開設することはできないものでしょうか」とか。

こんなのもありますね。「やはり証拠を残しておくことが重要ですね。相手が暴れているところの録音とか」と。「言っても信じてもらえなかったし。卒業の日を待つのみだった。私の場合」「私は昨年末、ある人物から大声で脅されましたが、久しぶりに中学生のときの恐怖を思い出しました」ということでありまして、何となくお話をしていると、ある種の共通した何か問題点というのが浮かび上がってきたような気がするんですけれどね。じゃあ、これはどうやって克服すればいいのかな。

参加者

私は鎌倉から来ました、オオツサダヒロといいます。よろしくお願いいたします。

私は銀行に勤めていまして学校の教師の経験はないんですが、昨年から神奈川県のいじめ暴力追放アドバイザーというのを拝命しておりまして、そこで私が感じていることを一つ申し上げたいと思います。

「いじめ」という言葉が、私はすごく悪い言葉だと思うんです。昔はからかいや悪ふざけということが、いじめということの中心だったような気がするんですが、今のいじめというのは犯罪行為に等しいと私は考えます。

いわゆる自殺教唆、人権侵害、あるいは実際に人を殺すところまでいきます。傷害事件にも発展します。こういった、刑法で当然に罰せられるべき行為が、「いじめ」という言葉で一つに枠組みをされることによって、生徒の間も、私たち市民も、学校の先生も、行政も、すべてそれを許容しているという、それがオブラートに包まれているというふうに私は思います。

ですから、私は昨年度、藤井教育長様に「いじめ」という言葉をなくし、「スクール・バイオレンス」いわゆる「SV」という言葉にして、神奈川から全国に発信したらどうかという要望書をお出ししました。

これは二つほどいい例がありまして、一つは、家庭内暴力が亭主関白の上で当然にあったんですが、今は旦那が奥さんを殴る、あるいは奥さんが旦那を殴るというのは「ドメスティック・バイオレンス」という言葉でくくられ、DV法という法律ができ、今はそういうことをやるとすぐに警察が飛んできて処罰されることになります。

また、当然に社会内であるいわゆる「セクシャル・ハラスメント」も、一つの社会的な言葉ということで認知されることによって、私は今銀行に勤めていますが、一番管理者として厳しく言われることは、「セクハラはやるな」と。いわゆるそういった、女の子に対して変な言葉は使うなということで、ほぼこれも根絶されています。

子どもの間に、やはりいじめというのは犯罪行為である、あるいはやってはいけないことである、人間としてこういうことをやったら罰せられるんだということで、私はいじめという言葉をなくし、「SV」あるいは「スクール・バイオレンス」という言葉にして、あなたは犯罪行為をやっているんだということを、社会の仕組みの中できちんと生徒たちに教えさせることが、政治としての仕組みの中では一番大切なことではないかと私は思います。ぜひ知事にはご理解いただければと思っております。

知事

私も言葉ってすごく大事だと思うんですね。確かに今おっしゃったように、言葉によって、新たな事実というか、みんながそこに注目するようになるということはあるんですよ。

ちょっと質問させていただいていいですか。今のお話を聞いている中で、いわゆるいじめって何だろうかといったときに、「バイオレンス」という言葉が、今のいじめの実態をうまく反映した言葉かどうかなというところ。たとえば、裏サイトで書き込みの中でいじめられるとか。「バイオレンス」というと、いわゆる暴力ですよね。それがその言葉で本当にいいのかどうかという辺り、皆さんどうお考えですか。

参加者

私は言葉の暴力、精神的な暴力、それから本当の暴力、すべてを含めた意味でのバイオレンスという言葉は非常に適当だというふうに考えております。

知事

ありがとうございます。他にどうですか。

参加者

港北区から来ましたタケダサチコと申します。黒岩知事がキャスターをされた「報道2001」でお世話になったことも一度あります。

私たちは「ジェントルハートプロジェクト」というNPOで、私たちはいじめというのを「心と体への暴力」というふうにとらえています。先ほど、いじめは犯罪であるというお話がありましたけれど、実際に子どもたちは言葉や態度の暴力で傷ついて、やはり亡くなることもあります。必ずしも犯罪的ないじめが子どもを死に追い詰めるわけではありません。そういった形で、ただ「暴力」という言葉を使うと、割と子どもでも大人でも「あ、暴力はいけないよね」と。

