公文書館だより 第17号

掲載日:2011年3月15日

戦国大名仮名書の手紙-北条氏康書状-

 戦国時代の覇者 北条氏康が、受け取る相手が女性であったため、仮名で書いた手紙です。実名の上一字(氏)を仮名で書く室町時代武家書状の作法に従って書かれています。本文中の「討ち死に」とは、この年北条氏と武田信玄とが戦った三増(神奈川県愛川町)合戦での出来事です。

北条家朱印状豊前氏古文書
     北条家朱印状(北条家の公式文書)                     永禄12年(1569) 豊前氏古文書(当館所蔵)


展示を終えて 絵図にみるかながわ 開催期間 平成19年1月24日から3月11日まで

 今回の企画展示「絵図にみるかながわ」では、県内に残る江戸時代の絵図(絵を主体とした地図)などから、当時のひとびとのすがたを再現してみました。
 「第二章 村のようす」では、県内の家々に代々伝えられてきた「村絵図」を集めてみました。道は朱、川や水路は青、田畑は黄色といった一応のきまりはありますが、一枚一枚それぞれの絵図に村の特色があますところなく描かれています。
 「第四章 絵図いろいろ」では、関所の抜道改所の絵図や神社の社殿図、「土橋」「瀧」「御林」「家相図」など地図以外のものを紹介しました。なかでも「江戸末期世界地図」(木版画)はその当時の世界観を知ることができる貴重な資料です。この地図の作者 栗原信晁は、画技が巧みで父 信光(江戸幕府の奥右筆(武家の書記役)を勤める)の著書に詳細な挿絵を数多く残しています。

牧野村絵図江戸末期世界地図
      牧野村絵図/神原家文書(寄託)                           江戸末期世界地図/小塩家文書

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ミニ展示を終えて 周布公平の書簡 開催期間 平成19年1月10日から2月28日まで

 平成18年度5回目のミニ展示では、明治後期に神奈川県知事として活躍した周布公平の書簡を紹介しました。
 周布は江戸時代末期に山口藩家老の周布政之助の次男として長門国(現在の山口県)に生まれます。明治維新後はフランスに留学し、その後明治政府の法制部長に就任するなど一貫して法律畑を歩み続けます。明治24年兵庫県知事に就任し、その後明治33年から神奈川県知事を12年間の長きにわたってつとめます。その間に、県庁舎の新築や、県立農業学校など各種学校の開設に尽力します。明治45年に知事を退官、枢密顧問官に就任しますが、翌年辞職します。その後父 政之助の事績を顕彰するために『周布政之助伝』の取りまとめに着手しますが、大正10年病死しました。
 本書簡は宛先人である高島(嶋)鞆之助が第二次伊藤博文内閣の拓殖務相と、次の第二次松方正義内閣の陸軍大臣を務めていた明治29から31年頃に書かれたものと考えられます。高島は薩摩藩(現鹿児島県)の出身で、台湾総督、陸軍大臣などを歴任します。
 書簡の中で周布は、自分が知事を務めていた兵庫県から出京するので、今夜お会いして色々と話し合いたいと記しています。

「周布公平書簡」
                    「周布公平書簡」 山ロコレクション(寄贈)

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ミニ展示を終えて 神奈川県特高関係資料 開催期間 平成18年11月11日から12月24日まで

 平成18年11月11日から12月24日まで、ミニ展示「神奈川県特高関係資料」を開催しました。当館所蔵の戦前期神奈川県特高警察(当時は神奈川県警察部特別高等課、通称「特高」)関係資料の紹介が目的でした。
 特高警察は明治43年(1910年)の大逆事件を契機に組織され、社会主義者・共産主義者への思想弾圧や、労働運動等への取締りを行なっていました。神奈川県では大正12年(1923年)に設置され、苛烈な拷問や冤罪事件(横浜事件)等がよく知られています。今回のミニ展示では、1「思想取締」、2「軍部への監視」という2つのテーマを設定し、2回の展示替えを行いました。
1「思想取締」では、無政府共産主義の団体である「農村青年社」への取締りや、日本プロレタリア科学同盟への監視に関する文書を展示しました。なかでも「農村青年社」取締りに関する文書は、特高警察による一斉検挙の具体的な指示内容を示す貴重な文書です。
2「軍部への監視」では、尾崎行雄と陸軍将校との対話記録や、軍部対立への諜報活動を示す文書を紹介しました。1930年代半ばには共産党の活動も壊滅し、特高の取締り対象は、過激化する軍部や右翼団体へと変化しました。
 今後もミニ展示を通じて、当館が所蔵している戦前期の公・私文書を紹介していく予定です。

秘密結社「農村青年社」ノ検挙ニ関スル件の画像
     秘密結社「農村青年社」ノ検挙ニ関スル件

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所蔵資料紹介

歴史的公文書

「明治22年 町村制施行順序」(請求記号BH6-176)

 現在の日本にある市や町や村などの地方制度は、昭和22年(1947年)に施行された地方自治法に基づくものですが、それ以前の日本の市町村制度は市制・町村制という法律で決められていました。明治政府は明治維新の後、地方における江戸幕府の影響を払拭しそれに代わる制度を創設するために、幾度か新しい地方制度を試みました。市制・町村制はそうした試みのひとつであり、明治21年(1888年)4月に公布され翌年施行されたものです。今日の地方制度とは大きく異なり、市制・町村制は内務大臣や府県知事の監督権が強調され、市町村の自治権は強く制限されました。施行後、何度かの部分的な改正はありましたが、基本的な方向は変わることなく、昭和22年の地方自治法施行まで存続されました。
 今回紹介する「明治22年 町村制施行順序」は、高座郡役所で保管されていたものが、県内務部そして文書課を経由して、平成5年(1993年)に公文書館に引き取られたものです。表題にいう「順序」とは手順くらいの意味で、今風に言えば事務マニュアルのことです。

「町村制施行順序」の表紙の写真1ページ目の写真
       表紙                                1ページ目

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古文書資料

相模国愛甲郡半縄村検地水帳(購入資料 中村家文書)

 元禄13年(1700)、半縄付(現在、愛川町中津)の検地を実施した際に作成された文書で、当時の原本です。現在の土地台帳に当たります。
 元禄の検地は、近世初期以降の生産力発展や新開発地の増加を把握しようと、幕府や大名が行なったものでした。同時期、幕府は知行地の再編である、いわゆる「地方直し」も実施しますが、当村が関宿藩領となるのもこの頃です。

相模国愛甲郡半縄村検地水帳
 半縄付はそれまで隣接する熊坂村の一部としてあつかわれてきましたが、この年の検地により熊坂村より分立しました。『新編相模国風土記稿』に「元禄十三年熊坂村より分村す」とありますが、本資料の表題がまさにその事実を明示しています。
 中村家文書は平成17年度に購入した資料で全83点、江戸から明治にかけての文書で、内50点は江戸と在地との交流を示す女性の書簡です。
 明治期の主な資料では、『相模国愛甲郡下川入村一村限切図』があります。明治12年(1879)に発行されたもので、現在の住宅明細地図に当たるようなものです。明治7年の地租改正の際に作成された下川入村(現在、厚木市下川入)の地引絵図は現存が確認されていないため、当時の地勢を知る唯一の資料となっています。さらに、地域の防災組織である愛甲郡中津村二井消防組関係資料があります。「愛甲郡中津村二井消防組規約」は、明治20年3月神奈川県令17号消防組設置手続に基づいて作成された規約で、構成員の規定や運営について記され、当時の消防の様子を知ることができます。

神奈川県

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