公文書館だより 第10号

掲載日:2011年3月15日

十周年記念行事「特別展示」開国と神奈川―国際交流事始―

 神奈川県立公文書館では、平成15年11月に開館十周年を迎えました。今年はちょうどペリー来航150周年でもあることから、「国際交流と神奈川」をテーマとした、特別記念展示を開催しました。
 神奈川の近代は「国際性」という言葉に象徴されます。高水6年(1853)6月、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは、4隻の軍艦をひきいて浦賀沖に来航し、幕府に開国と通商を要求しました。翌年3月3日、日米和親条約[神奈川条約]が締結され、200年におよぶ「鎖国」体制は終わり、日本は開国しました。
 貧しい農漁村であった横浜村は、安政6年(1859)6月の開港とともに多くの外国人や国内各地の商人が移住し、生麦事件など不幸な外国人殺傷事件も発生しましたが、元治元年(1864)には人口12000人を数える、世界の人々が交流する国際都市へと発展しました。
 明治5年、ペルー国船から逃亡した清国人奴隷が救助を求め、外務卿 副島種臣と県権令[知事]大江卓の尽力により、229名が解放されたマリア・ルス号事件も横浜が舞台であり、近代日本の国際交流の出発点は神奈川にあったといえます。

【会期】
11月1日から11月22日まで

【出展構成】
1 黒船来航と神奈川
2 通商条約と横浜開港
3 攘夷か開国か―生麦事件―
4 マリア・ルス号事件

【出展資料件数】
マリア・ルス号事件の大旆 外48点

ペリー艦隊の旗艦ポーハタン号 『金河奇勝』の画像
   ペリー艦隊の旗艦ポーハタン号 『金河奇勝』

生麦事件の現場
   生麦事件の現場(横浜開港資料館提供)

大江卓の写真   横浜裁判所の絵
   神奈川県権令 大江卓          横浜裁判所(県立図書館蔵)

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平成15年度第1回展示 通常展示 資料にみる神奈川の歴史

 通常展示「資料にみる神奈川の歴史」が去る5月13日から8月31日まで開催されました。通常展示(旧「常設展示」)として開催するようになって、4回目でしたが、例年以上に多くの方々にご覧いただくことができました。
 今回も、当館所蔵資料を中心として、「古代・中世の神奈川」「近世の神奈川」「近現代の神奈川」を柱に構成しました。また、ペリー来航150周年にあたることから、「ペリー来航と神奈川」というコーナーを設け、『亜美理加人浦賀表渡来之図式』や、『黒船浦賀渡来日記』などの所蔵資料(写本)をご紹介しました。この通常展示の目玉といえる資料は次の二つといえるでしょう。
 まず、近世以前の資料では、「北条家伝馬手形」「北条家朱印状」「豊臣秀吉禁制」の3点が挙げられます。いずれの資料も山田明氏原蔵のもので、山田氏のご厚意により複製(レプリカ)の作成許可をいただき、今回初めて、展示室で公開することができました。次に、近現代の資料では、「市制施行」に関する歴史的公文書が挙げられます。
 歴史的公文書とは、耳に馴染みのない言葉かもしれません。当館で歴史的公文書という場合、「歴史資料として重要な公文書等」(正確には「等」がつきますが)を意味しています。より具体的にいえば、1県民生活の推移が歴史的に跡付けられる公文書等、2県行政の推移が歴史的に跡付けられる公文書等、3昭和20年以前に作成・取得した公文書等がこれには含まれます。
 先に挙げた「市制施行に関する歴史的公文書」は2に該当するものと考えられますが、公文書館の役割を知っていただくためにも、意義深い資料です。その他、「展示室だより」の発行や、県立中沢高等学校の授業への協力、県立横浜桜陽高等学校のインターンシップへの協力など新たな試みを行うことができました。これからの当館の展示がよりよいものになるよう努力していきます。


平成15年度第2回展示 企画展示
高度経済成長期のかながわ―当館所蔵写真にみる県内の風景―

 企画展示「高度成長期のかながわ―当館所蔵資料にみる県内の風景―」がただいま開催中です(今月22日まで)。当節の展示の中でも、近現代からテーマを選んだ企画展示は、昨年度が市町村合併、一昨年度がスポーツと、時宜に適ったテーマを設定して、展示を構成してきました。
 今年度はそれとは異なり、高度成長期という時期を定め、また、当館所蔵写真を展示の中心に据えました。高度成長期を選んだのは、すでに30年を過ぎ、この時期を「歴史」として捉えることができるようになったと考えたからです。京浜工業地帯が埋め立てられていく過程や、県の公害への対応なども、展示された公文書から知ることができます。また、所蔵写真を展示の中心に据えたのは、当館の展示に関する特別な事情が関わっています。
 当館の展示は博物館や美術館の展示とは大きく異なります。当館の展示は、なによりも資料の利用を促すための展示なのです所蔵資料をご紹介して、それを実際に手にとってご覧いただくための展示なのです。
 ここでいう「所蔵写真」の多くは、県の(旧)広報課が撮影した写真を指します。1950年代から80年代にかけて、当時の広報課は県の仕事や県民の生活、県内の風景などを紹介するために写真を撮影していました。公文書館ではこれらの写真の引渡しを受け、館内で閲覧できるようになっています。
 今回の展示をきっかけとして、広報課撮影写真や展示された歴史的公文書に興味をお持ちになった方は、ぜひ、受付に閲覧請求をしてください。歴史資料たちは、皆さまのご利用を心待ちしていることでしょう。