いじめは暴力の一つの形態であるというふうにとらえています。私たちは神奈川県内のNPO法人です。いじめに対するいろいろなノウハウとか、提案を持っていますので、ぜひ私たちNPOを活用していただければと思います。

知事

ありがとうございます。

参加者

自分は最初に申し上げておきたいんですが、失礼な言葉を使います。自分は、人間は集団で生きる生き物なので、いじめはなくならないと思うんですよね。それは、生物上、強い者は弱い者を制す。本能的にもそういう考え方をしていると思うんですよ。

自分は実際いじめられていた身でもあり、いじめていた身でもあり、その二つの経験をしているわけです。いじめられた理由はいじめていたからで、自分の過去なんですけど、いじめていた理由は、一人の女子がきっかけで、自分は空手の黒帯を持っているんですけれど、持っているにもかかわらず暴力をふるって、担任にも怒られましたが全く反省がないわけです。いじめている方は反省がないと思うんですね。だから、どうやったとしても無理だと思うんですよ。注意したとしても、多分わからないんじゃないのかなと。

自分は実際にいじめられて、いじめはこんなに辛いものなんだと反省することができました。だけど、今の世の中、生き物は集団で生きる動物の方が多いです。人間は集団でまとまれば強いんですが、個人でいると弱いんですよ。だから、いじめられているやつは個人だから弱いんです。いじめているやつは集団だから強いんですよ。

だから、その集団を解くためにも教師が必要だと思うんですよね。その教師がモンスターペアレントとか言葉に対して敏感なのは、今の政治が悪いと思うんですよね。モンスターペアレントとか、イギリスやアメリカだと殺人にも及ぶ事件とかありますよ。それなのに、こういうことも知らないでモンスターペアレントで抑えるのはどうかと思います。

実際に俺もいじめられていたし、カッター投げられたりとか、はさみで髪を切られそうになったりとかありました。空手をやっていて防御はできましたけれど。足を切られそうになったというのは本当に犯罪行為で、一種の脅迫だと思うんですね。それにもかかわらず、教師が見てないというのは、教師の責任だと思うんです。教師の人には失礼ですが、俺は他人も信用していません。信用してどうにかなるというのは、間違っていると思うんですよ。特に教師というのは最悪な職業だと思っています。実際、教師は俺がいじめていたときは見ているのに、俺がいじめられているときは見放しているんですよ。それも、俺がいじめていたときも、半年ぐらい経ったときにやっと気づき始めたんですよね。

だから、忙しいというのも言い訳だと思うんですよ。忙しいから何だって。忙しいんだったら、忙しい中でがんばれって。それなのにもかかわらず動かないから、俺は信用したくないんです。

知事

いろいろな立場があるので、あいつが悪いんだ、こいつが悪いんだって言い続けたら、すべてが解決するとは私は思わないですよね。

参加者

横浜の港北区のムトウといいます。NPOで不登校とか、あるいは引きこもりの若者たちの支援をさせていただいております。今いろいろな問題出ているわけですけど、知事が第2回の対話集会に、いじめと不登校の問題を取り上げてくださったということを非常にありがたく思っております。

先程から出ているように、問題をかなり包括的に見ないといけないんじゃないかと考えております。今いろいろなところで言われていますけれど、社会的包摂というか、社会的排除をなくしていくという動きが広がっていっているんじゃないかと思うんですけれども、いじめ、いじめられる関係の中にも、多分に排除されている。いじめっ子もいじめられる子も、排除の一つの姿なんじゃないかというふうに思うわけですね。

僕のところでは生活保護家庭の中学生の進路支援もやっておりまして、そういう子どもたちを見ていると、非常に意欲をなくしてしまっているというか、もうあきらめきっている。どうせ勉強したってできっこないって、自分の将来については、親のように生活保護で生きていけばいいんだという人たちとか、学校へ行っても寝ているだけ、あるいは学校へ行かなくなって、親の方も行っていない子どもに気がつかないとか、あるいは行かなくても特に責めたりしないと。

