主な収蔵資料(その他)

掲載日:2011年3月30日

主な収蔵資料 その他

 神奈川県立公文書館では、全国的にみても歴史資料として貴重な資料を所蔵しています。

 

1 綾瀬市宮久保遺跡出土木簡(複製) 天平5年(733)

綾瀬市宮久保遺跡出土木簡「綾瀬市宮久保遺跡出土木簡(複製)」 ID:2200930501

 1981年から84年にかけて、綾瀬市早川で県立綾瀬西高校の建設にともなう事前調査により検出されました。発見された当時は、県内の古代史資料としては、天平7年の相模国封戸租交易帳を上まわる古い資料であるとして、たいへん話題になりました。また、郷里制が設けられていたことを、具体的に裏づける資料としても重要視されています。

 

2 毛利元就書状 永禄3年(1560)

毛利元就書状
                 「毛利元就(右馬頭)書簡」 ID:2199400841 (山口コレクション)

 戦国時代、安芸国(現在、広島県西部)郡山城主であった毛利元就が吉川家へ養子に出した次男元春に宛てた手紙です。このなかで元就は息子にぐちをこぼすなど人間味あふれる内容となっています。元就は三男隆景を小早川氏の養子に入れ、長男隆元ととももうりりょうせんたいせいに「毛利両川体制」のもと、中国地方支配のための基盤を堅固なものにしています。旧大野毛利家伝来文書。

山口コレクション

 山口八十八氏(帝国蔵器製薬株式会社創業者)が事業の合間に私財を投じて蒐集した幕末から明治維新期を中心とした史料で、識者から評価の高い内容をもつコレクションです。253点(1017通)

 

3 金河奇勝(かながわきしょう) 嘉永7年(1854)

 金河奇勝
                  「金河奇勝」  ID:2199400717 (山口コレクション)

 春木南溟(はるきなんめい)の筆による横浜開港絵巻です。南溟は幕末の南宗画(南画)家で精密画に長じていました。この絵巻では、米船や乗組員の服装、彼らの持ち物(鉄砲・サーベル)などがとても細かく丁寧に描かれています。

4 麹町十三丁目より半蔵門迄御用水戸樋并組合と樋筋(絵図)

麹町十三丁目より半蔵門迄御用水戸樋并組合と樋筋
                  「麹町十三丁目より半蔵門迄」 ID:2200434401 (鈴木家文書)

 玉川上水より、江戸城外堀・四谷御門を経て半蔵門に至る「戸樋」の図です。途中井伊掃部頭の屋敷地内などに戸樋が引き込まれている様子が3色に色分けされて示されています。ちなみに玉川上水の給水範囲は江戸城内をはじめ、四谷・麹町・赤坂の高台、さらに芝・京橋方面にまで及んでいました。

 

5 米艦到来浦賀之図 弘化3年(1846)

米艦渡来浦賀の図
                 「米艦到来浦賀之図」 ID:2200901512 (近世諸家文書)

 弘化3年閏5月27日に浦賀沖に出現した米船(ビッドル乗艦のコロンビア号)の船体や乗組員等を素描し、それぞれに説明を加えています。「大船長250フウトとありますが、フウトとはフィートのことで(1フィート=1/3ヤード=12インチで約30.48センチメートル)、全長76メートルほどになります。

 

6 皇女和宮東下列次第 文久2年(1862)以降

皇女和宮東下列次第
                  「皇女和宮東下列次第」 ID:2199519677 (寄託/高橋家文書)

 万延元年(1860)4月、幕府は幕権強化のため公武合体を標榜し、孝明天皇の異母妹和宮内親王の14代将軍家茂(いえもち)への降嫁を奏請しました。再三の請願を重ねた上、幕府が天皇の要望(鎖国の復旧)を誓約したため、天皇はついに聴許を決意し、宮も承諾を余儀なくされました。文久元年10月京都を出発して中山道を通り江戸に下向、翌2年2月11日婚儀を挙げられました。この版画は中央に大きく和宮の御車に随う行列が描かれ、従者や警固の大名、途中休泊した中仙道の宿などがその絵を挟んで上下に記されています。(3枚中本図1枚目)

7 開港図(横浜港) 安政6年(1859)以降

 開港図(横浜港)
                  「開港図」 ID:2200430263 (相模国・武蔵国各郡文書)

 開港場の諸施設は、横浜を中心に神奈川奉行所が設けられた野毛浦、そして遊女屋が建つ太田屋新田と、広い範囲にわたるものでした。芝生村から戸部までまっすぐにのびる「横浜道」という新道を開き、野毛浦と吉田新田の間に野毛橋をかけ、神奈川宿と横浜の間にも平沼橋・太田橋などを新設して陸上交通の便を整備しました。この絵図は、野毛より洲干への「新キ橋」は建設されていない、本町通りが7丁目まであるなど、完成後の開港場と異なる箇所がいくつか見られます。

8 三浦半島村絵図 文久4年(1864)以降

三浦半島絵図
                  「三浦半島村絵図」  ID:2200430212 (相模国・武蔵国各郡文書)

 鎌倉郡・三浦郡・久良岐郡の各村々を支配所別に色分けした絵図です。当時の道が朱線で示されており、村々の名称が記入されています。文久4年(元治元)以降に描かれたものだと思われます。

絵図資料について

 絵図は目的に応じて様々な種類で作成されています。当館が収蔵している絵図には、国内の全村名を書き上げた相模国絵図・武蔵国絵図、領主が支配のために作成した村絵図、徳川幕府老中等判決押印のある境争論裁許絵図、明治期地租改正後の地番を記載した地引絵図、土地の区画変化を知ることができる切図や土地宝典の前身「縮切図」・地籍図など、他に寺院指図、名主屋敷絵図、源頼朝屋郭之図、徳川幕府御用船寄港之図、水車関係絵図、将軍家茂上洛時や明治天皇東京行幸時の東海道町並み・道路の様子を描いて役所に提出した絵図(控)などがあります。

神奈川県

このページの所管所属は 公文書館 です。