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坂本龍馬 ―自筆のてがみ―

 いつの時代もそうですが、時代をみつめ、時代の変化に対応していくために、スピードと躍動感が求められることはご承知のとおりです。そこで、今回は、新しい時代を夢見てその実現に活躍した幕末・維新期人物の精神的躍動を自筆の手紙で紹介しました。
 坂本龍馬は、徳川幕府末期に幕藩体制的秩序にとらわれない中央集権的な新統一国家構想(「船中八策」)をもって将軍徳川慶喜の大政奉還に影響を与えた人物です。手紙の内容は、龍馬から長州藩士 三吉慎蔵に土佐藩士 後藤象二郎の人物像を紹介し、「密かに見ておくように」と伝えたものです。

坂本龍馬書簡 
 後藤象二郎のその後の活躍を見るとき、龍馬の人を見る眼、龍馬が果たしていた役割の大きさを知ることができます。龍馬は、慶応3年(1867)正月に長崎の清風亭で後藤象二郎と会見し、手を結びました。公武合体を考えていた後藤は、龍馬の「船中八策」に啓発されて前土佐藩主 山内容堂を説得し、前藩主から将軍 慶喜対して大政奉還の建白をさせました。この年は、倒幕の密勅、将軍徳川氏の大政奉還・将軍職の廃し、朝廷の王政復古等々が行われ、日本の歴史が大きく変動する時期でもありました。掲出の手紙は、慶応2年2月16日に出されたものです。
 龍馬・三吉慎蔵・後藤象二郎の名前を記録したこの手紙は、徳川幕府の崩壊と維新を目前にした歴史の大きな変わり目の中で貴重な史料といえるでしょう。

(当館所蔵山ロコレクション)


行政資料の紹介

【昭和21年 戦時下陸海軍防空地価施設関係書類】 請求番号:20-11-101

 敗戦から約二ヶ月後の昭和20年11月1日、当時の神奈川県知事 藤原孝夫は、第二復員大臣 幣原喜重郎にあてて、「公共施設内ノ陣地構築跡地腹〔旧〕ニ関スル件」という一通の文書を送りました。これは、海軍が横須賀市内六ヶ所の道路敷地に残土を放置したため往来に甚だしい支障をきたしている、除去工事の費用として約45万円を負担できないか、という依頼文書でした。その後この訴えは、放置残土の問題から防空地下施設の処理問題へと拡大していきました。本資料には、その間の詳細な経過が綴られています。
 当館所蔵の『防空ごうの処理に関する要望書』によれば、昭和48年に、県は県内の1,560箇所になお防空壕が残存しており、埋め戻すには153億円の予算が必要であると、津田文吾知事名で政府に対し対策を求める要望を出しています。
 これは、この「戦後処理」が、決して順調に進められたわけではなかったことを表わしています。


古文書の紹介

鈴木家文書(当館寄贈資料)

 この文書は、現在東京都世田谷区下馬にお住まいの鈴木裕一氏からご寄贈頂いた武蔵国久良岐郡野島浦名主関係文書と当浦の名主であった吉兵衛家に伝来した古文書・漢籍・和書・軸物等々で、これらを総称して鈴木家文書と呼んでいます。裕一氏は、吉兵衛家の後裔に当たります。
 当文書は、寛文7年(1667)の「浦方掟」から昭和20年の「動員学徒名簿」にいたる全2026点ですが、その多くは近世中後期野島浦での漁業を中心とした文書です。
 漁業以外に見るべき史料として、「麹町十二丁目ヨリ半蔵門迄御用水戸桶組合戸桶筋」と記載のある絵図は、「玉川上水大桶石垣戸桶」の寸法が「四尺五寸四方」とあり、江戸城の「御本丸掛」「吹上掛」の水路を図式化し、水路が途中「井伊掃部頭」等各大名屋敷に引き込まれており、大名屋敷で使用する水が「玉川上水」から取り入れていたことが分かるものです。


千年抄

館長 小野寺 正明

 秋が深まって来ると、木々は実や葉色で目を楽しませてくれます。とりわけ、ムラサキシキブ(紫式部)は逸品である。光沢のある紫色の小さな粒が、細い枝にぴっしり身を寄せ合っている様は、神秘的でさえあります。
 紫式部と言えば、11世紀初め頃、『源氏物語』や『紫式部日記』などを著した平安王朝の女流文学者として親しまれています。その頃から、約千年経た今日、文学は平からパソコンになり、電子で言葉を伝えるようになりました。このペースで世の中が進化すると、これから千年後の文字は一体どのようなものになっているのか想像もできません。恐らく、現代の文章や電子文書が、今我々が『源氏物語』を現代語に訳し、研究していると同じようにその時の人々が接するのでは、と考えるとこんな愉快な話はありません。その時代時代に生きた者が、後世に公文書を残すことの歴史的意義は、こういう面でも大きいはずだ、と思うこの頃です。

神奈川県

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