かつての不登校の子どもたちは、親が行けと言うからそれに反抗して、家で暴力を起こしたり、あるいは昼夜逆転して親と口を利かないというようなタイプの子どもたちが多かったわけですけれど、最近は、そういう子ももちろん大勢いるわけですけれども、むしろ親の方が無関心あるいはネグレクトという形で、不登校になってしまっている子どもたちがいっぱいいるという現実が出てきていると思うんです。

今、元気にいろいろといじめたりいじめられたりという子は、まだそれなりの意欲みたいな、見てもらおう、自分の存在を知ってもらおうというような努力の一つの表れだろうと思うんですけれど、それすら放棄しちゃっているという子どもたちが出てきている。

そういう問題を考えるときに、やはり子どもをどうするか、あるいは学校をどうするかという時代ではなくなって、それぞれの家庭をどうするか。たとえば、母子家庭なんかは母親が一人で生活を支えなければならない。ところが、たいがい子どもを持った母親というのは、非常に安くというか、パートでないと働けない。そうすると、一つだけじゃなく一日に二つも仕事を重ねなきゃならない。そうすると夜、家に帰れない。子どもの面倒を見られない。そういうような家庭はいっぱいあるわけですね。

そういう子どもたちのいわば格差の問題を含めて、支援を広げていっていただかないと、今いろいろと出てきている問題は、そう簡単に片付くような問題ではなくなってきているんじゃないか。ですから、福祉の問題含めて、包括的に支援をしていくということをぜひ考えていただきたいと思います。

知事

ありがとうございます。やはりそういうツイッターも来ていますね。「学校にいる教師もいたたまれない。子どももいたたまれない。保護者もいたたまれない。すべてがいたたまれない社会。学校の存在そのものが人類にとっていたたまれない装置になっている社会」。かなり絶望的なお話ではありますけど。

参加者

お話を今まで聞かせていただいて、一つ、こういう視点もあるということで、私のうちの実例も聞いていただきたいんですけれども。

いじめの中には、やはり社会のひずみというか、大人だっていじめがあるじゃないですか。会社に行ったって、上司にいじめられて、そういう圧力がどんどん下へ弱い者にいく。親が子どもをいじめる、それで子どもがまた子ども同士で、さらに弱い者をいじめるといういじめも、もちろんあると思うんです。それは心の問題だと思うんですね。

うちの場合は、後からわかったんですけども、小学校5年生の前半に不登校が始まりまして、今、中2に相当するので4年間全く引きこもり状態です。何でこういうことが起こったかというと、もちろん最初はいじめです。小学校2年生ぐらいから「いじめられる」って帰ってくるんですね。横浜市なんですけれど、「はまっ子」というのに行って帰ってくると、「いじめられた」って言って、それが続いたので何度も先生に言いました。でも、やはり「いじめている事実はありません」と言われました。前の皆さんと同じなんですけれど。いじめている事実はないけれども、うちの子どもが言うと、下校時間に蹴られたりとか、様々あるそうです。

最終的に5年生のときに引きこもってしまいまして、学校の先生は誰一人気づかなかったんですけど、アスペルガー症候群という、発達障害の一つであることがわかりました。それは普通のお子さんのコミュニケーションとは違ったコミュニケーションを取るので、確かにいじめられやすいんですね。おとなしくて、一人で静かに勉強しているので、勉強もIQも高いですから、障害とはいえ障害者手帳とかはいただけません。全く普通の状態です。なので、何の支援も得られてない。今のところ学校からも何も支援を得られてなくて、今に至っています。この視点も、一つあっていただきたいなと思います。

知事

その視点、非常に僕は大事だと思うんですね。学習障害。ありがとうございます。時間がなくなってきたので、竹村さん、ここまで聞かれていかがですか。

竹村委員

ありがとうございます。すべて早急に手をつけないといけない話ばかりだと思っていますが、やはりまず学校であったり、現場で今何が起こっているのかというのを早期に発見して、先ほどもありましたけども、認知に至るまでのプロセスをいかに早くするかというシステムが非常に大事なことだなと。一人の人間を救うには、やはりまずこの入口が一番大事なのかなというふうに感じました。

今日ここにお集まりの、いろいろお話を聞いた中でも、様々な活動をしている方もいますし、様々なことで悩まれた人もいます。いじめた経験がある人もいます。このような学校、家庭、地域、行政、NPO、民間、これらが今どんな活動をしていて、どこに飛び込めばいいのかというのを知らしめる。僕たちはこんな目を持っているんだよ、こんな手をさしのべているんだよというのが、なかなか皆さんに伝わりにくくなっていて、一部ではわかっているんですけれども、それが多く広く、こんな人がこんなに大勢いるんだというのを、学生の皆さん、生徒の皆さん、いじめられている人、いじめている人にも知らせたいなというふうに思いました。

一人の人間をみんなで救うという気持ちがこれだけ集まっているので、何か早急に動くこと、その連携を取ること、みんなが力を合わせることが必ず私たちにもあると思います。

知事

ありがとうございました。では、山下さん。

山下委員

話を聞いていて、胸が痛みますね。一つひとつの話、本当にそのとおりだと思います。何とかしないといかんですね。

ちょっと私の話をします。私は小さいころ、体が大きくて、元気がありすぎて、結果としていじめっ子でした。私がいるから学校に行けないと、登校拒否をするクラスメイトがいて、それがきっかけで柔道を始めました。柔道を始めて、すばらしい恩師と出会って、柔道の精神について学んで、そこから私は変わった。

これが私の原体験になって、2006年に神奈川県体育協会の会長になったときに、真っ先に取り組んだのがこの悲惨な状況に対してスポーツ界も何とかできないかと。いじめ撲滅運動、スポーツマン、中体連で約7割近くが中学校で、高校で4割5分近くの子どもたちがスポーツをやっているんです。でも、スポーツをやっているから逆に体力があって、勝ち負けでストレスが溜まったりすると、彼らが逆にクラスでいじめているかもしれない。

でも、スポーツに一番大事な精神というのはフェアプレーだろうと。これを否定する人というのは、指導者に一人もいない。このフェアプレーの精神、大事なのは日常生活でこれを発揮すべきじゃないか。中村俊輔選手とか、原監督とか、杉山愛ちゃん、それから体操の内村選手たちに協力してもらって、約3万枚のポスターをつくって、そういった活動も展開しています。

前回の自殺、このいじめ・不登校、それからパワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメント、児童虐待、それからドメスティック・バイオレンス。すべて根っこは一緒なんじゃないかと。その根っこのところに何とかくさびを打ち込んでいく。そのことが必要ではないかなと思いました。

県の教育委員会でもいろいろ一生懸命やっていただいています。でも、ちょっと思うのは、校長会の会長さんとか、経営者協会の会長さんとか、PTAの会長さんとか、その人たちがそこで一生懸命やってくれるんならいいですけれども、ここに来られている、いろいろなところで一生懸命にこの問題を解決しようとしている人たちがいる。やはりそういう人たちを、ぜひ県の教育委員会に巻き込んで、そういういろいろなところの長もいいですけど、県でも市でも町でも、そういう人たちを巻き込んで、その教育委員会が中心になって、我々に何ができるのか。県だけ、教育委員会だけにお願いするんじゃなくて、教育委員会が中心になって、その人たちを巻き込んでいく。そのことをぜひお願いしたいなと思います。そして、情報交換をしながら、いろいろなところで、同じものに向かっていく同士がいる。そういった人たちがもっと増えて立ち上がっていく。そのことも大事じゃないかなと思います。

今、スポーツ、体育のところで、何とかやっていきたいと思っているのが、運動部のスポーツをやっている人たちのこともそうですけれども、それだけじゃない。保健体育、体育の時間の中でも、スポーツがうまくなるとか、体力がつくとか、生涯スポーツにつながるとか、汗をかく喜び。これも大事です。でも、それだけじゃなくて、スポーツ、体育というものを通しながら、協力とか、寛容とか、コミュニケーション能力とか、友情とか、言い方を変えると自尊心とか他尊心、連帯、フェアプレー、そういったことを何とか体育という授業、スポーツという中でできないか。言うは簡単です。行うは非常に難しい。これはすべて教師あるいは指導者の意識、そしてやはり能力にかかっていますけれども、私のかかわっているスポーツ、体育っていうところで、何とかそういうことに取り組んでいけないかなと思っています。

もう一つ。私の教え子もたくさん教師になっています。忙しいです。ですから、ぜひ、必要ない雑用はないと思いますが、ただ、いろいろな雑用だけど思い切って切るところは切って、教師にとって一番大事なのは、子どもたちと真剣に向き合うこと。一緒にお昼を食べたり、いろいろと悩んだときに十分聞いてあげる。そのために、もしこれを見ている教師の方がいたら、こんな雑用、どっちが大事なのか、どんどん出していただいて、校長や教育長、そういうところで優先順位の低いもの、これだけ苦しんでいる子どもたちがいるんですから、悲しんでいる親がいるんですから、そういう優先順位の低い雑用をどんどん切っていっていただいて、本来の教師の大切な役割である子どもと向き合うその時間をつくっていただけるように。

最後にもう一つ。知事にこれは感謝とお願いですけれども、こうやって県民と直に向かい合って、直接意見を聞きながら、これからもいろいろな問題についてこういう場を設けていただいて、直接向き合って県民の生の声を聞く。これからもどんどん、お忙しい中ですが、こういう場をつくっていただければ、神奈川県民の一人として大変ありがたいと思います。

知事

どうもありがとうございました。今日は本当に皆さん、率直な意見交換ができたと思います。今日はいろいろなテーマ、問題点が出てきましたけど、私はその中でずっと引っかかっているというか、そうだなって思ったのは、いじめられたんだという人と、いじめたんだという人が同じ人で、経験があるということですね。私自身もかつてそうだったということを言いました。

つまり、いじめる悪いやつがいて、いじめられるかわいそうな子がいるという構図ではなくて、これは瞬間的にも入れ替わるという。そのこと自体を多くの人に知ってもらうということが、大事なんじゃないかなと思うんですね。いじめる人間は、いじめられる人間の痛みがわからない。だからいじめているんですね。でも、もしかしたらそれは一瞬にして自分がいじめられる側になるんだということがわかれば、「ちょっと待て」ということになるんじゃないのかなと思うんですよね。

やはり相手の気持ちに立てるかどうかということが、一番大事なことだと思うんですよね。そのためには、やはり気づかないってことがよくあるんです。「いじめている」って言ったときに、中には、「そんなことない」っておっしゃる方もいるかもしれないけど、いじめていることに気がついてないという子だっているかもしれないですよ。いじめられている側はものすごく思うんだけど、いじめている側はそうは思ってないっていうことだって、実はあるっていうこと。

だから、やはりいじめということについてみんなで向き合っていくという、ずっと向き合っていくという、誰も逃げちゃいけないというような、この問題についてはあいつが悪いんだとか、これがだめなんだとか、教師が悪いんだ、社会が悪いんだ、親が悪いんだって、政治が悪いんだって、そういうことをいくら言ったって、この問題は全く解決しない。全員自分が当事者。いじめる側になるかもしれないし、いじめられる側になるかもしれないし、みんな当事者だという問題意識に立った中で、どうやって乗り越えていくのかなと。皆さんの共通認識で持ってもらいたいのは、いじめは悪いことだ。この認識だけはみんなで共通して持った上で、自分にはいったい何ができるのかということを、みんなでやはり考え、向き合っていくということが、私は大事なんじゃないかなと、今日の皆さんとの討論を通じて、痛切に感じた次第でありました。

さっきの言葉の問題もありました。非常に重要な視点だと思います。そしたら、ツイッターで、「『スクール・ハラスメント』という言葉でいじめを認識させるのはよい考えだと思います」なんていう、また別のアイディアも出てまいりました。これですべて終わるわけではありませんけれども、今日皆さんとこういう率直な意見交換ができたことをしっかりと踏まえて、この神奈川県政を運営してまいりたいと思います。この対話の広場は、これからもずっと続きますから、また改めて皆さんとともに率直な意見交換をして、少しでもすばらしい神奈川を目指していきたいと思います。今日はありがとうございました。

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